東の海

 
 診療所の前で、アマヤはどんよりとした顔をしていた。
 日差しは柔らかく、風も心地よいのに、彼の周囲の雰囲気だけがやたらと重たく見える。それ以外が長年の抑圧から解放されて浮かれているのも、そのコントラストを強調する一助である。
 
 すぐ近くでは、サンジとウソップが肩を寄せながらぼそぼそと話していた。町医者がゾロの無茶を叱り飛ばしているところまではニヤついていたが、長引く治療には若干の心配が滲むらしい。
 
「まだやってるぜ」
「そりゃそうだ。全治2年だと、普通なら」
「それで動くんだからイカレてるぜあいつ」
「はあ。僕の処置、未熟だったかなあ」
 
 アマヤが小さくため息を吐く。
 
 もちろん頭では分かっている。あの大怪我も、物語の流れの中で必要なものだったのだ、と。それでも誰かが血を流し、苦しむ姿を間近に見るたび、彼の心はぎゅうと締めつけられるのだった。現在は治療中の大怪我剣士を思い、打ちひしがれているところだ。
 
 まなじりを少し落とし、俯く横顔はどこか儚げだった。その佇まいには、思わず手を差し伸べたくなるような、繊細な雰囲気が滲んでいる。
 それを見たウソップが、ほんの少し気を遣うように言葉を繋げる。
 
「いや、素人にしてはって言ってたぜ、あの医者のジーさん。お前がしなかったらおれがやってたわけだし、素人以下だからなこちとら」
「……優しいんだね、ウソップくん。ありがとう。そう言ってもらえるとついてきて良かったって思うよ」
「ん? まァ、な」
 
 アマヤが微笑むと、ウソップは少し照れたように視線を逸らした。控えめで、謙虚で、さらには物腰柔らかで。アマヤに対する周囲の評価は、いつだって自然と好意的なものへと傾くのだ。
 そこへ、診療所の扉がバタンと勢いよく開いた。
 
「なー、医者、より先に音楽家だよなァ?」
 
 ルフィが元気よく現れて、唐突に会話へ割り込んできた。
 
「いや医者だろ」
「なんでだよ! 海賊っつったら音楽家だろ! な、お前音楽家か?」
「医者かどうかを訊け!!!」
「えっ……、ぼ、僕?」
 
 ルフィはすっかりアマヤのことを仲間候補として認識してくれているようだった。この豪快な船長がアーロンとの最終決戦に臨む直前、時間稼ぎをしていたのはアマヤであったこと、ウソップからゾロの治療を率先して手伝っていたことが伝わり、この認識らしい。
 けれど当のアマヤはというと、そのルフィの視線を正面から受けることができずにいた。この真っ直ぐすぎる目と人好きのする笑顔、けれどもいざ自分の意思を通すためならばどこまでも鋭くなる気配とくれば、アマヤはもう眩しすぎて直視できない。自身を守るように体の前に差し出した手の指同士がもじもじと絡まる。
 
「その……えっと、僕、僕」
 
 言葉にならず、アマヤは反射的にサンジの背後にくるりと回って隠れた。細身のサンジの背でも、アマヤの華奢な身体ならすっぽり隠れてしまう。
 
「おい隠れんな」
「んー?」
 
 ルフィが無邪気に首だけをびよんと伸ばして、アマヤを覗き込んでくる。
 
「わわわわわ」
「……ウエイターだよ。うちの」
「ちがっ!」
 
 思わず語気を強めたアマヤが、後ろで何度か小さく深呼吸をしてから、えいやっとばかりに一歩前へ出た。
 
「う、占い師です。何年かウエイターやってたのはその、不特定多数の人間と関わる練習だったというか、手段だったというか、でも案外居心地よくて居座ってしまったというか……」
「あー、そういやそうだったかもな」
 
 どうでもいい相槌をしてくるサンジの足を、アマヤは小さく踏んづけた。途端に返ってくる不満の声は一旦無視する。ここが一つの正念場である。あの図体のアーロンと対峙した時よりもずっと、心臓はどんどんとうるさくなった。
 
「あ! あの!! 医者でも、音楽家でもないんだけれども! ……僕も、君たちに付いて、ううん。一緒に行ってもいいかな……!?」
「おう、いいぞ!」
「……!!」
 
 ルフィの快諾を受けたアマヤは、緊張と恥ずかしさの極みに達したようだった。顔は一瞬で真っ赤になり、耳まで染まりきったかと思えば、弾かれたようにその場から跳ね上がり、ひらりと手近な屋根の上に姿を消す。
 アマヤの身のこなしを初めて見るルフィとウソップはもちろん、見慣れているはずの同僚までもが意表を突かれるほどのすばしっこさである。ともあれ、十分な身体能力があることも証明できたのはアマヤにとってプラスだったことだろう。
 
「なんだァ? あいつ。バラティエのときは普通だったのによ」
「おれにもよく分からん。ま、人見知りには違いねェ。恥ずかしがってるだけだろ」
 
 サンジは肩をすくめ、タバコをくわえ直す。煙を宙に吐き出しながら、アマヤの消えた先を窺うが、そこにはもう影も形も残っていないのだった。
 
***
 
 村の中心では解放の宴が始まっていた。子どもたちは笑い、大人たちが酒を酌み交わし、太鼓の音が夜空へ跳ねていく。
 そんな喧噪から少し離れた村の端、木陰のベンチに座り込んでいるナミの姿を見つけて、アマヤはそっと歩み寄った。彼女の肩には、昼間の自傷の痕が残っている。きちんと処置はされているはずだが、そこがやけに痛々しく見えて、アマヤは目を伏せた。
 
「ナミさん」
「アマヤ、だったわね」
「……それ」
「そ。これから診てもらうとこ。……自分の傷でもないのにそんな顔してんじゃないの」
 
 そう言ってナミは軽く自分の肩に視線を落とす。そういえばこの子、怪我が苦手だと言っていたな、と思い返す。戦闘中も、今も、まるで自分が刺されたかのように眉を寄せるのだ。
 アマヤはやはり悲しそうな顔のまま、傷ついた彼女の隣に腰を下ろす。
 
「……早く、痛くなくなるといいね」
「いいのよ。そんなこと。それより、さっきの話、聞こえちゃった。あんたも行くの?」
 
 そんな優しい性格で、海賊が務まるのかどうかは甚だ疑問である。戦闘中相手に同情して刃が鈍るようでは、背中を預けるのに不安が残るというものだ。とはいえ、アーロン相手には同情心を見せていなかったあたり、割り切ることはできるのかもしれない。それに、魚人のスピードについていける戦闘力は頼もしい。合理的な航海士からの評価はこのようなものである。
 
「……いいかな」
「船長次第でしょ。あの船長は来るもの拒まずって感じだけど」
 
 そしてふっと笑う。
 
「あんた結構腕もたつみたいだし、私は歓迎よ?」
「うんっ、船長許可はもらってる。ナミさんに歓迎してもらえて嬉しいな。……役にたつかどうかは分からないけど、精一杯頑張るよ」
 
 仲間というのは、ただ共にいるだけでは成立しない。
 アマヤはそっと胸の内で安堵する。これでまた一人、自分を受け入れてくれる人が増えたのだと。
 
 と、その静かな空気を吹き飛ばすように一人のコックが飛び込んできた。すっかり疲労の影が見えないあたり、タフである。
 
「わ♡♡ ナミさんこんなところで♡ どうですか、おれと一曲……、一時の夢を頂けたらと」
「う~ん、ごめんね。この後予定が入ってて」
「僕が相手しよっか?」
 
 ナミが涼しい顔であしらうと、すかさずアマヤがにやっと笑った。途端にサンジの周辺からハートマークが消え去り、鼻筋に皺が寄る。誘いの不成立を揶揄われたのを的確に察知したのだ。
 
「いらねェ。見飽きた顔と踊るより、未だ見ぬ可愛こちゃんを発掘しにいくね」
「残念。それじゃ武運を祈るよ」
「お前もな。まともにルフィと話せるようになっとけよ」
 
 直前まで人の傷に心を痛めていたアマヤも、ナミを前にして必要以上の紳士ぶりを発揮するサンジも、しかし互いを前にするとまるで兄弟のように振る舞う。ナミは二人の予想外の関わり方にきょとんとする。
 
「サンジくん、アマヤにはそんな風に話すのね」
 
 言われた二人は、ほぼ同時に視線を交わす。
 
「そりゃもう、腐れ縁ですからこいつとは」
 
 サンジは心底どうでも良さそうに親指でアマヤを指し示す。対するアマヤはちょっと困った様子で頬を掻いてみせた。
 
「あー、サンジくん? ナミさんが言ってるのはそういうことじゃないかも? えーと、女性に対しては一律でああなると思ってたってことでいいかな?」
「ああなるってなんだよ」
「せっかく濁したのに……、バカになるってことだよ」

 虚仮にされたコックは下唇を突き出して遺憾の意を示す。それを見るにつけ、ナミの不思議は深まるばかりだ。

「そうそう。アマヤだって相当美少女よ。私とはタイプが違うかもだけど」
「「あー……」」
 
 二人は、まるで示し合わせたように同時に息を吐くような返答をした。
 納得のような、諦めのような、不思議に揃ったその間合いに、ますます兄弟じみた空気が漂う。
 
「あのねえナミさん、僕はまあこの通りの紛らわしい見た目ではあるけどね。一応生物学的には──」
「そうそう、こんなツラしてますけどね、こいつァ男なんですよ、これが」
 
 アマヤの言葉をサンジが引き取り、トドメの一言を加える。
 
「……え、ええーっ!?」
 
 聡明な航海士でも、その可能性には至らなかったらしい。ナミは目を丸くして驚きの声を上げた。そんな彼女に、アマヤはほんのり頬を赤く染めて、はにかみながら微笑んでみせる。
 
「ナミさんみたいな可愛い人に美少女って言ってもらえて、嬉しいな」
「調子に乗んな。離れろ離れろ」
 
 サンジが足でぐいぐいとアマヤを押し、自分から遠ざけるところを見ながら、ナミはこの美少女だと思っていた人物からの衝撃を飲み下すのだった。
 
 衝撃から立ち直ったナミが診療所へと向かうのを見送り、二人が残されたところでサンジはしばらく堪えていたタバコに火をつける。普段は副流煙を嫌うアマヤも、それが日常の兆しに感じられたので今日ばかりは許してやることにした。

「お、そうだ」

 おもむろに、サンジは小脇に抱えていたものをアマヤへと放る。反射的に受け取ったものは中に固いものを孕んだ皮袋だった。

「何? お土産?」
「テメーの荷物だよ。店に放置して行きやがって。聞きゃあお前、ジジイに別れの挨拶も済ませてたって言うじゃねェか」
「……あ」

 アマヤの指が革の袋を掴んだまま止まり、視線だけが宙に浮いた。言葉は喉元で引っかかり、間の抜けた沈黙が一瞬だけ落ちる。

「そのくせ荷造りもせずに飛び出しやがって。……個室の割にそんだけしかなかったが」
「うん、……僕、いつどうなるかわからなくて、物増やすの、苦手で」

 今世に生まれ変わってから、アマヤは自分の周囲を満たすものに、執着らしい執着をほとんど示してこなかった。必要最低限を超えて抱え込むことを避けるその様子は、ここが自分の居場所ではない、とどこかで線を引いているようにも見えた。
 けれど、このよく気がつく男が届けてくれたものは違う。

「ああっ!!」
「──なんか足りねェかよ」
「ホロスコープ! ペンデュラムにタロットも!! 嬉しいっ! 流石に無しで旅するのもアレだから新調しないといけないかと思ってたっ」
「お前……」

 サンジはその様子を横目で捉え、眉間に力を寄せたまま、長く息を吐き出している。

「それ、空見るのにいるんだろ」

 その指摘でアマヤは自身のカバーストーリーを思い出す。決してそれも嘘ではないが、海へ出て旅をする理由として様々な星空を見てみたいとはよく溢していたのだ。口が裂けたって「この物語の果てが見たい」だなんて、物語の構成員には言えないではないか。

「いやあ、おっしゃる通りで……」

 袋の中身を一通り確かめ終えたあと、アマヤは革を畳むようにして強く握りしめた。いっそこれはアマヤをこの世界へと結びつけておいてくれる縁だ。

「なんというか、まあ、穏やかな船出とはいえなかったでしょ。ほとんどアクシデントみたいに、ね」
「だから、それにしちゃあジジイに挨拶したり荷物減らしたりはしてたんだろ、って」
「荷物が少ないのは元からだよお。別に僕、個室にしてもらわなくったって、みんなと雑魚寝でよかったのに。寝台一つあれば十分なくらいの身一つで生きてたの」
「あー……そりゃあいつらの側の都合だ」
「分かってる。僕ったらこんなに可愛いから」

 言いながら、アマヤは頬に手を当て、肩をわずかに傾けてみせた。あまりに養殖品のしなに、しかしサンジはアマヤの望んだ通りのツッコミを返してはくれなかった。

「誤魔化してんじゃねェよ」

 煙の向こうの視線は外れず、アマヤの行動の端々に残るちぐはぐさを見逃すつもりはなさそうだった。急な旅立ちで荷物も持たずに飛び出したわりに、オーナーへの挨拶だけは済ませている、その整合の取れなさが、紫煙の向こうで燻っている。
 アマヤはその視線をしばらく受け止め、やがて短く息を整えると、用意していた言葉を選ぶように口を開いた。

「……転換期がごく近いことは分かってたんだ。仕事も生活も、人生も揺らがすような大きな転換期。だから、いつなにが起きてもいいように話してただけ」
「……」
「そう占いに出たんだから。何度も言ったけど、僕は」
「──わかったわかった」

 真実であれ、偽装であれ、それ以上は出てこないと察したのだろう。サンジは片手をひらりと振り、そこに横たわっていた話題を掻き消すような仕草を見せた。

「でも、ほんとにありがと。僕の商売道具。もつべきものは友だねぇ」

 礼を向けられても、サンジは応じる代わりに、気にするなと言わんばかりに煙を細く、長く吐き出すだけだった。

「代わりに、といっちゃなんだけど、サンジくんを占ってあげようね」
「ナミさんとの相性なら聞いてやらんこともない」
「あー……、天候は雨、サンジくんの思いは労働力として活用されるでしょう。……ま、サンジくんがそれで幸せならいいんじゃない?」
「使えよ、ソレ」

 アマヤがせっかく握りしめたホロスコープを一瞥もせずに宣うものだから、サンジは苛立ち紛れに皮肉の切れ味が上がってきた友人の尻を蹴り上げるのだった。
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