All in my sight
これまでなんだかんだとレオナルドにダメ出しをされ続けた衣装が褒められているので、嬉しいのだろう。クールに見えて変なところで負けず嫌いなのだから、スティーブンには困ったものだ。
「いいじゃないか。サムハイン祭はどうしても幽霊が主役だからな、それくらい気合が入ってる方が楽しいってもんだろ」
「そういうもんすかねぇ。……ところで、なんでここにも幽霊がいるんです?」
話題を変えようとこっそり口に手を当てて小さな声で尋ねれば、アレックスはにんまりと笑ってこういう。
「さてね。じいちゃんがこの店を建てた時からこうだからなぁ、他は知らないけど、うちはこれが普通だと思ってた。サムハイン祭が終わればいなくなるから、気にしなくていいよ。ほら、テーブルで待っててくれ」
聞いてはいけない何かがある、というよりアレックス自身も詳しいことは知らないという印象だったので、レオナルドは素直にスティーブンと共にその場を離れ、唯一空いていたテーブルをみつけて椅子に腰掛ける。スティーブンも傍に腰を下ろすと、その場で腹ばいになって欠伸をした。
それにしても見渡す限り不思議な光景だ。
さほど広いとは言い難いパブの中、様々な仮装をした人々に混じって華やかなドレスを身に纏った貴婦人や軍服姿の青年が、生前と変わらない様子で談笑している。さすがに飲食は不可能なようなので、彼らは単に雰囲気を楽しんでいるのだろう。
これでは仮装している者たちも本当に生きている人なのかどうかすら怪しい。今は自分もそのひとりなのだと思うと、なかなかに不思議な感覚だ。
雰囲気に浸り微睡みたくなったが、脳を刺激する良い香りに目が覚める。
「おまちどおさま」
目の前に置かれた金色に輝くタラのフライ、大盛りのポテト。そしてたっぷりのタルタルソースは、レオナルドが常連になった証である特別なサービス。
ふにゃりと笑ってアレックスに礼を言うと、彼は注文していないフライドチキンが載った皿をテーブルに置いた。
「サービス。まだ見回りするんだろ? 頑張ってな」
「ありがとうございます!」
アレックス自身も夜通し店を開けるのは大変だろうに、労いの気持ちがとても嬉しい。
嬉しくて素直に礼を言えば、アレックスははにかんだ笑みを見せ――そして顔を下げた。
つられてレオナルドも視線を下げれば、アレックスの足を思い切り踏みつけているスティーブンがいる。腹ばいになったままだが、もし立ち上がった狼の脚力で足の甲に前足を叩きつけられたとしたら、それなりに痛いだろう。
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたスティーブンは何がそんなに気に入らないのか分からないが、フォローをするのはいつもレオナルドだ。
「すみません、アレックスさん。痛くなかったです?」
「はは、この程度ならなんともないさ。アランのやつ、俺がレオと話してて嫉妬したな?」
そんなことはないと思いつつ、愛想笑いを浮かべておく。スティーブンは拗ねるだろうが、主人をとられて拗ねるペットは話が早くていい。
アレックスもそれで納得したようで、客に呼ばれてカウンターへ戻っていった。
「もー、スティーブンさん、大人げないですよ」
「僕の足が長いから、たまたま載っただけさ」
ミルクをアラン専用だとアレックスが店に置いた犬用の食器に移して、スティーブンの足元に置く。本来ならば犬に人が飲む牛乳を大量に与えてはいけないのだが、なにせ相手はスティーブンだ。徹底的に犬用にすると彼の尊厳に関わってしまうので、アレックスには胃が丈夫だから大丈夫だと色々ごまかしている。
とはいえもう1年以上狼をやっているというのに、彼がこのスタイルを不満なのは変わらない。
「家で休めばよかったよ」
「そんなこと言っちゃって。スティーブンさん、家に帰ったら寝ちゃうでしょ」
答えが返ってこなかったところを見ると、図星なのだろう。
くすりと笑ったレオナルドはフォークとナイフを手に取ると、揚げたてのフライに目を向けた。
「美味そうだねぇ」
不意に真正面から聞こえた声に、勢いよく顔を上げる。
いつのまにか、それこそ音もなく正面の椅子に腰掛けたのは――魔法使い。
白いひげをたっぷりと蓄え、黒いローブに大きなつばの三角帽子。ファンタジーで見る典型的な魔法使いの格好をした老人は、青白い光をまとい半透明な姿でにんまりと笑っている。
「えと……何か御用でしょうか?」
サムハイン祭では幽霊と会話は慎むべしと注意を受けているのだが、ついいつもの癖で話しかけてしまった。
スティーブンが睨んでいる気がするが、やってしまったことは仕方がない。
「ああ、用というわけじゃあないんだが、そこの犬が気になってね」
穏やかな語り方ではあるが、齢を重ねたがゆえに重く下がった瞼か覗く眼光は鋭い。
ただものではない、と思うのはスティーブンが警戒して腰を上げたからだ。
「あはは、怖い顔をしなくていいよ。ただね、これだけややこしい呪いを見るのは久しぶりだからさ」
「分かるんですか!?」
勢いよく立ち上がり大きな声を出したことで、店の中のものたちが一斉にレオナルドを振り返る。意図せず注目を浴びてしまったことで慌ててへらへらと笑いつつペコペコお辞儀をして席に着く。
するとレオナルドのことはもう気にしないのか、各々が談笑や食事に戻っていった。どうやら老人と話をしていても、彼らは気にしないらしい。
禁止されているはずの幽霊との会話をなんとも思わないのはどういうことかと不思議に思っていると、忙しく仕事をしていたはずのアレックスが再びやってきた。
「じいさん、1年ぶりだな!」
「おお、またデカくなったか!?」
「さすがにもう成長しないな」
椅子から立ち上がった老人はアレックスと抱き合って背中を叩いている。触れないはずなのに巧みに生前の動きを再現しているところを見ると、この人は亡くなってからまだ年月が経っていないのだろうか。
なんにせよアレックスまで普通に話しているのはどういうことだ。
「このじいさんは生前魔法使いをやっててな、俺のじいちゃんがこの店を開いてから毎年来てるんだ」
「おじいさんのさらにおじいさんより前からの付き合いかなぁ。僕はここでいろんな人の話を聞くのが大好きなんだよ」
祖父と孫の会話のように聞こえるが、老人の話が本当だとしたら彼はうんと昔に亡くなっており、ずっとアレックスの家族と縁を結んでいることになる。
アレックスの話では血縁関係ではないようだが、いったいどんな間柄になったらここまで親しくなるのだろう。
そのことを聞くと、アレックスが話すより早く老人が笑った。
「なに、そういった気まぐれも時にはある」
答えをはぐらかしたようにしか思えないが、人でありながら人と違う価値観を持つものも多い以上、これ以上追及する気はない。
アレックスも気にしていないようなので、それならばと流しておくと、老人が再び音もなく椅子から立ち上がる。
「夜は短い。僕は挨拶回りをしなくてはならない忙しい身なのでね、そろそろ失礼しよう。そうそう、君たちにひとつだけ。死者の踊る夜のうちに、3人の賢者が祀られた時の眠る白亜の宮殿へおいで」
古の魔法使いはそう言い残すと、レオナルドたちの返事を聞くことなく店を去っていった。
「……どう考えてます?」
「どうと言われてもなぁ」
大きなあくびをしてソファにもたれかかるのは、人の姿に戻ったスティーブン。
あれから食事を済ませ、再び夜の街に出たふたりは老人の言葉について何度も考えていた。
しかしその間に愛人宅を追い出されて幽霊に追いかけまわされていたザップを助け、スティーブンに一目ぼれした雌犬の幽霊から逃げたりしていたので、考えはまとまらないまま朝になってしまって。
スティーブンのことを考え夜が明ける前に帰り、ひとまず仮眠をとることとなったのだが、答えが出ないとスッキリしないのか、ベッドに入って寝たいレオナルドはスティーブンに捕まっていた。
只今、ソファに腰掛けて濃いブラックコーヒーが入ったマグカップを手に睡魔と格闘中である。
「3人の賢者ねぇ。教会かな……」
「教会なら最初から教会って言いますよね?」
「白亜の宮殿だもんなぁ。王宮に忍び込むのは御免だぞ」
「じゃあ、他のところ?」
「えー、三賢者なんてどこにでもいそうじゃない」
東方の三賢者、もしくは東方の三博士。神の子の誕生を祝福したという話は世界的に有名だ。
スティーブンのいうとおり、教会を始め絵画のモチーフや彫刻など美術館に収蔵されていることとて多い。はたしてそれらのどれが該当するのか、そもそも時の眠る白亜の宮殿とはいったいどこを示しているのか。皆目見当がつかない。
「とりあえず、もう寝たいんですけど」
「このままじゃ、おちおち眠れん。もう少し付き合ってくれ」
ええー、とレオナルドは文句を言いつつ、スティーブンの隣で半ば閉じかけている瞼を必死に上げる。
しかしただでさえ座り心地のいいソファに座って、膝にブランケットをかけているのだ。
徹夜の疲れはあまりないが、今晩もまた見回りがあるのでなるべく寝たいというのが本心なわけで。
「僕だけでも寝かせてくださいー」
「3人の賢者の謎が解けたらな」
「その3人も頭がいい人がいたら、スティーブンさんの呪いが解けるんですかねぇー」
半ばやけになってそんなことをぼやいたレオナルドに深い意味はない。
しかし何かに気づいたのか、スティーブンは勢い良く立ち上がった。
「そうか、三賢者ではなく3人の賢者。時の眠る、白亜の宮殿。そして今はサムハイン祭! レオ、僕は調べ物をしてくるから」
さっきまでレオナルドと同じようにグダグダしていたくせに、やるべきことが分かるとスティーブンはとても生き生きする。
意気揚々と自室に入っていくスティーブンを力なく手を振って見送ってから、レオナルドはブランケットを手にしてぽてりとソファに寝転がった。
スティーブンの尻に温められたソファでブランケットを胸元までかけ、大きなあくびをする。
夜間は外出しなかったソニックは今頃外で遊んでいるだろうし、彼が腹を空かせて返ってくるまでは寝ることにする。
もう一度大きなあくびをして、深く長く息を吐く。
やはり疲れはあったのだろう。
レオナルドは速やかに眠りの淵へと落ちていった。
――これは、夢だろうか。
夕暮れが迫る中、そびえ立つ白亜の宮殿の前に立ったレオナルドはまだ現実を受け入れられないでいた。
現在時刻は16時ちょうど。後30分ほどで日が暮れる。
再び訪れるサムハイン祭の夜を前にして、すでに人気はない。見るとすれば、警察ならびに軍隊など、分かりやすく制服を着こんだ人々だ。
本来ここにいるべきではないことを、レオナルドは重々に承知している。
唾を飲み込み立ち尽くしていると、先を歩く犯人が早く行くぞ、と肩越しに言ってきた。
普段ならばまだ気軽に「はーい」とでも返事をして駆け寄ることは出来ただろう。だが、今は違う。
これからレオナルドが赴く場所、そこは大英博物館。
英国の宝から人類の宝まで、英国人が通った後は草一本生えないとまで揶揄される、恐るべき収集癖によって集められた英国最大の博物館だ。
問題は現在、サムハイン祭の真っただ中ということ。もちろんこの間は大英博物館だけでなく、多くの施設が早い時間にその門を閉じてしまう。
今日も日没よりうんと早い時間に閉館した。
ではなぜレオナルドたちがいるのか。
「本当に大英博物館に3人の賢者がいるんですか?」
サムハイン祭の衣装が入ったキャリーケースを引きずりながら、スティーブンの後をついていく。
今の彼はスーツ姿なのだが、なぜかレオナルド同様キャリーケースを引いていて。狼になった時に羽織るマントが入っているのだろうが、それにしてはキャリーケースのサイズが大きい。出かける時に中身は何かと聞くと、魔女に押し付けられたとだけ返ってきた。
「ほぼあてずっぽうだよ。別にあの老人の話を信じちゃいないし、そもそも行ったところで何になるか分からん。情報が少なすぎる」
「だからってなんで大英博物館……」
レオナルドが戸惑っているのには訳がある。
本来こういった公共施設、特に国にとって重要な施設はサムハイン祭の夜に人が出入りすることを厳しく禁じている。
窃盗などの犯罪を考えてのことだろう、というのが一般的な見方だが、実のところはっきりとした理由は公表されていない。お陰で異界の扉が開くからだとか、過去の要人たちが集い国の成り行きを左右する会議が開かれるだとか、様々な都市伝説が生まれているくらいだ。
周囲は厳重に警備が固められているものの、無人となる大英博物館。
そんなところに入る栄誉をどうやってスティーブンが掴んだのか、色々とコネを使ったとしか教えてもらえなかった。
「見た目が白亜の宮殿っぽいだろ。まぁ、他にも該当しそうなところがなかったわけじゃないが、ここが一番許可をもらいやすかったんだ」
大英博物館が一番簡単だったとは。
はたして他にはどんな候補が上がっていたのか気になるところだが、スティーブンの推理が当たっているかどうかを確認するのが先だ。
堂々と正面玄関から入ると、最後までいたらしい警備員が駆け寄ってくる。そしてスティーブンと一言二言言葉を交わし、去っていった。
警備員はこれから玄関など出入りできる全ての場所にロックをかけ、セキュリティを作動させるらしい。内部の対侵入者向けセキュリティはほとんど切ってくれるそうだが、展示物に触れるなどの行為には反応するので気を付けるようにと念を押された。
こうして誰もいなくなった、白いグレートコートにふたりだけが取り残される。
「いいじゃないか。サムハイン祭はどうしても幽霊が主役だからな、それくらい気合が入ってる方が楽しいってもんだろ」
「そういうもんすかねぇ。……ところで、なんでここにも幽霊がいるんです?」
話題を変えようとこっそり口に手を当てて小さな声で尋ねれば、アレックスはにんまりと笑ってこういう。
「さてね。じいちゃんがこの店を建てた時からこうだからなぁ、他は知らないけど、うちはこれが普通だと思ってた。サムハイン祭が終わればいなくなるから、気にしなくていいよ。ほら、テーブルで待っててくれ」
聞いてはいけない何かがある、というよりアレックス自身も詳しいことは知らないという印象だったので、レオナルドは素直にスティーブンと共にその場を離れ、唯一空いていたテーブルをみつけて椅子に腰掛ける。スティーブンも傍に腰を下ろすと、その場で腹ばいになって欠伸をした。
それにしても見渡す限り不思議な光景だ。
さほど広いとは言い難いパブの中、様々な仮装をした人々に混じって華やかなドレスを身に纏った貴婦人や軍服姿の青年が、生前と変わらない様子で談笑している。さすがに飲食は不可能なようなので、彼らは単に雰囲気を楽しんでいるのだろう。
これでは仮装している者たちも本当に生きている人なのかどうかすら怪しい。今は自分もそのひとりなのだと思うと、なかなかに不思議な感覚だ。
雰囲気に浸り微睡みたくなったが、脳を刺激する良い香りに目が覚める。
「おまちどおさま」
目の前に置かれた金色に輝くタラのフライ、大盛りのポテト。そしてたっぷりのタルタルソースは、レオナルドが常連になった証である特別なサービス。
ふにゃりと笑ってアレックスに礼を言うと、彼は注文していないフライドチキンが載った皿をテーブルに置いた。
「サービス。まだ見回りするんだろ? 頑張ってな」
「ありがとうございます!」
アレックス自身も夜通し店を開けるのは大変だろうに、労いの気持ちがとても嬉しい。
嬉しくて素直に礼を言えば、アレックスははにかんだ笑みを見せ――そして顔を下げた。
つられてレオナルドも視線を下げれば、アレックスの足を思い切り踏みつけているスティーブンがいる。腹ばいになったままだが、もし立ち上がった狼の脚力で足の甲に前足を叩きつけられたとしたら、それなりに痛いだろう。
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたスティーブンは何がそんなに気に入らないのか分からないが、フォローをするのはいつもレオナルドだ。
「すみません、アレックスさん。痛くなかったです?」
「はは、この程度ならなんともないさ。アランのやつ、俺がレオと話してて嫉妬したな?」
そんなことはないと思いつつ、愛想笑いを浮かべておく。スティーブンは拗ねるだろうが、主人をとられて拗ねるペットは話が早くていい。
アレックスもそれで納得したようで、客に呼ばれてカウンターへ戻っていった。
「もー、スティーブンさん、大人げないですよ」
「僕の足が長いから、たまたま載っただけさ」
ミルクをアラン専用だとアレックスが店に置いた犬用の食器に移して、スティーブンの足元に置く。本来ならば犬に人が飲む牛乳を大量に与えてはいけないのだが、なにせ相手はスティーブンだ。徹底的に犬用にすると彼の尊厳に関わってしまうので、アレックスには胃が丈夫だから大丈夫だと色々ごまかしている。
とはいえもう1年以上狼をやっているというのに、彼がこのスタイルを不満なのは変わらない。
「家で休めばよかったよ」
「そんなこと言っちゃって。スティーブンさん、家に帰ったら寝ちゃうでしょ」
答えが返ってこなかったところを見ると、図星なのだろう。
くすりと笑ったレオナルドはフォークとナイフを手に取ると、揚げたてのフライに目を向けた。
「美味そうだねぇ」
不意に真正面から聞こえた声に、勢いよく顔を上げる。
いつのまにか、それこそ音もなく正面の椅子に腰掛けたのは――魔法使い。
白いひげをたっぷりと蓄え、黒いローブに大きなつばの三角帽子。ファンタジーで見る典型的な魔法使いの格好をした老人は、青白い光をまとい半透明な姿でにんまりと笑っている。
「えと……何か御用でしょうか?」
サムハイン祭では幽霊と会話は慎むべしと注意を受けているのだが、ついいつもの癖で話しかけてしまった。
スティーブンが睨んでいる気がするが、やってしまったことは仕方がない。
「ああ、用というわけじゃあないんだが、そこの犬が気になってね」
穏やかな語り方ではあるが、齢を重ねたがゆえに重く下がった瞼か覗く眼光は鋭い。
ただものではない、と思うのはスティーブンが警戒して腰を上げたからだ。
「あはは、怖い顔をしなくていいよ。ただね、これだけややこしい呪いを見るのは久しぶりだからさ」
「分かるんですか!?」
勢いよく立ち上がり大きな声を出したことで、店の中のものたちが一斉にレオナルドを振り返る。意図せず注目を浴びてしまったことで慌ててへらへらと笑いつつペコペコお辞儀をして席に着く。
するとレオナルドのことはもう気にしないのか、各々が談笑や食事に戻っていった。どうやら老人と話をしていても、彼らは気にしないらしい。
禁止されているはずの幽霊との会話をなんとも思わないのはどういうことかと不思議に思っていると、忙しく仕事をしていたはずのアレックスが再びやってきた。
「じいさん、1年ぶりだな!」
「おお、またデカくなったか!?」
「さすがにもう成長しないな」
椅子から立ち上がった老人はアレックスと抱き合って背中を叩いている。触れないはずなのに巧みに生前の動きを再現しているところを見ると、この人は亡くなってからまだ年月が経っていないのだろうか。
なんにせよアレックスまで普通に話しているのはどういうことだ。
「このじいさんは生前魔法使いをやっててな、俺のじいちゃんがこの店を開いてから毎年来てるんだ」
「おじいさんのさらにおじいさんより前からの付き合いかなぁ。僕はここでいろんな人の話を聞くのが大好きなんだよ」
祖父と孫の会話のように聞こえるが、老人の話が本当だとしたら彼はうんと昔に亡くなっており、ずっとアレックスの家族と縁を結んでいることになる。
アレックスの話では血縁関係ではないようだが、いったいどんな間柄になったらここまで親しくなるのだろう。
そのことを聞くと、アレックスが話すより早く老人が笑った。
「なに、そういった気まぐれも時にはある」
答えをはぐらかしたようにしか思えないが、人でありながら人と違う価値観を持つものも多い以上、これ以上追及する気はない。
アレックスも気にしていないようなので、それならばと流しておくと、老人が再び音もなく椅子から立ち上がる。
「夜は短い。僕は挨拶回りをしなくてはならない忙しい身なのでね、そろそろ失礼しよう。そうそう、君たちにひとつだけ。死者の踊る夜のうちに、3人の賢者が祀られた時の眠る白亜の宮殿へおいで」
古の魔法使いはそう言い残すと、レオナルドたちの返事を聞くことなく店を去っていった。
「……どう考えてます?」
「どうと言われてもなぁ」
大きなあくびをしてソファにもたれかかるのは、人の姿に戻ったスティーブン。
あれから食事を済ませ、再び夜の街に出たふたりは老人の言葉について何度も考えていた。
しかしその間に愛人宅を追い出されて幽霊に追いかけまわされていたザップを助け、スティーブンに一目ぼれした雌犬の幽霊から逃げたりしていたので、考えはまとまらないまま朝になってしまって。
スティーブンのことを考え夜が明ける前に帰り、ひとまず仮眠をとることとなったのだが、答えが出ないとスッキリしないのか、ベッドに入って寝たいレオナルドはスティーブンに捕まっていた。
只今、ソファに腰掛けて濃いブラックコーヒーが入ったマグカップを手に睡魔と格闘中である。
「3人の賢者ねぇ。教会かな……」
「教会なら最初から教会って言いますよね?」
「白亜の宮殿だもんなぁ。王宮に忍び込むのは御免だぞ」
「じゃあ、他のところ?」
「えー、三賢者なんてどこにでもいそうじゃない」
東方の三賢者、もしくは東方の三博士。神の子の誕生を祝福したという話は世界的に有名だ。
スティーブンのいうとおり、教会を始め絵画のモチーフや彫刻など美術館に収蔵されていることとて多い。はたしてそれらのどれが該当するのか、そもそも時の眠る白亜の宮殿とはいったいどこを示しているのか。皆目見当がつかない。
「とりあえず、もう寝たいんですけど」
「このままじゃ、おちおち眠れん。もう少し付き合ってくれ」
ええー、とレオナルドは文句を言いつつ、スティーブンの隣で半ば閉じかけている瞼を必死に上げる。
しかしただでさえ座り心地のいいソファに座って、膝にブランケットをかけているのだ。
徹夜の疲れはあまりないが、今晩もまた見回りがあるのでなるべく寝たいというのが本心なわけで。
「僕だけでも寝かせてくださいー」
「3人の賢者の謎が解けたらな」
「その3人も頭がいい人がいたら、スティーブンさんの呪いが解けるんですかねぇー」
半ばやけになってそんなことをぼやいたレオナルドに深い意味はない。
しかし何かに気づいたのか、スティーブンは勢い良く立ち上がった。
「そうか、三賢者ではなく3人の賢者。時の眠る、白亜の宮殿。そして今はサムハイン祭! レオ、僕は調べ物をしてくるから」
さっきまでレオナルドと同じようにグダグダしていたくせに、やるべきことが分かるとスティーブンはとても生き生きする。
意気揚々と自室に入っていくスティーブンを力なく手を振って見送ってから、レオナルドはブランケットを手にしてぽてりとソファに寝転がった。
スティーブンの尻に温められたソファでブランケットを胸元までかけ、大きなあくびをする。
夜間は外出しなかったソニックは今頃外で遊んでいるだろうし、彼が腹を空かせて返ってくるまでは寝ることにする。
もう一度大きなあくびをして、深く長く息を吐く。
やはり疲れはあったのだろう。
レオナルドは速やかに眠りの淵へと落ちていった。
――これは、夢だろうか。
夕暮れが迫る中、そびえ立つ白亜の宮殿の前に立ったレオナルドはまだ現実を受け入れられないでいた。
現在時刻は16時ちょうど。後30分ほどで日が暮れる。
再び訪れるサムハイン祭の夜を前にして、すでに人気はない。見るとすれば、警察ならびに軍隊など、分かりやすく制服を着こんだ人々だ。
本来ここにいるべきではないことを、レオナルドは重々に承知している。
唾を飲み込み立ち尽くしていると、先を歩く犯人が早く行くぞ、と肩越しに言ってきた。
普段ならばまだ気軽に「はーい」とでも返事をして駆け寄ることは出来ただろう。だが、今は違う。
これからレオナルドが赴く場所、そこは大英博物館。
英国の宝から人類の宝まで、英国人が通った後は草一本生えないとまで揶揄される、恐るべき収集癖によって集められた英国最大の博物館だ。
問題は現在、サムハイン祭の真っただ中ということ。もちろんこの間は大英博物館だけでなく、多くの施設が早い時間にその門を閉じてしまう。
今日も日没よりうんと早い時間に閉館した。
ではなぜレオナルドたちがいるのか。
「本当に大英博物館に3人の賢者がいるんですか?」
サムハイン祭の衣装が入ったキャリーケースを引きずりながら、スティーブンの後をついていく。
今の彼はスーツ姿なのだが、なぜかレオナルド同様キャリーケースを引いていて。狼になった時に羽織るマントが入っているのだろうが、それにしてはキャリーケースのサイズが大きい。出かける時に中身は何かと聞くと、魔女に押し付けられたとだけ返ってきた。
「ほぼあてずっぽうだよ。別にあの老人の話を信じちゃいないし、そもそも行ったところで何になるか分からん。情報が少なすぎる」
「だからってなんで大英博物館……」
レオナルドが戸惑っているのには訳がある。
本来こういった公共施設、特に国にとって重要な施設はサムハイン祭の夜に人が出入りすることを厳しく禁じている。
窃盗などの犯罪を考えてのことだろう、というのが一般的な見方だが、実のところはっきりとした理由は公表されていない。お陰で異界の扉が開くからだとか、過去の要人たちが集い国の成り行きを左右する会議が開かれるだとか、様々な都市伝説が生まれているくらいだ。
周囲は厳重に警備が固められているものの、無人となる大英博物館。
そんなところに入る栄誉をどうやってスティーブンが掴んだのか、色々とコネを使ったとしか教えてもらえなかった。
「見た目が白亜の宮殿っぽいだろ。まぁ、他にも該当しそうなところがなかったわけじゃないが、ここが一番許可をもらいやすかったんだ」
大英博物館が一番簡単だったとは。
はたして他にはどんな候補が上がっていたのか気になるところだが、スティーブンの推理が当たっているかどうかを確認するのが先だ。
堂々と正面玄関から入ると、最後までいたらしい警備員が駆け寄ってくる。そしてスティーブンと一言二言言葉を交わし、去っていった。
警備員はこれから玄関など出入りできる全ての場所にロックをかけ、セキュリティを作動させるらしい。内部の対侵入者向けセキュリティはほとんど切ってくれるそうだが、展示物に触れるなどの行為には反応するので気を付けるようにと念を押された。
こうして誰もいなくなった、白いグレートコートにふたりだけが取り残される。