東の海
麗らかな日差しの下、ルフィの悲痛な叫びが響く。同じ大怪我人でも、なぜだろう、ウソップの場合はほんの少しコミカルで、だからこそアマヤは嘆くルフィとは裏腹に平静を保つことができた。
「ウソップーーーっ! お前これナミにやられたのか!!?」
「いやすまん、それはこいつとおれが」
「お前だよ」
ルフィに揺さぶられ、ウソップは息を吹き返す。そのまま周囲を見渡すと、頭の回転の速い彼はおおよその事態を把握したようだった。
「おおルフィ、お前きてたのか」
「ああ」
「アマヤも! どこ行ってたんだよお前、おかげでおれはとんでもない目に」
怒りをぶつけられたアマヤは、両手を合わせてぺこりと頭を下げた。
「ごめんねえ。このお兄さんが心配で探しに行ってたんだけど、ウソップくんと一緒に居ればよかったね」
「それはまあいい。いや良くないが、一旦置いておこう。問題はナミだ」
アマヤはせめてもの罪滅ぼしに口元から順番に止血をしていくことにする。思い返してみればウソップもウソップでとんでもない目にあってきたところなのだ。魚人に追われたり、魚人に捕まったり、魚人に囲まれたり。それでもこのあと彼はそれらに立ち向かうわけだから、その勇気といったらない。
「おれはあいつに命を救われた!! どうやらあいつが魚人海賊団にいることにはワケがあるとおれはみてる!!」
「無駄だよ。あんたたちが何をしようとアーロンの統制は動かない」
そこへ現れたのはこの島の語り部ともいうべき女性だった。アマヤは次々と現れる登場人物に怯んでしまって、再び同僚の背に隠れようとするが、女性好きの黒スーツはアマヤを引き剥がしてノジコへと駆け寄っていくのだった。そして、それとは対をなすように船長はふらりと姿を消す。
まるで、この村の人々すべてに何度も語ってきたのではないかと思わせるほど、彼女の語りはよどみなく、鋭く、そして淡々としていた。
聞いているだけで、鼻の奥がつんと熱くなるが、アマヤはじっと耐えた。ちゃんとこの村には希望があるのだ。その希望は到着したばかりだが。
「……村を救える唯一の取り引きのために、あいつは親を殺した張本人の一味に身をおいてるわけか」
「あァ愛しきナミさんを苦しめる奴ァ、このおれがブッ殺してやるァ!」
「それをやめろ、とあたしは言いにきたんだよ」
ノジコは身に染みついた絶望を未だ手放せない様子だった。それもそうだ。たった5人にも満たない海賊の生まれたてが、まさか魚人海賊団を壊滅させるだなんて思いもよらないだろう。
アマヤはいくつも爪の跡が残ってしまった手のひらを眺めながら独りごちる。何度聞いても不快、不快、不快であった。
「幼気な子になんて仕打ちを」
十分に話を聞かせてもらったのだから、これでこの喧嘩に参戦する権利を得た。アマヤの中の義憤が準備体操を始める。
「やめろと言われたって、なァ」
「もうルフィがどうだって話じゃねェな」
ところが、やる気満々の男3人を引き締めるようにゾロが低く唸る。
「……とはいえおれ達はあいつの一味だ。船長の号令なしに戦争おっ始めるわけにもいかねェだろ」
その言葉に、場の空気がわずかに引き締まる。
確かに、正論だった。号令のない行動は、暴走に他ならない。
過去の出来事を直接聞き、珍しく気が立っているアマヤは自分が隠し持っている武器を服の上から確認する。そもそも、自分はまだ一味でもないのだから、行動を縛られる謂れもない。
「僕が闇討ち、ならセーフかな?」
「おォイ急に物騒なワード出してくるなその面で!」
アマヤをよく知るサンジだけはやっちまえ、とばかりに数回頷いたが、この華奢な男のことを知らない方はというと当然ぎょっとしてしまう。なにしろ、どこからどうみたって非戦闘員だ。
「……どんな面なの?」
「そりゃお前おっとり系美少女面というか」
言いながらウソップの視線が彷徨う。アマヤの中性的な顔立ちと、柔らかい物腰。それに、先ほどまでの冷静さ。それらが、今の『闇討ち』という単語とはどうにもちぐはぐだった。
その様子を見ていたサンジが、ため息交じりに言い捨てる。
「こいつがおっとりしてんなァツラだけだよ。騙されんな」
「お前アマヤには辛辣なんだな」
サンジのその一言に、ウソップはますます混乱する。
どう見ても文句なしの美少女、少なくとも外見だけ見ればそう断じられるアマヤに、女性至上主義に見えるサンジがぞんざいな態度を取るなど、想像もしなかったからだ。
「えっと、こんな話聞いたらもう放ってもおけないし、僕も同行していいよね?」
「船長にきけ、船長に」
「んっ、じゃあルフィくんのとこ行こっか。ね、サンジくん取りなしてよ。サンジくんはもう仲間なんでしょ」
「はいはい、オラ行くぞ」
サンジが気だるげに返事をしながら、先に立って歩き出す。
敵を排除するための隠密行動ならばともかく、横並びで戦線に立つとなれば許可が必要だ。アマヤのその複雑な認識を、しかしサンジは面倒くさそうにあしらうのだった。
***
勇んで村に到着したものの、そこでアマヤが目にしたのは、思いがけない、いや、本当は予想していた最悪の光景だった。
ナミが、自らの肩に刃を突き立てていたのだ。
流れる血も、涙も、同じように見ているものの肌を突き刺すようだった。彼女の思いの強さ、胸の奥を引き裂くような怒りと悲しみ、そのすべてが、その刃先に凝縮され、けれど正しい相手へと向けることは叶わず。
アマヤは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。この男は、ああいうのを直視できない。ほとんど自分の痛みのように感じてしまう。
「なによ……! 何も知らないくせに……!」
「うん、知らねェ」
「あんたには関係ないから、島から出てけって言ったでしょう!!」
「ああ、言われた」
「ルフィ……」
彼女の溌剌とした笑顔を知っている。ぶれない自分をもっていることを知っている。他人を想う優しさを知っている。その上でこうやって苦しみを見せつけられて、怒りを覚えないはずがないのだ。
あと一つ、足りないのは彼女の『意思』だった。
「助けて……」
「当たり前だ!!!」
船長の号令一つ。一味はアーロンパークの方へ飛び出していった。追うこともできるけれど、アマヤは目の前の女の子に寄り添う方を選んだ。この傷の手当ては、自分では難しいことだろう。
「ナミさん」
静かに声をかけると、傷ついた少女は顔を上げた。
「あ、……あんた、ウエイターの」
「たった一回会っただけなのに、覚えてくれてたんだね」
アマヤは膝をつき、清潔な布をそっと彼女の肩に当てた。じんわりと滲み出す赤に、ナミは小さく眉をひそめる。その痛みが、どれほどの重さを伴うものか、アマヤは思わず息を詰まらせる。
「ひどい怪我。肩じゃあ包帯巻くのも大変でしょう。良ければ僕に手伝わせてくれない?」
しばしの沈黙の後、ナミが低く問い返す。
「……なんで」
「えと、目の前に怪我人がいたら」
「違うわよ、どうしてウエイターがついてきてるの、って訊いてるの」
ごもっともだった。
アマヤは少しだけ目を伏せて、やがて素直に答える。
「怪我なんだよ」
「え?」
「怪我に弱くって、僕」
これは確かに嘘じゃない。前世でも今世でも、優しい子になってねと言われて育ったのが要因だろうか。目の前の痛みや苦しみに特別弱い気がするのだ。
「ナミさんが居なくなっちゃった後、剣士のお兄さんが大怪我したの。包帯巻いてたでしょ。あれ凄かったんだから。それ見たら、居ても立っても」
消毒液の匂いが、風の中にふわりと混じる。ナミは何も言わず、されるがままだった。拒絶の気配もない。
それが、アマヤには嬉しかった。
「ナミさんも自分の体大事にして。健康な体が幸せの第一条件だよ」
「……そんなことない。私ひとりの傷でみんなが幸せだったら」
「その、ナミさんが大好きなみんなは、ナミさんが傷ついてるのに幸せになれるかな? 違うよね。だからナミさんはみんなを好きになったんだ」
口からするすると紡がれる言葉は、飾ったものではなかった。アマヤの本心そのものだった。
「だめだよ。どうせ避けられない傷なら、みんなでちょっとずつ痛くなろ。そしたら治るのも早いでしょ」
最後に、彼はナミの顔に残った涙と土の汚れを、そっと布で拭き取った。どうか、もうこんなもので彼女の頬が汚れませんように。ずっと、笑っていられますように。きっとそうなるとは知っていても、祈りを込めずにはいられない。
「はい、終わり。こんなのはもうこれっきりにしてね」
ナミが、小さく息を呑む。
「でも、アーロンは」
「アーロンはルフィくんたちが倒すんだよ。ようし、僕も微力ながら助太刀してこようかな。ナミさんはどうする?」
「私も、行くわ。いっぱい泣いたらスッキリしちゃった。あとはアーロンをぶちのめすだけだもんね」
「その意気だよ」
汚れを取り去って立ち上がった彼女はなんだか僅かに輝いているように見えた。それはそうだ。あんなに力強く、自分の味方をしてくれる人がいるのだから、街のみんなだってずっと大切に思っていてくれたのだから。もう一人っきりで戦わなくてはいけない女の子はいないのだ。
もしかしたら彼女はまだ行き着く先が地獄だと思っているかも知れないけど、それでも連れ合いがいるというだけで人間は心底安心する。もちろん、行き着く先は地獄なんかではない。
***
「ごめん、みんな!!!」
ココヤシ村に到着したナミは、曇天を晴らすように叫んだ。顔にはもう迷いはなく、ただまっすぐに前を向いている。
「私と一緒に死んで!!!」
「ぃよしきたァ!!!」
いきりたつ村人たちを横目に、アマヤは一歩引いて周囲を見渡した。誰がどこへ向かうか、どれが今「自分の役割」になるかを、冷静に判断する。
そんな彼の耳に、すぐに怒鳴り声が飛んできた。
「おいアマヤ! 足止めしとけ!!」
「僕は荒事は苦手だってばぁ」
アマヤは大仕事を任されたことを理解し、ため息をつく。
ナミは、華奢なアマヤに魚人の相手を押し付けていったサンジの判断に、一瞬目を見開く。だが当の本人はまるで気にした様子もなく、ナミに向き直り、落ち着いた声で言った。
「ナミさん、あの大怪我人。無茶しないように見張ってて」
ナミは言われるがままゾロに目を向け、ようやくその傷の深さを確認した。息を呑む。そして納得する。あれでは確かに、まともに戦えないだろう。アマヤがあれほど気にしていたのも頷ける。
「あ? シャハハハハ!! どんな加勢を連れてきたかと思えば、その弱そうな人間の女一人か? おいナミ、おれも舐められたもんだな!!」
「……く」
ナミが歯を噛みしめるも、アマヤは不安を解くように柔らかく笑った。
「ああ、大丈夫大丈夫。僕の見た目がこの通りひ弱なのは事実だから。でも1個体を数十秒足止めするくらいなら」
見た目がなよなよしいことなど、本人が一番よくわかっている。だからこそ、あえてその外見通りに振る舞っている節もあるのだ。油断は、戦闘でも交渉でも最高の調味料だ。侮ってくれる相手ほど、扱いやすいものはない。
事実、アーロンの一撃はもはや攻撃というより羽虫を散らすような追い払いの仕草に似ていた。大振りのテレフォンパンチにわざわざ当たってやるほどアマヤは親切ではない。彼が軽くバックステップでそれをかわすと、アーロンの口元が、わずかに引き攣った。
二発目。今度は掴みかかろうとする勢いに乗せて、肩でぶつかるような体当たり。
だが、それも空振り。
三発目。力任せに突き出された手の平を、するりとかわすと同時にアマヤは後ろへ下がった。
三発も外されれば、さすがに相手も学ぶ。しかし、アマヤもまた、感触をつかんでいた。魚人相手の実戦は初めてだったが、スピード的にはついていける。
ならば、もう少し、煽っても大丈夫そうだ。
「意外とのんびりしてるんだね、アーロンさん」
「! まあ最低限機能はするらしい」
アマヤの軽口に、アーロンの目が細まり、その瞬間からアーロンの動きにわずかな鋭さが加わる。
だが、それでもまだ、全力には遠い。本当に仕留めたいなら、ためらわずに最速で突くべきだ。今のままでは、アマヤの視覚と身体は、その速度に順応してしまう。
「手応えが! ねェ!!」
「当たったら痛いでしょ!!」
「ちょろちょろすんじゃねェ!!! イラつくんだよ!!」
「……ッ、ひゃ」
耳元で牙が噛み合わさる音がした。空気が割れ、熱が奔る。わずかに髪を掠めていったその刃に、アマヤは全身を粟立たせながら、背を弾くようにかわした。首を狙われた。はっきりと殺意があった。
それでも、心臓は静かだった。
アーロンの大振りの平手を、まさに紙一重で回避した瞬間、すれ違いざま、アマヤは極細の針を、その鮫肌の隙間にそっと滑り込ませた。
一度、二度、三度。避けざまに刺す。目立たぬよう、しかし確実に毒を送り込んでいく。数発を受けた後、ようやくアーロンの目が鋭く動いた。
「んだァ? こりゃあ」
「えーっと……、ゾウでも、は言い過ぎか。人間なら麻痺してくれる程度の神経毒。この後キミになりきって推理ショーするってわけ」
涼しげに返した次の瞬間、アーロンの剛腕が風を裂いた。針は、瞬く間に払い落とされた。
「効かねェな」
「刺さったと思ったんだけどなあ。それか、魚人族のフィジカルには負けちゃったか」
「ただ……、このおれに針を刺しといて気付かせねェ機動力は、厄介だ」
アマヤは無理なく後ろへ下がりながら、再び距離を取る。
ただし、アーロンの表情には、今度はわずかな緊張が混じっていた。
「わ!! ……ぐ」
その声と同時に、アマヤの視界が跳ねた。一瞬の隙を突かれ、鋭く伸びた手が、彼の片腕を掴み取る。
鮫肌はざらついていて、そして驚くほど温かかく、アマヤはこの緊迫した空気の中で魚人も人間も変わらないじゃないか、と呑気な感想を浮かべていた。
「とはいえ捕まえちまえばそれまでか。シャーッハハハ!!!」
どう抵抗してやろうか、と考えながらぶら下げられていると、観念したと判断されたらしい。アマヤの可憐な身体を釣り上げた魚の如く掲げ、アーロンは機嫌よく高笑いだ。
「くやしがることはねェ……どのみちてめェら全員、死ぬんだよ!!!」
怒声が響き渡る中、アマヤの名を呼ぶ声が重なった。
「アマヤ!!」
「来ちゃだめ!!!」
駆け寄ろうとしたナミを、アマヤが鋭く制す。その瞬間。
「戻ったァーーッ!!!」
「ゴム野郎」
あの伸びやかな大声一つ。気付けばアマヤはルフィの腕に絡め取られ、引っ張られ、その縮む力によって遥か大空へ放り投げられたのだった。喜ぶより先にとてつもない浮遊感で胸がひんやりとする。視界が青い空一つになる。
とぼん。
水面に落ちる音は軽やかだったが、体は容赦なく沈む。大体身長五つ分以上は沈んだだろう。どんな高さに放り出されたかがよくわかると言うものだ。
だが幸い、アマヤは泳ぎが得意だった。水中で一瞬瞼を閉じて、冷静に浮上の動きを始める。
やがて岸に着くと、そこには先客がいた。サンジが地面に腰を下ろし、気だるげに足を投げ出している。
彼もどうやら観戦モードに入ったらしい。
「……最後のフリーバンジーが一番怖かったッ」
ぬれ鼠のまま訴えれば、返ってくるのはそっけない一言だった。
「そりゃお前後でルフィに言え」
「えっ、船長さんに? ……いやいやそれは、いやちょっと」
腰を下ろしたまま、アマヤは引き攣った笑みを浮かべて頭をふるふると振った。サンジに文句を言うのと、ルフィに進言するのとでは訳が違う。
なにしろ相手は主人公だ。全力で振り回される側だと自覚しているアマヤにとっては、もうどう足掻いても抗えない存在なのだった。
とはいえ、そんな理屈を目の前の男に通せるとは思えない。濡れた髪をぱさぱさと振って水を飛ばしながら、アマヤは観念したようにその隣に腰を下ろした。ちょっとした映画でも眺めるような気分で、穏やかな視線を正面へ向ける。
サンジは横目でちらと彼を見て、眉の片方をぴんと跳ね上げた。
「? 妙に余裕かましてンな」
「だってルフィくんだよ。もう僕たちが神経すり減らすことはないから」
それは揺るぎない確信だった。ようやく見つけた、特等星。この海ばかりの世界で、誰よりも輝く夜明けの導き手だ。
「幾多の星の中で一等激しく輝く彼を信じずしてどうするの。これは夜明けなんだよ。僕は彼が頂点で輝くところまで見届けたい。見て、ううん、もう見てられないほど」
指差した先には、魚人たちを圧倒するルフィの姿があった。常識や理屈を超えて、ただ圧倒的な意志と力だけで突き進む、その姿がアマヤには眩しくてたまらない。
「道筋はともかく。行き着く先には平和と幸福があるよ。そんな性格してるでしょ」
「どうだか」
「痛みを分け合う相手は多い方がいいから……だから僕もいいかな、一緒に行っても」
「……あいつが勝ってから悩めよ」
「ふふ、勝つよ。見てて」
アマヤは静かに笑った。
それにしても、とサンジは横目でちらとアマヤを見る。
まるで何年も前からルフィを知っているかのように語るその口ぶりが、不思議でならなかった。
「ウソップーーーっ! お前これナミにやられたのか!!?」
「いやすまん、それはこいつとおれが」
「お前だよ」
ルフィに揺さぶられ、ウソップは息を吹き返す。そのまま周囲を見渡すと、頭の回転の速い彼はおおよその事態を把握したようだった。
「おおルフィ、お前きてたのか」
「ああ」
「アマヤも! どこ行ってたんだよお前、おかげでおれはとんでもない目に」
怒りをぶつけられたアマヤは、両手を合わせてぺこりと頭を下げた。
「ごめんねえ。このお兄さんが心配で探しに行ってたんだけど、ウソップくんと一緒に居ればよかったね」
「それはまあいい。いや良くないが、一旦置いておこう。問題はナミだ」
アマヤはせめてもの罪滅ぼしに口元から順番に止血をしていくことにする。思い返してみればウソップもウソップでとんでもない目にあってきたところなのだ。魚人に追われたり、魚人に捕まったり、魚人に囲まれたり。それでもこのあと彼はそれらに立ち向かうわけだから、その勇気といったらない。
「おれはあいつに命を救われた!! どうやらあいつが魚人海賊団にいることにはワケがあるとおれはみてる!!」
「無駄だよ。あんたたちが何をしようとアーロンの統制は動かない」
そこへ現れたのはこの島の語り部ともいうべき女性だった。アマヤは次々と現れる登場人物に怯んでしまって、再び同僚の背に隠れようとするが、女性好きの黒スーツはアマヤを引き剥がしてノジコへと駆け寄っていくのだった。そして、それとは対をなすように船長はふらりと姿を消す。
まるで、この村の人々すべてに何度も語ってきたのではないかと思わせるほど、彼女の語りはよどみなく、鋭く、そして淡々としていた。
聞いているだけで、鼻の奥がつんと熱くなるが、アマヤはじっと耐えた。ちゃんとこの村には希望があるのだ。その希望は到着したばかりだが。
「……村を救える唯一の取り引きのために、あいつは親を殺した張本人の一味に身をおいてるわけか」
「あァ愛しきナミさんを苦しめる奴ァ、このおれがブッ殺してやるァ!」
「それをやめろ、とあたしは言いにきたんだよ」
ノジコは身に染みついた絶望を未だ手放せない様子だった。それもそうだ。たった5人にも満たない海賊の生まれたてが、まさか魚人海賊団を壊滅させるだなんて思いもよらないだろう。
アマヤはいくつも爪の跡が残ってしまった手のひらを眺めながら独りごちる。何度聞いても不快、不快、不快であった。
「幼気な子になんて仕打ちを」
十分に話を聞かせてもらったのだから、これでこの喧嘩に参戦する権利を得た。アマヤの中の義憤が準備体操を始める。
「やめろと言われたって、なァ」
「もうルフィがどうだって話じゃねェな」
ところが、やる気満々の男3人を引き締めるようにゾロが低く唸る。
「……とはいえおれ達はあいつの一味だ。船長の号令なしに戦争おっ始めるわけにもいかねェだろ」
その言葉に、場の空気がわずかに引き締まる。
確かに、正論だった。号令のない行動は、暴走に他ならない。
過去の出来事を直接聞き、珍しく気が立っているアマヤは自分が隠し持っている武器を服の上から確認する。そもそも、自分はまだ一味でもないのだから、行動を縛られる謂れもない。
「僕が闇討ち、ならセーフかな?」
「おォイ急に物騒なワード出してくるなその面で!」
アマヤをよく知るサンジだけはやっちまえ、とばかりに数回頷いたが、この華奢な男のことを知らない方はというと当然ぎょっとしてしまう。なにしろ、どこからどうみたって非戦闘員だ。
「……どんな面なの?」
「そりゃお前おっとり系美少女面というか」
言いながらウソップの視線が彷徨う。アマヤの中性的な顔立ちと、柔らかい物腰。それに、先ほどまでの冷静さ。それらが、今の『闇討ち』という単語とはどうにもちぐはぐだった。
その様子を見ていたサンジが、ため息交じりに言い捨てる。
「こいつがおっとりしてんなァツラだけだよ。騙されんな」
「お前アマヤには辛辣なんだな」
サンジのその一言に、ウソップはますます混乱する。
どう見ても文句なしの美少女、少なくとも外見だけ見ればそう断じられるアマヤに、女性至上主義に見えるサンジがぞんざいな態度を取るなど、想像もしなかったからだ。
「えっと、こんな話聞いたらもう放ってもおけないし、僕も同行していいよね?」
「船長にきけ、船長に」
「んっ、じゃあルフィくんのとこ行こっか。ね、サンジくん取りなしてよ。サンジくんはもう仲間なんでしょ」
「はいはい、オラ行くぞ」
サンジが気だるげに返事をしながら、先に立って歩き出す。
敵を排除するための隠密行動ならばともかく、横並びで戦線に立つとなれば許可が必要だ。アマヤのその複雑な認識を、しかしサンジは面倒くさそうにあしらうのだった。
***
勇んで村に到着したものの、そこでアマヤが目にしたのは、思いがけない、いや、本当は予想していた最悪の光景だった。
ナミが、自らの肩に刃を突き立てていたのだ。
流れる血も、涙も、同じように見ているものの肌を突き刺すようだった。彼女の思いの強さ、胸の奥を引き裂くような怒りと悲しみ、そのすべてが、その刃先に凝縮され、けれど正しい相手へと向けることは叶わず。
アマヤは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。この男は、ああいうのを直視できない。ほとんど自分の痛みのように感じてしまう。
「なによ……! 何も知らないくせに……!」
「うん、知らねェ」
「あんたには関係ないから、島から出てけって言ったでしょう!!」
「ああ、言われた」
「ルフィ……」
彼女の溌剌とした笑顔を知っている。ぶれない自分をもっていることを知っている。他人を想う優しさを知っている。その上でこうやって苦しみを見せつけられて、怒りを覚えないはずがないのだ。
あと一つ、足りないのは彼女の『意思』だった。
「助けて……」
「当たり前だ!!!」
船長の号令一つ。一味はアーロンパークの方へ飛び出していった。追うこともできるけれど、アマヤは目の前の女の子に寄り添う方を選んだ。この傷の手当ては、自分では難しいことだろう。
「ナミさん」
静かに声をかけると、傷ついた少女は顔を上げた。
「あ、……あんた、ウエイターの」
「たった一回会っただけなのに、覚えてくれてたんだね」
アマヤは膝をつき、清潔な布をそっと彼女の肩に当てた。じんわりと滲み出す赤に、ナミは小さく眉をひそめる。その痛みが、どれほどの重さを伴うものか、アマヤは思わず息を詰まらせる。
「ひどい怪我。肩じゃあ包帯巻くのも大変でしょう。良ければ僕に手伝わせてくれない?」
しばしの沈黙の後、ナミが低く問い返す。
「……なんで」
「えと、目の前に怪我人がいたら」
「違うわよ、どうしてウエイターがついてきてるの、って訊いてるの」
ごもっともだった。
アマヤは少しだけ目を伏せて、やがて素直に答える。
「怪我なんだよ」
「え?」
「怪我に弱くって、僕」
これは確かに嘘じゃない。前世でも今世でも、優しい子になってねと言われて育ったのが要因だろうか。目の前の痛みや苦しみに特別弱い気がするのだ。
「ナミさんが居なくなっちゃった後、剣士のお兄さんが大怪我したの。包帯巻いてたでしょ。あれ凄かったんだから。それ見たら、居ても立っても」
消毒液の匂いが、風の中にふわりと混じる。ナミは何も言わず、されるがままだった。拒絶の気配もない。
それが、アマヤには嬉しかった。
「ナミさんも自分の体大事にして。健康な体が幸せの第一条件だよ」
「……そんなことない。私ひとりの傷でみんなが幸せだったら」
「その、ナミさんが大好きなみんなは、ナミさんが傷ついてるのに幸せになれるかな? 違うよね。だからナミさんはみんなを好きになったんだ」
口からするすると紡がれる言葉は、飾ったものではなかった。アマヤの本心そのものだった。
「だめだよ。どうせ避けられない傷なら、みんなでちょっとずつ痛くなろ。そしたら治るのも早いでしょ」
最後に、彼はナミの顔に残った涙と土の汚れを、そっと布で拭き取った。どうか、もうこんなもので彼女の頬が汚れませんように。ずっと、笑っていられますように。きっとそうなるとは知っていても、祈りを込めずにはいられない。
「はい、終わり。こんなのはもうこれっきりにしてね」
ナミが、小さく息を呑む。
「でも、アーロンは」
「アーロンはルフィくんたちが倒すんだよ。ようし、僕も微力ながら助太刀してこようかな。ナミさんはどうする?」
「私も、行くわ。いっぱい泣いたらスッキリしちゃった。あとはアーロンをぶちのめすだけだもんね」
「その意気だよ」
汚れを取り去って立ち上がった彼女はなんだか僅かに輝いているように見えた。それはそうだ。あんなに力強く、自分の味方をしてくれる人がいるのだから、街のみんなだってずっと大切に思っていてくれたのだから。もう一人っきりで戦わなくてはいけない女の子はいないのだ。
もしかしたら彼女はまだ行き着く先が地獄だと思っているかも知れないけど、それでも連れ合いがいるというだけで人間は心底安心する。もちろん、行き着く先は地獄なんかではない。
***
「ごめん、みんな!!!」
ココヤシ村に到着したナミは、曇天を晴らすように叫んだ。顔にはもう迷いはなく、ただまっすぐに前を向いている。
「私と一緒に死んで!!!」
「ぃよしきたァ!!!」
いきりたつ村人たちを横目に、アマヤは一歩引いて周囲を見渡した。誰がどこへ向かうか、どれが今「自分の役割」になるかを、冷静に判断する。
そんな彼の耳に、すぐに怒鳴り声が飛んできた。
「おいアマヤ! 足止めしとけ!!」
「僕は荒事は苦手だってばぁ」
アマヤは大仕事を任されたことを理解し、ため息をつく。
ナミは、華奢なアマヤに魚人の相手を押し付けていったサンジの判断に、一瞬目を見開く。だが当の本人はまるで気にした様子もなく、ナミに向き直り、落ち着いた声で言った。
「ナミさん、あの大怪我人。無茶しないように見張ってて」
ナミは言われるがままゾロに目を向け、ようやくその傷の深さを確認した。息を呑む。そして納得する。あれでは確かに、まともに戦えないだろう。アマヤがあれほど気にしていたのも頷ける。
「あ? シャハハハハ!! どんな加勢を連れてきたかと思えば、その弱そうな人間の女一人か? おいナミ、おれも舐められたもんだな!!」
「……く」
ナミが歯を噛みしめるも、アマヤは不安を解くように柔らかく笑った。
「ああ、大丈夫大丈夫。僕の見た目がこの通りひ弱なのは事実だから。でも1個体を数十秒足止めするくらいなら」
見た目がなよなよしいことなど、本人が一番よくわかっている。だからこそ、あえてその外見通りに振る舞っている節もあるのだ。油断は、戦闘でも交渉でも最高の調味料だ。侮ってくれる相手ほど、扱いやすいものはない。
事実、アーロンの一撃はもはや攻撃というより羽虫を散らすような追い払いの仕草に似ていた。大振りのテレフォンパンチにわざわざ当たってやるほどアマヤは親切ではない。彼が軽くバックステップでそれをかわすと、アーロンの口元が、わずかに引き攣った。
二発目。今度は掴みかかろうとする勢いに乗せて、肩でぶつかるような体当たり。
だが、それも空振り。
三発目。力任せに突き出された手の平を、するりとかわすと同時にアマヤは後ろへ下がった。
三発も外されれば、さすがに相手も学ぶ。しかし、アマヤもまた、感触をつかんでいた。魚人相手の実戦は初めてだったが、スピード的にはついていける。
ならば、もう少し、煽っても大丈夫そうだ。
「意外とのんびりしてるんだね、アーロンさん」
「! まあ最低限機能はするらしい」
アマヤの軽口に、アーロンの目が細まり、その瞬間からアーロンの動きにわずかな鋭さが加わる。
だが、それでもまだ、全力には遠い。本当に仕留めたいなら、ためらわずに最速で突くべきだ。今のままでは、アマヤの視覚と身体は、その速度に順応してしまう。
「手応えが! ねェ!!」
「当たったら痛いでしょ!!」
「ちょろちょろすんじゃねェ!!! イラつくんだよ!!」
「……ッ、ひゃ」
耳元で牙が噛み合わさる音がした。空気が割れ、熱が奔る。わずかに髪を掠めていったその刃に、アマヤは全身を粟立たせながら、背を弾くようにかわした。首を狙われた。はっきりと殺意があった。
それでも、心臓は静かだった。
アーロンの大振りの平手を、まさに紙一重で回避した瞬間、すれ違いざま、アマヤは極細の針を、その鮫肌の隙間にそっと滑り込ませた。
一度、二度、三度。避けざまに刺す。目立たぬよう、しかし確実に毒を送り込んでいく。数発を受けた後、ようやくアーロンの目が鋭く動いた。
「んだァ? こりゃあ」
「えーっと……、ゾウでも、は言い過ぎか。人間なら麻痺してくれる程度の神経毒。この後キミになりきって推理ショーするってわけ」
涼しげに返した次の瞬間、アーロンの剛腕が風を裂いた。針は、瞬く間に払い落とされた。
「効かねェな」
「刺さったと思ったんだけどなあ。それか、魚人族のフィジカルには負けちゃったか」
「ただ……、このおれに針を刺しといて気付かせねェ機動力は、厄介だ」
アマヤは無理なく後ろへ下がりながら、再び距離を取る。
ただし、アーロンの表情には、今度はわずかな緊張が混じっていた。
「わ!! ……ぐ」
その声と同時に、アマヤの視界が跳ねた。一瞬の隙を突かれ、鋭く伸びた手が、彼の片腕を掴み取る。
鮫肌はざらついていて、そして驚くほど温かかく、アマヤはこの緊迫した空気の中で魚人も人間も変わらないじゃないか、と呑気な感想を浮かべていた。
「とはいえ捕まえちまえばそれまでか。シャーッハハハ!!!」
どう抵抗してやろうか、と考えながらぶら下げられていると、観念したと判断されたらしい。アマヤの可憐な身体を釣り上げた魚の如く掲げ、アーロンは機嫌よく高笑いだ。
「くやしがることはねェ……どのみちてめェら全員、死ぬんだよ!!!」
怒声が響き渡る中、アマヤの名を呼ぶ声が重なった。
「アマヤ!!」
「来ちゃだめ!!!」
駆け寄ろうとしたナミを、アマヤが鋭く制す。その瞬間。
「戻ったァーーッ!!!」
「ゴム野郎」
あの伸びやかな大声一つ。気付けばアマヤはルフィの腕に絡め取られ、引っ張られ、その縮む力によって遥か大空へ放り投げられたのだった。喜ぶより先にとてつもない浮遊感で胸がひんやりとする。視界が青い空一つになる。
とぼん。
水面に落ちる音は軽やかだったが、体は容赦なく沈む。大体身長五つ分以上は沈んだだろう。どんな高さに放り出されたかがよくわかると言うものだ。
だが幸い、アマヤは泳ぎが得意だった。水中で一瞬瞼を閉じて、冷静に浮上の動きを始める。
やがて岸に着くと、そこには先客がいた。サンジが地面に腰を下ろし、気だるげに足を投げ出している。
彼もどうやら観戦モードに入ったらしい。
「……最後のフリーバンジーが一番怖かったッ」
ぬれ鼠のまま訴えれば、返ってくるのはそっけない一言だった。
「そりゃお前後でルフィに言え」
「えっ、船長さんに? ……いやいやそれは、いやちょっと」
腰を下ろしたまま、アマヤは引き攣った笑みを浮かべて頭をふるふると振った。サンジに文句を言うのと、ルフィに進言するのとでは訳が違う。
なにしろ相手は主人公だ。全力で振り回される側だと自覚しているアマヤにとっては、もうどう足掻いても抗えない存在なのだった。
とはいえ、そんな理屈を目の前の男に通せるとは思えない。濡れた髪をぱさぱさと振って水を飛ばしながら、アマヤは観念したようにその隣に腰を下ろした。ちょっとした映画でも眺めるような気分で、穏やかな視線を正面へ向ける。
サンジは横目でちらと彼を見て、眉の片方をぴんと跳ね上げた。
「? 妙に余裕かましてンな」
「だってルフィくんだよ。もう僕たちが神経すり減らすことはないから」
それは揺るぎない確信だった。ようやく見つけた、特等星。この海ばかりの世界で、誰よりも輝く夜明けの導き手だ。
「幾多の星の中で一等激しく輝く彼を信じずしてどうするの。これは夜明けなんだよ。僕は彼が頂点で輝くところまで見届けたい。見て、ううん、もう見てられないほど」
指差した先には、魚人たちを圧倒するルフィの姿があった。常識や理屈を超えて、ただ圧倒的な意志と力だけで突き進む、その姿がアマヤには眩しくてたまらない。
「道筋はともかく。行き着く先には平和と幸福があるよ。そんな性格してるでしょ」
「どうだか」
「痛みを分け合う相手は多い方がいいから……だから僕もいいかな、一緒に行っても」
「……あいつが勝ってから悩めよ」
「ふふ、勝つよ。見てて」
アマヤは静かに笑った。
それにしても、とサンジは横目でちらとアマヤを見る。
まるで何年も前からルフィを知っているかのように語るその口ぶりが、不思議でならなかった。
