「G」vsディアボロス




 東京都霞ヶ関に点在する中央合同庁舎。その一つに総務省も入居している。

「まだ時間あるな」

 髪をセットし、スーツを着て別人の様な容姿になった白嶺は時刻を確認し、庁舎内のコンビニで甘口練乳入り珈琲を購入する。昼食は道中で済ませているが、糖分は脳に対して別途必要だ。
 会議室のあるフロアへ移動して、購入した珈琲を飲みながら窓の外を見る。そこまで階層は高くないが、現実世界では2階以上の高さに来る機会がほとんどない生活をしている白嶺にとっては十分に高さを感じる景色であった。

「糖尿病になるぜ」
「ヘモグロビンA1c値は正常範囲だよ」
「それを測ってる時点で予備軍だろ」

 視線を窓の先に向け、一切互いの顔を見ないまま白嶺ともう一つの男はクククと笑う。場所柄白嶺も含めて皆背広姿だが、男の首からはIDカードの入ったネームプレートを下げている。勿論例外はあるが、この庁舎勤めの職員だと考えるのが自然であり、事実だ。
 彼の名は鈴代永綱。今朝WFO内で会ったスズナのプレイヤーであり、白嶺とは大学時代からの友人だ。
 白嶺と同じ37歳の筈だが、笑った際に見える八重歯に加え、目の間が広く丸みのある所謂童顔である為、十分実年齢よりも若く見える白嶺よりも更に若く見える。しかし、単なる童顔ではなく、凛々しい眉と僅かに斜視となっている瞳が目を引き、不思議な魅力を生み出している。それ故に、学生時代から彼は非常にモテる。

「それよりも会議前なのにこんなところで油売ってて大丈夫なのか? 事務局だろ?」
「厳密には事務局担当という訳ではないんだよ。初回の時に言わなかった? 事務局運営の手伝いもしているのは事実だけど」
「何だっけ? サイバーセキュリティとG対策センター担当だっけ?」
「それで十分だ。一応、国際戦略局に俺の席はあるって言っても外部の人間にはわからないだろ?」
「まぁな」

 そう言いつつ、白嶺は以前に聞いた内容を思い出す。中央省庁にありがちなカッコ書きや付が続く長い肩書きで、正確には覚えていない。しかし、国際戦略局という名から連想される通り、つくばの国連G対策センターもその国際戦略の範疇に入り、その担当として彼はG対策センターとサイバーセキュリティ統括官の間に立つ役割を担っているらしい。思考入力装置も元を正せばG対策センターで用いられた技術であったと云われている。

「あぁそうだ。……来年度から内閣の防災で大規模情報通信災害関連も会議開催がほぼ確定した。予算審議会に上がる」

 鈴代が声を潜めて白嶺に告げた。別に予算審議会にまで話が進んでいたら今更秘密でもなんでもないだろうが、中には総務省から内閣府に持っていかれると快く思っていない者もいるかもしれない。そうした者に睨まれないようにする鈴代なりの考えなのだろう。
 これから白嶺達が参加する「大規模情報通信災害に関する検討会議」は、総務省情報通信審議会の下部組織の一つだ。大規模情報通信災害はネットワーク障害による危機想定の中から派生した概念、定義であり、それ故に総務省に属する組織となっている。しかし、同時にその名の通り、その検討されている被害想定は災害であり、その原因に対しては総務省が対策を行うこととなるが、実際に発生した場合の被害に対しては復旧、救援といった実働が伴う為、防衛省が担う。その為、今期初年度に設置された組織だが、審議検討を経てついに検討会議の結論として大規模情報通信災害を他の地震、風水害等と同じ災害と定義とされるに至った。現在は被害想定から一歩踏み込み、その被害を生じる要因への事前対策案と被害に対しての初動対応策の検討だ。前述の通り、災害で防衛省、即ち自衛隊が実働を担うことが決定的である為、年度初めから次期は内閣府の防災担当か中央防災会議に移管されると関係者は皆予想できる状況となっていた。つまり、残り1年で総務省としても初動対応か事前対策のマニュアル案をまとめて、想定被害を減らす実績を残したいのだろう。

「そろそろ入るか」
「そうだな。頼んだぞ」

 空き缶を捨てる白嶺の背中に鈴代から釘を刺される。「だから、俺の所為じゃねぇよ」と愚痴りつつ、会議室の入口に向かう。

「おっと!」
「あ、すみません!」
「いや、こっちこそ」

 丁度入口で退室しようとしていた女性と鉢合わせ、互いに頭を下げる。しかし、互いに声を聴いた瞬間に眉が上がり、顔を上げて確認する。
 相手は陸上自衛官の制服を着用しており、年齢は30歳程度だが、その年齢に似合わない数のき章を付けている。そして、そこらのアイドルや女優よりも美人。丸く大きな眼と小さな鼻と口、小柄な体型は小動物を連想させる。制服でなくファッション誌に掲載されている服を着て街を歩けば十人中十人が男女問わず振り向く程度の美人だ。
 しかし、彼女の正体を知っている白嶺は容姿に対して今更何も思うところはない。
 彼女の名は桐城睦海。制服の通り、元々は陸上自衛官だが、現在は防衛省災害時即応特別派遣機甲部隊小隊長で、白嶺が知る限りでは史上三人目の特尉という階級を持つ紛れないエリートだ。しかも、彼女の制服に並ぶ数々のき章が物語る通り、相当な実力だ。ダイヤモンドが月桂冠に囲まれたき章がレンジャーき章という、元々日夜厳しい訓練を積んでいる自衛官にして最も過酷な訓練とされ、それを所有する者は畏怖と共に畏敬の念を抱かれる。つまり、白嶺の見立てた桐城睦海とは美人の皮を被った怪物であり、体はゴリラという評価だ。
 そして、この会議を通して白嶺と睦海は幾度となく意見をぶつけており、先の鈴代が懸念していた理由だ。元々互いにヒートアップしやすい性格なのと、見事なまでに双方の視点の違いから真っ向からの議論となりやすい。結果的に質疑時間は二人の独壇場となり易い。しかしながら、取り纏めを行う事務局サイドの苦労は兎も角、検討会議という組織目的としては検討を詰めて、結果的に次回への課題の明確化に成功させている。それが一期で組織目標を達成し、移管の具体的な話が上がるに至ったとも言える。
 昨年度末の回からは遂に次第の質疑時間が長く設定され、前回である今年度第一回目は意見交換と質疑時間と別枠の討論専用時間が設定されるようになっていた。もっともこれは座長である村田教授の意見が大きく影響したらしい。

「おや、本日は遠路遥々参集されましたか」
「えぇ。本日は市ヶ谷へ行っていましたので。そちらはいつも参集参加でしたね。……あ、すみません。尾形博士にとっては貴重な外出機会でしたね」
「そうですね。私の仕事は日々屋外で体を鍛えなければならない内容ではないので。お陰で肌も白くなってしまい、健康的な桐城特尉が羨ましいですね」
「いえいえ、紫外線対策も楽ではありませんよ」
「そうですか。……では」
「えぇ。……では」

 互いに笑顔だが、視線の中心でバチバチと火花を散らせた後に笑顔のまま別れた。







「開始前からやめておけよ。事務局職員がハラハラした顔で君達を見ていたよ」
「あれは挨拶だよ」

 隣の座席についていた鈴代が苦笑して声をかけてきたので、白嶺は応えながら座席に置かれた席札を確認する。
 『尾形 白嶺 博士(情報工学)東都大学』と書かれている。口頭で名乗る際はフリーランスやペネトレーションテスターと主張しても組織人でない為、肩書きらしい肩書きがない白嶺の席札や委員名簿で他の委員と名を連ねる書き方となると、これになる。
 一方、鈴代の席札は『鈴代 永綱 総務省』となっている。総務省の後ろに(略)という文字が実は印字されているのではないかと白嶺は疑っている。何にしても中央省庁の組織に白嶺は場違いな印象が拭えない。
 そもそも白嶺と鈴代の委員選抜は、村田教授が座長を受ける際に半ば条件提示のように推薦したことに起因する。
 当の本人は、白髪を留めるヘアバンドの様にメタリックシルバーのVRゴーグルを装着し、アロハシャツに白衣という奇抜な格好で表れ、『村田 友幸 東都大学教授』と書かれた席札を確認しながら、隣に座る大手通信会社社長を捕まえて、「この席札が実在するものと認識するに至るプロセスは何だろうか? 何をもって我々は仮想と現実の物体認知をしているのだろう?」と元々丸い目を更に丸く開いて疑問を投げかけていた。当然ながら、相手の社長は苦笑いで「さぁ、なんでしょうか」と返すしかない。
 一方、睦海は座席に戻っており、隣の席にいる消防庁所属の委員に声をかけて、資料のページを指差して確認をしていた。
 白嶺も残り時間で資料の内容に目を通す。事前に資料データは送られていたが、直前に差し込まれたデータなども存在する。下がった眼鏡を指で上げつつ、ARモニターに受信しているデータを確認し、追加資料の箇所を確認し、手元資料の該当ページを開く。

「……ここか」

 該当ページを見て白嶺は納得した。
 そもそも大規模情報通信災害が発生した場合、一次被害は通信障害だ。直接的なものでは該当通信環境下でのデータの送受信、アクセス障害、連絡の不通。連動してキャッシュレス決済やオンラインショッピングの障害、交通やニュース等の情報サービスの停止が想定される。そして二次被害として、交通網の麻痺、緊急通信の不通、JOプラザ等のオンラインサービスの停止。三次被害として、経済的な損害と生命に重篤な影響を及ぼす危機の発生。この具体例が、救急に関わるトラブルや常時バイタルモニターの必要な高齢者等の生命の危機と箇条書きで示されており、一方で経済的な損害は表で示しており、具体的な損害額の試算がなされていた。
 元を正せば通信障害なので、損害額の計算は比較的行い易いのだろうが、人的被害に対しての想定が個別的なケースに寄せている印象があった。恐らく総務省や厚生労働省などからデータを持ってくれば、その生命の維持に重要となり、かつ常時通信が必要となる機器を使用している高齢者等の実態は得られる筈だ。
 そして、睦海が確認しているのは救急への影響だろう。恐らく複数のパターンで救急に要する時間は試算可能だ。その試算が出れば、既に存在する経過時間毎の救命率を対比して具体的な数値で評価が可能となる。同時に対策の方向性が初動対応か事前の予防策のどちらへ向かうべきかが示されるだろう。
 睦海の思考パターンはある程度予想できている。彼女の提示したい着地点はシステムで解決可能なものを改善可能と排除し、最終的に人海戦術やマンパワーで解決する以外ないものを洗い出し、その中でも最善となる配置や役割分担をマニュアルにするというものだ。
 基本的には白嶺もそのスタイル自体は賛成だが、どうしても睦海には決定的な視点がないことで生じる穴がある。優秀な人間だからことだろうが、複合的かつ複雑化した状況で機能不全を起こして烏合の衆と化す状況の想定が甘くなり易いことや、最終的に対策不能な状況に対しての最悪想定という消極的なものを考える場合、元々の性格からだろうが、自分がその場にいる想定での見解になることが多い。大抵の場合はそれで見立てて必要ならば役割を設定してロールプレイなどをするグループワークで評価することも可能だが、彼女の場合は単身の能力があまりにも高すぎて、現場に桐城睦海が駆けつけられるケースと駆けつけられないケースでの想定に開きが大き過ぎるのだ。
 本来ならば第三者が即座にその視点を変われば解決するのだが、問題は彼女の思考速度にこの場にいるエリート達でもほとんどが追いつくのに精一杯で、その上を行く意見で想定パターンや意見の一般化をすることができるのが、気づけば白嶺だけなのだ。厳密にいえば、村田教授と鈴代も同様だが、二人とも議論がヒートアップしてくるまでは何も言わない。二人とも場を収めるのが自分達の役割と認識している節があるのだ。故に話の展開も早く、議事録担当の事務局職員は毎回青い顔をしている。
 そうして会議に向けて白嶺が思考を回転させ始めていると、事務局職員がマイクの電源を入れ、口を開いた。

「では、定刻となりましたので、第二回大規模情報通信災害に関する検討会議を始めます。最初に事前に配布した資料及び、本日の開催前に追加で用意した資料の確認をさせて頂きます。オンライン参加の方につきましては、今表示されましたクラウドフォルダをご確認下さい。まずは本日の次第、次に別紙1の……」







「今日も楽しい会議だったな」

 2時間後、退席の為に資料を束ねる白嶺に鈴代が笑みを向けてきた。
 本日に至っては完全に鈴代が仕掛け人だった。
 予想通り、睦海は三次被害想定についての指摘をし、想定の試算方法についての意見、対策案のイメージを出す。とはいえ、今回は肝心のデータがない為、白嶺も対立することなく、彼女に同調する意見を上げた。
 しかし、そこで討論が終わることはなかった。鈴代が想定の前提がソフト面の要因となっていると指摘し、ハード面やルートウェアへの外的要因による災害である場合、別の想定フローが必要ではないかと意見を述べたのだ。それ自体は真っ当な意見だが、追加で2045年問題と白嶺へのキラーパスを投げたのだ。特に後者では、2045年問題の派生で大規模な物理的被害を生む自体が生じる場合という、暗に人工知能が怪獣を生み出す場合を示唆した意見を投げたのだ。
 それを一蹴すれば終わる話であるものの、白嶺も2045年問題は元々専攻分野であった為、無視も出来ず、初動対応が間に合わない前提の最悪想定での意見を返した。検討会議としては正しい意見ではあるが、明らかに睦海の即応特派の存在を無視した内容となり、加えてその状況下で予想される状況として先の睦海の三次被害想定の対策案イメージの前提を揺るがす内容となってしまった。
 つまり、机上論で現場主義の意見を潰そうとしたのだ。当然、睦海もスイッチが入り、様々な想定を机上論で上げる白嶺に現場主義的な意見ながら、実践を元にした根拠を出して対策案を出す睦海の討論となった。

「あれは煽ったお前と黙ってみていた先生が悪い」
「あれを見ないとこの会議に来た気がしないんだよね」

 悪意しかない発言をしながら、鈴代が爽やかに笑う。それを白嶺は睨むが、彼はそれが本心からの言葉らしく言葉を続ける。

「勿論、初めて見た時は戸惑ったけどね。いや、本当の最初は見惚れてたか」
「やめてくれ」

 それが事実である為、白嶺も否定ができない。
 一年半前、初回の大規模情報通信災害に関する検討会議に来た白嶺は憂鬱であった。村田教授の推薦である以上、立場上白嶺は断ることができない。間際になって、白嶺だけでなく鈴代も委員となったことを教えられたが、それでも中央省庁の役人の鈴代と自分では事情が違う。
 そんな中、正面の座席についた美人に思わず視線が釘付けとなった。桐城睦海だ。陸自の制服に気づき、あんな美人が自衛隊にいるのかと見惚れたのが第一印象であった。
 その後、会議が始まり順調に議題が進み、最後の議題の中での質疑時間になり、睦海と白嶺が同時に挙手をした。先に発言したのは睦海だった。白嶺と全く同じ点に対して発言を始めた為、自分は何も言うことはないと思ったのも束の間、回答に対しての意見が白嶺の予想と全く異なっていた。彼女は既存の自然災害との比較で意見を上げるが、白嶺の考えはセキュリティ上の問題など人的災害に該当する視点でリスクを下げていくべきだと考えていた。
 始点と突き詰めたところにある点は同じだが、そのプロセスに相違があったのだ。彼女の意見では発生そのものでなく発生による被害の軽減、対応策がポイントとなる。白嶺の考えはそもそもの発生自体を防ぐ予防対策がポイントになるというものだった。どちらも間違いではなく、いずれは必要な検討課題だが、同時に両方を論じることはできない為、どちらを優先すべきかという話だ。
 よって、白嶺は自身の発言で直前の睦海の意見にダメ出しをする様な意見となった。そこで引っ込む相手であれば、それっきりの話だったのだろう。彼女の性格と頭の回転の早いことが原因なのだろう。即座に睦海は白嶺の意見をひっくり返す指摘と提案を出す。
 問題は白嶺も同じような質であったことだ。交互に交わされる討論に、次第に事務局職員が青ざめ、村田教授は逆に笑顔となっていた。
 良くも悪くも互いに深く印象に残るファーストコンタクトとなった。
 そして、会議後に白嶺は桐城睦海の経歴を調べた。それは想像以上の内容であった。
 まず、防大初代防衛女子コンテスト優勝。容姿のこともあるが、明らかにフィジカルな面の評価も重要になっているコンテストだった。
 そして、2036年に陸上自衛隊入隊。後期に機甲科課程。大特免許取得。翌年、御殿場の機甲教導連隊に正式配属。同年にレンジャー課程修了。
 2039年に防衛省災害時特別派遣部隊準備室に出向。同年、幹部格闘課程修了、幹部冬季遊撃教育修了。翌年、防衛省災害時即応特別派遣機甲部隊小隊長に着任。同年中に地震災害で初の即応特派の出動し、人命救助の実績。
 ここからは即応特派の実績となるが、毎年各地の駐屯地へ短期訓練を赴き、年に一回以上の雪土砂災害、地震災害で実績を出しており、更に検討会議の数週間前には即応派遣初の怪獣駆使を成功させていた。
 そして、彼女の修了していた教育課程を調べるとその内容の過酷さに白嶺は目眩をした。彼女の制服につけているき章は自衛官の中でも選りすぐりの実力者でなくてはそもそも参加ができず、その中でも優秀な成績を残して修了、合格した極わずかな精鋭にしか与えられないものであった。格闘き章は名前のイメージから想像がつき、レンジャーき章は白嶺も聞いたことがあったが、冬季遊撃き章は更に上を行く内容であった。レンジャーに加え、スキー検定特級に、部隊スキー指導官をクリアした上に冬のレンジャー訓練のような過酷な訓練を乗り越えて取得できるとんでもないき章で、大抵は北方の部隊に所属し、日頃から冬季のスキー訓練を行っている隊員が取得するようなものらしい。睦海が雪国出身で日頃からスキーに慣れ親しんでいた可能性はあるが、そうでない場合はとんでもない身体能力の持ち主ということになる。
 そして、白嶺が内心で睦海を美人の面を付けたゴリラと呼ぶようになったのは、この経歴を知ってからである。



 



 鈴代が時間休を取っており、会議後にそのまま二人は繁華街へと足を運んだ。
 鈴代が予約をしている店があるというので、白嶺は彼について繁華街から道を外れた住宅街へ差し掛かる路地裏に小さく看板を出している小料理屋に着いた。元々民間をだった建物を改築したらしく、玄関を入るとしっかりと着付けた着物姿の婦人が元は居間に該当する場所から出てきた。

「予約をしていた鈴代です」
「お待ちしておりました。2階の個室をご用意しております。こちらにお履き替えの上、お上がりください」

 まるで知り合いの家に来たように、出されたスリッパを履くと、玄関脇の階段から二階へと上がる。2階は和洋それぞれ一間あり、席は各部屋一つずつ。二人は和室へと通された。四畳半の部屋には畳の上に座椅子とテーブル、窓辺に生花と壁に掛け軸がかけられている。料亭のような上下がはっきりしていないレイアウトとなっているらしい。
 特に考えずに二人は腰を下ろし、酒の注文だけ行う。料理は順次コースで出されるらしい。

「不味い話をすることもここでならできるんだ」
「それよりも持ち合わせてはそんなにないぞ?」
「ふふふ、今日は俺が出すさ。経費で落とす」
「今時そんなの通用しないだろう?」
「そうだろうね」

 さらっと笑顔で流す鈴代。白嶺もそうだが、彼もまたルールの抜け穴を掻い潜ることに長けている。
 そうこうしている間に桐の益に入った日本酒と食事が運ばれる。朧豆腐、山菜のおひたし、刺身、天ぷらと日本酒の肴になる料理が提供される。

「しばらくは料理で出入りがある。込み入った話は食事が落ち着いてからにさせてほしい」
「構わないけど、危ない話は引き受けないぞ」
「当たり前だろ。そんな話じゃない」
「そうかい」

 そう言葉を交わしながら食事と酒を進める。
 三十代後半の独身男性二人の話題は自然と趣味と女性関係の話になる。

「最長で半年だったけ? その割には学生時代、常に彼女がいたよな。何股してたんだ?」
「日替わり制だったお前と一緒にするな。ちゃんと別れてから付き合ってたさ。まぁ、別れたらすぐに次の彼女ができてたのは事実だけど」
「酷い言い方だな。3人と週2日ずつ会っていただけだよ」
「それを三股って言うんだ。どんなスケジュール管理すればそんな器用なことができるんだか」
「一人はただの友達だったんだよ。もう一人は人妻で心得ていたし」
「少なくとも俺はその友達が朝お前と一緒に部屋から出てくるのを何度も見かけたけどな」

 そんなことをしていて、交際していた彼女には大学卒業後に別れるまでバレずにいたのだから不思議でならない。しかしながら、鈴代の行い自体は褒められたことではなかったので、白嶺は折に触れて「クズ」と彼を咎めていた。

「まぁ若かったんだよ。今はもうそんなことはしていないさ」
「していたら引くわ。……一応交際相手はいるのか?」
「まぁね。流石の尾形も独り身に焦りを持ってきた?」
「そういう訳じゃないが……。いや、否定はできないかな」
「出会いの機会は? トップランカー様だろ?」
「……なくはないが、現実的じゃないな。仕事柄、ハクベラも個人特定や交流に対して警戒してて、スズナとか本当にごく一部のアバターとしか交流を行っていない」
「リアルは?」
「お察し。ここ一ヶ月で配送業者と店舗店員以外で会話をした女性は近所の婆ちゃんくらいだ」
「一人いるじゃないか」
「え?」
「今日」
「今日?」

 鈴代に言われて今日の記憶を辿る。確かに会話をした女性はいた。しかも顔だけはとびきりの美人が。

「アレはない! ダンベル何キロ持てるかわからない相手だぞ」
「それは知らないけど、彼女はいいと思うけどね。少なくとも俺は好きだし、狙おうと思っているよ」
「お前は筋肉フェチか面食いか。いずれにしてもお前にくれてやるよ」
「意外だね。お互いあんなに活き活きとしているから憎からず思うところがあると見ていたのだけど。ほら、WFOでも同レベルで相手ができる奴が好きだと言っていたし」
「それと恋愛は別だ。大体、あの話はCielのことだろ。第一本当に女かもわからないし。それにハクベラと同じで交流を持たないソロだからゲームでの必要なやり取りしかしたことがない。……まぁ、同じ美人ならゴリラよりもCielの方がいいな。いや、それはCielに失礼か。やり取りは少ないが、少なくとも俺は性別関係なく、Cielが気さくで良い奴なのは知っているし、WFOで唯一のライバルだ」
「随分Cielに好意的なんだな。やっぱり大会で優勝を何度も争う相手は違うということか」
「まぁな。それに俺は所詮途中参加組だが、Cielはサービス開始の年からの最古参の一人だ。初心者には優しく、情報交換も気さくに行う。それでいて交流などの群れることをせず、謎が多い。ゲームは趣味だが、長続きするタイトルはなかった俺がWFOを続けているのは彼女がいるからだと思っているよ」
「ふーん」

 鈴代は白嶺が珍しく人を絶賛する様子を実に愉快そうに目を細めて見つつ、御猪口をグイッと煽って酒を喉に流し込んだ。
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