Z -「G」own path-




「データ、ありがと。大分必要なものが纏まってきたわ」
『そりゃ良かった。家をみどりに任せちまってフィールドワークができなくしちまってんだから、このくらい当たり前だよ』

 朝の片付けを終えた桐城みどりは、仕事部屋を兼ねた自室にいた。机にある大型のモニターには受け取った添付データと映像通話のウィンドウに映る中年の男性と話をしていた。
 相手の名は桐城健。彼女の夫だ。元々ベーリング海のアドノア島にある唯一の人工物であるG観察研究センターで唯一の常駐観察職員として勤務している為、約4,000キロの往復を年間何度も行い、半分以上の日数を島で過ごしている。国連関連組織にはその性質上、比較的多くある過酷な労働形態であるが、彼の場合、島でたった一人で過ごす孤独な日々が多い。加えてゴジラという世界でもセキュリティレベルの高い存在が対象となっている為、プライベートでの情報通信利用は大幅に制限がかかっている。収入面は非常に優遇されているものの、むしろそれだけだ。環境的にもゴジラの特性上も、通常の離島僻地のみでなく、被曝のリスクもあり、日々そのモニタリングも彼の主要業務の一つとなっている。つまり、自身も観察対象にしなければならない危険業務でもある。
 お世辞にもやりたがる仕事とはいえない。
 しかし、彼は十年以上もこの仕事をしており、睦海が過去の記憶と統合されて落ち着いた以降である去年頃から更に仕事への意欲が上がったらしく、10年前の一時期に匹敵するレベルで彼は仕事に打ち込むようになった。
 ただし、現在の健はあの時とは違い、非常にマメにみどりへ連絡を入れる。みどりは元々G対策センターにある環境研究のセクションで研究職をしていたが、組織再編によって彼と同じG観察研究センターの所属となっている。職級も健と同じ主任だが、在宅ワーク中心の彼女と健ではその収入はかなりの開きがある。
 そもそも年々予算が減り、諸般の事情により各部門で規模が縮小されているG対策センターにあって、G観察研究センターの観察職だけは例外だ。唯一G観察研究センターの独自雇用の為、本部側の影響を受けず、設立時と変わらない条件が守られているという方が正しい。そして、恐らくそれは今後も不可侵領域として扱われて変わらない。
 つまり、それだけその意義が大きく、同時にやりたがる人の居ない仕事なのだ。
 しかし、健は折に触れてこう言う。

『え? そりゃみどりや睦海に会えないのは寂しいさ。だけど、孤独を感じたことはないな。だって、一人ってわけじゃねぇから』

 そう。健は島で唯一の人間ではあるが、島で孤独にいる訳ではない。いつも島には彼の親友がいるのだ。
 聴けば観察研究以外でもゴジラに会っているという。愚痴も話せば、聞いているこちらが恥ずかしくなるような愛妻や愛娘の自慢もしているらしい。超能力者の三枝さん曰く、本当に会話として成立しているとのことだ。
 故に、みどりはこの日常を既に諦め、受け入れている。それに女世帯の三世代同居となったこの家に健が毎日生活するのは肩身が狭いだろうとも思っている。
 そういう面でこれはある意味藤戸家の伝統なのかもしれない。両親が離婚したり再婚したり別居したりを繰り返し、気づけば引退後の今も国際警察の盗掘品関連の部門で偉い人をやっているらしく、万年海外単身赴任を続けている。みどりにとって、父親と過ごした時間は果たして何日あるのか正直不安だが、慣れというのか血は争えないのか今現在、自分達は娘に同じ様な生活をさせ、それをそこまで悔いていない。

「…条約で必要なエビデンスは大分整理できたから、後はこの一覧にあるサンプルで入手できるものがあったら今度の時に持ってきて」
『そうだなぁ……。オッケー! 半分くらいは心当たりがあるから多分そのくらいは採取できると思うぜ』
「ふふん。心強いわねー」
『まぁな。……あと、睦海はどうだ? もうすぐ大会なんだろ?』

 一通りのやり取りが落ち着き、健が表情を変えた。いつの間にか父親の顔ができるようになったのだ。
 そんな感想を思いつつ、みどりも母親の顔に自然となった。

「ちょっと焦ってるみたいよ。記録が上手く縮められないみたい」
『長距離走にしたのもこの春からだもんな。いくら体に一番合ってる種目に変更したからって言っても、そうそう簡単に結果は出ないだろうからなぁ』
「そうね。あの子自身も頭じゃ理解しているんだろうけど、気持ちはそうじゃないんじゃない?」
『そうだよな。……もうすぐ1年か』
「えぇ。今も時々前の記憶で夜うなされているわ」
『………そうか』
「サンプルは急がないから、戻れそうなところがあったら一度帰ってきてあげられる? やっぱりこういう時は私じゃなくて健じゃないとあの子はダメなんだと思う」
『わかった。一晩くらいしか時間は作れないかもしれないけど、今月帰れそうな日があるから筑波と相談してみるよ』
「うん。よろしくね」
『任せろ!』

 通信を切り、みどりは深く息を吐き出した。
 約1年前に睦海はシエルになった。そして、シエルと睦海がまるで溶け合うように今の彼女となった。別に他人になった様な変化があった訳ではない。
 当時は本当に自然で、それでいて不思議な変化だった。ドラマチックにある日突然シエルの記憶を思い出した訳でもなかった。少しずつシエルが混ざり始め、中学生頃だったか、いつの間にかシエルの記憶を有しており、歴史改変の事実を健が明かした。そして、昨年遠野亜弥香が現れたら、当たり前の様にシエルへ意識を移し、過去へ行った。それこそが歴史や世界の持つ運命の強制力なのかもしれない。みどり達も不思議とその運命を受け入れ、見届けた。
 そして、現在。睦海は桐城睦海としての人生を歩もうとしている。それは新たな目標を見つけようと必死になっているようでもあった。陸上部に入部し、走ることに夢中になったのもあの後からだ。本人に聴いても「美少女ランナーってカッコいいでしょ?」とか「運動は健康にいいのよ」などとはぐらかしているが、そのフォームは15歳の健そのものだ。
 そもそも自分のことを美少女と自称するようになったのも1年前からだ。聴くまでもなく肉体を失ったシエルの記憶を持っている為だ。
 娘の抱える壮絶な記憶は本人からも聴いており、その絶望的な世界を文字通り彼女は自らの手で救ったのだ。
 みどりからしたらもう世界は平和なのだし、本当の自分を取り戻したのだから、今更焦る理由はどこにもないようにも思えるが、それを自分の存在意義が既に終わってしまったかの様に感じ焦燥感に駆られるのは思春期故のことで、ある意味で青春なのかもしれない。そして、それこそ彼女が年齢相応の心に戻ろうとしている証拠とも思えた。



 

 数時間後、データ解析と用意済みの資料を整理し終え、ある程度提出予定の資料が完成したといえる。この資料は次の国連総会で採択される予定の条約の規定となる水準のエビデンスとなる。正式な条約の名称は舌を噛みそうな長さになる為、発端となった運動を起こした女性の名前からハルカ・ヒウナ条約と一般的には呼ばれている。前回の国連総会まででこの条約の作成と審議を終えており、既に国家間の水面下の調整も済んでいるので採択に必要となる賛成票は確実といえる。
 今みどりの行なっている資料作りは、その大詰めだ。どんなに素晴らしい文章が完成し、世界各国が署名をしようと、批准とする条件が何の根拠もない数値や法律の制定では全く無意味だ。ここにこういう信頼できる根拠たるデータがあるから、この条件を満たしたら批准国としますよとしないといけないのだ。このエビデンスが弱いとその後の締結国会議で具体的に定めていく協定などで反発や無視をする国が出てくる可能性がある。つまり、名ばかり、形ばかりの条約になるリスクを減らす必要があるのだ。
 別にみどりは国連の事務局の人間ではないが、この条約はその性質上、事務局をG対策センターと一体化させて運用されることは容易に想像ができる。そうなれば、国際的機関の国家環境計画局と国連のG対策センターのそれもG観察研究センターのみどり達環境研究部門が事実上の事務局担当にされるのは明白だ。インファント島のあるインドネシア周辺諸国は協力的だろうが、大国の米露中とアフリカや中東地域の一部は嫌煙しそうだ。今の努力が後の苦労を減らしてくれることだろう。

「さて、一応あとは国家環境計画局に渡せばいいのだけど……」

 正直、ここでみどりの手から離れたら後はみどりが何かすることは難しくなる。できれば、有識者の意見を貰って最後の手直しをしたいところだ。
 みどりは机の前で思案し、何度かドアをチラチラ見る。

「……よし! お母さーん!」

 リビングでテレビを見ながら寛いでいる母親を呼ぶ。困った時は近くの有識者だ。
 半年前に退職をしたが、東都大学環境情報センター、国家環境計画局などを歴任したこの分野の専門家だ。

「何? ……あんた、小学生の自由研究じゃないんだから」
「まあまあ」

 苦笑しつつも藤戸雅子学識経験者兼母親は、部屋に来ると眼鏡をかけて資料を流し読む。

「エビデンスとしては十分だと思うわよ。強いて云えば、ゴジラはこうだけど、モスラだと違うかもしれないじゃないかと言われてつっこまれると折角のエビデンスが信用されなくなるかもしれないわね。インファント島は国家環境計画局の方で準備してるんだっけ? それなら、そっちのデータとこれが連動して、同じスケールで示した一つのエビデンスってことを明確化しておいた方が無難よ。みどりのことだから、自分のスケールで資料作りしてるんでしょ? 優秀なのはいいけど、他の人も自分と同じレベルのものを用意できると考えてしまっては足並みを揃えられないわよ」
「流石はお母さん!」
「ふふん。何年貴女の母親やってると思ってるのよ。……仕方ない。昼と夕食はお母さんが作ってあげましょう!」

 母親がリビングに戻って行った。
 そして、みどりは前回のミーティングで受け取ったインファント島の資料を確認し、先方に合わせた形に資料を手直しすることにした。
 時計を見る。夕食までには終わりそうだ。
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