本編

ストンと落ちた意識が目を覚ます。
意識が消えたのと同時に、息が途絶えたはずなのに。
パッと目を開ける。そこにはあのゴジラザウルスが…いや、ゴジラザウルスだったものが居た。
以前よりもずっと大きい。
スーリヤ国のどんな建造物よりも大きくなっている。それどころか、アグニ国のそれらよりも大きい。
カルナはそのゴジラを見上げたが、規模の大きさに視界に納まらなかった。
ケロイドのような表皮、狂暴な爪牙、巨大な鞭と化すであろう尾。背びれは大きく隆起し、業火に見えた。
瞳は、白目であるはずの部位と黒目であるはずの部位の色が反転している。
そして直立する様は、まるで邪神か悪鬼が降臨したように禍々しい。
しかしカルナはそれを素晴らしいとさえ感じた。
「さあ、楽しませてくれよ…?ガジャ・ナーガ。」
不思議と具合も悪くない。寧ろ良好だ。被爆の傷跡もすっかりなくなっている。
しかし彼もまた、ゴジラ同様恐ろしい瞳になっていた。
カルナの憎悪は被爆者の残留思念を呼び、ゴジラはそれに呼応して力を得る。
そして彼らは、まもなく行動に出る。







「カルナ、カルナー!」
ウシャスは待ってるだけでなく捜しに出ることにした。
カルナは被爆していた。アグネアに放射能があり、それが被爆者に放射線障害を患わせることなど、幼い彼女は知らないし、恐らく分からないだろう。しかしひどい怪我をしていることはしっかりと分かっていた。だから容態が悪くなって動けないのかもしれない。そうウシャスは考えたのだ。
「カルナー!」
数日前からの足跡を追っているので迷うことはない。
「カル…ひっ!」
ウシャスは叫び声を飲み込んだ。何か悪いものでも見てしまったようだ。
防護服の窓越しに口を押さえ、目を見開く。彼女は思わず後退りをしてしまう。
それは、血痕だった。
地面の白に、染みのように広がっている赤。
擦り傷程度のものではない。それどころか、初めてカルナと出逢った時、彼から滴っていた血液の量より多いではないか。
医学の知識がないウシャスでも、それが危険な量だと分かった。
彼女はその血がカルナのものではないと信じたかった。しかし血痕の近くには、カルナのシタールの跡も残っている。
「嘘でしょ…?」
しかしカルナはいない。こんな大きな血痕を残して、どこに行けるというのか。
次に彼女は大きな足跡に気付いた。
「何これ…」
足跡が向かっている方向に視線をやるウシャス。
手前から遠く彼方へ目線を移す。アグニ国の中心都市へ、伸びていた。
「……」
まだ昼間だというのに、西日のように空が赤らんでいる。





「ああ、よかったウシャス、無事だったのね!」
家――といってもスーリヤ国との国境付近のアグニ国民は、放射線防護区域の洞窟に移転していたのだが――に帰ると、ウシャスの母が抱きつくような勢いで彼女に迫った。
「何があったの?」
ただならぬ場の雰囲気に、ウシャスは母に問いた。
洞窟は核シェルターの役目を帯びている。ウシャス達の住んでいた一帯はアグネアの被害をうける場所にあり、ダム建設でいうところの水没地域だった。戦争で勝つために、一帯の住民は「立ち退き」をした。
洞窟といっても、アグニ国驚異の科学力を持ってすれば、以前の暮らしに見劣りしない生活を過ごせる。
洞窟内には広い空間がある。数万人は収容できるのだが、今日に限ってもの凄い人数だ。
「何でこんなに人が…」
ウシャスが続けて尋ねる。すると、彼女が帰ってきて喜んでいた母の表情は急に曇った。
「首都が…襲われたの。」
「襲われた…?」
「情報によるとガジャ・ナーガが出たらしいんだけど、普通のガジャ・ナーガじゃないらしいわ。ほら、ガジャ・ナーガっておとなしいから滅多なことじゃ暴れたりしないじゃない?それに、」
母が視線をずらす。視線の先には、テレビのような装置にニュースが放送している。
「…火を吐いてる…」
ウシャスは呟いた。
火を吐く生物など、絵空事でしか知らない。しかし今、ニュースが報道している。
これは映画ではない。現実に起こっていることだ。
「……あっ!」
その時、彼女は画面越しに何かを見つけた。
――カルナだ。
よかった。生きてる!
そう思ったが同時に疑問を覚える。左の顔の包帯がないのだ。それどころか火傷もない。
「どうなってるの…?」



軍隊はとっくに出動している。しかしゴジラの放射熱線の直撃を食らい、炎上する戦闘機はハリボテのように落ちていき、戦車は影もなく昇華した。兵士はまるで蟻のように潰されている。
これを地獄と呼ばずになんと呼ぼう。
ゴジラが踏み潰した建造物の瓦礫の山の頂に、一人の青年が仁王立ちで立っていた。
「くっふふふふ…あはははは!様ァねえなあ!ああ?アグニ人ども!!」
カルナだ。
彼の黒曜石のように綺麗だった目は、骨のように白い瞳と化し、本来白いはずの部位は青みを帯びた黒に塗り潰されていた。
そして四方八方火の海だ。金の光と赤い光がすべての色を覆い潰している。




この復讐の却火の照り返しを受けながら、ギアの狂った絡繰り人形のようにケタケタと笑う彼は、とても人間とは思えない。
いや、すでに彼は人間ではないのかもしれない。
ゴジラが吐いているのはただの炎ではない。放射能を帯びているのだ。この放射線を浴びれば、人間はたちまち細胞や染色体レベルで破壊されてしまう。
しかしカルナは動いている。
「ガジャ・ナーガ、殺れ!!」
彼の憎悪の言葉に呼応するかのように、ゴジラの業火を模した背ビレは、夜光虫が密集したかのように青白く発光した。鮫のように幾重にも生えた牙のある口が開く。
そして、放たれた。

ドォオオオオ……ォオオン

膨張する熱の笠。
見る間に火柱を伸ばす幹。
アグネアと全く同じ、いやそれ以上の殺傷力。
戦車や戦闘機はその風圧で吹き飛び、中の戦士は丸焼けまたは炭化した。
その中に、スーリヤの民間人に爆撃し兵士を殺した者がいると思うと、カルナは笑いを堪えることが出来なかった。
――狂っている。
例えば彼にそう言えば、彼は「何とでも何度でも言え」と返すだろう。
彼は狂っている。
いや、狂っているのは彼だけではないのかもしれない。戦争では人殺しが英雄になる。
彼の環境が狂ってさえいなければ、彼も狂わずに済んだろうに。





そうして地獄の使者は去った。アグニ国を死の街にして。
それ以降、アグニ国には消えない雪が降り続いた。


アグニ国は核物質を全てゴジラに奪われた。
しかしカルナとゴジラは、暴走を止めたわけではなかった。
アグニ国のアグネアを製造する技術は、他国にも伝わっていた。
アグネアを作る、若しくは作った国を目ざとく見つけては、亡国。亡国。亡国。その繰り返し。
仕舞には核爆弾・アグネアの存在どころか、その製造方法すら、ゴジラの炎の中へと全て葬られた。
それに時間の全てを費やして、10年が経とうとしていた。

しかし、カルナの心は満たされなかった。

復讐を果たし、燃えカス同然になっていた彼は、あの業火の中で暴れ狂っていたカルナと同一人物とは思えないほど、ひどく平静だ。
目の色も元の人間通りに戻っていた。
しかし彼の時間はあの時から止まっている。精神も肉体も。
思い残すことが何もなければ、彼は死ぬ。それは彼も分かっていた。願いが叶えば地獄にでもなんでも行くつもりだった。
しかし、どうしてなのか死ねない。
何に未練があるのか、カルナ自身も分からなかったし、どうしても思い出せないのだ。
だが、それがゴジラと契約した「もうひとつの願い」だということは、分かっていた。



彷徨した末、脱け殻同然の彼とゴジラが辿り着いたのは、死の灰が降り積もる街だった。今ではよくある光景だ。
初めて見た時は、あまりの異常さに戦慄した。だが、今ではカルナ達自身がこの光景を作り出している。そしてそれに愉悦を覚える自分がいる。そんな自分が一番醜いと嫌悪もしているが、どうしても破壊をやめられなかった。
「…同じじゃないか。」
カルナはひからびた微笑を浮かべる。
住めなくなったこの街。そして人々が取った行動。ある人は捨て、ある人は残って放射能で死に、ある人は――復讐を。
ここは、アグネアが史上初めて人の上に落とされた場所――カルナの故郷・スーリヤだった。
瓦礫の街の中、かつて道だったであろう場所に人形が落ちていた。かつてはお洒落だったであろう衣裳は変色している。半分だけ灰に埋もれていたが、縮れてしまった髪と、長い睫毛の円らな目が見えた。
この人形は、かつて子供だった大人を待っているのだろうか。それとも、息すら知らぬ主人を待っているのだろうか。
いずれにせよ、帰っては来るまい。
「……」
そんな時だった。
「――――」
風に揉まれて、消えかける声をカルナは聞く。
「――ナ。カルナ…!」
それはまるで魔法だった。
何かが弾けたように、カルナはバッと両の目を見開いた。




父に連れられて、初めてアグニ国へ行ったのは10も満たない時だった。
洒落たファッション、造形美を追究した高層建築。どれも新鮮だった。
その中で最も心をひかれたのが、音楽だ。
自分で作詞作曲した歌を、町の広場で演奏する。
最初は誰も来てくれなかったし、足を止める人すらいなかった。
それでも、誰かが聴いてくれる。お客がいる。どんなに少なくても、彼らの元気になれたなら、それが何よりの幸せだった。
しかし恐るべき死の槍が、全てを業火の只中に包み込んだ。
こんなんじゃ、シタール弾きになんてなれない。
皮一枚剥げただけで夢が潰された。
だけど――

彼女、聞いてくれたんだ。


「ウシャス…!」
目から涙が溢れ出す。
懐かしいのか、辛いのか、悲しいのか、嬉しいのか、カルナ自身も分からなかった。だが、彼の歩んできた人生の道で味わった全ての感情が、一斉に決壊した。
『カルナ…』
「うっ…、思い出した…思い出したんだ…」
シタールを抱き締めて、カルナの目頭から雫が落ちていった。



「ガジャ・ナーガ…」
囁くような程に小さな声で、彼はゴジラに語り掛ける。ゴジラは以前よりずっと大きくなっていた。
歩くたびに当然阻む建物は壊れるし、地響きもする。
しかしそれは壊れるものがあればの話。これ以上何が壊れるのか。それ程までに、全てが壊れていた。
ゴジラは青年の言葉を一語一句聞き洩らさぬように、視線を下げる。
「もう、アグネアはなくなった。だけど、俺達がやってきたことはなんだったんだ?」
カルナは天を貫くように巨大なゴジラを見上げた。目線が重なる。
「俺は、俺達の上にアグネアを落とした連中と同じだ。罪咎もない人や、そんな人の大切な人の命を…傷付け、踏み躙り、そして消し去った。」
白い世界に、大きな黒と小さな黒。
黒は何色にも染まらぬ正義の色。同時に、死と悪の色でもある。
静止する時間だけが流れた。
『……』
「だけど、俺は――」
全てえげつない茸の菌糸に侵食されて死んだ、くだらない幸せを取り戻したかっただけ。
誰かを永遠に失った事がない者からすれば、はいて捨てるほどある、気付かないくらいにささやかな、楽しみ、喜び。
『…お前には、悪い事をしてしまったな。』
「それを望んだのは俺だ。」
結局、カルナは胸の中にわだかまる言葉をまとめることが出来なかった。
しかしゴジラは馬鹿ではない。
『カルナ、行くがいい。』
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