「G」vsディアボロス




 私鉄の駅を降車し、20年程前に再開発された商店複合型マンションが建ち並ぶ駅前地域を抜け、徒歩10分。交差点を境に突然道幅が狭くなり、半世紀は愚か昭和中期から建て替えをしていないのではないかと思う古い家屋が肩を並べ始める。時折、肩身狭く真新しい住宅も散見されるが、車道ですらない路地に入るといよいよ景色がタイムスリップしてしまう。建築時期のマチマチな家屋により不揃いかつ雑多な印象の路地、そしてその先には錆び付いていつ崩壊するかわからない屋根に覆われた古いアーケードがまるで心霊スポットに扱われるトンネルのように闇を作っている。

「おはようさん」
「あ、おはようございます」

 アーケードの手前の木造民家の軒先にいた老婆が睦海に挨拶をする。睦海は少し驚きつつ挨拶を返し、アーケードの中へ入る。当然のように既に営業をしている店舗はなく、錆び付いたシャッターと交換する管理者を失ったアーケードの白熱灯がバチバチと点滅している。
 そんな陰湿な古びたアーケードを出ると路地は雑居ビルの裏側に突きあたる。かつてはその先にある車道と繋がっていたのだろうが、雑居ビルによってその道を塞がれたことが窺える。その袋小路に唯一門戸が向いているのが、路地の他の古い家屋同様に近年ではもう見る機会すらほとんどない築50年どころか70年すら経過しているかもしれない木造2階建てアパートだった。
 睦海が木製のドアをノックすると、部屋の中からドタバタ音が聞こえた後、ガチャンとドアが開き、白嶺が顔を出した。

「朝から悪いな。……上がってくれぇ」
「お邪魔します」

 睦海はお辞儀をし、部屋に入る。時刻は午前8時半。JOプラザでのクモ襲撃から2日後であった。




「もしかして……尾形さん?」
「……あー誰かなぁ? きっと他人の空似ですよ」

 白嶺そっくりのアバターは突然裏声になって無理のある誤魔化し方をするので、シエルは三八式から飛び降りて彼に詰め寄る。

「尾形さん! ……ですよね?」

 語気を強めたシエルに白嶺がビクッとすると、再度笑顔で聞くと、段々と言い訳が苦しくなっていく。恐らくリアルであれば汗をダラダラ流していることだろう。

「えぇーと、その……シエルさんは俺……じゃなくて、その尾形さんとはどのようなご関係で?」

 白嶺が絞り出すように言った言葉でシエルもはっとした。そうだ、今はシエルの姿なのだ。

「あ、そうよね。……いつも情災検討会議ではお世話になっております」

 その一言だけで彼の表情は変わった。恐らくこれが顔面蒼白をアバターで表現した表情なのだろう。中々珍しいものを見た。

「まさか、と、ととと桐城?」
「そんなに「と」は多くありませんが、正解です。って、それよりも、あのクモは一体? 尾形さん、何か知っているんですよね?」
「あ、あぁ。だ、だが、そうなると。じゃあ、桐城が? いやいやいや、そんな」

 どうやら自身の身バレした動揺と睦海がシエルだったことに対する混乱がまだ続いているらしく、白嶺は肝心の質問に答えない。後者は仕方がないにしても、前者は緊急事態だったという事情は汲めるが、素顔を晒していた彼の過失だ。
 シエルは嘆息して、再度白嶺を呼ぶ。

「はぁ、尾形さん! きゃあっ!」
「っ!」

 突然、瓦礫となっていた店舗跡が吹き飛び、先程と同じ姿をしたクモが二人の目の前に現れた。
 ただし、先のクモよりもサイズが小型であった。2メートルから3メートルといったところか。

「まだいたのか! 桐城!」
「わかっているわ!」

 シエルはすぐに三八式へ向かって体を向けると、それにクモは反応して、咆哮を上げる。

キュルキュルルルゥゥゥッ!

「マズイっ!」

 いち早く察した白嶺が叫んで、クモに向かって飛びかかるが、次の瞬間クモの姿はワープのエフェクトを残して消滅し、白嶺の手は宙を掴んでそのまま瓦礫の中に突っ込んだ。

「尾形さん!」

 シエルが驚いて駆け寄るが、白嶺はすぐに起き上がり、ウィンドウを表示させ、コマンドをズラズラと並べている。

「何しているの?」
「追跡だ! あのクモはJOプラザ内をアバターが別エリアに移動するのと同じように転送している。内部にいる間なら追いつけるが、外部に行かれたら追跡は困難になる! ……っ! ゲームコンテンツを次々に飛んでやがる! …………くっ!」

 シエルには理解できない内容だったが、どうやら白嶺は今のクモの追跡をウィンドウのコマンド入力で行っていたらしい。
 しかし、遂に追跡ができなくなったらしく、白嶺は悔しげに拳を地面に打ちつけ、ウィンドウを閉じた。

「尾形さん、あのクモは一体……」
「桐城、悪い。今は答えている暇がない。追える限り、調べられる限りのことをしたい」
「……わかったわ」

 シエルの返事を聞き終えたかもわからない内に白嶺はどこかへとワープしてしまった。




 


 そして一夜明けた昨日の午後。練馬駐屯地で睦海が2連休で溜まった仕事を片付けて遅めの昼食を摂っていると、本多がわざわざ食堂にまでやってきて電話だと知らせにきた。
 何事かと驚きつつ電話まで行き応答すると、白嶺であった。

『桐城、改めて昨日は助かったよ』
「尾形さん? 部下が慌てて呼んできたので、何事かと思いましたよ」
『あぁ、あのトッツァンね。いや、防衛省の本部の番号にかけたら、居ないの一点張りでどこにいるとも何にも教えてくれなかったからさ。その番号でかけさせてもらったんだよ』
「その番号? ……エッ!」

 その番号は外線でなく、内線化された番号であり、防衛省統合幕僚本部の緊急回線の番号だった。

「何してるんですかぁ! ちょっとコレ、冗談じゃ済まないですよ!」
『本当に回線をジャックしたらそうだろうけど、実際はただの外線発信だよ。表示番号だけその番号にしているだけさ。それっぽい演技も必要かな? って思ったんだけど、あんたの部下は優秀だな。応答した時点で何処からの電話かわかってたみたいで、「桐城一尉を」って一言伝えただけで、「すぐ呼んで参ります!」って取り次いでくれたよ』

 他の部下なら取り次ぐ以前にパニックになっている事だろう。それとも、ある程度睦海の特殊な事情を知っている本多だからこそ騙されたとも言えるかもしれない。
 通常の感覚であれば、統幕から直接一尉へ連絡が来るはずがない。番号を知っているのは、有事のマニュアルの中でも最も危惧すべき2009年の様な同時多発的に複数箇所で怪獣が出現した場合の対処の中に、統幕との直接回線での情報共有があり、即応特派隊員はこの番号をいざと言う時の為に頭に叩き込んでいるからだ。

『しかし、桐城は一体何者なんだ? 大抵メアドか電話番号か住所のどれか一つ位は見つかるんだが、全く見つからない。絶対にあるはずのデータも他よりも比べ物にならない程に高度なセキュリティが施されている。……どっかの王族か?』
「色々あるのよ」

 主にG対策センターだが、睦海の個人情報は世界最高クラスのセキュリティを施されているらしい。流出した情報も数分で完全に削除されている。特にシエル関連は極端で、シエルと睦海を結びつける情報は全く見つけられないようになっている。

『……ところで、怒ってるか?』
「え? 別にあの状況だったら、クモの追跡が最優先なのは私もわかったわよ」
『……あぁー、そういうことね。うん。そうだった』
「何一人で納得しているの?」
『んや、つまりはあのクモについてね。そう、そうなんだよ。あのクモについてなんだが、後で伝えると言ったから』
「それでわざわざかけてきたの? 尾形さん……意外と律儀ね。方法は褒められないけど」
『うっ……まぁ、いいか。桐城はあのクモを倒したってのもあるし、同じ検討会議の委員だ。できれば協力をして欲しい』
「いいわよ。協力するわ。尾形さんも知ってることを教えてくれるんでしょ?」
『あぁ。ただ電話では話せない。家に来れるか?』
「尾形さんち?」
『そうだ』
「……いいわ。今日がこのまま夜勤で、明日が非番だから。何時がいい?」
『早めの方がいい』
「そ。では、明けてそのまま行くわね」
『寝ないのか?』
「一日くらいなら問題ないわ」
『流石はレンジャー様』

 白嶺は苦笑しつつ、住所を睦海に伝えて終話した。
 そして、翌朝睦海は白嶺の暮らすボロアパートを訪れた。




 


「……つまり、あのクモがネットワーク障害を起こしていて、それを尾形さんは追っていた」

 睦海は白嶺の部屋の畳に腰を落とし、出されたコーヒーを飲む。
 隣の部屋の襖から布団や端末のコードがはみ出ているのをチラリと見つつ、睦海は向かいに座る白嶺から鈴代より受けた依頼の話を聞いた。
 睦海は仕事の帰りなので、フォーマルなスーツ姿だが、家に居た筈の白嶺も襟がピンとアイロンのかかったワイシャツとズボン姿であった。あえて指摘するつもりもないが、どうしても朝帰りのホストに見える。

「そういうことだ。で、今回のことでクモか自律型であり、かなり高度な学習能力を有することもわかった」
「学習能力?」
「そうだ。桐城がガンヘッドへ向かおうとしたら、2匹目のクモは逃げただろ」
「そうですね。……そっか、学習しなかったら、一匹目と同じように戦闘になっているのね」
「そうだ。そして、単純な学習でなく、推測を立てて判断する能力がある」
「どういうこと?」
「2匹目は1匹目より小型だ。つまり、1匹目が勝てなかったガンヘッドに自分は敵わないと推測し、離脱が最善と判断したんだ」
「確かに単純な学習ではないとわかるわ。でも、そこまで複雑な話でもないと思うけど」
「そうだな。確かに。……ただ、桐城の視点だと気づかなかったと思うが、あのクモは二匹とも同じような行動をしているんだ」
「というと?」
「一匹目は俺をガンヘッドから引き離す動きをし、二匹目も咆哮を上げ、桐城へターゲットを移したが、逃げた方が良いと判断して逃げた節がある。それに逃げ方も追跡を逃れるように次々とワープを繰り返した」
「つまり、尾形さんはクモが三八式を脅威と予想して行動を決めていた。……人工知能と言いたいのですね?」
「そういうことだ。……少なくとも男の部屋に警戒せずに入る奴よりもな」

 何だか白嶺が苛立ちながら言う為、一瞬「?」を浮かべたものの、すぐに彼が睦海のことを言っていると気づいた。

「ああ、私のことですか? あの、残念ですけど、尾形さんに腕っぷしで負けるつもりもないですし、一応テロ鎮圧も専門部隊とは比べ物になりませんけど訓練をしていますよ」
「神経ガスを撒かれたら? コーヒーの中に薬を盛られたら? 直接触れずに自由を奪う術はあるだろう?」
「まぁ、それは考えられますけど、尾形さんがする訳ないでしょ?」
「なんだよ、その自信」

 白嶺が睦海の回答に眉を寄せるが、睦海は平然とした顔で答える。

「女の勘です。尾形さんはそんな酷いことしません。わざとそんなことを言う口の悪さというか、性格の悪さというか。そういうところはありますけどね」
「……ふん」

 白嶺はそっぽを向くが、顔が赤い。照れたらしい。
 そして、話を戻すように咳払いをしてから白嶺は再び口を開いた。

「あのクモが高度な人工知能であるとすると、俺の追跡を逃れたことも納得できる」
「大した自信ですね」
「まぁな。そして、あまりにも優秀過ぎるというのはむしろヒントになる。……といっても、人工知能は俺の専門外だからな。専門家に意見を求めるべきだろう」

 そう言い白嶺は立ち上がった。それがどこかへ出かける為に立ち上がったことは睦海にもすぐにわかった。

「どこへ?」
「東都大学だ」
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