残りものの彼だから

「話してもいいけど、酷い男だって嫌われそうだ」
「そんなろくでもない理由なんです?」
「まぁね。マグ、置いてくれ」
 レオナルド同様一気にカフェオレを飲み干したマグカップを渡すと、彼は一度立ち上がってキッチンへマグカップを戻しに行く。
 洗う時間が惜しいと思ったのかすぐに戻ってきた彼を手招きして、ベッドに上げる。そして抱きしめたら、ふたりでベッドに倒れこんだ。
 狭いベッドはひとりでも窮屈なので、こうしているのが当たり前になった。
 抱きしめたレオナルドの胸に顔を埋めると、彼はそっとスティーブンの髪に指を絡める。時折頭皮に触れる指が少しだけくすぐったい。
 このまま心地よい心音を聞きながら眠りにつけたら、どれだけ幸せか。
「もう寝ちまいたいな」
「だーめ。酷い男の過去を暴露するんでしょ」
 くすくすと笑っているが、こうなるとレオナルドは容赦ない。なにがなんでも話すまでは寝させようとしないだろう。
 可愛い恋人をこれまで甘やかしすぎたかと反省しつつ、スティーブンは静かに瞼を閉じながら話を始めた。
「事の始まりは、家でひとり酒を飲んでいた時だ。その時の僕は友人だと思っていた奴らに裏切られてね、色々と落ち込んでいた。そんな時だったから、ひとりでいることを寂しいと思っちまったんだよ。誰かが傍にいたらいいのにってさ」
 あの日の夜は本当に寂しかった。
 静まり返った家でひとり飲むことに耐えきれなくなって、外へとふらり出かけた。そして夜景を見ながら考えてしまったのだ。
「誰だったら、俺に運が良ければ共に老後を楽しめるくらいの、人並みの幸せをくれるかってね」
「それで僕?」
「まぁ聞けよ。酔っぱらっていたからか、信用の度合か、浮かんできたのはライブラの連中で。まずクラウス。真っ先に却下した。あいつは光で僕は陰だ。なによりお互いに命を捨てることを惜しむことはない、覚悟が出来すぎている」
 最期を共にするならクラウスがいいが、それを彼は許しはしないだろう。そういう男なのだ。
「ザップはまぁ、そういう意味では気楽だろうが、あいつは居場所にはなれない。手綱をずっと持っている気はないし、手放したら最後、もうほったらかしだろう。あれはそんな手綱を懸命に追いかけて、また持ってくれるような人物がいい」
「例えば?」
「君とか、いてっ」
 2人の間柄を知っているからこその発言だったのだが、頭を軽く小突かれた。
 ただ、心音に変化はない。だからレオナルドがザップに対してそういった気持ちは微塵も抱いていないと分かったことに、スティーブンはかすかな笑みを浮かべる。
「悪かった。ツェッドは……うん、彼の真面目さはとても居心地がいいが、プライベートでは友人止まりがいいな。K・Kは理想的だと思う。僕のことをよく知っているし、情が深い、無茶をすれば叱ってくれる。だが、残念なことに先を越された」
 K・Kには大切な家族がいる。愛する夫と、愛しい子供たち。古くからの友人ではあるが、そこに入り込む隙間などもうどこにもない。入り込んだところで、居場所はない。
「今の話、K・Kには絶対に秘密だぞ」
「言ったら最後、口を聞いてもらえなくなりますね」
「それで済むならいいんだけど」
 隠すことなく嫌そうな顔をしたK・Kをふたり揃って思い浮かべたのか、同時に噴き出した。
 抱き合ったまましばらく笑いあい、「秘密だ」「秘密」と言ってはまた笑った。
 ふたりだけの秘密を、ふたりだけの世界で語る。
 これだけでどうしようもないくらいの幸福に満たされたが、まだ話は途中だということを思い出して笑いを止めた。
「……チェインだが、彼女は僕の仕事に理解があり、とても華のある女性だ。その勇敢さ誠実さも好ましい。だが、僕らは近すぎる。そして似すぎている。他者を救おうとするためならば、自分の命を捨てる覚悟が出来すぎているんだ。おそらく僕らは互いが何をしようとも、必要であるならば見て見ぬふりをするか許すだろう。それでは、お互いにかわいそうすぎる。僕は彼女を幸せには出来ない」
 レオナルドの心音が揺らめいた。不安と怒りと、ささやかな嫉妬。彼はこれらを口には出さないだろう。
 受け止め十分に感情と混ぜ合わせて咀嚼してから、心の中に包み込んでしまうのだ。そして柔らかくスティーブンに返す。髪に置かれた手が、それを物語っていた。
 もっとぶつければいいものを、彼はどこまでも甘やかす。その心地よさが、スティーブンを放さない。
 甘やかしていると思っても、実際に甘やかされているのはスティーブンなのだ。
「さて、そうして残ったのは君だ。どこまでも平凡でどこまでも普通。そのくせとんでもないくらい勇敢で優しく真っ直ぐだ。他者を懐に入れる器のデカさはクラウスでさえ舌を巻きかねない。仕事に理解があり、仕方ないと割り切る部分と怒るべきところがはっきりしているところも好ましい。よく笑いよく怒る、感情の変化も見ていて楽しいな」
「ちょ、ちょっと褒めすぎ! ていうか僕は残りもの扱いだったんですか!?」
 褒められすぎて照れているのか、怒鳴り声が頭上から降ってくる。
 大声を出すなと自分に言っておいてこれなのだから、もう笑いが止まらない。
「そうそう、消去法の末に残ったのが君なんだよ、レオナルド。そうして考えた後に君を見ていたら、本当に魅かれちまってさ。我ながらこんな感情があったんだと驚いたし、正直にいえば扱いに困ったもんだと思ったね」
 抱きしめていた腕を緩めて見上げれば、顔を真っ赤にして唇を複雑に歪めているレオナルドが見える。
 糸目はさておき、恥ずかしさに口をはくはくと開いては閉じ、怒りたいのか真一文字に結んでは嬉しいのか唇の端が上がる。そんな複雑な表情がどうにも愛おしいと思ってしまうのは、自分の言葉を素直に受け止めてくれていると分かっているからだ。
「世界の均衡を守るためには邪魔だ、捨ててしまいたいと何度も思った。だが、この心を捨てる気にはなれなかった。そして捨てなくて良かった。君が僕を受け入れたからだ」
「だ、だって、告白してきた時のスティーブンさん、滅茶苦茶泣きそうで、それで……」
 情に流されたと言い訳をしたいのだろうが、今ではこんなにも愛しあっていることを疑うことは出来ない、したくはない。
 自分が分からないと思っていた男の心を、複雑な愛で満たしてしまったのはレオナルドなのだから。
「とはいえ、僕は君を幸せには出来ない。なにせ僕が与えようとしている以上に、君が僕を幸せにしちまうんでね」
「そ、そういうこと、よくさらっと言えますね!? そんなんだから、誤解されるんですよ!?」
「ひどいなぁ。君に対しては、気持ちがこもってるだろ。それにほら、よくこういうじゃないか」

 ――残り物には福がある。

「やっぱり酷い男」
 頭を叩かれたが、彼からのキスは幸せの味がした。


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