Invisible medium

 義眼を使って過去に見た幽霊たちを彼らの視界に転写しているのだが、あまりにも効果がありすぎてレオナルドは戸惑ってしまいそうになる。しかし、足元でレオナルド以外には聞こえないのをいいことに、くつくつと笑っている狼の性格の悪さに呆れる方が先だった。

「なな、なんだこれ、まさかお前が呼んだのか!? 嘘だろ、マジかよ!」
「おかしいですね? あなたが姉さまを呼んだんじゃないんですか?」
「違う! 違う! 俺はこんなこと出来ないっ!」

 ようやく本性を現しだしたパートランドが、椅子か何かにつまづいて転ぶ。そして見上げた先に下から照らされて光る垂れ下がった黒いベールに、飛び切りの悲鳴を上げた。
 ここで下から懐中電灯で自分を照らすなんて、と実はかなり楽しんでいそうな仲間に、レオナルドは闇で見えないことをいいことに、唇に浮かぶ笑みを抑えられそうになかった。

「わ、悪かった! もうしない、嘘の降霊会なんて絶対にしないから! だから消えてくれー!」

 心からの叫びに黒衣の彼女は文字通り音もなく闇へと消えていく。
 レオナルドは踵を返した。
 ここから先は、別の人物の仕事だ。
 怯えるパートランドたちを残して階段を上がっていくと、ひとりでに動いたことになっている椅子が階段側に飛んできて、逃げ道を防いだ。
 そしてロウソクの火を音速で動くことによって消すという仕事を果たしたソニックが、肩に乗ってくる。
 インバネスコートの中にずっと隠れていてもらったのだけれど、今にして思えば普通のコートでも隠れられたのではないだろうか。
 そう衣装を選んだ狼に尋ねると、「雰囲気があっていいだろう?」という答えが返ってきた。
 雰囲気と言われてもピンとこないのは、レオナルドが倫敦の街に馴染みすぎたせいだろうか。
 なにはともあれ、店を出る。見張りの男の姿はなく、代わりに退屈そうにしゃがんでいたザップが葉巻をふかしていて。
 今頃裏ではクラウスたちがパートランドたちの身柄を確保していることだろう。その後に何をするのか、それはレオナルドのあずかり知らぬこととなる。
 いや、まだあった。

「ザップさん、録音したレコーダーです」

 ソニックのほかに隠していた小さなレコーダーを取り出してザップに渡す。
 降霊会の証拠としてこっそり内容を録音していたのだ。
 半ば強引に奪うような乱暴さでレコーダーをもぎ取ると、葉巻を咥えてるくせに器用に舌打ちしてポケットの中にしまい込んだ。

「なんか機嫌悪いっすねぇ」
「しゃーねぇだろ。なんで俺様がこんなところで見張りなんざやってなくちゃなんねぇんだ」
「お前が動くと、確実に騒ぎすぎるからだろ」

 聞こえないにしても言わずにはいられなかったのだろう。
 呆れた様子のスティーブンに、レオナルドはくすりと笑うが、それが自分を馬鹿にしたように聞こえたのだろう。すくっと立ち上がったザップがレオナルドに睨みながら迫ってきた。
 だが、それを制したのは以外な人物だった。

「テメェのせいだ!」

 背後から聞こえた怒号に振り返れば、髪も服も乱れたパートランドが立っていた。
 おそらく裏から逃げてきたのだろうが、どうやってクラウスたちの包囲網を潜り抜けてきたのかと驚くレオナルドへ、スティーブンの呟きが答えとなった。

「やれやれ、この程度の小物を逃がすなんて、スコットランドヤードの仕事はずさんだな」
「あれ、クラウスさんたちじゃなかったんですか?」

 スコットランドヤード――それは倫敦警察の別称だ。
 ずっとライブラの仕事だと思っていたので、ここで警察が出てくるとは思わなかったが、スティーブンは悠然と前に出つつ説明する。

「情報を流してあったんだよ。裏でずっと待機をしていて、現行犯逮捕してもらえるようにね。小悪党程度だが、たまには恩を売っておくのも悪くないだろ。あぁ、クラウスたちは今頃、アドキンズ氏の部屋に術をかけている術者を締め上げているだろうさ」
「え、そうなんですか!?」
「いったい誰と話してるんだーっ!」

 スティーブンの声が聞こえないパートランドは、レオナルドが見えない何かと話していると思ったのだろう。幽霊に対する恐怖心から取り乱し激高したパートランドはなりふり構わずレオナルドに襲い掛かってきた。
 だが、それは許されない行為だ。
 気が付けば、パートランドは狼に飛びかかられた勢いで背中から倒れた。
 身体の上に乗った狼が牙をむき出しにして唸れば、さすがに怒りよりも恐怖が上回ったのだろう。完全に硬直して悲鳴すらあげられなくなっている。

「うひょー、すっげー」
「ザップ、こういうのはお前の仕事だろうが」

 レオナルドの後ろ、スティーブンに先手を取られてしまったザップだが、狼になっても変わらない上司の強さに口笛を吹いて茶化すのを、スティーブンがたしなめる。
 とはいえ、やはりその声は聞こえないのだけれど。

「レオ、ザップにこいつとレコーダーを警察に渡すように伝えてくれ」
「分かりました。あ、チェインさん、お疲れ様です!」

 倒れたパートランドの頭の近くに、黒衣の彼女が音もなく現れる。
 それを見たパートランドが声にならない悲鳴を上げて、今度こそ気を失ったが、暴れられるよりはいいだろう。

「へ、馬子にも衣裳ってやつか」
「さっさと働け、馬鹿猿」

 犬猿の仲であるザップとチェインが睨みあうのを下からスティーブンがパートランドを踏みつけた状態で見上げる。
 なんとも笑えてしまう光景だが、一応治安の悪い場所だし、警察も近くにいるので長居することはあまりよくない。
 報告書は後日でいいというスティーブンの言葉をチェインに伝えると、彼女は頷いて姿を消した。
 後のことはザップに任せ、レオナルドたちもその場を離れる。
 潜入捜査のような形だったが、降霊会に参加していたことに違いはないし、なにより警察の厄介になるのをもっとも恐れているのはスティーブンだ。
 万が一にでも事情聴取を受けている最中に夜が明けるようなことがあったら、目も当てられない。
 ゆえに市民としての義務を果たさないまま、レオナルドはスティーブンと共に夜の街へ歩き出した。


 グリニッジまでは、チェインが手配しておいてくれたライブラ構成員の車で。
 初めてスティーブンの狼姿を見たという構成員はひたすら爆笑していたが、副官の哀れな姿を笑えるくらい親しい間柄と上下関係はなかなかにいいものだとレオナルドは思う。
 ただ、スティーブンが思い切り拗ねてしまったのは言うまでもないわけで。お陰で色々と聞きそびれた事の真相は、家に帰ってからになった。
 深夜に無事帰ることが出来たレオナルドはのろのろと階段を上がった先、2階にたどり着いた途端に一旦立ち止まって盛大に溜息を吐く。暗い廊下とはいえ、外の寒さと緊張感から解放されたことで一気に疲れが出てしまったのだ。
 出来ればインバネスコートを脱いでベッドに潜り込めればいいのだが、あいにくとまだ仕事が片付いたわけではない。
 残った気力を振り絞り、後から上がってきたスティーブンへ振り返った。

「で、色々と説明してもらえます?」
「もちろん。だが、そのためには腰を落ち着けたいな。リビングへ行こうか」

 天井を見上げたレオナルドには、3階にあるリビングまでの道のりが遠く思える。
 どうしてリビングを3階にしたんだと、今更ながらリフォームした人物に愚痴りたい気分だが、その人はすでに飼い犬と飼い猫と共にあちら側へ逝ってしまっているからどうしようもない。
 インバネスコートを脱ぎ、レオナルドはコーヒーを淹れてから行くとスティーブンに断って、キッチンへ赴く。ソニックはもう眠いようで、スティーブンの背に乗ったまま上へと運ばれていった。
 欠伸をひとつしてからコートを椅子に掛け、水を入れたケトルをコンロに置いて湯を沸かす。
 それから思い出したように暗いキッチンに明かりを灯すと、自分以外には何もいないことに自然とほっとする。
 やはり人は、暗闇を恐れる生き物なのだ。
 黄色いマグカップに無言でインスタントコーヒーを入れ、湯を注ぐ。ミルクと砂糖をどうしようか迷ったが、今日はなんとなくブラックがいい気がして、それを持ちキッチンの明かりを消した。
 再び暗くなった部屋をそのままに、階段を上がっていく。

「お待たせしましたー。ソニックの奴、寝ちゃいました?」
「よく頑張ったんだ、もう寝かせてやろう」

 暗いリビングでソファの上に寝そべったスティーブンの腹で、ソニックが心地よさそうに眠っている。
 野生動物にあるまじき熟睡っぷりだが、それだけここが安全な場所だと認識してくれているということは、とても嬉しくくすぐったい。
 ソファはスティーブンに占拠されたので、床に座ってソファにもたれかかる。狼のスティーブンの目線が高いが、人の姿の時のことを思うとこれがちょうどいい気がした。
 お互いに暗闇でも良く見えるので明かりをつける必要がない上に、なんとなく先程のキッチンと違って安心する。

「それじゃ、説明してもらえます?」
「何から話すか……あぁ、アドキンズ氏には、朝になったらこう伝えてほしい。全て解決した。今夜から部屋でゆっくり休める、と」
「はーい、って、元々は詐欺行為を暴露して嫌がらせをやめてもらうつもりだっただけなんですけど、結果として偽物の降霊会を潰して警察に恩を売る手伝いになっちゃってましたよね? それがどうしてアドキンズさんの騒動を収めることになったんです?」
「んー、どこから話そうか。そうだな……まず、僕たちが追っている呪術系組織があるだが、その組織のメンバーのリストに、ジンジャー・ケネットの名があった。アドキンズ氏の口から出た時は、彼の関与も疑ってね、内々に調べを進めていたんだ」

 調査でデニスは無関係ということが判明したが、彼が末端の組織であるあの降霊会にケチをつけたことでパートランドやケネットの依頼を受けた組織から呪術をかけられていることも分かった。

「じゃあ、幽霊が原因じゃなかったんですか?」
「君が実際に部屋を見たら分かったと思うんだが、チェインに調べてもらったところ、家具の裏などに呪術が施されていたんだよ。なにを召喚したのかあれだけ物を動かすのは大したもんだが、決められた時間に発動させるには近くに術者が必要というデメリットがある。そいつは隣の部屋に住んでいてね、クラウスとツェッドが抑えに行ったってわけ」
「それでスティーブンさんは、クラウスさんたちがアドキンズさんのところへって言ってたんですね。でも、ケチをつけたからってなんでそんな手間の嫌がらせをしたんだか」

 ほろ苦く、喉にわずかな甘みを残すコーヒーを一口飲み、レオナルドは素朴な疑問を口にする。
 金縛りなど霊的なものは、彼の祖母が危険を知らせようとしておこなったなどいくらでも理由が付けられるが、わざわざ術者が律儀にも深夜に術を発動させる嫌がらせをしてなんになるのか。

「まぁね。その辺りはこれから追及していくことになるだろうが、パートランド側にはそこそこメリットはあったと僕は考える。さっき呪術系組織と話したが、宗教的な要素もある組織だからな。そういった奴らが組織に加わるものを探すとするならば、相応にアピールも必要だ」
「と、申しますと?」
「霊媒師に頼ってどうにも出来なかったことを、頃合いを見てパートランドが再び降霊するとか言って、助ける。するとアドキンズ氏を困らせていた騒動は収まるし、彼が組織に加わってもいい、そうでなくても宣伝をしてくれれば信者獲得を出来る。なんにせよ、どちらに転んだとして詐欺行為には変わりないお粗末なものだったが」

 蓋を開けてみれば大したことはなかった、と言わんばかりにスティーブンは欠伸をするが、アドキンズは職を失い健康を害したのだ。彼の祖母に関しては、危険を知らせるための最大限のアピールをしたということにしておくことにして。

「なんにせよ、彼の祖母は孫の危機に助けを求めたのかもしれないし、君はそれに応え、僕らはコソコソと隠れている奴らの尻尾を掴むことが出来た。万事解決だ」
「んー、腑に落ちないような気もするんすけど」
「ま、君が一番損をしているのは確かだな。よし、僕から何かご褒美をやろう」
「えー、いいっすよ」

 レオナルドは損をしているなんて思っていないし、依頼人が安眠を取り戻せたのならそれでいい。
 しかし早く言えとせっついてくる狼は納得してくれそうもないので、仕方なくこう答えた。

「それじゃあ、スティーブンさんにお願いが」
「なに?」

 ソニックを起こさないように気を付けながら顔を覗かせてきたスティーブンに、レオナルドはにんまりと笑ってこう言った。

「モフらせてください!」
「も、モフ……?」

 初めて聞く言葉だったのだろう。困惑した様子のスティーブンは、それでも承諾したことを後になって後悔することになる。

 スティーブンは自分のベッドに移り、レオナルドはパジャマに着替えて隣に潜り込む。
 そして背中から思い切り抱きついていくと、狼とは思えない柔らかな毛並みに顔を突っ込んだ。

「お、おい、レオ!?」
「1回でいいから、大型犬に顔を突っ込んでみたかったんですよねー。うわー、生きた毛布、気持ちいー」
「いや、あのな、俺は犬でも狼でもなくだな!?」
「やー、すっげー! もうスティーブンさん、ずっとこのまんまでいましょうよー!」

 疲れと深夜まで起きていたことでテンションが上がったレオナルドは容赦ない。
 頭も耳も尻尾ももみくちゃにして、心ゆくまでスティーブンの毛皮を堪能する。

「いるか馬鹿! 俺はさっさと人に戻るんだ!」
「えー、スティーブンさんモフモフがいいっすよぉー」

 やがてふぅ、と溜め息が聞こえ、スティーブンは観念したのかおとなしくなる。
 もしかしたらさすがに呆れたのかと、我に返ったレオナルドも撫でまわすのはやめて。
 すると自然と瞼が落ちてきた。
 心地いい背中に顔を埋めたまま、静かに眠りに落ちていく。
 翌朝、全裸のスティーブンに抱きついたまま目を覚ましたレオナルドは、外に聞こえるほど盛大な悲鳴を上げて、目覚めたスティーブンに叱られた。
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