本編
混乱状態であった平壌も、夜が更けるに従って収まりを見せ始めた。
人々は正煥を金日民と思い込み、独裁者もこの世から消えた。
人のいなくなった元人民軍司令部の屋上には銀河と日民とガラテアが夜空を眺めていた。そこへ目を赤く腫らした輝香とそれを支える真実が現れた。
「……輝香さん、大丈夫ですか?」
「えぇ。大分、落ち着いたわ。……正煥の死を私が人前で見せる訳にはいかない。……だって、彼は独裁者金日民なんだから」
銀河が声をかけると、輝香は気丈に笑いながら言ってみせた。
「……日民様、私が仮に国家主席となり体制を整える事が決りました。今後は時間をかけて、民主主義国家へと移行していきます。経済格差がある程度落ち着くまでは、38度線の維持と南朝鮮との渡航は制限をしたままにしようと思います。勿論、時期が来れば統一をしたいと考えております」
「そうか。……頑張ってくれ」
真実が言うと、日民は笑って言った。その笑顔はとても自然な歳相応のものであった。
「ありがとうございます」
真実は日民に深々とお辞儀をした。
「貴方はどうするんですか?」
「もう決めている。俺は死んだ事になった以上、正煥の復讐をする」
輝香が聞くと、日民は答えた。
「復讐?」
「といっても、意味のない事はしない。それに、申正煥の名前も汚したくない。彼は春に行方不明になった。それだけだ!」
「じゃあ、何を?」
「なに、今も対岸の火事でいる黒幕に裁きを与えるだけだ。……それについては、既にこいつらと話はついている」
「え?」
輝香が見ると、銀河とガラテアは頷いた。
「そう。……後藤さん」
「ん?」
「韓国へ戻りますか?」
「あぁ。気に入っているマントも置いたままだしな」
銀河は笑って答えた。輝香はポケットから鍵と封筒を取り出すと、銀河に渡した。
「これは?」
「家の……、宿の鍵です。そちらの封筒には親戚への手紙が入っています。鍵を使い終わったら、この封筒に入れて郵便に出してください。宿の後処理等についてのことをお願いする旨が書かれていますので」
「……じゃあ?」
「北韓に残ります。……日民さん、私が必ず飢饉の起こらない農業を確立してみせます!」
日民に向くと、輝香は笑顔で言った。今度は自然な笑顔であった。
「農業?」
「彼女、農学研究者らしいの。日民様が半年で作った、国交正常化への布石はそのまま引継ぎます。それで、先進国の農業技術も導入して、彼女や他の研究者達と一緒に、毎年豊作にしようと思っています」
「日民さん、私はここで幸せな貧乏を目指します」
「………」
日民は思わず顔を伏せた。ここにいる皆が、彼が泣いている事を理解した。
そんな彼を気遣ってか、ガラテアが輝香に話しかける。
「ああ。輝香殿、お願いがあるのだが」
「なんでしょうか?」
「プルガサリ殿だが、私達が連れて行ってもいいだろうか?」
「……プルガサリを。条件があります」
「条件?」
「プルガサリをちゃんと消してあげてください。プルガサリは巨体で、鉄を食べてしまいます。争いが終わった以上、彼は無用な混乱を招いてしまいます」
「その条件、俺が引き受けましょう」
銀河が言った。そして、建物の影で休んでいるプルガサリを見た。
「お願いできるのですか?」
「多分プルガサリを苦しませずに……」
「成程、銀河殿ならできるな。私も後始末は協力しよう」
「あぁ」
銀河は頷いた。
真実が思い出しように、手を叩いて銀河に話しかけた。
「それから、後藤さん」
「ん?」
「貴方が人々の前で名前を名乗らなかったので、皆、貴方の名前をお聞きしたいと言っていました。如何致しましょうか?」
「本名は面倒臭いなぁ。別に革命家としてシャツの柄とかになる気もないし……」
銀河は腕を組みながら夜空を見上げた。そして、呟く。
「天河…天河三十郎」
「天河?」
「三十郎?」
「まぁこの通り、まだまだ二十郎だけどな?」
そう言って銀河は笑った。呆気に取られていた真実も笑った。
「わかりました。では、日本から来た用心棒であったと伝えます」
「お願いします」
緩やかな時間の経過を感じながら、銀河達の平壌での最後の夜は更けていった。
明け方が近くなり、霞みが出てきた頃、軍事境界線周辺に地響きが起こった。既に軍事境界線の人民軍も一時撤退を終え、兵は韓国側のみとなっていた。
地響きを砲撃かと思った韓国側の兵は周囲を警戒する。
そして、地響きのする方向である北側の森に目を凝らす。
「グォオオオ」
「ば、化け物ぉ!」
森から突如現れたプルガサリに兵は絶叫した。無線で連絡しようとするが、手が震えて上手くいかない。
一方で、プルガサリは悠然と韓国へ歩いていく。
遂にプルガサリは国境を越え、韓国側へと侵入してきた。
兵は遂に腰を抜かした。しかし、プルガサリは構わず、兵の目の前を通り過ぎていく。
「な、なんだ? なんだ、あれ?」
兵が混乱しつつ、プルガサリの歩いて行った方向を見た。
林の中をプルガサリの巨体が進むと、突然プルガサリの動きが止まり、そのまま崩れるように消滅した。
「な、なんだ? 夢?」
兵は何がなんだかわからない様子でその場に座り込んでいた。
一方、その様子を林の中からガラテアが確認していた。
「……成功だ。混乱している」
ガラテアは林の奥へと戻ると、銀河と日民に言った。銀河は地面の土を盛りながら答える。
「そりゃ、目の前で云十メートルの怪物が現れて消えたんだから、混乱もするだろ?」
「………何を作っているんだ?」
「墓だよ、プルガサリの」
ガラテアに聞かれて銀河は答えた。そして、周囲を見回し、その後自分のポケットを探る。
「あった、丁度良い! ガラテア、錆びをとってくれ」
銀河はポケットから錆びた釘を取り出すとガラテアに渡した。言われるままガラテアは釘の錆びを無くす。
「ありがとう!」
銀河は新品同様の輝きを放つ釘をガラテアから受け取るとそれを盛った土に突き刺す。
「プルガサリの墓標か?」
「あぁ。本来ならもっと立派なものを使うか、こいつを刺しておくべきだろうけど、そうもいかないからな?」
銀河は能々管を見て言った。
プルガサリの消滅は、銀河が能々管で人形に宿った魂を消滅させ、残った身体をガラテアが一瞬にして塵にした事で実現させたのだ。
「確かにその通りだが……。そもそもその釘はどうしたんだ?」
「ん? ……あぁ、腕に刺さってたんだ」
「腕?」
日民は銀河の返答に眉を寄せて聞き返した。銀河は即席の墓に拝むと、頷いた。
「あぁ。ちょっと車に轢かれてな。……さて、行こうか?」
「あ、ああ」
驚く日民と共に、銀河達はソウルに向って歩き始めた。
明けたばかりの日光に照らされて、周囲の木々は輝いていた。
「大統領! 北韓で革命が起きたという情報がありますが、その真偽はどうなんですか?」
「一部の情報で、クーデターも起こっていたという話も!」
「それに、ガンヘッドが目撃されたという情報もあるんですが!」
「五月蝿い! 現在確認中だ!」
夜になり、仕事を終えた王が外へ出ると、大量の記者が彼を質問攻めにした。
彼は声を荒げて彼らに言った。彼自身も状況を飲み込みきれていないのだ。進軍もクーデターも失敗しただけではなく、革命によって、民主化に向けて動き出しているという情報を王はこれまでに入手していた。
王が警護の誘導で車へと記者陣をかき分けて歩いていく。
「ん?」
「王龍皇、覚悟ぉ!」
「なっ!」
突然であった。車の前に現れた韓国軍服を着た金髪にゴーグルをかけた青年は、叫ぶなり、警備の手を掻い潜り、そのまま驚く王の懐に飛び込んだ。
「きゃああああ!」
「暗殺だ!」
「取り押さえろ!」
「カメラだ! 回せぇ!」
一瞬にしてその場は混乱状態になった。報道陣は興奮した様子でカメラを回し、警備の人間は慌てて王から青年を引き離す。しかし、彼はなかなか王から離れようとしない。
「何か持っている!」
「凶器を持っている模様です!」
外野が大声で実況をする。王は動かない。そして、青年を引き離そうとした警備隊員の一人の腕を青年は掴んだ。
「発砲です! 警備隊の一人が発砲しました!」
「加害者の青年が撃たれました!」
「警備隊に撃たれた青年が別の警備隊員に引き離されます! 血が流れています!」
「発砲した警備隊員も取り押さえられています!」
「大統領は! 無事なのでしょうか?」
喧々囂々と実況をする報道陣を他所に警備隊員は、血を流す青年を寝かせる。そして、首を振った。
「死亡! 青年は死亡しています!」
「おい、王は怪我をしていないぞぉ!」
「青年の持つの、凶器じゃないぞ!」
「事故です!」
「青年による殺傷事件ではありません!」
「悪戯をした青年は、韓国軍服を着ています!」
「混乱の現場の中、大統領は車に乗せられます!」
「車に乗った大統領の表情は確認できません!」
「事件だ! 行き過ぎた警備だ!」
「大統領を乗せた車はそのまま現場を走り去ります!」
「あ! 救急車が来たぞぉ!」
記者達が騒ぐ中、現場を走り去る車の中で王は首を回した。
そして、窓を少し開くと手を振った。
「成功したらしい」
「あぁ。そのようだな?」
路地裏から王の合図を確認すると、銀河とガラテアは言った。
「能々管というもの、大切なものだったのではないのか?」
「いいさ。それに、ちゃんと日民が保管しておいてくれるって約束してくれたからな?」
「もう日民殿ではないだろう?」
「まぁな。……さ、行こう。宿の後始末が残っている」
銀河はガラテアに言うと、二人は身を翻して路地に消えて行った。
翌朝、空港のロビーに銀河の姿があった。
雑多に人が行き交うロビーの長椅子に腰をかけて時間を出発の時間を待ちながら、パスポートを見る。入国から90日以内である為、ビザは必要としないが、旅行客はバイトが禁止されている。
「……バレたら捕まるよな?」
「あれだけの事をした割には、小心者なのだな? 銀河殿」
「!」
独り言をもらしていた銀河は、思わぬ返しに驚き、顔を上げた。
「ガラテア、見送りに来てくれたのか?」
「自惚れるな。宿の鍵も郵送してしまった以上、私も次の地に行く」
銀河の前に立つガラテアは肩をすくませて言った。
「へぇ、どこに? ……てゆうかパスポートなんか持っているのか?」
「潜り込むから必要ない。……そうだな。もうすぐ冬だし、雪の綺麗な北国というのもいいな」
「その格好で?」
銀河は苦笑いして言った。彼女は相変わらず赤いロングスカートとラフな麻の服の姿で、荷物らしきものすらない。こんな服装は日本の東海地方の冬でも辛そうだ。
「忘れたか? 私の力は、変化。寒ければ自分の周りの空気だけほんの少し温かくすればいい」
「便利な能力だな?」
「あなた程でもない。……その気になれば、一瞬にして共和国を民主主義国家にする事もできたはずだろう?」
「まぁな。……でも、それじゃあダメじゃないか? 俺の師匠が言ったんだ。知識は与えられても、答えは自分で見つけろ、ってね? 俺の力は答えを出そうとする人がそれを妨げてしまう、思想とか伝統とか偏見とか、そんなのを取り除いて答えを出す為のきっかけになればいいって思っている」
「……そうか。それならそれが正しい」
銀河の意見にガラテアは目を細めて言った。
「北か……なら、もう会う事もないかもしれないかな?」
銀河はパスポートをマントにしまうと言った。
「あなたはどこへ行く?」
「中国。それから歩いてシルクロードを越えようかと思ってる。まぁ、恒久の時間が与えられているから、いつかは会えるかもしれないかな?」
ガラテアに笑って銀河は言った。一瞬、ガラテアの表情が変わった。
「そう遠くない未来に会う」
「え?」
銀河が聞き返すと、ガラテアは踵を返して歩いていく。
「ちょっ…!」
銀河が立ち上がって呼び止めようとした。
「再会の日まで、しばしの別れだ。……ホルスの化身よ」
ガラテアは一度、足を止めて振り返ると、銀河に別れを告げた。
次の瞬間、ガラテアは再び歩いていき、追いかけようとした銀河との間を清掃のカートが通過する。
刹那、銀河の視界から、ガラテアの姿は忽然と消えていた。
「……結局、何者だったんだ? 良いもんだよな? …多分」
銀河は空港のロビーを眺めて呟くと微笑し、電光掲示板を見上げた。
中国行きの便の出国手続きが開始された事を確認すると、銀河は荷物を持ち、出国ゲートへと向った。
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2012年秋、日本東京都内。
「……学業御守だけど、似た様なもんよね?」
とある高層オフィスビルの女子トイレの個室で、スーツを来たショートカットの女性が御守りを見て呟く。
彼女の名は、蒲生元紀。このフロアにオフィスを構える「G」の調査と技術開発、提供を行う企業、日本「G」リサーチ株式会社、通称J.G.R.C.の新卒採用最終選考面接を受ける直前である。
元紀は恋人の五井吾郎から貰った学業御守に採用祈願の念を込めると、トイレを出た。
今更ながら、緊張が込み上がるものの、頭の中で何度も繰り返してきた質疑応答のシミュレーションを行う。
自分の長所短縮などは今までの選考でも繰り返している。貴社は2010年の発見以来世界中が注目し続けている「G」にいち早く着目し、起業から僅か2年で株式上場を行った業界最大手であります。創設当初からの「G」の調査研究、そして昨年末より国家規模の技術開発とそれらの提供を……。
「蒲生さん、どうぞ」
「はい!」
廊下の椅子に座り、一番初めに提出したエントリーシートに記述した文面を脳内で読んで順番を待っていると、扉が開き、若い女性が蒲生を部屋に通した。
部屋は小会議室らしく、円形に長机が並べられていた。入口の反対に窓があり、その前に3人の重役らしい中年の男女が並んで長机についていた。元紀の経験した他企業の重役よりも彼らは若い。
「お掛け下さい」
真ん中の男に示され、元紀は手前の椅子を引いて座った。
「私が、社長のアサミです」
真ん中に座るアサミは名乗った。両脇に座る女が常務、男が専務らしい。
「今までの選考で貴女の感心や意欲はとてもよくわかりました。そこで幾つかお聞きしたい事があります」
「はい」
「「G」の調査を行う第二調査部、その中でも海外での活動に興味がある様ですが、その理由がありましたら教えて下さい。以前の内容と重複しても構いませんよ」
「はい。………今までの面接でお答えした事も事実ですが、一つお話していなかった事があります」
「何でしょう?」
「わたしの友人に「G」がいました」
元紀の言った一言に彼らは驚いて顔を見合わせる。
しかし、元紀は後悔していない。これから話す事が彼女の本当の志望動機であるから。
「続けてください」
アサミは笑顔で元紀に言った。その眼光に疑いの念はなかった。
「中学生の時、彼は自分の存在に気がつき、その後は高校に行かず独学をして、一昨年村を旅立ちました」
「一昨年という事は、2010年ですね?」
「はい。わたしの友人はそれ以来音信不通ですが、彼が今も世界のどこかで「G」を調べながら旅をしていると思います。だから、わたしもわたしに出来る方法で「G」を調査したいのです」
「それで当社を志望した?」
「はい」
「一応、お聞きしたいのですが、「G」を調査する国家機関も増えているのは噂でないと思いますが、蒲生さんはどの様に考えますか?」
「それは当然あると思います。しかし、わたしは今話した通り、わたしに出来る方法で「G」を調べたいと思っています。御社でならば、わたしの能力を最大限に発揮できると思いました」
元紀は彼の目を真っ直ぐと見て言った。
「ありがとう。………折角なので、少し仕事に関する具体的な話をしましょう」
「はい」
「海外調査課は第二調査部の中でも苦労が絶えない部署です。理由は簡単で、日本国内よりも情報が少ない為、殆どが噂の様なものだからです。例えば、先日の朝鮮民主主義人民共和国での出来事です。革命が起こり、先日の南北首脳会談で、軍事的な統一をしないという条約を結び、韓国側も憲法の軍の目的を統一でなく、自国防衛と半島の平和維持と改正すると約束した。この報道は有名ですね?」
「はい」
「この報道以前からも、北の元代表が「G」であるという噂がありましたが、この出来事に複数の「G」が関係していると噂がまことしやかに囁かれています」
「はい」
「今回はまだ国家内の状勢が完全に安定していない為、調査が出来ませんでしたが、もし可能であれば現地へ行き、草の根を分ける作業の様な調査を行い、「G」の実体を調べるという地道な仕事が第二調査部海外調査課の仕事です。覚悟は出来ていますね?」
「はい!」
元紀の返事に満足したのか、アサミは頷き、面接試験は終わった。
「ありがとうございました。失礼致します」
「……あ、一ついいかな?」
元紀が礼をして、退室をしようとした時、アサミが呼び止めた。
「差し支えがなければ、その友人のお名前を教えて頂けますか?」
驚いて振り向いた元紀にアサミは遠慮しつつ聞いた。
しかし、元紀は笑顔で答えた。
「差し支えなんてありません。後藤銀河。それがわたしの友人の「G」の名前です」
【終】