Advent Rose


 城を下りて道具たちを探すと、全員が無事にスティーブンとレオナルドを出迎えてくれた。
 バラの猛攻を武器もなくよく逃げ切ったものだと関心するが、同時に彼らなら当然だろうという思いもある自分に、スティーブンはなんとなく気分がよかった。
 そう、この程度、自分たちなら造作もないことなのだ。
「帰るところをなくしちまって、すまないな」
「なに、我々のいるべきところはここではない」
 クラウスの落ち着いた物言いが、妙に引っかかる。それはどういうことかと問おうと口を開くが、不意に周囲の霧が濃くなって彼らの姿を霞ませていく。
「君がバラを倒し呪いを解いたことで気づいたのだ。我らは皆、レオナルド君の記憶より生み出されし偽りの身なのだと」
「え、それ、どういうことですか?」
 気持ち悪いのが落ち着いたのか、まだスティーブンから離れられないものの、レオナルドが戸惑いを声にする。
「僕たちは、レオ君が知っているどこかの誰かをベースにして作られたんです」
「レオの世話をするためにね。でも名前をもらったから、レオを含め私たちはバラの支配下から知らないうちに逃れてた」
「おかげでバラが怒ったのよね。本当はもっと穏便に済ませるはずだったもの。そう、バラがレオっちを城に留めておくために、私たちを作ったのよ。でも、そのバラが消えてしまったわ」
 道具たちは日常の会話のように、なんでもないことのように重大な話を暴露していく。
 そこには悲しみも後悔もなく、ただあるがままに受け入れている姿があった。だが、彼らと短い間だが共に暮らしたレオナルドはそうもいかなかった。
「やです! やですよ! みんなでいっしょにいこうってきめたじゃないですか!」
 腕の中で暴れだしたレオナルドを、しっかりと抱き寄せる。
 ぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙が、スーツの袖を濡らした。
「意識というものは、どこかで全てが繋がっているという。ならば我らは我らの元となったものたちの許へ行くやもしれぬ。その時はまた会おう。スティーブン、レオナルド君を頼む」
 霧の中へ姿が徐々に消えていく中でも、彼らは笑っている気がする。
 城の中にあった道具だからこそ、城の主であるというバラが消えてしまえばそれまでなのだろう。だから、今はクラウスの言葉を信じるしかない。
 別れは静かに、そして唐突だ。
 霧の中へと消えていった彼らの色彩がなくなり、辺りは再び霧に覆われた。
 残されたのはスティーブンとレオナルドだけ。
 腕の中で泣きじゃくるレオナルドの頭にそっと手を添えて自分に寄りかからせると、霧の中を歩き出す。
「僕らだけになっちまったなぁ」
「ひっく、ひっく……みなさん、きえちゃいました……」
「クラウスが言ってただろ? また会えるさ」
「でも、ぼくはみなさんのもとになってるひとを、しりませんよ?」
「僕が知っているから、大丈夫だ」
 思いがけないことだったのだろうか、泣くのをやめたレオナルドがきょとんとした顔でスティーブンを見上げる。
 その顔が可愛らしく、同時に切なくてスティーブンは歩くのをやめた。
「君も知ってるはずなんだけどな」
 なんのことか分からないと言いたげに、レオナルドは小首を傾げる。
 少しずつ、少しずつ、霧が濃くなってきた。
 もうほとんど視界がなくなり、腕の中のレオナルドでさえ見えなくなってきている。
 小さな黒い毛玉からもこちらが見えなくなってきているのだろう。一生懸命伸ばしてきた手が、スティーブンの頬に触れた。
「ぼくも、スティーブンさんがしってるだれかのところにいくのかなぁ」
「そうだとしたら?」
「えへへ……また、スティーブンさんにあえますね」
 霧に消えていく笑顔は、泣いているくせにとても嬉しそうで。
 そっと額に口づけすれば、ふわふわとした毛が顔に当たって心地いい。
 やがて、彼は白い霧に消えた。
「っ!?」
 唐突に腕の中にこれまでなかった重みを感じ、スティーブンは思わず腕を下ろす。
 何かがドサッと落ちる音がし――同時に遠くから喧騒が聞こえ、濃密だった霧が薄れる。
 呆然と立ち尽くすスティーブンだが、胸元で響き続ける振動で我に返り、ジャケットの内ポケットへ手を入れた。
 取り出したスマホには、仲間たちから何度も何度も送られてきたメッセージの通知。数日にわたって送られてきたために、なかなか終わりが見えないようだ。
「……こいつを忘れてたなんて、なかなか厄介な呪いだ」
 黒い板とは、とおのれの表現力のなさに苦笑し、それから思い出したように足元を見た。
「おーい、少年。生きてるかー」
 裏返ったカエルのような姿で寝そべっているレオナルドに声をかけると、弱々しく「はい……」と返ってきて。
 見慣れた青年姿の彼をしゃがんで様子をみるが、どうやら怪我などはしていないようだ。
「えと……なにがどうなってるんでしょうか……?」
「そいつはこっちが聞きたいね。君はどこまで覚えてる?」
「……昼めし食いに行こうとしたら、ザップさんが借金取りに絡まれたんで一緒に逃げるはめになって。気が付いたらバラバラになってたんですけど、いつのまにか濃い霧が出て……そうだ、変な城で目を覚まして、それで」
 レオナルドの顔が真っ赤になったところを見ると、どうやら記憶はすべてあるらしい。
 理由は分からないが、今はそれでいいとスティーブンは立ち上がる。
「ま、なんにせよ間に合って良かったよ」
 そして、タイミング良くかかってきた電話に出た。
「やあ、クラウス。ああ、なんとか無事に戻ってこられたよ。レオナルドも一緒だ。うん、ふたりとも怪我はない。ところで、かねてから君が計画していたパーティーなんだが……うん、やろう。今回のことについて少し調べた後になるが、僕らも行くよ。それじゃあ、また後で」
 通話を終えたスマホを内ポケットにしまい、まだ状況をはっきりと分かっていないらしいレオナルドを見下ろす。
 身体を起しその場に座り込んだ彼は盛大に息を吐いて、また寝ようとしたのでゴーグルを掴んでそれを制してやった。
「あ、あの、スティーブンさん。あれは毛玉の戯言というか何と申しますか」
 ごにょごにょと言い訳をしだしたが、こちらは時間がないのだ。
 上司の権限で命令してさっさと立たせると、遠くに見える喧騒に向かって歩き出す。
 霧は常に出ているが、静寂とは無縁な街。
 ここがふたりの暮らす街――ヘルサレムズ・ロット。

 街の物騒な喧騒を見下ろす高層ビルの一室。
 リーダーの趣味で飾られたクリスマスツリーは、はたしてどうやって室内に入れたのかと不思議なくらい巨大で。
 そのツリーを中心に、構成員たちは和やかに会食を楽しみ、会話にいそしんでいる。
 明日のクリスマスを前に、今夜は秘密結社ライブラでのクリスマス兼スティーブン&レオナルド帰還パーティー、というわけだ。
「……なんでか知らねぇけど、背筋が真っ直ぐになっちまう」
「僕は水を見ると飲みたくなって……おかしいです」
 猫背が基本のザップが背筋を伸ばし、水中で生活するツェッドが水を飲みたくて仕方がないと唸る。
 他にもK・Kが照明器具にやたらと親近感を抱くし、チェインはザップの顔を何度も踏みつけては彼を怒らせていた。そしてギルベルトは跳ねることは抑えているようだが、何度もつま先立ちをしてしまっている。
 その様子を、クリスマスツリーの傍に立つレオナルドはくすっと笑う。
 みんな、そこにいるのだ。
「クラウスが、やたらと膝の上に僕を座らせようとするのは困ったね」
 不意に横から聞こえた声に驚いて振り向けば、スティーブンが不敵な笑みを浮かべていて。
 レオナルドは慌てて逃げようとしたが、見つめられたままでは蛇に睨まれたカエルのごとく動くことが出来ない。仕方なく愛想笑いを浮かべてみるものの、どうしたって引き攣ったものになってしまう。
「少年が引っかかった呪いなんだが、あれは食人主義の異界人が仕掛けた一種の罠だ」
「罠、ですか?」
「路地の中に呪術的な門を仕掛けておいてな、かかった奴を亜空間で飼育する。快適な環境を与え姿と記憶を剥奪し、飼いならすんだ」
「なんか網にかかった魚を養殖するみたいっすね」
「そんな感じだ。そして食べ頃になったら捕獲するんだと」
「じゃあ、バラがその異界人?」
「いや、バラは食べ頃になったら捕獲する捕獲器と逃亡を阻止するためにあったそうだ。アドベントカレンダーのバラは真面目に作っても作らなくても、その日になったら勝手に合体して作動する仕組みだったらしい」
 どこまでもはた迷惑な罠に閉口する。
 犯人はすでにHLPDに捕まっており、レオナルドは回収し損ねて残っていた罠に捕まってしまっていたとか。お陰でライブラでもなかなか気づくことが出来なかったと、スティーブンは詫びを入れた。
「厳しい環境を脱したら、飯を食って惰眠を貪った天国の後に地獄が待ってたなんて……養殖される魚の気持ちが分かった気がします」
「丸々としてたもんなぁ」
 毛玉と呼ばれていたことを思い出し、レオナルドは恥ずかしさに顔を逸らす。
「ちなみに、美女と野獣に関しては犯人の好みだそうだ。人類を飼育するために参考にしたんだって」
「人の大事な思いを微妙なものに変えられて、複雑な気持ちです」
「妹さん?」
「小さい頃によく一緒に見てました」
 今では懐かしい、家族と過ごしたクリスマスの思い出。
 そして今は、大切な仲間たちとの少し複雑な思い出になった。
「でも、どうしてスティーブンさんは……」
 色々とほろ苦い気分から、話題を変えようとずっと思っていた疑問を口にする。
 スティーブンは肩をすくめ、主役たちをほったらかしにして騒ぐ仲間たちへと目を向けた。
「分からん。君が消えた場所を何度調べても何も出てこなかったのに、あの日は偶然発動した。もしかしたら、異界人が収穫を行う時のために定期的に開いたところへ、偶然足を踏み入れたのかもしれない」
 もしもスティーブンが来なかったらどうなっていたのか。捕獲されたまま異界人は来ることなく、飼い殺し状態になっていたのではないのだろうか。
 想像しただけで血の気が引いていく。
「僕の姿が変わらず、速やかに記憶を失わなかったのは、罠がひとり分で許容量をオーバーしてたのかもな。毛玉にならなくて良かったよ」
「スティーブンさんの毛玉……そ、それにしても、スティーブンさんが今日は絶対に戻らなくちゃいけないって言ってたの、このパーティーのためだったんですね」
 スティーブンが毛玉になった姿を想像して噴き出しそうになったが、言えば絶対に怒られるので慌てて再度話題を変える。
 自分ばかり聞いているな、と思いつつ、そうだよと笑うスティーブンに少しだけ落胆した。これは自分の気持ちをどさくさ紛れに伝えてしまった後だからか。
 レオナルドも今日を楽しみにしていた。クリスマスという名目なら、スティーブンに堂々とプレゼントを渡すことが出来ると思ったからだ。だが、プレゼントを買うはずだった時間は、奪われてしまった。
「クラウスが楽しみにしてたからなぁ。それに、僕にはもうひとつ大切なことがあったんだ」
 不意に肩を叩かれるものだから、振り向かないではいられない。
 大好きな顔が唇が触れ合うほど近く――いや、触れて、すぐには見られなかった。
「絶対に今夜だと決めていたんだ」
「な、ななななにを、デス、カ!?」
「そのつもりでここにいたんじゃなかったの?」
 顔が離れ、ほら、と頭上を指さされて見上げれば、緑の葉が茂る木の枝がクリスマスツリーにぶら下げてあった。
「ヤドリギ。この下でキスしたふたりは、永遠に会いが続く。ロマンチックだよな、俺の野獣は」
 まったく気づかなかったと言い訳をする間もない程に顔が熱い。
 周囲は飲んで騒いでこちらには気づいていないのは、幸いだった。だが、それも時間の問題だろう。
 それを察してかスティーブンはレオナルドの硬直した手をやんわりと取り、ツリーの後ろへと誘導した。
 壁とツリーに挟まれて、もう逃げ場はない。
「先に告白されちまったが、本当は俺からしたかったってこと。そして明日は俺と」
「えと、あの、それは……つまり」
 脈が速く心臓の音がうるさい。
 見上げた先、美女というにはかなり無理がある美男の真剣な眼差しに、レオナルドは息を呑んだ。
「ちゃんと言わないと分からない? 君が好きってことさ、レオナルド。明日の予定をプレゼントしてもらえたら、最高なんだけど」
「……そ、それで喜んでいただけるなら……」
「言っただろう? 最高って」
 仲間たちの賑やかで楽しそうな声が消え、唇に熱を感じた。

 真実の愛は呪いを解く。
 そして、ハッピーエンドの祝福を――。


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