本編




 2011年冬、朝鮮民主主義人民共和国。
 雪の降る道を緑色に塗装されたジープが白い景色の中で黒煙をあげて進む。
 時刻はまだ昼過ぎにも関わらず、雲が太陽を隠し、薄暗い。

「あの家だ!」

 ジープの後部座席に座っていた軍服を着た男が運転手に言った。朝鮮語だ。助手席に座る男は、膝の上に抱えた70cm大の布製鞄の中身を確認する。

「準備は怠るな。これは密命なのだ」
「御意。確認、問題なしであります」

 後部座席に座る男は上官に当たる。彼は報告の口調で答えた。

「人物の確認は?」
「死亡の確認後に行う。……彼は将軍様の不幸に乗じ、蜂起を計画していた為、発見次第処刑とした。……それが、あの方のシナリオだ」

 彼が聞くと、上官は表情一つ変えずに淡々と答えた。

「これを使う理由は? 私の腕ならば、小刀でも……」
「使う機会を得るのは難しい。……現在の我が軍内の混乱を君がわかっていない事はないだろう。今後によっては、これを使った事が問題となる可能性が高い。そう、あの方は御配慮なされたのだ。あの方は「G」に興味津津だからな」

 上官はいつになくよく話した。彼自身もこれからの行為に緊張や恐怖の感情が存在する現れなのだろう。助手席に座る部下はそう思った。

「エンジンを止めろ」

 目的の家からかなり手前でジープを停めさせ、彼らは雪の中を歩き始めた。

「……います」
「行くぞ!」

 家というよりも、小屋に近い家屋の扉を蹴り破ると、彼ら三人は武器を持って突入した。

「何?」
「キャァ!」
「ぐぁ!」

 小屋は二部屋の構造になっており、手前の部屋には子どもしか居なかった。彼らは一切の躊躇もなく、子ども達を射殺し、奥の部屋への扉へ銃弾を浴びせた。
 室内は硝煙と血の香りが漂い、床と壁には血飛沫が広がっていた。
 しかし、彼らは何一つ気にも止めず、床に転がる小さい手や足を踏み付けて、奥の部屋に流れ込んだ。

「……人民軍が何の様だ?」

 灯のない暗い室内の奥から男の声が聞こえる。上官は胸のポケットから懐中電灯を取り出し、正面奥を照らした。

「……死ぬ奴に説明する気はない」

 懐中電灯の光に目を細くさせる青年に彼は言った。青年の膝の上には二人の少年少女が死んでいた。

「この子達は俺の楯になって死んだんだ。……何故殺されたか、言え!」
「どうせ明日にも死ぬ命だったんだ。気にするな。……お前も死ぬ」

 上官が言う横で、部下の一人が鞄の中から大型の銃を取り出した。銀色のそれは、青年の見た事もない存在だった。

「そんな訳のわからない銃を開発するならば、人民の飢饉を解決しろ!」
「もうその辺で良いだろう。聞く方も疲れるんだ。……殺れ」
「御意」

 部下は青年に向けて、引き金を引いた。




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 桜舞う季節、朝日がソウルを流れる漢江の水面を照らす。
 私は携帯電話を握り締め、息を荒げて土手を走る。

「正煥ーっ!」

 私は声を張り上げた。その声に、橋を歩く人影が止まった。
 私は人影を目指し走る。土手から橋にさしかかり、更に叫ぶ。

「ちょっとどう言う意味よ!」
「……何で来たんだ?」

 駆け寄る私に彼は目を伏せて言った。
 彼の目の前までたどり着いた私は、息を整える。

「君は大学があるだろ………うっ!」

 私の瞳に涙が浮んでいることに気付き、彼は言葉の途中で止まる。私は涙を拭うこともせず、携帯電話の画面を彼の目の前に突きつけた。

「嫌いになった……んじゃないんでしょ?」
「すまない。……俺には君を待たせて行くことができる自信はない」

 彼は私の突きつける携帯電話を片手で下げると、悲痛の表情で言った。

「だからって、別れる事はないでしょう。……しかもメールなんて」
「すまない。会ってしまうと、言える自信がなかった」
「待つわよ。………兵役期間なんて、たった2年なのよ。私は待つわよ。携帯が使用禁止でも、多少の手紙くらいは許されているでしょ?」
「いいのか?」
「当然よ。それとも、私がたった2年間で心変わりするとでも思っているの?」
「………わかった。必ず手紙を書く。兵役を終えたら、君にもう一度、交際を申し込む。いいかい?」
「勿論よ。待っているから!」

 私は笑顔で言った。それが繕ったものなのか、本心からのものなのかは私自身もわからなかった。
 しかし、彼は目を細めて笑い返すと、そっと身体を近づけ、私に口づけをした。

「………行ってくる。帰ってくる時には、立派な農学者になっていることを願っている」
「うん。……いってらっしゃい」

 そして、私を漢江にかかる橋に残し、彼は陸軍の兵役を務める為に歩いていった。



 

 

 2012年初夏、大韓民国ソウル特別市内。

『ピー……』
「輝香、わしだ。大学で研究をするのは立派だが、最近一緒に夕飯も食べていないだろう。たまには親子の会話も必要だ。……夕飯、何がいいか電話をしてくれ」

 彫りの深い皺が刻まれたサル顔の小柄な初老の男、李秀吉は受話器の終話ボタンを押すと、カウンターの上に置いた。
 椅子の背もたれに寄りかかり、秀吉は天井を見上げる。天井の染みが月日の経過を彼に実感させる。

「10年か。……確かに輝香も大人になるか。……なぁ、お前」

 彼は首を壁に向け、独り言った。壁にかかる写真は、8年前に他界した彼の妻の写真である。
 10年前、彼は会社員を辞め、ソウル市内に宿屋を始めた。会社員時代は、日本人とのハーフという事もあり、出世からも取り残され、仕事でも差別による苦労が多かった。宿を営む上でも、それは変わらなかったが、日本の韓国ブームの波に乗り、日本人観光客の知る人ぞ知る穴場宿として、宿は軌道に乗り、今日まで無理なく仕事を続けている。

「……こんにちわ!」

 ガラス製のドアを押し開き、お客が入ってきた。秀吉は慌てて体を起こし、お客に挨拶する。
 お客は、二十歳前後の若い男であった。皺のついたワイシャツに黒のネクタイを緩く結び、黒いフード付きのマントをしている。荷物は大きなドラム状のバック一つだけだ。若干長めの髪は癖がついており、伏し目がちな目元が印象的である以外は、身長も体型も中肉中背の典型的な東洋人であった。

「あー……コンニチワ」

 お客は会釈をしつつ片言で返事をした。

「日本の方デスか? ワタシ、父が日本人なのデ、日本語でも大丈夫デス」

 秀吉はお客の反応ですぐに相手が日本人だと判断し、笑顔で日本語を話した。相手の少し安心した表情を見て、秀吉は自分の判断が正しかった事を確認した。

「それは助かります。……一応日常会話程度は勉強しておいたのですが、本で学んだ為、発音には自信がなかったんですよ」
「ソレは良かったデス。ご宿泊デスか?」
「はい。ただ、お金が少ししかありません。こちらの金額で何泊出来ますか?」

 お客はカウンターに近づくと、財布からお札と小銭を出し、カウンターの上に広げる。
 秀吉はそれらを見るが、すぐに答えは出た。

「一泊はできマスが、二泊はダメデス」
「やっぱり飛行機代が限界だったか………。郊外に出たらもう少し泊まれますかね?」
「ダメだと思いマス。場所にもよりマスが、日本人を安く泊める宿はあまりナイデスね」
「そうですよね? ………食事などはなくても大丈夫なので、もう少し長く泊まれませんか?」
「それでも二泊が限界デスね」

 秀吉の返答に、彼は腕を組む。少し思案した後、彼は言った。

「では、二泊させて下さい」
「わかりまシタ。では、宿泊カードに記入して下サイ。それから、パスポートもお願いしマス」

 彼は世界中で最も価値のあるパスポートの一つを渡すと、宿泊カードに記入をする。

「アナタは丁度よかったデス。今日はお客サンも予約もナイので、貸切デスよ。働く人もワタシだけですがね」
「それは確かに嬉しいですね? はい、どうぞ」

 彼は秀吉の話に笑顔で答え、書き終わった宿泊カードを渡す。シーズン前の平日なのだから、高級ビジネスホテル以外の小さな宿屋は、営業開店であるのは元々想定の内なのだ。
 秀吉は一応宿泊カードとパスポートの名前と写真を確認し、パスポートを彼に返した。

「では、お部屋にご案内しマス」

 秀吉は宿泊カードをカウンターの下にしまうと、お客を部屋に案内した。
 お客は、後藤銀河という日本人であった。



 

 

『…夕飯、何がいいか電話をしてくれ』

 大学の研究室で李輝香は、携帯電話の留守番録音に残された父秀吉のメッセージを聞き終わると、終話ボタンを押した。彼女と男性との2ショットの待ち受け画面が表示される。

「まだ昔の男の写真を使っているの?」

 自身の机に向って座っていた彼女の後ろを通った先輩研究生の女性は言った。

「昔じゃないです。今なのよ」
「だって、手紙が届かなくなって半年近く経つんでしょ?」
「それはきっと兵役が大変なのよ」
「だって、もう退役しているはずでしょ? 2年間なんだから」
「……なにか、事情があるのよ」

 輝香は唇を噛みつつ言った。先輩が彼女の携帯を覗き込む。

「そういえば、あんたの彼氏の顔って見た事なかったわねぇ。………あら?」

 先輩は待ち受け画像を見て眉を寄せる。輝香には、彼女が次に言う台詞がわかっていた。それは何度も聞いてきた言葉だ。

「この人って、北韓の……」
「金日民最高指導者に似ている、でしょ?」
「えぇ、まぁ……」

 先輩は曖昧な返事をしたが、それは図星であることを示していた。
 しかし、輝香は何も言い返さなかった。それは、彼女自身も半年以上に渡って考え、悩み続けていることであるから。

「いいです。気にしないですから。……では、私は農園に行きますので」

 彼女は立ち上がり、先輩を残し、研究室を後にした。




 
 

「……そうか、南下すれば本場のホンオフェが食べられるのか」

 夕方、秀吉が夕食の食材を買って帰ってくると、ロビーの隅にあるパソコンに向って銀河が一人呟いていた。
 結局、輝香からの連絡はなく、夕飯は簡単な冷麺類で済ませる事にした。

「ホンオフェでシタら、ここソウルの量販店でも売ってマスよ? 臭いも抑えられたものも多いデスし」
「ありがとうございます。でも、食べたいのは、本物の味ですので」
「日本でシタら、納豆が有名な発酵食品デスよね?」
「はい。以前、茨城の水戸で食べた本物の納豆は、それは臭かったですね」
「そうなのデスか。………後藤様は、いつまで本国に滞在スル予定デスか?」
「まだ未定ですね。……2年前、自分は何をするべきなのか? その答えを求めて旅を始めました。日本中を旅して、色々な風景や文化、様々な人に、その思想も見てきました。そして、昨日ついに日本以外の国へ来たんです。それが、ここ大韓民国なのですがね」
「昨日は?」
「空港に着いたのが夜だったので、そのまま空港のイスで寝ました」
「それは大変でシタね。……食事はどうされるんデスか?」
「食べなくても平気なんです。特に空腹にもならないので。それよりも、お金の問題ですね。………李さん、どこかで仕事を募集している所を知りませんか?」
「残念ながら、知りマセン。あまり周囲との交友が深くないデス」
「そうですか。ありがとうございます」
「お役に立てなくてスミマセン」

 そして、秀吉は買い物を持つと、銀河を残し、カウンターの奥にある自宅へと入っていった。
 食材を冷蔵庫にしまうと、キムチの仕込みをする。

「そうだ」

 キムチを手に取ると、秀吉は頷いた。銀河に食べさせようと思ったのだ。これくらいなら、サービスになる。
 彼は小皿にキムチを盛ると、ロビーに出た。ロビーのパソコンの前には、相変わらず銀河がパソコンを操作していた。

「私の家のキムチデス。サービスデス。食べて下サイ」
「ありがとうございます」

 銀河は笑顔で小皿を受け取ると、キムチを一枚つまむと口に運んだ。

「うん! 酸味と辛味が日本の物とは一味も二味も違う! 美味しいですね?」
「アリガトウございマス」

 キムチを褒める銀河に秀吉が礼をすると、カウンターの電話が鳴った。

「はい。李です。………はい。……はい。………ありがとうございます」

 秀吉は電話を終えると、深い溜息を吐いた。キムチを半分程食べ終えた銀河は、立ち上がると、カウンターに近づいた。

「どうかしましたか?」
「日本人の団体の予約が入りマシタ。でも、明日デス。平日で、従業員のアルバイトも来れマセン。頼りの娘は、大学の研究生で来れマセン」
「………手伝いましょうか? 日本人が相手なら多分力になると思います」
「……しかし、お客様にその様なコトは」
「では、明日の宿泊費はなし、というのは如何でしょう?」
「………お願いシマス。でも、かなり大変デスよ?」
「よろしくお願いします」

 銀河は返事を礼で示した。




 
 

「いやぁ、助かったよ! 予約の手違いで部屋数が足らなくなってね!」

 明くる夜、近くにあるホテルで宴会を行ったという団体客の幹事は上機嫌な笑顔で、ロビーにいた銀河に言った。酒が入っているのは一目瞭然だ。
 話によると、日本の物流系会社の慰安旅行らしい。元々シーズンを避けた計画だったらしいが、急遽営業一課という部署が参加可能となり、加えて追加予約に手違いがあったらしく、部屋数が足らなくなったらしい。その際に白羽の矢がたったのが、この宿だという。

「バイトくぅ~ん、何話してんのぉ?」
「あー面倒なのが来た」

 幹事の男性は、真っ赤なだらしない笑顔をした女性が2人に近付いてくるのを見て、露骨に嫌な顔をした。

「何よぉ! 最近若い子と話してないのよぉ!」
「いつも飲み屋の姉ちゃんへの俺達の目がいやらしいって言うくせに」
「外国に来ると女は大胆になるのよっ! それに一人減った分を私がカバーしてあげてるのよ!」
「まぁ、折角一課も参加になったのに、ケンが不参加なのは残念だが、それとこれは関係ない! 経理課はあっちでヤニでも吸ってろよ!」
「はいはい。……じゃ、お兄さんっ! あ・と・で!」

 女性の笑顔に銀河が苦笑いで返すと、彼女はロビーを後にした。

「すまんな。ここは長いのか?」
「いいえ。今回のみの助っ人です」
「そうか。まぁ、頑張れよ」
「ありがとうございます」

 銀河に男性は歩きながら手を振ってみせ、ロビーから去っていった。
 その直後、入れ替わる様に秀吉がロビーにやってきた。

「ご苦労様デス。本当に助かりマシタ」
「お役に立ててよかったです。それに、宿代が浮いたのは助かりました」
「いえいえ。以前に宿の仕事をした事があるのデスか?」

 秀吉は銀河に聞く。

「はい。昨年、一ヶ月程ですが、旅館でのバイトをしていました」
「そうデスか。……仕事、探してマシタね?」
「はい」
「どうデスか? ココでしばらく働きマスか?」
「いいんですか?」

 銀河が身を乗り出して確認すると、秀吉は頷いた。

「タダ、厳しいデスよ? それを覚悟して頂ければ、給料も出シマス。部屋も貸シマス。食事も出シマス。どうデスか?」
「よろしくお願いいたします」

 銀河は秀吉に頭を下げた。

 


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「嗚呼忌々しい! あんな若造がオボイ首領様であるなんて認められん!」

 自室に入った守定康人民軍中将は憤った。この自室は壁も厚く、盗聴器もないことを確認している。つまり、彼がプライベートを確保している数少ない部屋なのだ。
 既に部下や使用人は部屋に戻している。この部屋にいるのは、彼と名目上の愛人である張真実女史のみだ。彼女は朝鮮人民民主党の幹部であり、定康と同世代にして、長年様々な謀略を分かち合ってきた共犯者でもある。
 朝鮮人民民主党とは、朝鮮民主主義人民共和国与党の衛星政党に当たる政党であり、彼女の父達がその創設に関わっている。

「仕方がないわ。前将軍様がお亡くなりになったのは去年の冬のこと。そして、相次ぐ暗殺や自殺によって正規後継者候補は全員死亡。我が国の体制を守るには世襲制を守ることに他ならない。それは貴方の方が私よりも深く理解しているはずよ?」

 真実はイスに腰を降ろすと酒を煽る定康に言った。彼は口を袖で拭うと、言った。

「儂に命令をするな! ……確かに体制を守る為には仕方のないことだ。そして、儂もあの方での計画を進めていた。……それが、自殺をされるなど!」
「それについてはあの時に何度となく調べたわ。間違いない、自殺よ。金日民首領様は何もされていない」
「儂と二人きりのときに奴をその呼び方で呼ぶな! 嗚呼! あの方がご存命であれば!」
「過ぎた事を嘆いていても仕方がないわ。それに、貴方があの方を祭り上げようとしていたのは、単純にあの方であれば自分が権力を事実上握れる、というだけでしょ?」
「………」
「全く、言い返せないのでは、肯定と同じね。今の首領様では……無理ね」
「そうだ! あの若造、生意気にも頭は切れる。更に状況の分析も、とても昨年まで飢饉に喘いでいたとは思えん」
「逆でしょ? 民衆と同じレベルの生活をしていたから分析も判断もできるのよ。腐りきった上流階級のバカ達とはまるで違うわ」
「忌々しい! だが、あの若造はそれだけではない。真実、お前にもわかるだろう!」
「先軍政治をやめる。核を撤廃する。日米などの民主主義国家との国交正常化でしょうね」
「そうだ! それは主席様と前将軍様を否定している! そんな事が許されるはずがない! 父親を否定するなど! 嗚呼! ありえん!」

 定康は帽子を地面に投げつけ、髪をかきむしりながら叫んだ。

「しかし、人民軍の将軍、幹部は、その先軍政治の理念にのっとり、日民を後継者に相応しい人物と判断した。これを覆すことは、貴方自身が否定をしていることを意味するわ」

 憤る定康に冷ややかな視線を向けながら、真実は言った。
 朝鮮民主主義人民共和国の政治構造は、ある意味では非常に単純だが、またある意味では非常に複雑な構造をしている。社会主義国であり、指導者による独裁国家という世界中でも稀な国家体制を持つこの国を現在支えているのは、朝鮮半島で広く浸透している儒教を取り入れた主体思想と先軍政治である。
 主体思想は、親や祖先を尊重する大切さを教える儒教の伝統的な価値観を利用し、国の父である指導者に絶対服従しなければならないとする独裁支配を実現させるシステムだ。
 先軍政治とは、軍事優先の原則の下に革命と建設に伴う全ての問題を解決し、軍隊を革命の柱として立て、社会主義偉業全体を推し進める領導方式である、とされている。つまり、社会主義に必要な軍を指導する党の腐敗を打破する事実上の軍国主義である。これは、儒教の教えによってのさばり続けた老人達によって党が腐敗した為だ。
 そして、指導者の後継者の選任がある。党によって国家の指導者を選任する社会主義において、世襲制は不適切といえる。しかし、国家が革命によって生まれたとされ、その革命は血統によって行われるとし、世襲によって指導者が選ばれるのだ。
 しかし、2011年の実際に起きた後継者争いは政治的な争いに留まらないものであった。先軍政治によって、軍が党を指導し、指導者を選任するという体面が生まれた。即ち、軍に支持される人物である必要が新たに生まれた。
 金日民は、正妻の子である兄達の死に加え、軍の幹部による支持を突如として獲得し、後継者争いの盤上に現れて僅か2ヶ月にして最高指導者になったのだ。

「……だが、そんな事がありえるわけがない! 「G」の成せる技だ!」
「それは確証のないことよ。それに、仮に「G」の力が彼にあったとしても、どうしようもないわ。それに、彼女の存在もある」
「それもだ! あの若造は何を考えているんだ! ……いつか、目にものを見せてやるわ!」
「………」

 真実が冷やかな視線を向けている事など気にも留めず、定康は口元を歪めていた。
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