いつか君とコラボする!
年がら年中世界の危機が訪れるヘルサレムズ・ロットだが、穏やかな時間がないわけではない。
ここ秘密結社ライブラ事務所執務室においても、今日はそれなりにのんびりとした時間が流れている。
と、思っている副官であるスティーブンは、自分のデスクでパソコンのモニターに集中することが出来ていた。
彼が見ているのはとても声には出せない内容だが、今ここにいる優秀な部下たちは覗き込むようなことをしない。人狼局から出向しているチェインと、今日のバイトが終わったからと待機しているレオナルド。
レオナルドはつい先ほど来たばかりだが、普段から騒ぎの元凶となるザップがいないこともあって、彼らの話はとても和やかそうだ。
やはり友人は選んだ方がいい。わずかに胸が痛んだ気がしたが、スティーブンは気づかないふりをした。
「あの、チェインさん、お願いがあるんですけど」
だが、世間話の最中に出たこの言葉に、スティーブンの手がピタリと止まる。
人懐っこく誰からも可愛がられるレオナルドではあるが、彼はよほどのことがない限りは誰かに頼みを言うことはない。特にチェインはその辺りが素っ気ないので、スティーブンが知る限りではこういった話はなかったはずだ。
実はこの、どこにでもいそうでいてどこにもいない、木漏れ日のような温かさをもったごく平凡そうな青年に、スティーブンは恋している。
だからこそ自分以外の誰か、しかも異性であるチェインに頼みごとをするレオナルドはどうしたって気になってしまうのは仕方がないのだ。
そう言い訳をして、耳に全ての集中力を注ぎ込み話を聞き漏らすまいと挑む。
なお、手は再び動き出しているので、仕事はちゃんと同時進行している。
「僕と一緒に、ホテルに行ってもらえません……?」
空気が凍った。
いや、スティーブンは凍らせていない。動揺してうっかり技を発動させそうになったが、すんでのところで制御した。ちょっぴり漏れたので、デスクの下にこもった冷気が下半身を冷やしているが。
「ああああ、その、誤解しないでください! ホテルって言っても、ホテルのビュッフェに一緒に行ってくださいってことです!」
「ビュッフェ?」
発していた冷気を収束させたチェインが、きょとんとしている。
そうしていると彼女は本当にどこにでもいそうな愛らしいお嬢さんなのだが、その可愛さがスティーブンはちょっとだけ、本当にちょっとだけ憎かった。
なにせこちらは13歳年下の少年に恋をしてしまったおっさん。どうしたって彼とは釣り合わないのだから。
「はい! 実は妹に頼まれまして。……これです」
レオナルドが操作し、チェインに見せているスマホの画面は当然のことながらスティーブンが見ることはできない。
ならばと仕事をしている時の表情のまま、いかにもそっちにはまったく興味がないというアピールをしながら素早く検索する。
「へぇ、ゲームとコラボしたの」
「有名なソシャゲで、架空の紐育が舞台なんです。日本刀を持ったキャラが人気で、長いこと続いてるんだとか」
「それがヘルサレムズ・ロットのホテルとコラボを?」
「同系列ホテルなら、何か所かやるらしいっすよ」
検索して出てきたのは、二次元の美青年や美少年が刀を手にしているビジュアル。
アメコミではなく日本風のようだが、それはどうでもいい。さらに調べていくと、確かにレオナルドの言うとおりヘルサレムズ・ロットのホテルとコラボビュッフェを開催する告知ページがみつかった。
高級ホテルらしく値段は高めに設定されており、出てくる料理もキャラをイメージしたらしくこだわりが感じられる。
「それなら他のホテルでいいじゃない」
「ダメなんですよ。大事なのは料理じゃなくて、コラボグッズでして。通販出来るグッズは各ホテルで共通してるんですけど、ヘルサレムズ・ロット限定のノベルティは現地に行かないともらえないらしいんです」
「でも意外だな。こういうのが好きなんだ」
「いえ、妹じゃなくて、妹の友達です。予約してヘルサレムズ・ロットに来る気でいたのに、土壇場で家族に止められてミシェーラに泣きつき僕まで話が」
「優しいね」
短い言葉に優しさと尊敬の気持ちがこめたチェインに、レオナルドが「そうですか」と照れる。
今すぐその場所を変わってくれとはいえないが、とてつもなく羨ましすぎてスティーブンは2人からさりげなく目を逸らす。
色々と拗らせた人生を送った男に、彼らは眩しすぎた。尊い。
「話を戻しますけど、予約チケットは2枚なんです。男の僕がひとりで行くにはちょっと抵抗があるし、それならチェインさんはどうかなって思いまして」
確かに彼女ならなんの問題もない。
だがここで素直に「楽しんでおいで」なんてことが言えるほどスティーブンは素直じゃない。
なにせ仕事をしていたはずの手は無意識に、コラボが行われるホテルのスイートルームをキープしていたのだから。
「チェイン、ちょっといいか」
憎み給え、赦し給え、諦め給え。片想いを成就させるために行う我が蛮行を。
「話の途中にすまないね。実は君に探ってほしい情報があるんだ。これなんだが、数日中に頼めるかい?」
「分かりました。レオ、そういうわけだから」
真面目な彼女はレオナルドに断りを入れると、存在を希釈して執務室を出ていった。
残されたレオナルドはがっくりと肩を落としたが、これはスティーブン自らが作り出したチャンスとは気づくまい。
まだ冷気が残るデスクの下で小さくガッツポーズをした後、さりげなく、本当にあたかも他に用があるかのようにさりげなく、スティーブンはゆっくりと椅子から立ち上がる。
お陰で冷え切った下半身がようやく温められそうだ。
「悪かったな、少年」
「いえ、大した用じゃなかったんで」
そうやって上司に気を遣うところが素敵だと感心しつつ、さらに会話を試みる。
「彼女に用が?」
「ええ。ちょっと妹に頼まれたことがありまして。といっても、ひとりでなんとかなっちゃうんですけどね」
なんとかならないから頼ったくせに。
心の中でそう呟きつつ、いかにレオナルドが自分を誘うように仕向けるか。脳をフル回転させながら、軽く顎に手を添え知らないふりをして少し驚いた表情を浮かべてみせた。
「妹さんが? ヘルサレムズ・ロットでしか出来ないことなのかい?」
「えっと……ホテルでゲームとしたコラボビュッフェがあるんですよ。そこでもらえる限定のノベルティが欲しいって。あ、ミシェーラじゃなくて、ミシェーラの友達が欲しがってるです。それをなんとかしてほしいってミシェーラから連絡があったんですよ」
「ゲームと? 今はそういうものがあるんだな」
今の若い者の趣味は分からない。そうアピールしてレオナルドにさらに話をさせる。
自分自身も知らないことなのでたどたどしいが、一生懸命に説明をしてくれるレオナルド、プライスレス。
可愛さに緩みそうな頬に手を当てて押し上げながらさりげなく彼の隣に座り、間近で話を聞く。この時間が永遠に続けばいいのにと頬杖をついた自分は、間違いなく世界一の幸せ者だろう。
だからどうか、顔の筋肉よ重力に抗え。
「そのホテルならよく知ってるし、一緒に行こうか?」
下心を丁寧に隠してあくまで親切な上司を装って言えば、レオナルドは普段は閉じている瞼をはっきりと開いてスティーブンを凝視する。
瞼を開くと本当に兄妹はよく似ているし、レオナルドの愛らしさが増す。
だが、この後の行動はいただけなかった。
「ひょえぇぇぇぇぇっ!?」
いわゆるシェー! のポーズで立ち上がりそのままバランスを崩してソファから床へとダイブしたのだ。
喜ばれるとは思っていなかったが、ここまで驚かれるとそれはそれで悲しい。
これは傷ついた心を癒やしてもらわなければならない。出来ることなら冷え切った下半身も温めてもらいたい。
さすがにさすがにセクハラになるので言わないが、にっこりと微笑んで彼の前に立ったスティーブンは、レオナルドを見下ろしながらこう言った。
「ひどいなぁ。僕じゃ不満かい?」
パワハラなんて、気にしない。
感情豊かな彼はこの短時間で流した涙と鼻水に顔を濡らしながら、「はい……」と露骨に怯えた声を出す。
これで傷つかないわけがないが、表に出すような真似はしない。片想いが成就するまで、スティーブンはレオナルドが振り向くような強くてカッコいい男でいなくてはならないのだから。
しかしどうしてレオナルドは、あのように驚いたのか。好きな子のことなのにまだ分からないことだらけだな。
そう思いながら約束したことに気をよくしたスティーブンは、ソファの傍に座り込んだレオナルドから離れ、自分のデスクに戻っていった。
まだ下半身が冷える。
初デートを成功させるため、その日からスティーブンは頑張った。
そもそも付き合っていないのだから初デートじゃなくない? そんな些細な問題は気にしない。
スティーブンにとって大切なのは、レオナルドと合法的にプライベートな時間を過ごすことが出来るという歴史的な日を、いかに充実したものにするかということなのだから。
約束の日まで、何もしていなくても溜まっていく仕事を徹底的に片づけた。
あまりになりふり構わず一心不乱に仕事をするこの時のことを、後にもっとも近くで見ていたクラウスはこう語る。「世界の行く先を憂い、慎始敬終を実行した彼はとても頼もしく、私の心を奮い立たせるものであった」と。
まさか初デートのために頑張っていたなんて、言えない。
部下たちにドン引きされるほど仕事を押し付けたこともあったが、それも全てはたった1日の幸せのため。その後がどこに転がるかなんて神にも分からないだろうが、ものにしなくては男が廃る。
そのドン引きされた部下の中にレオナルドも入っていたわけだが、部下に公平であることは上司として当然なので仕方がない。
なにはともあれ、スティーブンは頑張った。
だからこうして迎えたデートの日はとっても浮かれていても仕方がないわけで。
待ち合わせ場所はコラボビュッフェが開催されるホテルのロビー。出来ればその前にどこかへ行きたかったが、今日はあくまでビュッフェがメインなので仕方がない。
カジュアルに紺色のテーラードジャケットと白い長袖Tシャツにパンツ、いつもの革靴でソファに腰かけて待っていると、何人かの女性に声をかけられては色々と断りを入れる。
男としては悪い気分ではないが、あいにくと今日は意中の彼とのデート。
もしも目撃されて不快な思いにさせてしまっては、幸先が良くない。いや、これをきっかけに意識してくれるだろうか。
『スティーブンさんにはやっぱり素敵な女性がお似合いですね』
『何を言っているだ、レオ。僕が想うのは、君ひとりだよ』
『え……っ』
胸を高鳴らせるレオナルド。
『も、もしかして、僕……スティーブンさんのことが……』
頬を赤くするレオナルドの戸惑いに、スティーブンは優しく微笑むのだった。
脳内で展開される妄想劇場に頬を緩めることなく、足を組んで正面玄関に目を向ける。
すると、これを運命と呼ばずになんとする。
こういう場所に慣れていないからか、少し不安そうな表情できょろきょろと辺りを見回しながら入ってくるレオナルドが目に飛び込んできたのだ。
表情が可愛いのはもちろんのこと、今日の服装も可愛い。きっとどんな服を着てきたらいいのか分からなかったのだろう。白いシャツにサスペンダー付きのズボン。ぶかぶかなのは彼に合うサイズをすぐに調達出来なかったからなのだが、あまりの可愛さに倒れそうになる。背負った黄色いバックパックが微妙だが、そこは心の加工ソフトで消しておいた。
なにはともあれ、彼がこの世に生を受けた奇跡に感謝を。
ジャケットと蝶ネクタイがあればモルツォグアッツァに行った時と同じだな。とあの日の惨状をつい思い出してしまったが、それよりも今は天使がこちらに気づいて笑顔を見せてくれたことの方が重要だ。
世界で、いや宇宙でもっとも可愛い。世界中の可愛いという意味の単語を集めても彼をもっとも形容することの出来る言葉があるだろうか。
ここはやはり日本語の『可愛い』か。日本人はこの一言に全ての可愛いを詰めているというのだ。しかも説明は一切必要ない。可愛いものは可愛い。可愛いは正義!
スティーブンは長年分からなかったその言葉の真理を、身をもって知った。
「お待たせしてすみません!」
「いや、今来たところだ」
急いで近づいてきて、申し訳なさそうに頭を下げるレオナルドのふわふわした髪が近い。考えるより早く頭を倒してその髪の中に顔を埋めようとした自分を、なんとか理性で押しとどめる。
本能の気持ちはよく分かるが、ここはホテルのロビー。公衆の面前でそんなことをして、注目を浴びては恥ずかしがり屋のレオナルドがかわいそうだろう。
いつまでもオロオロとするレオナルドを宥めるべくソファから立ち上がる。肩を軽く叩いて顔をあげさせ、やんわりと微笑んで見せた。
レオナルドはうっすらと口を開いたままキョトンとしているのは、これまで見せたことのない顔をしていたからだろう。職場では彼に対する溢れんばかりの想いを表に出すことがないようポーカーフェイスを貫いていたから仕方がない。
だがここはプライベートの場。そして初デートなのだから、この想いを醸し出すことくらいは許してほしいものだ。
「少年、そろそろ並ぶ時間じゃないか?」
ビュッフェは時間ごとの予約制だが、入る順番は並び順で決まるらしい。現に会場であるレストランの前に若い女性たちが並び始めている。
「そうでした! 行きましょう、スティーブンさん」
ここで手を繋いだり腕を組んだり出来ればいいのだが、残念ながら照れ屋のレオナルドにそれを求めてはいけない。
並んで列の最後尾に立つと、その後ろに続々と女性たちが並んでいく。
「女の人ばっかりですね」
「女性向けのゲームとコラボしているなら当然だろ」
「スティーブンさん、平気です?」
「少し恥ずかしいが、入ってしまえば大丈夫じゃないかな」
自分だって気恥ずかしいくせに、人のことを気遣ってくれるレオナルドにキュンとする。やはり結婚するなら彼がいい。いっそのこと、この場でプロポーズをして周囲にいる人間をノリで味方につけられないだろうか。
そう思っていたら、地獄耳という不名誉な称号を与えられたスティーブンイヤーがこんな声を捕らえた。
『ねぇ、あのふたり、ヤバくない?』
『兄弟ってことはないよね?』
『恋人?』
『年の差……マジ?』
『伊達男に翻弄される糸目少年……いい』
『実は腐男子の線も』
『尊い……!』
他にもコラボしているゲームのキャラになぞらえていたりする会話が聞こえたが、おおむねこの場にいる女性陣はスティーブンの味方のようだ。
予想外ではあるが、これでのびのびとレオナルドにアプローチ出来ると確信したスティーブンは、落ち着きのない彼に他の人の邪魔になってはいけないからと、そっと身体を寄せて距離を縮ませた。
「ただいまより、入場を開始いたします」
案内係の声に、こちらへ熱い視線を女性たちが一斉に前を向く。誰も騒ぐことなく速やかに中に入っていく姿は、ホテルという場だからだろうか。
和やか雰囲気の中でスティーブンとレオナルドもレストランの中に入る。お目当てのノベルティはすでにテーブルの上にセッティングされているということだ。
席は窓際で、相変わらずの霧の向こう、わずかに海が見えるのはここが人界に近いヘルサレムズ・ロットの外側にあるから。夜ならば夜景が奇麗に違いない。
残念ながら夕暮れまでには少々時間があるので、今夜の楽しみとしておこう。
窓の外に広がる夜景を、物珍しそうに眺めるレオナルド。
『こんなに奇麗な夜景、初めてです』
『喜んでもらえて嬉しいよ。だが僕にとって、この夜景は飾りでしかない。そう、君という愛しい人を飾るアクセサリーでしかないんだ』
『スティーブンさん……』
振り返った彼はほほを赤く染め、そして瞼を閉じ――糸目だから分かりづらいが――愛らしい唇をうっすらと開く。
最高の夜を妄想していたのに、予約者全員が店に入ったのか耳に届いた注意事項の説明に意識が戻る。
改めて見た店内は、清潔感のある白を基調にしているのはさておき、ビュッフェスタイルを意識したのか明るい照明が少々雰囲気に欠けていた。デートならばもう少し光を落とし、周囲を気にしない配慮が必要だ。
今度はデートに最適な店へ連れて行こう。
「これこれ! 絶対に汚さないようにしないと」
気に入りそうな店を脳内でピックアップしていたら、向かいの席に座るレオナルドからそんな声が聞こえて。
そういえば妄想に浸りすぎて無意識に席に着いたことに今気づいた。なにせスティーブン自身、このビュッフェはレオナルドと出かけるための口実で会って、実のところ割とどうでもいい。
だが食事を始める前にいそいそと、書き下ろしイラストが描かれたランチョンマットを持参してきたというクリアケースに入れている彼を見ていると、いろんな意味で現実に引き戻される。
「これがノベルティか」
「そうです。後、このポストカードも」
「あ……僕の分も持って帰るんだよな? というか、妹さんの友人は、この1枚のためにヘルサレムズ・ロットへ来ようとしたのか?」
「ファンにとって、限定や非売品ってとっても大事なんです!」
近くの席の女性が、聞こえたのか何度も頷いていた。
イラストならネットでいくらでも見られるだろうに、わざわざ危険を冒す価値があるのか。近頃の若い子の考えていることは分からない。
何はともあれ、ヘルサレムズ・ロットとは思えないくらい和やかにビュッフェは開始された。
このホテルの味は分かっているが、さすがに女性向けビュッフェということもあってスイーツがメインだ。食べ過ぎたら胸やけすると思いつつ、いくつかを皿に載せてテーブルに戻る。
あれもこれもと取っているレオナルドはすっかりスティーブンのことを忘れているようだが、彼が楽しそうにスイーツを皿に載せる姿を眺めるのは悪くない。頬杖をついて眺めていたら、セルフでコーヒーがあるのを見つけた。
今後のため、そそくさと淹れて戻る。
レオナルドが戻ってきたのは、それからたっぷり5分はあっただろうか。何度も行けばいいというのに、両手にたくさんのスイーツを載せた皿を持って戻ってきた。
「お待たせしました!」
満面の笑みのお陰で、驚くより先にときめきで心臓が止まりそうになる。
死因、レオナルド・ウォッチの極上スマイル。
「たくさん取ってきたな。ちょっと欲張りじゃないか?」
「えへへー。だってこんな機会がないと、高級ホテルのスイーツなんて食べられませんもんっ」
もんってなに、もんって。可愛すぎてまた心臓が止まりそうになる。今日は死にかけたらいいんだろう。
そのたびに蘇っている自分は実は不死鳥の生まれ変わりなのではないかと思いながら、ひとまずスイーツに舌鼓を打つことにした。
「うっまーい! 滅茶苦茶美味いっす!」
「こら、ちょっとは静かに食えよ」
「ごめんなさいっ」
スイーツを頬張るレオナルド、幸せに頬を緩ませるレオナルド、叱られて慌てて謝るレオナルド。可愛い。
今すぐホテルのカメラマンをレンタルしてくるから、全てを撮影してほしい。
誰か仕込んでおけばよかったと思いつつ、スティーブンは気づく。このホテルには防犯カメラが設置されている。つまり合法的にレオナルドを撮影した動画が、この世には存在しているのだ。
「ちょっと電話をしてくるよ。君は食べててくれ」
ふにゃふにゃの笑顔で「はーい」と返事をするレオナルドに、この世の邪念が全て浄化されていく気がした。だが残念ながら浄化されることのない片想いを抱えたスティーブンは、席を立つとウェイターに断りを入れてからロビーへ。
そして私設部隊に防犯カメラの映像のことを頼んだのだが、何も言わずに電話を切られた。
他者のプライバシーに関わることだから、断られても仕方がないか。案外生真面目な部下たちの冷静な判断に窘められた気がして、少しだけ反省する。
ならば自分の目にしっかりとレオナルドの可愛らしさを焼き付けておこうと決めてテーブルに戻ると、今度はレオナルドが用があるという。
「この後、グッズの販売もあるんですよ。僕、ちょっと行ってきますね」
「グッズは通販するんじゃなかったのか?」
「それがですね……せっかくコラボしているんだからって思って僕もゲームを触ってみたんですよ。そうしたら意外とハマっちゃいまして。好きになったキャラのグッズを買ってこようかなと」
少し照れくさそうにいうのは、このゲームが女性向けだからか。
レストランの特設スペースで購入出来るというので行かせ、スティーブンはテーブルに戻る。買ってあげても良かったのだが、上司からゲームキャラのグッズを買われてもあまり気分がいいものではないだろう。
冷静さをわずかながらも取り戻したスティーブンは、皿に残っていたスイーツにフォークを入れる。口に運ぶとベリー系の甘酸っぱさとほのかに香るオレンジが絶妙だ。
食べ過ぎることは出来ないが、楽しむことは出来そうだ。
ようやく本来の自分を取り戻しかけたところへ、レオナルドが戻ってくる。
「おかえり。グッズはあったかい?」
「はい! まだ残ってました!」
嬉しそうに椅子に腰かけたレオナルドが見せてくれたのは、アクリルキーホルダー。癖のある黒髪に長身の男は、意外にも三十路くらいだろうか。澄ました顔がいけ好かないが、それなりに人気が高いキャラらしい。
「こういうのが好みなのか?」
「ゲームを始めてから結構早めに出てきたんですけど、なんか使ってるうちに愛着が湧いちゃいまして」
心の奥底で何かがざわざわする。
ふぅん、と興味がないふりをして素っ気なく返事をするが、レオナルドはこのキャラはこういうところがいいと熱く語るものだから、余計に面白くない。
それにどういうわけか近くのテーブルの女性たちが、レオナルドが話すたびにうんうんと頷くし、やたらとこちらをチラチラと見てくる。なんだか急に居心地が悪くなった。
「それに、スティーブンさんにちょっと似てるんです!」
レオナルドの背中に白い翼が見えた。
キャラを好きになった理由のひとつが自分に似ているからと言われて、色々と考えない者はいないだろう。現にこちらのテーブルに聞き耳を立てていた女性陣が、顔を手で覆って俯いている。そして口々に「尊い……」と呟く姿は、天使を前にした信者さながら。
その気持ちが痛いほど分かったスティーブンは、ウェイターを呼んでレオナルドには内緒で彼女たちにコラボドリンクを奢った。
「僕もそのゲーム、始めようかな」
「仲間が増えるのは嬉しいっす」
ゲーム自体には当然のことながら興味はない。だがレオナルドと共通の趣味が出来れば会話の幅が広がるのはとてもいいことだ。
そんな感じで和やかに会話を楽しみつつ、レオナルドは全メニューを制覇したうえに何度もおかわりした。
見ているだけで胸やけがしそうだったが、終始ご機嫌にスイーツを楽しむレオナルドが傍にいる。それだけでどんな場所にいても幸せになれると知ったのだから我慢も出来る。
だが、時間というものは容赦なく過ぎていくものだ。
「はーっ、美味しかった!」
胃袋を限界まで膨らませたのか、腹をさすりながら幸せそうに息を吐くレオナルド。
時間制限のあるビュッフェはまもなく終わりを迎える。
先に胃袋の限界を迎えた女性たちはスティーブンたちより早く帰っていったが、中には「お幸せに」「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」などなど声をかけていく者も少なくなかった。
レオナルドは「ホテルのスタッフじゃないんですけどね」と首を傾げていたが、世の中にはまだ知らない方がいいこともある。
「僕らもそろそろ出ようか」
「はーい。はあ……幸せな時間でした……」
体重が一気に増えたのか、スイーツを食べすぎて脳が溶けているのか、緩慢な動きでレオナルドは後ろ髪をひかれながら立ち上がると、少しふらついている。アルコール類はなかったはずなので、甘さに酔っているのかもしれない。
これならイケると確信しつつも感情を表に出すことなく、スティーブンはさりげなくレオナルドの肩に手を回してレストランを出る。
少しだけ、合コンの後に酔った女性をお持ち帰りしようとする屑男の心境が分かった。
自分は違うと思っていたが、これでは彼らのことを否定出来ない。やはりホテルに泊めることなく家に送り届けようか。
そう思いながらレストランを出た瞬間、気分は芸能人か政治家になった。
なにせ出た瞬間、多くの視線を一身に浴びてしまったのだ。
向けられる熱い視線――一応隠そうとはしているのかチラチラと横目が多い――を向けているのは先程レストランにいた女性たち。
いったい何を期待しているのか、いや、もしかしたら彼女たちはどこかの組織に雇われた刺客の可能性もある。レオナルドとの初デートに浮かれて注意を怠ったことを内心で舌打ちし、これからどうするべきかを瞬時に考えた。
「少年、その様子だと帰り道が大変だな。実はここへ来るならと、部屋をとってあるんだ。よかったらどう?」
「ええ、悪いですよ! ちゃんと帰れますから、心配しないでください!」
下心を警戒してではなく、純粋に上司からの誘いを遠慮するレオナルド。
実のところ下心があるので、自分以外への対応としては満点だ。だがこうなったら迂闊に家まで送って住所をどこかの組織に知られた場合、彼が襲われる可能性は否定できない。ならばセキュリティが万全のホテルに泊まった方が何かと対応しやすいというものだ。下心はあるが。
「ろくに動けなかったらいざという時に逃げられないだろう? なに、ツインルームを取ってあるから問題ない」
ダブルベッドにしなかった理性を褒めてほしい。
上司への遠慮と安全を秤にかけて悩むレオナルド。なにやら視線がいっそう熱くなっている気がするのだが、これはもしかしなくても本当に害がない視線なのかもしれない。やはり可愛いは正義なのだ。
「分かりました。で、でも、宿泊代は払わせてください」
「君の給料がかなり減るぞ?」
ひょぇ!? と変な声を出したレオナルドから宿代をもらうつもりはないが、言質はとれた。ならばとさりげなく彼を促してスイートルーム専用のエレベーターへ向かう。
背後で拍手が聞こえた。中には「壁になりたい」「天井になりたい」など無機物への憧れが聞こえるが、さすがにこれは意味が分からない。
なんにせよ、彼女たちに幸せがあらんことを、と願いつつスティーブンは勝負に出る。
スイートルームではそれはもう、はしゃいだ。レオナルドが。
大きなテレビに大きなソファ、広い風呂を見てはそれはもうはしゃぎにはしゃぎ、スティーブンが入る隙を一切与えなかった。
あれだけ食べて動けないと思ったのに、どうやら消化吸収は音速猿並らしい。
「あー、風呂、先に入ってくるか?」
なんとか隙をみてかけた言葉がこれというのはどうだろう。
だが、正直なところ、スティーブンは疲れていた。
初デートに女性だらけの慣れないコラボビュッフェは、意外と体力を消耗する。
「で、でも、スティーブンさんより先にお風呂なんて入れませんよ」
お風呂、という言い方の可愛さに胸打たれつつ、慣れた手つきでパジャマを出してレオナルドに渡す。
「ちょっと仕事の電話を掛けなくちゃならなくてね」
「分かりました……。すいません、お先にいただきます」
仕事という?八百な言葉に渋々と頷いたレオナルドは、申し訳なく思ったのか足早にバスルームへと消えていく。
あの様子だとすぐに出てきてしまうだろう。せっかく水道代を気にすることなく入ることが出来るのだから、存分に楽しめばいいのに。
広いバスルームに戸惑っているだろうレオナルドを想像してくすりと笑ったスティーブンは、しばしひとりの時間を楽しむことにする。もちろん、今夜を成功させるために脳内でシミュレーションだ。
だが相手はレオナルド。やはり一筋縄ではいかない。
10分ほどで出てきた彼はスティーブンを困惑させた挙げ句、流れるようにベッドに潜り込んでいったのだ。
まるで自宅で過ごしているような無駄のない流れにまたしても入り込む隙をみつけられなかったスティーブンは、「お風呂入っちゃってくださいね」の一言に冷静を保つことが出来た。
そう、風呂。今ならレオナルドが入ったお湯に身を浸すことが出来るのだ。聖なる泉に身を浸すのに等しい行い、堪能しなくてはならない。
パジャマを手にし、湯が冷めてしまう前に速やかにバスルームへ入る。
「こ、これから、レオナルドの残り湯を……」
しかしバスタブを見たスティーブンは愕然とする。
彼はシャワー派だった。
勝手に期待した自分が馬鹿だっただけだが、正直にいってガッカリだ。それでもここに残る湯気はレオナルドの身体に触れたものであることに間違いはなかったので、胸いっぱいに吸い込んでおいた。
烏の行水なレオナルドと違い、スティーブンはバスタブに湯を入れてしっかりと風呂を堪能するのが好きだ。
さらに今夜のためにアメニティのボディソープを使い切る勢いで身体を念入りに洗い、出た後はキチンと髪をセットする。
パジャマよりバスローブが良かったかと鏡の前の自分を見て、いかにレオナルドに性的対象と見られるかを考えたが、さすがに答えが出なかった。
彼にも好みはあるだろうが、外見より内面を重視するような気がする。たとえそれが幻想だと言われようとも、スティーブンはレオナルドの人を見る目を好ましく思っているのだ。
神々の義眼を通してではない、彼自身の目で見た世界を。
そんなことを考えてしまう自分に少しだけ気恥ずかしさを覚え、セットした髪を掻きながらバスルームを出る。
なにはともあれ、大切なのはここからだ。
息を呑み、レオナルドのいるベッドに近づき――膝から崩れ落ちた。
「なぜこの明るい部屋で熟睡してるんだ、お前は……!」
しっかり布団に潜り込んで熟睡しているレオナルドは、それはもう幸せそうに涎をたらし時折口をむにゃむにゃと動かしては笑っている。夢の中でもまだ食べているのだろうか。10代の胃袋、恐ろしい。
こうなるだろう予感がなかったわけではないが、実際に目の当たりにするとこうも脱力するとは思わなかった。
乾いた笑いが零れ、床に座り込んで胡坐をかいたスティーブン溜め息を吐く。先程までの妄想だの気合いだのがすっかり抜けていき、肩が軽くなった。
「……君ってやつは、どうしてこうも人の気を抜くのが上手いんだろうな」
だからこそ、素の自分を出しても愛してくれるかもしれないと思ったのだけれど。
立ち上がって思いきり腕を伸ばすと、自然と欠伸が出てきた。
照明を消して、自分のベッドに入り込む。
片想いはそのままだけれど、今は片想いのままでいいと、スティーブンは長く息を吐いた後に瞼を閉じた。
翌朝、ルームサービスの朝食をたらふく食べたレオナルドに若干引いた後、ふたり揃ってホテルを出た。
レオナルドは一旦家に戻って着替えた後はピザ屋のバイトに行くというので途中で別れ、スティーブンも自宅に戻る。着替えた後は事務所に赴いたわけだが、心なしか足取りが軽い。
やはり好きな人との初めてのデートは、身体は疲れたとしても心を癒やしてくれるのだろう。
意気揚々と鼻歌を歌いながら執務室に入った、が。
「あらぁ、今朝はとってもご機嫌ねぇ、スティーブン先生ぇ」
「や、やあ、おはよう、K・K」
いつになく極上の微笑みを浮かべつつも胸の前で腕を組んだK・Kの声は、どこかわざとらしさを含んでいて。長い付き合いだからこそ分かる、理由は分からないがあきらかに彼女は怒っている。
浮かれていた気持ちは一瞬にして萎えていき、今では顔にこそ出さないが、気分は蛇に睨まれたカエルだ。
ここのところは非常事態以外は彼女の休みを邪魔した覚えはない。それでほとんど休みが潰れているとしても、不可抗力。だから自分が咎められる理由にはならないし、他に思い当たる節はない。
ではいったいなにが人類最強の主婦の機嫌を損ねているのだろうか。
「ねぇ、昨夜はどこにいたのかしら?」
「え、え……なにかあったかな?」
「質問してるのはこっちよ。しらばっくれるならいいわ。これを見なさい!」
突きつけられたスマホ。鼻先まで近づけられたせいで若干ぼんやりとしてしまっているのは、断じて老眼ではない。
少しだけ背を反らせて見えた全画面。スティーブンは絶句した。
「今朝、SNSでこんな書きこみがあったのをみつけたの。どうしてあなたがレオっちとホテルのスイートルームで止まってるのかしら?」
おそらく昨日のコラボビュッフェで遭遇した女性たちのアカウントだろう。運よく遭遇したリアル年の差CPに関する興奮をそのままに書いた文章や実話を漫画化した画像を載せ、極力個人を特定できないようにしつつも、見るものが見れば誰か分かってしまう後ろ姿の写真が続く。素人なりに個人情報は載せまいと配慮してくれているが、プロの身内に隠し通せるはずがなかった。
今どきの若者の拡散力、凄い。
「あー、K・K、これにはれっきとした訳があってだね」
「手を出してないわよね?」
「出してない」
出せなかった、とは言えない。
こちらをじっと見つめる半ばまで閉じた目は絶対に信じていないだろうが、そもそもなぜそんな考えにいたるのか。
スティーブンとレオナルドは異性愛者だ。少なくともスティーブン自身、レオナルドを好きになるまではそうだったし、今もレオナルド以外の男を恋愛対象に見ることなど到底無理だ。
だというのにK・Kはその疑いをかけたきた。まさか彼女も、ビュッフェにいた女性たちと同じ思考なのだろうか。
「……千歩譲って手は出していないとしても、わざとSNSに載るように仕向けてなかったでしょうね?」
「待て待て、僕がそんなことをするような男に見えるか!?」
「見える」
間髪入れずに断言され、スティーブンはショックのあまりよろけた。
いくらなんでもここまで信用されていないと傷つく。そんなに日頃の行いが悪かっただろうか。思い出そうとしても身に覚えがない。断じてない。
「とーにーかーく、部下をホテルに連れ込んだ男を信じろっていうのが間違いなのよ! ろくでもない奴だけどやっと人並みの感情を持てるなら、静かに見守って応援してあげようと思ってたのに、本当に馬鹿なんだから」
「お、応援……?」
半泣きになりながらその一言に戸惑う。やはりK・Kも彼女たちと同類だったか。いや、そうではない。同類だとしたら、レオナルドと共にホテルへ行ったことを喜んでいるはずだ。
ということは、つまり。
「ど、どうして知ってるんだ?」
「見てれば分かるわよ! それにレオっちが……」
そこで一旦言葉を止めて咳払いしたK・Kに、もしやと思って口を開くが、再び睨まれては閉じるしかなかった。
「言っておくけれど、これは忠告なのよ。今後、レオっちに下手なちょっかいをかけるようなことをしたら……分かってるわね?」
歩き出したK・Kにすれ違いざまに睨まれ、スティーブンはポカンと口を開いたまま見送るしかなかった。
ただ、かすかな希望が胸に宿ったことに、自然と笑みが浮かんだのだった。
なお、SNSではトレンドに入り、妹の耳に入ることをレオナルドはまだ知らない。
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