本編




「どういう事だ?」

 日民の執務室の一つで定康は報告をする部下に言った。部下は報告の詳細を説明する。

「報告によりますと、南部の街道にて民衆による進軍の妨害が起こり、その波紋が軍内にも広がり、現在隊列を平壌へ押し戻す勢いだそうです」
「民衆の一揆だと思え! 軍部の力ならばすぐに鎮圧できるだろう?」
「それが、民衆側は一切の抵抗をせず、ただ歩くだけだそうで……。一方的な攻撃を初めは行ったらしいのですが、それが兵の中に不信感を生み、悪循環を生んでいるそうです」
「………非暴力による反抗。ガンジー気取りか!」
「如何致しましょう? 別の道を使えば進軍はまだ可能だと思いますが?」
「馬鹿を言え! それはただの一般人による抵抗ではない。革命の前兆だ!」
「革命ですか?」
「そうだ。………一般人が政治や軍、国家体制を変えようとしているんだ。これを革命と呼ばずになんという? 恐らく、平壌に到達し、国土全域にその波紋が広がれば、次は民主化への波になる。そうなれば、我々は破滅するぞ!」
「では?」
「全力で止めるんだ! 今ならば、進軍に対する一部の抵抗勢力で片付く!」
「了解!」

 部下は敬礼をすると、部屋を出て行った。
 定康は椅子に座り込み、大きく深呼吸をした。

「なんだ! 地震か?」

 その時、大きな揺れが建物を襲った。定康は周囲を警戒しつつ、窓辺に近づいた。
 窓から外を見ようとした時、窓が外れた。

「ん?」

 窓が外へ落ちていくのを見つつ、視線を上に上げていく。そして、壁が終わり、天井に差し掛かるはずのところで、視線は空へと向っていた。

「天井が……ない?」

 あまりに想定外の事であった為、定康は呆けたまま空を追っていく。天井がない代わりに、自らの背後に巨大な水牛のような角を生やした怪物の顔がある事に気がついた。

「な、なんだ? ……柳が言っていた「G」か? ……えぇ? デカい……!」
「グォオオオ」
「守定康、そこまでだ!」

 定康が腰を抜かして、先程よりも更に巨大化したプルガサリを見上げていると、扉を倒し、ガラテアと日民、そして正煥と輝香が部屋に入ってきた。

「申、裏切ったか」
「騙していたお前が悪い。日民からも話を聞いた。お前は人民の事は愚か、国家の事も考えてはいなかったんだな。考えていたのは自分の利益だけか?」
「それは当然だろ?」
「王大統領と手を組んでいたのか?」
「そこまで見当をつけていたのか。大したものだな、貴様ら兄弟は……」
「では、本当に?」
「そうだ。……日民という若造が首領になり、挙句は外国人を護衛につけた。そして、クーデターを考え始めた時、韓国大統領の王龍皇が訪朝してきた。覚えているか? 夏の初めの頃だ」
「あの時か……」
「貴様はどうも日米との国交正常化と核廃棄に執心していたらしく、あまり覚えていない様だが、あの時わしは王大統領と会った。そして、手を組んだ。わしは金日民の失脚と権力と名声を得る為に、あの男は大統領としての偉業を成す事と米帝との外交を安定化し、向こうの軍部縮小と自国軍の拡張を進める為」
「え?」

 正煥が声を上げた。一方、ガラテアは理解しているらしく、頷く。

「どういう事だ?」
「つまり、あなたとあなたの隊長殿は大統領殿に利用されたという事だ」
「………ガンヘッド隊! あれはアメリカからの強い要請で進められてきた開発だ。グエムルが現れたから、ガンヘッドは実戦投入されて戦果を得たが、そうでなければいつまでも実戦の機会はない!」
「新型兵器を戦争で使い、そして戦果を得る。しかも、潜入させた単機突入で」
「……じゃあ、柳隊長はその為に」
「そうだ。勿論、クーデターでの抵抗勢力鎮圧を考えた保険として大脱北と同時に潜入させた。そもそも、大脱北計画という時点で大統領の影に気がつくべきだったな。あれだけの亡命、受け入れる側にも背後に大きな協力者がいなければ不可能だ。アレも、クーデターを起す理由になる布石であり、表向きに対する進軍の理由にもなり、そして大統領の今後予定している統一への物語をスムーズにおこなう為の潤滑剤だ」
「……戦争状態になり、ガンヘッドの単機突入による混乱で、独裁者の俺をお前が捕らえて処刑し、王大統領とお前が戦争終結の調印をし、お前は国境を開き、大統領が南北を統一。二人は平和を開いた英雄となり、絶対的な地位を手に入れる。そういう物語だな?」
「流石は最高指導者を名乗るだけはある。その通りだ」

 定康は日民を見て皮肉を込めて言った。日民は彼の前に立つ。

「……さぁ、クーデターは失敗だ。王大統領とのパイプである柳は死亡し、正煥はお前に協力しない」
「そうか、まだ貴様は知らないのか」
「え?」
「いや、全ては自分の目で見届けろ。……わしの負けだ」

 そう言うと、定康は懐から小銃を取り出し、喉元に突きつけた。

「やめろ!」

 日民が止めようとしたが、その時には引き金が引かれ、定康はそのまま崩れた。

「………この男の裁きは俺がするべきだった!」
「自殺か……。守殿も多くの歴史に翻弄された者達と同じ末路を選んだか」

 日民とガラテアは定康の遺体を見つめて言った。
 その中、正煥が呟く。

「最期に言っていた意味はなんだったんだ? まだ、何かあるのか?」

 しかし、正煥の疑問はすぐに明らかになる。
 人民達に広がった革命の炎は、電光石火の勢いで国土を駆け巡っていた。それはギリギリのバランスで保っていた積み木が崩れるように、表面張力で保たれた水面に一滴の水を落とすように、大きな衝動となって広がり、まもなく平壌に到達しようとしていた。



 

 

「もうすぐ平壌だ……。輝香さんに会えますよ、親父さん」

 天頂に上った日が傾き始めた頃、歩き続ける人々の数は増大していた。その中で、銀河は背中に背負う秀吉の遺体に語りかけた。
 銀河の隣を歩く真実に人民軍の兵士が駆け寄ってきた。

「張様、軍に撤退命令が下りたそうです!」
「それって」
「クーデターが失敗に終わったんです!」
「本当ですか! ……ということは」
「守中将は死んだでしょうね?」

 銀河が俯く真実に言った。彼女は頷く。

「仕方のない事です。……こうして戦争の危機が去ったのを素直に喜びます。少なくとも、進軍を止めた事が戦争回避に役立ったのは事実ですから」

 真実は笑顔をつくって銀河に言った。しかし、彼の表情は変わらない。

「……クーデターが阻止されたからと言って、この歩みはもう止まりませんよ?」
「………そうですね。恐らく、今更私が何を言っても、彼らは歩みを止めないでしょう。それに、この歩みの最後を見届ける義務が、私達にはあります」
「そうですね」
「御自分が言い出したのに、嬉しそうではありませんね」
「当然です。親父さんと輝香さんを再会させることが出来ずに死なせてしまったんですから。これは、俺の所為です」
「………貴方の所為にしたいなら、構いません。でも、私にはその理由だけではないと思います」
「やっぱり感情や心理を変えられても、限界はありますね?」
「当然です。幾ら周りの人間に自分が悪者と思わせても、自分自身に嘘はつけません」
「大した方ですね? ……輝香さん達のことです」
「やっぱり」
「わかりますか?」
「当然です。このままこの歩みが広がっていけば……いいえ、もう既にこれは革命です。人々が自分達の力で国を変えようとしている。………私達は非暴力を訴えていますが、それが全ての人々に伝わっているのか、わからない。暴力に訴える革命の火が上がれば、首領様達の命が危ない」

 真実の意見に銀河は頷いた。二人は少しずつ歩みを速めた。この歩みの先頭を行き、誰よりも先に平壌に入る為に。



 
 

「革命……だな?」
「あぁ。………そもそも社会主義で独裁国家という時点で、人民に不満は溜まる。それが今回の進軍で爆発したんだろう。……一部の報告では北部の町でも平壌を目指す人々の行進が確認されたらしい。クーデターが起こった時点で、俺の国家は終わっていたんだ」

 平壌市内にある司令部の最高司令官室で、日民は正煥達に言った。人民軍の軍事境界線進軍を止めさせ、撤退を指示しに司令部に来ると、平壌へ向う人々の情報を得たのだ。

「守殿の言っていた事はこれだったのか」
「どうするんだ?」
「さて、どうするか……」

 正煥に聞かれて、日民は椅子に深く座り込むと目を瞑って答えた。
 既に人民軍は撤退を始め、人々との衝突を避ける為に、平壌とは違う方角にある基地へ向うように指示をしている。

「真面目に答えろ! お前はあと少しで今の地位を失うんだぞ?」
「こんな地位、くれてやる。……図らずも、俺の復讐は人民が立ち上がった時に達せられた」
「お前の復讐って、なんなんだ?」
「人民の為の「国」をつくる事だ。生まれや年齢、性別、そういう下らない事で人の運命を決める伝統を壊して、俺やお前、それに俺に巻き込まれて死んでいった子ども達が、もう出てこない「国」にする。それが復讐だ。今、焦って統一をしても誰も幸せになれない。王や守の様な強欲な人間の利益と、経済的な打撃による貧富格差の悪化した恐慌といえる社会だ。本当の意味で「国」を作るのは、一番貧しい生活をする人々だ。その人達こそ、その時の国を写す鏡だ」
「どういう意味だ?」
「貧しい中でも幸せに、楽しく暮らせる社会もあれば、ただ苦しいだけの社会もある。そういう意味だ。正煥、お前も裕福といえる生活はしてこなかったんではないか?」
「確かに……」
「どうだった? 時代毎に違ったんではないか?」
「ああ。事実だ」
「俺は、自分達の「国」はそこで暮らす人民で支える国を目指していた。その考えが出した結論が、全軍制だ」
「………何故だ? 単純に民主国家へと移行すればクーデターも起きなかったんじゃないか?」
「国を民主化すると一言で言えば簡単だが、首領一人が幾ら騒いでも意味がないんだ。俺は今の人民が民主国家を目指せる力がないと判断した。だから、軍という強制的な形を選んだ。これなら、欲を持った他国からの必要以上の影響もない。元々国際社会から隔離されていた国家だからな、この方が都合がいいと考えたんだ。そして、国家全体が民主主義、市場経済社会の厳しい競争世界に行きぬける力を養う教育機関とするつもりだったんだ。……来る時が来れば、その時に統一をするつもりだった」
「………日民、これからどうするつもりだ?」
「さて、どうするか……。もう俺の手からこの国は独り立ちしようとしている。俺はこの国の未来を人民に託すつもりだ。俺を裁こうと人民が考えればそれを受け入れるつもりだ。幸い、人民は非暴力による革命を訴えているらしい。誰の入れ知恵か知らないがな」
「………」

 日民はガラテアを見て言った。ガラテアの脳裏に銀河の顔が浮かぶ。

「とはいえ、何もせずにいると無用な混乱が広がってしまう。それに、大統領へもそれなりに償ってもらわねばならない罪があるしな。………輝香、すまないがプルガサリに協力して欲しい事がある」
「はい?」

 日民は立ち上がると、唐突に名前を呼ばれて驚く輝香を見た。その目は諦めていない人間の目であった。



 

 

 銀河達が平壌市内へ到達したのは、空が夕焼けに染まり始めていた頃であった。途中、他の地域からの人々とも合流し、その数は増加し続けている。

「何事もなく終わるでしょうか?」
「不可能といえますね?………これだけの数ですから、好戦的な人もいるでしょうね?」

 銀河が答えた直後、数人の若者が銀河達の前に出て、そのまま市内を走り始めた。

「うぉおおおおお!」
「革命だぁああああ!」
「日民を殺せぇええええ!」

 若者達は叫んだ。恐らく、心中に秘めていた鬱憤が爆発したのだろう。叫びながら走っていく。
 それに続いて、今度は更に多くの若者が走り始めた。

「やめなさい! 暴力からは何も生まれません!」
「ちっ! やるしかないか……」

 真実は声を張り上げて若者を止めようとするが、彼らは聞く耳を持たない。
 銀河が舌打ちをして、「G」の力を使おうとした時、前にいる若者達の動きが止まった。そして、そのまま腰を抜かした。

「一体、どうしたのかしら?」
「わからない。行こう」

 銀河と真実が腰を抜かしている若者達の所まで歩いていくと、人々と共に二人も若者達の視線を追った。

「!」
「………「G」?」

 道は角になっており、彼らのいる場所で曲がっていた。
 道には建物と変わらないほどの高さの、30mは優に超える巨大なプルガサリがいた。
 プルガサリの後方にあるのは、人民軍の司令部であり、その門は開放されていた。

「これは?」
「軍が国家の中枢を担っている共和国が、軍の中枢への門を開いている。……革命になったんです」
「先に白旗をあげたってことかな? ………そしてこの怪物で人々の暴徒化を抑制させたのか?」
「恐らく」
「行きましょう!」

 プルガサリが見守る中、人々は人民軍司令部の敷地に入った。
 司令部に近づいていくと、扉が開かれ、中から軍幹部達が出てきた。皆、武器を持たず、両手を頭に上げて無抵抗であることを伝える。

「国防委員会委員長、人民軍最高司令官、金日民様の命令により、人民軍司令部は解放し、我々は投降致します」

 軍幹部の一人が真実に言った。彼女は静かに頷いた。

「わかりました」
「やったぞぉー!」
「革命だぁー!」
「人民軍が投降したぞぉー!」

 人々に歓喜が沸いた。

「万歳!」

 周囲の何人かがそれを受けた。

「「万歳! 万歳!」」

 新たな人々がそこに加わった。

「「「万歳! 万歳! 万歳!」」」

 茜色の空の下、司令部の敷地に響く万歳の連呼は徐々に熱気を増しながら果てしなく繰り返された。
 銀河は背中に背負う秀吉の遺体に語りかける。

「親父さん、他の死者を出さずに革命を終えましたよ!」

 満足気な表情を浮かべている秀吉の遺体を、銀河はゆっくりと司令部の建物の入口に横たわらせる。そして、銀河は死者への手向けの如く、悲痛と安らぎが入り混じった微笑を浮かべ、ただ一度だけ彼らに唱和した。

「万歳」

 銀河は心底から終わりを信じた。
 しかし、その瞬間、万歳の連呼の渦を断つ高い女性の声が上がった。

「お父様ぁ!」

 銀河は安らぎから一転、絶望が押し寄せてくるのを感じた。父の遺体を見た輝香が、込み上げる想いに耐え切れず、建物の影から現れたのだ。

「ダメだ、輝香ぉ!」

 更に、秀吉に駆け寄ろうとする輝香を止めようとする正煥が後に続く。

「来るなぁ!」

 銀河は輝香達の前に立ち塞がり、叫んだ。

「輝香ぉ……!」
「「「!」」」

 その時、一発の銃声が上がった。
 銀河と張、そして輝香が見る中で、正煥は走る体勢のまま地面に転がった。瞬く間に、地面に血が広がる。

「正煥!」
「誰? 誰が撃ったの?」
「くそぅ……」
「正煥ーっ! 返事してぇー!」

 泣きながら輝香が駆け寄るが、正煥は即死していた。服が血で赤く染まるのも気にせず、輝香は正煥を抱きしめて、声を張り上げて泣いた。

「捕らえました! コイツが撃ちました!」

 銀河の目の前で甲高い声を上げて喚く輝香の泣き声と、まだ止む事を知らない万歳の連呼に紛れてそんな声が聞こえた。
 凶弾を放った犯人の自供を聞かずとも銀河にはわかっていた。正煥は金日民と間違われて撃たれたのだ。
 絶望的な状況を噛み締めながら、銀河はただ立ち尽くし、両目から溢れる液体を溢さない様に上を仰ぐ事しか出来なかった。
 霞む視界に映る空は、青紫色であった。
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