Z -「G」own path-




 今日の朝練は非常に調子が良かった。
 校外のコースをマラソンする睦海は、時折鼻歌も気づけばしていた。ウォーミングアップのマラソンであったが、記録も上々で、十分に体を温めてからトラックに立った。
 そして、クラウチングスタートをし、周回ペースも無理のない呼吸で行い、ゴール。記録は10分の壁こそ越えられなかったが、自己ベストを2秒更新し、10分11秒となった。
 その理由は明らかだった。
 今朝起きるとみどりから健が週末に帰宅できそうだと教えられたのだ。流石に飛び跳ねて喜ぶような真似はせず、「ふーん、そうなんだー」と素っ気ない返事をしていたが、出発時、玄関の姿見に映った自身の顔はニヤニヤとしていた。恐らく、みどりと雅子にはバレバレだったことだろう。
 いずれにしても昨日の不調とは変わり、本日はとても順調に朝練を終えることができた。
 スポーツドリンクのペットボトルをグビグビと喉を鳴らして飲みながら教室に向かう。
 既にクラスメイトは多く登校しており、各々談笑をして朝の時間を過ごしていた。
 睦海が机に着くと、周囲を気にしながら梨沙が近づいてきた。

「ムツミン、昨日はお疲れ様」
「ううん。梨沙こそ、巻き込む感じになってごめんね」

 昨日、池袋駅で別れる前に学校で変な噂が立つのは嫌なので口外禁止の旨を強く言い聞かせていたので、梨沙は声を潜ませて言った。
 睦海も小声で答える。

「まぁ私はポイントを頂けたので、全く問題ないのですよ」
「でも折角手に入れたんだから、使ってゲームやって帰りたかったでしょ?」
「んーまぁそれはそうなんだけどね。……今日、発売日だからまた池袋に行くんですよ」
「あ……そうですか」

 皆まで聞かずともわかった。確かにサンシャイン通りは彼女の欲しい漫画やグッズを取り扱う大きな書店がある。
 そこまで言って、「ん?」と睦海は首を傾げる。

「待ちなさい、梨沙さん」
「! ナンデショーカ、睦海=サン? ドウモ、梨沙デス」

 明らかに動揺した様子で、忍者の様に両手を組んで片言の挨拶でお辞儀をしてくる梨沙。
 しかし、睦海は頬杖をつき、目を座らせて机をトントンと指で叩く。

「はいはい、どうもご丁寧にありがとうございます。さて、私の記憶では梨沙さん、貴女はお金がないという話で私に大会出場をお願いした。そうですね?」
「……そう言ったような、言わなかったような?」
「言いました。異議は認めません」
「先に言われたっ!」
「当然です! そして、今日漫画を買いに行く、と。……明らかに矛盾してますね?」
「む、睦海様。……そこは出来ればトーンを下げず、もっとテンション高く言っていただきたかった!」

 何も逆転できない! と梨沙が悔しそうに言うのを、睦海はニコッと笑って見つめる。
 梨沙の表情も笑顔になるが、そのまま固まる。そして、机に頭を擦り付けた。

「サーセンっしたァっ! 漫画買う金、残してましたっ!」
「ハァ……。梨沙、私は鬼じゃないわ」

 その言葉に梨沙は顔を上げて明るい表情になる。
 それを確認し、睦海は優しく微笑んで、梨沙の肩に手を置いた。

「スイーツ食べ放題、今日連れてってね?」
「鬼じゃない! コイツァ悪魔じゃぁぁぁ!」

 梨沙が血の涙を流し、ホームルームまでその場に崩れていたのは言わずもがなである。


 

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 新城未希、旧姓三枝は、その時高知県内の大学で開かれる精神科学開発研究学会に呼ばれていた。既に第一線は退いた身ではあるものの彼女の残した功績は、これまでペテン師と同じ認識をされていた超能力の存在を実証し、精神科学開発という一つの学問分野に発展させる過渡期において多大な貢献をしたことであり、彼女は学会の終身名誉会長の称号が与えられた。
 今朝現地に着いたばかりであるが、午後の特別講演でゲストを頼まれている。本来は引退した身なので基本的に断るのだが、精神科学の草分け的存在である細野夫人からの直接の誘いとあっては断れなかった。細野夫人は未希の恩師でもある故細野精神科学開発センター長の妻であり、超能力の原点ともいえる透視能力実験でその存在を実証した未希の大先輩といえる。100歳に近い年齢にも関わらず、こうした場にも呼ばれる限り参加している未希の頭の上がらない存在だ。

「新城さん、来てくれてありがとう」

 付人の女性が押す車椅子に乗った細野夫人が会場の建物前にいた未希に近づき声をかけてきた。

「こちらこそお呼びいただきありがとうございます。私の方こそ、細野さんがご活躍されているのに主婦業に専念してしまって、お見せする顔がありませんでした。ありがとうございます」
「そう言ってもらえてよかったわ。やっと自分の為の時間が作れるようになったのだとは思ったのだけど、今日は一目、貴女に会っておきたかったの」
「そんな」

 確かに細野夫人の年齢を考えればもうこれ以上、公の場に出るのは難しいことだろうが、見たところ車椅子にこそ乗っているものの肌の色や目の力はしっかりとしている。

「あぁ、確かに今年でこういう所に来るのは終わりにするつもりなんだけどね。終活としてね。でも、この子に新城さんを一目合わせて起きたいと思ったのよ」

 そう言って細野夫人は付人を見上げた。
 付人の女性は深々と頭を下げた。

「彼女、大河内良子さん。桐島明日香さんの親戚の子なの」
「明日香さんの?」

 未希をゴジラと引き合わせた恩人と呼ぶべき先輩の名が出て驚く。
 大河内といえばかつて程の力はなくなったものの今も大河内財団関係の企業は多く存在する。その大河内の女性が付人をしていることに驚いた。

「彼女はね、海外で能力開発を受けていたんだけど、色々あってね。今は私のところで色々な世話をして貰っているの」

 恐らくその事情は触れない方がいいのだろう。未希は黙って頷く。

「ただ、私も生い先短い身だから。私に何かあった後、この子の助けになる人をと思ってね」
「でも、私はただの主婦ですよ?」
「今はそうね。だけど、貴女を超える能力者はしばらく現れない。だから、その次の子の為に残す必要がある。……これは貴女に残された義務よ、持った者の務めね。それを良子さんが繋いでくれるわ」
「細野さん、貴女は……」
「ふふふ、ただのお節介よ」

 そう言って、良子を促して建物内に入っていった。
 彼女の力は透視に特化したものだと聞いていたが、もしかしたら予知能力もあるのかもしれない。

「予知……」

 未希もその能力の兆しは何度かあった。しかし、それが予知なのか夢や一種のフラッシュバックなのか区別が付きにくい為、はっきりとわかることはほとんどない。

『『未希さん……未希さん』』
「! もしかして、コスモス?」

 突然、双子の重なった声のテレパシーが未希に語りかけてきた。
 それは忘れるはずのない、インファント島の地球先住民族コスモスの声であった。

『『はい。お久しぶりです』』
「どうしたの? モスラに何か?」
『『はい。最近生まれた子が一人で日本に向かって島を出て行ってしまったのです』』
「え?」

 まるで迷子の相談の様な内容だが、相手がモスラだと少しばかり厄介な話だ。
 モスラは現在国家環境計画局の努力によって個体数を順調に増やし、今年も一匹のモスラが生まれたと聞いている。そして、国連は新条約の採決を控えているところでもある。そんな今、モスラによって被害が発生してしまうことは避けたい事態だ。

「一体何があったの?」
『『実は私達にもはっきりとわからないのです』』
「どういうこと?」
『『島を出てしまったモスラは今年生まれたばかりの幼虫なのですが、ちょっと変わっていまして』』
「変わってる?」
『『はい。先祖返りというのか、他のモスラとは違う力を持っています。体も小さいですし』』
「違う力? バトラの様なもの?」
『『確かに似ています。バトラの持つ脅威を感知することや戦う力を持って生まれた新しいモスラです。そして、今回も何かを感じ取って日本に向かってしまいました』』
「つまり、また新たな脅威が?」
『『まだわかりません。他のモスラ達は何も感じ取っていないようですし』』
「そう。わかったわ。……っ!」

 未希が頷いた瞬間、頭の中に断片的な光景がフラッシュバックした。
 森の中の大樹。モスラの繭。海を黒く染める大群。呻き声を上げて歩く亡者達。そして、走る睦海の姿。

『『どうしましたか?』』
「……予知。ここまではっきりと、確信していえるのは初めてだわ。……確かに、何かが起きるみたい。コスモス、こっちは私に任せてもらってもいい?」
『『はい。お願いします』』

 テレパシーが感じなくなったのを確認した未希は、すぐに新城へ電話をかけた。何故かわからないが、まずは新城に伝えなければと思った。
 そして、新城が電話に出た。

『未希? すごいな、丁度電話しようと思ってたんだ。これも能力?』
「わからない。でも、そうかもしれないわ」
『実は麻生君からの相談で、例のシエルだった子……』
「睦海ちゃんね。……会うわ!」
『おいおい、まだ何も言ってないぞ? でも、そうなんだ。未希に睦海ちゃんとこっちに戻ってきたら、会って欲しいんだ。週末なんだけど、ギリギリ戻って来れるかと……』
「いいえ。多分、睦海ちゃんがこっちに来てもらうことになると思う」
『え? どういうこと?』

 未希は確信した。あれは予知で、背景はハッキリと思い出せないが睦海が走り去った傍にあった電柱にあった看板は、高知に来てから何度か目にした地元企業の看板であった。
 睦海は高知に来る。そして、恐らくモスラと脅威も。


 

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 将治のところに本日二度目のアドノア島からの直通連絡がかかったのは、午前10時を過ぎたばかりの頃であった。

「桐城! いい加減にしろ!」

 応答するなり、将治は健の私的利用について叱責する。
 しかし、健の様子は先ほどと異なっていた。

『将治、今度は違う! ゴジラが!』
「ゴジラがどうした?」
『ゴジラが、島を出ていった!』
「なっ! ……桐城、わかっているだろうが、それをこの電話で伝えている意味を理解しているんだろうな? いつもの島周辺を泳いでいるのではない、そういう意味でいいだな?」
『あぁ。間違いない』

 健の真剣な口調は将治に嫌を無しに事の深刻さを理解させた。
 将治は健との通話を繋いだまま、Gフォースの環太平洋地域司令部室内に通話の音声を流した。健と将治の声が彼の部屋の前の司令部内にも響く。それに対して隊員たちがスピーカーと将治の部屋を交互に見ている。その様子を確認して、将治は会話を続けた。

「桐城、状況を説明しろ。ゴジラはいつ島を出た」
『つい数分前だ。まだこの研究センターからもゴジラの背びれが見える』
「改めて確認する。これは緊急コードの発令を意味する。ゴジラは保護海域を出るのだな?」
『あぁ。俺にはわかる。あいつは島を出る時に、俺のところに来て、南西の海を見てから咆哮をした。……あれは昔、俺とゴジラが戦いに行くときにやったのと同じで、俺とゴジラの間のサインなんだ。ゴジラは、何かと戦う為に島を出発した』

 将治はゴクリと生唾を飲み込む。アドノア島周辺は現在ゴジラの縄張りで、保護海域となっている。許可のない船舶も航空機も立ち入りは認められていない。そして、ゴジラもそれを理解しており、保護海域から出ることはなかった。その事実も相まって今日まで世界各国はゴジラを理解し、攻撃をしないでいた。
 逆に、その関係性はゴジラが海域を出た時に崩壊する。無理もない。ゴジラがどんなに敵意を持っていないと主張しようと、巨大な怪獣がどこに出現するかわからなければ国防上、大きな課題となってしまうからだ。これはモスラにもいえることだが、モスラはコスモスの存在によって、その理解がゴジラよりも進んでいる。

「わかった。桐城、現時刻をもってGフォースは緊急コードを発令する。同時に、君はGフォースの指揮下に加わってもらう。すぐに海域の警備船からヘリを送る。君はそのヘリに乗り、ゴジラの追跡を行ってくれ」
『わかった』
「週末の帰国、難しくなりそうだな」
『なに、仕方ないさ』

 そして、通話は終了した。将治は深く息を吸い、吐き出すと立ち上がり、部屋のドアを開けた。一斉に司令部中の視線が将治に集まった。

「聞いた通りだ。すぐに海上警備船に連絡し、至急ヘリを島に送れ! また、動かせる衛星をかき集めろ! ゴジラの予測針路を特定するんだ!」
「「「「「「了解!」」」」」」

 ゴジラの突然の移動開始に司令部が緊張感に包まれていたところに追い打ちをかけるように、新城からモスラが向かっているという連絡が届いたのはその30分後であった。
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