「G」の去った夜に







その一方、東京都のとあるホテルのロビーに、和美の姿があった。
しばらくの間受付と話した後、チェックインを済ませた和美はソファーに座り、鞄を隣のソファーに下ろす。



「ふう・・・これで今日の寝床は確保したわね。明日は早めに出て、寺沢さんの所へ急がないと・・・」



2日前に弥彦村を出た和美がこれだけ遅れた理由、それはエネルギー不足に苦しむ日本の現状があった。
2005年の原発一斉爆発の事件後、3つの原発を一気に失った日本は慢性的な電力不足に見舞われ、それらの皺寄せは人々の生活や電車などの電力を使う公共機関に現れた。
停電はもはや定期的に訪れ、電車やモノレール等の停止によって全ての物事は遅延し、それによる影響は決して小さいものでは無かった。
政府はその対策に追われる事となり、原発を新造しようにも世界各国の反応を考えると極めて難しい日本が取れる対策は、火力・風力・太陽光・水力発電のフル稼働・・・他の発電方法の強化しか無かった。
幸いにもこの間に怪獣は全く現れなかったが、それでもなお失われた原発分のエネルギーを完全に賄う事は出来ず、今もこうして時折停電が起こっている。



「はぁ・・・健と美歌、大丈夫かしら・・・電話じゃ大丈夫だって言ってたけど、やっぱり気になるわ・・・」



不安げな顔を浮かべ、和美は鞄から何かの写真を取り出す。
少し古ぼけた写真に写っているのはいつ頃の時代だろうか、まだ少し若い和美であり、その両腕にはすやすやと眠る赤ん坊・・・健がいる。
そしてその隣にいる短髪の男性こそが、現在行方不明である健と美歌の父にして和美の夫、研護であった。



「・・・こんな時、研護さんならどうするかしら・・・・・・やっぱり、5年前みたいに・・・」


――・・・そう、研護さんなら、ああする。
いつだってそうだった。あの人はいつも、正しいと思った事をしていた。
昔から・・・



研護への思いから、いつしか和美は写真よりも昔の事を思い出していた。
それは研護と初めて出会った時の事、もう何十年も昔の話。



「研護さんとの最初の出会いは、弥彦山にいたやんちゃな少年だったわね・・・」






「行ってきまーす!」



1970年代・・・日本が高度経済成長期に入り、目まぐるしい発展を続けていた時代。
まだ10にも満たない少女・和美は手に小銭を握りしめ、家を走り去って行った。



「和美~!あんまり遠くへ行っては駄目よ~!」
「分かってま~す!」



母の呼び掛けに元気良く答えた和美はひたすら続く畦道を走り、やがて幾つかの木造の店が立ち並ぶ村の中心地に着いた。
更に曲がり角を曲がった先にある駄菓子屋でその足を止め、入り口の前に座る店主の老女・幾実に話し掛けた。



「おばあちゃん、今日もこの飴ちょーだい!」



コンビニさえも珍しかった当時、田畑と木々が村の面積の大半を占めている弥彦村にとって、前述の経済成長はあまり関係の無い話であった。
ビルや娯楽施設は当然の事、建物ですら中々見掛けない弥彦村に周囲の発展も特に影響されるものでは無く、弥彦山を始めとする古くからの自然と、これまた歴史のある多くの駄菓子屋がこの村のメインスポットだった。



「いらっしゃい、和美ちゃん。今日も元気一杯でよろしいこと。・・・えっと、15円ね。じゃあ3個分、飴を持って行って頂戴。」
「ありがとう!」



そんな駄菓子屋の一つであるここ、「伊久戸屋」は和美が暇があれば訪れる所で、来ては必ずリンゴ味の飴を買っていく和美は幾実にとって、この店の常連だった。
そしてこの場で買った飴を2つ食べ、残りを歩きながら食べるのが和美のいつもの行動だ。



「・・・うーん、おいしいなぁ・・・」



駄菓子屋の入り口の横に置かれた木製のベンチに座り、和美は今買ったばかりの飴の袋の封を開け、すかさず頬張る。
その表情はとても幸福そうであり、これぞまさに至福の時・・・と言った感じだ。



「和美ちゃん、いつもありがとうねぇ。おばあちゃん、とても嬉しいわ。」
「ううん、わたしここで飴を買うのも、おばあちゃんに会うのも大好き。だって、この飴の味もおばあちゃんも、とっても優しいもん。」
「まぁまぁ、これまた嬉しいこと・・・」
「おばあちゃん、明日もあさってもぜったい来るからね。ここで飴買って、それでおばあちゃんと・・・」





それは、一瞬の出来事だった。
曲がり角から何かが走って来たかと思うと、すぐに和美の前を通り過ぎ、その姿を眩ましたのだ。
少なくとも和美にはそう見え、その何かが通り過ぎて少し経つまで和美は何かが通り過ぎて行った方を見つめていた。



「・・・はっ・・・」



ようやく我に返った和美だったが、ここで彼女はある事に気付いた。
ベンチの右側に置いていた飴が、一つも無くなっていたのだ。



「あ、ああーっ!飴が、飴が・・・!」
「これは・・・またあの韋駄天小僧が来たねぇ・・・」
「い、いた?」
「『韋駄天』。とても足の早い神様で、走るのが早い人はよくこう呼ばれるの。そしてさっき通り過ぎたのはその韋駄天の名を持った子・・・『韋駄天研護』。」
「うーん・・・そんな子、知らない・・・」
「最近ここに越して来たみたいだから、知らなくても仕方無いかもねぇ。でもいつもああやって村中を走っては、弥彦山に作った秘密基地にずっといるって噂さ。」
「弥彦山・・・・・・私、行って来る!」
「え、ええっ!?」



思いもしなかった和美のこの発言に、つい幾実は驚きの声を挙げる。
しかし、和美の目は本気だった。



「だって、その子私の飴盗んでったもん!ぜったい返してもらうの!」
「で、でも和美ちゃん、弥彦山に1人で行くなんて、そんな事したらお父さんやお母さんが・・・」
「けど・・・けど、ぜったい返してもらうんだもん!ぜったい・・・返してもらうんだから!」
「あっ、和美ちゃん!」



そう言うと和美は立ち上がり、韋駄天研護が向かって行った方・・・弥彦山へ走り去って行った。
幾実は走る和美を静止しようとするも、すぐその手を止めた。



「・・・う~ん、『若い』ってのも、困り物だねぇ・・・」





「はぁ、はぁ・・・やっと、着いた・・・」



日が沈み始めた頃、全力疾走の末にすっかり息を切らした和美は、弥彦山の中にいた。
今いる場所は観光客が通る一般道から少し外れた、うっそうと木々が生い茂る所で、秘密基地を作るならこの辺りの筈、と睨んだのだ。
和美としては一応何度か弥彦山に行った事はあるが、一般道を外れてここまで来るのは始めてであり、その表情には困惑さも見える。



「ふう、ふぅ・・・着いたけど・・・あの子はどこ?」



行く宛も無いまま、和美は山道を歩いて行く。
だがこの弥彦山の何処かにいる・・・と言う不確かな情報だけの探し物が上手く進む筈も無く、時間と体力だけが浪費される。
走り出した時は青かった空も少しづつ夕焼け色に染まって行き、和美の心も段々と不安に染まっていった。



「ここ・・・どこ・・・全然、わかんない・・・こわい・・・」


――・・・でも・・・でも、ぜったい返してもらうの・・・
わたしの・・・わたしの・・・!



と、その時右奥の草陰から何かが動いた様な物音がした。
突然のこの出来事に和美は一瞬肩をすくませるが、物音から何かを察知したのか、すぐにその物音がした方へ向かう。
最初はゆっくりと歩いていた足もすぐに走り出し、いつしか物音を追う事に無我夢中になる。



「・・・わぁっ・・・」



やがて見えて来たのは、とても立派に育った一本の大木と、その大木の枝の上に置かれた段ボール製の秘密基地だった。
そして大木の陰からひっそりと姿を現したのは、手に飴を持った同い年の少年・・・そう、「韋駄天」と呼ばれる破天荒な少年・研護だった。



「・・・」



何故か恥じらいの表情を見せ、研護は無言で和美に飴を差し出す。
和美もしばらくの間、その光景を見ながら黙っていたが、研護が再び飴を差し出した瞬間、和美は研護の手ごと両手で飴を握り、こう言った。



「・・・やっと、見付けた!」






――これが、私と研護さんとの初めての出会いだったわね。



回想を終わらせた和美は写真から目を離し、今度は初めて研護と出会ったその後の事を思い出していた。



――あの時の研護さん、確かいつも駄菓子屋に来てる私の事をずっと気にしてて、私の気を引く為に飴を盗んだんだったわね。
研護さんって何処か不器用な所があるけど、本当に昔から変わってなかったのね・・・
弥彦村に帰ったら、またあの駄菓子屋に行こうかしら。
カレー豆を買って来たら、健もきっと喜ぶわ。
美歌には缶詰めのドロップで・・・そうだ、みどりちゃんにもお世話を任せたお礼に何か買ってあげなきゃ・・・



和美はいつしか色々な考え事をしながら席を立ち、写真を鞄に仕舞うと予約した部屋へと向かう。
そんな彼女の顔は、とても生き生きとしていた。





「・・・うーん。」



部屋に着いた和美はガラス張りの戸を開き、いつも見慣れた光景とは違う空を見上げていた。
産業や工業の活動によって澱んだ空気を通しての夜空は暗がりばかりで、何万年の時を超え届いている筈の星の光は殆ど見えない。
その影響か、先程まで明るかった和美の表情には陰りが見える。



「・・・やっぱり、都会だと星は見えないわね。少し寂しい。」


――そういえば、結婚前夜に研護さんと見た空は本当に綺麗だったわ。
弥彦山のてっぺんまで登って見た、とても綺麗な景色・・・
雅子先輩が背中を押してくれたお陰もあるけど、研護さんがあの景色を見せてくれたから、今の私があるのね。



いつしか和美は、何処とも知れない存在となった「彼」を思っていた。
これから彼の事に関して聞きに行くからか、健と美歌と言う「抑止力」が無いからか、こうして時折研護の事を思い出している。
いや、誰にも見せない裏で和美はかけがえのない思い出を忘れない様にしているのかもしれない。



「・・・いけない。ずっと思い出に浸っていては駄目ね。私には今、健と美歌って言う『未来』があるのに。明日は早いし、そろそろ寝る準備をしないとね。」



そう言うと和美は再び笑みを浮かべ、部屋に戻って就寝の準備を始めた。
明日は必ず良い日が来る・・・そう信じながら。



「・・・研護さん。健と美歌は、たくましく育ってるわ。だから貴方も、すべき事をして・・・」
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