誓い〜for NEXT「Generation」〜
将治の陣中見舞いから三日後。自宅謹慎中にも関わらず、オリハルコン事件の事後確認の名目でつくばに行くことが許されるとは思いもしなかった。健は新幹線の車中で二つ目の弁当の封を開けながら将治の誘い文句を思い出す。
つくばにあるG対センター本部で半期に一度開かれる大規模会議。各部署の責任者が一同に会し、報告事項と次期に向けての計画を開示し、各部署同士の調整を行う事を目的としているもので、三日間に渡って開催される。将治はその席に健を招待したのだ。
確かに、10年前の経緯を考慮すれば健もその中にいてもおかしくない。しかしあの一件が終わった後の健はあくまで一般人であり、間接的にもGフォースには関わっていない。招待となれば、それは単に傍聴者と言う立場でしか参加できない。それでもいいから、と将治は遠慮がちに断ろうとした健に無理矢理承諾させたのだ。
将治のコネをフル活用すれば、健に会議を傍聴させる許可を得るのは造作もないかもしれない。しかしあえてそうする意味と理由は分からないままだった。
程なくして列車は上野駅に到着した。ボストンバッグ一つ抱えてホームに降りて地上階に上がる。そこから在来線に乗り換えて二駅だと将治はLINEで寄越していたが、一人で本格的に東京の電車を使うのは初めてだった健にとっては、何が何だか分からない迷宮に放り込まれた気分にさせられた。複雑。あまりに複雑怪奇。どれに乗れば目的の駅に行き着くのか、不安しか胸中に残らなかった。
結局、数人の駅員に聞いてようやく目的の駅である秋葉原に到着した。後は将治が送ってきた地図に従ってホテルを探すだけだ。将治が言うには、急な参加決定の為につくば市に宿を用意することができなかった出席者は他にも数名いたらしく、都内からつくばに行くのに便利な秋葉原にまとめて用意したとの事だった。歩いて数分の所にあったビジネスホテルが今日の健の宿だ。
チェックインを済ませ、広めのツインルームに入った健は荷物を窓側のベッドの上に放り投げ、ドア側のベッドにその身を投げるようにして飛び込んだ。
周囲の目が刺さり、支配下に置かれているような窮屈さを感じていた警察の寮では得られなかった安堵感。一週間振りに心の奥底から休まった瞬間かもしれなかった。頭の中を空洞にし、改めて一週間の出来事を思い起こしてみれば何という不条理だろうか。自分の信じる正義の道を考え無しに突き進んできた結果がこれなのかと思い込んでみたら、ベッドごと押し潰してきそうな喪失感が健にのしかかった。身体も、心も重かった。何をする気力もあるはずが無く。廊下で誰かがスーツケースを転がす音を遠くに聞きながら、夕食を摂る事も忘れたまま、眠りにつこうとしていた。
着信が入ったのはそんなときだった。画面を見ると将治からである事を示している。
「おう」
『もう到着した頃か? 無事なんだろうな?』
「余計なお世話だ。もうチェックインしてベッドの上だ。田舎者だと思って舐めてるな?」
『桐城を見てると田舎者の定義が崩壊しそうだ』
「ま、まあ新幹線降りてからはちょっと迷った。ってか電車多すぎだし、人が多すぎだ」
『上野でそう言っていては、新宿に行ったときには本当に遭難するだろうね』
「うっせぇ」
都心の駅で迷子になる25歳。考えたくない。
「で? もう用件は済んでるのか? 今日はちょっと早めに休みたいんだけど」
『一つだけ。この前新潟で会った時、君が女性関係に悩んでいると聞いて心底驚かされたんだが、冷静になって考えればそうなって当たり前だったなと思ってな。茶化したことを謝りたい』
「いや、蒸し返されても困る話題だろそれ」
『しかし無視はできない。どうして君が焦っているのか、その理由を直視する必要があると、ふと思い出したんだ』
「……理由って?」
『彼女の言葉が頭の中に残っているんだろう?』
「……そうだよ」
[あと10年生きたら分かるよ]
健は焦っていた。
十年前にあの少女が言い放った言葉。
オリハルコンとガダンゾーアを巡る一連の事件は、今の健にとっては遠い日の出来事でありながら、自らの道程を語る上では決して欠かすことのできない、地獄のようでありながら胸が躍った日々だった。今となっては、地球を救うために戦ったと言っても信じてくれる人はそう多くない。しかし健自身の経験として、それは自分を見つめ直す機会であり、自分の未来の片鱗と触れることのできた日々だった。あの少女の笑顔が、それが決して悪いものではないと切に語っていた。だからこそ健は、そんな未来を裏切るような行為だけはするまいとしてきたのだ。
その重要な要素の一つに、結婚相手があった。健の伴侶となるはずの女性。あの少女、睦海は確かに言った。その相手が分かるのは10年後だと。そしてその時は、すぐそばまで迫っていた。
このまま女性関係が上手く行かないままであるのは、睦海が見てきた未来に対する裏切りだ。何としてでも阻止しなければならない。そんな焦りに健は駆られていた。
『確かに彼女はそう言った。しかしそれは彼女がいた未来での話だろう。この時間軸の上では、君の伴侶が現れるのはまだ先の出来事なのかもしれないじゃないか。桐城、少し自分を追いつめすぎだ』
「そうか?……そう思うか?」
『ああ。少なくとも今の君が思案すべきは今後の身の振り方だ。不器用極まる君だからこそ、警察に残って職務に従事すべきなのかもしれないし、別の道に指針を向けるべきかもしれない。その判断ができるのは君自身だけだが、色々と振り回されて参っている今の君の判断で選んだ人物が良き伴侶になるとは限らない。まずは君が落ち着く事だ』
「……ああ。そうだよな」
『G対センターの空気が、君の澱んだ精神を少しでも洗ってくれることを期待しておくよ。それじゃあ、明日は遅れないよう気をつけてくれ』
「わかった。ありがとな」
『ああ』
通話を切った健は、さっき以上に感じた疲労感を降ろすようにベッドに横たわった。透かした奴である将治があそこまで他人思いだったとは思わなかった。いや、Gフォースの中である程度の地位を手にした将治もまた、あれから変わったのだと言うべきかもしれない。
祖父の七光りだと蔑まされ続けてきたにもかかわらず、将治は自らの実力で這い上がり、周囲を見返してきた。その芯と精神の強さが、今の健では及ばない所まで上り詰めているのだとしたら、諭されたような気分にさせられるのは当然と言える。
「……腹減った」
脳味噌を回転させるのは想像以上にカロリーを使うというのは本当だったらしい。このまま寝ると、エネルギー切れを起こした身体が真夜中に起こしに来る。コンビニのおにぎりでも何でも良いから何か口に入れようと思い立ち、健は財布と携帯を手に取って部屋のドアを開けた。
「あっ」
そこにいた人影に気づき、健はドアを引っ込めた。危うく激突させるところだった。相手も顔を覆いながら一歩後ずさる。
「ご、ごめんなさい」
よく見れば髪の長い女性だった。背は高めで、顔立ちは……などと考える必要がない事にその瞬間気づいた。顔を見た瞬間、健の全身の筋肉が跳ね、硬直と伸縮を二度三度繰り返した。
「あ……もしかして……みどり?」
「えっと……んん? あ、健じゃん!」
「あ、ああ。久しぶりだな」
数年振りとなる会話にしては短くまとまりすぎているようにも思えたが、いざ面と向かってみると何を話したらいいのか分からない緊張感と立ち話で済ませたくないという思いが交錯し、そこに老いを感じさせない手塚みどりの容貌に見惚れてしまっだ事実が加わった結果、どうしても口数は少なくなってしまった。
「えっと、そうしてここに?」
「健こそ……お母さんから新潟で警察やってるって聞いてたから、びっくりしたぁ」
「ま、まあ色々あってな」
「……ねえ、もしかしてゴハンまだ?」
「ああ、まま、まあ、そうだけど」
「一緒に食べに行かない? 私もこれから外で食べようかって思ってたの」
「おおう、そうだな、ちょうど良いよな。んんじゃあ行こっか」
「フフッ」
「みどり?」
「もう、なぁにギクシャクしてんのよ。そうと決まったら早く行くよ」
「あ、ああ」
何をやってるのかと自分を戒めたくなる一方で、ここ数年で一番の居心地の良さを感じ始めていた。破天荒を極める健の自然体を自然なまま受け止める事のできる人物といることがこんなにもいい気分だったなんて。
ガダンゾーアの一件で父親との再会を果たしたみどりは、国家環境計画局への就職から進路を変えて大学院に進んだ。博士号の取得後、東都大学環境情報センターでの研究員を経て、二十代半ばでG対センター環境研究部門副主任の職に就いた。その輝かしい経歴は、あの三枝未希以来となる希代の才媛として話題を集めた。この6年間は、10年前の戦闘による環境の変化の調査の為に世界中を飛び回っていて、今日帰国したばかりだったらしい。今夜は秋葉原に宿泊し、明日つくばでの会議に出席する。帰国のスケジュール調整が付いたのが昨日で、将司の言う[急な出席者]の一人と相成った訳だ。
落ち着いて話せる店が良いというみどりの希望を元に店探しして20分。結局、いわゆるチェーン系の大衆居酒屋に入ることになった。
「じゃあ俺生にするけど、みどりはどうする?」
「ああ! そっか、健成人してたんだったぁ。いやぁもう年取るはずだわぁ」
「失敬な。俺だってガキのまんまじゃねぇって」
「どうだか。案外まだまだ子供だったりして」
無邪気な笑顔を交えて健をからかう様は相変わらずだった。そんなところに懐かしさを覚えつつ、まずは二人分のビールを注文する。お通しと共に運ばれてくるまでに5分もかからなかった。
「それじゃあ、再会を祝して!」
「かんぱーい」
ジョッキを交わし、最初の一口を喉に注ぐ。胸でつっかえていたもの全てを一緒に飲み込むような勢いは、あっという間にジョッキを空にした。
「ちょっと、いきなりイッキする?」
「んあぁっ。いいじゃねぇかよ。すみません! もう一杯! それと……」
頭を抱えるみどりをよそに、おかわりとつまみと注文する。
「そういう、節操がないところもまだまだ子供ね」
「さっきからガキのまんまだとしつこいな。俺のどこ見りゃそう言えるんだ?」
「そうねぇ。隠し事ができないところとか」
「え?」
「なんだか健、元気なさそうだったから」
全身から一気に力が抜けた。見透かされていたというのも勿論ショックだったが、その相手がみどりだという事実もまた、健には受け入れ難い話だった。ホテルでばったり会う前に何があったのか、もしそれを話すことになれば、みどりは如何様にしてからかってくるのか、考えるのさえ面倒だった。
「みどりには関係のないことだ」
「仕事が上手く行ってないか、恋人と上手く行ってないか。あ、別れたとか」
「うっ」
「図星かぁ。しかもその反応から察すに両方ねぇ」
「な、何だよ! 何もかも図星じゃあ悪いか?」
「大人になると、隠し事の一つや二つはできるようにならないとね」
「う、うるさいなぁ! 嘘吐きよりはいいだろ!」
「人に心配をかけないように自分をコントロールできるようになりなさいって言ってるのよ」
「それでも相手を騙してるのに変わりはないだろ? 俺、そういうのはダメなんだ」
「健らしいっちゃらしいのか。じゃあこんなのはどう? 私は今、健に隠し事をしています」
「え、隠し事って何だ? まさか結婚したとか?」
「そ、そうじゃないけど……そうとも言える」
「え」
みどりの表情が瞬間的とも言える速さで曇った。同時に健の中で落ち着かない何かが渦巻き、それが爆ぜて重くのしかかる感覚が現れた。
「そうとも言えるって……何?」
「ほ、ほら、私ももういい歳じゃん? だからさ、お母さんがね、心配してるんだ。結婚はしないのかって。いい人と巡り会って、いい家庭を築いて貰いたいって思いが人一倍強いみたいでね、その上ああいう人だから、自分が決めたことにはやっぱり頑固なのよね。で、帰国してのいい機会だから、来週お見合いしなさいって」
「おみあ……」
「お母さんの言うことも分かるけど、そうやって無理矢理出会わされて結婚しても上手く行かないじゃん。そう思うとね……家に帰るのも億劫でさ。あ、ゴメンゴメン。こんな話するつもりじゃなかったんだけど、しんみりさせちゃって。とまぁこういう事よ。本当の事を話せば互いにすっきりするってモンでもないの。どうよ?」
「あ、いや、どうだか、わからないや、あはは……」
自分でも分かるくらいにひきつった顔をして、健は二杯目のジョッキを飲み干した。
「わりぃな。いつもだったらどうすればいいのか、スパっと浮かんでくるんだけど、今日はやっぱり調子悪いのかな」
「そりゃあフられた後じゃあね」
「んなっ、だからまだそうだと言ってねぇって!」
「言ったじゃん。素直じゃないねぇ健は」
「うっさいなぁ!」
危惧した通りにはならなかった。傷に障られた不快感も無く、気持ちよく時間が進んでいく。
どう説明すればいいのか分からない。どんなに気分が落ち込んでいても、みどりと言葉を交わすだけで、嫌なことも忘れられる。みどりと話をするだけでいつもの自分を取り戻せているようで、でもそれがどうしてなのかが健には分からなかった。
みどりが特別だというのならそれは否定しない。弥彦にいた頃から知っている仲で、家族ぐるみの付き合いがある。表面的なことでお互いに知らないことはないと言えるくらいに色々と遊んだし、色々と言い合った。それが故に築かれた信頼関係の強固さは折り紙付きだ。
端から見れば、自分とみどりはどういう仲に見えるのだろうか。そんなことを頭の片隅に置いたまま、健は三杯目を注文した。