「G」vsディアボロス
〈第四章〉
「……なんだ? 隊長さんの仕事はいいかよ」
セントラルタワーに設置された展望台にいた白嶺は近づいてきた睦海に気づき話しかけた。
展望台から望む夜景は綺麗に街の半分だけに広がっている。灯りのない半分側は戦闘が繰り広げられた地域で、“匣”の存在によって実際には灯っている光もその影によって視界には暗く見える。
決定した作戦は非常にシンプルだった。ラパサナがシエルと共に囮となってディアボロスを準備したステーションと光学通信回線を結んだサーバーに誘導し、ゴジラがゴジラにログインして戦い、逃走不能な状態に追い込んだところでステーションのコンピューターと地上のサーバーを物理的に破壊、人質であるステーションの人員はGフォースによる同時展開される作戦によって救出する。
低軌道衛星となるステーションとアドノア島の間で結ばれる通信回線は雲や天候程度で阻害されるものではないという話ではあったが、それでも地平線の下では不通となる。国際宇宙ステーションを基準にした外殻軌道となっている対怪獣軌道防衛宇宙ステーションとの通信可能時間は、軌道傾斜角による誤差が生じる為、作戦実行時に再計算が必要となるものの概ねの予想としては1時間前後となり、それがそのまま作戦のリミットとなる。
ゴジラがデルタとなったディアボロスに対抗できるか、そして仮想世界だけでなく、救出作戦と破壊作戦を同時に展開させる必要があるが故のタイミングを合わせられるかという連携の課題が残されているものの、どちらも成功確率を上げることはできても実際に挑戦しないとその割合は信頼性の低い予測値でしかない。
故に、少しでも作戦展開に支障が生じないよう、既にそれぞれが急ピッチで準備に奔走している。囮役の睦海はこの準備に役割を持たないが、ゴジラと共に直接接続する為にアドノア島へ同行する必要がある。その為の調整はG対策センターと防衛省で進んでいるが、現場レベルは別問題である為、睦海も先程までつくば撤収前の部下達とこの先の体制、対応の確認と指示をしていた。
「うちの子達、優秀なんですよ。私なしでも隊は機能するように訓練をしていますから」
「それは桐城が長期休暇を取る為のものでなく、桐城の身になんかあった時の為のものだろ?」
「そうね。でも、まだまだ甘いわ。シュミレーションもまだ希望的観測を多分に含んだ最悪想定になっているから」
睦海が白嶺の隣に並んで立つと、筑波山の山影と星空の方角を真っ直ぐ見つめながら自嘲気味に言った。
「例えば?」
「群発地震や豪雨災害の複合災害や2地域同時展開まではシュミレーションと作戦フローを組んでるわ。他にも私が作戦中に負傷した場合と私単独での投入が可能な場合の想定とかね。……でも、まだ私自身も実行可能な作戦展開プランが作れないものがあるのよ。考えたくないという理由でね」
「かつてのゴジラ以上の脅威となる怪獣の出現とその後に大量発生する変異生物群による甚大災害の発生……」
「! なんで?」
「話しただろ? G対の機密をハッキングしたっての。盗み出したのは例の不祥事の件だけど、それ以上に強固な管理をされたもう一つの歴史とタイムスリップしてきた未来人の話、まぁそれに関する諸々の情報だな。それを見た。……今ならそのアンドロイドが桐城ってのはすぐにわかるさ」
白嶺は静かに笑った。睦海は「そっか」と小声で呟くと、窓の手すりに両手を置くとグッと背中を逸らして伸びをする。
「もう随分昔の話だなぁ。……でも不思議だけど、十代後半のそれこそ高校や防大の頃の記憶ってかなり風化してきている。それなのに、それよりも前で、しかも本来なら消滅してもおかしくないもう存在しない筈の世界のことはまだ結構鮮明に覚えているんだよね。それどころか、未だに夢に見たりする」
「桐城………」
「あ、勘違いしないでね。確かに悲しい思い出も怖い思いもたくさんした世界だけど、その一方で風化させたくない大切な思い出も沢山あるのよ。だから、忘れなくてよかったと思ってる。それにあの世界の記憶を持ちながら、お父さんとお母さん、それとゴジラに会えるって結構私は幸せだと思ってるしね」
睦海が笑って応えると、今度は白嶺が陰り、曖昧な表情をしている。それを睦海は瞬時に感じ取った。否、それはまさしく彼を追ってここに睦海が来た理由でもあった。
「尾形さん、またその表情をしてますね。さっき会議室を出て行った時もその顔をしてましたよね?」
それが気になって睦海は早々に話を切り上げて彼を追ったのだ。
全く睦海がその理由に見当がつかない訳でもなかった。しかし、それを彼に直接確認したかったのだ。
「ゴジラのことですよね?」
「祖父の事、知ってたか?」
「えぇ。将……麻生司令から聴いたわ」
睦海が頷くと、白嶺は静かに頷き、ゆっくりと肩を上げ、深く息を吸って吐いた。
「わかった。俺が別にゴジラをログインさせようという案に対して破天荒とは思うけど、それを反対している訳でも納得していない訳でもないと理解してくれているならよかった。……なら、聴いてくれるか?」
「えぇ。教えて下さい。尾形さんが、お祖父様から何を聞いて、何を思っているのか」
睦海が言うと、彼はコクコクと頷き、「あー……」と呟きつつ言葉を整理した後、ポツポツと語り始めた。
白嶺の知る祖父、尾形秀人という人物は常に凛々しく紳士的かつクールな男であった。元子会社所長の婿養子という立場ながら一代で戦後に多数存在していた小さな海運会社を後の高度経済成長期に行われた海運集約時にも競合の大手企業に集約されず、むしろ後のグローバル化、バブル経済とその後の平成大不況においても失速せず、吸収合併を行い、現在の南海汽船グループへと育て上げたという社会的認識に見合う偉大な人格者として祖父としても、身近な目標となる人物として幼少より白嶺は彼を慕っていた。
社長職を継いだ父に着いて兄と共に会社へ訪れ、また祖父の邸宅にも年中遊びに行っていた白嶺の記憶の中で、そんな祖父が弱さを垣間見せたのはたったの二度であった。
一度目は白嶺が10歳位。休日の昼にGHKで放送されるドキュメンタリー番組を祖父とソファーに並んで座って見ていた時だった。
その番組の内容は、当時ゴジラ観察官として着任してまもない桐城健に密着する形で作られており、番組の中盤でナレーションが当代ゴジラの解説をした。このゴジラはかつてこの島で発見された卵から生まれ、先代ゴジラと異なり温厚かつ人類の味方として2009年にはモスラと共に脅威から世界を救い、以来10年以上ゴジラはその行動で人類の信頼を獲得していると、G対策センターなどから提供されたベビーゴジラ、リトルゴジラ、ゴジラジュニア、2009年の成長したゴジラの映像と共に紹介された。
そんな折、唐突に祖父は乱暴に言い放つように吐露した。
「白嶺、おじいちゃんはゴジラの最期を見たんだよ」
何事かと隣に座る祖父の顔を見ると、どこか懐かしむ目をしつつも、唇を震わせ、歯を噛み締めるその表情は怒り、憎悪、後悔、様々な感情が今にも溢れ出しそうな苦しげなものであった。
そして、祖父はゆっくりと白嶺の頭を撫でながら、白嶺に向かって話を始めたが、それは白嶺ではなく自分自身か、或いは別の誰かに向かって語っていると、その目を見て幼心に白嶺は思った。
「昭和29年の夏だった。今にしても、あの年は暑い夏だった。その夏、おじいちゃんは大戸島と東京、そして海の中でゴジラを見たんだ。……初めてゴジラを大戸島で見た時、僕は自分の目を疑い、同時にそれが現実と知っていて、恐怖したよ。ただ、目の前の女性の肩を掴み、精一杯守る男でいようとするのが、その強がりが唯一できることだった。それまであんな生物が、怪獣がいるなんて誰も思わず、僕もそんなことを考えもしなかった。……最初は会社の船の海難事故だったんだ」
そして、祖父はドキュメンタリー番組が終わり、その次のニュースとドラマのダイジェスト放送が終わる頃まで、自身の見たゴジラを白嶺に語った。
その真に迫る話に、白嶺は聴き入ってしまっていた。
「……その海の中で、僕はゴジラの最期を見たんだ。芹澤さんと彼の作ったオキシジェン・デストロイヤーと共に、ゴジラは闇に葬られた――」
そして、その言の葉が消える前に、祖父尾形秀人は喉の奥から掠れた声を震わせて唄った。
――やすらぎよ 光よ
とく かえれかし――
それが当時ゴジラによって被災した人々へ送られた平和の祈りという鎮魂歌であったことを知ったのは、白嶺が成長した後のことであった。
そして、その日見た祖父の姿、祖父の話は白嶺の胸の中にしまっておくべき話だと思った。安易に白嶺の口から家族へ話してはいけない。祖父にとって“忌み”のある話なのだと、白嶺は感じ取ったのだ。
その為、白嶺から祖父に対してこの話題を持ち出すこともなかった。
故に、祖父が過去を白嶺、否家族に対して語ったのはこの時と、次に白嶺が祖父から再びこの話を聴く高校生に上がった春の嵐の日、そのただ二回のみであった。
それは白嶺が高校に進学した春の事であった。年々身体の衰えを訴えていた祖父であったが、いよいよ入退院を繰り返すようになっていた。
その時も身体の不調を感じ、一週間前から入院をしていた。医師の話ではこの入院が最期となるか、次の入院の時は帰ることはないだろうと説明され、白嶺にも見舞いに行っておけと父親から言われた。
当時はまだ父親との間に決定的な確執は生まれていなかったものの白嶺は、父親である前に南海汽船グループ社長であった彼との間に壁を感じていた。
それ故に父親を含む他の家族と顔を合わせない時間帯、日程を狙って祖父の見舞いに行った。
それが、春の嵐の日であった。
「嗚呼、白嶺じゃないか。わざわざこんな日に来なくてもいいのに」
白嶺が病室に入ると祖父は驚いた様子で応じた。調度品も病室内に置かれた広い個室。そこに置かれた高級寝具メーカーの電動リクライニングベッドの中心にポツンと横になっていた祖父はやけに小さく見えた。ベッド脇に備え付けられたバイタルモニター機器とそこから伸びるケーブルで繋がられた祖父の姿がその印象をより誇張していた。
「こんな嵐の日だから来たの」
仕立てて間もない癖もシワもない学ランの上に被っていたレインコートを脱ぎながら祖父に言う。
聡明な祖父はその一言だけで、白嶺がこの言葉に含んだ意味をすべて汲み取っていた。
「ならば、僕はありがとうとだけ言うよ」
「そうして」
病室の窓にも降りつける雨が滝の様に流れている。その景色を見つめて祖父は白嶺に言った。
「白嶺、後悔のない道を選ぶんだぞ」
「どうしたのさ、藪から棒に」
水滴の滴るレインコートをハンガーにかけて白嶺が苦笑しながら振り返る。その位の返事で終わる他愛無いやり取りの一つと思っていたのも、祖父の顔を見るまでであった。
その表情を見てショックはあった。しかし、かつての衝撃よりはそれは小さいものであった。驚く自分と共に「嗚呼、あの顔だ」と冷静になる自分もいた。
また、たったの2度目ではあったが、直感的にそれがゴジラとそれに纏わる過去の事を思い出しているのだと感じた。そして、それはすぐに確認できた。
「ゴジラが大戸島に上陸したのも嵐の日だった。……もっとも僕はその時まだ東京にいたから直接見た訳ではなかったがね」
「そうかい」
白嶺はソファに腰を下ろし、相槌をうった。
その時はまだ白嶺もこの話が自分だけに話していることだとは考えていなかった。寿命を感じた祖父が過去の経験を家族に伝えたくなったのだと考えていた。
「嵐の夜に島に上がったゴジラは島を破壊した。その被災された方が陳情に来て、山根博士と共に恵美子さんや僕が大戸島に行った。ゴジラを見たのはその時だ」
「そして、ゴジラは東京にも来て街を燃やしたんだろう? 近代史のテキストに書いてあったよ。あと芹澤博士のオキシジェン・デストロイヤーも」
「そうだったな。……白嶺、この話は亡くなったお婆さんと先代も詳しく話していないことだ。お前以外の家族は誰も知らないことだ」
「え?」
「芹澤さんは戦争で隻眼となった。そして、恵美子さんとの婚約を解消した。戦前の恩師の娘と兄の様な弟子の話だから許嫁だった訳だが、少なくとも芹澤さんは恵美子さんを家族としても女性としても愛していた。ただ僕達と違って彼の愛は自己犠牲的でそして慈愛の深いものだった」
「恵美子さんって博士の娘とおじいちゃんは付き合ってたんだろ? しかも戦後10年も経った話じゃん」
「今の時代、白嶺はそう思うだろうな。僕らもそろそろ堂々と付き合う関係になっていい頃だと思ったよ。だから、山根博士に交際と将来的に結婚をするつもりだと話す算段を恵美子さんともしていた。……ただ、ゴジラによってそれは狂わされてしまった」
「山根博士はゴジラを学者として駆除でなく保護や研究を求め、おじいちゃんと口論になった。そして芹澤博士はオキシジェン・デストロイヤーによってゴジラを殺すと新たな戦争の種となる兵器になるから使いたくないって殴り合いの喧嘩をしたんだろ? 一度だけしか聞いてないけど、覚えてるよ」
「……そうか。でも、ゴジラの死後の話はしていなかった」
「そうだね。俺が聴いたのはゴジラの最期を芹澤博士以外で最も近くで観たのがおじいちゃんだってところまでだよ」
「そうか。……白嶺、いくつになった?」
「15だよ」
「そうか」
そして、今の白嶺になら話して良いかと自身で確認していくように、窓に吹き付ける雨粒が流れる様を見つめながら、祖父は当時の事を語りはじめた。
『尾形、大成功だ! 幸福に暮らせよ! さようなら! ……さようなら!』
しきねの船上で重い潜水服を身につけたまま、尾形秀人は無線器から返ってきた芹澤大助の言葉を聞いて、目を剥き叫んだ。
「芹澤さん! ……おいっ! 引き揚げろ! 芹澤さーんっ!」
肩に不安気な表情でしがみつく山根恵美子と共に尾形は必死に無線器に向かって叫んだ。
眼前の海ではオキシジェン・デストロイヤーによるものと思われる気泡が激しく湧き上がっており、山根恭平博士と彼が引き取った孤児の新吉が他の船員達と共に命綱と空気チューブを引き揚げる。が、命綱を引き揚げていた山根博士はそれを海上にまで引き揚げる前にその先に愛弟子の姿がないことを察し、一気に表情を陰らせた。無言で彼はナイフによって切断された命綱を揚げ終え、絞り出す様に一言、「芹澤……」とだけ呟く。
他の船の上では海上に顔を出して断末魔を残して東京湾の底へと沈んでいくゴジラを見届け、人類の勝利を讃えているが、尾形らのいる巡視船しきね船上ではそれと対照的に恵美子の泣く声が響き、汗と潮と涙が混ざったものが顔を流れるのを拭う新吉達、そして放心したまま腰を落とし、沈痛な表情でいる山根博士。そこにいる誰もがゴジラの死を喜んではおらず、芹澤の死を惜しんでいた。
泣き縋る恵美子に尾形は、芹澤の言葉を伝える。
「幸福に暮らせと言っていたよ」
それを聴いて更に泣き崩れる彼女を見ながら、尾形も芹澤の遺言を咀嚼し、自身の中に刻み付ける。
芹澤は尾形に言った。しかし、それは尾形を介して恵美子に向けた言葉であり、尾形には芹澤の分もその責を託されたのだと解していた。
いつの間にか海は静けさを取り戻し、粛々と安全確認などが行われる。その推移を見守る内に、保安隊員に促されて両舷甲板に整列する。その意味を知る尾形はまだ涙をすする恵美子の両肩を支えながら立ち上がらせて、その列へと加わる。
登舷礼式。船において、船外の者へ敬意を表す為に行われるものである。そして、この場合の“船外の者”は言わずもがなだ。船員は敬礼。それ以外の乗員は誰からともなく脱帽し、敬虔なる黙祷を送る。
「直レーッ!」
本来的に死への追悼、葬送としての儀礼であれば旧海軍の様に銃砲を放つべきであろうが、それを行わず登舷礼としたのは船長の判断であったが、尾形も賢明だと、港に着いた船から無言で降りる山根博士、恵美子、そして家族の死に際のように泣け叫ぶ訳にもいかず神妙にしている新吉を促し、毅然と彼らを陸へと帰す役を果たす中、尾形は思った。
人々の目には芹澤の姿がどう見えたか。ゴジラを討つ為に自刃した戦国の武将のような最期と見たか。ゴジラと心中をしたと見えたか。新たな兵器の秘密を抱えて生きることから逃げた自殺と見えたか。回天や特攻隊により家族を失った記憶がまだ新しい者達にはその姿と重なって見えたかもしれない。
そして、しきねに乗り、間近で彼の最期に触れた者は大切な人達の、否恵美子達家族の幸福の為というただ直向きな一点の目的を果たす為に彼なりに導き出した結論だったと一様に感じていた。幸福の為には、ゴジラを倒さねばならぬ、オキシジェン・デストロイヤーの秘密は隠し通さねばならぬ、故に芹澤はその両立のできる方法を含め、オキシジェン・デストロイヤーの使用を決めたのだ。あの日、あの時に。
何とも自己犠牲的な愛だった。
そんな芹澤に対して尾形は自身の醜さを呪った。
ゴジラと芹澤が最期を迎える瞬間、尾形は確かに一瞬、安堵した。
その安堵はきっとゴジラの死に対して抱いたものであった筈だ。しかし、刻々と経過する時の中でそれは曖昧に、歪んでいく。
果たして本当にゴジラの死に対してであったのか。想いの形はどうあれ間違いなく芹澤は恵美子を愛していた。古い習わしによる婚約ではあり、それが白紙になって久しくても芹澤は尾形にとってやはり恋敵であった。その死を知り安堵していなかったと確信を持てるはずがなかった。
その一方で、尾形と恵美子達にも芹澤という身近な者の死による喪失もまた次第に大きくなっていく。それは少なくとも恵美子が一生涯忘れることのない男として、彼女の中に存在し続ける。つまり、それは生者の尾形が永久に勝てない存在となってしまったことを指す。
「芹澤さん……」
昭和29年夏。人々を恐怖に陥れた世紀の大怪獣ゴジラは芹澤の命を代償に使用した悪魔の兵器オキシジェン・デストロイヤーによって倒された。そして、尾形達生き残った者達は芹澤の死という十字架を背負い、それは次第に呪いへとかわっていった。