受け継がれし「G」の名
将治との会話からしばらくして、健は苛立ちを抑えられぬまま自宅のある住宅地に着いていた。
「ちきしょう!ふざけんじゃねぇぞあの野郎!俺があの子を助けたのが、そんなに気にくわねぇのか!それこそてめぇには関係ねぇだろうが!俺が何をしようが・・・!」
ぶつぶつと心の中で思っている事を口に出しながら、健は何度もコンクリートの壁に穴を作る。
そうしている内にも健は自宅に到着し、それと同時にある事を思い出す。
――・・・そうだ、俺にはカレー豆があるじゃねぇか!
とっとと食って、イライラを解消だ!
大好物を思い出した健は急いでドアを開け、靴を脱いでカレー豆が置いてある居間へ向かう。
だがカレー豆に夢中になる余り、健は玄関に置かれた見慣れない赤い靴の存在に気付かなかった。
「母さん、ただい・・・って、なぁーーーっ!」
居間の戸を開けた健が突如絶叫した理由、それは自分の頭の中でキャビネットの引き出しに入っていた筈のカレー豆が机の上で封を開けられ、残り僅かしか中身が残っていなかったからであった。
そして座椅子に座りながらカレー豆を食べていたのは数時間前、桐城家の前にいた女性だった。
「あら、健。お邪魔してるわよ~。」
「み、み、みどり!な、何でお前がここにいるんだぁ!」
「健、あんた半年会わない間にどうかしちゃったの?そんなの、あたしだからに決まってるじゃない。」
彼女の名は手塚みどり。
彼女の母である手塚雅子はまだ未婚だった和美と同じ職場で働いていた事があり、その時から和美の先輩として桐城家とは古い付き合いであった。
その縁でみどりも小さい頃から桐城家によく来ており、今もこうして足を運んでいる。
だが、健にとっては自分の大好きな菓子をいつも勝手に食べては言い訳しかしないみどりは幼少から苦手な存在でもあり、それは今も変わってはいない。
「いや、そうじゃなかった・・・なっ、なに勝手に俺のカレー豆食ってんだぁ!」
「別にあんたの物って決まってないでしょ。どうせいつも食べてるんだからいいじゃない。」
「な、なん・・・」
「あら健、おかえりなさい。」
と、そこに声を掛けて来たのは湯気が立った茶が乗った盆を手に持った和美だった。
その後ろにはオレンジジュースが入ったコップを持つ美歌の姿もある。
「たけにぃ、お帰り。」
「おう、ただいま・・・」
「ごめんなさいね、今日みどりちゃんが来る事を言うのを忘れてたわ。」
「母さん、先に言っといてくれよ・・・だったらカレー豆を俺の部屋に隠したのに・・・」
「ほんと、健は昔っからカレー豆に関しては意地汚いくらいにこだわるわよね。そんな狭量がないんじゃ、天下無敵の喧嘩番長になんてなれないわよ~。」
「ほっとけ!」
「たけにぃとみどねぇ、やっぱり仲悪いね・・・」
「健がこんなにショックになるんだったら、やっぱりもっとお菓子を買っておけばよかったかしら・・・」
「いや、もういいよ母さん・・・それで、みどりは何しにここへ来たんだよ。」
「あたし?あたしなら明後日美歌ちゃんが弥彦山に行くって言うから、その付き添いで来たの。」
「ああ、あれか。でもじゃあ何で一日早く来る必要があるんだ?」
「健、それは私がこの家を離れるからよ。」
そう言って来たのはいつの間にか茶を机に並べ、みどりの隣に座っていた和美だった。
「え、えっ!?そんな話聞いてないぜ?」
「実は昨日、健が寝た後に決まった事なの。それでみどりちゃんもちょうどこっちに来るって電話があったから、私が留守の間お世話して貰う事になって。いきなりごめんなさいね。」
「いや、それなら別に仕方ねぇけど・・・それで何の用事なんだ?」
「ちょっと東京まで会いに行く人がいて。ほら、あのジャーナリストの寺沢さん。」
「あっ、あのおっちゃんか!」
「たま~にここへ来る、ちょっとかっこいいおじさんよね。」
「今日にも東京へ行こうと思ってるわ。あっ、でもちゃんとご飯は作って行くから安心して。」
「健、心配しなくてもあたしは料理くらいなら作れるわよ~。」
「わ、わあってるよ!」
それから夜になり、夕食を終えた桐城家の玄関にはベージュのドレスを着て正装した和美の姿があった。
「それじゃあ健、美歌、留守番頼んだわよ。」
「うん。私、お母さんが居なくてもちゃんとお留守番してるからね。」
「大丈夫、俺がいる限りこの家に危険なんて来させねぇぜ。」
「みどりちゃんも本当にありがとう。しばらくお世話頼むわね。」
「いえいえ。気にしないで下さい。」
「2、3日したら帰る予定だから、それまで待っててね。じゃあ、行って来ます。」
「「「いってらっしゃ~い!」」」
3人に見送られながら家を出た和美は腕時計で時間を確認すると、そのまま駅へ向かって歩いて行った。
――健、美歌。勝手に家を空けてごめんなさい。
でもこれで貴方達のお父さん、研護さんの行方が分かるかもしれないの・・・
「おらっ!」
それからしばらくして、健は自分の部屋でサンドバッグ相手に激しいストレートパンチを繰り出していた。
見知らぬ同年輩の男に自分を全否定され、心待ちにしていたカレー豆もみどりによって食べられてしまったりと、健にとって今日はまさに踏んだり蹴ったりの一日だったからだ。
――くそ、ほんと今日は嫌な事ばっかだ!
ムカつく奴にムカつく事言われるし、みどりは相変わらずちゃっかりしてやがるし!
翼ん所から帰るまで、最高の一日になるって思ってたのによ!
くそ、くそ、くそ!
「ちょっと健!近所迷惑だからやめなさい!」
「わあったよ!」
一階の居間からみどりに注意された健は渋々サンドバッグとのスパーリングを止め、ベッドに倒れ込む。
「はぁ・・・なんか作文も書く気にならねぇし、さっさと寝よ・・・」
健は部屋の電気を消し、今日の嫌な出来事を忘れる為に深い眠りに付いた。