本編




 夜、平壌の郊外にトレーラーは停車していた。

「来たぞ」

 柳に言われ、銀河達はトレーラーから降りる。
 一台の車が彼らの前に来た。扉が開き、中から人民軍服を着た中年の男が出てきた。

「情報は既に得ている。無駄な挨拶は抜きにしよう。儂は守定康だ。そして、こっちが張真実だ」

 定康の後ろに立つ真実が礼をした。銀河達も、自分の名前だけを名乗る。

「さて、本題だ。南朝鮮の新型兵器を拝見させてもらおう」
「どうぞ」

 柳はトレーラーの荷台の扉を開き、定康にガンヘッドを見せる。

「うむ。思ったよりも小さいな。いや、戦車である事を考えると妥当か。……ご苦労。それでは、一つ目の仕事はこれで完了としよう」

 定康は正煥を見る。

「申正煥、儂に一つ協力をしてはくれぬか?」
「事と次第によります」
「だろうな。協力をしてくれれば、儂らも君の恋人の救出に協力しよう。そして、儂の計画が成功した場合、君にもそれ相応の礼をしよう」
「金日民の暗殺ですか?」
「そんな頭の悪いことはしない。彼の権限を我々が代弁する」
「クーデターという事か」
「平たく言えばそういう事だ。あの若造の権力を奪い、あの若造の名において、南北統一の為に動く」
「なぜクーデターを起こすのですか?」

 銀河が思わず定康に聞いた。彼は銀河を一瞥するが、正煥を見て答える。

「現在の最高指導者、金日民が今夏打ち出した新しい国家体制像を知っているか?」
「……国家体制像? 夏に話題になったのは、一切の核を廃棄し、新たなエネルギー資源開発に力を注ぐという米朝会談と六ヶ国協議への参加合意ではないのですか?」

 話を振られた正煥は質問で返した。定康は含み笑いをしつつ答える。

「やはり報道で流されていない事実は一般に流れはいないか。……おい、柳と言ったな。お前は知っているのか?」
「全軍社会国家という名前は知っている」
「全軍?」

 答えた柳を見て、正煥が聞くと、定康が説明する。

「儂が説明しよう。実に下らない机上論の構想だ。……だが、恐ろしいのは、それをあの男は実現できると信じ、周りの人間達も実現に向って動き始めているという事だ」
「なんなのですか? その全軍というのは」
「簡単に言ってしまえば、軍国主義を極端にしたものだ。完全なる軍国化によっての究極の社会主義体制の実現というのが、あの若造が掲げる名目だ。だが、内容は実にくだらない。まず先軍政治の撤廃し、軍の存在意義を変え、国家再生の機関とする心身を鍛えるものに推移させる。そして、全国民の義務として、軍に徴兵される。ただし、それは市民権と同一のものであり、国家の義務教育機関の意味が強いものだ。勿論、有事には本来の軍隊として活動をするがな」
「いや、それは問題がないだろう? 他国から戦争を仕掛けることは国際社会の現状を考えると難しいし、この国には戦争をする為に、石油といったエネルギー資源が莫大な量が必要となるが、枯渇と言っていい現状だ。ありえないといえますよ?」

 定康が有事に関することを力説しようとしたのを察した銀河が共和国の問題点をしてきする。反論のできない指摘に定康は咳払いをして誤魔化し、話を続ける。

「有事については一先ず置いておこう。本題の全軍制だが、その特徴は、国民が同時に軍人となることにある。これの利点として日民首領が仰ったのは、単純な亡命や反乱の抑制効果を与えるというものだ。そして、軍隊の階級がそのまま反映される。現在の国家体制と同じだが、儒教の考えをとりこんでいる為、国民を統率しやすい」
「最高指導者が民族全体の父であるという考えですか?」

 正煥が聞くと、定康は頷いてみせる。

「そうだ。しかし、日民首領はこの国家主席様がかつて仰せになられた考えを否定しかねない事をしようとしている。全軍制の特徴には、国家を覆しかねない恐ろしい目的が存在する」
「……階級ですか?」
「え?」
「日本人。どういう意味か、言ってみろ」

 銀河の発言に正煥が眉を寄せる。定康も先程とは違い、表情を変えて銀河を見ると言った。

「国民の全てを軍人にし、その階級を与えるという事は、農民などの職業にも階級を与えられる事を意味しますね? 一次生産業であっても、その中に階級は存在するはずです。それでは職業による格差を生み出す訳には行かないのではないですか?」
「つまり、どういう意味ですか?」
「端的に言えば、農業の最下階級と兵の最下階級を違う身分にする事ができないはずなんです。部隊が違うとしても同じ軍であれば序列に差は出ても、同じ階級であれば対等になるはずじゃないですか? そうしなければ、特殊な部隊等を除いては、クーデターが起こってしまうと思いますよ?」
「確かに。陸軍、海軍などで構造自体が違う場合であっても、同一階級の場合、序列はできない。してしまえば、上層部同士のいがみ合いにも発展しかねない」

 正煥が言った。定康が銀河の意見に補足を加える。

「その意見は事実だ。それこそが、あの男の狙いであり、全軍制の最大の特徴であると、儂は睨んでいる。部隊……つまり、職業による格差を消滅させ、各部隊に同一の階級が存在させる。更に、世襲をなくし、希望と能力別にその所属を分けるシステムを構築させるつもりらしい。そして、階級の序列のみを重視し、同階級は単純に名の順とし、序列は存在しない」
「つまり、社会主義が目指す全国民が平等になる国家体制を強制的に実現させてしまうという荒唐無稽な構想、という訳ですね?」

 銀河が聞くと、定康は頷く。もう銀河を軽蔑したかの様な対応はしていない。

「そうだ。それにも関わらず、元帥と次元帥、次元帥補官と序列された独裁権力によって、軍を維持するときた! つまり、あの男は全ての復讐を果たそうとしているんだ」
「復讐?」
「あの男の身の上はお前達も理解しているだろう? あの男は、実の兄の一人に暗殺されそうになった。それだけではない。半生を極貧の農村で生活していた」
「その復讐? それなら、貧しい暮らしをしている農村が力を得られる国家を目指すのも理解できますね? ……でも、やはり納得できない」
「お前に納得してもらいたくて話しているのではない。あの男は首領という地位になり上がったにも関わらず、亡国の道を選ぼうとしているんだ! 儂にはわかる!」
「……確かに。今の話を聞く限り、正煥さんの弟さんは国を支配して、上層階級の人間や軍に復讐をしようとしている様に伺えますね?」
「そういう事だ!」
「………それでクーデターしたって、何が変わるのか。俺にはわかりませんけどね?」
「黙れ! お前には関係のないことだ!」

 定康は銀河に怒鳴ると、正煥を見る。

「このままでは共和国は滅びる。そのまま、米帝や南朝鮮に争いがなく吸収されるならばまだいい。恐らく、冷静な判断を下す構造自体が消滅し、暴徒と化した軍が統率もなく他国への攻撃を行う。防衛戦争と叫びながらな。……それは統一への革命ではない。ただの愚者の集まりだ。儂は亡国への道を見たくはないのだ」
「……クーデターをして、どうするつもりですか?」
「半島統一へと話を進めるつもりだ。勿論、大儀名目は必要だ。核の恒久的撤廃は首領が約束してしまった為に利用できないが、軍を進めて威嚇をした上で、交渉を持ち出す」
「つまり、自分達の保身をして、無血開城でもすれば一転して英雄……そんな所ですね?」

 銀河が冗談めかして言うと、定康が表情を強張らせる。図星を突かれた気分を害したらしい。

「クーデターを行うのは、一人でできるものではない。それは大脱北計画も同じだ。それなりの人数と秘密保持のできる信用が必要だ。それには、条件というのが必要なんだよ」
「わかりました」

 銀河は手をひらひらとさせて返事をした。定康は正煥の顔を見る。銀河を見て怒りに我を忘れるのを防ぐ為である。

「……儂は、お前の力を必要としている。儂も最大限の協力をする。だから、お前も儂に協力してほしい!」

 定康は正煥に懇願した。そして、少し思案した後、正煥は返事を言った。

「俺にできる事であれば」
「正煥!」
「正煥さん!」

 銀河と秀吉が叫ぶが、正煥は定康と柳の間に歩いていき、銀河達と対立する。

「すみません。俺も軍人の端くれです。無謀な救出作戦よりも、輝香の身の安全も同時に確保してもらえる彼らと手を組みます」
「実に賢い。軍人らしい合理的な判断だ。当然、クーデター時にお前の恋人を救出し、その後の身の安全は儂の名誉にかけて保障しよう」
「御意」

 銀河と秀吉が見つめる中、正煥は定康に韓国軍式の上官への敬礼をした。




 
 

 銀河と秀吉が立ち尽くす中、正煥と柳はトレーラーに乗り、定康と共に平壌の方角へと走り去った。

「……そして、貴方は俺達の監視って事ですか? クーデターの情報を知っていては野放しにできないから」

 銀河は後ろを振り返ると言った。彼らの背後には真実が立っていた。彼女は頷いた。

「その通りです。……まさかこんな年増を襲おうとはお考えにならないでしょうから」
「そりゃそうだ。……いや、失礼致しました」
「構いません。私はあくまでも監視ですから。寝る場所を手配いたしましょう。私の党が管理する建物が近くにありますので」
「お願いします」

 銀河は素直に真実に頼んだ。真実が残された車に乗り込もうとする時、秀吉が話しかけた。

「張さんとやら」
「なんでしょうか?」
「お前さんは何でも党の幹部だそうじゃないか」
「はい。朝鮮人民民主党の幹部です」
「お前さんも、クーデターには賛成なのかい? 勿論、こうして彼らに協力しているのだから賛成はしているのだろう。だが、その賛成が、お前さん個人としての意見なのか、それが気になった」
「………難しい質問をされますね」

 真実は車の扉を閉めた。扉に寄りかかり、懐から煙草を取り出すとそれに火をつけた。

「………正直な意見です。早急な統一は賛成できません」
「経済的な理由ですね?」

 銀河が聞くと、彼女は紫煙を吐きながら頷いた。

「はい。現在の共和国は世界最貧国の上位に位置しています。南朝鮮の経済も先進国に数えられるとしても、日本や米帝ほどではありません。今、統一をすれば朝鮮は東西ドイツの統一以来の事態に陥ります。格差社会や恐慌状態に近い不況が半島を襲うのは逃れられない。その時、元共和国人民は確実に弱者になります」
「……どうやら、お前さんが一番まともな意見を出せるらしい。よかった、お前さんが残ってくれて」

 秀吉は真実の意見に安堵する。

「経済的な理由以外にも、私が懸念している事があります」
「うーん……。経済以外というと、中国ですか?」
「……後藤様、貴方はどうやら少し普通の方とは違う教養をお持ちの様ですね?」
「師匠から帝王学に近い知識を与えられていたので」
「それは何よりです。……仰る通りです。世界のバランスを考えると、中国の現体制と南朝鮮が存在する限り、朝鮮半島の統一は平和的でないといえます。この共和国が緩衝地域となっている可能性があるからです。守様の構想されている統一には、経済的にも他国の協力が必要不可欠といえます。従って、米帝は中国との国境に軍事拠点を築こうとするのは目に見えています」
「韓国との軍事境界線がただ単純に北上するだけ……そういう意味ですね?」
「はい」

 真実は銀河の問いに答えた。続けて銀河は先程から気になっていた金日民の全軍制についての話を聞く。

「金日民首領が復讐の為に国家を変えようとしている守中将は言ってました。しかし、それで亡国の道を進んでは、彼が果たそうとしている事と矛盾してしまうと思いませんか?」
「矛盾というのは?」
「国家の構造を変えてまで彼がやろうとしているは、現在の弱者……貧困に苦しむ農民達を守る事だと思います。言うなれば、貧しいの人民こそ、彼の仲間なのはないでしょうか? しかし、国を滅ぼせば、一番苦しむのはその人民達です。これは矛盾ではないですか?」
「そ、そうですね」
「すみません。彼が全軍制としてあげている構想に、何か彼が狙う目的があるはずなんです。思い出して頂けませんか?」
「しかし、私が知るのも……はっ!」

 真実は思案をしつつ答えていると、唐突に目を見開いた。同時に息も呑んだので、心当たりがあった事がよくわかる。

「……あるんですね?」
「はい。……しかし、彼の目指す方向性がわからなくなってしまいました」
「彼が本当に目指すのが、独裁制の社会主義国家でないとしたら、如何ですか?」
「そうなんです! そうとしか、考えられない。今の今まで、その考え自体がなかったので、気がつきませんでした」
「どういうものですか?」
「先程の全国民の階級に関してです。昇級の方法についてです。昇級は複数部隊の上階級の人間達が、その人物の能力や経験から判断を下すというものです。独裁制として前提があったので、完全に上からの判断で選ぶという構造だと思っていましたが……」
「民主国家に暮らす俺の印象としては、立場の違う複数人の選任……つまり、議会制民主主義の発想です。これが投票であれば、完全に民主的な判断方法といえますね?」
「えぇ。それに、全国民に対して、能力と経験が判断材料となっています。つまり、それは……」
「条件によっては、男女格差も、いや世襲や買収といった事も排除できる可能性があるんじゃないか?」

 秀吉が言うと、銀河と真実は頷く。

「当然、多くの市場経済社会で見られる通り、このシステムは実力重視の競争を生み出すでしょうね?」
「民主主義や市場経済社会についての考えが出てきた頃の社会主義国家の構想に近い」
「いえ、社会主義じゃないですよ? 軍国主義を極めるという名目で隠していますが、これは民主主義国家の考えですよ? ……多分最終的には、次の元帥を選ぶ際、全軍員による義務の投票で選出する計画を立てているのではないでしょうか? 早い話が大統領制と同じ国民投票ですね」
「そして、ゆっくりと民主化と、いつかくるであろう半島統一の日に備える……これが、全軍制の目的ですか?」
「当人に聞いた訳ではないので、確証はないですが。元々が守中将の言う通り、机上論です。ここまで極端に机上論を掲げても言いと思いますよ?」
「しかし、なぜそんな事を……」

 真実が眉間にしわを寄せて考えていると、銀河が苛立った様子で頭を掻くと言った。

「………それはあんたらの所為だろ? いつまでも自分達の保身と名目だけを気にしていた腐った国家を続けたんじゃないか? だから、ただの青年だった男が「国」の為に命を賭ける覚悟をしたんだよ! 人民がいて初めて成立するのが、「国」じゃないのか?」
「後藤!」
「いいのです。彼の、後藤様の言っているのは正論です。……行きましょう。私も、少し考えを整理したいと思います」

 そして、真実は車の後部座席を開き、銀河と秀吉を車に乗せる。
 車は平壌郊外に消えて行った。





 

「李輝香の様子はどうだ?」

 朝とは違う建物の部屋にいた日民が、部屋を訪ねてきたガラテアに聞いた。
 ガラテアは朝と同様に、床に跪いて答える。

「眠っています。それは、私よりも王の方がよく理解しておられるのでは?」
「確かにな。だが、憑けていようと、見えるのは彼女の主観と一部の心理だけだ。万能ではない」
「……そうですね。やはり悲しみは大きいようです。無理もないが」
「そうだな。俺が行方不明になった正煥だと信じていたから、幾分か辛さや寂しさも誤魔化せていたのだろう。……まだ彼女は正煥が共和国に潜入しているのを知らないからな」
「そうですね……」
「どうした? 同情しているのか?」
「私も一応、女なので」
「人間らしい感情なんて、俺は見た事がないがな。……いや、ある意味では非常に人間らしいとも言えるか。ワインを飲むか?」

 日民は壁に埋め込まれた棚を開いて、跪いているガラテアに聞いた。棚には常温で保管されたビンが並んでいた。

「赤ですか?」
「一応な。同じものを試飲したが、恐らく味は悪い。酸化し過ぎているのだろう」
「それは気に致しません」
「……だろうな。頭を上げよ。酒を分かつ時は、主従の関係を気にするな」
「御意」

 ガラテアは立ち上がり、日民がグラスに注いだ透き通った赤褐色の液体を受け取った。彼も自分のグラスに注ぎ、それを手に持った。

「乾杯」
「乾杯」

 グラスが音を立て、中の液体が揺れた。その時、液体の赤褐色の褐色が薄まり、赤く染まる。その色の変化は、静脈血が肺で酸素を得て、動脈血に変わったかの様に鮮やかなものであった。

「……相変わらず、便利な力だ。美味い」
「しかし、元がやはり悪いな。原料の持つ質はどうしても変えられない」
「根本的な成分が違うのだろうな。俺はこれで十分だ」
「私も、味わえるだけで幸せです」
「飲みすぎるな。この後、仕事をしてもらう」

 日民の言葉に、幸せそうにスカートと同じ鮮血色の液体を喉を鳴らして口に注いでいたガラテアが素早く反応する。指で唇に残った液体を拭うと、魅力的な瞳を日民に向けた。

「仕事という事は」
「そうだ。今日、張の配下の一人に憑けていおいたのだが、早くもかかった。平壌の郊外だ」
「誰を?」
「その判断は全てお前に任せる。いるのは、張と老人……恐らく、李輝香の父だ。そして、日本人の三人。正煥はいないらしい。守と共にいる可能性が考えられる」
「判断というと?」
「全て任せるというのは全てだ。現状を考えると、恐らく守は近日中、早ければ明日にもなんらかの行動を起すはずだ。その際、我々に利があるのならば、生かしても構わない。逆に皆殺しをしても構わない。全て、お前に一任する」
「御意」

 ガラテアは応答すると、ワインの残っているグラスを机の上に置いた。

「残っているが、いいのか?」

 日民が扉へ向うガラテアに聞いた。彼女は口元に微笑みを浮かべて答えた。

「ワインよりも好きなものを早く味わいたい」
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