「G」vsディアボロス
8年も前の話だ。当時24歳でまさに機甲教導連隊2年目の2038年。後に睦海の愛機と云われる様になる三八式可変装甲戦闘車が配備され、そのパイロットに睦海も選抜、養成されていた頃であった。
「絶対にムツミンはやっといた方がいいよ! 噂じゃ海外の専用サーバーだと傭兵がトップランカーらしいよ。職業柄ミリタリーに目覚め始めたって前に言ってたじゃん! 再現度も中々らしいから、古今東西の軍隊で使われた兵器や武器を操作できるよ!」
そんな誘い文句で梨沙からフルダイブVR用の端末とセットで勧められた。2年目の1月分の給料くらいが軽く飛んでしまう程度の価格の機器をゴリゴリと推してくる。
嫌な予感がして梨沙を問い詰めると、相変わらず趣味に散財をする性分は健在らしく、給料日直後にも関わらずパンの耳を並べた皿にカツ風の駄菓子を卵とじにしたものを乗せた『カツ丼風カツサンドもどき』や何も薬味を入れない素素麺などを食べていた。勿論、睦海は笑顔で梨沙に栄養バランスの良い食事の大切さを講義した。
そして、計画的な預貯金管理をしていた睦海は一括払いの決済で端末一式を買い揃え、寸暇を見つけては遊び始めた。
当時まだJOプラザと独立したインストール型の専用プラットフォームを用いたオンライン配信ゲームであったWFOは、今ほどキャラメイクが細かくなく、自身の容姿に似せるメリットも特になく、加えて洋ゲー特有の現象で、東洋人風のキャラメイクをすると何故か不細工になるというデメリットすらあった。その結果、千差万別ながらある意味皆髪色などの一部分以外は実際の容姿に似せる傾向のある今とは真逆の現実にはまずいなそうな巨体や小人、獣人風などバラエティに富んだアバターが多かった。特に獣人風の外見にすると不思議と不細工さが改善されるというメリットがあり、人気となっていた。
睦海も例外ではなく、またシエルに似せるという発想も無かった為、動かし易い様に身長などの体型だけ睦海のリアルに合わせて作成し、外見は可愛かったからという単純な理由で猫耳の獣人風キャラにした。名前も『mutuneko』と思いつきで付けた名称だった。
『ムツミン、ごめん! 今日、オジ様同士の顎クイコスプレイベントがゲリラ開催されるってぇ情報を入手して、私は駆けつけねばならぬ! ではっ!』
意味のわからない連絡のみを残して梨沙が音信不通となってしまった睦海は一人でフィールドへと出ていた。
「っ! しまった!」
東南アジアの遺跡をモチーフとした森林と石造の寺院のエリアで睦海は落ち葉の塊に取り囲まれていた。サイズは2メートル程。全身が落ち葉を身につけた短い手足をつけた楕円形の蓑虫の様な容姿に横長の焦点の合わない目が二つ並ぶエネミー。名前はモリンゴ。デザイナーが植物型のエネミーとして、かつて日本の万博のPRキャラクターを参考に作ったと告白している。茶色の落ち葉と枝や蔓が絡まった手足と胴が割れる程の大きさになっている口と、元ネタとの差別化は図られているが、訴訟されても文句の言えないギリギリのデザインのエネミーである。
それが8体。睦海のアバターを取り囲み、低い呻き声の様な鳴き声を上げ、短い両腕を前に伸ばして迫る。
オロロォォンオロロォォン……
「まずいわね。何とか離脱しないと……」
まだゲームを始めて間もなく睦海にとっては、非常に危険な状況であった。
そんな時、メーサーライフルによる光線がモリンゴの一体を射抜き、炎上させた。
「!」
睦海が視線を射撃地点に向けると白狼風の外見の男性獣人アバターがメーサーライフルを構えていた。
「動くな、間違えて攻撃しちまうからな!」
モリンゴの注意を自分に引きつけると、自身に迫るまでの間に次々と武器を出現させる操作を行い、足元にどんどんドロップさせる。
そして、「こんなものか」と呟くと、足元の武器を手に取って攻撃をし、それを捨てるとすぐに次の武器を拾って装備、攻撃を繰り返す。
次々と消滅していくモリンゴとアバターを睦海は眺めていたが、ただ呆然としていた訳ではなかった。初期の入手武器は攻撃速度やクール時間の短さと威力が必ず反比例するように調整されている。多くのゲームで採用されるバランス調整の一つだ。高威力の武器であればモリンゴは一撃で倒せるエネミーで、連射性の問題を装備武器自体の解除と、拾った武器の装備によって解消していた。様々なゲームで昔から用いられてきたキャンセルコンボだ。それを今、睦海は見ながらコンボで繋ぐタイミング、リズムを学び取ろうとしていた。
オロロォォン!
「よしっ!」
睦海は近づいてきたモリンゴの一体に対峙すると、装備していた散弾銃を頭上に投げ、モリンゴに体術系の連続技を繰り出す。威力が小さい為、モリンゴを圧倒することはないが、確実に押していく。
そして、連続攻撃の上限回数になったタイミングで落下してきた散弾銃を装備、キャンセルコンボを利用して、散弾銃を発砲した。
オロロォォォ……
モリンゴは後ろに吹き飛び、そのまま消滅した。
「やるじゃないか! 俺のを真似たのか?」
「は、はい。見よう見真似ですけど」
正面から見ると白い狼男の様なアバターは、睦海を讃えながら近づいてきた。
頭上のアバター名は『HAKURO』。ハクロウ、白狼。……そのままだ。
「ムツネコさん? で合ってるか?」
「はい。ハクロウさん」
「うん。今のコンボは見事だったけど、装備もパークも初期っぽいところを見るとまだ始めたばかりか?」
「はい。友達に勧められて一緒にやってたんですけど、今日初めてソロで出たらこんな目に」
「まぁ、モリンゴは近づくまで落ち葉の山と区別がつかない罠系。ミミックポジションのエネミーだからな。これも経験だと思いな」
「ハクロウさんはWFO、長いんですか?」
「まぁ素人ではないか。……洋ゲーには時々あるんだが、元々有志のプログラマーが組んだフリーインディーズのゲームを丸ごと買い取って改めて市場競争に耐えられるだけのものに直して製品としてリリースし直すってのがあるんだ。2ヶ月無料体験後、月額や売り切りとして契約するって形式なら、無料で遊んでいた元のゲームのユーザーも入りやすい。……実はWFOもその一つで俺はそのフリーインディーズ時代からやってるクチだ」
「知らなかった。じゃあ、ハクロウさんは最古参なんですね」
「……あ、まぁな! ……ってもアプデの度にどんどん変遷を続けている成長期、過渡期の真っ只中のゲームだから、ほとんど最初期版の面影はないけどな」
「そうなんですね。……あの、さっきのコンボみたいなテクニックって他にもあるんですか?」
対人戦もテーマの一つとなっているこの手のオンラインゲームでは、ゲーム内で親切なプレイヤーは少なく、むしろゲーム外の交流の場で丁寧に説明をしてくれる場合が多いのだが、睦海は何となく彼なら教えてくれるかもと期待をして問いかけた。
一瞬、驚いた顔をしたもののすぐにハクロウは頷く。
「そうだな。簡単なものならスタンキャンセル。格ゲーと同じなんだけど、わかる?」
「えぇ。でも、どういうモーションが有効なのかはわからないです」
「いや、それを知っているならほとんど教えるって程のことでもない。このゲームはデザインそのものはMMORPGで、ルートなどの育成システムを採用しているが、根底にあるベースはFPSの対人射撃ゲームと格闘ゲームだ。防御や攻撃モーションと同じモーションにあるものを上乗せすることで、被ダメのスタンはキャンセル可能だ。そして、意思入力の場合は、ルーティンさ。特定のモーションと思考のチャンネルを紐付けると、デバイス側もそれが一つのアクションとして保存される」
「アピールモーションのコマンドを登録しておくのと同じね」
「かなりゲームをやり込んでるな? しかも、10年以上前の。……俺より歳上か?」
「リアルを聞くのはマナー違反よ」
「そりゃそうだ。それにこれでネカマと分かるとテンションも下がるからな」
「じゃあ、ネカマかもしれないと思って、ご指南下さい」
ハクロウは多少冗談を言いつつも、睦海の面倒を見てくれるようになった。
「師匠、JOプラザへのサービス移行が正式決定したってニュース、見ました?」
「んあ? あぁ春の予定らしいな」
梨沙がまもなくJOプラザでリリースされた別タイトルへ移って、WFOから早々に引退してしまった後も、睦海がログインした際にハクロウが入っていた場合はすぐにメッセージが届き、狩場の案内やレア装備のドロップ場所、周回方法などの手解きをしてくれるようになり、睦海がハクロウを師匠と呼ぶようになるまで時間はかからなかった。
季節はいつのまにか夏、秋と過ぎ、2038年冬となっていた。リアルの睦海は既に機甲教導連隊で三八式をAIのサポートなしで最高スペックを引き出す快挙をなし、彼女の周囲がにわかに騒がしくなってきた頃であった。
一方でハクロウもこの頃はログイン頻度が減り始めたおり、何かリアルで忙しい状況となっているらしいことを睦海も感じ取っていたが、互いにリアルのことは話さないというルールを守っており、一切詮索はしていなかった。
「アバターが複数所有可能になってしまうって荒れてたよ」
「あー、JOプラザ内なら基本的にアバターは同期されるから、一人一アカ一アバターだからな。でも、アレは厳密にいえば一アカ一アバターという紐付けだから、端末を複数持てば複数アカウントとアバターを保有することも可能だぞ」
「でも、あまりメリットないよね?」
「単純に環境費用2倍、データの互換はクラウドでアカウントと紐付いている都合で不可。別人になりすましてログインができるってくらいだな。設備費はネカフェとか使えば節約可能だけど、その場合はゲスト扱いか端末制限なしのアカウントで購入する必要がある。……WFOをやる場合なら、お試し、本当に息抜き程度のプレイングくらい現実問題難しいだろうな」
「だけど、今のアバターとJOプラザのアバターが存在している場合はどうなるんだ? ってネットで騒いでるよ」
「そりゃ基本的にJOプラザ側のアカへ紐付け、統合だろうな。持ってなければ、こっちのアカを持ち込める……ってところか? 攻略の基本データは引き継ぎ可能ってのは確定として、アバターの外見は恐らく不可能、または一種のスキンセット扱いで変更可能になるってところだろうな」
「なるほど。……師匠はどうする? ハクロウのまま?」
「さぁな……」
「まぁ、師匠の場合はプレイスタイルの癖が強いから別アバターでロールしてても分かると思うよ」
「そうか?」
「うん。あんなフィールドや相手の特徴を利用して罠にはめる戦法とパークに頼らない装備とパターンの暗記だけでやる出鱈目な戦闘スタイル、師匠くらいしかいないよ」
「パークに頼らないスタイルはお前もだろ」
ハクロウに指摘され、睦海は頭の猫耳を揉み揉みさせながら、唇を尖らせて答える。
「まぁ弟子ですから」
既に単純な操作技術だけでいえば睦海は師を超えており、特にリアルでも訓練経験がある格闘、小銃、機甲特車の操作に関しては最早パーク補正の為に生じる僅かなラグが存在しない分、通常のビルドよりも優位な戦闘が可能になっていた。
まだランキングシステムが不十分であった為、二人の存在が目立つことはなかったが、近日発表される年明け開催予定の第一回WFO大会に出場すれば、二人が一気に注目を集める上位入賞となるのは間違いなかった。
「……そうそう。大会に先立って、年末にGフォースの過去装備が実装されるらしいよ」
「そうらしいな……」
「メカゴジラとかも出すつもりなのかな?」
「……流石にそれはないだろ。あってもイベント用だろうな。デカ過ぎて、エネミーと立場が逆転するし、PVPもまともに成立しなくなる。それこそ、メカに乗り込むの前提のエリアを用意するってのが妥当なところだな」
「そっかー。一度でいいから、1号機のガルーダとかランドモゲラーを操縦してみたいなとは思ってたから」
「ははは。お前なら俺よりも乗りこなすだろうな」
「でも、師匠なら私の操る機体を落しそう」
「おー落とすさ。っても、俺の弟子が俺以外の奴に落とされるとあっちゃ困るけどな」
「言いますね。まぁ私も師匠以外に落とされるつもりもありませんし、……それに師匠は私にとって2人目の相棒ですから」
「おーおーそりゃ1人目の相棒さんに嫉妬しちゃうな」
ハクロウが笑って言った。恐らくそう言うロール、つまり役の設定にしていると思ったのだろう。あえて睦海もそれに乗っかる。
「そうですよ。世界滅亡の危機に私とたった二人だけで挑んで2メートル近くある虫とか怪獣を戦っていた親代わりの相棒なんですから」
「そりゃ今日まで知らなかったわ」
「当然です。話してませんでしたから。……それにその相棒と一緒にいた時の出来事を知っているのはこのムツネコだけなんです。だから、おじちゃん……相棒っていうのは、私にとって友達や恋人、ううん。それ以上の家族みたいな意味なんだと思います」
「じゃあ、光栄だな。……それと3人目の相棒はこっちだけじゃなくてリアルでも見つけるんだぞ!」
「余計なお世話です。大体、リアルのことは……師匠?」
唐突に睦海から離れ、背を向けて立ち、上を見上げるハクロウの違和感に気づいた。そういえば、今日は何かおかしい。リアルの事をチラチラと仄めかすし、冗談まじりだがどこか改まった話題をしている。
ハクロウはしばらく上を見上げた後、「あぁー!」と言いながら、犬耳のついた髪を掻きむしる。
「……お前に言わないといけないことがあった」
「何でしょうか?」
「……WFOを今日付けで引退することにした」
「……そうですか」
睦海はそれが冗談でなく、本当のことだとすぐにわかった。だから、詮索もせず、ただ受け入れる。
「お前には本当に悪いと思っているが、理由も話せない。ただ、黙っていなくなるのは違うと思って、ここ2日間、お前が入ってくるのをずっと張ってた」
「だから、寝不足で反応が悪いんですね。それなら、メッセージでいくつか日程候補を送ってアポ取りすればいいじゃないですか」
「うっ……。それはその……、別れの挨拶をするのにわざわざ呼び出すってのが」
「変なところで律儀ですね。というか、不器用ってだけか」
「返す言葉もない」
「まぁいいですよ! もう戻ることはないですか?」
罰の悪い顔をするハクロウに睦海はグッと顔を近づけて問いかける。
「それはわからない。が、多分かなり先だろうし、アバターも変わる筈だ」
「あぁ、それは大丈夫です。さっき言ったように、師匠のプレイングは一目で分かるので」
「随分と自身あるんだな」
「えぇ。それとさっきの話ですが、私もJOプラザは引き継ぎをしないで、アカウントを作る予定に今なりました。とっておきのアバターを作るつもりです。なので、復帰したら師匠は私を見つけて下さい」
「わかったよ。だけど、多分引退していると思うぞ」
「じゃあ、賭けますか?」
「何を賭けるんだ?」
「んー、何か一つだけ言うことを聞くってのは? ……あ、エロいのとかはなしですよ」
「金は?」
「それもなし! 倫理観の高い理性的なものということで」
「わーったよ!」
「じゃあ、成立で。師匠が私を見つけて、見事に私だと当てることができたら師匠の勝利。私が先に気づいたら私の勝利で」
「それだとお前の方が有利だろ。俺のプレイングには癖があるんだろ?」
「じゃあ、師匠が気づくまで私は黙ってます。ちゃんとヒントを出すようにしますよ」
「それなら俺が勝利するかいつまでも終わらないかどっちかじゃないか?」
「基本的にはそれでいいじゃないですか。どうせ再会の口実なんですし。まぁきっと師匠はいつまでも気づかなかったことへの良心が痛んで自ら敗北を宣言するでしょうけど」
睦海はニヤニヤと笑って言った。
ハクロウは嘆息をつき、睦海に指を突きつける。
「じゃあ、絶対に見つけてやる! だから、引退して賭け不成立にするなよ!」
「望むところよ!」
そう言い、まもなくハクロウはログアウトをし、二度とハクロウがWFOに現れることはなかった。
ハクロウが去って2年。睦海はシエルとして一から作り上げたアバターで頂点に立ち、師匠の帰りを待ち続けた。
そして、それは唐突であった。一度目は三八式で奇襲を受け、二度目は大会で。一度目の時は可能性程度であったが、二度目はその独特な戦闘スタイルから確信に変わっていた。ハクロウはハクベラとして戻ってきた。
しかし、それ以降、何度も互いに勝負をしてきたが一向にハクベラがシエルをムツネコだと指摘する気配がなく、月日が経過した。この頃は既に即応特派が本格的に始動しており、不定期なログイン頻度となっていたこともあり、そもそもハクベラと同時間帯に同じサーバーへ入ること自体が稀ということもあり、二人の交流自体が大会の場にほぼ限られていた。
それでも、ハクベラもシエルを特別視している様子はあり、互いに他者交流をほとんどしないソロプレイヤーであるものの時折顔を合わせると交流はなされていた。シエルが内心でこの程度ならヒントで出してもいいかなどと考えつつ、「自身が古参のプレイヤーであること」や「パークに頼らないスタイルのビルド」などを話しているが、ハクベラは「昔少しだけ触ったことはある」くらいにしか返さなかった。何処か余所余所しい印象を持ちつつも自然体で話すその口調はハクロウとやや異なる。
一年程経過した頃に睦海は四つの仮説を立てた。
①全くの別人
②本当に気づいていない
③忘れている
④気づいているが指摘できない
①なら睦海にとっては赤っ恥もいいところだ。また、もし本当に気づいていないなら万死に値する鈍感振りであり、忘れているとしたら最早記憶喪失か認知症を疑うレベルなので、②と③ならとりあえず冷静に病院を紹介するべきだろう。そして、④なら如何なる理由を並べようと「ヘタレ」の一言で一蹴できる話だ。
万が一にも②や③だったらと多少は不安になるが、それなら何かしらサインがある筈だと研修で聴いた話を思い出して、一人頷く。①についてもやり取りの中で決定的な判断材料がいずれ見つかる筈だ。
もっとも、いくら似た者でも別人と考えのが自然なはずだが、どうしても睦海は彼を別人と思えなかった。睦海は直感的に④のヘタレだと考えていた。
しかし、いずれにしても自分からは明かさないとシエルは決めた。この賭けが終わるのは、ハクロウがムツネコへ敗北宣言をする時なのだ。
「ふふん。唯一無二のシエルのライバル、ハクベラ。何年だって待ってあげるわ! ……帰ってきなさい、師匠」
シエルは荒野で夕日に向かって宣誓した。
そして、特に何もなく6年が過ぎ去った。
流石にそれだけの時間が経過すると、最早睦海も賭けなどどうでも良くなり、ハクベラの正体が誰でも良く、睦海が勝手に彼をハクロウだと結論付け、シエルがWFOにログインし続ける目的の一つにハクベラを賭けでなくゲーム内で敗北させることも加わっていた。
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「ねーねー何か秘密あるんでしょ? おーしーえーてーよー」
「しつこいなぁ。梨沙、お酒飲んでる?」
洋服店が並んでいるエリアでショッピングをしながらも梨沙はしつこくシエルにハクベラのことを聞いてくる。妙に勘がいい梨沙は睦海がハクベラに対して何か隠していることがあると察しているらしい。
「飲んでて悪い? 花嫁って忙しいのよ。ムツミンが茉莉子と仲良くお酒を飲みながら談笑していた間、私はケーキ入刀したりドレスを変えたりで、まともに飲めなかったんだから。夜は夜でずっとハクベラのリサーチよ!」
「だから、それは新婚初夜にすることじゃないでしょ」
「ちなみに、あまりに情報が出なくて途中から旦那もガチになって検索しまくってました」
「……仲がよろしくて安心しました」
「どうもです」
そんな事をしていると、隣のコスメストアのエリアが騒がしくなっているのにシエルは気がついた。
「何かな?」
梨沙も通りへと出て行く。シエルは怪訝な顔をしつつ、視界にはウィンドウを表示させ、素早くSNSやJOプラザの掲示板を検索する。投稿されたポリゴンのクモの画像が見つかった。
「!」
「ちょっ! ムッツミーン!」
梨沙の声を背に残し、シエルは人混みをかき分け、壁際に沿ってコスメエリアに向かっていく。
「えっ? 三八式?」
近づくと人垣の先でミニカーが三八式ことガンヘッドが見慣れた迷彩塗装でなく、メタルグレーの基本塗装に変化した。
直前にはエリアを囲うように緑色の編み目状の光が出現した。画像のクモ以外にも何かが起きたのは間違いない。
「すみませんっ」
人をかき分けると、クモ型の怪物が三八式の手前にいた男性アバターを飛ばすのが見えた。
クモは男性アバターを追って三八式から離れ、咆哮を上げる。
キュルキュルキュルキュルルルゥゥゥッ!
男性アバターのいるコスメストアをクモは襲うが、どうやら彼も抵抗をしているらしい。
「……よし!」
何が起きているかはわからないし、理解も追いついていない状況ではあるが、はっきりとわかっていることもある。
誰かがクモと戦っていることと目の前にシエルなら使える武器があることだ。
シエルは真っ直ぐ三八式に向かい、乗り込んだ。WFOと同様の仕様になっている。これなら問題ない。
「三八式、起動!」
三八式は起動、モニター越しにクモを捉える。
シエルはグリップを握り、三八式が動く。
キュルキュルキュルキュルルルゥゥゥ……キュルッ!
クモの背後を取った三八式はマニピュレーターでクモを横へと薙ぎ払い、建物に叩きつける。
「このまま、いける!」
シエルはグリップを押し込み、三八式のマニピュレーターはクモを掴んで建物に押し付ける。
照準を合わせる必要もほとんどないが、チェーンガンの照準は目の前のクモに合っている。シエルは躊躇わずに、トリガーを引く。
「まだだ!」
三八式はマニピュレーターでクモの脚を掴み、左から右へと腕の振りと脚部の駆動モーターを動かし、クモを右へと投げ飛ばす。
「とどめよ!」
三八式はクモが地面に着地するよりも早く、右側の後部発射台から六連装地対地ミサイルを発射。落下と同時にミサイルがクモを襲う。
更に、追い討ちに左側の後部発射台からビームキャノンが発射され、クモの頭部を粉砕し、そのまま胴部まで串刺しにビームが貫通した。
クモはバラバラと強化ガラスが砕けるかの様に細かい粒となって粉砕し、その粒も更に細かく砕け散り、四散した。
「ふぅ……」
シエルは息を吐き、座席にもたれかかる。すると、三八式の前に近づくアバターが見えた。さっきの男性アバターらしい。
何か言っている様子であり、事情も知っている様子だった為、シエルは操縦席のハッチを開き、外に出る。機体の上に立ち、シエルは髪を振り払うと、男性アバターへ視線を落とす。
そして、そのアバターを見て、シエルは眉を寄せ、次第にその目が大きく見開かれていく。知り合いによく似ている。というか、髪の色が違うだけなので、本人だろう。
「もしかして……尾形さん?」
シエルの言葉を聞いて、白嶺そっくりの容姿をしたアバターもまた驚愕した。