本編

10年前、〝死の如く恐るべき槍〟…兵器「アグネア」の使用で、戦争が漸く終わった。
しかし、それからが問題だった。
一人の青年と、一体の怪獣が現れたのだ。これが世にも恐ろしい悪魔だった。
その結果、アグニ人は崖に洞窟を掘り核シェルターを作り、そこでの生活を余儀なくされる。外出するには防毒マスクが必要になってしまった。

外はモノクロの世界。
地面は死の灰が降り積もり、当然雪ではないので溶けることも消えることもなく、熱を放出している。煉瓦で出来た住居は崩れ、高熱で黒いガラス質に変形していた。
シュールレアリズムの絵画の世界に迷い込んでしまったような、悪夢の光景が砂漠のように続いている。
その中を、人影が歩いていた。
防護服を着たアグニ人の少女・ウシャスは、毎日のように外へ出かける。
「暑い…」
彼女は灰の地面が崖のようになっている横を通る。
それは崖ではなく、一定の距離で存在することから分かるように、巨大な足跡だった。指が4本、深さは人の背丈程もあり、そして家を踏み潰すのに十分な大きさを誇っていた。
ウシャスはこの足跡の主を知っている。
霊魂のような青白い炎を背負った、黒い巨躯の象のような竜、ガジャ・ナーガ…後の世に、「ゴジラ」と呼ばれる存在。
そのゴジラが、この死んだ景色を作り上げたのだ。
そして、もう一人の人間。彼女が、10年間思い続けた人間。
防護服を着たアグニ人の少女・ウシャスは、毎日のように外へ出かける。「彼」に再会するために。





――10年前。

オオオオオオオオオ!!!!

咆哮する獣は、天をも焦がす火の海と化したアグニ国の町に、君臨している。
その怪獣――ゴジラは放射能を帯び、周囲に放射線を毒の矢のように撒き散らしていた。
「二度目のアグネアで…ガジャ・ナーガが現れた…」
出動した戦闘機の集中砲火も、その怪獣にとっては雨の雫も同然だった。猪の化け物のように、暴走を止めることはない。
兵士達は、いや、誰しもがこの怪物に戦慄した。
この時は一つしかなかった核シェルターの避難所から、現代でいうテレビやラジオを通して、避難民はその情報を得ている。ウシャスもその一人だった。
もしゴジラによって作り上げられたこの地獄に、防護服も着ない生身の人間が飛び込めば、有無も言わさず死んでしまうだろう。
しかし、その業火の帳(とばり)の中に、人影が立っていた。それもゴジラのすぐそばで、生身のまま。
「カルナ…?」
人集りの中、小さな少女がその名を呟く。
その女の子は、幼い日のウシャスだった。
彼が映ったのは一瞬だったが、確かにカルナだった。





カルナがゴジラと何かしらの関係を持ち、共通の意志で火の海を作っている。
しかし、まだ幼かったウシャスは、カルナやゴジラに攻撃をする軍隊の方が信じられなかった。
だって私はカルナと話した。
だって私はカルナを知っている。
きっと彼は私達を何らかの脅威から助けるためにやっているんだ。彼は正義の為にやっているんだ。
それなのに、どうして傷付けようとするの?

――違う。

10年後のウシャスは、カルナとゴジラの真意を分かり始めてきた。
空から降る白く小さなものたち。ウシャスはそれを手の平へひとひら留まらせた。
『カルナは家族を殺されたのよ。あのガジャ・ナーガもきっと同じ。』
その決して溶けることのない雪を乗せたまま、彼女は手を握り締める。
この雪は彼らの悲しみと同じだ。消える事はない。
『私達が正義の為に使ったアグネアで。』
全ては戦争を終わらせるため。全ては正義のため。
しかしそれはカルナに憎悪を宿し、ゴジラに力を宿した。
彼らは報復のためにアグニ国を襲ったのだ。それ以上でも以下でもない。
そのことを、分かってしまった。
『でも…』
どれくらい歩いただろうか、ウシャスはとある国境地帯にいた。
アグニ国の核シェルターは町から随分離れた崖に作られており、今や崩壊しアグニ国の占領化同然になったスーリヤ国との境界から、そう遠くない。
中心都市近くに作らなかったのは、ゴジラがそこをどこよりもひどい地獄にしてしまったからだ。
国境地帯には、かつて豊かな森林があった。しかし今では、白い灰に黒い炭が突き刺さっている不毛の土地。
一発目の、アグネアが投下された場所の一部だった。
他よりも一回り程度大きな元・樹木のしたに、ウシャスは立ち止まる。
彼女はそれを見上げた。天に亀裂を入れるように、漆黒の枝を広げている。
『どうして私は、ここに来るの?』
ここで彼女は「彼」に出逢った。
でも今「彼」はもういない。
砂時計は逆さにしたら戻る。しかし時間は戻らない。
過ちをなかったことには出来ないのだ。
「彼」…カルナは、二度目のアグネアが投下されたのを機に、二度とここに帰ってくる事はなかった。
ウシャスが幹に触れると、脆く表面が剥がれた。
「帰ってきてよ…」
目蓋の波に視界が歪む。
崩れ落ちるようにして、ウシャスはへたりこんだ。
「カルナ…!」





ウシャスとカルナが初めて逢ってから、そう間もない頃だ。

ウシャスがカルナのために薬と包帯を持ってきた。
「お兄さん、包帯巻いてあげるね。」
彼女はカルナの左頬に薬を塗ると、包帯を巻き付ける。それはおだてにも上手とは言えなかったが、カルナは何一つ文句を言わなかった。
「…お前、名前は?」
ちょうど手当てが終わった時、カルナがウシャスに話し掛けた。彼の目から活力は感じられないが、今は仄かに光を宿している。
「ウシャスだよ。」
幼いためか、舌足らずな喋り方だ。惜し気もなく破顔一笑する。
「ウシャスって言うのか。」
カルナはその女の子の笑顔に、胸が痛んだ。微かに目蓋を下げる。
カルナにもこんな無垢な笑顔をした妹がいた。そして地獄と化した町に、小さな死体もそこらじゅうに溢れていた。
何も知らない非業の子らまで殺したのはアグニ国。しかしこのアグニ人の子供も、何も知らない。
この少女も、いつかは人間の汚い部分や負の感情を知っていってしまうのだろう。
「お兄さんは、なんて名前?」
問われて、カルナはハッとした。ウシャスが目を合わせて会話をしようとしている。
「カルナ。俺はカルナって言うんだ。」
「カルナ…」
「ああ。」
彼は持っていたシタールを弾ける体勢に構える。
大きな楽器だ。共鳴胴は足の付け根の横に置き右手を添え、竿を左手で持つ。
「ウシャス、お礼に一曲披露するから、聴いてくれないか?」
「うん!」




一体無音はいつまで続くのだろう
愛の永遠(とわ)へと言う
花咲く時まで

明日が見えなくても
微かな光を

例え短い人生だったとしても
自分らしく生きることが出来たなら
それは良い死なのだろう

笑いながら
夜明けの光は来る

闇を振り払い
天則(リタ)に従い
方角を見失わず

笑いながら
夜明けの光は来る





――この歌は自分が作った中でも、よく家族や友人に披露していた所謂十八番だった。
明るい曲調なので、お気に入りなのだ。
しかし皆死んでしまった。
そしてカルナも死んだも同然だった。彼は自分の音楽で誰かが喜んでくれたり、元気になってくれる事が好きだ。しかし顔にひどい火傷をしてしまい、それを見たら人々は彼を恐がるだろう。言わずもがなカルナはそのことを望んではいない。
そしてカルナは思った。いや、そう思わざるをえなかった。
アーティストとして生きていけないと。

――でも、

「うわあ!すごいよカルナ!」
お客さんがいる。
小さい両手で大きな拍手をしてくれる。
飛びっきりの笑顔は、まるで特効薬のようだ。
初めてのアグニ人のお客は、小さなお嬢さん。
「……」
カルナは何も言わなかった。
しかし彼女…ウシャスに応えるように、優しく微笑んだ。
『――俺はまだ、死んでない。』



恨んでも、皆帰ってくるわけじゃない。
復讐しても、皆帰ってくるわけじゃない。
それに、あのあどけない目をした少女に罪はない。
ウシャスと触れ合う中で、カルナは復讐の炎は鎮火していった。

アグネアが投下されてから約一週間後、いつものようにカルナはシタールを担いで、ウシャスが来てくれるであろう場所へ向かっていた。
白い道は足場が悪い。でも、もうすぐ着く。そのはずだ。
「う…おかしいな…」
カルナは呻いた。
いつもなら息を切らせる程の距離ではないのに、息が苦しい。
いつもなら何とも思わない重さのシタールが、石のように重たい。
辛くなってきたので、彼は何度目かの休憩をする。
シタールを下ろして、杖代わりに体を支えた。
「どうしちまったんだよ…俺の体…」
しかし気分はますます悪くなるばかり。悪心を覚えた。
もうすぐウシャスが来てくれる頃なのに、体が動かない。あと少しの距離なのに、今では月のように遠く感じられる。
「……」
喋ったら口から何かが出てしまいそうだった。
ふと、カルナはあることを思い出す。
アグネアで生き残った人は彼以外にもいた。だが、外傷もないにも関わらず、元気だった人が突然具合を悪くして――
『――俺も、死ぬのか…?』
死にたくない!!
一人で、誰にも気付いてもらえず、野垂れ死ぬなんて!!
そのくらいなら、あの時家族や大切な人たちと一緒に逝きたかった。
それでもせめて、あの少女のもとに。
「ウシャス…」
行きたい。行きたい行きたい生きたい。
今の自分はかなり情けない顔をしてるだろう。カルナはそう思ったが、そんなことは関係ない。
よろける足腰に鞭打って、カルナは再び立ち上がった。
その時だった。

カッ!!!!

巨大な光が、カルナの背中を叩きつけた。
全てを消すように光は白く、死にいざなうように漆黒の影は底のない穴のようだった。
「……」
光は一瞬だった。
しかしカルナはそれが何なのか分かってしまった。一度もっと間近で浴びたことがあるから。
数秒後、突風が彼を通り過ぎていく。
カルナは呆然と背後を振り返り、空を見上げた。
「……!」
空に、巨大なきのこ雲がそびえ立っていたのだ。
――嗚呼、恐ろしい。
何が恐ろしいのか、彼自身分からなかった。
アグネアか、それを二度も投下したアグニ国か、あの地獄か、負けを認めようとしないスーリヤ国か、彼の内にほとばしる激情か。



体が熱い。眼球が揺れる。鼻孔から血まで出てきた。それでもあの火柱の向こうから、目をそらす事など出来なかった。
あの傘の下には…それを考えただけで、目の前が真っ赤になる。
「この…!」
カルナは血を吐くような勢いで――いや、実際に血を吐いて叫んだ。続きに何を言おうとしたのか分からないが、そのどす黒い血が何より全てを語っていた。
傷付いた体内の器官から出た血で、口内と顎は真っ赤だ。ヒューヒューと喉笛が鳴る。
それもお構いなしに、きのこ雲を通して何かを睨み付けるカルナ。
目にはきのこ雲の不気味な光を宿し、何かに取り憑かれたかのように火柱が立ち上がる方へと歩む。
彼は危篤状態で今にも死にそうだ。それにも関わらず、突いても斬っても死にそうにない、ただならぬ形相だった。
「許さねえ…」
カルナは呪いの言葉を呟いた。
そんな時。
ズン…と、彼は大地が揺れるのを感じる。歩みを止めた。アグネアの衝撃波とは違う。
またズン…ズンと大地が揺れる。一般人より調律が分かる彼は、それが巨大な生物の足音だと理解できた。
前方から、来る。
ズシン、ズシンと、足音は近づいてくる。
そしてその足音の主が黒い木々の向こうから顕現した。
「……」
それの影はカルナを多い隠すほどに大きい。
象よりも巨大で、龍のように偉大なもの。
カルナはそれを仰ぐ。魅入られたかのようにその名を呟いた。
「ガジャ・ナーガ…」
ガジャ・ナーガ――ゴジラザウルスは、温厚で非常に頭がよく、それでいて力強い生物だ。だからスーリヤ人はゴジラザウルスを大切にしている。
カルナはゴジラザウルスをその目で見るのは初めてだった。
『汝の思念は我に力を与える。』
「…?」
頭に直接声が降りてきた。カルナはそれが誰の声なのか分からなかったが、話の続きを聞く。
『強く生きたいと思うのならば、汝の願いを叶えん。』
精神感応。所謂テレパシーだ。
カルナはその声が目の前の聖獣のものだと理解した。同時にその聖獣の感情が伝わってくる。
このゴジラザウルスも仲間を殺されたのだと。アグネアが憎いと。
「…叶えて、くれるのか?」
言うと、ゴジラザウルスは大きく裂けた口を少し開け、息をもらす。
カルナはゴジラザウルスの目をじっと見た。
彼はシタールの竿を強く握り締める。
「復讐したい。それと――」








「……」
ウシャスは膝を抱えてしゃがみこんで、いつもの場所でカルナを待っていた。
数十分は経っただろう。子供にとってはかなり長い時間だ。
普段はカルナの方が先にいる。そしてウシャスが迷わないように歌う。
それなのに今日は違った。こんなことは一度もなかったのに。
さっきも凄い光がした。あれはなんだったのだろう。
何となく、暇だったからウシャスは空を見上げた。
そこにはゴジラザウルスの頭の形に似た、巨大な雲がそびえていた。
それが何なのか、その時の彼女はまだ知らない。
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