本編




「! ……! ………始まったか。思っていたよりも早い」

 日民は布団から身を起こし、手早く着替えを済ました。窓から差し込む朝日が眩しい。

「ガラテア! いるか!」
「王!」

 日民は扉を乱暴に開くと、ガラテアの名を呼んだ。すぐにガラテアが彼の足元に跪いた。服は昨晩と同様だ。

「もう始めたらしい。輝香の着替えは?」
「既に済ませております」
「輝香!」
「どういう事? 朝から慌しく……」

 寝室の奥から輝香が現れた。それを確認すると、日民は不機嫌な輝香を無視して、ガラテアに指示を出す。

「ガラテア、この場所はこちらに不利だ。せめて策を練れる場所へ!」
「それならば、地下階層です」
「よし、行こう」

 日民達は輝香を連れて寝室の秘密通路を通じて、地下階層へと降りていく。
 まもなく上の寝室から銃声が響いた。

「何が起こっているの?」
「クーデターだ。……くっ!」
「また死んだか?」
「あぁ。奴ら、やはりあいつを手駒にしていたらしい」
「あの兵器を?」
「あぁ」

 日民が答えた直後、建物が大きく揺れた。梯子になっている秘密通路の上から光が差し込む。

「俺達がいた部屋は壊されたか?」
「命を奪うのは向こうの利にならない。多分、別の部屋を破壊したのだと思います」
「急ごう!」

 日民はそう言うと、梯子から降りた。丁度、地下階層へと到着したのだ。

「よし、ガラテア! お前は彼女と共に行け!」
「しかし、私はあなたを守護するのが務めです」
「彼女は俺の兄の大切な人だ。俺を殺す事はまだできないはずだ。それに、わかっているだろ? アレがあっちにいるという事は、彼女を守る事がこちらの札になる!」
「御意」

 ガラテアは頷くと、輝香の手を引いて隠し扉を開いた。隠し扉の先は、地下鉄の行路に繋がっていた。
 日民は二人の脱出を見届けると、部屋の机に向った。そして、威風堂々と椅子に腰をかけた。
 まもなく、扉が破られ、定康と柳と正煥が入ってきた。

「クーデター成功、おめでとう」
「日民……」
「生き別れた兄弟の再会がこういう形になって残念だ」
「輝香はどこだ?」

 正煥は机に両手を叩きつけて日民に問いただした。しかし、日民は一切動揺せずに答える。

「ここにはいない。俺が隠れさせている。彼女の居場所は、俺以外に知らない」
「教えろ!」
「正煥、髪の色が似合っていないぞ。俺と同じ黒が一番だ」
「そんな事は聞いていない!」
「落ち着け。……日民の身柄はこうして確保できたんだ。このまま捕えておけばいい」
「しかし!」

 正煥が定康に食い下がろうとすると、柳が日民に銃を構えた。

「隊長!」

 正煥が叫んだ。直後、銃声が響いた。

「……空砲?」
「金日民は死んだ。こいつはただの人質だ。申、金日民の存在を必要とした時は、お前が日民だ」

 驚く正煥に柳は上着のポケットから髪の黒染めスプレーを取り出した。

「なるほど。俺と考えていた事は同じか」
「そういう事だ。日民、正煥は我々が影武者として利用させてもらう。そして、お前は李輝香の居場所を話せ。そうすれば、命だけは助けてやろう」
「………命ね。それは今だけの話だろう? クーデターが完全成功し、統一の布石が完了したら、俺は処刑する」
「わかっているな。だが、それは公開処刑をする必要があるわけでもない。儂の口からその場に立ち会い、独裁者金日民は処刑されたと言えばいい。お前は顔を変えて逃げられらる」
「実に下らない。そんな上手くいく訳がないだろう?」
「それはどうかな? まぁ、おとなしく牢屋の中で見ていろ」

 日民は柳に縛られながら、高笑いをする定康を黙ってみていた。




 
 

 一方、銀河達も平壌での異変を察し、移動を開始していた。

「輝香の救出だ!」
「いや、ここは一度平壌を離れるべきだ!」
「二人とも、落ち着きましょう!」

 平壌郊外の路地裏で銀河と秀吉は言い争いをしていた。

「昨日の話が事実なら、これは間違いなく軍事クーデターですよ? さっきの爆音はそれだ!」
「だからどうした! 尚の事、輝香を救出しなければならないだろう!」
「逆です! 輝香さんは中心部にいるんです! しかも、金首領と一緒に! それなら、今助けに行けば、俺達は死に損ですよ?」
「それはそうだが、それではわしらはどうすればいいんだ!」
「一度平壌を離れましょう?」

 銀河は必死に秀吉を説得する。そして、銀河は真実を見る。

「張さん、貴方はどうするんですか? 結論は?」
「………一緒に行きます。クーデターには参加しません」
「その通りだ。暴力じゃ何も変えられない!」
「……はい」

 真実は銀河の言葉に頷いた。一瞬、銀河はバツの悪い表情をしたが、すぐに首を振り、秀吉を見た。

「親父さん、すみません」
「ん?」
「輝香さんは無事です! 親父さんは無事を信じます! だから、今は冷静になって……平壌から逃げましょう!」
「! ………そうだな、わしが死んだら、悲しむのは輝香だな」
「そうです。……行きましょう?」
「は、はい」

 銀河に促され、真実は秀吉と共に平壌の中心部とは反対の方角へと歩き始めた。
 郊外へと向う道の途中、真実は銀河に話しかける。

「後藤さん、あなたは一体何者なのですか?」
「ただの日本人旅行者って説明じゃダメですか?」
「全くもって、説明不足です。……今朝、建物の周辺で何かが戦った後がありました。あなたですね?」
「俺じゃない。ガラテアです」
「ガラテア・ステアですか?」
「あぁ。俺の命を狙って襲ってきた。感謝してください。俺が負けていたり、下手な事をしていたら、皆殺しになっていましたよ?」
「………やはり、あなたは普通の人間ではないですね。どこかの国のエージェントですか?」

 真実の質問に思わず銀河は噴出した。

「エージェントって、いるんですか? 俺はそういう意味では、一般人ですよ?」
「今のは真面目な質問です。では、何故ガラテア・ステアや私達に関わるのですか?」
「無理に俺のから聞こうとしてませんか? もう見当がついているのに……そんな印象ですが?」
「………あまりに荒唐無稽な考えなので」
「正解! そういう言い方をした時点で正解ですよ?」
「では、やはりあなたは「G」?」
「はい。人の心に強く訴える事のできる能力、神殺しの力とか色々呼んでいますが、結局はさっき見た通りの力を持っています」
「では、ガラテア・ステアも金日民も?」
「日民はまだ会ったことがないのでしりません。ガラテアは正真正銘の「G」です。俺なんかよりも、ずっとそれらしい」
「………彼らのやろうとしていたのは実現できたのかもしれないですね。全軍制も机上論とはいえ、圧倒的な存在があれば強行し、実現も可能だと思います。それに、民主化への道も……」
「俺はそう思いませんよ?」
「なぜですか?」
「国は上に立つ人間だけで変えられるほど単純なものではないと思いませんか? それよりも、国民達が少しだけ何かを変える方がずっと単純で、その変化も大きい。違いますか?」
「………そうかもしれませんね」

 真実は微笑して言った。
 彼らが昨晩の建物まで辿り着くと、車に乗り込もうとする。
 その時、放送が平壌に流れた。銀河達は動きを止めて耳を済ませる。

『緊急放送。金日民国防委員会委員長、及び朝鮮人民軍最高司令官は、本日より守定康中将の指揮の下、敵南朝鮮への進軍の命令を下されました』

 そして、放送は有事状況下への移行に伴う諸連絡が流される。

「……どうやら、守中将は金日民の名を奪ったようだな?」
「クーデターが成功したという事か?」
「まだ第一段階が終わっただけに過ぎないと思いますよ? ですよね、張さん?」
「はい。本当の計画はここからです」
「どういう事だ?」
「今は移動制限がかかる前に脱出をする事を優先させましょうか?」

 銀河はクーデターの目的が飲み込めない秀吉を車に押し込むと、真実に言った。




 
 

 地下鉄の駅構内にまでガラテアと輝香が辿り着いた時、人民軍の進軍を伝える放送が流れた。

「戦争を始めるという事ですか?」
「ああ。………この場所は発見される可能性が高いな。とりあえず、隠れて様子を伺おう」

 ガラテアは輝香の手を引いて、プラットホームの階段裏にあった用務庫へ隠れた。
 しばらくすると、彼女達を探しに来た人民軍兵達がプラットホームにもやってきた。ガラテアは、爪を鋭利に伸ばし、息を潜めてその様子を伺う。

「………」
「………」

 静寂が薄暗い用務庫の中に流れる。
 輝香はポケットに入っていたプルガサリの人形を握り締めた。人形に貼り付いていた護符にしわがよる。

「………ぁ」

 輝香がしわに指を入れると、護符は人形から離れ落ちた。思わず小さく声を漏らした。
 それに気がついてガラテアが輝香を睨む。しかし、その表情は一瞬で変わった。

「え?」
「……まさか」

 ガラテアが驚く中、輝香は自分の手中にある人形を見た。そして、目を見開いた。

「!」

 プルガサリの人形は、動いた。
 驚いた輝香は、プルガサリを床に落とす。音が立つ。
 しかし、それよりも二人はプルガサリに注意がいっていた。
 プルガサリは立ち上がると、床に落ちていた釘を手に取り、それをおもむろに貪り始めた。

「食べてる……」
「輝香殿、この人形はどこで?」
「正煥から貰ったのよ。……お母さんの形見だって」
「………」
「誰だ!」

 その時、扉が勢い良く開けられ、銃を構えた人民軍兵が声を上げた。
 ガラテアは素早く動いた。銃を構えていた人民軍兵の銃身を掴むと、瞬間的に錆びさせ、その変化に驚く兵の一瞬の隙を突いて、喉を鋭利な爪で切り裂いた。血が噴水の様に首から噴出した。
 驚く輝香に構わず、ガラテアは次の兵に襲い掛かる。兵の懐に潜り込むと、両手の爪で兵の腸を切り裂く。周囲に肉片が飛び、白い床は赤褐色に染まる。

「死ねぇ!」
「化け物ぉ!」

 二人の兵が銃を放ち、ガラテアを撃とうとするが、その瞬間にガラテアは床に広がった血液を蒸発させ、銃弾の照準を外す。
 そして、二人がガラテアを見失った隙に、今度は血を氷柱にし、一人の兵の目につきたてた。

「ぎゃぁあああ!」
「そこか!」

 兵は目に突き刺さった氷柱を抜こうと暴れる。その姿を蒸気に包まれた中で見た、もう一人の兵はまさに襲われている最中と勘違いし、兵に向けて発砲した。

「がぁ!」
「……薄情な奴だな。仲間を犠牲にしたのか」
「!」

 兵が気ついた時には遅かった。ガラテアは兵の首筋に返り血で染まりあがった爪を突き付けていた。銃も、片手に握り締められ、見る見る内に錆びていく。

「諦めよ、これがあなたの運命だ」
「ぐはっ!」

 ガラテアは躊躇なく首を切り裂いた。兵は床に転がった。

「輝香殿、無事か?」
「……! なんで殺したの?」
「わかっているだろう? 殺さねば、私達が殺されていた」
「それにしても……」

 輝香は周りに転がる惨状を見て、口をおさえる。そんな輝香を無視して、ガラテアは床に転がる銃を無我夢中で食べるプルガサリを見た。

「鉄を食べる「G」。……輝香殿はこれを知っていたのか?」
「プルガサリを……知るわけがないじゃない! 今まで只の人形だったんだから!」

 輝香はガラテアに主張した。彼女自身、混乱をしているらしい。
 ガラテアは用務庫の中を見る。そして、床に落ちる護符を拾い上げた。

「……っ! やはり爾を封じる方陣。この札は銀河殿の物か?」
「そうだけど。それがどうかしたの?」
「これをどこで?」
「貴女に会うちょっと前よ」
「なるほど。グエムルに呼応して封印が解けたのか。それが方陣の力で……」
「どういう事?」
「結論から言えば、お守りの人形は怪獣だった」
「「G」ってこと?」
「ああ。もっと簡単にいうと、それが正真正銘のプルガサリだったという事だな」

 ガラテアはプルガサリを見て言った。輝香もプルガサリを見つめる。あらゆる鉄を食べるプルガサリはどんどん大きくなる。

「……なんだか、どんどん大きくなってない?」
「あぁ~」
「げぷっ」

 プルガサリの成長は留まる所を知らない。輝香とガラテアはそう察した。
 そんな心配を他所に、プルガサリはゲップをして満足そうに、次の銃を口に運んだ。
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