「G」vsディアボロス
起動画面が終わり、ヘッドギアのVRモニターにサインイン画面が表示される。頭に浮かべた情報を念じると画面が一瞬で切り替わり、ホーム空間といわれるオフライン環境の仮想空間にアバターの視点で立つ。同時に、眼前にウィンドウが表示され、フルダイブ環境への切り替えの確認が出る。
「承諾。承諾。承諾。……LINK START」
手足を動かして擬似感覚と反応を確認する。
慣れている白嶺にとってはいつものフルダイブの感覚であるが、擬似感覚特有の違和感は不慣れな人間にとってはもう一つ別の手足が現れたかのような気持ちの悪さを感じる場合があるという。特に実際の体の感覚が優れた人間ほど、脳の感じる情報と体からの情報の不一致を感じ取りやすいと言われている。
時刻は朝6時。恐らく30分程はまだ居るはずだ。
「JOプラザ、WFOゲート前」
仮想空間でインターネット上に存在する別の仮想空間へアクセスをする挙動を視覚的に捉えられることはユーザーの使い易さからも重要であり、単純なウィンドウのまま等身大に大きくした入口も存在するが、主流なものはドアや近未来的なデザインの転送装置風のゲートで、ファンタジー系ゲームなどは魔法陣などをモチーフにしていることが多い。そして、こうしたアクセス用の入口を従来のモニター上のブラウザウィンドウとは差別化し、一般的にゲートと呼ばれている。
国内最大の複合ショッピング空間、JOプラザのゲートは近未来的なデザインの円盤が頭上に浮かび、青白い輪が円盤から下へ向かって落ちており、その中に入るとアクセスするというスタイルを取っている。
JOプラザのイメージが近未来型の天空に浮かぶ巨大な円盤上の人工島というものなので、それをイメージしたものらしい。ちなみに、SNSや掲示板のユーザーの一部ではアブダクションと呼ばれている。
ゲートに入る際に白嶺は自分のアバターの確認をする。ミス防止の為に、仕事用とハードの端末から別の物を使用しているが、稀に他の所で変更した設定をそのままにしていることがあるので、重要な行為である。仮想現実の空間なので、コスプレや人以外の容姿にしている場合は少なくないが、偶に公序良俗に反するような外見のままフォーマルなスペースを闊歩し、企業側から注意勧告や強制ログアウトをされるアバターを見かける。特にイベントの翌日は多い。
白嶺のアバター、ハクベラはそのイメージカラーでもある白色にした天然パーマのヘアセットこそしているが、それ以外の体型や大まかな顔立ちといった基本的な容姿の特徴は現実の白嶺に似せている。これは白嶺だけでなく、殆どのユーザーが自身に似せたアバターを用意する。勿論、そうしなければならない決まりがある訳でもなく、そもそも現実ではない仮想空間で普段とは異なった容姿でいたいという人も少なくない。しかし、そういう人たちも大体はもう一つ、そのような別人としてのアバターを用意し、使い分けている場合が多い。
その理由は非常に現実的なものだ。JOプラザは国内外の企業が様々な商品を出店している非常に広大なショッピングモールだ。ゲームなどのアミューズメントサービスを提供するスペースも存在するが、一番多いのは衣類などの物販店である。折角フルダイブで画面越しに写真を見ながらとは異なる実際の買い物に近い手に取って商品を確認できる空間である。服を買うのに体が実際の体と異なれば、着合わせもできない。ゲーム等のイベントでも賞品で最も多いのはゲーム内で使用している装備品のレプリカのプレゼントだ。アバターがあまりにも自分と異なる容姿だと、折角の賞品もただの置物になる。
また、フルダイブゲームの特徴として従来のゲームはコマンドによる操作がキーとなっていたのに対して、反応や体感覚の高さが重要になる。身体で動かすイメージができないことを咄嗟にアバターで動くことはできない。トップランカーになればよりその傾向は顕著となる。元々はトップランカー達の傾向から出た噂でしかなかったが、次第に運動や武道を始めてランクが上がったという声が増えた。その結果、スポーツジム等へ通い、体を鍛えている人がプレイヤーに増加し、ゲームのスポンサーや広告でスポーツジムやスポーツ用品の参入が年々増えている。
スポーツジムやゲーム提供企業が調べたデータこそ存在するが、そもそもどちらかに一定以上の関与をしているユーザー層からしか回答の得られないデータなので、信憑性は低い。実際の相関関係の有無は不明だが、事実としてアミューズメントエリアに来た白嶺ことハクベラの前には大手スポーツジムの広告動画が立体映像で表示されている。
広告はスポーツジム内でデッドリフトをする太った青年が持ち上げた瞬間に筋骨隆々なマッチョ体型となり、その身を翻すとこのJOプラザでも一、二を争う人気のファンタジー系ゲームで大剣を奮ってドラゴンを倒すという物だ。
「たまにはドラハンもやってみるかなぁ」
ハクベラは広告のジムではなく、そのタイアップをしている国内大手メーカーのファンタジー系ゲームの方に思考が向いた。彼は職業柄コンピュータ全般に精通しており、先の仕事でもそうであった様に仮想空間をゲームのキャラクターのようにアバターを動かす必要がある機会も多く、場合によってはゲームのデータからオブジェクトやデータを借りて使用することもある。だが、そもそもの趣味として彼は立派なゲーマーだ。
ゲーム全般が得意で、JOプラザ内のゲームも一通りプレイしている。しかし、彼がホームグランドとして過ごしているゲームはファンタジーでなく、対人戦が活発なミリタリー系ゲームの『Wars Field Online』だ。ジャンルは他の人気タイトルと同じMMORPGではあるが、ベースが自由度の高いタイトルを出すことに定評のある海外メーカーであること、各兵器メーカーやGフォースの協力を受け、実際に存在した、存在する兵器を使用でき、NPCの一つであるエネミーの一部に実在した怪獣が採用されているというスケールが大きく、リアリティも高いことから、サービス開始以降、常に上位の人気タイトルとなっている。
そして、WFOのゲートへ真っ直ぐ進み、ハクベラがログインすると、アバターの外見はゲーム内での彼のトレードマークである白いハーフヘルメットとゴーグルをつけ、口元から首には赤い生地のアフガンストールとも呼ばれるシュグマを巻いて素顔を隠し、プロテクターを付けた黒いツナギを着た上に、白い冬季迷彩のポンチョを被った格好になる。
この格好と頭の上に表示される『hakubera』の名前の組み合わせに気づいた周囲のプレイヤーが、サッと離れ、道を作る。
「やっぱりハクベラだった。流石、総合ランキング2位。遠くからでもいるのがわかったよ。……でも珍しいな、お前がこんな早い時間に来るなんて」
深緑色の襟が立ったスタンドカラーのロングトレンチコートで身を包み、頭部に包帯をバンダナや鉢巻のように巻き付けた格好をした男が近づいてきた。彼の頭の上には『SUZUNA』と表示されている。
それを確認してハクベラは応える。
「仕事を終えた後だよ。この時間なら出勤前のお前に会えると思ってな」
「そりゃどうも。徹夜明けか? 午後の会議すっぽかすなよ」
スズナは声を潜め、ハクベラに言う。彼もハクベラ程ではないがゲーマーだ。リアルの話はあまりしないのがマナーと心得ている。
それも承知でハクベラは頷く。
「お前と先生の顔に泥は塗らないさ」
「その割に前回はヒートアップしていたみたいだけど? お陰で議事録をどう纏めるか悩んでいたぜ。この事務局泣かせめ」
「あー……まぁ、それはそれ。大体、アレは俺一人の問題じゃないだろ?」
「そういうことにしておく。……で、それを言いに?」
「そうじゃない。リアルじゃなくて、このイベントの件だよ」
ハクベラがイベント告知のウィンドウをスズナに共有する。
レイドイベントの告知だ。対人戦が基本的な遊び方となっているWFOだが、通常のマップに存在するエネミーや大型のボス以外に、時折更に能力が底上げされた怪獣が出現するレイドイベントがある。基本的にレイドイベントのボスはタイアップか実在する怪獣となるが、今回は例外的にWFOのボスエネミーを改造したオリジナル怪獣になる。しかし、ボス怪獣とは別の怪獣も出現し、怪獣と怪獣の戦いにプレイヤーは加勢するという設定になっている。基本的なゲームデザインはその怪獣と協力してレイドを攻略するというものだが、レイドボスへの加勢も可能で特別なアイテムや報酬は存在しないが、他よりも獲得経験値、ポイントが多く設定されている。つまり、運営側はレイドボスに加勢するプレイヤーを作り、レイドイベントに対人戦の要素を加えた混戦を発生させようとしているのだ。そして、参戦するという怪獣の正体はまだはっきりと明かされていない。
「まさか見たのか?」
「んなことしないよ。ただ、有力な情報を見つけた」
「へぇ、どんなの?」
「国連が条約の制定から15年? とかで、ちょうど最近もシドニーに現れた怪獣をモスラの一体が倒したこともあって、積極的に広報を行っているらしい」
「あー、ハルカ・ヒウナ条約か。久しぶりに凶悪な怪獣が現れたもののレインボーモスラが倒したんだったね。確かに、ここ最近は毎日どこかしらの新聞やニュース番組がモスラ関連の話題を出しているね」
「そうみたいだ。んで、そのレインボーモスラが今回の怪獣じゃないかという話だ。ソースとなった国家環境計画局もどうやらモスラを友好的に受け入れる社会を推進しているらしい」
「そうなると、G対はあんまり良い気分じゃないだろうね」
その話は以前にもスズナから聞いたことがあった。G対こと、国連G対策センターはゴジラだけに肩入れをできない立ち位置にあるが、国家環境計画局はモスラ保護の専門機関という風潮が根強いという話だ。
「まぁ仮にレインボーモスラが来るなら……一度手合わせしたいね」
「そういうと思った。だから言ったんだ」
つまり、ハクベラはスズナと悪役側に加勢し、レイド参加プレイヤーとモスラへ攻撃をしてレイドの妨害をするロールの提案をしたのだ。
そして、これにはハクベラのもう一つの意図もある。スズナもすぐにそれを気づく。
「まぁ、『Ciel』はレイド参加側だろうしね」
「そういうことだ。……前回大会の続きをここでやりたいんだ」
「了解。トップランカー同士の戦いを特等席で観れるなら協力する価値は十分だ。……あ、そうだ。今夜なんだが、時間を空けといてくれ」
「インするか?」
「いや。リアルで。少し仕事の話もしたい」
「……わかった」
「嗚呼。……おっと。俺は仕事の時間だ。じゃあ!」
「おう!」
用事も済んだ。時刻は6時半。昼食、身支度、移動時間を逆算しても5時間は眠れる。
ハクベラもすぐにログアウトした。
「白嶺、おじいちゃんはゴジラの最期を見たんだよ」
白嶺は懐かしい祖父の声を耳にして、「嗚呼、これは夢だな」と思った。
この夢は白嶺が時々見る子どもの頃の記憶だ。確か10歳くらいの記憶だ。
ベーリング海のアドノア島で生活するゴジラと一緒に暮らす新人の国連G対策センターのゴジラ観察官を取材した特集がテレビでやっていた。「ゴジラは俺の親友なんです」と爽やかな笑顔で語る男性の映像。そして、ナレーションが当代ゴジラの解説をする。ゴジラはかつてこの島で発見された卵から生まれ、先代ゴジラと異なり温厚かつ人類の味方として2009年にはモスラと共に脅威から世界を救い、以来10年以上ゴジラはその行動で人類の信頼を獲得しているらしい。
そんな映像を祖父と共に観ていたら、唐突に祖父が白嶺にそう言ったのだ。
祖父の顔を見ると、どこか懐かしむ目をしつつも、唇を震わせ、歯を噛み締めるその表情は怒り、憎悪、後悔、様々な感情が今にも溢れ出しそうな苦しげなものであった。白嶺が四半世紀も以上も経った今でもこの事を思い出すのは、白嶺以外の家族に恐らく生涯一度も見せたことのない顔を見てしまったからだろう。
他の家族の知る祖父は、会社の記念誌にも記載されている戦後南海サルベージKKの所長となり、その手腕を見込んだ親会社の南海汽船社長に婿養子へとして迎え入れられ、日本の海運業の一翼を担うだけでなく、貿易、海底ケーブルや資源開発など様々な分野に事業を展開する企業に成長させた成功者尾形秀人だった。しかし、白嶺にはゴジラによって人生を翻弄され、後悔と贖罪と共に十字架を背負って生き続けた一人の男に見えていた。
場面が変わり、高校時代の記憶が蘇る。
「尾形……お前は十分に生きた」
アクアライン海ほたるパーキングエリアに立つ学生服を着た白嶺はポケットから取り出した白い粉末を海に捨てた。
この場所はかつてデストロイアが出現した場所であり、その以前は芹沢博士がゴジラを葬った場所でもあった。
「一族の恥め! 出て行け!」
先程までと比べると最近の記憶だ。まだ六十代で社長を兄に継ぐ前の父親は激昂して白嶺を殴り飛ばした。白嶺がハッカーとして企業から訴訟をされた時の話だ。
以後、白嶺は勘当され、父親とは8年近く会っていない。
「……目覚めの悪い夢だな」
ゆっくりと目を開いた白嶺は嘆息し、体を起こした。
時刻は11時半。二度寝をする気にもならず、少し早いが身支度を行い、アパートの前で大家でもある近所の老婆と挨拶を交わしつつ出発した。