本編




 2006年春、三重県の田舎にある蒲生村にも新しい年度が始まった。
 桜舞う季節の中、高校の制服に身を包んだ蒲生元紀と五井吾郎の二人が蒲生家の前で自転車に跨る。
 そして、ジャージをスカートの下にはいた元紀は鞄を自転車のカゴの中に放り込むとぼやいた。

「高校も分校があれば楽なのに…」
「流石に中学校みたいにはいかないよ」
「だって、この村の中に高校があれば……。ううん、行こうか」

 元紀が濁した語尾に、銀河も高校へ行けたのに、と続いていたのは吾郎にもわかった。
 二人が自転車のペダルに足をかけた時、農道を自転車に乗る私服姿の少年があくびをしながら彼らのところへと近づいてきた。少年は、髪と同じ紺色の防寒用マントを羽織っている。

「よう。今登校か?」
「えぇ。銀河も真面目にウチで勉強するのよ」
「ああ」

 少年、後藤銀河は手を振って、蒲生家の敷地に消えていった。
 中学を卒業した銀河は高校への進学をしなかった。仕事をしている訳でもない。彼は、蒲生家当主である元紀の祖父、蒲生源一郎の許で学んでいる。

「銀河君、お義父さんは先に蔵にいるから」
「ありがとうございます」

 庭の裏手に自転車を止めると、元紀の母が縁側から顔を出して銀河に告げた。
 銀河は彼女に礼をし、蔵へと入った。
 黴と埃、そして土壁の匂いに包まれた澱んだ空気が充満した蔵の中を銀河が歩く事で揺れる。

「銀河、来たか」
「お早う御座います」

 和服に身を包んだ蒲生源一郎は、蔵の奥に立っていた。傍らには蓋の開いた古書があり、その内の一冊を彼は読んでいる。
 銀河は蔵の奥に入ると、周囲を見渡した。昨年の秋、彼がこの蔵へ立ち入りを許されてから、源一郎の計らいで2枚の畳が蔵の奥に作られた空間に敷かれ、古いコタツ机が入れられた。それから半年近く、彼は毎日夕方になると、この蔵へ通っていた。
 そして、中学を卒業してからは、朝から通っている。

「古い本棚を譲りうけた」

 源一郎はそれだけ銀河に告げた。銀河は畳の奥に本棚が増えているのを確認する。木製の濃い茶色の本棚だった。

「ありがとうございます。棚の中から一々本を出し入れするのは大変でしたので」
「よかった」
「先生。この本、自分なりにまとめてみました」

 銀河は鞄から英語の本と文字のびっしり書かれた原稿用紙を源一郎に渡した。彼はそれに目を通す。

「うむ。大分内容を理解できるようになったようだな。それから……」

 源一郎は袂から折りたたまれたA4用紙を取り出し、銀河に渡した。

「これは?」
「昔、この村を……能々管などを調べに来た大学教授の名刺を見つけた。そいつに問い合わせて送ってもらった資料だ」
「爾落人?」
「能々管を作ったとされる旅人、お前の事をそう呼ぶ伝承が諸所の地域にあるそうだ」
「意味は?」
「わからんな。その教授も専門でない事もあり、わからないらしい。字の繋がりとしては、爾の落とし子と読めるが、爾には意味がない。何かの当て字に近い意味だろう。もしくは、人に近い存在という意味で爾の文字を用いたとも考えられる」
「有難う御座います」

 銀河はなぜかその意味もわからない名前が気に入った。


 

――――――――――――――――――
――――――――――――――


 

「……さあ、かかって来い」

 輝香を自分から離すと、銀河は距離を取り警戒をするグエムルに近づきながら言った。
 グエムルが動いた。銀河の目の前まで突進し、護符を再び構える銀河に、長い尾を使って土煙を撒く。

「くっ!」
「グゴゴゴゴォ!」
「……ぐはっ!」

 土煙で一瞬動きが止まった銀河をグエムルは大きな頭部で突き飛ばした。

「……!」

 思わず、土手にまで走った輝香が足を止めた。
 しかし、銀河は立ち上がり、立ち止まっている輝香に気がついて叫ぶ。

「立ち止まるなぁ! ………俺は大丈夫だ!」
「! ……わかったわ!」

 銀河の言葉を聞いた輝香は安心した表情で答えた。ふと足元を見ると、先程の護符が落ちていた。
 輝香は護符を拾い、ポケットにしまうと再び走り出した。

「試す価値はあるよな?」

 一方、銀河はマントから能々管を取り出すと、それに問いかける様に言って、グエムルを睨んだ。

「はぁ……、はぁ……」
「李輝香殿?」

 土手を越えた輝香が息を切らせて道路へと出る階段を下りていると、名前を呼ばれた。

「え?」

 声のした方向を見下ろすと、一人の女性が立っていた。既にグエムルから逃げる人々の姿はまばらになっており、彼女一人がそこに立ち止まっていた。
 彼女は、気温が高い午後であるとはいえ、上は麻製と思われる長袖の服一枚のみで、下は深紅のロングスカートでサンダルという肌寒いと思われる服装をしている。そして、日光を反射して輝く金のカチューシャで髪を後ろに流す。その輝きも相まって、輝香は素直に彼女を美しいと思った。

「輝香殿、金日民首領殿があなたにお会いしたいと申している」
「……貴女は?」
「ガラテア・ステラ。現在、朝鮮民主主義人民共和国護衛総局護衛特別官をしている。………私と来てくれるな?」

 ガラテア・ステラの誘いに、輝香は返答の代わりに首を縦に振った。



 

 

「消えろぉおぉおおおおおお!」
「グゴゴゴゴォ!」

 銀河は能々管をグエムルに突き立てた。
 しかし、グエムルはクマソガミの様に消滅する事はなく、そのまま銀河を押しつぶす。

「ぐっ! ………離れろ!」

 捕食しようと口を開くグエムルに銀河は護符を押し付ける。

「グォゴゴッ!」
「つぅ!」

 護符が張り付いたグエムルは痙攣し、銀河から離れて悶える。銀河も右手を掴んで顔を歪め、地面を転がる。

「気のせいか、昔よりも強力になってるぞ?」

 銀河は右手を気遣いながらゆっくり身を起こしつつ、言った。しかし、その理由が自身の方陣を描く技術が上達している為と、小さい紙に描いた事で方陣そのものが触れている為であると既にわかっていた。

「……まぁいいか。お守り程度に持っていた「G」封じの護符も晴れて立派な武器だ」

 痺れの残る右手を庇い、左手で残りの護符を構えると、ゆっくり痙攣するグエムルに近づく。

「これで、終わりだ」

 銀河がグエムルの頭部に護符を貼り付けようとする。

「グゴォッ!」
「なっ!」
「グゴォゴゴゴゴッ!」

 刹那、グエムルは護符が腹部に貼りついて身動きがままならないにも関わらず、尾を渾身の一振るいで地面を叩き、自らの巨体を反転させた。
 当然グエムルの目の前にいた銀河は、その巨体に巻き込まれた。その際、彼の左手にあった護符はその手から離れ、一瞬宙に舞った。
 その内の一枚はグエムルの左目に貼りついたが、別の一枚が銀河の額に貼りついてしまった。

「策士……策に……おごれ……ぐぅかぁ?」

 護符によって舌も上手く回らず、銀河はなす術もなく仰向けで倒れていた。
 一方、グエムルは反転させた衝撃で腹部に貼り付いていた護符が剥がれ、まだ自由に動けはしないが左目に貼りついた護符を剥がそうと、銀河の倒れる傍らで身悶えする。

「グゴゴゴォッ!」

 遂に大きな石に左目を打ちつけ、目を潰すことで護符を剥がしたグエムルはふらつきつつも、勝ち誇ったかの様に咆哮をあげた。
 そして、戦利品を持ち帰るかの如く、長い尾を銀河の体に巻きつけると、そのまま銀河を持ち上げてグエムルは巨体を揺らし、漢江に飛び込んだ。
 銀河を引きながら、グエムルは対岸に向って泳いでいく。対岸には雨水処理施設があった。


 


 

『いいか。グエムルと呼称される「G」は現在日本人と思われる男性を人質にこの雨水処理場に潜んでいる。現在この施設は工事中だ。電子化された地図は既に入っている。507のオペレーションシステムを利用して作戦を行ってくれ。何度も言うが、これは試験機の実戦試験も兼ねている。「G」を倒す事も大切だが、戦闘データを持ち帰る事が最優先事項である事を忘れるな』
「御意」

 モニターの灯りが狭くて暗いコックピットを照らす。そのモニターを見ながら、イエローは上官からの指令に返答する。
 現在は待機モードで、周囲の状況などのモニターはしていない。しかし、モニターする必要がない。彼が乗っている機体は、輸送用の大型トレーラーに格納されている状態にある為だ。

『準備が整った』
「到着してから時間がかかりましたね?」
『報道の規制をしたりと大変なんだ。何せ、今まで夢物語でしかなかった兵器が実戦に投入されるんだ。正式な完成発表ができるまでは、機体の全貌を報道させるわけにはいかないんだ。……もういいだろう。さっさと起動しろ!』
「御意」

 イエローは機体を起動させる。オペレーションシステムが起動し、次々にモニターが起動する。そして、中央のモニターに『GUNHED』の文字が浮かんだ。

『GUNHED、ゆにっとなんばー507起動』
「音声認識確認」
『音声認識確認成功、声紋一致』
「よし。システム確認」
『……新規装備、接続確認。……確認続行』
「新規装備?」

 イエローが聞き返すと、オペレーションの代わりに上官が答えた。

『今朝追加した試作武器だ。元々戦車で試作する予定だったらしいが、電気系統の出力が足らないらしく、ガンヘッドで試して欲しいという事になり、米軍を介して依頼が来た』
「J.G.R.C.ですか?」
『気になるか?』
「いえ」
『まぁいい。システム確認をしている間の雑談程度に教えてやろう。アサミ社長は兵器以外のエネルギー利用技術開発で使いたいらしい。今回の兵器開発はスポンサーをしている各国政府だ。ガンヘッドは「G」由来の技術開発において、新技術の宝庫ってわけだ。だから、お前が死んでもデータだけは持ちかえろよ』
「御意」

 イエローは、好感を持っている日本の社長が兵器開発に手を染めていない事を確認すると、安心した様子で返事をした。

『あぁ。とはいっても、そいつはかなりエネルギーを消耗する。今回はガンヘッドの性能試験だ。そいつは無理に使わなくてもいいからな』
「御意」
『全項目確認終了。現在、たんくもーど。正常起動、確認』

 丁度、システム確認が終了した。モニターに周囲の様子が映し出される。トレーラーの内部なので、無機質な金属の箱の中が映る。

『トレーラー、展開! ガンヘッド507実戦試験機、出撃!』
「御意! ガンヘッド507試験操縦士イエロー、行きます!」
『発進』

 大型トレーラーの荷台が展開され、全長8mを越える細長い多重装備型の戦車が姿を現した。ガンヘッドと呼ばれる機体のタンクモードの姿である。
 ゆっくりとガンヘッドはトレーラーから降りると、轟音を立てながら、雨水処理場の中へと進んでいく。

『タンクモードのメディア露出はある程度許容されているが、スタンディングモードはまだ秘匿事項だ。中に入るまでは変形するな』
「御意。……507、対象の探索を開始しろ」
『了解』

 ガンヘッドは慎重に処理場の奥へと進む。イエローは映像とセンサーによる索敵のモニターを交互に見ながら、進む。

「……敵は水生の特徴を持っている。水があるのは、地下階層か?」
『肯定』
「よし。地下階層へのルートをナビゲーションしろ」
『了解』

 イエローは、オペレーションシステムの指示を聞きながら、ガンヘッドを操作する。

『反応アリ』
「どこだ?」

 イエローが聞くと、モニターに方角と距離が示された。想像以上に近い距離であった。
 イエローは目を凝らしてモニターを見るが、それらしき姿は見えない。

「誤差は?」
『2.00m』
「……上か!」

 その瞬間、天井に出ている鉄骨にぶら下がってグエムルが飛び掛ってきた。イエローは素早くガンヘッドを後退させる。
 ギリギリのところでガンヘッドはグエムルを回避した。

「この広さなら、タンクよりもいい。507、スタンディングモード!」
『了解』

 ガンヘッドはゆっくりと本体が上昇し、後方から手が出され、直立した。完全な二足歩行の直立とは違うものの、機動性の高い4本の足と、三本爪のある腕は正しくロボット兵器である。
 スタンディングモードに変形するとすぐさま、頭部にあるチェーンガンを撃つ。
 しかし、至近距離の為、突進を仕掛けてきたグエムルに命中せず、逆に突進を受けて壁に叩きつけられる。

「くっ! 損傷は?」
『前部装甲20%損傷、後部装甲12%損傷、脚部……』
「全体の損傷!」
『全損傷率14%』
「なら行ける!」

 そのまま壁に押し付けようとするグエムルに頭突きを小刻みに受けるガンヘッドだが、左腕の爪を束ね、グエムルの脇腹を突く。

「グゴォッ!」

 グエムルは呻き声を上げて後ろへ転がる。
 ガンヘッドはすぐさまその後を追う。

「索敵、続けろ! 絶対に逃がすなぁ!」
『了解』

 薄暗い処理場内をグエムルとガンヘッドがかけ回る。

『注意! 危険!』
「穴! ……ぐあっ!」

 工事で床に空けられていた穴に飛び降りて、地下へとグエムルは逃げ込んでいた。後を追ってガンヘッドも地下へ落ちる。脚部で落下の衝撃の大部分を緩和させているが、操縦席のイエローに与える衝撃は大きいものであった。

「……初めて俺が選ばれたのか、わかったよ」

 イエローは顔を上げると、赤外線暗視モニターに表示を切り替え、ズレたゴーグルをかけなおす。

「ん? ……これは!」

 映し出された周囲は、床のいたるところに死体が転がっていた。中には骨のみになっているものもある。

「ここを巣にしていたのか……」
『後方』
「うぉおおお!」

 イエローは、ガンヘッドは野太い怒声と共に醜い怪物と激突した。
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