Invisible medium
だが、なくなったわけではない。
失った親しい者たちを求める者は少なくない。だから現代でも、降霊会はひっそりと行われているのだ。
ただし、英国の法律では許可なき降霊会は違法とされている。
詐欺行為としてはもちろん、虚偽の言葉は時として人の人生を歪めるからだ。
「それで、おばあさんとお話は出来ました?」
「う、うん……それが、違ったんだ。ばあちゃんが色々伝えてるはずなのに、全然ばあちゃんらしくなくて。それでつい、ばあちゃんじゃないかもって言ったら、その日から変なことが起きたんだ」
「マジで一緒に降霊会をやってた人に言ったんですか? おばあさんじゃないって」
小さく頷くデニス。
彼の祖母は確かにいる。けれどその降霊会が不十分だったのか、自分が出ていくにはなんらかの不都合があったのかは分からないが、原因となるものが見えてきた気がする。
どうやらデニスは、質の悪いものを怒らせてしまったようだ。
「ちなみにその降霊会を主催した人は分かります?」
「全員、顔が見えないようになってて名前も言わなくて……教えてくれた人の名前は分かってる。ジンジャー・ケネットだ」
その名前を聞いた時、スティーブンの耳が真っ直ぐに立ったのをレオナルドは見逃さなかった。
彼が気にかけたということは、裏社会に通じている人物ということなのかもしれない。しかしここで尋ねることは出来ないので、
せめてもと詳しい話を聞き出すことにした。
「その人は、どんな人なんですか?」
「取引先で知り合った美人でさ、俺がばあちゃんを亡くしたことを話したら、自分のことみたいに悲しんでくれてさぁ。ちゃんと気持ちを伝えた方がいい、それならいい人を紹介できるって言われて行ったのがその降霊会だったんだよ」
気落ちしているところを同情して相手に好感を与え、勧誘に繋げていく。マルチ商法などでもよくある手口だが、デニスの場合は深くはまり込む前におばあちゃん子っぷりに救われたということか。
しかしこうなってくると、レオナルドひとりの手には負えなくなるかもしれない。ただ幽霊と交渉するのではなく、生きている人間、しかも裏社会に通じている組織とやりあうことにもなりかねないのだ。
ちらりとデニスの後ろを見ると、老婆が頷く。
やはりその降霊会が全ての元凶なのか。だとすると、レオナルドだけではかなり荷が重くなったのは確かだ。
「レオ、すまないが僕の仕事にもなった」
はたしてこれからどうするべきか考えていると、スティーブンの声が聞こえて。
しかしてそれは、解決への希望に他ならない。
小さく頷いて見せた後、レオナルドは背筋を伸ばし改めて真っ直ぐにデニスと向き合った。
「アドキンズさん、あなたの身に降りかかっていることを終わらせるためには、降霊会を行っている人たちとの交渉が必要です。そのために今少しお時間をいただくことになりますが、大丈夫ですか?」
時間が必要。それはまだしばらくの間、デニスには怖い思いをしてもらわなくてはならないと言っているに等しい。
ぐっと言葉をつまらせるデニスに無理強いをすることは出来ない。だが今日はそれなりの準備をしているし、なにより彼に寄り添う祖母の力を借りることが出来るのなら、酷いことにはならないはずだ。
ポケットの中から手のひらに納まるほど小さな布袋を取り出してテーブルの上に置く。
白いコットンで作られた袋の口は、緑色のリボンで結ばれている。見た目こそ普通のサシェだが、レオナルドが知る限りの魔除けになるハーブを詰め込んだものだ。お陰で香りはとても微妙。
作っている最中に匂いを嗅いだスティーブンとソニックが、揃いも揃って顰めた顔は忘れられない。
「なにこれ、凄い匂い」
持ち上げたデニスもやはり顔を顰めたが、もう見て見ぬふりをすることにした。
匂いはさておき、効果があればそれでいい。
「魔除けのサシェです。それと今日からしばらくは寝室では休まないでもらえます? ここ以外、どこかホテルとかで休んでもらえると一番いいんですけど」
「でも、どこに行っても出るんじゃないのか?」
「ちょっと試したいことがありまして。今後に関してはまた連絡しますが、出来たら昼間以外は家から離れてください」
家を出る。実はレオナルド自身想定外な発言なのだが、これは全てスティーブンが提案したことをそのままデニスに伝えているだけなのだ。
幽霊の交渉だけでは手に負えなくなった時点で助け舟を出してきたスティーブンには何か考えがあるらしい。
隣で行儀よくすましている狼は、わざとらしく欠伸をするだけだった。
「――というわけで、僕らライブラとレオは共同戦線を張ることになった」
倫敦の中心となるシティ。その一角にある高層ビルの最上部に、秘密結社ライブラ事務所はある。
もっとも、普通にビルの1階から入ることなど出来ず、構成員にしか分からない出入り口が倫敦中に散りばめられているのでおいそれと場所が特定されることはない。
リーダーであるクラウスと副官のスティーブンを始めとする中心的なメンバーが、その事務所に集っていた。
「たかが降霊会の詐欺事件なんでしょ? 俺らが出る意味あるんすか?」
ソファに座ったザップが背もたれに身体を預けて、あからさまに訝しそうな顔をする。
彼の背後にいる弟弟子のツェッドも同意見なのか、ザップに何も言うことなく視線をスティーブンに向けてきた。
「確かに本来ならば僕らが出るようなものじゃない。だが、背後に例の組織が絡んでいる可能性を否定出来ん以上は、こちらとしても見過ごせないというわけだ。出来れば尻尾を掴んで引きずり出してやりたいが、末端の連中である可能性は高い。ならせいぜい尻尾を自ら出すように仕掛けてやろうってわけだ」
「レオ君は、このことを承知しているのですか?」
ライブラに属しているいえど、レオナルドの立場は一般人に近い。
うかつに裏社会に巻き込むことがあってはと、ツェッドなりに心配をしているのだろう。
だが副官と同居している時点でそれはどうだと誰も言わないのは、レオナルドとスティーブン、どちらを信頼しているからか。
「当然だ。だが、今回は互いの利益のために協力しているに過ぎず、彼は依頼を完遂することのみを目的とする」
「あちら側に、彼が我々の関係者であることを気づかれないようにしなくてはならないんですか」
「どうしたって同じ場にいれば、それだけで無理にでも関係を疑ってくるだろう。だが、それも織り込み済みだ」
「レオっちを囮にするつもりなの?」
これまでのことを黙って聞いていたK・Kが、さすがにレオナルドを囮にすると聞いては黙っていられないと、一歩前に踏み出した。
しかしスティーブンは表情一つ変えることなく、K・Kに視線を向ける。
「彼は承知しているよ」
「レオナルド君は、我々が必ず守る」
ずっとスティーブンの隣で黙っていたクラウスが静かに、けれど迷いを微塵も感じさせない声で宣言した。
「僕もいるんだ、安心してくれ」
クラウスの言葉を後押ししようとそう言ったのに、スティーブンは思い切りK・Kに睨まれる。だが信用があるのかないのか、K・Kはそれ以上は何も言わないので、密かに胸を撫で下ろして話を続けた。
「降霊会は招待がなくては入ることが出来ないようだが、こっちは任せてくれ。今は出来る限りの情報を集めるぞ」
全員が頷き、座っていた者たちは立ち上がる。
その時にふと、ザップが周囲を見回した。
「そういうや、犬女がいねぇなぁ」
「今更気づいたんですか!?」
犬女、もとい人狼局諜報部員であるチェインの姿が見えないことにようやく気づいたザップに、ツェッドが呆れる。
それを見たスティーブンは、くすりと笑った。
「彼女なら、すでに動いているよ」
冬の憂鬱な寒さに、夜が気怠く闇の帳を下ろす。
生憎と霧はないが、沈黙の中にたたずむ倫敦の街は、切り裂きジャックが潜んでいた頃を彷彿させるような陰鬱な気配が纏わりついていた。
ほんのひと月前には人々がクリスマスに浮かれていたというのに、この様変わりはどういうことだ。
いや、冬というものは本来こういうものだ。
人々だけではなく生きとし生けるものの多くが、風を遮ることの出来る場所を探して寝床とし、身を小さくしてじっと寒さに耐え続ける。
陽気などというものはなく、息を潜めただひたすら春を待たなくてはならないのだ。
寒さに命を奪われないために。闇という静寂は、優しくない。
そんな闇夜に響くのは、1台の車のエンジン音。
黒塗りの外国製高級車がほんの少しだけ申し訳なさそうに肩をすぼめて細い路地を走っていく。すれ違う仲間はなく、左右に立ち並ぶ建物たちがじっと見下ろしていた。
ここは倫敦の中でも治安の悪い場所だ。世界中のどこにでもある、大都会の落とし穴。
そんな場所に入ってきた高級車を偶然目撃したものもいるだろう。しかし高級車だからこそ、なにかあると直感して無視を決めつけるのが一番安全だ。
面倒ごとが多すぎて警察も時折様子を見るが、些末なものは見て見ぬふり。厄介ごとが起きようと、表に出なければそれでいい。そういう場所なのだから。
やがて車は、1軒の古びたパブの前に停車する。
すでに廃業して久しいらしい、明かりのついていないその店を未だにパブだと知らしめているのは、軒下に下げられた看板だけだ。しかし多くの客を受け入れ賑わい、憩いを与えた矜持を忘れないようにとしているかのようなその看板を偽りと思うことは出来ない。
ただ違和感があるとするならば、店の前に立つ厳ついひとりの男のせいだろう。
周囲を常に警戒する様子に加え、着古したスーツの隙間から見える短銃が露骨すぎだ。
目の前に止まった車に案の定、男は警戒して近づいてくる。若いだろうに強面で猫背にがに股なせいか、ずいぶんと老けて見える。
そんな男に目をくれることもなく車から下りた運転手は、回り込んで後部座席のドアに手をかけた。
顔を包帯で巻かれた老執事に男は面食らったようだが、ドアが開いた瞬間、さらに困惑して後ろに下がった。
後部座席から出てきたのは、大きな犬。
血のように赤い紅玉を思わせる瞳で男を一瞥した犬は、愛想なく振り返ってまだ車の中にいる主が降りてくるのを待つ。
すでに異様な空気に包まれて威嚇することすら出来ずにいる男は、はたしてどんな人物が降りてくるのかと興味を掻き立てられただろう。
猫背を前へわずかに倒して車の中を覗き込もうとする仕草に、さりげなく老執事が鋭い視線を向けて制止する。
やがて、男はこれまでと違う意味で戸惑うこととなった。
車から降りてきたのは、現代ではどうしても浮いてしまいやすい黒いインバネスコートの少年。
まだあどけなさの残る柔らかそうな頬に見えているのか分からない糸目。見た目こそまだ社会を知らない純朴な子供だが、こんなところに来るのだ。さぞかし世間知らずかそれとも内側に闇を抱えているのか――そう思われているのをなんとなく視線から想像した少年ことレオナルドは、むず痒さを感じて口を開きたくなるのをぐっと堪える。
自分の出番は、ここではないのだ。
「失礼いたします。……こちらでよろしいでしょうか」
レオナルドの背後でドアを閉めた老執事ことギルベルトが、ジャケットの内ポケットから1枚のカードを出して男に見せる。
それはジンジャー・ケネットからの招待状。
いったいどんな手を使ったのかレオナルドは知らないが、数日前にスティーブンがもらってきたものだ。
曰く、楽しくおしゃべりをしたらくれた、だとか。
思い出してさりげなく足元にいる狼に目を向ければ、彼は何を思ったのか明後日の方角へ顔を向けて。
「確かに。この坊ちゃんが?」
「ええ。大切な方を亡くしてしまわれまして」
視線を地面に落としたギルベルトのかすれた声は、言葉に出すのも辛いと言外に訴えているように聞こえる。当然のことながらそんな人はレオナルドにはいないので、見事な演技だ。
男は招待状を受け取ってレオナルドを見た後、スティーブンを見下ろす。
「犬は入れんが?」
「おや、それは困りましたな。この犬は常におそばにおりまして。片時も離れることは出来ないのです」
「しかし……」
男が渋るのは想定の範囲内にしても、招待状に書かれた時間まではまだ猶予はあるがごねていられるほど時間はない。
あくまで用心棒兼ドアマン的な存在の彼にすぐさま判断するだけの権限はないだろうが、だからといって上に判断を仰がせると面倒なことになりかねない。
分かっているからこそスティーブンが考えた作戦は、幼稚なのに効果があった。
「な、なんだ!?」
急に男が声を上げ、驚いた様子で辺りを見回す。
辺りにはなにもおかしなものはない。ただ、冷たい風が吹き抜けるだけだ。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、気のせいだ。だから犬は……っ!?」
ギルベルトに再びスティーブンの入店を拒否しようとした男が、勢いよく背後へと振り返る。
そしてそのまま、男は硬直した。
いつのまにか、女が立っていたのだ。
失った親しい者たちを求める者は少なくない。だから現代でも、降霊会はひっそりと行われているのだ。
ただし、英国の法律では許可なき降霊会は違法とされている。
詐欺行為としてはもちろん、虚偽の言葉は時として人の人生を歪めるからだ。
「それで、おばあさんとお話は出来ました?」
「う、うん……それが、違ったんだ。ばあちゃんが色々伝えてるはずなのに、全然ばあちゃんらしくなくて。それでつい、ばあちゃんじゃないかもって言ったら、その日から変なことが起きたんだ」
「マジで一緒に降霊会をやってた人に言ったんですか? おばあさんじゃないって」
小さく頷くデニス。
彼の祖母は確かにいる。けれどその降霊会が不十分だったのか、自分が出ていくにはなんらかの不都合があったのかは分からないが、原因となるものが見えてきた気がする。
どうやらデニスは、質の悪いものを怒らせてしまったようだ。
「ちなみにその降霊会を主催した人は分かります?」
「全員、顔が見えないようになってて名前も言わなくて……教えてくれた人の名前は分かってる。ジンジャー・ケネットだ」
その名前を聞いた時、スティーブンの耳が真っ直ぐに立ったのをレオナルドは見逃さなかった。
彼が気にかけたということは、裏社会に通じている人物ということなのかもしれない。しかしここで尋ねることは出来ないので、
せめてもと詳しい話を聞き出すことにした。
「その人は、どんな人なんですか?」
「取引先で知り合った美人でさ、俺がばあちゃんを亡くしたことを話したら、自分のことみたいに悲しんでくれてさぁ。ちゃんと気持ちを伝えた方がいい、それならいい人を紹介できるって言われて行ったのがその降霊会だったんだよ」
気落ちしているところを同情して相手に好感を与え、勧誘に繋げていく。マルチ商法などでもよくある手口だが、デニスの場合は深くはまり込む前におばあちゃん子っぷりに救われたということか。
しかしこうなってくると、レオナルドひとりの手には負えなくなるかもしれない。ただ幽霊と交渉するのではなく、生きている人間、しかも裏社会に通じている組織とやりあうことにもなりかねないのだ。
ちらりとデニスの後ろを見ると、老婆が頷く。
やはりその降霊会が全ての元凶なのか。だとすると、レオナルドだけではかなり荷が重くなったのは確かだ。
「レオ、すまないが僕の仕事にもなった」
はたしてこれからどうするべきか考えていると、スティーブンの声が聞こえて。
しかしてそれは、解決への希望に他ならない。
小さく頷いて見せた後、レオナルドは背筋を伸ばし改めて真っ直ぐにデニスと向き合った。
「アドキンズさん、あなたの身に降りかかっていることを終わらせるためには、降霊会を行っている人たちとの交渉が必要です。そのために今少しお時間をいただくことになりますが、大丈夫ですか?」
時間が必要。それはまだしばらくの間、デニスには怖い思いをしてもらわなくてはならないと言っているに等しい。
ぐっと言葉をつまらせるデニスに無理強いをすることは出来ない。だが今日はそれなりの準備をしているし、なにより彼に寄り添う祖母の力を借りることが出来るのなら、酷いことにはならないはずだ。
ポケットの中から手のひらに納まるほど小さな布袋を取り出してテーブルの上に置く。
白いコットンで作られた袋の口は、緑色のリボンで結ばれている。見た目こそ普通のサシェだが、レオナルドが知る限りの魔除けになるハーブを詰め込んだものだ。お陰で香りはとても微妙。
作っている最中に匂いを嗅いだスティーブンとソニックが、揃いも揃って顰めた顔は忘れられない。
「なにこれ、凄い匂い」
持ち上げたデニスもやはり顔を顰めたが、もう見て見ぬふりをすることにした。
匂いはさておき、効果があればそれでいい。
「魔除けのサシェです。それと今日からしばらくは寝室では休まないでもらえます? ここ以外、どこかホテルとかで休んでもらえると一番いいんですけど」
「でも、どこに行っても出るんじゃないのか?」
「ちょっと試したいことがありまして。今後に関してはまた連絡しますが、出来たら昼間以外は家から離れてください」
家を出る。実はレオナルド自身想定外な発言なのだが、これは全てスティーブンが提案したことをそのままデニスに伝えているだけなのだ。
幽霊の交渉だけでは手に負えなくなった時点で助け舟を出してきたスティーブンには何か考えがあるらしい。
隣で行儀よくすましている狼は、わざとらしく欠伸をするだけだった。
「――というわけで、僕らライブラとレオは共同戦線を張ることになった」
倫敦の中心となるシティ。その一角にある高層ビルの最上部に、秘密結社ライブラ事務所はある。
もっとも、普通にビルの1階から入ることなど出来ず、構成員にしか分からない出入り口が倫敦中に散りばめられているのでおいそれと場所が特定されることはない。
リーダーであるクラウスと副官のスティーブンを始めとする中心的なメンバーが、その事務所に集っていた。
「たかが降霊会の詐欺事件なんでしょ? 俺らが出る意味あるんすか?」
ソファに座ったザップが背もたれに身体を預けて、あからさまに訝しそうな顔をする。
彼の背後にいる弟弟子のツェッドも同意見なのか、ザップに何も言うことなく視線をスティーブンに向けてきた。
「確かに本来ならば僕らが出るようなものじゃない。だが、背後に例の組織が絡んでいる可能性を否定出来ん以上は、こちらとしても見過ごせないというわけだ。出来れば尻尾を掴んで引きずり出してやりたいが、末端の連中である可能性は高い。ならせいぜい尻尾を自ら出すように仕掛けてやろうってわけだ」
「レオ君は、このことを承知しているのですか?」
ライブラに属しているいえど、レオナルドの立場は一般人に近い。
うかつに裏社会に巻き込むことがあってはと、ツェッドなりに心配をしているのだろう。
だが副官と同居している時点でそれはどうだと誰も言わないのは、レオナルドとスティーブン、どちらを信頼しているからか。
「当然だ。だが、今回は互いの利益のために協力しているに過ぎず、彼は依頼を完遂することのみを目的とする」
「あちら側に、彼が我々の関係者であることを気づかれないようにしなくてはならないんですか」
「どうしたって同じ場にいれば、それだけで無理にでも関係を疑ってくるだろう。だが、それも織り込み済みだ」
「レオっちを囮にするつもりなの?」
これまでのことを黙って聞いていたK・Kが、さすがにレオナルドを囮にすると聞いては黙っていられないと、一歩前に踏み出した。
しかしスティーブンは表情一つ変えることなく、K・Kに視線を向ける。
「彼は承知しているよ」
「レオナルド君は、我々が必ず守る」
ずっとスティーブンの隣で黙っていたクラウスが静かに、けれど迷いを微塵も感じさせない声で宣言した。
「僕もいるんだ、安心してくれ」
クラウスの言葉を後押ししようとそう言ったのに、スティーブンは思い切りK・Kに睨まれる。だが信用があるのかないのか、K・Kはそれ以上は何も言わないので、密かに胸を撫で下ろして話を続けた。
「降霊会は招待がなくては入ることが出来ないようだが、こっちは任せてくれ。今は出来る限りの情報を集めるぞ」
全員が頷き、座っていた者たちは立ち上がる。
その時にふと、ザップが周囲を見回した。
「そういうや、犬女がいねぇなぁ」
「今更気づいたんですか!?」
犬女、もとい人狼局諜報部員であるチェインの姿が見えないことにようやく気づいたザップに、ツェッドが呆れる。
それを見たスティーブンは、くすりと笑った。
「彼女なら、すでに動いているよ」
冬の憂鬱な寒さに、夜が気怠く闇の帳を下ろす。
生憎と霧はないが、沈黙の中にたたずむ倫敦の街は、切り裂きジャックが潜んでいた頃を彷彿させるような陰鬱な気配が纏わりついていた。
ほんのひと月前には人々がクリスマスに浮かれていたというのに、この様変わりはどういうことだ。
いや、冬というものは本来こういうものだ。
人々だけではなく生きとし生けるものの多くが、風を遮ることの出来る場所を探して寝床とし、身を小さくしてじっと寒さに耐え続ける。
陽気などというものはなく、息を潜めただひたすら春を待たなくてはならないのだ。
寒さに命を奪われないために。闇という静寂は、優しくない。
そんな闇夜に響くのは、1台の車のエンジン音。
黒塗りの外国製高級車がほんの少しだけ申し訳なさそうに肩をすぼめて細い路地を走っていく。すれ違う仲間はなく、左右に立ち並ぶ建物たちがじっと見下ろしていた。
ここは倫敦の中でも治安の悪い場所だ。世界中のどこにでもある、大都会の落とし穴。
そんな場所に入ってきた高級車を偶然目撃したものもいるだろう。しかし高級車だからこそ、なにかあると直感して無視を決めつけるのが一番安全だ。
面倒ごとが多すぎて警察も時折様子を見るが、些末なものは見て見ぬふり。厄介ごとが起きようと、表に出なければそれでいい。そういう場所なのだから。
やがて車は、1軒の古びたパブの前に停車する。
すでに廃業して久しいらしい、明かりのついていないその店を未だにパブだと知らしめているのは、軒下に下げられた看板だけだ。しかし多くの客を受け入れ賑わい、憩いを与えた矜持を忘れないようにとしているかのようなその看板を偽りと思うことは出来ない。
ただ違和感があるとするならば、店の前に立つ厳ついひとりの男のせいだろう。
周囲を常に警戒する様子に加え、着古したスーツの隙間から見える短銃が露骨すぎだ。
目の前に止まった車に案の定、男は警戒して近づいてくる。若いだろうに強面で猫背にがに股なせいか、ずいぶんと老けて見える。
そんな男に目をくれることもなく車から下りた運転手は、回り込んで後部座席のドアに手をかけた。
顔を包帯で巻かれた老執事に男は面食らったようだが、ドアが開いた瞬間、さらに困惑して後ろに下がった。
後部座席から出てきたのは、大きな犬。
血のように赤い紅玉を思わせる瞳で男を一瞥した犬は、愛想なく振り返ってまだ車の中にいる主が降りてくるのを待つ。
すでに異様な空気に包まれて威嚇することすら出来ずにいる男は、はたしてどんな人物が降りてくるのかと興味を掻き立てられただろう。
猫背を前へわずかに倒して車の中を覗き込もうとする仕草に、さりげなく老執事が鋭い視線を向けて制止する。
やがて、男はこれまでと違う意味で戸惑うこととなった。
車から降りてきたのは、現代ではどうしても浮いてしまいやすい黒いインバネスコートの少年。
まだあどけなさの残る柔らかそうな頬に見えているのか分からない糸目。見た目こそまだ社会を知らない純朴な子供だが、こんなところに来るのだ。さぞかし世間知らずかそれとも内側に闇を抱えているのか――そう思われているのをなんとなく視線から想像した少年ことレオナルドは、むず痒さを感じて口を開きたくなるのをぐっと堪える。
自分の出番は、ここではないのだ。
「失礼いたします。……こちらでよろしいでしょうか」
レオナルドの背後でドアを閉めた老執事ことギルベルトが、ジャケットの内ポケットから1枚のカードを出して男に見せる。
それはジンジャー・ケネットからの招待状。
いったいどんな手を使ったのかレオナルドは知らないが、数日前にスティーブンがもらってきたものだ。
曰く、楽しくおしゃべりをしたらくれた、だとか。
思い出してさりげなく足元にいる狼に目を向ければ、彼は何を思ったのか明後日の方角へ顔を向けて。
「確かに。この坊ちゃんが?」
「ええ。大切な方を亡くしてしまわれまして」
視線を地面に落としたギルベルトのかすれた声は、言葉に出すのも辛いと言外に訴えているように聞こえる。当然のことながらそんな人はレオナルドにはいないので、見事な演技だ。
男は招待状を受け取ってレオナルドを見た後、スティーブンを見下ろす。
「犬は入れんが?」
「おや、それは困りましたな。この犬は常におそばにおりまして。片時も離れることは出来ないのです」
「しかし……」
男が渋るのは想定の範囲内にしても、招待状に書かれた時間まではまだ猶予はあるがごねていられるほど時間はない。
あくまで用心棒兼ドアマン的な存在の彼にすぐさま判断するだけの権限はないだろうが、だからといって上に判断を仰がせると面倒なことになりかねない。
分かっているからこそスティーブンが考えた作戦は、幼稚なのに効果があった。
「な、なんだ!?」
急に男が声を上げ、驚いた様子で辺りを見回す。
辺りにはなにもおかしなものはない。ただ、冷たい風が吹き抜けるだけだ。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、気のせいだ。だから犬は……っ!?」
ギルベルトに再びスティーブンの入店を拒否しようとした男が、勢いよく背後へと振り返る。
そしてそのまま、男は硬直した。
いつのまにか、女が立っていたのだ。