東の海


 傷も塞がらず、血だって足りていないであろうゾロは、それでもこの船の誰よりも好戦的である。その好戦っぷりを悪とされ、縛り上げられているのである。アマヤはあまりの扱いに苦笑しつつ、包帯越しに上体の傷を矯めつ眇めつする。素人の縫合云々以前に負傷から間を置いていないというのが問題だ。生成色だったはずの包帯はじんわりと紅に染まっている。
 
「おいてめェらどういうつもりだ縄をほどけ!!」
「無理すんな、叫ぶだけで気絶しそうなくせに」
 
 安全第一のウソップは大事な仲間をマストに括り付けて、やはり平気な顔である。
 
「お前死にかけてたんだぞ?」
「その死にかけたお兄さんを船に括り付けるのは……」
 
 アマヤが口を挟むと、ウソップはきっぱり言い切る。
 
「大丈夫大丈夫、口がきけるくらい回復してんだ。あとはルフィ達が来るまで勝手な行動しないようにしとかねェと」
「……うーん」
「オラ、てめェがほどけよじゃあ」
「うーーん……。ウソップくんの言うことにも一理あるなあって。全然傷塞がってないのに本拠地に突っ込んで行きそうだもんね」
「心配すんな、負けねェから」
「あらら」
 
 凶悪なまでにドスの効いた笑顔だが、首から下は致命傷といって良い大怪我、そしてロープによる拘束だ。これを解き放つ方が危険だというウソップの意見も尤もである。
 どちらが安全なものかしら、と思案しているうちに、陸の方から、怒声が響いた。魚人の見張りがこちらの船に気づいたらしい。
 
「何だあの船は! 見かけねェ船だ!!」
「脱出!!」
「御意っ」
「おっと」
 
 掛け声と同時に、ウソップは素早くアマヤの腕を掴み、共に海へと飛び込んだ。どうやら彼なりの気遣いらしい。おそらく、アマヤを「か弱いウエイター」として扱っているのだろう。だが、実のところ、実家の教育方針に加え、バラティエでの数年の鍛錬を経たアマヤは、それなりの戦闘力を身につけている。なぜレストランにおける一介のウエイターが鍛錬を受ける羽目になるかは言わずもがなである。
 それよりも、この中で一番大怪我をしている人間を一人残していくのは、いかがなものだろうか。アマヤは水面を通り抜ける衝撃を受け止めつつ、船上の男の傷に思いを馳せた。アマヤは他人が物理的にでも、精神的にでも、傷を抱えていると落ち着かないのだ。
 
 三人でどうにか陸地に上がり、ウソップは気まずそうに頭を掻いた。
 
「あー、アマヤ? 思わず連れてきちまったけど」
 
 アマヤがゾロの容態を気にしていたことを理解しているからこそ、彼は少し居心地が悪そうだった。会ったばかりの相手にも──だからこそかもしれないが──こうやって配慮してくれる優しさに、アマヤは微笑みで返すことにする。
 
「ふふ、ありがとう。……でも、大丈夫かなあ。お兄さん、怪我……」
「まァ、な。あいつは規格外に強いからな。大丈夫だ!! ……ということにしておこう」
 
 大丈夫なことは実は知っている。それでも、そわそわとした落ち着かなさがこびりついて離れなかった。
 
「どうしよう、考えてたのだと今の通りだけど……でも」
 
 原作の流れは把握していたし、ある程度それを変えずに同行する方法を計画していた。
 だからこそ、ここではウソップと共に行動するのが最も明快だと判断できるだろう。魚人に追い立てられはするものの、この島での重要人物とも出会える。正しく物語を追える。そのはずだった。しかし。
 
「やっぱり心配だからちょっと別行動させてもらうね」

 どうにもアマヤの脳裏にはあの滲む血液でぐずぐずになった包帯がちらつくのだった。

「あ、オイ! アマヤ!」
「大丈夫、割とかくれんぼは得意なんだ」

 言うなりアマヤは体の水気を切って魚人たちに連れ去られた小舟の後を追い始めた。残された男二人はその意外な速度に目を見張り、十分な静止もできずに終わったのだった。

***

 アーロンパークのはずれ、ひっそりとした影の中、アマヤは得意の隠密行動へと突入していた。星読みをしながら旅をするアマヤの実家一族は、時に刺客のように闇に紛れる仕事も請け負うことがあった。流れものに後ろ暗い生業はつきものである。

 見張りをしていた魚人が二名。どちらも、目を見開いたまま静かに崩れ落ちる。彼の手には、細い吹き矢と、精巧に調合された即効性の麻酔薬が握られていた。これを実家で教わった時には、某少年名探偵を思い出して笑いが止まらなくなったものだ。もちろん家族には心配された。
 中からは、盛大な戦闘の音が聞こえている。柱を軋ませる衝突音、怒号、咆哮など。だが、アマヤの周囲には、もう動く影はない。
 アマヤはその二人を黙らせただけだというのに、ややもすればアーロンパークに動く魚人の気配はなくなっていた。主要メンバーは出かけているタイミングというのもあるかもしれない。そのほとんどを大怪我人にのされるというかたちで魚人の拠点はあっという間に制圧されてしまったのだった。
 
「どうしたもんかね、面倒なことになってきたぜ」
「……一足遅かったかあ。傷口、開いてない?」
 
 大怪我中のはずの剣士は、しかしまるでけろりとした顔でアマヤを見とめる。とはいえ友好的な態度ではない。彼の認識では、アマヤは自分をマストにくくりつけたまま逃亡した相手だからだ。
 
「あ? テメェ、ウエイター、どこ行ってやがった。人を縛り上げといて」
「ウソップくんに道連れされてたんだよ。……うん、でもお兄さんが無事でよかった。一時はどうなることかと思ったから」
「死なねェよ、あんなんじゃ」
「あと縛ったのはウソップくんで」
「同罪だ」
 
 言い訳を断ち切る鮮やかさはさすがの剣士である。手渡した生理食塩水もどきの皮袋を一息に口に絞りいれ、ゾロは改めて今後を思案し始めたようだった。
 
「お兄さんはこの後どうするの? 大体の流れはウソップくんとジョニーくんに聞いてるけど、その航海士さんがどこにいるかとか、ルフィくんたちがどうなってるかとか分からなくて」
「分かっててここにきたんじゃねェのか」
「うん。お兄さんの気配を辿ってきただけ」
 
 ゾロの眉の間にぐっと深い皺が刻まれた。
 どうやらアマヤへの不信感が、静かに、しかし確実に募っているらしい。それもそのはずだ。彼はまだまともな自己開示をしていない。それなのに一方的に知り合いのような態度を取れば、不信感も当然だろう。
 
「え、ええっとね。僕元々生業は占い師で。探し物とか探し人が得意でねっ。それできっとこの場所だって」
 
 アマヤは、慌てるように言い訳を並べる。だが、ゾロの次の言葉は、まっすぐに核心を突いてきた。
 
「……元々ここがどこでおれ達がどうなるか知ってた、じゃなくてか」
 
 その指摘に、アマヤは一瞬だけ目を見開いた。図星だ。あまりにも。
 けれど、表情にはそれを出さないよう必死に努める。心の中では彼の洞察力に舌を巻きながら。
 
「そんなわけ!」
「ついさっきその航海士に手のひら返しされたばっかりだからな」
「……そうなんだ」
 
 ナミが不本意にも魚人の仲間として振る舞っていることを示す話題が出た瞬間、アマヤの表情にふと陰りが差した。あの悲しい境遇を、よく知っている。幼い頃から背負わされた苦しみと、何よりも誰にも言えなかった罪悪感。ひとりぼっちで戦った彼女がどれだけ不安で辛かっただろう、と。
 
 どうか、早く救われてほしい。そう願ってはいる。けれど、それでも原作の流れを変えるつもりはなかった。彼女のために選ばれた救済のタイミングがあると知っているからこそ、アマヤはその一点を崩すつもりはない。
 
「それでも、……連れ戻しに行くの?」
「船長命令だ」
 
 ゾロの答えは簡潔だった。だがその裏には、すでに固い覚悟があると、アマヤにはわかった。
 
「そしたら、占ってみようか。星が出ていれば間違いないんだけど、今は昼間だからなあ」
 
 不自然に明るい声音で、アマヤはしゃがみ込み、岩を手に取った。
 ゾロはもちろん彼を疑って、敵意を向けられればすぐに攻撃できるように準備するが、特段今のアマヤの行動を止めようとはしない。一旦判断の保留である。
 岩をいくつかごつごつ積み、影に合わせて何本か線を書く。ちょうど崩れたところでその形や影を読む手法だ。古めかしいが、占いらしくて、これをアマヤは割と好んでいる。
 
「太陽も広義で見れば星だから、太陽に聞くことにしよう」
 
 卜骨や卜甲みたいに自然物が生み出す兆候から意味を見出して占うのは古典的だが効果のある方法、らしい。あくまで直感的に、そこに思考を入れずに選んだいくつかの岩が運命的兆候を示すのだ。こうであってほしいと気持ちが入ってしまったら失敗するから、無になれれば無になれるほど良いと教わった。
 とはいえやっていることが子どもの遊びやお巫山戯に見えるのは逃れようのないことだ。アマヤは降り注ぐ胡乱な視線をわざと知らんふりして明るく言い放った。
 
「うーん、ここから東、ちょっと北東? の方角だと思う。僕ここに来るまでに一つ村を通ってきたから、そこかなあ」
「……うさんくせェな」
「確かに、占いは絶対じゃないからね。でも一つ目の手がかりにするだけならいいと思わない?」
 
 どうせなら、自分の意思ではなく、占いの結果として提示した方が受け入れてもらいやすい。警戒心の強い剣士は明らかにアマヤを疑っていた。そこへ来てこの不審な人物が根拠もなく指針を示したところで納得は得られないだろう。
 だからこそ、アマヤはあえて中立的な偶然の兆しに頼って進言したのだった。
 
 そしてふたりが歩き出そうとしたそのとき、彼らの前に八本足の魚人が現れる。あわや刀を交わすかと思われたが、ハチの言葉の端々に含まれる情報から、ナミの向かった先と、アーロンの現在の位置が明らかになる。
 
 アマヤが占いで指した方向が正しいと証明され、それを聞いたゾロは、またも眉を寄せながらも、何も言わず頷くだけだった。こうして、二人はハチの案内に従い、ココヤシ村を目指して出発することとなった。
 
***
 
 ココヤシ村には無事到着した。けれど、やはりというべきか、すでに入れ違いになっていたことが判明する。
 道を間違えそうになる迷子男を、アマヤはその都度引き戻しながら、正しい進路へ誘導した。もし放っておけば、彼はほぼ確実に見当はずれな方向へ突っ込んでいたに違いない。
 
 道中、海岸線の方から爆発音が聞こえる。確か、物語だとサンジの買い出し船に轢かれるのだったか。
 轟音と共に予定通り飛び込んできた買い出し船を、しかしアマヤたちは余裕をもって回避することができた。これが原作知識チートというものだろう。アマヤは満身創痍の剣士を更なる怪我から守れたことに安堵する。
 
 そして、大破した船の残骸から、人影が現れる。その中に、アマヤのよく知る顔があった。この数年間毎日のように見ていた、慣れ親しんだ横顔だ。心がふっと緩む。サンジもこちらに気づいたらしく、ニヤッと片方の口角を持ち上げていた。
 
「ちょっと! 危ないでしょう! ただでさえお兄さんは大怪我してるんだよ! も~、気をつけてよ~」
 
 まるでそこにサンジが現れることを知っていたかのような言い方に、ゾロはまたしても一つ、アマヤに対する不審点を追加したようだった。
 そんな視線には気づかず、アマヤは嬉しそうにサンジの元へ駆け寄る。
 
「いやおれじゃねェ。あの牛のせいだ」
「牛。……それよりこれって」
「ああ、おれの船だよ。畜生、せっかく設備のいいのを買ったってのに」
「サンジくんは痛いとこない?」
 
 ほんの少し前まで同じ店で働いていたサンジとの会話は、海外旅行中に偶然日本人と出会った時のような妙な安心感がある。
 アマヤは自然と手を伸ばし、世話焼きの姉か兄のようにサンジの体を確かめようとしたが、その手は、ぱしんと小気味よく叩かれた。
 
「舐めんな」
「元気ならよし」
 
 短いやりとりの中に、バラティエで培った信頼と遠慮のなさがにじんでいた。
 だが、二人が穏やかに無事を確認し合うその傍らでは、別の空気が急速に加熱していた。
 
「お前もういっぺん言ってみろ、ぶっ飛ばしてやるからな!! デタラメ言いやがって!」
 
 主人公の絶叫がびりびりとアマヤの鼓膜を揺らす。心も気持ちもさらけ出せるって、羨ましいようで、怖いようで、基本的に押し隠してしまう側のアマヤとしては、それがどうにも眩しい。
 
「おれ達は仲間だぞ!!」
「だれが仲間だって? ルフィ」
 
 アマヤにとってはただただ眩しい船長だけれど、追い詰められたナミにとっては目も肌も焦げ付かんばかりだろう。手酷い拒絶でしか表現できなくなっている心境を見るだに涙が出そうになる。とはいえ出会って間もないアマヤが詳しい事情を聞きもせずに嗚咽していたら情緒を疑われるばかりであろうから、彼はつま先の石ころに集中して心を殺した。
 ナミが言いたくもない暴言を放ち、それで紛れもなく自分を一番傷つけているところなど、見ていられなかった。
 
「……サンジくん」
 
 その場の空気に押され、自然とアマヤは唯一の知己である金髪男の後ろに隠れていた。
 
「おう、アマヤ、静かだったな」
「僕修羅場苦手。知ってるでしょ」
「ナミさんな。美人が怒ると迫力あるよな。ま、あの美貌に曇りはなかったが」
「ナミさんはさ、あの怒り方は恐怖が由来の防御反応にしか見えなかった。だから怖くないよ。怖くはないけど、……でも、悲しいね」
 
 バラティエで耳にした罵声は、互いの性質をよく知った上での掛け合いだった。
 だが今のそれは違う。理解を目指さず、拒絶にのみ特化した言葉は、聞いているだけでも痛みを感じる。
 
 ひとまずの喧騒が落ち着くと、そこからは3人で船長の昼寝待ちが発生してしまう。
 アマヤとしてはできればウソップの交通事故も回避してあげたかったのだけれど、そちらの運命はどうしようもなかった。喧嘩をふっかけたサンジと元気に受けて立ったゾロに挟まれ、ビッグニュースを携えた重要人物は哀れぺちゃんこになってしまったのだった。
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