〜シャボンディまで

 ぼったくりバーの薄暗い空間で、一行は思いがけない昔話に耳を傾けていた。海賊王の副船長だったという伝説の男。その声は落ち着いており、酒場に集う者たちの心を静かに引き込んでいく。
 
 その輪の外れで、けれどアマヤはどこか落ち着かない様子だった。椅子に座りながらも、おどおどと数分ごとに窓の外を窺う。落ち着きなく指先を弄び、まるで何かが迫ってくる気配に敏感すぎる小動物のように見えた。
 傍らではゾロが椅子にもたれかかり、じっとその様子を眺めている。
 
「なんだお前きょろきょろと」
「……ここが絶対の安全地帯じゃないでしょう」
 
 周囲の気配に耳を澄ませながら、低く答える。
 
「すげえ話だぞ、聞いとけよ」
「もう、夢で一回聞いてるから大丈夫」
 
 元々眇められていたゾロの目がさらに細くなる。当初は知ってほしくなさそうだった予知夢のことをもはや隠そうともしない。いや、その余裕がないだけかもしれないが。
 アマヤはまた窓の外へと視線を送り、ため息をひとつ。何度も何度も、静かに気配を確かめている。
 
「……何が起きるか聞いといてやろうか」
 
 その言葉に、アマヤは一瞬ぎょっとしたような顔でゾロを振り返る。絶望しているのか、喜んでいるのか、提案した側からは判別しづらい複雑な表情である。三秒ほど唇を噛みしめて迷った末、小さく首を振った。
 
「それはなんか、違う気がするからいい。……気を遣ってくれてありがとう」
 
 そのとき、レイリーがふいに席を立つ。
 
「船は……41GRだったか。私が勝手に行って来よう。キミらどうするね?」
「ここにいても迷惑がかかるから、じゃあ、どっかで……ショッピングする?」
「ほのぼの人生かお前!! 追われてんだ、身を隠すんだよアホめ!!」
 
 ナミは目の前に危機がないとき、時折、こうして楽観的になる。その明るさに、アマヤはほんの少しだけ、肩の力を抜くことができた。
 
「そうだな、おれ達が一緒にいたらそこに追っ手が来るかも知れねェ」
「じゃあおれ達ァ適当にバラけて、仕上がりの時間にそこへ集合でいいだろ」
「計画的に集合とかてめェ……、どの口が言うんだ」
 
 すでにゾロが向かおうとしているのは41GRではなく、1GRであったことはここまでの会話で明らかになっていたが、彼は自分が目的地を見失うことに対して一切自覚しようとしない。
 やがて、一味は三日後の再会を約束し、シャッキーのバーを離れることになった。静かな覚悟と、どこか不安な余韻を残して、一行は扉へと向かう。
 
 しかし、一呼吸も置かないうちに、店の外には巨大な影が現れる。その圧倒的な存在が、ひと目で場の空気を変えてしまった。なにしろ、この男には一度、敗北を喫しているのがこの一味だ。
 アマヤは無意識に眉間に皺を寄せ、鋭い視線でくまを睨みつけていた。
 
「こいつかよ」
 
 ゾロが重く呟く。アマヤが警戒していた相手がよりによってこれだったかと、短くため息をつき、刀を静かに咥えた。
 
「もしかしてスリラーバークで後で来たって言ってた奴か!?」
「ああ! コイツがそうだ。あの時は手のひらの”肉球”から衝撃波を撃たれてえらい目に遭ったんだが」
「あそこでおれ達を全滅させたつもりだったけど、生きてることに気づいて、また来たんだきっと」
 
 一同は臨戦体制に入り、それぞれが静かに、しかし確実に武器や体勢を整えた。
 
***
 
 全員が文字通り力を振り絞った末、くまに酷似した巨大な兵器がようやく沈黙した。呼吸が乱れ、身体中に擦り傷とうちみ、張りつくような筋肉疲労が広がっている。奇跡的にも、致命的な怪我だけは免れた。だが、その奇跡すら、いまはただの消耗の上に成り立っている。
 
「ハァ……、ハァ、あいつ、無茶しやがって」
 
 サンジは、瓦礫の陰に倒れ込んだゾロの様子を気にしていた。もともとダメージを抱えていた彼にとって、この戦いはあまりにも苛酷すぎる。
 
「……でも、ここで守られる方が……ハァ、きっと嫌だよ、彼」
「守る守られるの話じゃねェだろ。戦力として計上するべきじゃねェってだけで」
「──それは、そうだけど」
 
 サンジは険しい声で言い返す。その目はまだ、完全に気を抜いていなかった。アマヤも、反論する言葉を持たないまま俯く。
 呼吸を整えたサンジは立ち上がり、倒れた兵器の側へと歩み寄る。ナンバリングされた無機質な数字が、さらに不穏な未来を連想させた。もしかすると、この型が他にもいるのではないか、そんな悪寒が、背中を撫でていく。
 
「……ハァ、ちょっと……休もう」
 
 瓦礫の上、ルフィは全身の力を抜いて仰向けに寝転がっている。呼吸が荒く、指一本動かす余裕がないように見える。
 
「……休みてェが、まず身を隠した方がいいな……、今また見つかったら、おれら一網打尽だぞ」
 
 サンジが静かに言い添えた。言葉の端に、不安がわずかににじむ。
 
 だが、その不安を現実にするように、再びくまのような兵器と、見知らぬ男が現れる。圧倒的な戦力差を前にして、今ここで立ち向かうことの無謀さを、ルフィも即座に悟った。
 
「ハァ、……ハァ、ここは逃げよう!! 一緒じゃダメだ!! バラバラに逃げるぞ!!」
「逃げるの賛成!!」
「おれ達は3人別れよう!!」
 
 ルフィは自身と同等の戦力を分散させる意味で、サンジとゾロを逃亡チームの主力とする選択をする。彼はそのうちの一人がひどいダメージを抱えていることを知らないのだ。
 
「ゾロ君はおれを全力で守り抜きなざい”ね! ね”!? 頼むよ」
 
 ウソップがしがみつくような勢いで懇願する。ゾロは思わず呻き声を漏らし、顔をしかめた。
 
「ウッ!! ……ちょっと待て!! ウソップ、おれはもう相当……」
「ご安心を! 私がカバーします!!」
「ウソップくんもらうね」
 
 アマヤとブルックがゾロのカバーに入る意思を示したことで、ウソップはようやく覚悟を決めたのか、自力で走り出した。さすがにアマヤに背負われるのは、男としてのプライドが許さなかったらしい。
 それを見て、アマヤは柔らかく唇をほころばせる。
 
「目くらまし、できるよね?」
「!! ──そうか!」
 
 次の瞬間、ウソップは振り向きざまにパチンコを一つ唸らせた。音とともに、濃い煙が見える範囲すべてに広がり、世界の輪郭がぼやけて消える。視界は灰色の帳で閉ざされ、誰もが一瞬、息を呑んだ。
 
 ウソップはその隙に、誰よりも早く駆け出す。煙の中をすり抜けるように、必死で逃亡を決め込む。
 だが、その煙の向こう、ただならぬ気配が空気を震わせていた。アマヤは反射的に立ち止まり、息を呑む。煙の向こう側に、一部だけが異常な光量を放っている長身の男性の影が、ぼんやりと見えた。
 
「ウソップくん、止まって!!」
 
 思わず声を張り上げる。緊張が一瞬で肺の奥を冷たく駆け抜けた。
 煙の向こう、異様な光量が一点に集まり、放たれるエネルギーが向かおうとしている先が自分で避ける体力も残っていないゾロであることを、アマヤははっきりと認知した。直感が、咄嗟に身体を動かす。
 
「──っ!!」
 
 ほとんど反射のように、アマヤはゾロの腕を掴み、そのままウソップの方へと勢いよく投げ飛ばした。ウソップは突然の重みに驚き、尻もちをついてゾロを受け止める。
 その瞬間、アマヤ自身は体のバランスを失い、遠心力のまま、もともと彼がいた位置へと投げ出されてしまった。
 
 庇われたゾロと、呆然とするウソップ、ブルックの三人が目を見開き、絶望的な顔をしてこちらを見ているのが、はっきりと視界の端に映る。あの空洞の眼窩ですら、最大限に見開いているように感じられたのがやたらと愉快で、アマヤは思わずへらりと笑った。
 
「アマヤ〜〜〜!!!」
 
 仲間の声が、煙と光の中で細く響いた。次の瞬間、アマヤの視界は白熱する光でいっぱいになり、全身を焼き焦がすような熱が襲った。
 
「──ガ、はっ……! う」
 
 気を失いたいと切実に願ったが、地面に叩きつけられる衝撃で、皮肉にも意識はまた現実へ引き戻された。どこで何をしているのかもわからない。ただ、圧倒的な苦痛だけが、全身に、骨の奥にまで満ちている。
 
「ア、ア、アマヤさ〜〜ん!! アマヤさんがビームをくらったァ!!」
「──クソッ」
 
 ブルックとウソップが慌ててアマヤの倒れ伏すところへ駆け寄り、ゾロもまた、体力の限界で両腕を突っ張り起き上がろうとするが、一度力尽きて崩れ落ちる。
 
「おやァ……、”海賊狩りのゾロ”を仕留めたつもりだったんだがねェ〜……」
 
 煙の帳を割るように、長身の男、黄猿が姿を現した。その声は奇妙に淡々としていて、凶悪さを強調することもなく、ただ感じたことを並べているだけに聞こえるのが恐ろしい。
 
「可愛い顔して、”暗器使い”も意外と動ける……。先に消しておくかねェ」
「……や、やだなあ。この可愛さに免じて見逃してくれてもいいんだけど」
 
 アマヤは、力なく冗談を挟んでみせる。声はひどく掠れ、痛みで震えていた。
 
「それができりゃァ、組織じゃないねェ〜……」
 
 黄猿は微笑ともつかぬ表情を浮かべる。そのまま、一歩も動かぬままに足元の光を強くした。
 
 アマヤは渾身の力で片腕を動かし、地を這うようにしてその場から転がって逃げようとする。
だが、黄猿は姿勢を変えぬまま進路の先に現れ、無造作に足でアマヤの体を止めた。冷たい地面が骨に響き、力が抜けていく。
 駆けつけたウソップとブルックが、必死に黄猿へ攻撃を仕掛ける。パチンコの弾丸も、剣の一撃も、ことごとく空を切った。
 
「畜生!! 何でだ!? 当たらねェ!! その足をどけろォ〜〜!!」
「刺さりもしません!! ちょっと!! どうしたら」
 
 アマヤは、こんなふうに仲間に必死になってもらうのも、案外悪くないかもしれない、と淡い諦念を抱きながら、目の前の光る足をじっと見つめた。全身があますところなく痛み、痺れ、筋肉がもはや言うことをきかないのだ。これ以上動ける気配はない。ただ、静かにその場で身を任せるしかなかった。
 
 少し離れた場所で転がっていたゾロが、気力を振り絞って立ち上がり、アマヤのもとへ走り始める。
 
「そう慌てなくても全員死ぬよォ〜、順番、順番」
 
 黄猿は、飄々と、たっぷりと間をとって恐怖を煽る。
 その足が振り下ろされる直前、アマヤはゾロの方に顔を向け、にやりと笑った。今度こそ庇ってやったぞ、ざまあみろ、と、ことここに及んで渾身の負けず嫌いである。
 
「──へへ、……お返し」
「!!」
 
 つま先が振り下ろされ、まばゆいビームがアマヤの顔半分を真白に照らす。瞬間、その軌道が白髪の男、レイリーの蹴撃によって、横に逸らされる。
 アマヤに着弾するはずだったエネルギーがマングローブを削り、世界がひと息、静けさに包まれる。きっとここで横槍が入るだろうと予測はしていたが、間近だった死が遠ざけられたと分かり、アマヤは溜め込んでいた息を吐いた。
 
「──あんたの出る幕かい、”冥王”レイリー……!!」
「若い芽を摘むんじゃない……、これから始まるのだよ!! 彼らの時代は……!!」
 
 その隙をついて、ウソップは再び崩れ落ちたゾロを引きずるようにして走り出し、ブルックはアマヤの体を軽々と抱え上げて、瓦礫の間を駆け抜けた。だが、もはや満身創痍の一味はパシフィスタと戦桃丸の猛攻に翻弄され、成すすべもなく追い詰められていく。
 
 突如として、ビームの閃光がブルックを弾き飛ばす。抱えられていたアマヤの体は宙に舞い、大きくて硬いもの、鉄の塊か、瓦礫か、もはや判別もつかない何かにぶつかり、そのまま地面を転がった。
 
「待て……「PXー1」!!」
 
 巨体に似合わぬ、柔らかい声が耳の奥で反響する。それは、不思議なほど静かな響きだったが、一味にとってはむしろ恐怖を煽る響きだった。けれども、アマヤはそれらの全てを聞き取ることはできない。疲労と痛みが臨界点を超え、思考にゆっくりと雲がかかるように意識を手放したからだ。
 
「え、え〜〜〜!! また出たァ〜〜っ!!」
「ああ、これは。あの一族の嫡男か」
「……おい……!!」
 
 くまは感情の読み取れない目つきで一同を見渡す。
 
「生きていたのか、ロロノア」
「お前の……慈悲のお陰でな」
「……旅行するなら、どこへ行きたい……?」
 
 いっそ静謐な、静かな問いかけの直後、ゾロの姿が、音もなく掻き消えた。
 それを皮切りに、一味は次々と消され、バラバラにされていく。誰もが一瞬で、世界から消えていった。アマヤは、その一切を、当然自分が飛ばされる瞬間をも観測することができず、意識の闇に沈み続けたのだった。
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