「G」vsディアボロス




「邸宅、及び財産、所謂遺産は戦争で両親亡き後の後見人的な立場であった師、山根恭平氏。または乙…この場合は山根博士ですね。が死亡、またはその他事由でその相続を放棄、行えない場合はその娘、恵美子氏にその相続の権利を委譲するものとする。……ちなみに、恵美子さんも放棄をされた場合はその意向を尊重し、それもない場合は相談人不存在として国庫に帰属されることになります」

 季節は移り、秋も終わりに近づき、復興に励む街も次第に師走の賑わいを匂わせてきた。
 先日役所で芹澤の認定死亡の手続きと葬儀がひっそりと行われた。あの場にいた誰もが芹澤の死を疑いようのない状況ではあったが、ゴジラや湾内の生物と共に芹澤は骨も残さず消滅している為、一般的な遺体のある死亡ではなく、戸籍法の認定死亡として扱われることとなった。明確な基準がある訳ではなかったが、前例に倣って3ヶ月を経て死亡の認定すると役所は判断を下した。
 その間、芹澤の遺産整理なども手をつけられない状況となっており、山根家の面々もけじめがなく物事を先に進められない様子であった。尾形は何か骨片一つでも拾ってやれれば彼の戸籍上の死を一日でも早めてやれると幾度となくあの海へ潜ったが、日に日に死の海から生命が戻っていく様を漁協と海洋学者達に報告する以外の収穫はなく、遂にその日を迎えた。
 葬儀は山根家と尾形でひっそりと行った。尾形達の中学の恩師や山根博士の呼びかけに応じた北京大学時代の学友達の他、耳聡い萩原記者が顔を出した。今更芹澤を騒ぎ立てる様な記事を書くつもりはないと言っていた通り、翌日の朝刊には僅か3行の小さな記事で『故芹澤博士葬儀執リ行ワル』と載っていた。
 そして、更に数日後、山根家を芹澤の知己の弁護士という人物の来訪したという知らせを新吉が伝えに来た。聞けば恵美子から尾形へ知らせるように言われたという。つまり、尾形にも来て欲しいということと解し、山根家へと赴くとそれは尾形も知る中学時代の同期であった。
 そして、先の話となる。つまり、芹澤は先のオキシジェン・デストロイヤーの使用と自身の死を決意したその日に遺言をこの弁護士に託したのだ。戦後、天涯孤独の孤高の科学者となった芹澤にとって唯一家族と呼ぶに近い存在は、山根博士と娘の恵美子だった。
 遺産相続についても、財産は大きな問題ではない。問題となるのは彼の屋敷がこのやり取りによってどの様に取り扱うものとなるかだ。
 これまでの3ヶ月強の間に芹澤の屋敷は尾形の知る限りで5回も賊が侵入している。地元警察も警備を強化しているが、それでも尚、被害は減らない。大方泥棒のフリをしたスパイの仕業だともっぱらの噂となっていた。

「……お父様? すみません、お父様!」

 安楽椅子に腰を落とし、話を聴いていた山根博士は不意に立ち上がって、廊下に出てしまった。そのまま無言で自室に向かう彼を恵美子が追う。
 それはかつてのゴジラへの攻撃を反対していた時の山根博士の姿と重なった。

「恵美子、私は相続を放棄する。お前の好きなようになさい」
「でもどうして……」

 二人の声は廊下から漏れ、居間にいる尾形達にも聞こえていた。
 恵美子が問うと、山根博士は声を低め、胸の奥から言葉を吐き出すように言い返した。

「芹澤が私の跡を継ぐことこそあっても、私が芹澤から継ぐ物などない。どこの世界に師が、……親が子の相続をするというのだ。……できるわけがない!」

 そして、戸を力強く閉める音が聞こえた。
 しばらく弁護士、そして部屋の隅で様子を伺っていた新吉と共に無言で待っていると、恵美子が床を鳴らして戻ってきた。少し目尻が赤い。
 弁護士の前に座った恵美子はどこか先程までと違ってみえた。佇まいが違うのだ。背筋を伸ばし、目を開き、眉を上げている。それは気丈に振る舞おうとすることを彼女なりに体現したものなのかもしれない。

「父は相続を放棄しました。……お聞こえになりましたね?」
「はい」
「そして、私の意向を尊重する。そうでしたね?」
「そうなります。……恵美子さんも相続はなされない。そういうことでよろしいですか?」
「もしこれからお話することをされる為に、私が相続をした方がよろしいのでしたら、一旦相談もいたしますし、税の手続きを含めてご相談させて下さいまし。……まず、邸宅は更地とした後にゴジラの災害孤児の為の施設、それを行う団体へと寄付致します。家内にある彼の研究資料などは全て焼却。凡そオキシジェン・デストロイヤーとも関係のないものも含めて全てですわ。その後、金品といった財産はゴジラの被害にあった方の支援に充当するよう寄付致します。如何ですか?」

 それはまるで事前に台本を用意して練習を重ねたかの様に彼女は早口で言った。
 それに呆気に取られた弁護士であったが、すぐにハッとして彼は咳払いをすると、書類を捲りながら答えた。

「あ、はい。……承知致しました。形式的には今おっしゃったように一度相続し、その後必要となる費用を差し引いたものを寄付とする方法もありますが、推定される遺産総額からして基金などを立ち上げてそこから分配を行うことにする方がよいかもしれません。経費は生じますが、恵美子さん個人の資産とするには額が大きすぎるので、その方が宜しいと思います」
「わかりました。ではその件はこのまま一任致します」
「承りました」

 そして、弁護士は書類をまとめて抱えると、頭を下げて家を出て行った。
 恵美子の気迫に押されたという様子であった。
 その後、芹澤の邸宅は更地となり、孤児院が建てられた。また、芹澤東京ゴジラ災害救済基金が十年間ではあったが、孤児院やゴジラ原爆症などとも呼ばれた放射線障害などの後遺症に苦しむ人の支援金として当てられた。








 スマートフォンを確認すると交通機関が止まっていることが表示されていた。
 白嶺は窓の外を確認する。相変わらずの暴風雨となっており、今日は帰宅自体を考えた方がいいと思った。祖父は一旦話を中断し、看護師の巡回と食事の準備をしている。

「看護師さん、今日ここに泊まってもいいですか?」
「そうよね……確認しておきますね。多分大丈夫だけど、夜間帯になると病棟外に出られなくなるから必要なものは今のうちに買っておいて下さいね」
「わかりました。では、今の内に売店に行ってきます。じいちゃん、ちょっと行ってくる」

 鞄を掴むと白嶺は検査中の祖父に一声かけ、病室を出た。





 


 芹澤の死から歳月が経った。
 空襲とゴジラ、二度も燃やし尽くされた東京だが、好景気が追い風となり既に街はゴジラが現れる前の様相を取り戻し、再建された東京駅や品川駅では夢の超特急こと新幹線開業や五輪を控え、戦後の復興を更に加速させていた。

「よく来たね……いや、まずはおめでとう! そう言うべきだね」

 オフィスとは別室に設けた応接室を開けた尾形は、黒革の応接ソファーで如何にも吸い慣れていない様子で煙草の煙を纏いながら彼を待っていたスーツ姿の客人に声をかけた。整髪剤で七対三に固めた新吉は煙草を灰皿に押し付けて立ち上がるなり、仰々しく直立して挨拶をする。

「ありがとうございます!」
「そうカタくなさらんな」

 尾形は新吉に苦笑しながら、ソファーに深く座るとテーブルのライターを手にとって煙草を口に咥えて火をつける。今のオフィスに居を構えるようになってからは夏場でもスーツを着て経営者然とした振る舞いをするように心がけていた。10年前は小さいオフィスで一人商いを行なっていた南海サルベージだったが、ゴジラ以降のサルベージと東京湾の干拓や埋立の事業が追い風となり、東京タワーが聳える芝のビルディングに移転するに至った。
 窓から東京タワーが見上げる立地だが、元々寺と離宮しかない土地故に東京タワーはこの街の何処からでも見え、すぐに見慣れてしまった。元々埠頭に近く船と鉄道、陸路、空港の全てとの接続が良い立地で選んだものだった。
 また、最近では親会社の南海汽船の社長の相談にも応じており、既にゴジラによって沈められた2隻の船の損害も遺族への補償を含めて十二分に賄える程まで経営を立て直していた。現在は来年に迫り、急ピッチで進められているオリンピックの特需の波に乗る為、大きく物流網の拡大を図っている時でもあった。
 一方、数年ぶりに顔を見せた新吉はかつての坊主頭の少年から立派なサラリーマンとなっていた。本日は交際をしていた女性と遂に結納をしたと報告に来たのだ。以前に聞いた話で相手は故郷の大戸島から東京へ出稼ぎに来た娘であったらしい。山根博士の養子になるまでの短い間ではあったが、尾形は彼の保護者をしていた為、多忙さを言い訳に疎遠となっていたものの律儀に結納の報告へ来たのだ。

「そうだ。……先生の具合はどうなんだい?」
「義父はあまり芳しくありません。ゴジラの原爆症じゃないかと心配もしていたんですが、どうもmentalってやつが弱ってるらしいです。でも、僕らの式と来年の五輪には満足にその目で見るのだと意気込んでいるので、しばらくは大丈夫そうです」
「そうか」

 尾形の脳裏に以前美術館で見たゴッホの絵が浮かんだ。
 ゴジラと芹澤を失った山根博士の悲しみは大きく、深いものだったのだろう。世間では世界各国から招かれるゴジラの第一人者とされているが、各国が博士を招いて聴きたいことは万が一ゴジラが再び現れた時、その生命をオキシジェン・デストロイヤーなしに如何に断つかということだ。特に米ソは原水爆実験を繰り返しながら互いの力を誇示し、沸々と新たな世界大戦への牽制を行なっている。自国にいつゴジラの脅威が降りかかるかと懸念しているのだ。それは図らずもゴジラと芹澤を失ったその時、山根博士自身が口にした「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない……」という言葉が為政者達に届いたことを意味していた。
 本来であれば、反水爆の意も含まれる舞台があの船の上でなく、国連の大舞台などであれば大いなる提言であったであろう。しかし、実際は水爆実験のリスクとしてゴジラ再来の可能性がある為、その脅威を如何に排除できる力を自国につけるか、そんな戦前の強国主義、富国強兵主義的ともいえる思想を為政者に根付かせ、力をつける相手国に対して更に力をつけよと考える今の米ソの関係を強めることにも繋がってしまった。
 そんなことを考えていると、新吉が「どうしたんですか?」と話しかけてきた。
 
「なに、博士のお体と共に、世界のことも案じただけのことさ」
「戦争のことですか? それとも宇宙のことですか?」
「どっちもだよ。冷戦だの言われているとね」

 煙草の灰を灰皿に落としながら、憂い顔で答えた。
 それを聞いて、新吉は嘆息する。

「それほど憂うならば、まずは尾形さんの冷戦をどうにかしたらいいんじゃないですか?」
「僕の?」
「そうですよ。わざわざ僕が伝書鳩にならなくても、会いに行ったらいいんですよ。義父にも、義姉さんにも」
「別に恵美子さんと僕は喧嘩している訳でないよ」
「でももう何年も二人で会ってないですよね?」

 新吉が問い詰めるが、尾形は上手い言葉がみつから、紫煙を撒いてそこに隠れる。
 婚約をしたばかりの彼にはわからないだろうし、あまり考えさせたくない話だ。明確な破局、喧嘩があった訳ではない。自然と疎遠になった。
 理由は定かでなく、故に新吉を納得させられる言葉は見つからない。
 熱が醒めたというと俗っぽ過ぎ、かといってゴジラのいた夏が終わったからというと文学的過ぎる。もっと個人的であり、チープなものだった。
 その為、結局のところは黙り込むことになる。

「お二人とも同じ顔をするんですね」
「……そうか」

 そう答えつつ、尾形は内心で自分と恵美子だけでなく、山根博士も同じだろうと思った。





 


 更に歳月が経ち、芹澤の十三回忌となった。病床の山根博士に代わり、恵美子が法要を執り行うことになった。

「新吉君」

 数年ぶりに訪れた山根家で尾形は新吉が家族から離れたところを呼び止め、庭先へと連れ出した。

「どうしたんですか?」
「まだお祝いを渡していなかったからね。ゆかりちゃんだっけ?」

 祝い袋の入った包みを新吉に尾形は渡した。
 それに対して彼は遠慮とこんな場所で受け取れないとも言うが、芹澤の法要の場でどうしても堂々と行う気持ちになれなかったと伝え、無理矢理に尾形は包みを受け取らせた。

「では、受け取ります。ありがとうございます」
「それと、また例の件もお願いしたい。金の話ばかりで申し訳ないのだが」

 再び尾形が懐から小包を取り出すと、今度は固辞してきた。

「それこそこの場では預かれません。どうしてもと言うのであれば、僕ではなく義姉さんに直接預けて下さい」
「それだと受け取ってくれないだろ」
「それなら別の方法を考えればいいんじゃないかと思いますよ」

 そう固辞され、尾形は渋々札束の入った封筒を懐に戻した。
 新吉は尾形が脚長おじさんをするよりも、直接恵美子と孤児院の支援をすることや恵美子自身を直接幸せにしろと言っていることはわかっている。
 しかし、すでに遅かった。恵美子は本日も亡き芹澤の死を悼み、日々をゴジラで親を亡くした子ども達の支援を続けている。尾形が直接彼女を幸せにするという道は、もう何年も前に見失ってしまっていた。
 それでも尚も恵美子との縁を切れずにいるのもまた事実であった。

『幸福に暮らせよ』

 芹澤の最期の言葉は歳月の中でゴジラと同じ様に変貌し、一種の呪いとなっていた。既に真相はわからない。あの時は彼は尾形にこの遺言を遺した。
 しかし、それはいつしか尾形の幸福でなく、恵美子を尾形が芹澤の分も幸福にしなければならないという強迫観念めいたものに変化していた。一方で、恵美子もまた芹澤が命をかけてゴジラから自分達を守ったものの、父山根博士は愛弟子芹澤のみでなく研究者として保護したかったゴジラも同時に失ったという複雑な想いを抱えており、日に日に心が衰弱していく山根博士と共に芹澤を悼む恵美子の中で、心境が変化し、幸福を自身の人生と異なるところに求め、また忌避するようになっていた。
 女性の社会進出が目立ち始めた高度経済成長の時代であったが、当時はまだ結婚こそ女性の幸福のイメージとされており、それはあくまでも家庭を築いた上での共働きやパートとしての社会進出であり、鍵っ子などの言葉が流行した世相を表していた。恵美子は自身が尾形と結婚することによる幸福を忌避した。それは、尾形に根深く張っている幸福とは乖離しており、尾形自身も彼女と距離が遠のきながらも影ながら彼女を見守り、先の寄付の他、恵美子の視界に入らない形で彼女の幸福の為に行動をしていた。それはまるで、自己犠牲的な愛によって恵美子を、人々を救った芹澤の生前の様に。
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