終わりじゃない、はじまり

 身体が、揺れた。
 一度だけの大きな縦揺れにはっと目を覚ましたレオナルドは、自分の目を疑う。
 全てを見通すとまで言われる神々の義眼。眼下に収められた忌ま忌ましくも世界を救うことさえ出来るこの眼球を疑ったところで、無意味なのは分かっている。
 だが、疑いたくもなる。
 なぜかバスに乗っていたのだ。
 最後部、横に長い座席の中央に腰掛けたレオナルドの身体が左右に揺れる。
 面前には通路があり、フロントガラスの傍まで伸びていた。左右に青い2人掛けの座席が並んでいて、違うのは右側にドアがあることだけ。乗客はレオナルド以外におらず、運転席は防犯のための薄い灰色の壁に阻まれて見えない。
 どこにでもある、典型的なバスだ。
 しかし困ったことに、レオナルドにはバスに乗った記憶がない。そして窓の外はずっと霧で、はたしてこのバスがどこを走っているのかさえ分からなかった。
 運転手は沈黙を守り、止まることさえない。
 旧紐育を基盤にしたヘルサレムズ・ロットは、異界と現世が交わろうとも大都会の名にふさわしい。そこでこんなにも長々と信号で止まらずに走り続けることが出来るだろうか。
 そういえば、いつもなら聞こえてくる喧騒が聞こえなかった。霧の白さを考えればまだ日は暮れていないはずだし、夜になったとしてもヘルサレムズ・ロットがこんなに静かなはずがない。
 もしかしたら、いつの間にか異界行きのバスに乗ってしまったのだろうか。
 考えられるもっとも現実的な可能性に、背筋が凍る。行けば帰ることが出来ない、人が人ならざるものになるなど様々な噂が飛び交い真偽のほどは分からないが、異界行きのハイウェイを人類が行くことはない。それだけは絶対だ。
 この状況をなんとか打破すべくズボンのポケットに手を入れたが、いつもならそこにあるはずのスマホがない。慌てて服中に仕込んだ隠しポケットを探ってみるものの、スマホはおろか財布も金も何もない。
 バスは乗車時に料金を支払うシステム。何らかの方法で乗ったのはいいとして、スマホがないということは連絡手段を断たれたということ。そして何も持っていないということは、このバスを降りられたとしても帰るためにはどんな危険が待ち構えていようとも、歩くしかないということが確定してしまった。
 常識から外れた街で暮らしていても、常識はまだある方だと自負している身としては、この危機的状況に血の気が引いていくのを抑えきれるはずがない。
 どこでもいいから止まった瞬間、運転席まで駆け寄って事情を説明するしかない。出来れば警察の厄介にはなりたくないが、異界まで連行されることだけは避けたいものだ。出来れば、身体で払うことも。
 そうしている間もバスは揺れ、先の見えない道を走っていく。
 緊張のあまり開いていた足は閉じ、膝に乗せた拳にはギリギリと力が入った。外を見ていることも出来ず、前方のフロントガラスをじっと見つめ――不意にスピードが緩んだ。
 待っていたチャンスが訪れたのかもしれない。
 これから起こるかもしれない様々な事態を考えていると、体中がざわざわする。緊張に喉が渇き唾を飲み込んだその時、身体が前へ見えない何かによって緩やかに押され、次に後ろへ倒れる。
 ブレーキがかけられたのだ。
 バスは止まった。プシッ、という空気が漏れる音と共に、前方のドアが開く。
 レオナルドは急ぎ椅子から立ち上がって運転席まで駆け寄ろうとした。だが、それよりも早くバスに入って来た人物の姿に、立ち止まる。
「スティーブンさん……?」
 そう、バスに入ってきたのは紛れもなく、上司であるスティーブン・A・スターフェイズその人。
 服装こそ普段と変わらないグレーのスーツ姿だが、背中を丸め肩を落とした横顔は生気が乏しく感じられた。ぼんやりとした表情でどこか目が虚ろだ。
 疲れていることはよくあるが、今はどこか違う気がする。
 それでもレオナルドの声に反応した彼はおもむろに振り向き、「あぁ」と力の抜けた声を零す。そして降りようとしていたはずのレオナルドへ向けて歩き出し、通路を塞いでしまったのだった。
「やあ、少年も乗っていたのか」
「いや、それがその……っ」
 客はスティーブンひとりらしく、無情にもドアは閉められ再びバスが動き出す。
 予期していなかった足元の揺れに、レオナルドは咄嗟に近くにあった座席の背もたれに掴まるが、スティーブンは揺れなどお構いなしに歩いて、レオナルドが掴まる座席に腰掛けた。
「……あの、スティーブンさんはどうしてこのバスに……?」
「さあ、どうしてだろうなぁ。乗らなくてはいけない気がしたんだ」
 抑揚のない声で話すスティーブン。
 普段から飄々として何を考えているか分からないと言われる彼だが、喜怒哀楽ははっきりしているようにレオナルドは思っている。その彼がぼんやりと疲れているようにも見える表情で背もたれに身体を預ける姿は、まるで別人のようだ。
「このバス、どこへ行くんです?」
 スティーブンが窓側に身体をずらして席を空けたので、のろのろとレオナルドはスティーブンの隣に腰掛けた。そしてスティーブンに尋ねれば、一言だけ「知らない」と。
 やはりスティーブンはおかしい。
「行き先も分からないのに乗っちゃたんですか?」
「そういう少年は、どうしてこのバスに?」
 ゆらり、という表現が似合いそうな動きでわずかに顔をこちらに向け、横目で見つめられる。
 答えられない問いに息を呑んだレオナルドだったが、素直にここまでのいきさつを話した。
「なら、僕と同じだな」
「同じじゃないですよ。だっていつの間にか乗ってたんですよ!?」
「まぁそう言うなよ、少年。バスは終点か燃料切れか、理由はどうあれいつかは止まる。焦ることはないさ」
「ええ……。異界まで行っちゃったらどうするんです?」
「なんとかなるだろうさ。まぁ、地獄かもしれんがな」
 地獄、とスティーブンが口にしたのを聞いた時、言葉に出来ない不安が過ぎった。
 本当に地獄に行きかねないからではない。スティーブンが何もかも諦めてしまっているような口ぶりで話したからだ。
 仕事上の付き合いしかない彼だが、やはり様子がおかしすぎる。
 クラウスのように諦めない、レオナルドのように悪あがきしないスティーブンだが、いつでも最善を尽くしていた。世界のため、仲間たちのため、己の考える最善の結果へもっとも近づくように。
 だというのに背もたれに身を預け、座席と座席の狭いスペースで足を伸ばすスティーブンにはそのための意志がどこにも感じられない。
 全てを投げ出してしまった。そう表現するのがふさわしいほどに無気力な彼を、レオナルドはどう扱ったらいいのか分からなかった。
「霧しか見えないな」
「そうなんですよ。だからどこにいるのかさっぱり分からなくて。スティーブンさんは、どこからこのバスに乗ったんです?」
「どこからだったかなぁ。気が付いたら霧の中で立っていて、バスのライトが見えたんだ」
 話を聞いて絶句する。
 自分を落ち着かせようとスティーブンから反対側の席、その窓の向こうへと目を向けたレオナルドだが、見えるのはやはり白い霧だけ。それでも座席の青が、少しだけ自分を取り戻させてくれた。
「スティーブンさん、スマホは持ってます?」
 振り返って尋ねれば、スティーブンは首を横に振る。
 自分と同じ状況なのではないかと予想したレオナルドの思ったとおりだ。
 それでもスティーブンと違ってレオナルドは普段と変わらず考えているし、感情に変化はない。だとすれば自分ひとりでこの状況を打破する方法を考えなくてはならないのだろう。
 スティーブンと共に生還する。
 やるべきことは決まった。不安と緊張に呼応した心臓がゆっくりと、しかし大きく脈打つ。全身に送られる血液の揺らぎが言葉に出来ない痺れとなって呼吸を浅くする。手足が震え、じわりと不快な汗になって流れていく。
 だが、レオナルドは覚悟を決めた。
「なぁ、少年。ヘルサレムズ・ロットは住み心地がいいか?」
 これからどうすべきか頭をフル回転させて考えようとした時に、そんな拍子抜けな質問が飛んでくる。
 どこまでも危機感のないスティーブン。
 溜め息が零れたが、同時にレオナルドは考えを切り換えた。今はこのおかしくなってしまったスティーブンをどうにかすることが先決だ。
「住み心地がいいなんて死んでも言えませんけど……住めば都ってやつですね。なんとか上手くやっていけてると思ってます」
「それはなによりだ。友達は?」
「お陰様で、人類も異界人もそれなりにいますよ」
 来たばかりの頃は、この異様な街で友人が出来るなんて想像すら出来なかった。いや、考えることすら出来なかったというのが正しい。
 その時のことを思い出して話すと、なぜかスティーブンは目を細めてやんわりと微笑む。
 彼は表情豊かだが、部下に対してこんな顔をしたことなど一度もない。あるとするならば、あまりにも愚かすぎて憐れむ時か、怒りすぎて逆に優しい表情になる時くらいだ。
 今はこれまでのどの時とも違う。そしてひどく儚く思えた。
「君は人のことを気遣える奴だからな。僕も助けられている」
「スティーブンさんが!?」
 思わず大声を上げてしまい、慌てて口を両手で塞ぐ。
 誰も乗っていないとはいってもバスの中だ。身に染みついた常識がレオナルドを動かした。
 しかしそれは大間違いだと言わんばかりに、スティーブンは大声で笑って。
「なんだ、意外だったか?」
「そ、そりゃ意外ですよ! だって僕がスティーブンさんを助けたことなんて、一度もなかったじゃないですか!」
 極力音量を抑えて反論するが、スティーブンはまた大きな声で笑った。
「そんなことはないさ。周りをよく見ているし、とても話をしやすい。知識や経験の差によって生じる認識のズレなどは時として仕方がないが、理解力の高さでカバーしている」
「うう……褒められすぎて、受け止めきれないんですけど」
「僕だって、他の連中の前では恥ずかしくて言えんよ」
「そういうもんなんですか」
「そういうもんなんだ」
 前を向いたスティーブンの言葉は、褒められた時よりもすんなりとレオナルドの中に入ってきた。
 レオナルドとて、もしもスティーブンを素直に褒めたいことがあったとしても、周囲に誰かがいたらとてもではないが恥ずかしくて出来ないだろう。年齢を重ねると共に成長する羞恥心とは、どうしたって折り合いをつけながら生きていくしかない。
 それにしても、スティーブンはどうしてこの場でレオナルドを褒める気になったのだろうか。
 スティーブンが優しいことは知っている。仕事の時はそんなことは欠片も思わないけれど、ふとした時にその優しさが顔を出すのをこれまで何度も見てきた。
 誰かを助ける時、労わる時、慰める時。器用なくせに途端に不器用な感じになる優しさをレオナルドは向けられたことはなかったけれど、遠くから見るその光景はとても素敵だと思ったものだ。
 その優しさを向けられることをくすぐったいと感じると同時に、少しだけ、ほんの少しだけ素直に受け止めることを拒む疑いの芽が摘み取れない。
「入った頃はどうなるかと思ったが、君のたくましさには舌を巻く。同時に安心もしている」
 レオナルドの疑いを知ってか知らずか、スティーブンは話を続けていく。
 ならばとレオナルドは探りを入れるべく話に乗った。
「皆さんに助けられてるからですよ」
「助けたいと思わせられるからだろ。まず君の人柄の良さがなくては、そうはならんさ」
 脳裏に一瞬だけ、本当に一瞬だけ全人類の中でもっとも度し難い屑の顔が浮かぶ。あの人に比べれば自分はマシな方だと自負しているとはいえ、困っている人を見かけたら助けるのが当然だと思っているレオナルドにとっては、そうなのかと自惚れるには決定打が足りない。
「僕はスティーブンさんだったら、人柄は関係なく助けちゃいますけど」
 皮肉とも、人柄が悪いともとれる発言に、スティーブンは笑う。
 笑いの意図を問おうと目を向ければ、石にでも当たったのか軽くバスが弾んだ。
「やはり君はいい奴だな。そうか、君は僕を助けるのか……もう遅いけれど、その言葉を聞けて良かったよ」
 前を真っ直ぐと見つめるスティーブンの横顔はどこか寂しげで、儚く見える。言葉には出来ないが、なぜか尋常ではないと思ってしまったのは、これまでの経験故。
 思わず身体を横に捻り両手でスティーブンの左腕の袖を掴んだのも、離せば消えてしまうのではないかと思ったからだ。
「少年?」
「すみません。でも、こうしていないとスティーブンさんが、どっかに行っちゃうような気がして」
「バスに乗っているのだから、どこかに行っているには違いないな」
「そうじゃなくて……! このバスを降りましょう! 絶対にその方がいいですよ!」
 必死にスティーブンに訴えかける。
 だが彼はレオナルドをじっと見下ろすだけで、事の重大さに気づいていないようだ。
「僕は気が付いたら、このバスに乗っていました。スティーブンさん、あなたは、どこへ行こうとしているんですか?」
 深呼吸をし、ゆっくりと抑揚をつけずに問いかける。
 スティーブンに変化が現れた。わずかに身体を震わせ、唇を真一文字に結んで双眸を見開く。しかしすぐに全身から力を抜き、瞼を半ば伏せてしまった。
「俺は……いや、いいんだ。うん、いいんだ。たまたま、運が悪かった。それだけのことなんだ」
「運って、どういうことです」
「少しだけ、踏み込みが遅かった。らしくないと言われるかもしれんが、迷ったんだ」
 問いへの答えにはなっていないが、なにかがスティーブンの身に起こったことに間違いはなさそうだ。
 これ以上話すことはないと顔を逸らした彼に、自分がなんとかしなくてはという想いがレオナルドの胸に宿る。
 袖から手を離し、前を向く。フロントガラスの向こうは相変わらず霧しか見えないが、明日が動いている以上、運転手がいるに違いない。
 唾を飲み込み、深呼吸をする。
 そして、振動に揺れる足でしっかりと床を踏みしめて立ち上がった。
「少年?」
「言ったでしょ、僕はスティーブンさんを助けるって」
 ニッと笑ったはいいものの、立ってみると意外とバスの揺れは激しく手すりを掴まないとすぐに身体がよろめいてしまう。
 その時咄嗟に立ち上がったスティーブンが、レオナルドの腕を掴んで支えた。
「今度こそ、僕に君を助けさせてくれないか」
「……え? ううん、ありがとうございます!」
 “今度こそ”という言葉が意図するところは分からなかったが、ありがたい申し出には違いない。だから素直な笑みが零れた。
 ふたりで通路に立ち、前へと向かう。思えばこのバスは信号はおろか、カーブを曲がった形跡すらない。いくらヘルサレムズ・ロットに外界の常識が通じないといっても、こんなことがはたしてありえるのだろうか。
 あと少しで運転席が見えるところまで近づくとバスが前後に大きく揺れて減速し、ブレーキがかけられたと気づく。
「行きましょう、スティーブンさん」
 今を逃したら、次にチャンスがあるかどうか分からない。「降ります!」と大きな声で叫びながら運転席を見て――レオナルドは絶句した。
 運転席には、誰もいなかった。
 無人のままこのバスは走っていたのか。現代を生きるレオナルドはすぐに自動運転だったのかと考えることは出来たが、本当にそうなのかと自分の考えを疑うのは、これまでの異様さゆえだろう。
 息を呑み運転席を凝視していると、プシュー、と盛大な溜め息ともとれる音が聞こえた。
 驚いて弾かれるように勢いよく振り返れば、ドアが開いている。
 この先になにがあるのか、白い霧の向こうはまったく見えない。それでも、現状を打開するには行くしかないのだろう。
「スティーブンさん……っ!?」
 バスを降りるために声をかけた瞬間、レオナルドの身体は前に傾いた。ステップにつまずいて偶然身体を捻る形になったレオナルドの目には、自分を押すために伸ばされた腕と手、そして寂しそうに微笑むスティーブンの顔が見えた。
「じゃあな、レオナルド」


 瞼を開くと同時に勢いよく身体を起こした瞬間、目の前に火花が散る。
 額に感じる強烈な痛みを両手で抑え悶えることで堪えるが、それはぶつかった方も同じらしい。
「なにしやがんだ、このクソ陰毛!」
「それはこっちの台詞でしょうが! なんでザップさんが……?」
 いるのか、と言おうとしたところで、レオナルドは自分が置かれている状況が分からないことに気づいた。
 黙って立って無表情でいれば端正な顔立ちに違いないのに、今は赤くなった額に手を当てて顔を歪ませているザップを見上げている。それだけではなく、覗き込んでくるのはツェッドとチェイン、そして腕から伸びる透明なチューブ。
 ベッドに横たわっているからこそ見える光景と鼻につく薬品の香りが記憶と結びついて、ここがどこなのかをレオナルドに教えた。
「……大丈夫ですか、レオ君」
「ツェッドさん……あの、なんで僕は病院に?」
「覚えてないんだ」
「しこたま頭打ってバカになったのか? 陰毛バカ石頭」
「うっさい黙れ」
 レオナルドを置き去りにして始まったザップとチェインのやりとりを無視して、ツェッドが肩を落とし小さく溜め息を吐く。その態度に不穏なものを感じて起き上がろうとしたが、やんわりと止められた。
「まだ休んでいないと。レオ君、どこまで覚えていますか?」
「どこまでって……暴動が起きて緊急招集がかかって、それで……っ」
 最後に見た光景まで思い出した。
 暴動を鎮圧すべく出動したレオナルドは、足手まといにならないようにといつものように後方にいた。普段どおりならばものの数分で終わるだろうと思っていたのだが、ここで予想外の出来事があったのだ。
 暴徒の1人である異世界人はどういうわけか身体が高熱を発し、スティーブンの氷を溶かしてしまう。それだけではなく怪力で周囲のものを壊しては投げるので、ヘルサレムズ・ロット名物まったくこりない野次馬を守る方で手一杯だった。
 そんな最中、異界人が投げ飛ばした大きな瓦礫がレオナルドに向かって飛んできたのを覚えている。だがそれは、スティーブンの氷の盾によって防がれたはずだ。
「ええ、僕たちはこのままではと一斉攻撃を仕掛けました。ですが……」
「あの野郎、もう一発殴らねぇと気が済まないよな」
「もういないのに、どうやって殴るの」
 喧嘩が納まったザップがベッドに腰掛けてそう言えば、チェインが呆れたと言わんばかりに鼻で笑う。そうしてまたザップがチェインを睨むものだから、この2人のやりとりはいつまでたっても終わらない。
 そんな日常の光景に心を和ませたのも束の間、レオナルドは蘇ってきた記憶に全身から血の気が引いていくのを感じた。
「そうだ、一斉攻撃を仕掛けられた異界人が爆発して……」
「ええ、レオ君は爆発の衝撃で砕けた氷の破片が頭に当たり、気を失いました」
 そっと額に手を当てれば、先程は痛みで気にすることが出来なかったが、包帯が巻かれていることに気づく。
「僕はどれくらい寝てました?」
「丸1日。ですがそれだけで済んで本当に良かったと思いますよ。スティーブンさんが……っ」
 スティーブンの名を口にした途端、ツェッドは咄嗟に口を手で塞いで自分の言葉を遮った。
 その行動になにも意味はないと見過ごすことなど、出来るはずがない。
「スティーブンさんに、何かあったんですか!?」
 身体を起こしたレオナルドを窘めることなく、顔を逸らした仲間たちは何かを隠している。そしてもう隠せないと悟ったのだろう。
 ならばと、レオナルドは真っ直ぐに仲間たちを見回した。
「もう1回、聞きます。スティーブンさんに何かあったんですか?」
「異界人の屁で落ちてきた瓦礫から、お前を守ったんだよ」
「屁?」
 これまでの緊迫感が吹っ飛ぶザップの発言には、思わず眉間に皺がよる。
 それはチェインとツェッドも同じだったらしく、ザップをひと睨みした後に盛大に溜め息を吐いていた。
「説明を省きすぎです。あの異界人は、可燃ガスを体内で生成し貯めこむことが出来ました。高温を発していたのも体内に循環するガスによる発熱だったようです。そのガスを一気に放出する仕方は確かに兄弟子の言うとおりでして、爆発の威力がすさまじかったんです」
「この馬鹿猿の火でね」
「俺が攻撃した時に屁をした、あの野郎が悪いんだろう!?」
 一斉攻撃に慌てて放ったが、ザップの技が炎だったのが運の尽きということか。
「それで、スティーブンさんは? 僕を庇ったってどういうことなんです!?」
「爆発によってレオ君が倒れた後です。レオ君の近くにある建物が爆発により遅れて倒壊しました。一番近くにいたスティーブンさんが、倒壊の寸前に飛び込みレオ君を庇って……」
「スティーブンさんが? で、でも、いつもなら技を使うのに、どうして」
「そこのところは分からないよ。これは想像だけど、砕けた氷でレオが怪我をしたことを気にしたのかもしれない」
 レオナルドですら分かるほど、彼は自分の技に絶対的な自信と誇りを持っていた。自惚れではなくこれまでの経験と研鑽が生み出したのであろう信頼。
 それを壊してしまったのではないかと思うととてつもなく申し訳なく、レオナルドは言葉をなくした。
「バーカ。んなことで自信なくすような番頭じゃねぇよ。そうした方が早いって思ったんだろうさ」
 珍しいザップの慰めも、今のレオナルドには届かない。
 震える手で握りしめたシーツに視線を落とした時、あの霧の中を走るバスが脳裏に蘇った。
「今、スティーブンさんは?」
「怪我は大したことありませんでしたが、打ち所が悪かったのか意識が戻っていません……レオ君!?」
 腕に刺さった点滴の針を強引に抜き取り、レオナルドはベッドを飛び降りる。
 素足が触れたリノリウムの床は冷たく、けれど生きていることを実感させてくれるのは、自分に体温があるからだ。思い起こせば、あのバスの中でそんなごく当たり前のことを感じた気がしない。
 全てが希薄だったように思うあの場所がたとえ夢だったとしても、レオナルドが走り出すには十分な理由となっていた。
「レオ君!?」
 背後でツェッドが名を呼ぶのを振り切って、廊下を走っていく。
 ナースステーションにたどり着く前にどこにでもいるルシアナをみつけて病室を聞けば、彼女はすぐに教えてくれた。「廊下は走らないように」という注意をつけて。
 幸い近くだったので早歩きで病室へ赴き、深呼吸をしてから扉を開く。
 病室は、ガランとしていた。
 個室とはいえそれなりに広さがあり、ベッドで眠る彼以外に人がいないからだろう。
 寒々しいと思うのは、白い壁と床のせいか。
 中に入り、恐る恐るベッドに近づく。側に置かれたベッドサイドモニタの数値は穏やかに脈を刻み、スティーブンはごく普通に眠っているように見える。ただ、レオナルド同様に頭に巻かれた包帯は黒髪によく映えて痛々しい。
「……あなたは、僕を守りました」
 それなのに、守れなかったと思っていたのか。
 バスで聞いた最後の言葉を心の中で反芻したレオナルドは、深く溜め息を吐いた。
「なにが『じゃあな』、だよ、馬鹿野郎。人を助けて自己満足に浸ってんじゃねぇっすよ」
 今なら、スティーブンがしでかしたことがなんとなく分かる。
 バスから落ちたことで目を覚ましたレオナルド、バスに残ったまま目を覚まさないスティーブン。
 はたしてあのバスがなんなのか、そしてどこに向かっていたのかは知る由もない。けれどバスに乗ったままの彼が目を覚まさないのならば、好意的に捉えることなど出来ない。
 思い当たる節があるとするならば、幼い頃に妹と呼んだ絵本か。少年たちは、銀河を駆ける汽車に乗っていた。完成していないというその話で、少年たちは死者と思わしき者たちと旅をしたのだ。
 あれはただの創作だ。そう思いながらも可能性を否定出来ないレオナルドはベッドの傍に立ち、スティーブンの顔を覗き込む。
「言っときますけどね、僕もクラウスさんたちも、いや、世界丸ごとあなたの技に何度も助けられてるんですよ。そいつをたった1回のことでビビんないでください。いなくなることの方が、よっぽど迷惑だ」
 深呼吸をして、瞼を開く。
 神々の義眼青が、スティーブンの顔に零れた。
「とっとと帰って来てくださいよ!」
 レオナルドの想いに呼応して、神々の義眼が発動する。幾何学模様が描かれた円陣がスティーブンの瞼の上に浮かび――そして。

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