Z -「G」own path-




 茉莉子は足場の悪い岩場を抜け、集落へ繋がる小道を歩いていた。日没が近づき、僅か10分足らずで急に周囲が薄暗くなっていた。
 携帯のライトで足元を照らしながら、未舗装の道を歩く。後五分ほどで祖母宅に到着できるので、レイモンドを待たせずに済みそうだ。

「でも、一体どうしたのかしら」

 突然の連絡だけでなく、自分の居場所をまるで知っていたかのように20分で来るという。一体どういうことなのか問い質したいところだったが、レイモンドがわざわざ会いに来るという驚きもあって、舞い上がったのだろう。つい、聞き忘れてしまった。
 それも直接会えば聞けることであるし、そもそも睦海達はいいのか? などいろいろな疑問もある為、電話越しで聞けるほど茉莉子も人間はできていない。聞きたいことがありすぎて思考がまとまらなかった。
 ただ、一つ得られた収穫もある。わざわざ自分に会いにこんな田舎の家まで駆けつけてくれるのだ、これは所謂脈ありではないか? 夏美が言っていたように、こちらが選ぶくらいの余裕をもった態度で、キープをするくらいでも大丈夫なのではなかろうか。誰に対して誇るものでもないが、茉莉子は自分にステータスのある一段上の女というイメージを重ね、少し鼻が高くなる。彼氏がいないことなどの焦りが別にあるわけではないし、来年大学受験を控えている立場もあり、彼氏が欲しい訳ではない。恋人にできそうな「キープしている男がいる」という表現に夏美や睦海なども含めた同世代の女子に対しての優越感が茉莉子は浸っていたのだ。

「あ……そうだ、ここを抜けるんだった」

 舞い上がっていた茉莉子は鼻をつく悪臭に顔をしかめ、現実に引き戻される。
 そこは昼間土葬を行った墓地だ。昼はなかった悪臭が墓地一体に溜まっている。やはり老人たちが言っていたように、動物の死骸が近くにあったらしい。
 顔をハンカチで覆いながら、墓地を抜けていく。昼間は見晴らしの良い広場であったが、谷間にあることも加わり、非常に暗く、生い茂った雑草も背が高い為、全く印象が異なるものであった。そして何よりも歩きにくい。迂闊に転んで万が一倒れた先が墓穴だったら悲惨でしかない。流石に墓穴が空いていることはないだろうが、自分の舐めた土の下に土に還ったご先祖様がいると考えると平気ではいられないだろう。
 茉莉子は慎重に足元を確認しながら歩く。

「ひぃっ!」

 草木が揺れるだけでも驚く。薄暗い墓地に一人。落ち着いて歩ける訳がない。
 反射したライトの光も火の玉に見える。風か小動物かが動いただけでもオバケだと思う。当然ではないか。
 日没になる前に戻らなかった自分が悪いのだが、この恐怖には当てのない苛立ちと怒りでしか克服が困難らしく、一々聞こえてくる音に悪態をつく。

「全く! 出るなら出なさいよ!」

 そんなことを叫ぶと、本当に地面の下から突然手が生えて茉莉子の足を掴まれた。

「きゃぁぁぁぁああああああああっ!」

 気絶できたらどれだけ楽であったことだろう。
 残念ながら、半べそで悲鳴を上げたものの気絶はできず、しかも咄嗟にライトで自分の足を確認してしまった。
 自分の足は地面から生えた骨ばった手に掴まれており、更に地面が盛り上がる。

「アアア……」
「ぎゃああああああぁぁぁっ!」

 もはや乙女の叫び声ではない。単なる絶叫だ。
 地面の中から現れたのは、皮膚や肉が腐り、悪臭を放つガリガリに痩せ細った老人のゾンビであった。見知らぬ顔の老人だが、先週にもこの墓場で土葬があったという話を思い出した茉莉子は自分が現実逃避をしていることを理解しつつ、否応なしに引き戻される現実に悲鳴を上げながら、自分の足を掴む手をもう一方の足で蹴り飛ばす。
 なかなか手は離れず、老人ゾンビは地面から這い出て、茉莉子の太ももにもう一方の手を伸ばす。

「いやぁぁぁぁあああああっ!」

 無我夢中で近くにあった古い墓石らしい30センチほどの丸石を掴み老人ゾンビの頭に投げつけた。火事場の馬鹿力だったのだろう。
 直撃を受けた老人ゾンビの頭は鈍い音を立てて石の下敷きになる。同時に足を掴んでいた手が離れた。
 慌てて立ち上がった茉莉子は、地面に落ちている携帯を手に取る。

「ホ、ホラー映画? え? そう、夢よ。これは夢よ……」

 混乱する頭に手を添えながら、携帯で地面を照らす。老人ゾンビのいる場所でなく、祖母宅のある方角の地面だ。すると、人の足が明かりに照らされた。
 茉莉子は助けを求めようと顔を上げ、ライトを向けた。

「た、助けて……へ? おばぁ……」

 そこに立っていたのは、本日埋葬されたはずの祖母であった。
 茉莉子の思考が一瞬、停止する。
 しかし、土で汚れた死に装束を着た祖母は茉莉子を虚ろな目で見つめ、低く呻き声を上げてその両肩に手をのせた。

「アァアア……」
「あぁあああああああーっ!」

 思わず、叫びながら茉莉子は携帯を握った手で祖母の顔に右ストレートパンチを放つ。

「アァ……ッ!」

 祖母ゾンビはクリーンヒットしたパンチに飛ばされ、草むらに倒れる。
 茉莉子はその右手を見て、小さく「ヒィッ!」と悲鳴を上げつつ、墓地から逃げ出した。



 
 

 祖母の家に駆けこむと、母親が驚いた顔で玄関にやってきた。

「茉莉子、どうしたの?」
「お、お、お……」
「お?」
「おばあちゃんが、土から、アァって、動いてて」
「何言ってるの?」
「だから……」
「イノシシだぞぉ!」

 玄関に座り込んで上手く説明する言葉が出ない茉莉子に母親が怪訝な顔をしていると、家の外で老人が叫んだ。
 それを聞いて、家の奥で戸棚の荷物をひっくり返す音がしたかと思えば、叔父さんが猟銃を持って玄関に飛び出してきた。

「おい、お前は茉莉子を連れて家の中へ! ウチのに雨戸は閉める様に言っておいたが、手伝ってくれ!」

 そう言って玄関を叔父は飛び出していく。

「……っ! ダメ! 外は」
「大丈夫よ。兄さんは猟友会の地区会長をやっているから」

 その言葉を裏付けるように、すぐに外で銃声が聞こえた。
 しかし、その直後に老人たちの叫び声が聞こえてきた。

「なんじゃこりゃ!」
「呪いじゃあああっ!」
「これがホンマの祟り神じゃぁ!」
「撃て撃てぇぇぇっ!」

 続けざまに銃声が聞こえ、静まる。
 そして、玄関の戸が開き、叔父が血相をかいて戻ってきた。

「ダメだ! ありゃ化け物だ! 何発銃弾を受けても死なないどころか、肉も腐ってる。ありゃ祟りか妖怪だ」
「何を馬鹿なことを……」

 母と叔父が話していると、向かいの家でガラスが割れる音と銃声が聞こえた。
 叔父は外を見て舌打ちすると、靴のまま家へ入り、奥の部屋へ入ると銃弾の入った箱を抱えて戻ってきた。そして、玄関に銃弾を広げると猟銃に装填する。

「兄さん、何が?」
「いいから、奥にいろ! このままじゃ皆あの化けイノシシに殺されちまう!」
「アアア……」
「アァアア……」
「なんだ?」

 叔父は外から聞こえてきた不気味な声に眉をひそめ、猟銃を構えながら、玄関の戸に近づく。

「ダメ!」

 茉莉子はとっさに叔父の足を掴んだ。叔父は驚いて、茉莉子を見た。

「外には他にもいるの! その、ゾ、ゾンビが……」
「ゾンビ?」
「茉莉子、あんたどうしたのよ?」

 唐突なワードに二人は困惑の表情を浮かべて顔を見合わせるが、叔父はニカっと笑い、玄関の戸を開いた。
 そして、目の前に血だらけになって白目を向きながら呻き声を上げる向かいの家の老人と墓地にいた祖母のゾンビが立っていた。

「ぎゃぁああああああっ!」

 叔父は叫び声を上げて、玄関の戸を閉じ、茉莉子を見た。母親も真っ青な顔で硬直している。
 二人は茉莉子を見る。茉莉子も真っ青な顔で無我夢中で頷く。

「ゾンビ」
「あぁ、ゾンビだ」
「ゾンビね」

 玄関の戸をドンドンと叩く音を聞いて、三人は慌てて構える。
 そして、玄関が破られる直前、外にライトの明かりが見え、クラクションと大きな衝突音が聞こえた。
 更に、玄関前に見えるゾンビの影が現れた人影の持つ棒に殴られて倒れていく。
 そして、玄関が開き、レイモンドが現れた。

「マリちゃん! 大丈夫?」
「レイくん!」

 気づいた時、既に茉莉子は親族の前でレイモンドに抱きついていた。




――――――――――――――――――
――――――――――――――


 
 

「項羽、点検終了です。補充、修理等なくこのまま戦闘可能です」

 ブリッジで瞬が艦長席でルービックキューブを玩んでいたマリクに報告をした。三面までは揃うが、中々残りの面が揃わないらしい。奄美大島の作戦終了後、すぐに四国へ項羽を向かわせようとマリクは言うが、例え問題ないとしても万が一トラブルが発生しては目も当てられない為、安全を確認してから出撃すべきだと瞬が進言し、マリクを黙らせる為に出した切り札だ。案の定、マリクは今まで憮然とした顔こそしていたが、大人しく待っていられた。
 勿論、艦長席まで上がらない他の隊員はこのことを知らない。恐らく、険しい顔でルービックキューブをやっている彼をどっしりと構える艦長の姿に見えたことだろう。

「よし。庚、後はお前が解け。……現地組がどれだけ辛抱してくれるかだが、項羽はこのまま足摺岬を目指して出発する! 高知駐屯地の陸自戦力の派遣は決定しているが、航空戦力以外の到着は間に合わない。海上にいる間は春日の空自がスクランブルする。分屯基地のお膝元のお陰だ。……後はGフォースの名の下に現場レベルでどれだけお役所の縦割りを解消できるかだな」

 現在、環太平洋地域司令部麻生将治司令の名の下にZ寄生体殲滅を目的とした権限を日本政府からGフォースは得ている。これから、否既に始まっている土佐清水の作戦も同様だ。
 これまでの対怪獣戦の歴史の中でも早期の対応が期待できるのは、非常に珍しい状況とはいえた。当然ながら、怪獣が現れてから当事国の初動対応となるが、日本の場合は同時にGフォースへの要請を行うのが慣例となっており、実質的にGフォースの指揮で自衛隊が運用されている。それでも実際に防衛線の展開や作戦地域となるのは、人道的配慮から避難行動が優先される場合が多く、海上での戦闘は時間稼ぎや防衛が主となり、殲滅戦は奄美大島と同様に戦力が整ってからの実行になる。しかし、この作戦は旗艦の項羽こそ連戦となる為、このように出遅れているものの自衛隊戦力が既に出撃段階となっている。
 先程、フェリーの沈没と海保ヘリの墜落を受けて正式に怪獣出現を認定されたばかりという状況としては非常に早いといえる。これは睦海の推測による成果が大きいが、システム上は超能力者達の存在が大きい。
 旧国土庁を所轄庁とした特殊災害警戒態勢という40年以上前に作られた基準が日本政府には存在する。ゴジラを対象に作られたもので、それ自体は旧時代の産物だが、21世紀を迎える前に内閣府の防災担当に他の旧防災局行政と共に引き継がれ、これまでに見直しを重ねられている。そして、それは国連組織のGフォースの対応基準としても参酌されている。重要なのは、その判定基準に物的根拠のない精神的、即ち超能力者の認知による発見も含まれていることである。これはG対策センターにサイキックセンターが設置されている理由でもある。
 それ故に、精神科学開発研究学会の識者である細野夫人、そして未希が感じ取った時点でGフォースは日本政府に対して高知県沖に出現する怪獣対応への指揮権を得ていたのだ。
 海保、陸自、空自、警察、消防の各連携は日本政府側の縦割り行政による弊害が多少なり感じられるものの、司令部がそれを統合指揮していることでそれぞれのトップダウンの指示は早いといえる。
 これは上記理由以外にも立地が影響している。土佐清水市には海上保安署、そして空自の連絡基地である土佐清水分屯基地が存在し、福岡県からのスクランブルを円滑にサポートできていた。また、距離は離れており、本隊は数時間後の到着となるが、陸自の戦闘ヘリは短時間で現場に到着できる。
 この状況から、司令部の描く大筋は空自の洋上での攻撃、陸自戦闘ヘリの防衛を実行し、上陸を可能な限り遅らせ、項羽到着までに避難完了を目指すというものだ。
 上手くいけば敵の上陸を許すことなく洋上での殲滅が可能となる。これは怪獣発見が海自戦力の展開の困難な沿岸域に近い今回の位置としては非常に稀な状況といえた。

「……それと艦長、少しお耳に入れたい話が」

 瞬がマリクに耳打ちした。それに対し、マリクは何も言わずに地図の映るモニターを眺める。話せということだ。

「例のサメについて調べていくと、その起源になったと思われる場所が特定できました」
「………」

 マリクは地図を移動させ、尖閣列島周辺を表示させた。
 瞬はそれを確認し、無言で画面を操作する。そして、中国領海の東シナ海、台州市沖を表示した。

「約10日前から3日前までの一週間、漁獲量に減少が見られました。それと少し強引な方法で調べたものですが、きっかけとなった海上警察と海上保安庁の各船舶の動きが判明しました」
「……海上警察が台州沖のサメを追尾し、領海を越してしまって海保が発見、そして2隻共襲われた。元々海上警察がサメの存在を知っていたとするなら、早々に尖閣へ海軍を出したのも納得だな」
「恐らく自国内での早期幕引きを図ったもののサメが追尾により移動したことで黒潮にのってしまった。そう考えられます」
「……庚、まだ掴んでいるな?」

 チラリとマリクが見ると、瞬は静かに頷く。

「公式ではありませんが、約2週間前に一隻の船が上海沖で消息を絶っています。中国系の水産物を扱う企業の船ということですが、当局のダミー企業です」
「まだそんなことやってるのか?」
「政治的なことは知りませんが、海上警察が躍起になって船のサルベージをしていたみたいです」
「つまり、それがあのサメだったと?」
「そう考えられます。問題はどこからその船はサメを運んだか」
「……日本か」
「はい。ここからは憶測ですが、G対でZが保管されていた可能性があります」
「流石に極秘だろうと盗まれたZが出現したとなれば、上も気づくだろうな。或いは既に内部の調査が行われているかもしれないが、それにしては上がZに翻弄されすぎてるな。女子高生の助言を真剣に受けるくらいに」
「はい。なので、上も知らないと考えるのが妥当でしょう」
「下手に保身の為に隠蔽工作をしたツケが回ったということか。まぁ、元大西洋の連中だろうな。つくばの連中は巻き込まれたような状況だった」
「でしょうね。ただ人民軍の隊員に対して信用ができない状況となったのは厄介です」
「そうだな。この船の四面楚歌関連の隊員は必然的に人民解放軍からの出向組が多いからな。……だが、本作戦上は問題とならない」
「というと?」
「当局としては長期化することを避けたい筈だ。加えて今解決すれば、四面楚歌の有用性をアピールしやすい。利害が一致する以上、作戦遂行上の懸念にはならない。……ただ」
「ただ?」
「失敗した場合はGフォースにZの対応は困難だと主張し、その厄介さと地政的な理由を持ち出して、核を使おうとするだろうな」
「……確かに。Gフォースが対処困難と判断されたら、国連に別の軍事的解決案が提示されるのは考えられます。アメリカとしても大西洋地域司令部の真相は隠したいでしょうし、米中が足並みを揃えたらロシアも同調するでしょうね」

 Gフォースが世界最強の軍隊といわれて久しいが、それは背景こそ日本の自衛隊戦力の強化拡大という事情があったものの、ゴジラに核兵器の有効性が低いことが大きい。国連の軍といえば多国籍連合軍だが、それで対処することがゴジラには困難であったからこそ、Gフォースが作られたのだ。その構図が逆転すれば、最有力候補となるのは核兵器だ。
 Gフォースとしても自衛隊出身の日本人としても瞬はその事態を避けたいと思った。

「何、ここで殲滅すればいいだけだ。後のことは麻生司令殿が上手くやってくれるさ」
「そうですね」
19/31ページ
スキ