Z -「G」own path-




 練馬区内にあるCIEL社の研究施設では、サイキックセンターと帝東大学との共に非接続式接触型思考操作機器の官民学協働開発プロジェクトが行われていた。
 日本語では漢字が並ぶ小難しい名称となるが、端末に触れて考えるだけで操作を行う新しいデバイスの開発をしているのだ。
 これまでCIEL社はロボット義肢やアンドロイドの製造を手掛け、そのノウハウを活かして近年では一般販売予定の多目的補助ロボットBABYの開発を発表。展示会などでその試作品を披露して世界中から注目を集め、既に大手メーカーの仲間入りを果たしている。そんなCIEL社だが、試作から6年経ったBABYを一般販売製品化するにはまだ越えなくてはならない壁があった。
 それが件のデバイスの開発だ。従来の入力方法ではそのスペックをフルに活躍することはできない。製品版のイメージは、補助入力で音声も想定しているが、「行くよ、BABY!」と呼べば、その時にユーザーが考えている動きをするというものなのだ。近いものは既にAI搭載型の入力デバイスで発売されているが、それはあくまでも学習と予測によって考えているであろう事を選択しているに過ぎない。真のユビキタスデバイスは、ユーザーの思考そのものが入力方法となる製品なのだ。
 過去に開発されたもので思考入力を試みたものは存在する。神経接続用の機器を頭に埋め込み直接端末を接続する入力方式と、昨年行われたM-6へ被験者の意識データの転送の実験だ。M-6は現在実用化されているアンドロイドの規格の名称で、第六世代と呼ばれている。厳密には第五世代までは個人の発明によるものであり、M-6が流通モデルとして最初のアンドロイド規格といえる。現状は一般流通の不可能な価格である為、国家レベル、大規模組織のレベルの出資がないと製造も購入も不可能だが、CIEL社以外でも製造されており、搭載するAIや素体の特徴によって差異が存在する。
 しかし、その二つの実験のどちらも大規模な装置を必要とし、前者は外科手術も必要で、技術的にはロボット技肢などの生体移植手術に近い。後者に至っては国連G対策センターの主導で行われたもので、被験者の情報は勿論のこと、大部分の詳細情報もG対策センターに秘匿されたことでほとんどのことが謎になっている。僅かに残された情報は、素体となったのはCIEL社製のM-6の女性型アンドロイドであったことと、人工知能は未搭載でG対策センターが用意した機械の頭脳と意識データの転送装置が存在したこと、その責任者の名が真壁という人物であったことだけで、M-6を含めた現物の全てはG対策センターに回収されてしまっていた。
 そんな中、類似研究をした経験のある機関の協力を得た。それが皮肉なことに同じG対策センターに属するサイキックセンターであった。同センターはかつて思考入力に類似した装置を用いてゴジラを操るTプロジェクトなるものに参加し、その同時の資料の提供と現職の職員が協力に応じたのだ。
 そして、無機物の機械などの物質と人体などの生物の融合による新しい技術とそれによる新しい社会の創造と研究を行なっている帝東大学と海外の大学のチームが協力することになった。
 その海外の大学から参加をしていたのが、加納レイモンドだ。白人系のアメリカ人の母と日本人の父を持つ二十歳の青年だが、既に州立の大学を卒業しており、そのまま大学に研究者として働いている。
 彼は時計を先程からチラチラと見ていた。終了予定時間を過ぎていた。池袋で幼馴染と会う約束をしていたが、この分だと1時間程度遅刻するのは間違いない。
 タイミングを見て連絡を入れておきたいが、精密機器を扱う内容だけに携帯電話などの通信端末は入口に置いてきてしまった。

「ありがとうございます。データは収集できました」

 ガラス越しの実験室にCIEL社の社員がマイクで伝えた。
 実験室内ではサイキックセンターの主任という女性が持参した装置を使って実験を行なっていた。サイキックセンター及び国内の超能力研究機関である精神科学開発センターの発表している研究資料によると、テレパシーなどの超能力は認知可能なレベルまで能力開発ができる人間は世界でも一握りしか存在しないもののその能力そのものは人類を含めた多くの生物が元々有するのだという。
 眉唾ものな印象は拭えないものの、多くの研究資料と実績がそれを裏付けている為、それを否定するのは建設的ではない。
 そして、このデバイス開発の要といっていい理論でもある。
 つまり、レイモンド達が開発しようとしているデバイスは、この生物に生まれながら有する僅かなテレパシーを受信して入力操作を行うツールなのだ。
 サイキックセンターの主任こと、オンバーン・ユーキが実験室から出てきた。美形の日本人顔だが、日系ハンガリーのクォーターの23歳らしい。レイモンドは知らなかったが、帝東大学の共同研究者曰く、この年齢でサイキックセンターの主任になったのは天才超能力者といわれた三枝未希以来のことらしい。もっともその話を彼がすると、彼女は表情を曇らせたことと彼女は超能力者の能力よりも研究者としての実績で評価を受けている様子なので、比較されることを嫌がっているみたいだ。
 それでも能力を持たないレイモンドからすれば、機械を使ってでもテレパシーを実際に実演した彼女はまごう事なく超能力者であった。




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 梨沙を駅まで見送ると、睦海は改めて寺沢健一郎氏に挨拶をする。

「ご無沙汰しています。桐城睦海です」
「また貴女に会えて嬉しいよ。……随分時間が経ったんだなぁ」

 池袋の地下構内の雑踏の中で睦海達の周囲だけ不思議とゆったりした時間が流れていた。
 それは寺沢の哀愁が生み出しているものなのかもしれない。
 唯一事情の知らない茉莉子は、美少女と老紳士の関係に困惑気味だが、空気を読んでいるのか何も口を挟むことなく、二人を見ている。

「確かに、時間は経ったと思います。でも、私がこうしてこの体でここにいるんです。寺沢さん達のお陰です」
「そう言ってくれて嬉しいよ。……そうか。今は最初の未来なのか」
「そうとも言えますね。でも、私は今がまだ未来だとは思ってません。まだスタートラインです。……あと半世紀先がどうなっているか」
「ははは、この老体を捕まえてあと半世紀後を見届けさせたいのかい?」
「でも本心を言えば後2世紀先まで生きてほしいとか思ってしまいますよ?」
「それはやめておくよ。エミーに会いたいけど、ここまで老いて尚、彼女に会いたいとは思っていないさ。……そうだね、でもエミーに何か残せればとは思うんだけどね。ここまで俺はやったよと」
「それは著書では?」
「あぁ、確かに」

 寺沢は若々しく笑った。
 このまま別れるのが惜しく思え、それは寺沢もみどりも同様であった。自然と時間があれば夕食を共にしようという話になった。
 そこで、ふと睦海は茉莉子が気になった。彼女はこの話について蚊帳の外だ。
 それに何か予定がある様子であった。

「茉莉子さん、もしかして予定があるのではないですか?」
「えっ! あ、その……まぁ」

 歯切れが悪く、チラチラと寺沢を茉莉子が見ている様子を見たみどりが、何かを察した。

「もしかして待ち合わせの約束があるんじゃないの?」
「あっ! はい!」

 突然みどりに話しかけられた茉莉子は驚いて答えた。
 それを受けて、みどりは諭すように肩に手を置いてゆっくり穏やかな口調で言う。

「貴女はお祖父様が頭ごなしに止める人だと思うの? 何も言わないでいたら、さっき会ったばかりの私も人の親としてやっぱり心配で貴女の自由にはさせられないわ。それとも言えない理由があるの?」
「そ、それは……」

 目を泳がせる茉莉子を見て、睦海も背中を押したくなった。スッと、彼女の手を握ると、自然と微笑んでいた。

「一人で考え続けているだけだと前には進めないわ。それを私は二人の恩人に教えてもらったの。一人は命の恩人、もう一人は勇気の恩人。口にしてしまうと、意外と悩みは解消されるものなのよ」
「……うん。睦海さんが言うなら」

 どうも第一印象で睦海に対しては全面的に信頼を置いている様子の茉莉子は、事情を吐露した。
 幼馴染の男性との再会だったので、祖父に告げづらかったらしい。
 そして、その内容も別れた際のエピソードもとてもほっこりする温かいものであった。既に睦海とみどりは寺沢が反対したら二人も説得に協力しようと考えていた。
 しかし、彼女の口から相手の名前を聞いた瞬間、寺沢の表情が変わった。それは衝撃を受けたという以外に表現のしようもない、目を見開き、口も開いて、顔全体で「そうだったのか!」と訴えていた。
 勿論、彼ほどではないが、睦海とみどりもその加納レイモンドという名を聞いて、点が線に繋がった感覚を覚えた。
 偶然の一致。それは否定できない。その真相を知るのはあと2世紀先のことなのだから、当然だ。しかし、これを偶然として片付けることを三人にはできなかった。
 二度も寺沢のことを助け、まるで寺沢の未来を理解しているような振る舞いをしていた未来人エミー・カノー。実際にタイムスリップをした睦海なら確信めいたところもあった。自分に無関係な人間の元に行き、献身的になるよりも、人は自分の関わりのある人間に対して献身的になってしまうものなのだ。それは睦海自身がそうだったからだ。
 そして、エミーは遠野亜弥香のように歴史を守る為に送り込まれたエージェントという訳でもなかった。それならば一番納得のできる理由は、寺沢が自身と縁の深い存在だったからと考えるのが自然だ。2世紀先まで寺沢が生きるはずもない。なら、その縁とは血縁となる。
 つまり、エミーは寺沢の子孫。そして、彼女の姓はカノー。未来の氏名が漢字でなくアルファベットやカタカナが主流になったのであれば、現代式での表記は加納エミとなる。
 結びつけるなと言う方が無理だった。寺沢の子孫がどこかで加納姓となり、エミーに繋がる。そのタイミングが茉莉子の代だと、最早確信に近いものがあった。
 そうなると話は変わってくる。特に睦海は全力で応援する必要がある。ここでもし二人の出会いがなくなってエミーが生まれなくなったら、また亜弥香が奔走することになりかねない。

「茉莉子さん、絶対に会うべきよ!」
「あ、ありがとう」
「ね! 寺沢さん! ね!」
「あ、あぁ。……そうだね。家の方はこっちで何とか説得するから茉莉子は約束を守りなさい」
「い、いいの?」
「ただし、帰りはおじいちゃんと一緒だ。いいね?」
「うん! ありがとう、おじいちゃん!」

 そう言って、茉莉子は笑顔で三人に礼を言うと慌てて連絡をとり始めた。相手は件の彼だろう。

「さて、私たちは夕食にしましょうか」

 みどりの一声に、二人は笑顔で頷いた。



 

「あぁー!」

 デパートのレストランに入りメニューを選んでいたところで、突然みどりが叫んだ。
 驚く寺沢。
 一方、睦海はその様子で察した。

「お母さん、さてはやらかした?」
「うん。……実は仕事の資料を作ってて、まぁそれは連絡が入る前に送ったから問題ないんだけど」
「……おばあちゃんに何か頼んだの?」
「夕食お願いしちゃってました!」

 今にもテヘペロとやりそうな義母の宣言に睦海は苦笑する。

「とりあえず、お母さんは今すぐにおばあちゃんに電話して謝った方がいいよ。おばあちゃん、おじいちゃんに怒る時、マジでヤバいから」
「知ってるわよ。娘ですから。……はぁ、何か最近私、ダメダメになってる気がする」

 落胆した様子で店外に出て行くみどりを見送る。

「彼女にもああ言う一面があるんですね」
「まぁ、私も最近知ったんですけどね」

 そうなのだ。この世界の睦海の記憶でもみどりは、しっかりとした女性で健と睦海を支える立派な母親であった。
 しかし、今の睦海になってこの世界での生活に彼女が馴染み、祖母と同居を始めてからみどりは、時々うっかりをする様になった。
 それを告げると寺沢は睦海に笑顔を向けた。

「それは睦海さんとお母さんに素を見せられる様になったということですよ」
「そうなのかな?」
「きっとみどりさんはずっと気を張ってたんだと思うよ。過去で戦う運命を持っていて、しかも怪獣に家族を殺されて心に傷を負った娘を養子に迎えて育てていたんだ。並大抵の気持ちでできることではないと思う」

 寺沢に言われて睦海は納得する。流石はノンフィクションライターだ。
 健と記憶の擦り合わせをした際にみどりが不妊となった話も聞いた。そんな時に睦海が養子となったことを考えると、彼女が母親として温かく睦海を迎え入れた際はそれなりに葛藤や決意があったに違いない。
 そして、全てが終わった今は母娘であると同時に同じ過去を共有する仲間でもある。少なくとも睦海はそう思っているし、健や祖母もきっとそうだろう。それだけでない。弥彦村の祖父母や翼達もそうだ。
 事実、今年の正月に帰省で弥彦村へ行った時は、これまでとは異なり昔話に花開いた。睦海自身も同窓会に来たかの様な気分だった。全員歳相応に老けており、戸籍上は義理の両親や叔父叔母なのだが、その時ばかりは健とみどり、翼と美歌とシエルであった。
 その後、蚊帳の外になった従兄弟の大翔からしつこく追及されたが……。

「つまり、お母さんはもうお母さんを頑張る必要がなくなったから、ずっと隠してた素が出るようになったと?」
「まぁ、三世代同居でお母さんが一緒に暮らすことになったのが一番の理由だろうけれど。多分去年以前に同居してもそこまで気を緩めることはできなかったとは思うよ。これは想像でしかないが、作家としての経験ではそこそこ確信を持って言えるね」
「なるほど。もしそうであったら、嬉しいですね。半年前までは私もみどりをお母さんって言うのに、正直恥ずかしいというのかな? 何かむず痒いようなところがあったんです」
「うん」
「それが一緒に生活して、色々なみどりを見て知っていって、みどりから母親らしいことを言われるようになると、あぁお母さんなんだなぁって思うことが増えて。……元々記憶が二つあるってのも理由だろうけど、今じゃお母さんはみどり以外あり得なくなってるんですよね。不思議ぃ~」

 途中から何故か涙が滲んできてしまった。
 そして、ここに来て睦海はつくづく思う。寺沢は聞き上手だ。こんな話、誰にも話していない。健にもここまでの話をしたことはない筈だ。老いてもプロということなのだろう。

「……だそうですが、どうです? お母さん」
「えっ!」

 驚いて振り向くとみどりが涙をハンカチで拭きながら立っていた。
 ずっと聞いていたと考えるのが自然な様子だ。思わず赤面する。かなり恥ずかしいことを言っていた。

「睦海、私をお母さんにしてくれてありがとう!」
「あわあわあわ……。お母さん、泣きながら抱きつかないで! 鼻水ついてる!」

 睦海が抱きついて涙と鼻水を擦り付けるみどりを引き離す姿を見て、寺沢は微笑んでいた。



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 池袋駅の改札をレイモンドが出ると、柱の脇に茉莉子が立っていた。お互い大きくなっていたが、面影はあったので、目があった瞬間に、互いに気づくことができたのは幸いだった。

「マリちゃん……だよね?」
「うん、レイくんで良いんだよね?」
「うん。久しぶり」
「久しぶり」

 茉莉子がレイモンドを見てはに噛む。レイモンドもセーラー服を着ている茉莉子を見て急に緊張してしまう。
 アブノーマルな趣向はないと思っていたが、彼女の制服姿はいつまでも見ていたいと思わずにいられない不思議な尊さを感じた。これが日本人のいう萌えというものなのかもしれない。

「あっ! そうだ、大丈夫?」
「う、うん。もう大丈夫。おじいちゃんが来てくれていて、今知り合いの人? とご飯食べてる」

 大体の事情は電車の中で茉莉子から送られたメッセージで確認をしていた。
 1時間の遅刻になっていたこともあったので、無理に会わなくても大丈夫だと告げたが周囲から会うように勧められたという話でこうして再会となった。
 その周囲というのが祖父と知り合いなのだとすぐに察しがついた。

「じゃあ、僕たちもご飯にしようか?」
「そうね! あ、レイくんはこの辺りのお店知らないよね?」
「うん。実質初めてくらいだから」
「じゃあ、私の知ってるお店でもいい? ちょっと女子受けのいい感じのお店になっちゃうけど」
「男性客が入れない訳じゃないんだよね? それなら構わないよ」

 駅内にある商業施設のカフェレストランへ向かう。スイーツが人気の店舗だが、昼と夜はイタリアンも提供している。カフェ価格なので、少し一食の価格が高いが、レイモンドは気にしていなかった。
 店内は女性客の比率が高いが、夕食時だったこともあり、カップルなどで男性客も来店していた為、気になる程のことはない。内装もファンシー過ぎず、一般的なカフェレストランよりも女性受けの良い調度品やタペストリーが配置されている程度だった。
 注文をするとお洒落な皿に盛り付けられたトマトスパゲッティが直ぐに提供された。
 未成年の女性との食事なので、レイモンドもお酒は控え、彼女に勧められたフルーツミックスジュースを飲む。彼女は同じスパゲッティとフルーツ入りのサイダーを注文しており、カットフルーツが溢れるように載せられている。

「こういうのが流行ってるんだよ」
「へぇー。確かに可愛らしいね」
「でしょ?」

 初めは学校の話等を含めた今の生活について話し、幼い頃の思い出を互いに擦り合わせをするように話す。
 そして、食事が終わる頃になると、会話が一回りし、自然と今日あった出来事の話になった。レイモンドは触れてはいけないかと思っていたが、茉莉子は気にする様子もなく話していた。
 もっとも怖い思いをしたという話よりも危機を救ってくれた睦海についての話が中心であった。
 ゲーム大会優勝は兎も角、ナイフを持った相手をほぼ一方的に無力化したという話は多少は脚色があるのだろうが、それでも非常に勇敢な女性だとレイモンドも感心する。

「その睦海さん、めちゃくちゃ可愛いの!」
「へぇ。すごいね、その子」
「そうなのよ。完璧超人ってああいう子のことを言うのね」

 茉莉子から聞く限り、確かにそれ以外に形容のしようがない。腕が立ち、ゲームも上手い、そして容姿端麗と三拍子揃っていて、性格も良い。それは会ってみたいものだと思った。

「レイくんが会ったら睦海さんに惚れちゃいそう」
「いや、そういうことはないよ」

 本当にぃ? と茉莉子は言うが、レイモンドは自信があった。スターやアイドルに憧れることと同じ感情はあるかもしれないが、恐らく睦海はレイモンドの好みではない。
 目の前にいる茉莉子を見てそう思う。
 勿論、児童の保護が厳しいアメリカ社会で育ったレイモンドは高校生相手に口説く真似をしないが、少なくとも日本に来る際には必ず彼女に会いたいと思うことは許されるだろう。



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 池袋駅で茉莉子と合流する寺沢と別れ、帰宅すると20時を過ぎていた。
 ご立腹な雅子を宥めるのはみどりに任せて睦海は部屋に入る。ランニングウェアに着替え、髪を縛ると眼鏡をかけた。
 夜の自主練のマラソンと本日の実戦を復習しながらニュースの確認をするつもりだ。

「……まだ解決したという発表はないか」

 家を出て近所のマラソンコースに設定している道を負荷の軽い速度で走りながらニュースをチェックして一人呟いた。
 仮に既に怪獣を駆逐していたとしても、海域の安全が確認されるまでは公式発表がされる可能性は低い。この様子だと明日の朝が最速の情報になりそうだ。
 この20年で自然に生じたオリハルコン怪獣はほぼ駆逐されたと言っていい。睦海の実の家族を殺した怪獣も人為的にオリハルコンが持ち出されたことで生まれた。
 今回の詳細は不明だが、これもまた人為的な理由で生まれたオリハルコン怪獣の可能性が一番高い。
 全世界にどの程度のオリハルコンが残っているかは睦海に見当もつかない話だが、もしかしたらもう未発見のオリハルコンはないのかもしれない。そう思ってしまうほど、年々怪獣出現の確率は低下している。
 もっともゴジラをはじめとしたオリハルコン怪獣以前に姿を現した怪獣は健在だ。特にモスラは個体数を増やしており、確か10体くらいはいたはずだ。

「あら、睦海ちゃん。今日もマラソン? 気をつけてね」
「こんばんは。ありがとうございます!」

 近所のパトロールをしていた町内会のおじさんに声をかけられ、挨拶をして交差点を曲がる。
 睦海はオリハルコンによる怪獣の恐ろしさを嫌という程に思い知っているが、先代のゴジラの時代は核実験やG細胞による怪獣の脅威もあったらしい。人類と怪獣がもう切っても切り離せない関係にあるのだとしたら、放射能、G細胞、オリハルコンと続き、そしてまた新たな怪獣が現れることは避けられない話なのかもしれない。
 もしそんな新たな脅威が現れた時、今の世界を生きる人達はどうするのだろうか? 睦海はどうしてもそんな不安が過ってしまう。
 公園の入口の掲示板に貼られた小学生の作成した啓発ポスターをチラッと見て思う。
 ポスターは防災に関する啓発で、地震によって建物が崩れて大きな津波を描いてあるものが一枚と、デストロイアらしき赤い怪獣が街を燃やしているものが一枚であった。標語なのだろう『備えよう! 災害』と、どちらにも書かれている。
 小学校では戦争や災害などの過去を学ぶカリキュラムがある。怪獣も災害の一つとして扱う学校は多い。社会科や歴史の近代史などの教科でその後の中学、高校でも怪獣と人類の過去は学ぶことになる。
 しかし、授業で学んだとしてもそれは歴史で、過去の出来事になっている。風化しているとまでは言わないし、火災保険などでは地震保険と共に怪獣保険や特約の加入を推奨するコマーシャルも流れているし、多分この住宅地のほとんどの家が加入している筈だ。
 だが、そこまでなのだ。頭では怪獣が存在し、日常を脅かされる可能性があることはわかっている。しかしながら、その時にどう生き残るのか、それに備えて何を今しておく必要があるのか、またその時が本当に来ると考えて生活している人は非常に少ない。日常の行動に怪獣という存在は含まれていない。非日常の存在となっている。
 少なくとも日本人はテロや戦争と同じ意識に怪獣も存在するのだろう。対岸の火事。現在進行形で明日怪獣が街を壊すかも知れないという状況下にあるにも関わらず何も変わらない日常を過ごしている。尖閣諸島の怪獣について、ニュースをチェックしている人間がこの国に何人いるのだろうか。

「ふっ! ハッ! トゥッ!」

 漠然とした不安を振り払うように公園の広場でAR映像によるシュミレーションを利用してクラヴマガの反復練習を繰り返す。数ある戦闘術の中で睦海が一番合っていると感じたものであり、今日の実戦でそれが確信に変わった。
 クラヴマガの最大の特徴は武道のような型や技と異なる実戦特化型の戦闘術であることだ。根本的に絶対的な不利の状況下で生き残る為の手段として発展してきた戦闘術であり、禁じ手という概念もない。強いてあげるなら、一般人には殺人術を教えないということくらいだ。
 そして、睦海が自身に合っていると感じている理由が、身体に動きを覚え込ませて無意識に技が繰り出せる為だ。今日の実戦はまさにそれだった。本能的な条件反射に逆らわず、それを技のトリガーとする。相手からの攻撃に本能的に体は回避や防御をする。クラヴマガはその動作から技の発動までが一連の動きとして体に覚え込ませるのだ。
 それはかつてシエルの体で何度と経験してきた感覚であった。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 ナイフに見立てた木の棒を片手に睦海が立つと銃を持つ黒服の映像が表示され、叫びながら銃を構える。睦海は咄嗟に両手を上げるが、その刹那、手から木の棒が投げられて黒服の首の位置を木の棒は飛んでいった。
 今の生活で使う機会があるとは思えない技で、状況によっては過剰防衛として起訴される可能性もある危険な殺人術だが、一つくらいは習得していたいという気持ちが心中にあった。一種のPTSDや戦争ストレス反応なのかもしれない。護身術と言い聞かせているが、戦いに身を置くことでこの焦燥感が解消されるのではないかと心のどこかで思っている自分がいることを知っている。
 平和な日常に溶け込みたいと思う一方で非日常を求めている自分が怖い。インターハイに出場するくらいの結果を出せば、自分の新しい生き方が見つかるかもしれない。そう思って走っている時が、無心になって不安を忘れられる時間であった。



 

 睦海が自主練に出かけている間にみどりは健と連絡を取っていた。繋がるか不安があったが、業務用の通信回線を使用したので無事に繋がった。公私混同ではあるが、今日だけは目を瞑ってもらおう。
 みどりは睦海について二つの知らせを伝えた。良い知らせと悪い知らせといえる。
 一つは自分を母親だと思っていてくれていることを言葉で聞いたこと。無論、良い知らせだ。
 そして、悪い知らせは、睦海が不良を倒したことだ。勿論、人助けであり、あの容姿なので護身術を身につけていることは特に思うことがなく、実に睦海らしいと思う。
 だが、それが到底今の日常生活の中で習得することができるとは思えない戦闘術らしいことと最近の陸上部に取り組んでいる姿を合わせるとあまり良い想像はできない。
 それに気づいてしまったみどりは健に相談せずにいられなかった。

「健。私、心配だわ。このままだと睦海の心が壊れてしまいそう」
「……そうだな。日常に慣れていく一方でそれを恐れているってのもあるかもしれない」
「それは私も感じているわ。多分、あの子も既に気づいているんだと思う。段々歪になってきていることに」
「歪。……そうだな。俺も似た経験があるから分かるけど、自分で自分の本心に向き合わないといけないことでもある」

 健はみどりとの結婚までにあった葛藤のことを言っているらしい。
 しかし、健の時と今の睦海は重大なところで違う。それをみどりは気づいていた。

「でも睦海には先にある指標がないし、過去の記憶から抜け出せてないわ。過去から逃げて未来にあるタイムリミットに焦っていた健とは違う」
「確かに。……あっちの世界の俺なら睦海に必要なことがわかるのかもしれないけれど、俺も所詮警察にいた時の経験くらいしか参考にできるものがない」
「私だって、調査で被災地に行った時の記憶から想像することしかできないわ」
「……将治に相談してみるか」
「麻生君? ……そうね。私達の知り合いでは適任ね」
「あぁ。それに、もしも睦海が望むならGフォースの司令との縁は大きな力になる」

 それは睦海が再び怪獣と戦う道を選ぶことを後押しするかもしれないということだ。
 みどりは唇を噛む。
 その姿を見ながら健は静かに言った。

「俺ももう睦海に……いや、あのシエルがまた戦うなんて考えたくもない。だけど、俺達が勝手にそう思って選択肢を奪うのはエゴなんだと思う。あくまでも選ぶのは睦海であるべきなんだ」
「そうね」
「それに、睦海の苦しみがもしも治療の必要な戦争後遺症だとしたら、その知識がある人間の支えは必要だ」
「うん」

 みどりは頷く。一番辛いのはみどりでも健でもない。睦海自身だ。

「あと、週末にゴジラの食事サンプルが届く。その時につくばの職員が来て、俺と交替することになった。家に着くのは夜中になるかもしれないんだが、そのまま週明けまで居られることになった。つくばにも行かないといけないけど、その時に睦海も連れて行けると思う。まぁ、将治の予定は聞いてないから、この後連絡してみる」
「ありがとう」

 そして、通信を切るとまもなく睦海が帰ってきた。
 「疲れたー。シャワー浴びてくるね」といつもと変わらない笑顔で汗を拭きながら睦海はみどりに言った。
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