クラーケンの穀物詰めの腐り豆汁漬け

クラーケンの穀物詰めの腐り豆汁漬け



「……よし、だーれもいませんね?」

 部屋の周囲の空間に誰もいないことを確認すると、アトランティス帝国では珍しいモンゴロイドの女性、時空の爾落人マイトレヤは黒い髪を浮かせて体をくるりと回すと、空間転移した。
 この場所はアトランティス郊外の洞窟。後の文明崩壊時に消失されることは確認済みの場所だ。ここは彼女の秘密基地である。
 彼女の立場上、自室など彼女用に王から与えられているスペースはいくつか存在するものの、王のゴゥダヴァや神官仲間のジェフティ、何よりもアトランティス帝国の祖、神として君臨する後の蛾雷夜である複製の爾落人に悟られることはこの世界の運命を捻じ曲げかねない。故に、誰にも知られない秘密基地を作った。
 一見すると洞窟は入ってすぐに岩盤で塞がっているように見える。が、その奥に彼女の秘密基地は存在する。入口もなく、空間的には存在しないようにカモフラージュしているそこは十二畳のワンルームの居住空間となっていた。
 中央にはテーブルとソファーが置かれ、手前にはキッチンスペースがある。最初は単に整地した四角い空間だったが、土足は嫌だ、壁紙が欲しい、ソファーで寛ぎたい、ついでに何か作りたいと雪だるまの様に欲が増え、短期間で自身の育った2030年代のワンルームマンションの一室風の空間が完成してしまった。一時期フローリングや壁紙やタイルなどの奇怪極まる窃盗事件があった気がするが、きっと気のせいだろう。

「ふぅー…やっぱりここは落ち着くわ。初心な王様や科学者達の心を掻き乱すってほーんと、大変だわぁ。まるで悪女じゃない」

 憂さ晴らしとばかりに声を大にして一人言で愚痴るマイトレヤは、キッチンに向かう。
 流石にガスや電気、水道はない為、すべて“どこかの時代のどことも知らない場所”から借りてきた道具で代用している。



数万年後くらいの宇宙のどこか
『おい、ここに置いてあったどこでも水が出せる蛇口と貼り付けるだけで明るくなる蛍光天井板と何年も補充の必要のない万能電気調理台知らねぇか? 宇宙船工場に納品予定なんだけど』
『見てないでゴンス』



「ふふん! 今日は2000年あたりの…よし、やまとなでしこなんて良いわね。はいっ!」

 指をパチンと鳴らすと、彼女の前の空間にテレビドラマの映像が浮かんだ。時空を超えて、2000年の日本のテレビ画面を転移させたのだ。

「若いわねぇ…あ、結婚前?」

 そんなことを、澄ました顔で眉だけ動かして呟きつつ、調理台に今朝獲れたイカを置く。既に下処理済みだ。
 そして、鍋にイカを入れて軽くボイル。…を瞬で終わらせる。そして、イカの胴に穀物を詰める。本来なら米にしたいが、消耗品、特に食糧は何度も未来から取り寄せると弊害が発生するリスクもある為、なるべくこの時代のものを利用している。ただし、不味い。
 テクノロジーはまさに超古代文明だが、飯マズなのだ。確かに、料理が発展していたら、後の時代にも名残があり、アトランティスは伝説の文明と言われなかったはずだ。
 そして、それ故に彼女はこの部屋を作った。飯マズ文明の余生を充実させる為の秘策だ。

「あ、醤油切らしてる。…仕方ない」



2039年
「母さーん、醤油持ってきてー」
「何言っての凱吾。そこに置いてあるでしょ? あら?」



 醤油を加え、煮汁が出来たら穀物の詰めたイカを入れ、煮詰める事……0.3秒。
 イカ飯の完成だ。

「イカを見た時に食べたくなったのよね。はぁ、この香り! ふふふ」

 思わず含み笑いが隠せなくなる。醤油ベースの煮汁とイカの香り。
 皿に盛り付け、ソファーに転移。
 口に運ぶと、米や煮豆には程遠い硬い穀物の食感も十分にアクセントとなっている。調味料は偉大だ。

「あらあら、なんてことでしょう! コレは日本酒を呑みたくなる味だわ。さて、どうしましょう?」

 ドラマで主演女優がボロアパートに帰宅してブランドバッグを投げ捨てるシーンを見ながら、マイトレヤはわざとらしく頬に手を当てて困ったポーズをする。
 そして、目の前のテーブルに出現した獺祭の瓶とお猪口。

「あらー、こんなところに…。勿体ないので頂かないといけませんね」



2033年
「なぁ~なぁみぃ~もう一杯ぃ」
「世莉、あんまり飲み過ぎると彼にまた怒られるよー」
「……あれ? ここに酒瓶無かった?」
「? 翔子さんに取られちゃったんじゃない?」
「うがぁ!」




「はぁ、美味しい」

 思わず感嘆の声を出し、頬を桃色に染める。
 そう遠くない未来に自分はジェフティに殺される(冤罪)の悲劇のヒロイン(確信犯)になるという大役を控えている。残り少ない余生に多少の贅沢。(この時代の)誰にも迷惑はかけてないのだから、これくらいは許されていいだろう。否、許そう。他ならぬ次元の佛がきっと許す。

「ああー! 確かに、このキスシーンは伝説になりますね」



終 宇多瀬
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