Invisible House
背丈はレオナルドの胸元程度、長いふわふわとした髪に広がったスカート。さすがに輪郭だけではそれ以上のことは分からないが、行儀よく立っているように見える彼女に怯えていたのだと思うとなんだか気恥ずかしい。
いや、正体が分かりかけているからこそいえることであり、少女と思わしきものが本当にただの少女である確証はまだどこにもないのだ。
「こんばんは。僕の声、分かる?」
が、ふにゃりと笑ったレオナルドの幼い子供に語りかけるような優しい口調に、やはり間違っていなかったのだと確信する。
おそらくだが、レオナルドにはスティーブン以上に鮮明に『彼女』が見えているのだろう。
相変わらず黒い影にしか見えないし、うかつに話しかけてこの家に居座れても困る。ゆえにスティーブンは成り行きを見守ることにした。
「ここはね、君の家じゃないんだよ。ねぇ、明るいところへ行ける?」
明るいところ。いわゆるあの世というところだろう。
死した者は皆そこへ行くというが、何度か幽霊という存在を目の当たりにしてもスティーブンは未だその存在を信じきれていない。これまでに自分がしてきた行いの全てが、足枷となると分かっているからだ。
行くとしたら地獄だろう。そして多くの霊のようにハロウィンに戻ってくることは出来ないに違いない。
だったら後悔しないように最初から最後まで信じない方がいい。そう思っているのに、目の前の光景を否定することなど到底出来るわけがないことが歯痒かった。
『……おと……さん……』
不意に聞こえた鈴を転がしたかのような愛らしい声に現実へと引き戻され、スティーブンは耳をぴんと立てる。
目が覚めた気がした。
「お父さんは、きっと明るいところにいるよ。そっか、君はお父さんを探してたんだね」
「……もしかしなくても、僕が父親に見えたのか?」
会話の途中に口をはさむ気はなかったのだが、どうにも気になって呟くと、レオナルドが苦笑して。
「多分、似た人をみつけるたびについてきたんでしょうね。あの家にいたのは業者さんと来た時にわんこに驚いたか、たまたま離れたか。そしてまた似ている人をみつけたから、この家まで来てしまった、と。随分年月が経っているしほとんど原形を留めてなかったのでどうなるかと思いましたけど、もう大丈夫です」
はっきりとした彼の声は確信に満ちていて。はたしてどうするのかと半信半疑で見守っていると、レオナルドがしゃがみこんでニワトコの枝とランタンを床に置いた。
そして彼は座り込んだので、スティーブンもなんとなく腰を下ろす。
「あの、テーブルに飾ってあった花、1輪もらっちゃっても大丈夫です?」
「構わんよ。持ってこよう」
一度下ろした腰を上げ、スティーブンはローテーブルへと歩いていく。
背の低い白磁の花瓶に飾られているのは、クラウスからもらったミラービフローラというユリ科の可憐な白い花。慎まやかな花ではあるが、それがまたいいのだと彼は語っていたものだ。
ローテーブルに前足を乗せて立ち、花瓶から1輪咥えて抜き取る。そして人の手ならもっとスマートに出来るのにと思いつつ、運ぶとレオナルドはニワトコの枝の上に花を置いた。
「ありがとうございます。葉っぱだけだと、あんまり気に入ってくれなかったみたいなんですよ」
言われて、ニワトコの枝の意味に気づいた。
さまざまな伝承があり現代では魔法使いの杖の材料として有名だが、古代からニワトコは死と再生を司り、葬儀に欠かせない木だったのだ。けれどここにいる少女は、昔からの習わしよりも愛らしい花を好むとレオナルドは考えたのだろう。
現にスティーブンには輪郭しか分からない少女は、下を見ているように思えた。
「気に入った? その花と枝を君にあげる。一緒なら、寂しくないよ」
『……おと……さ……いる……?』
「みんな同じところに行くから、きっといる」
それはどうかな、と心の中で水を差すようなことを呟き、スティーブンは再びレオナルドの隣に腰を下ろした。
なんとなく、その方がこの少女が怖がらないと思ったからだ。
『おに……ちゃ……も……?』
「うん、お兄ちゃんも。まだ先だけど、行くよ」
ふにゃりと笑う横顔から顔を逸らす。
自分は彼らと同じところには行くことはないだろう。そう思ったのに。
『わん……ちゃ……も……?』
「もちろん!」
あまりに明るくはっきりというものだから、スティーブンは驚いて勢いよく振り返り目を丸くする。
自分のことをろくに知らないくせに断言するレオナルドに呆気に取られていると、クスクスと笑う声が聞こえた。見ればただ黒い靄だったものが、今は灰色となり、やがて白くなっていく。
輪郭だけなのは変わらないが、気配は先ほどよりも柔らかくなったように感じる。ふわりと髪が揺れ、なんとなくだがもう大丈夫な気がしたのは、少女が軽く手を上げて左右に振ったからだ。
いや、輪郭だけなのでそう思えただけなのだが。
『いく……ね。ばい……ばい、おにい……ちゃん。ばいばい……わんちゃん……』
少女が近づいてきて、スティーブンの頭を撫でる仕草をする。
小さな手の感触に、先ほど頭を撫でたのはこの少女だと気づいた。
犬好きなのだろう彼女に、自分が父親と勘違いしていた男だと伝える必要はない。甘んじて撫でられていると、次第にかすかな感触は薄れ、消えていった。
頭を上げればリビングから気配は消え失せ、床に置かれたミラービフローラの花と枯れたニワトコの枝だけが、少女がいた証であるように残っていた。
なんともあっけない終わり方は、かえってスティーブンの胸に物悲しさが宿ってしまう。
枯れたニワトコの枝に首を垂れると、隣からこちらの雰囲気をあっさり壊す大きな声が聞こえた。
「はーっ、素直な子で助かりました」
堪えていた息を肺から吐きつくし、レオナルドはフードを下ろして背中を丸める。
しんみりしている暇もないと呆れつつ、先ほどまでの緊張した感じがなくなった途端、あの正体の知れない小さな魔法使いではなく、スティーブンの知る花屋の少年に戻っていることに少々戸惑う。
とはいえ本当にまったく分からない子だと思うと同時に、警戒するよりさらなる興味が湧いてくるのだから、人のことは言えないかもしれない。
「僕には少女の形をした靄に見えたんだが、君は?」
「似たようなもんですよ。すりガラスの向こうにいる感じっすかねぇ」
モザイクがかかっているような感じだともいうが、それでもスティーブンより見えていたのだろう。
しかしそんなことは彼には普通らしく、レオナルドはそれ以上は何も言わずに息を吐きながら立ち上がった。
「そんじゃ、後片付けして帰りますんで」
枯れたニワトコとミラービフローラ、それにランタンを持ち上げたレオナルドの言葉に、スティーブンは耳を疑う。
理由こそ分からないままだが、スティーブンについてきた少女は確かに去った。だからといってそんなにあっさりと何事もなかったように出来るものか。
「やけにあっさりしてるじゃないか。君はそんなに冷静に割り切れる奴だったのか?」
言葉に若干の棘を含んでしまったことは、スティーブン自身自覚している。これまで見てきたレオナルドとは違う素っ気なさが、そうさせているのだ。
別に彼に何かを期待しているわけはない。けれどもお人好しな彼の違う一面に、わずかな苛立ちも感じている。
立ち上がって見上げると、レオナルドは少し困ったように眉を下げた。
「幽霊って、距離感があんまりないみたいでして」
「と、いうと?」
「同情したり憐れんだりしすぎると、この人は助けてくれるって、他の霊も寄ってきちゃったりするんです。特にさっきの子みたいにあっち側に行った人がいると、自分も自分もってたくさん来たりして、困っちゃうんですよね」
つまりスティーブンがわずかにでも父親を探し続けていた少女を憐れんだことにより、他の者たちまでこの家に押しかけてくる可能性があり、レオナルドはそんな家に長居は無用だとそそくさと帰ることにした、と。
狼でも顔を引きつらせることが出来るんだと知ったスティーブンの決断は早かった。
「お前は知ってて僕を置き去りにするつもりだったのか!?」
「スティーブンさんの家だし、見えないからだい……あ、今は見えるんでしたっけ」
「薄情すぎるだろ! こんなところにひとり残されてたまるか! 僕も君の家に行く!」
「は!? 首輪してない犬は地下鉄に乗れないんですよ!? それとも歩いて帰れっていうんです!? 夜が明けるわ!」
「犬扱いするな! タクシーに乗れ、タクシーに!」
「いくらすると思ってんだ! でっかい犬を載せたら嫌がられるに決まってるでしょうが!」
「金なら後からいくらでも返してやる!」
「そもそも持ってねぇんだよ!」
自分が思っているより必死な声が出たのか、レオナルドも勢いをつけて返してくる。
喧嘩に近い怒鳴りあいの応酬を繰り返し互いに息が荒くなったところで、レオナルドが観念したのかその場に胡坐をかいて座り込んだ。
枯れたニワトコの葉がカサカサと鳴り、床に落ちていく。
「……スティーブンさん、意外と怖がり?」
「……そんなことはないと思っていたんだがなぁ。どうにも触れられないものを見ているだけというのは落ち着かんもんだよ」
スティーブンも腰を下ろす。
ようやく目線の高さが同じになったふたりは、力なく笑った。
「フレデリック氏や劇場のストーカーの時はそう思わなかったが、父親を探す少女となるとどうにもなぁ。仲間内では冷血漢だの腹黒だの言われちゃいるが、僕にも人らしい感情はあったらしい」
「スティーブンさん、結構優しいっすよね」
「結構は余計だ」
スティーブンを優しいというのはクラウスだと思っていたから、妙にくすぐったい。
自然と力が抜けてその場に伏せると、前足が当たりそうになったからかレオナルドは腰を下ろしたままスティーブンの横に移動してきた。
ランタンも枝も床に置いて、彼はそっとスティーブンの背中に手を置く。
完全に犬扱いされていると思うが、今は彼の手の重みが心地いい。
「大丈夫、あの子はちゃんと向こう側へ行きました。だからきっと、ハロウィンの時にはスティーブンさんに会いに来てくれますよ」
「いや、それはどちらでもいいんだが……少年、明日の朝は朝飯を作るし、車で店まで送っていく。だから……」
「風呂とベッドは借りても?」
「服はサイズが合わないと思うが、僕のを使ってくれ。晩飯がまだなら、冷蔵庫の中のものを好きに食べてくれて構わない」
「しょうがねぇっすねぇ。怖がりなスティーブンさんのために、今晩は泊まってあげますよ」
背中を撫でられる気持ちよさと上から聞こえてくる生意気な声に、ふんと、鼻を鳴らす。
他人を自宅に泊めるなど、これまで考えられなかったことだ。しかし必要に迫られているからとはいえ、レオナルドなら悪い気はしなかった。
いや、正体が分かりかけているからこそいえることであり、少女と思わしきものが本当にただの少女である確証はまだどこにもないのだ。
「こんばんは。僕の声、分かる?」
が、ふにゃりと笑ったレオナルドの幼い子供に語りかけるような優しい口調に、やはり間違っていなかったのだと確信する。
おそらくだが、レオナルドにはスティーブン以上に鮮明に『彼女』が見えているのだろう。
相変わらず黒い影にしか見えないし、うかつに話しかけてこの家に居座れても困る。ゆえにスティーブンは成り行きを見守ることにした。
「ここはね、君の家じゃないんだよ。ねぇ、明るいところへ行ける?」
明るいところ。いわゆるあの世というところだろう。
死した者は皆そこへ行くというが、何度か幽霊という存在を目の当たりにしてもスティーブンは未だその存在を信じきれていない。これまでに自分がしてきた行いの全てが、足枷となると分かっているからだ。
行くとしたら地獄だろう。そして多くの霊のようにハロウィンに戻ってくることは出来ないに違いない。
だったら後悔しないように最初から最後まで信じない方がいい。そう思っているのに、目の前の光景を否定することなど到底出来るわけがないことが歯痒かった。
『……おと……さん……』
不意に聞こえた鈴を転がしたかのような愛らしい声に現実へと引き戻され、スティーブンは耳をぴんと立てる。
目が覚めた気がした。
「お父さんは、きっと明るいところにいるよ。そっか、君はお父さんを探してたんだね」
「……もしかしなくても、僕が父親に見えたのか?」
会話の途中に口をはさむ気はなかったのだが、どうにも気になって呟くと、レオナルドが苦笑して。
「多分、似た人をみつけるたびについてきたんでしょうね。あの家にいたのは業者さんと来た時にわんこに驚いたか、たまたま離れたか。そしてまた似ている人をみつけたから、この家まで来てしまった、と。随分年月が経っているしほとんど原形を留めてなかったのでどうなるかと思いましたけど、もう大丈夫です」
はっきりとした彼の声は確信に満ちていて。はたしてどうするのかと半信半疑で見守っていると、レオナルドがしゃがみこんでニワトコの枝とランタンを床に置いた。
そして彼は座り込んだので、スティーブンもなんとなく腰を下ろす。
「あの、テーブルに飾ってあった花、1輪もらっちゃっても大丈夫です?」
「構わんよ。持ってこよう」
一度下ろした腰を上げ、スティーブンはローテーブルへと歩いていく。
背の低い白磁の花瓶に飾られているのは、クラウスからもらったミラービフローラというユリ科の可憐な白い花。慎まやかな花ではあるが、それがまたいいのだと彼は語っていたものだ。
ローテーブルに前足を乗せて立ち、花瓶から1輪咥えて抜き取る。そして人の手ならもっとスマートに出来るのにと思いつつ、運ぶとレオナルドはニワトコの枝の上に花を置いた。
「ありがとうございます。葉っぱだけだと、あんまり気に入ってくれなかったみたいなんですよ」
言われて、ニワトコの枝の意味に気づいた。
さまざまな伝承があり現代では魔法使いの杖の材料として有名だが、古代からニワトコは死と再生を司り、葬儀に欠かせない木だったのだ。けれどここにいる少女は、昔からの習わしよりも愛らしい花を好むとレオナルドは考えたのだろう。
現にスティーブンには輪郭しか分からない少女は、下を見ているように思えた。
「気に入った? その花と枝を君にあげる。一緒なら、寂しくないよ」
『……おと……さ……いる……?』
「みんな同じところに行くから、きっといる」
それはどうかな、と心の中で水を差すようなことを呟き、スティーブンは再びレオナルドの隣に腰を下ろした。
なんとなく、その方がこの少女が怖がらないと思ったからだ。
『おに……ちゃ……も……?』
「うん、お兄ちゃんも。まだ先だけど、行くよ」
ふにゃりと笑う横顔から顔を逸らす。
自分は彼らと同じところには行くことはないだろう。そう思ったのに。
『わん……ちゃ……も……?』
「もちろん!」
あまりに明るくはっきりというものだから、スティーブンは驚いて勢いよく振り返り目を丸くする。
自分のことをろくに知らないくせに断言するレオナルドに呆気に取られていると、クスクスと笑う声が聞こえた。見ればただ黒い靄だったものが、今は灰色となり、やがて白くなっていく。
輪郭だけなのは変わらないが、気配は先ほどよりも柔らかくなったように感じる。ふわりと髪が揺れ、なんとなくだがもう大丈夫な気がしたのは、少女が軽く手を上げて左右に振ったからだ。
いや、輪郭だけなのでそう思えただけなのだが。
『いく……ね。ばい……ばい、おにい……ちゃん。ばいばい……わんちゃん……』
少女が近づいてきて、スティーブンの頭を撫でる仕草をする。
小さな手の感触に、先ほど頭を撫でたのはこの少女だと気づいた。
犬好きなのだろう彼女に、自分が父親と勘違いしていた男だと伝える必要はない。甘んじて撫でられていると、次第にかすかな感触は薄れ、消えていった。
頭を上げればリビングから気配は消え失せ、床に置かれたミラービフローラの花と枯れたニワトコの枝だけが、少女がいた証であるように残っていた。
なんともあっけない終わり方は、かえってスティーブンの胸に物悲しさが宿ってしまう。
枯れたニワトコの枝に首を垂れると、隣からこちらの雰囲気をあっさり壊す大きな声が聞こえた。
「はーっ、素直な子で助かりました」
堪えていた息を肺から吐きつくし、レオナルドはフードを下ろして背中を丸める。
しんみりしている暇もないと呆れつつ、先ほどまでの緊張した感じがなくなった途端、あの正体の知れない小さな魔法使いではなく、スティーブンの知る花屋の少年に戻っていることに少々戸惑う。
とはいえ本当にまったく分からない子だと思うと同時に、警戒するよりさらなる興味が湧いてくるのだから、人のことは言えないかもしれない。
「僕には少女の形をした靄に見えたんだが、君は?」
「似たようなもんですよ。すりガラスの向こうにいる感じっすかねぇ」
モザイクがかかっているような感じだともいうが、それでもスティーブンより見えていたのだろう。
しかしそんなことは彼には普通らしく、レオナルドはそれ以上は何も言わずに息を吐きながら立ち上がった。
「そんじゃ、後片付けして帰りますんで」
枯れたニワトコとミラービフローラ、それにランタンを持ち上げたレオナルドの言葉に、スティーブンは耳を疑う。
理由こそ分からないままだが、スティーブンについてきた少女は確かに去った。だからといってそんなにあっさりと何事もなかったように出来るものか。
「やけにあっさりしてるじゃないか。君はそんなに冷静に割り切れる奴だったのか?」
言葉に若干の棘を含んでしまったことは、スティーブン自身自覚している。これまで見てきたレオナルドとは違う素っ気なさが、そうさせているのだ。
別に彼に何かを期待しているわけはない。けれどもお人好しな彼の違う一面に、わずかな苛立ちも感じている。
立ち上がって見上げると、レオナルドは少し困ったように眉を下げた。
「幽霊って、距離感があんまりないみたいでして」
「と、いうと?」
「同情したり憐れんだりしすぎると、この人は助けてくれるって、他の霊も寄ってきちゃったりするんです。特にさっきの子みたいにあっち側に行った人がいると、自分も自分もってたくさん来たりして、困っちゃうんですよね」
つまりスティーブンがわずかにでも父親を探し続けていた少女を憐れんだことにより、他の者たちまでこの家に押しかけてくる可能性があり、レオナルドはそんな家に長居は無用だとそそくさと帰ることにした、と。
狼でも顔を引きつらせることが出来るんだと知ったスティーブンの決断は早かった。
「お前は知ってて僕を置き去りにするつもりだったのか!?」
「スティーブンさんの家だし、見えないからだい……あ、今は見えるんでしたっけ」
「薄情すぎるだろ! こんなところにひとり残されてたまるか! 僕も君の家に行く!」
「は!? 首輪してない犬は地下鉄に乗れないんですよ!? それとも歩いて帰れっていうんです!? 夜が明けるわ!」
「犬扱いするな! タクシーに乗れ、タクシーに!」
「いくらすると思ってんだ! でっかい犬を載せたら嫌がられるに決まってるでしょうが!」
「金なら後からいくらでも返してやる!」
「そもそも持ってねぇんだよ!」
自分が思っているより必死な声が出たのか、レオナルドも勢いをつけて返してくる。
喧嘩に近い怒鳴りあいの応酬を繰り返し互いに息が荒くなったところで、レオナルドが観念したのかその場に胡坐をかいて座り込んだ。
枯れたニワトコの葉がカサカサと鳴り、床に落ちていく。
「……スティーブンさん、意外と怖がり?」
「……そんなことはないと思っていたんだがなぁ。どうにも触れられないものを見ているだけというのは落ち着かんもんだよ」
スティーブンも腰を下ろす。
ようやく目線の高さが同じになったふたりは、力なく笑った。
「フレデリック氏や劇場のストーカーの時はそう思わなかったが、父親を探す少女となるとどうにもなぁ。仲間内では冷血漢だの腹黒だの言われちゃいるが、僕にも人らしい感情はあったらしい」
「スティーブンさん、結構優しいっすよね」
「結構は余計だ」
スティーブンを優しいというのはクラウスだと思っていたから、妙にくすぐったい。
自然と力が抜けてその場に伏せると、前足が当たりそうになったからかレオナルドは腰を下ろしたままスティーブンの横に移動してきた。
ランタンも枝も床に置いて、彼はそっとスティーブンの背中に手を置く。
完全に犬扱いされていると思うが、今は彼の手の重みが心地いい。
「大丈夫、あの子はちゃんと向こう側へ行きました。だからきっと、ハロウィンの時にはスティーブンさんに会いに来てくれますよ」
「いや、それはどちらでもいいんだが……少年、明日の朝は朝飯を作るし、車で店まで送っていく。だから……」
「風呂とベッドは借りても?」
「服はサイズが合わないと思うが、僕のを使ってくれ。晩飯がまだなら、冷蔵庫の中のものを好きに食べてくれて構わない」
「しょうがねぇっすねぇ。怖がりなスティーブンさんのために、今晩は泊まってあげますよ」
背中を撫でられる気持ちよさと上から聞こえてくる生意気な声に、ふんと、鼻を鳴らす。
他人を自宅に泊めるなど、これまで考えられなかったことだ。しかし必要に迫られているからとはいえ、レオナルドなら悪い気はしなかった。