〜シャボンディまで
「ウソップくん、作って欲しいものがあって」
その一言を受け、途端にウソップの顔が明るくなる。フランキー加入以降、自分のモノづくり担当としての出番が減ったことに、実は少し寂しさを感じていたのだ。そんな彼にとって、頼られるというのは何よりの特効薬だった。
それにここ数日海は凪ぎ、目立ったトラブルもないことから退屈していた。アマヤの依頼はウソップにとって大歓迎なのだった。
「やっぱおれ様じゃないと生み出せないものがあるってことよなァ」
鼻高々に(元々高いが)胸を張るウソップの姿に、アマヤは小さく微笑む。微笑んだまま、懐から小さな布袋を取り出し、クラシックな意匠の吹き矢筒を取り出して見せた。
「そうそう。麻痺毒とか催眠毒とかを仕込んだ吹き矢をね、改良したくって。どうしても口と手の両方が塞がるのが嫌なの」
「想像の5倍物騒な単語が出てきてビビったぜ」
艶のある黒木に細工が施された筒を指先で撫でるようにしながら、アマヤはさらりと危険な単語を並べる。その無邪気な口調とは裏腹に、かつてその吹き矢が幾度となく人の意識を刈り取ってきたことを思えば、確かに“危険物”と呼ぶにふさわしい。
ウソップは頬を引き攣らせながらも、それでも興味を拭いきれず手を伸ばす。吹き矢の筒を受け取ると、拡大鏡で精密な作りを確かめ、灯りにかざして内側の構造を観察する。職人の目に変わったその瞳に、アマヤは嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり腕時計型かな〜、これをウソップくんに頼むことにもの凄い違和感というか罪悪感というか、ううんごめん、こっちの話。冗談」
「? まァあんまりそれを堂々と手首につけておく必要性はねェよな?」
「できればこう、手の中に収まるようなサイズ感で、片手で射出できるといいなあ」
「ふんふん」
真剣に頷きながら、ウソップは自分の作業机へ向かう。パーツの入った小さな引き出しをいくつか開け、金属パーツやばね、薬莢の代替になりそうな筒状パーツを並べてゆく。その指先は止まることなく、考えながら組み合わせを試し始める。
アマ ヤは少し距離を置いて、その様子をじっと見守っていた。おどけて話す彼も好きだったが、こうして黙々と何かに打ち込んでいる姿はまた別の輝きがあると思う。彼の指先が生み出す未来の道具が、いつか自分や誰かを救うかもしれない。そう考えると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
手を動かしつつ、ウソップはそろりと隣を窺った。ずっとこちらを見ていたアマヤの視線は、少しも揺らがない。瞳の奥にあるのは悪意でも猜疑でもなく、ただ純粋な関心と尊敬の光でそれが妙にくすぐったい。耐えきれずに口を開いてしまうのも仕方がないことだろう。
「そういえば、結局なんだったんだあのゾンビ」
「忘れようよ」
「お前が必死すぎて印象に残ってんだよ」
アマヤはいっそ言葉を被せるほどの勢いで短く冷たく否定する。けれども、好奇心に突き動かされているらしいこの男は簡単には引き下がらなかった。
「あんな風に飛び蹴り喰らわせてるところ、はじめて見たぜ」
ウソップの脳裏には、例のワンダーガーデンでの光景がありありと蘇っていた。ギリシア風の皮鎧を纏ったゾンビに向かって、信じられない速度で跳躍し、渾身の飛び蹴りを叩き込むアマヤの姿は、普段の穏やかで柔和な印象とはまるで別人だった。彼に一角の戦闘力があることは周知だが、あれほどアグレッシブに敵へと向かっていく姿は初めてだ。なにしろアマヤは誰かを背にした防衛戦に従事することが多かったのだ。
飛び蹴りに言及されたアマヤは、とりあえず責任転嫁をすることにする。
「僕ら、師匠が一緒だから。……あ、サンジくんとね」
「そりゃァ納得だ」
「ええまあ、普段の彼を見たら分かる通り、多種多様な足技を仕込まれてきたんだ。もちろん、懇切丁寧に教えてくれるわけじゃないよ。身体に染み込ませるタイプの、ね」
「レストランだよな」
ぽつりと疑い半分で返すウソップ。どう見ても飲食店の業務内容ではない。だが、アマヤは当然のように肯定する。
「レストランだよ。たまたまオーナーが名のある海賊団の船長だったってだけで」
「そのたまたまは奇跡だろマジで」
アマヤはくすくす笑いをする。文句と蹴撃が交互に、そして同時に飛んでくる凄まじい職場を思えば、大体の場合肩の力を抜いて笑い合えるこの船は、なんと平和なことだろう。もちろん、どちらも愛しているが。
「……んで。誤魔化されねェぞおれは。察するに、あれがお前のゾンビだったんだろ」
「んんんん。そう、ですね。広い意味では」
「ゾンビに広いも狭いもねェだろ」
アマヤは思わず頭を抱えた。あれをはっきり自分のゾンビだと認めることは、彼にとって苦痛だった。
確かに自分の本質に近いものではあるが、それをこの世界の人間に晒すことはしたくない。摂理に反すると感じているからだ。だから、親切で穏やかな人間のふりをして生きてきているのに。
ところが、作業中のウソップからは追撃が一つ。
「推しってなんだ?」
「わーんっ」
鳴き声をあげて床に転がったアマヤを見て、ウソップは少し肩を揺らす。急な感情の発露に驚いたのだ。
前世の記憶による語彙、文化はここの世界の人間に通用しない。だからこそそれを全面に出すようなコミュニケーションをとっていると、ますますこの世界から爪弾きにされるような気がする。観測者ぶった素振りをすることもあったが、基本的にアマヤはこの世界に受け入れられたい。
「……ふう」
アマヤはひとしきり放心したのち、起き上がり、髪を整え、ウソップから見たら一番可愛い角度になるように調節して上目遣いをする。斯くなる上は愛らしさで押し切ってみようという魂胆だ。
「ウソップくんの意地悪。……そんな恥ずかしいこと言わせるの?」
「誤魔化しの手札多すぎねェかお前」
「だってね、あのね」
とはいえ、アマヤとて全てを誤魔化して有耶無耶にしたいわけではないのだ。恥ずかしがりの彼は、少しだけ本音をちらつかせ、それで手打ちにしてもらうことにする。
「あれが僕のゾンビだったとして、なんというか、みんなの知ってる僕とは結構かけ離れているでしょう? サンジくんのゾンビも、ゾロくんのゾンビもあんなに本人にそっくりだっていうのに」
「それあいつらに言ったら怒りそうだなー。おれゾロのは見てねェから知らんけど」
ひとつひとつ言葉を選ぶようにしながら、アマヤは小さく息を吐いた。実際のところ、例の二人のゾンビを直接見たわけではないが、アマヤはそれを特殊な方法で知っている。
呆れたように笑うウソップの声が届いても、アマヤはすぐに返さなかった。指先がそっと巻き毛をつまみ、絡めとるように撫でる。ふわりとした触感の中に、彼はほんの少し唇を尖らせていた。どう言葉にすればよいか、相対する男の反応から推しはかろうとする。
「普段、猫とか仮面とか被ってる、って思われるの、恥ずかしいし」
「いやまァでも、それコミでアマヤだろ」
ウソップの言葉は軽い調子を装っていたが、その奥にあったのは、彼なりの実感と共鳴だった。アマヤが猫を被り、仮面をつけて他人と接すること、その在り方は、ウソップにとって決して“嘘”ではなかった。むしろそうやって仮面を重ね、弱さや怯えを隠してでも前を向こうとする姿勢こそが、人としての強さなのだと、同じように仮面を貼り付けたことのある彼はよく知っている。それは、理想の自分に近づく一つの方法なのだ。
「……え〜」
「お前が心ん中で色々、──なんだ、口に出してねェこと考えてるのなんて、みんな分かってるよ」
「……え〜」
「結構顔に出てるからな。自分で分かってるかどうか知らねェけどよ」
アマヤは小さく呻くように声を漏らし、身体を折りたたむようにして膝を抱えた。そのまま転がってしまいそうなほどに、まるで猫のように丸くなって座り込む。目は逸らし、耳まで赤くなっている。動揺と照れを混ぜた反応は、彼なりの全力だった。
「それにしてもよ。サンジのもルフィのも、本人によく似た声だったろ? あのゾンビからもお前の声がすれば、おれだってあれがアマヤのだってすぐ分かったってのに」
アマヤはそういえば”あれ”は一般人男性として生きていた頃で、今世のような可愛らしい見た目でもなかったし、中性的な声のトーンでもなかったと思い出す。けれど、それはそれとして、ウソップの認識にはやや誤りがある。
「? あの声も出るよ?」
「は?」
『なんで逃げるんだよ! ちょっと話したいって言ってるだけだろ!』
「うわァ!!」
乾いた咳払いをひとつ挟み、アマヤは普段よりも一段低く、どこか卑屈さを滲ませた口調で言ってみせた。その響きは不思議なほど自然で、だが明らかに今のアマヤとは異なる人物のようだった。ウソップは瞬時に跳ねるように反応する。
「えへへ、凄い?」
「そりゃ、どっちだ? 普段の声が特別作ってあんのか? それともさっきのが作った声か?」
「そんないつも作り声だったら疲れちゃうよ〜。人間の声なんて声帯の震わせ方一つなんだから、ある程度技術でどうにでもなると思うんだけどな」
「そういえばモリアの声真似もしてたよな。──待てよ。閃いた」
飄々とした口調のまま、アマヤはさらりと答える。何気なく言ってのけるその一言に、ウソップは改めて感心した。そして、ぱん、と手を打ち、ウソップはにやりと口角を上げる。アマヤの意外な特技に目を輝かせながら、いたずらっぽい顔つきで何かを企てはじめていた。
場所を移して、今は船内中央のアクアリウム。光を受けてきらめく水槽の中、色とりどりの魚たちが悠々と泳ぐ。そんな平和そのものの光景の傍らで、アマヤは胸元を押さえていた。指先に力が入りすぎて、服の布地が小さく皺を作るほどだ。
一方のウソップはというと、そんなアマヤの葛藤もどこ吹く風とばかりに、すこぶる上機嫌である。笑いを堪えきれない様子で、肩を揺らしながらも目だけは真剣に状況を見守っていた。
「よし、いけ、アマヤ!」
アマヤはひとつ、小さくため息を吐いた。けれど、その目にはすでに諦めが滲んでいる。
リフトになっているマスト越しに階上のキッチンを窺う。そこにはターゲットである金髪のコックが居ることは確認済みだ。小さく咳払いをし、そして口を開く。
「サンジくーん、悪いんだけどアクアリウムまで飲み物とおやつ、持ってきてくれる?」
その声はすぐ間近で聞いているウソップですら、そこに溌剌とした航海士を幻視するほどによく似通っていた。軽やかで、少しだけ小悪魔的な甘やかさを混ぜ込んだ声音だ。天井を隔てた先にいるサンジは言うまでもなく、である。
「ハァイナミさん、喜んで♡ リクエストはある!?」
「なんでもいいけど、お腹空いちゃったからボリュームがあるものがいいかも」
「了解! すぐに持っていくから待っててね♡♡」
空洞を通じたやりとりは、実に鮮やかに成立した。サンジはまんまと釣られたらしく、キッチンからはすでに忙しなく皿を用意する気配が漂ってくる。しかしその成功の余韻のなか、アマヤはふるりと身をすくめ、自分の両肩を抱いて丸くなる。声をひそめてウソップのほうを睨んだ。
「ねえウソップくん、絶対怒られるよ〜まずいよ〜多方面に対してっ」
サンジはまもなく喜び勇んでここに降りてくるだろう。リフトで届けてくれればいいのに、あの男がナミに拝謁する機会を逃すとは思えない。しかし、このアクアリウムにいるのは男が二人とくる。
けれどもウソップは気楽なものだった。
「大丈夫大丈夫、おれに任せとけって」
ウソップは自信満々に親指を立てた。どこから湧いてくるのか分からないその根拠に、アマヤは唇を震わせながら首を横に振る。
「サンジくんはいいんだけどさどうでもっ、ナミさんにバレたら……! 僕やだよナミさんに怒られるの!」
「ナミはさっき図書館にいたからなー。サンジのやつが来たら適当におやつを置いて行かせて──」
ウソップがそう言い切るかどうかというところで、ぎい、と音を立てて、アクアリウムの扉が開いた。アマヤとウソップの視線が同時に跳ね上がる。逆光に包まれた出入り口は、光に照らされて詳細までは見えにくい。
しかし、はっきりとわかる。そこに立っていたのは、間違いなく金髪のコックの影。そして、あろうことか、そのすぐ隣には腕を組んだ航海士の姿があるではないか。冷ややかなオーラを纏ったナミが、無言のまま扉の内側へと一歩を踏み込む。アマヤの背を、冷たい汗が一筋、つっと伝った。信じたくない光景だった。けれど、その表情を見れば作戦が破綻していることは明らかだった。
「で、お前らで美味しくいただくってわけか」
「私は名誉毀損の精神的苦痛による慰謝料でもいただこうかしら」
ナミの口元には、にっこりと完璧な笑顔が浮かんでいた。完璧すぎて、余計に怖い。
「撤収ッ!!」
「最悪最悪最悪っ」
瞬間、ウソップは弾かれたように扉を目指す。後ろを振り返ることもない。アマヤは考えた中で一番最悪の展開になったと後悔しつつ、主犯者の後を追うのだった。
その一言を受け、途端にウソップの顔が明るくなる。フランキー加入以降、自分のモノづくり担当としての出番が減ったことに、実は少し寂しさを感じていたのだ。そんな彼にとって、頼られるというのは何よりの特効薬だった。
それにここ数日海は凪ぎ、目立ったトラブルもないことから退屈していた。アマヤの依頼はウソップにとって大歓迎なのだった。
「やっぱおれ様じゃないと生み出せないものがあるってことよなァ」
鼻高々に(元々高いが)胸を張るウソップの姿に、アマヤは小さく微笑む。微笑んだまま、懐から小さな布袋を取り出し、クラシックな意匠の吹き矢筒を取り出して見せた。
「そうそう。麻痺毒とか催眠毒とかを仕込んだ吹き矢をね、改良したくって。どうしても口と手の両方が塞がるのが嫌なの」
「想像の5倍物騒な単語が出てきてビビったぜ」
艶のある黒木に細工が施された筒を指先で撫でるようにしながら、アマヤはさらりと危険な単語を並べる。その無邪気な口調とは裏腹に、かつてその吹き矢が幾度となく人の意識を刈り取ってきたことを思えば、確かに“危険物”と呼ぶにふさわしい。
ウソップは頬を引き攣らせながらも、それでも興味を拭いきれず手を伸ばす。吹き矢の筒を受け取ると、拡大鏡で精密な作りを確かめ、灯りにかざして内側の構造を観察する。職人の目に変わったその瞳に、アマヤは嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり腕時計型かな〜、これをウソップくんに頼むことにもの凄い違和感というか罪悪感というか、ううんごめん、こっちの話。冗談」
「? まァあんまりそれを堂々と手首につけておく必要性はねェよな?」
「できればこう、手の中に収まるようなサイズ感で、片手で射出できるといいなあ」
「ふんふん」
真剣に頷きながら、ウソップは自分の作業机へ向かう。パーツの入った小さな引き出しをいくつか開け、金属パーツやばね、薬莢の代替になりそうな筒状パーツを並べてゆく。その指先は止まることなく、考えながら組み合わせを試し始める。
アマ ヤは少し距離を置いて、その様子をじっと見守っていた。おどけて話す彼も好きだったが、こうして黙々と何かに打ち込んでいる姿はまた別の輝きがあると思う。彼の指先が生み出す未来の道具が、いつか自分や誰かを救うかもしれない。そう考えると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
手を動かしつつ、ウソップはそろりと隣を窺った。ずっとこちらを見ていたアマヤの視線は、少しも揺らがない。瞳の奥にあるのは悪意でも猜疑でもなく、ただ純粋な関心と尊敬の光でそれが妙にくすぐったい。耐えきれずに口を開いてしまうのも仕方がないことだろう。
「そういえば、結局なんだったんだあのゾンビ」
「忘れようよ」
「お前が必死すぎて印象に残ってんだよ」
アマヤはいっそ言葉を被せるほどの勢いで短く冷たく否定する。けれども、好奇心に突き動かされているらしいこの男は簡単には引き下がらなかった。
「あんな風に飛び蹴り喰らわせてるところ、はじめて見たぜ」
ウソップの脳裏には、例のワンダーガーデンでの光景がありありと蘇っていた。ギリシア風の皮鎧を纏ったゾンビに向かって、信じられない速度で跳躍し、渾身の飛び蹴りを叩き込むアマヤの姿は、普段の穏やかで柔和な印象とはまるで別人だった。彼に一角の戦闘力があることは周知だが、あれほどアグレッシブに敵へと向かっていく姿は初めてだ。なにしろアマヤは誰かを背にした防衛戦に従事することが多かったのだ。
飛び蹴りに言及されたアマヤは、とりあえず責任転嫁をすることにする。
「僕ら、師匠が一緒だから。……あ、サンジくんとね」
「そりゃァ納得だ」
「ええまあ、普段の彼を見たら分かる通り、多種多様な足技を仕込まれてきたんだ。もちろん、懇切丁寧に教えてくれるわけじゃないよ。身体に染み込ませるタイプの、ね」
「レストランだよな」
ぽつりと疑い半分で返すウソップ。どう見ても飲食店の業務内容ではない。だが、アマヤは当然のように肯定する。
「レストランだよ。たまたまオーナーが名のある海賊団の船長だったってだけで」
「そのたまたまは奇跡だろマジで」
アマヤはくすくす笑いをする。文句と蹴撃が交互に、そして同時に飛んでくる凄まじい職場を思えば、大体の場合肩の力を抜いて笑い合えるこの船は、なんと平和なことだろう。もちろん、どちらも愛しているが。
「……んで。誤魔化されねェぞおれは。察するに、あれがお前のゾンビだったんだろ」
「んんんん。そう、ですね。広い意味では」
「ゾンビに広いも狭いもねェだろ」
アマヤは思わず頭を抱えた。あれをはっきり自分のゾンビだと認めることは、彼にとって苦痛だった。
確かに自分の本質に近いものではあるが、それをこの世界の人間に晒すことはしたくない。摂理に反すると感じているからだ。だから、親切で穏やかな人間のふりをして生きてきているのに。
ところが、作業中のウソップからは追撃が一つ。
「推しってなんだ?」
「わーんっ」
鳴き声をあげて床に転がったアマヤを見て、ウソップは少し肩を揺らす。急な感情の発露に驚いたのだ。
前世の記憶による語彙、文化はここの世界の人間に通用しない。だからこそそれを全面に出すようなコミュニケーションをとっていると、ますますこの世界から爪弾きにされるような気がする。観測者ぶった素振りをすることもあったが、基本的にアマヤはこの世界に受け入れられたい。
「……ふう」
アマヤはひとしきり放心したのち、起き上がり、髪を整え、ウソップから見たら一番可愛い角度になるように調節して上目遣いをする。斯くなる上は愛らしさで押し切ってみようという魂胆だ。
「ウソップくんの意地悪。……そんな恥ずかしいこと言わせるの?」
「誤魔化しの手札多すぎねェかお前」
「だってね、あのね」
とはいえ、アマヤとて全てを誤魔化して有耶無耶にしたいわけではないのだ。恥ずかしがりの彼は、少しだけ本音をちらつかせ、それで手打ちにしてもらうことにする。
「あれが僕のゾンビだったとして、なんというか、みんなの知ってる僕とは結構かけ離れているでしょう? サンジくんのゾンビも、ゾロくんのゾンビもあんなに本人にそっくりだっていうのに」
「それあいつらに言ったら怒りそうだなー。おれゾロのは見てねェから知らんけど」
ひとつひとつ言葉を選ぶようにしながら、アマヤは小さく息を吐いた。実際のところ、例の二人のゾンビを直接見たわけではないが、アマヤはそれを特殊な方法で知っている。
呆れたように笑うウソップの声が届いても、アマヤはすぐに返さなかった。指先がそっと巻き毛をつまみ、絡めとるように撫でる。ふわりとした触感の中に、彼はほんの少し唇を尖らせていた。どう言葉にすればよいか、相対する男の反応から推しはかろうとする。
「普段、猫とか仮面とか被ってる、って思われるの、恥ずかしいし」
「いやまァでも、それコミでアマヤだろ」
ウソップの言葉は軽い調子を装っていたが、その奥にあったのは、彼なりの実感と共鳴だった。アマヤが猫を被り、仮面をつけて他人と接すること、その在り方は、ウソップにとって決して“嘘”ではなかった。むしろそうやって仮面を重ね、弱さや怯えを隠してでも前を向こうとする姿勢こそが、人としての強さなのだと、同じように仮面を貼り付けたことのある彼はよく知っている。それは、理想の自分に近づく一つの方法なのだ。
「……え〜」
「お前が心ん中で色々、──なんだ、口に出してねェこと考えてるのなんて、みんな分かってるよ」
「……え〜」
「結構顔に出てるからな。自分で分かってるかどうか知らねェけどよ」
アマヤは小さく呻くように声を漏らし、身体を折りたたむようにして膝を抱えた。そのまま転がってしまいそうなほどに、まるで猫のように丸くなって座り込む。目は逸らし、耳まで赤くなっている。動揺と照れを混ぜた反応は、彼なりの全力だった。
「それにしてもよ。サンジのもルフィのも、本人によく似た声だったろ? あのゾンビからもお前の声がすれば、おれだってあれがアマヤのだってすぐ分かったってのに」
アマヤはそういえば”あれ”は一般人男性として生きていた頃で、今世のような可愛らしい見た目でもなかったし、中性的な声のトーンでもなかったと思い出す。けれど、それはそれとして、ウソップの認識にはやや誤りがある。
「? あの声も出るよ?」
「は?」
『なんで逃げるんだよ! ちょっと話したいって言ってるだけだろ!』
「うわァ!!」
乾いた咳払いをひとつ挟み、アマヤは普段よりも一段低く、どこか卑屈さを滲ませた口調で言ってみせた。その響きは不思議なほど自然で、だが明らかに今のアマヤとは異なる人物のようだった。ウソップは瞬時に跳ねるように反応する。
「えへへ、凄い?」
「そりゃ、どっちだ? 普段の声が特別作ってあんのか? それともさっきのが作った声か?」
「そんないつも作り声だったら疲れちゃうよ〜。人間の声なんて声帯の震わせ方一つなんだから、ある程度技術でどうにでもなると思うんだけどな」
「そういえばモリアの声真似もしてたよな。──待てよ。閃いた」
飄々とした口調のまま、アマヤはさらりと答える。何気なく言ってのけるその一言に、ウソップは改めて感心した。そして、ぱん、と手を打ち、ウソップはにやりと口角を上げる。アマヤの意外な特技に目を輝かせながら、いたずらっぽい顔つきで何かを企てはじめていた。
場所を移して、今は船内中央のアクアリウム。光を受けてきらめく水槽の中、色とりどりの魚たちが悠々と泳ぐ。そんな平和そのものの光景の傍らで、アマヤは胸元を押さえていた。指先に力が入りすぎて、服の布地が小さく皺を作るほどだ。
一方のウソップはというと、そんなアマヤの葛藤もどこ吹く風とばかりに、すこぶる上機嫌である。笑いを堪えきれない様子で、肩を揺らしながらも目だけは真剣に状況を見守っていた。
「よし、いけ、アマヤ!」
アマヤはひとつ、小さくため息を吐いた。けれど、その目にはすでに諦めが滲んでいる。
リフトになっているマスト越しに階上のキッチンを窺う。そこにはターゲットである金髪のコックが居ることは確認済みだ。小さく咳払いをし、そして口を開く。
「サンジくーん、悪いんだけどアクアリウムまで飲み物とおやつ、持ってきてくれる?」
その声はすぐ間近で聞いているウソップですら、そこに溌剌とした航海士を幻視するほどによく似通っていた。軽やかで、少しだけ小悪魔的な甘やかさを混ぜ込んだ声音だ。天井を隔てた先にいるサンジは言うまでもなく、である。
「ハァイナミさん、喜んで♡ リクエストはある!?」
「なんでもいいけど、お腹空いちゃったからボリュームがあるものがいいかも」
「了解! すぐに持っていくから待っててね♡♡」
空洞を通じたやりとりは、実に鮮やかに成立した。サンジはまんまと釣られたらしく、キッチンからはすでに忙しなく皿を用意する気配が漂ってくる。しかしその成功の余韻のなか、アマヤはふるりと身をすくめ、自分の両肩を抱いて丸くなる。声をひそめてウソップのほうを睨んだ。
「ねえウソップくん、絶対怒られるよ〜まずいよ〜多方面に対してっ」
サンジはまもなく喜び勇んでここに降りてくるだろう。リフトで届けてくれればいいのに、あの男がナミに拝謁する機会を逃すとは思えない。しかし、このアクアリウムにいるのは男が二人とくる。
けれどもウソップは気楽なものだった。
「大丈夫大丈夫、おれに任せとけって」
ウソップは自信満々に親指を立てた。どこから湧いてくるのか分からないその根拠に、アマヤは唇を震わせながら首を横に振る。
「サンジくんはいいんだけどさどうでもっ、ナミさんにバレたら……! 僕やだよナミさんに怒られるの!」
「ナミはさっき図書館にいたからなー。サンジのやつが来たら適当におやつを置いて行かせて──」
ウソップがそう言い切るかどうかというところで、ぎい、と音を立てて、アクアリウムの扉が開いた。アマヤとウソップの視線が同時に跳ね上がる。逆光に包まれた出入り口は、光に照らされて詳細までは見えにくい。
しかし、はっきりとわかる。そこに立っていたのは、間違いなく金髪のコックの影。そして、あろうことか、そのすぐ隣には腕を組んだ航海士の姿があるではないか。冷ややかなオーラを纏ったナミが、無言のまま扉の内側へと一歩を踏み込む。アマヤの背を、冷たい汗が一筋、つっと伝った。信じたくない光景だった。けれど、その表情を見れば作戦が破綻していることは明らかだった。
「で、お前らで美味しくいただくってわけか」
「私は名誉毀損の精神的苦痛による慰謝料でもいただこうかしら」
ナミの口元には、にっこりと完璧な笑顔が浮かんでいた。完璧すぎて、余計に怖い。
「撤収ッ!!」
「最悪最悪最悪っ」
瞬間、ウソップは弾かれたように扉を目指す。後ろを振り返ることもない。アマヤは考えた中で一番最悪の展開になったと後悔しつつ、主犯者の後を追うのだった。
