本編




 2008年、肌に刺す風が本格的な冬の訪れを感じさせる頃。銀河と祖父、後藤銀之助の二人は、蒲生家の玄関で慌しく靴を脱ぎ捨てた。

「銀河!」
「……先生は?」
「源さんは?」
「こっちよ!」

 音を聞きつけて駆けつけてきたのは、元紀であった。彼女の後に続いて、二人は足早に廊下を進む。
 一番奥の部屋の襖を開くと、12畳間の真ん中に敷かれた布団を蒲生家の人々が囲んでいた。見知らぬ顔もあるが、都会で暮らしているという元紀の叔母夫婦だろう。
 そして、布団の中には衰弱した源一郎が寝ていた。

「銀河……来たか」
「はい、先生!」

 銀河は蒲生の家族に促され、源一郎の傍に銀之助と共に座る。

「源さん」
「おう……。銀さんも来たか……。すまないな。……少し先に死ぬみたいだ。後は頼んだぞ」
「わかってる」

 銀之助は頷いた。源一郎も微かに頷いてみせると、銀河を見た。

「銀河………まだお前は……学ぶ必要がある。わしの知識は……十分に伝えた……だが………、知識は他人から得ても、答えは己の力で見つけよ」
「はい!」
「よし。………いいか。お前には……わしの死後も蒲生家秘書と蔵の使用の自由を認める。………もう一つ。………能々管を、お前に与える。……来る日まで、大切に保管しておくのだ。………それまで、知識を得続けるのだ。その日は……、お前自身でわかる」
「はい!」

 そして、源一郎は眠りにつき、そのまま息を引き取った。
 葬儀の日、銀河は元紀の手から能々管が渡された。
 銀河は源一郎の死で、師を失った。しかし、同時に「知識は他人から得ても、答えは己の力で見つけよ」という言葉と、能々管、そして蒲生家の蔵に眠る膨大な知識を、彼は師から譲り受けた。
 約二年後、銀河は蒲生村を旅立った。




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 銀河の意識は戻った。夢を見ていたらしく、思考が虚ろな状態から完全に抜け出しきれないが、自分がいる場所が漢江の川原ではないということはすぐに理解した。
 暗闇の中、銀河は仰向けになったまま、首を動かし、周囲を見渡す。鼻を突く酸味のある臭いが漂っている。その臭いに混じって、血と古い水の独特ものもあり、自分が下水溝に類する場所にいるのだとわかった。
 振動が背中を介して、そして空気を介して伝わる。嗅覚が硝煙を嗅ぎ取る。戦闘が連想され、グエムルの記憶が呼び起こされる。
 銀河の思考が急速に回転し始める。グエムルに連れられた自分が下水溝におり、戦闘が近くで起きている。グエムルは、今自分の近くで戦闘をしている。
 銀河は目を大きく剥いて音の元を見つめる。露出を最大に開いた様な暈けた視界から、次第に暗闇の中に僅かな光を認識し、焦点が合っていく。

「ロボット?」

 銀河が見たものは、緑色の光源を複数発光させたメタリックブラックのロボットであった。頭部に当たる場所には長い銃身がそびえ、両肩にはそれぞれオートマチック銃に似た大砲とパラボラアンテナがついた大型の砲塔が搭載されている。

「グゴゴゴ!」

 暗闇でグエムルの咆哮が聞こえ、振動が響くと、グエムルの長い尾を鞭の様にロボット頭部を攻撃する。
 モーターとギミック、そして車輪が高速で動く音が闇に響き、ロボットの光源が残像をつくって後退する。
 しかし、激しい金属音と共に、火花が迸る。まもなく、巨大な金属が火花を散らせながら、床を転がっていく。
 銀河が半身を起こし、それに目を奪われていると、ロボットから軽い発破音の後、床に重い金属音が響いた。

「グゴゴゴッ!」

 闇の中でグエムルの唸り声がするや、ギミック音と衝撃が銀河の体を突き抜ける。

「うわっ!」
「グゴォッ!」

 突然、ロボットから複数のサーチライトの光が発せられる。思わず銀河は眩しさに目を瞑る。グエムルも突然の発光に呻き声をもらす。

「人間!」

 ロボットが目を瞑り、腕で光から庇う銀河を見つけたらしく、声を発した。間違いなく人間の発した韓国語であり、操縦士のもので間違いなかった。
 銀河が目を細めて、ロボットを見ると、再びグエムルが噛み付こうと口を開き飛びかかろうとしていた。

「危ない!」
「右ぃ!」

 銀河が叫ぶと同時に、ロボットは声をあげながら、右腕をグエムルの口に突きつける。グエムルは腕を口に咥える。

「グォ……ッ!」

 しかし、右腕から小刻みに発砲音が響き、グエムルが呻き声をあげて、口を開く。嘔吐物らしき肉片などの固形物が混ざった液体が、ロボットの右腕に撒き散らされる。右手にはマシンガンが装備されていたのだ。
 グエムルの動きが鈍る。構わずロボットはサーチライトの光を強めて目眩ましをすると、左肩の砲塔をグエムルに向ける。
 砲口が煙と共に発光し、砲身が後退して再び戻る。爆音が銀河の体に響く。しかし、砲弾は身を翻したグエムルの尾を打ち抜いただけに過ぎず、火薬と肉の焼ける臭いが周囲に充満するのみに留まる。

「見かけによらず、すばしっこい!」

 拡声されたままらしく、操縦士の声が体育館の様な大きな個室構造をしているらしい、地下階層に轟く。

「上っ!」

 再び声が発せられた直後、天井に向けてロボットは左肩から砲撃した。リコイルしたと思えば、すぐさま砲撃を繰り返す。
 砲弾は天井を破壊し、更に続く砲撃で陸上階の壁を破壊した。地下階層に日光が差し込む。ロボットはその差し込んだ光に照らされて、黒光りする砲身を天井から床に降りたグエムルに向ける。
 その光で、銀河は自身の周囲に複数の死体が四散された状態で広がっている事に気がついた。しかし、銀河はそれに顔をしかめる以上の反応を示す事はなく、ふらつきつつも体を起こし、グエムルへの攻撃の障害にならない様に動く。

「ちっ! 残弾切れかぁあ!」

 ロボットは声を震わせると、怪物に捕食された生物の成れの果てとなった汚物が纏わりついた右腕を、グエムルに向ける。マシンガンから次々に発砲される弾の雨にグエムルは回避しきれず、壁に巨体をもたれて暴れる。
 止めを刺したと銀河は思ったが、しぶとい醜悪な怪物は自由の利かない身体をくねらせて反撃をしようとする。

「メーザーを使う!」

 操縦士の声がロボットから発せられると、ロボットの右肩にあるパラボラが伸び、グエムルに砲塔が向けられた。

「誤差修正! ………よし、メーザー殺獣光線砲、発射ぁあああ!」

 操縦士の叫び声と共に、パラボラは発光し、その中心から激しい光が放たれた。光は一瞬にしてグエムルの腹部に照射された。腹部は煙を上げ、照射点は発熱している様子でやがて燃え上がった。
 更に、パラボラは唸りを上げ、照射される光線はその光を太くさせる。燃え上がるグエムルの腹部が膨らみ、破裂した。

「グォオ……ッ!」

 グエムルは断末魔をあげた。破裂した腹部は、まるで電子レンジに入れた卵が破裂する様に、周囲に肉片と消化中の内容物をぶちまけた。
 しかし、ロボットはメーザー殺獣光線の照射を止めない。更には、右腕のマシンガンを構える。

「もう充分です!」

 思わず銀河は叫んだ。操縦士は機体が震えんばかりの声で叫び返す。

「殺す! まだ殺す!」
「グエムルは死にました!」

 銀河は大声で言った。ロボットから操縦士の荒い息遣いが聞こえる。

「………君は、今朝の」
「え?」

 操縦士がやっと搾り出した言葉は意外なものであった。銀河は虚をつかれた表情でロボットを見上げた。
 グエムルの死骸は、まだ悪臭と煙を上げて燃えていた。




 
 

「それで、その日本人は?」

 グエムルの死骸の回収作業を行う雨水処理場の敷地内に張られたテントの中へと入ると、帽子を脱いだ王大統領は作戦指揮官に聞いた。
 2010年の混乱期以降、初めてとなる「G」による戦闘であり、国防予算の決して少なくない額を投資したガンヘッドの戦果を見る為に、非公式で現場に来たのである。
 王の問いに指揮官は不思議な顔をした。

「彼が如何致しましたか?」
「如何致しましたではない。本作戦の大半を目撃した人物だろう? しかも、先程聞いた報告だと、違法就労者の可能性があるそうではないか?」
「はぁ。そうかもしれないというだけです。2ヶ月の国内滞在をしているというので」
「だったら、それを理由に拘束をしておけばいいだろう? 下手に外部へ必要以上の情報が漏らされれば、外交にも影響を与える。近年の我が国の経済状況は芳しくないのだ。下手に日米政府や企業が協力に難色を示されると私の政策に影響が出るんだ!」

 王は反応の鈍い指揮官の態度に憤りながら言った。事実上、直属の部下である彼を懲戒処分してしまおうかと、王が思った時、テントの中に中年の日本人男性が入ってきた。J.G.R.C.社長のアサミであった。

「やはり大統領閣下でありましたか。テントに入るところをお見受けいたしまして、お会いできて光栄です。私は……」
「必要ない。私も社長の顔くらいは覚えている。技術の提供や開発協力には感謝致すところですが、我が国の軍事下にあまり立ち入られたくはないですな。日本外交へ抗議も検討致しますぞ?」
「別に私はスポンサーや株主達の意向に従って動いているだけのことです。我が社は軍事兵器の開発企業ではありません。「G」の調査と研究が本来の仕事です。兵器流用は商品である「G」の技術提供先の需要に合わせているだけです。ガンヘッドに関しても、元々は大型工務機や消防車両への展開を考えていたものを米軍が兵器利用として融資、購入されたに過ぎません。つまり、韓国陸軍のガンヘッド実戦試験への協力はいわばアフターサービスに過ぎません」
「口ではいくらでも言える。今回の入国もメーザー殺獣光線砲のガンヘッド換装に立ち会う為だと聞きましたが?」
「それは事実ですね。名前が非常に悪いですが、アレはマイクロウェーブ照射装置が原案です。近い将来、人工衛星から無尽蔵に太陽光をエネルギーに変換し、地球各地の発電施設に照射される日が来ますよ」
「そんな夢物語、ただの絵空事にしか聞こえませんな」
「夢のない方だ。しかし、携帯電話やパソコンなど近代発明品の殆ど全てが、元々軍事利用された経緯が存在する。一介の企業が一つの新技術を見つけ、開発、更に普及化させるには多額の融資とネットワークが必要です。先例のない市場開拓をするには、国家規模の協力がないと不可能なんですよ。まぁ、政治に生きる方へ教授しても仕方のない話ですがね」
「勉強させてもらいますよ。………新進気鋭の優良企業社長さん」
「ありがとうございます」

 二人は表面的な笑顔を浮かべて握手をした。

「それで、お取り込み中だった様ですが、如何致しましたか?」
「今の話をわかっていなかったのかね? まぁいい。目撃者の日本人の事だ」
「あぁ、彼なら随分前に帰りましたよ」
「何ぃ! 本当か?」

 王は指揮官に目を剥いて聞くと、彼は敬礼をして答えた。

「ハッ! 必要のない為、帰宅させました」
「……所在は?」
「誰も聞いておりません」
「……名前は?」
「誰も聞いておりません」
「………お前達は、お前達は一体何を考えているんだぁ!」

 王の怒声が轟いた。しかし、一同揃って、何故彼が怒っているのか理解できていない様子であった。
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