All in my sight
その話が来た時、レオナルドはそうなるだろうと納得していた。
たくさんの注意事項と、数少ない指定された店のリスト。
これらをそっとダイニングテーブルに置いた時、同居人が苦虫を嚙み潰したような顔をした理由は分からなかったけれど。
「やはり来たか、サムハイン祭の見回り当番」
サムハイン祭。
10月31日。世界的にはハロウィンと呼ばれるこの日、ここ英国ではかなり変わったものとなる。
中身をくりぬかれたかぼちゃのお化けはいないし、見ず知らずの家へ菓子を目当てに子供たちが突撃することもない。代わりに、街の中には死者が溢れ出るのだ。といってもゾンビの類ではなく、正真正銘の幽霊たちが。
そう、これこそがサムハイン祭。元はケルトに起源をもつこの祭は夏の終わりを告げ、冬の始まりを知る祝祭にあった。
それが長い年月を得て形を変えてハロウィンとなり、今日に伝わっている。だがこれはあくまで生きている人間たちのものであり、サムハイン祭という名の裏には未来永劫変わらないことがある。それはハロウィンの日没と共に開き、2日後の夜明けに閉ざされる死者の国の扉。
開かれた扉より、死者たちがこの世に戻るのだ。
それだけなら何ら問題にはならなかっただろう。だがこの間だけは様子が違う。どういう原理なのか長年にわたってありとあらゆる専門家たちが考えても分からないのだが、なぜか普段は幽霊が見えないはずの者たちまで幽霊が見えてしまうのだ。
そして里帰りする者たちは妙に元気がいいのか、すぐに人間にちょっかいを出してあちら側の世界へ道ずれにしようと頑張ってしまう。
ここで出番となるのが、街に店舗を構えた者たちによる見回り当番。
徹夜になるので毎年ではなく数年に一度順番が回ってくることが主なのだが、これは店が多い街の話。店舗が少ないと毎年のようにやらなくてはいけないので、なかなかに骨が折れる。
レオナルドの店、フラワーショップ・レオーネは今年オープンしたばかりの新店舗。新参者ならば必ず当番が回ってくるだろうと思っていたのだが、この歳で徹夜はきついんだよなぁ、とぼやいてはマグカップのブラックコーヒーを飲み干す同居人ことスティーブンには、レオナルドは嘘だと心の中で断言した。
なにせこの男、夜間は狼姿となるわけだが、仕事がある時は昼間よりも余程活発に動き回っている気がする。
実際のところ狼は夜行性ではなく、明け方や夕暮れの時間帯に活発に活動する薄明薄暮性というものらしい。スティーブンはどうかというと、朝は人型になるし夕暮れ時は狼になる時のために慌ただしく動いているのでよく分からない。
とにかくレオナルドから見ると、昼間の死んだ目より夜のらんらんと輝く赤い目の方が活発なのは間違いないわけで。
それはさておき、だ。
「うちの周りを中心に、駅の方までが範囲らしいですよ」
「結構広いじゃない。新参者だからって酷くないか?」
「広くしないと、おんなじところをぐるぐる回るだけなんで、退屈になるんですって」
「退屈ってな……警察に軍も出動するってのに、どうして一般市民まで駆り出されなくちゃならないんだか」
「それだけじっとしていられない人が多いんですから、仕方ないですよ」
おやつのドーナツを頬張りつつ、レオナルドは全てを分かっていながら悪あがきのように納得していないスティーブンに苦笑した。
サムハイン祭の夜、何の力も持たない一般人は家でじっとしているものだ。
これは昔から建物を建てる際に義務づけられている、対サムハイン祭の幽霊除けの呪いがあるから。この呪いがある家に、サムハイン祭で帰ってきた幽霊たちは入って来ることはできない。
今レオナルドたちがいる自宅も例外ではなく、本来ならば家に閉じこもっているのがもっとも安全なのだ。
「だからってなぁ、どうしてわざわざ死にに行くようなことをする?」
ただ、分かっていても大人しくしていられない者たちはどこにでもいる。
本物の幽霊を見たい、何も分かっていない観光客、故人に逢いたいと切望する市民。
翌朝には魂を抜かれた死体となって発見される可能性が高いわけだが、残念なことに後を絶たない。
「自ら選んだことなら、自業自得ってもんだろ」
「まぁまぁ。そうならないように、みんなで見回りするんですし」
警察や軍など国が主導で街を守る者たちのほとんどは倫敦の中心部に駆り出されている。なぜならそちらの方が毎年何かと面倒ごとが起こりやすいとデータが物語っているからだ。
また重要な施設が多く、どさくさに紛れて犯罪に走るものが出かねない。
どうせ幽霊たちのお陰でろくなことはできないだろうと誰もが思っているが、万が一にでも何かが起きたら困る。というわけで、手薄になったところは一般市民が頑張るしかなくなった。
なお、そのためには魔法使いや魔女が魂を抜き取られないよう呪いを施した、特別な衣装を身に纏うことが義務付けられている。
「作る必要、なかったのに」
サムハイン祭初日、ハロウィンの日没と共にグリニッジの街に出たレオナルドは、何度目か分からない文句を隣の狼にぼやいた。
「どうせ面倒なことをするんだ、気分くらいは上げたいじゃないか」
濡れた鼻をふん、と鳴らすスティーブンは、毛皮を着ているくせに白いファーが付いた白いマント。首輪で固定しているそうだが、大きなリボンが付いている。
その程度の仮装でいいのなら、レオナルドだってそうしたかった。
だがこの狼はサムハイン祭の見回りをあれだけ面倒臭がっていたくせに、レオナルドの仮装に関しては頑として譲ろうとしなかったのだ。
お陰で今のレオナルドは、もう1匹の狼となっている。
頭には黒い狼の耳が。カチューシャと後ろのリボンでしっかり固定されて、さらに耳と耳の間には小さな白い王冠。こちらも耳と同じカチューシャに固定されており、ワンセットになっている。
服装は中が白いシャツと白いベスト、そして白いスラックス。上にスティーブンと同じファーが付いたケープを羽織り、前はこれまた大きなリボンと赤い石が入ったアンティークなデザインのブローチで止められている。そしてスラックスには黒い尻尾が付けられており、ケープの下からちらりと覗かせては揺れていた。
「靴も白くしたかったよなぁ」
そうぼやくスティーブンの異様なこだわりはさておき、靴は履き慣れたものがいいと断固主張して協議を重ねた結果、なんとか黒いショートブーツで納まった。これとてレオナルドが出かける時に時折履いていくくらいなので、慣れているとは言いづらい。
しかし初めて履く靴よりはましだし、適度に休憩をとっていいそうなのでなんとかなるだろうと考えたのだ。
「それにしても、すごい」
「ですよねぇ」
街は、幽霊で溢れかえっていた。
中世の騎士が馬に乗って闊歩し、貴婦人たちが笑いながらおしゃべりを楽しんでいる。
鳥も犬も猫も、全てが色彩は薄くぼんやりと淡い光を纏っていた。
美しくも妖しい光景。この中では生きている自分たちこそが異物なのだと分かっているからこそ、レオナルドとスティーブンは騒ぐことなく静かに見慣れたはずのいつもと違う街を歩いていく。
だが、レオナルドにとっては普段より数は多いが見慣れた光景だし、スティーブンはスティーブンで徹夜をしなくてはいけないことを未だに不服と思っているのかはしゃぐようなことはない。
つまり、盛り上がる要素が欠けていた。
こうなってくるととてつもなく飽きるのは早い。
1時間もしないうちに欠伸をしだしたふたりは、早々に休憩をして体制を整えることをどちらからともなく提案した。
家に帰ってもいいが、今いるのはちょうど駅と自宅の中間地点。
ならばと細い路地へ入り、インバネス・コートを着た男たちとすれ違っていく。
「揃ってインバネス・コート。異国から来て死んだのかな」
隣でしんみりと呟くスティーブン。
だが、レオナルドは必死に笑うのを堪えていた。
「スティーブンさん、さっきの人たち、生きてます」
「はぁ!? だったらどうして揃いも揃ってインバネス・コートなんざ着るんだ!?」
「僕に言われましても……」
彼らもレオナルドたちと同じ一般人。ただレオナルドのような目を持たない者たちは、生きているか幽霊なのかは事前に区別するための特徴は知らせられていても判断に戸惑うことが多い。
迂闊に話しかけて何かあってはいけないと、知人でない限りは声を掛け合わないよう事前に注意を受けている。
それにどんな衣装を着るかも、一応一般人と判別がつきやすいよう仮装を推奨しているが、個々の判断に委ねられているので、判別しやすいので推奨されているレオナルドたちのようにしっかり仮装しているものもあれば、彼らのように普段着に近い場合もある。ただその場合、幽霊ならびに無断で出た一般人の可能性で警察に疑われることも少なくない。
「……もしかして、集団で探偵の仮装か?」
「あぁ、名探偵の」
英国だけでなく世界で最も有名な名探偵が愛用していたコートがインバネス・コート。
だが今通った彼らは鹿追帽――鹿撃ち帽ともいう――を被っていなかったのでどうにもピンとこなかった。やはりかの名探偵は両方揃った姿が真っ先に思い浮かぶ。
「もっとこだわりを持ってやってほしいもんだな。あれでは仮装と言えんだろう」
「スティーブンさんが凝りすぎなんですよ」
ここぞとばかりに衣装について文句を言うが、スティーブンは「そうか?」とどこ吹く風だ。
今はまだ狼の姿だが、いつか呪いが解けたらうんと派手な仮装をさせてやる。そうレオナルドが誓った時、正面から走ってくるメイドの姿が目に留まった。
「レオっちー!」
K・Kだ。彼女もグリニッジで住んでいるためレオナルドたちと同じく当番なのだが、今夜の彼女はクラシカルなメイド姿でスカートをはためかせている。
いったい何をそんなに慌てているんだろうと立ち止まると、すぐにK・Kは追いついた。
「こんばんは、K・Kさん。メイド服、お似合いですね」
「そう? 今年は旦那が執事でね、子供たちに仕えてるって設定なの」
手を頬に添えて嬉しそうに話すK・Kはひとりだけ。どこかでユキトシは置き去りにされたのかもしれない。
それはさておき、走ってきた理由を思い出したのか、彼女は真剣な顔でこう捲し立てた。
「そうじゃないの! ねぇ、この道をインバネス・コートを来た集団が歩いていかなかった?」
「あ、その人たちならついさっきすれ違いましたよ。……って、まさか」
「そのまさかよ! 雑な仮装で一度はうっかり見逃しちゃったんだけど、あれは見回りじゃないわ」
つまり、仮装はしているが幽霊除けの呪いをかけていないごく普通の一般人。
レオナルドの顔から血の気がさっとひいていく。仮装をしているなら見回りだと思いこんでしまっていたのだ。
「すみません! 僕、てっきり見回り当番だと……」
「レオっちは悪くないわ、私だって見逃したもの。ただ様子が変だったから気づけたのよ。それはもう経験の差ね」
だから気にしないで、と微笑んだK・Kはスティーブンをひと睨みすると、再び走り出し――振り返った。
「レオっち、その衣装似合ってるわよ! 今度写真を撮らせてちょうだい、もちろんダメ狼は抜きで!」
それだけを言い残してメイドは闇へと消えていく。
応援に行くべきかスティーブンに尋ねると、彼女なら大丈夫だという返事が。
「信頼してるんですね」
「そりゃまぁ、それなりに長い付き合いだからね。ほら、そこの角だろ」
スティーブンが妙に足取り軽く、レオナルドを追い越していく。なぜダメ狼呼ばわりされたのに機嫌がいいのか分からないが、機嫌を損ねられるよりはいい。
後をついて角を曲がると、そこにはなかなかに異様な光景が広がっていた。
幽霊が揺蕩う町中において、普段と変わらず明るさと賑やかな人々の声に満ちている。いや、人だけではない。ふらりと中へ青白い光に包まれた幽霊たち。
思いがけない光景だったのか、立ち止まって尻尾を下げたスティーブンにくすりと笑うものの、レオナルドも気持ちは同じだ。
「アレックスさんの店、繁盛してますねぇ」
「……幽霊って飲み食いするのか?」
そう、ここはアレックスのパブ『OLDBOTTLE』。サムハイン祭の夜では全ての店が営業を行わないよう決められているのだが、ある特定の条件をクリアしたパブやレストランなどは、見回りをする者たちの休憩の場としての協力を求められるらしい。
ここグリニッジでは『OLDBOTTLE』を始め数軒がそのために朝まで営業をしているのだそうだ。
しかしながら、幽霊が入っていくとは聞いていない。
とにかく行ってみようと歩を進めると、見慣れたはずのパブの中はごった返していた。
仮装した人々に混じって、服装の歴史がバラバラな青白い幽霊たちが談笑をしている。その中でアレックスがひとり忙しそうに働いているのだ。
「幽霊除けのおまじないをしてないんでしょうか」
「さてな。とにかく入ろう」
ガラスのドアを開くと、温かな空気が一斉に外へ逃げようとする。ぬくもりに包まれて、ほぅ、と息を零しつつ中へ入れば、いっそう賑やかな声とアルコール、そして油の香りがレオナルドたちを包み込んだ。
やはりここは、いつもの『OLDBOTTLE』だ。
「お、レオじゃないか! アランも一緒なんだな」
「こんばんは、アレックスさん。夜遅くにお疲れ様です」
パウンドグラスにビターを注ぎ終わったアレックスが、客に手渡しながらこちらに声をかけてきた。サムハイン祭中は夜間の営業のみということだが、明るく振る舞う彼に昼夜逆転の疲れは見受けられない。
ふにゃりと笑ってカウンターに近づき、フィッシュ&チップスとコーヒー、そして狼犬で通しているスティーブンのためにミルクを頼んだ。
「それにしてもなかなかイカした格好だな。良く似合ってるぜ」
「あはは……これ、スティーブンさんの注文でして」
隣のスティーブンがふんっ、と鼻を鳴らす。狼だが自分のことのように自慢している顔に見えたので、ようやくさっきから機嫌がいい理由が分かった。