「G」vsディアボロス
「つまり、トータルの順位では勝てないけれど、一対一であれば勝てるというのが、尾形……否、ハクベラをWFOに留まらせる理由という訳か」
御猪口の中の酒を揺らし、震える水面を見つめながら鈴代は言った。
「確かにそうかもな」
「そうか。じゃあ、Cielが居なくなったら、ハクベラはどうなるんだろうな……?」
「さぁな。……だけど、何度も戦っているからか分かるんだよな。Cielは居続ける。勿論、飽きたり、WFOを引退することはあるだろうし、あれだけ有名になったアバターは使い難いだろうから、リセットすることはあるだろうけどさ。だけど、Cielのプレイヤーは必ずどこかで復活する」
「ハクベラの様に……か?」
「そうかも」
「「…………」」
沈黙。二人は無言で酒を飲む。
既に、料理は一通り食べ終えており、会話が途切れた室内にデザートの柚子のシャーベットと熱いほうじ茶が運ばれた。
「この後は呼ぶまで入室を控えてくれ」
「かしこまりました」
女将が下がると、新たな話題とばかりに鈴代はリュックからタブレット端末を取り出す。
「今時情報共有がタブレット端末か」
「お役所だからね。外部へ持ち出せるのはこれに入れた状態だけだ」
「ふーん」
白嶺が手をタブレットに伸ばすと、すっと鈴代は自分の手元に戻す。白嶺が視線を上げると鈴代はニコニコと笑っている。
「だからデータの流出に対して過敏なんだよ、お役所ってところは」
「触るだけだ」
「触るだけでもその眼鏡と腕の端末が起動している時点で警戒するさ」
「……わかったよ」
白嶺は肩をすくませて、両手を上げた。
それを確認して、鈴代はタブレットの画面を見せる。それは専用のソフトウェアで管理されたデータベースであった。一覧表形式で左に時刻、ナンバリングされたコード、テキストデータ、映像データ、音声データで並んでいる。
「……ログか?」
「そうだ。3週間前に一時的なアクセス障害が関東を中心に発生した。幸いにも深夜だった為、その影響は深刻にならず、直ぐに改善された。というのも、原因は関東にある転送サーバーサービス会社の一つでサーバーの一部が不通状態となったことによるものだった為、他のサービス会社がフォローに入り、まもなく該当するサーバーを切断し、解消された」
「そのログか。……見たところ、サーバー内の何らかの欠陥による事故、或いはトラッキングによる故意の破壊か。だが、後者はセキュリティ的にも状況的にも考え難いな。仮に想定するならば、時限制による破壊プログラム、独立したAI……」
「中々な見立てだよ。まぁ当初は事故だろうと判断したが、5日後。別の転送サーバーサービス会社で同一の被害が発生した。……これだ」
「ほぼ似た状況だな」
「ところがこの時、サーバー内に確認をする為にアクセスした社員がいた」
「事故ではなかった?」
「そうだ。社員は仮想空間そのもの、ルートウェアを破壊するクモを見たと証言している」
ルートウェアというのは仮想空間という概念が登場した中で生まれた造語だ。従前から存在したコンピュータの物理的な本体であるハードウェアと内部のプログラムであるソフトウェアの2つに加え、新たに仮想空間で擬似感覚ながら物理的な操作を行う根幹をなすワークスペースが登場した。厳密にいえば物質的に存在している訳ではないのでソフトウェアに含まれるが、便宜上別物として扱われる様になった。そして、概念的に「根」を意味するルートウェアと呼称されている。
「クモ? スパイダー? それとも」
「スパイダーの方だ。その証言からサイバー攻撃を疑って調べられた。類似した一件目も同様だ。そして、分析した結果発見したのが、これだ」
タブレットを操作し、画像が並べられた。最初に表示されたものは黒い点、黒い立方体、他も12面体と多面体で並んでいる。
そして、別の画面に切り替わり、子どもが作成した3Dグラフィックスのような凹凸や曲線、曲面のない平面のみで作られたクモの画像であった。
また、他の画像とこのクモの画像には相違点もあった。
「このクモ、アバターの視点か?」
「そうだ。先の目撃した社員のものだ。アバター本体はサーバーごと消失して再現不可能だったが、端末側の直前のデータは処理が上書きされずに残っていた。これはそこから復元したものになる」
「クモ型のプログラム? 人工知能、或いは特定のルールが設定されて生物の様に振る舞う人工生命体。少なくとも単純なものである可能性は低いな」
「同感だ。……そして、昨日も通信障害が発生し、信号や自動車の自動運転システムにトラブルが生じて交差点内の事故が起きている」
「そいつは?」
白嶺がタブレットのクモを指差して聞くと、鈴代は首を振る。
「残念ながら見つかっていない。しかし、状況が酷似している」
「で、何でこれを俺に話すんだ?」
「このクモを探して欲しい。できれば、正体も」
「報酬次第かな。……だけど、わざわざ俺に言わなくても鈴代のところなら専門だろ?」
「勿論動きはある。だけど、正直あまり期待できない。一つはまだ2件目のクモが他の2件と関係するか不明であること。特に、クモはルートウェアごと消滅している。1件目は少なくともそんなことは確認されていない」
「3件目は?」
「主に尾形に話を持ってきたのは3件目が理由だ。3件目で交通事故が発生したことは言ったが、事故の関係者に入閣者の関係者がいた」
「つまり、圧力ってやつか?」
「そこまで露骨なものではない。政治家側でなく、内閣官僚側から情報として流れた程度だよ」
「……それを圧力っていうんじゃないか?」
政治家本人が主導して調べるな等と行政に言ったら、それ自体が大問題だ。調べる側が自発的に調べることに対して慎重にさせる。上下関係が組織、システム上に存在する関係で、不都合となり得る情報が流れるから、下は忖度するのだ。
「臭いものには蓋をしたくなるというだけだ。……それに、その関係者を狙ったテロ、またはこの動き自体に政治家の意図が介入していないか、国家的な脅威とならないか、それは内調も注視しているよ」
「内閣情報調査室? 通信障害で起きた事故一つで? スパイ映画みたいな話だな」
「自ら世界中のサーバーに潜って実際に調査をするようなことを本当にしてくれる本物なら、丸々託してもいいのだけどね。所詮は情報を扱うエリート集団ってだけさ」
鈴代は肩をすくませると、人差し指を白嶺に突きつけ、八重歯を見せて笑う。
「だから、本物に頼むことにした」
白嶺は嘆息し、鈴代の指を掴んで下げる。
「ちゃんと金は貰うぞ。領収書が切れないなら、財布からでも出してもらう」
「わかったよ。……あぁ。そういう事情だから3件目は通信障害の方に留めてほしい」
「わかってるよ。それに、他が調べていることをわざわざ調べる必要もないんだろ?」
「あぁ。その通りだよ」
鈴代は白嶺の言葉を聞いて、満足気に頷いた。
そして、見せた資料と同じ物だと、メモリーカードの入ったケースを卓上に置いた。
「今時?」
「データを移したら、カードはハンマーで潰して処分ということで」
白嶺のコンピュータは余っているポートにジャンク品のカードスロットを設置しているが、30年から40年は前の代物を変換できる機器を持つ者が果たしてどれほど世にいるのか怪しいものである。
「鈴代、楽しんでいるだろ?」
「身銭を切って無給労働するなら、趣味と割り切り楽しむ他ないだろ?」
「それもそうだな」
そして、白嶺はケースを手に取った。
3日後、白嶺はハクベラのアバターでWFOにログインをしていた。
休日の昼間だけあり、ログイン数は多く、ハクベラの日課の狩場にも人が多い。日課とはそのユーザーが日々ログインをする際に必ず行う作業を指し、多くの場合は日替わりで内容が変わる店舗アイテムの確認や一日一回挑戦可能なクエストの受注、攻略となる。WFOはストーリーイベントに該当するものやコレクション的要素の強い収集課題なども含めて全てがクエストとして管理されるシステムとなっている。そして、生産職に近いビルドをしているハクベラの場合は、ストックしている素材の数が、イコール戦略の数となる為、素材となるアイテム集めが日課となる。
特にプログラミングをして罠等に利用するアイテムの作成に必要となる素材は、一日一回倒すとそのアバターは出現エリアに入れない仕様となっているものやドロップ率が非常に低いものが多い、所謂レアアイテムに該当する場合が少なくない。
その為、日々コツコツ素材集めを行うことが必要となる。
毎日戦っている為、行動のパターンやリーチ、弱点、有効な攻撃方法も最適化した効率的なやり方を覚えているハクベラは、そのエリアに入って現れた巨大な怪獣にも全く動じない。
このエリアはすり鉢状の構造となった渓谷で、一日一回、幅4メートル程度の隙間が上空まで伸びる渓谷の入口で発生する【古代の鎧獣】というクエストを有効にすることで奥に入れる。奥に入ると、すり鉢状となった広いエリアの中心の地面が陥没し、巨大なアルマジロ型の怪獣が現れる。
「おっす、マジロス。今日はグリッドプレートをドロップしてくれよ」
グヴァアアアアアアアウウウン
古代アルマジロ変異獣という二つ名を持つマジロスは、かつて日本の弥彦村に出現した実在した怪獣の一体だ。四足歩行型の怪獣である為、体高は35メートル程で、レイドバトルや巨大兵器を持ち込まないソロ攻略がギリギリ可能な相手である。
勿論、中級者くらいまではレイドでの挑戦や渓谷の手前にある破壊された野営基地の中にある旧式の九〇式戦車を使用して挑戦することを推奨されている。そもそも今でこそ単体の討伐系クエストとなっているが、かつては戦車まで行き、NPCから「渓谷の怪獣を倒してくれ」という依頼を受けて、戦車で渓谷まで行かないといけなかった。【装甲車操縦】というパークを取らずに走らせるくらいなら可能だが、視界も操縦席の隙間と計機のみ、一般車とは操縦方法も違う為、非常に苦戦する。その労をして、戦闘では砲台と操縦を一人で行うのはほぼ現実的でなく、結果的にパークなしでは使えない兵器となる。その類のクエストは多かったので、クレームも多かったのだろう。数年前から単体討伐クエストとして分割されるように変更され、今日に至る。
ハクベラは、淡々と予めクラフトしておいたダイナマイトを地面に配置する。視界の上隅にはストップウォッチを表示している。
一方、マジロスはハクベラのいる方角へ飛びかかる。
「3、2、1、ドーンッ!」
グヴァンッ!
マジロスの着地地点でダイナマイトが爆発し、マジロスはダメージを追う。マジロスが動くが、その場所でもダイナマイトが爆発。マジロスの動き、被弾モーション中のダメージ判定無効時間が切れるタイミング、全て完璧に先手を取って設置されたダイナマイトは、マジロスに成す術を与えずに一方的なダメージを与え続ける。
「これで最後かな?」
ダイナマイトを設置してハクベラは、後ろに下がる。ダイナマイトのダメージを受けたマジロスは地面に倒れ、再び起き上がる。体力が残りわずかとなり、攻撃パターンが変わり、威力が上昇するサインで、ここからは光線技であるグリッド・バイラを使用するのだが、マジロスの目が光った瞬間にダイナマイトがその真下で爆発した。
グヴゥゥゥゥゥゥ……
マジロスは攻撃モーションを発動することなく、グリッド・バイラの前兆モーションである目を発光させた状態のまま消滅エフェクトとなり、粒子となって消えた。
そして、代わりにすり鉢状の地面の中心にアイテムが出現する。アイテムそのものはリアリティを高める為に小さく、マップオブジェクトとの区別が付きにくいが、アイテムアイコンがそのアイテムの上に表示される為、見つけ易い仕様となっている。
「おーおーおーっ! ドロップしたぁっ!」
アイテムの形状も表示されたアイテム名も【グリッド・プレート】で間違いない。
アイテムを回収し、次の日課こと素材集めの場所へのワープをする。
鉱山のエリアにワープしたハクベラは、他のアバターが坑道の奥にある所謂ダンジョンとして、ハック&スラッシュを楽しむことのできるエリアへと向かって進んでいくのを尻目に洞窟の広間になっている空間でピッケルを壁に向かって振り下ろす。
この採掘についてもかつては採掘屋と云われる程、本当に掘削や採掘を経験した人間以外はパーク取得なしに行うことが困難であった。しかし、あまりにもクレームが多く、遂には開発会社へピッケルを送り付けるというキャンペーンまでもがSNSで起こり、シビアなパーク至上主義のWFOにおいて異例のパーク廃止と実質的なスキルシステムが導入されたジャンルである。それまでのピッケルや掘削機は武器として再設定され、装備品外の特別なアイテムとして新たなピッケル【伝説のツルハシNotch】が導入された。扱いはクエストアイテムとして処理され、破棄や売却ができず、重量設定もない。そして、採掘可能な場所でアイテムを使用すると自動で体が動き採掘を行うという、非常にゲーム的なものとなった。
このピッケルはWFO初の擬似的なスキルシステムの導入といわれている。採掘回数に応じてデータ内の数値が累積される機能があり、一定基準値を超えるとピッケルのレベルが上がり、採掘量やレア採掘を可能とする。つまり、RPGの概念にある経験値とレベルに準ずるシステムが導入されたのだ。
WFOに新たな仕様が盛り込まれたことも画期的であるが、この作業の自動化が非常に画期的であった。これまでもパーク取得によって操作の自動化、自動補正は存在し、体が自動で動くという感覚は元々存在する。しかし、作業に伴う一連の動作に対しての自動化は採掘以外に存在しておらず、この仕様となった時、古参ユーザー達はかつてのコンシューマーゲームでのボタンの連打を思い出したという。つまり、思考を切り離し、ひたすら同じ作業をさせるということが採掘作業においては可能となったのだ。
「やはり自律プログラムであるのは間違いないか」
ハクベラはカツッ! カツッ! というピッケルの音をBGMにこの数日の調査でわかったことを整理していた。
真っ先に調べたの通信の履歴。その情報の調査手段は言わずもがなだが、その収穫は通信の履歴が存在しないという事実だった。例えどんなに優れた技術を持つクラッカーだろうと、オンライン環境でないと侵入することはできない。侵入や通信の痕跡が見つからなかったという以前に、事件の発生時にはすでにオフライン状態となっていたのだ。勿論、このオフライン状態となっていたことがネットワーク障害の原因ではない。
これが現実の世界で起きた出来事であれば、密室に突然怪物が現れ、建物そのものを破壊したような奇妙奇天烈な状況といえる。当然、バグや自然発生的なトラブルとは考え難い。
逆に言えば、それこそ何らかの人為的な干渉の可能性を示唆しているのだが、それは時限爆弾のように仕込んで破壊するといった単純な構図ではなかった。高度なセキュリティシステムを導入しており、白嶺ならば目を瞑っても通過できるものの、それでも常にセキュリティの目を掻い潜る操作を通信で行うことが前提となる。当然だが、予め決めた動きを取る程度のプログラムでは対応の出来ないほどに、鍵と鍵穴は変化を続け、セキュリティシステムの監視も乱数によって必ず少しずつイレギュラーな動きを入れるようになっている。21世紀初頭頃ならば兎も角、現代においてその動きや変化に対応する技術がなければ、ハッキングは不可能だ。
つまり、最も疑わしい物は自律プログラム。しかも、タマゴの様なイメージの存在だったと推測できる。一定時間を経過すると動き出し、刻々と変化するセキュリティに柔軟な対応が可能ということから、簡易な命令を事前に設定した程度のプログラムではなく、学習や思考を行う人工知能に準ずる性能を持つプログラムと考えられる。
「いや、少なくともこれほどまでの厳しい条件をクリアする能力をもつAIならそのデータ量だけでも痕跡が残る」
思わず頭を振りながら独り言を呟いた。
通りかがりのアバターがギョッとして振り返る。
ハクベラはその視線を無視して、再び考える。
2件目のクモが人為的に仕込まれた人工知能を含めた何らかの自律プログラムであるということだけは、結論付けて良さそうだが、その他は不明点が多い。一つは無作為に選択されたサーバーなのか、何か意図があったのか。もう一つは、そもそも何を目的としているのか。3件目が目的でそれまでの2件は実験であったというのが、妥当性の高い推測になるが、白嶺の勘は違うと言っている。3件目も実験で、次かその次がいよいよ本番だと白嶺の勘は言っている。
根拠のない勘ではあるが、それを証明するように背後で二人のアバターが揉める声が聞こえた。
「やめておけ! 運営の対応を待てよ!」
「アバターは戻るかも知らないけど、装備とアイテムまでは戻ってくるかわかんないだろ!」
「だけど、死に戻りできずにログアウトされてるんだろ? そんな不安定な状態で接続が維持できるかもわかんないだろうが! それにお前を襲ったモンスターも変だったんだろ? またやられたらどうすんだよ、やめとけよ!」
「あのクモには近づかねぇよ!」
ハクベラが振り返ると、一人は男性のアバターだが、もう一人は棒人間で、如何にも仮作成のサブアバターとわかる外見で、丸腰状態だ。つまり、棒人間はダンジョン内に残されたメインアバターから装備やアイテムを回収する為の決死戦に挑もうとしているらしい。
ハクベラは棒人間に近づく。
「おい、それはここのサーバーで間違いないか?」
「え? …って、hakuberaさん! すげっ、本物だ!」
「いや、それよりも教えてよ」
「あーはい! このサーバー内のこの奥のダンジョンです! 間違いないです!」
「わかった。そのアバターの名前と場所を教えて。俺が見てくる」
「akisekiという名前で、場所は第一層の階層出口前の広間です。一層にボスなんて居ない筈なのに、変なクモっぽいのがいるし、アクセス状況も変だし……」
「とりあえず、行くだけ行ってみるよ」
「ありがとうございます!」
棒人間を入口の前に残して、ハクベラはダンジョンの入口に立つ。そして、ダンジョンに入る境界に当たる面でパントマイムの様に手を探る。
「ビンゴ!」
ハクベラの視界にはウィンドウが表示されていた。これは内部に設置されたコンソールで、ダンジョンの様な別のスペースとの境界面である場所に存在する一種の制御盤だ。負荷軽減や開発上の都合からダンジョンは外と地続きの全く同一のサーバーではない。同じサーバーであっても、それは紐付けられているだけで物理的には別の場所に存在しているのだ。
運営側が状況を知ればまず被害を拡大させないようにダンジョンとの紐付けを解除する筈だ。そうなれば、同じダンジョンには入れない状態となる。その為、紐付けを確認し、それを維持する細工が必要となる。
「……よし。ちょっとキミ、このケーブルを握っていてくれるかな?」
「え? これは?」
「命綱だと思ってくれればいいよ」
「は、はい!」
棒人間は頭を激しく上下させ、ギュッとハクベラの渡したワイヤーケーブルを握る。ハクベラは巻いて束ねたケーブルの反対側を担いで、ダンジョンの中へと入る。
ダンジョンへ侵入した瞬間、ハクベラの視界がグラつき、動作と反応にラグが出始める。
「あー、テステス。……よし、行けるな」
ハクベラは感覚を確認しながら坑道をイメージしたダンジョン内の通路を歩く。彼の歩いた後にはワイヤーケーブルが残される。
当然ながら、視覚的に繋がっているという意味の命綱ではない。今まさにハクベラは命綱に吊るされてこのダンジョンに潜っている状態にあるのだ。
例え直接のオンライン接続が遮断されていたとしても、物理的に独立している訳ではなく元のサーバーとは有線接続が存在している。ハクベラが内部コンソールでここの存在を確認することができたことがその証拠だ。
今、ハクベラは元サーバーを経由してダンジョンに入っている。このケーブルはその接続を維持し、ハクベラの操作を行う通信ケーブルそのものといえる。
ヤゴ型のエネミーはスポーンしているが、侵入時にハクベラを運営側のメンテナンス用アバターと認識するように細工した為、全くハクベラに反応しない。ハクベラはケーブルを伸ばし、時折ケーブルの延長を作成しつつダンジョンを進む。
元々第一層は坑道として使用されていたという設定の為、通路として整備されており、脇道が多少存在するものの基本的には一本道となっている。
エネミーの湧き場である広いスペースを二つ通り過ぎて、目的地である奥のスペースへと進む。
「これは酷いな」
エネミーもスポーンしているものの、グラフィックが崩壊しており、残像のように分断、分裂してカクカクと同じ場所を前後している。
空間そのものの損傷も著しい。SFゲームのラストステージと言われても疑う者はいないだろう光景だ。壁や天井、床のグラフィックが所々消滅しており、無機質な青い平面が顔を出している。そして、本来ならば第2層へと繋がるはずの突き当たりの壁に大きな穴が空いている。グラフィック上の穴ではなく、壁というオブジェクトそのものに穴が空いており、本来ユーザーが見る事のできない裏側が見えている。バックヤードのようなものだ。
その穴の奥を確認したいものの、ハクベラは先に空間の中央で倒れている男性アバターに近づき、装備とアイテムを含めて状態を確認する。
アイテムも無事だが、アバター自体が動かせる状態であった。
「……よし。これなら直接持っていく方が早いな」
アバターを肩に担ぐと、ハクベラは奥を見つめる。システム上実装されているか、そもそも疑問符が付くものの、気配は全く感じない。
一瞬、肩に担ぐアバターを見て躊躇するが、ハクベラは恐る恐る壁の穴へと近づく。穴といっても開口部は縦横5メートル近くあり、先に見える無機質な空間はデータの収納された箱やシステムの設定や管理をしているソフトウェアが球体のオブジェクトや六角柱のオベリスク風オブジェクトとして配置されている。様子を見ていると、その空間内にドアが出現し、運営側の管理用アバターが出てきた。
咄嗟にハクベラは姿を隠し、聞き耳を立てる。
「なんだこりゃ! やっぱりコレは内部じゃなくて、ハードの物理的な故障じゃないか?」
「だけど、今確認しただろ? わからなければ、外して確認するしかないが……」
「おい! こっち見ろ!」
「やっぱりサイバー攻撃かもしれないな。何でJOプラザと繋がってるんだ?」
「ここは元々ルートウェアのポート設定があった場所だから、そのままこじ開けたんだろうな。そうなると面倒な話だぞ」
「ちょっと俺はJOプラザのサービスセキュリティセンターに連絡をする。お前は他を調べてくれ!」
「わかったよ」
ハクベラは管理用アバターが近づいてくる前にその場から撤収した。