猫の観察日記 その1?



 事務所には猫がいる。
 いや、本物がいるという話ではない。あくまで比喩表現だ。
 その猫は自分の仕事が終わると、自分の定位置である応接用ソファの上に寝転がる。そしてパートナーの名前を呼んで甘い飲み物を要求するのだ。

「桐哉ぁ」
「はいはい。さっき紅茶を淹れたんだ」
「じゃあ、ミルクティーにしてくれ」
「わかったよ」

 奴が猫なら、円藤は振り回されっぱなしの飼い主だ。基本的には甘く接するが、時にはしっかりと律する。この前世莉がクレーマー紛いの態度を取ったときは本気で叱ったらしい。その時世莉は、ガチで泣いたとかいないとか。
 尤も、そのあとで私も叱られた。翔子さんに似たんじゃないかって。
 それは、あり得る話だ。

「はい世莉。ミルクティーだ」
「ん」

 テーブルの上にちょこんと置かれたマグカップ。それがすっと消えて、いつの間にか上半身を起こしていた世莉の手元に現れる。そして口元に持ち上げてすすっと一口。

「ん。あんまり甘くない」
「それぐらいがちょうどいいんだよ」

 半分飲んで、マグカップがテーブルの上に戻る。そして世莉は再び寝転がり、両膝を抱えて身体を丸める。こうなると比喩でもなんでもなく、猫そのものだ。

「んー」

 なかなかデスクワークが終わらない円藤を待ちながら、ソファの上で身体を揺らす。
 かまってほしいと言いたげに声を発して注意を引こうとする。しかし哀れな子猫よ。今円藤が相対しているのは今月の経費の締めの作業なのだ。簡単に集中が切れるような仕事でもないし、なかなか終わりはしない。

「むー」

 それが分かると、うつぶせの姿勢で足を伸ばした。そして両手を前に伸ばして何かをし始めた。
 直後、事務所に電話がかかってきた。受話器を取って応対すると、このいたずら猫が何をしでかしていたのかがようやくわかった。

「世莉。やめてやれ。苦情の電話が来たぞ」
「早いんだよなぁ」

 電話の相手は東條凌。正体不明の何者かにくすぐられているとの内容だった。それを近くにいた八重樫が、世莉が指先だけ転移させていたずらしていると見抜いたらしい。一応平謝りはしておいたが、同時に忠告しておいた。多分、次は瀬上か宮代が標的になるだろうと。
 そしてそんな私の予感は1時間後、宮代相手に的中した。

「よし、終わった」
「終わったか?」

 円藤がパソコンから目を離して身体を伸ばしながらそう言うと、世莉は飛び跳ねるようにして背筋を伸ばして起き上がり、桐哉の正面に向いた。

「ああ。今日の分は終わったよ。それじゃあ帰ろうか」
「買い物は寄るか?」
「いや、久々に外で食べようか。昼のテレビ見てたらシチューが食べたくなっちゃった」
「いいな。食べよう。早く行こう」

 身体を小刻みに跳ねさせながら答えるさまは、餌をもらう直前の子猫そのものだ。

「じゃあ翔子さん。今日は上がります」
「それはいいが円藤。今度東條と宮代に会ったら謝っておけよ」
「でも、あの人たちも楽しんでますよね。次は誰がやられるのか、瀬上さんや初之さんと掛けしてるって聞きましたよ」
「バカばっかりか爾落人は……」

 そうは言ったが、奴らなりの気遣いであることは簡単に分かった。特に実被害が出ていない現状では気にするほどではないのだろう。

「じゃ、お疲れ様でした」
「じゃあ翔子。また明日」
「あいよ」

 午後6時半。猫とその飼い主が退勤して消えた。
 見ていて飽きさせないあの感じ。事務所の看板猫としては上出来と言えるだろう。




<了>  モンスターF
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