〜シャボンディまで

 これまでのアマヤは、その感情に揺れはあれど、分かりやすく落ち込んだり、分かりやすく張り切ったりと明快だった。だが、戦いを終えてから数日、彼が見せている沈黙は、それまでとは異質なのだった。
 言葉を交わさず、表情もほとんど動かさず、ただ控えめな距離を保っている。沈み込んでいるわけでも、感情的になっているわけでもない。無言と無表情のその仮面に、一向は素知らぬふりをしつつも困惑していた。
 
 とはいえ、いざ出航してしまえば、彼は拍子抜けするほどいつも通りに見えた。
 陽気なこの船では、昼間から宴が始まる。甲板の芝生には大皿が並び、笑い声が跳ねるように空に飛んでいく。ルフィとウソップとチョッパーが並べば、自然と宴会芸が始まり、今日はそれに専用のBGMまでつく始末だった。
 アマヤはその喧騒を、ロビンとともに二階から眺めていた。
 
「アマヤはあの時もう、影を取り返していたんだったわね」
「うん、ロビンさん、怖かったでしょう、朝日浴びて」
「そうね。……いえ、みんなと一緒だったからそうでもなかったわ。でも、滅多にできない経験よね」
「滅多どころか普通一生ないよ」
 
 笑いながら言ったその口元は、どこか照れ隠しのようでもある。この孤独だった女性から『みんなと一緒だったから』という言葉が出てくることがくすぐったかった。二人の視線は穏やかで、宴の方へとやわらかく向けられていた。ジョッキを少し引っ掛け、そのまま手すりへともたれかかる。
 
「体調は、どう?」
「僕? 全然、大したことないよ」
「……それならいいわ。なんだか、ひどく困っているように見えたから」
 
 ロビンの言葉に、アマヤはぴたりと視線を彼女へと戻した。咄嗟に否定しかけた言葉は胸の内で止まり、代わりに彼は小さく頭を掻いた。彼女の指摘に対してしっかりと心当たりがあった。ここ数日の自分の態度は、確かにいただけるものではなかったのだ。
 
「いやいや、お恥ずかしい。いい年して変な態度取っちゃって」
 
 アマヤが苦笑交じりにそう漏らすと、ロビンはゆるく頷いた。
 
「そういえば、サンジと同い年だったかしら」
「そう。まー、サンジくんはあの調子だから、弟みたいなものだけどね。ほんと世話が焼けるったら」
「……ふふ」
 
 ロビンは口元に手を添えて小さく笑った。多分、向こうも全く同じことを言っているに違いない。自分はアマヤに手を焼いているのだと。そう思うと、彼らが本当の兄弟のように思えて、どうにもおかしくて仕方がなかった。
 
「──とにかく、心の整理もついたので。ええっと、ご心配おかけしました」
「いつでも相談してくれていいのよ」
 
 アマヤはまっすぐに言葉を選びながら、目を合わせた。それを受け止めた方は優しく微笑み、両手を開いて見せる。
 
「あの時みたいに泣きたかったら、胸も貸すわ。……何度でも」
「……わあ」
 
 アマヤは思わず息を呑み、そのまま耳の先まで赤く染まった。
 あの時、W7での、あまりにも情けない記憶がよみがえる。激情のままに涙をこぼし、この年上の女性に慰めてもらった、あの怪事件。何もかも投げ出して胸にすがったことも、温かな手で背中を撫でられたことも、その後蒸し返されないので夢だったことにしていたのに。
 
 それをわざわざ引き合いに出された今となっては、どうにも顔の火照りが引きそうになかった。手すりに肘をかけて目を逸らしながら、アマヤはそっと息をついた。
 
 ロビンと肩を並べて笑い合っていると、不意にその手すりに伸びた腕が絡みつく。芝生の輪から少し距離を取っていることを、陽気な船長は気に留めたのだろう。次の瞬間、軽やかな跳躍音とともに、ルフィが勢いよく二階部分に飛び上がってくる。
 
「アマヤ! お前死にそうな顔じゃなくなったな!」
 
 思わぬ声に、アマヤはきょとんとした顔でルフィを見つめた。それから隣のロビンに視線を向ける。
 
「僕死にそうだった?」
「私には……、困っているように見えたわね」
「死にそうだったろーがよー。この世の終わりみてェな」
「あ、確かにそれは思ったかも。もう終わりだーって」
 
 アマヤがあっさりと認めると、ルフィは愉快そうに笑った。
 
「あんまうじうじすんなって! せっかく音楽家が仲間になったんだ、歌うぞ! な!」
「念願だったもんね」
 
 二人がその誘いに穏やかに微笑みながら応じると、ルフィは腕を広げるようにして促した。アマヤとロビンはその勢いに逆らうこともなく、自然と芝生の宴の輪へと降りていく。
 船長その人にまで気を遣わせてしまったことを恥じ、アマヤは笑顔をひとつ添えて、肩の力を抜いてみせる。けれどその仕草は、無理やりなものではなかった。宴の音が再び耳を満たしていく。今度こそ、それをまっすぐに受け止められる気がしていた。
 
***
 
 歓迎の宴は、陽が沈んでもなお続いた。星が灯り、波が穏やかな音を立てるなかで、歌と笑い声はそれが掠れるまで繰り返されたのだった。
 
 アマヤは一人、静かに甲板を離れてキッチンへ向かう。喉が渇いていた。扉を押して灯りの残る室内へ入った瞬間、ちょうど食糧庫から出てきた影と出くわす。手に酒瓶を持ったその人物はぎくりと身体を強張らせ、そして相手が食糧番でない事を認めるとため息をつく。
 
「……まだ飲むの?」
 
 問いかけた声に、ゾロは立ち止まり、いつもの無造作な口調で返した。
 
「これで最後だ」
「注ごうか?」
「いや、このままだな」
 
 それきり何のためらいもなく、ゾロは片手で瓶の栓を抜くと、静かに口をつけた。おそらく、宴の途中でジョッキをどこかに置き忘れたのだろう。あるいは誰のものか分からなくなって、探す気をなくしたのかもしれない。彼らしいといえば、いかにもそれらしい。
 
 アマヤはアマヤで真水をジョッキに注ぎ、半分ほどを一気に飲む。歌い疲れた喉にひんやりとした水が心地よかった。
 
「ごめんね、スリラーバークでは。ついてまわっちゃって」
 
 水を飲み終えたアマヤが、空のジョッキを持ったままぽつりと口にした。単語自体は謝罪のそれであったが、そこに悔恨や罪悪感は含まれていない。あくまでコミュニケーションを円滑にするための、心のこもらない決まり文句のようなものだった。
 とはいえ、それをゾロは特に責めもせず、受け流すように聞いていた。アマヤが何か続けて言い出そうとしているのを察したのか、酒瓶を携えたまま、静かにダイニングテーブルの方へ向かう。椅子を引き、音もなく腰を下ろすと、再び瓶を傾けてひと口煽った。
 
「でも、君は僕を軽んじている」
 
 アマヤは、流し台の前に立ったまま、それ越しに酒飲みへと対峙する。
 
「少し過剰に言うと、取るに足らない、並び立つにふさわしくない、庇護すべき対象だと思っている。……それが僕は気に入らない」
 
 アマヤは、怒っていたのだ。自分の献身と覚悟が、なかったことのように扱われたこと。たとえ結果的に未熟で、守られる側で終わったとしても、あの瞬間に賭けた想いまで否定されたようで、心のあちこちに引っかかる。女子どもならいざ知らず、アマヤは男だ。同じ年齢の相手に無理やり庇われて、素直に納得できるほどプライドを投げ捨てたつもりはないのだ。
 けれど、そこに留まるわけではなかった。次の言葉には、わずかに力を抜いたような、淡い苦味がにじんでいた。
 
「でも確かに現状はその通りだ。だから、ゾロくんに対して憤っているんじゃない。自分自身にね」
 
 モヤモヤと漂っていた思いは、最後にゆっくりと自分へと向かった。誰かを責めることで逃れたくはなかった。むしろ、その感情の根を見極めることで、ようやくアマヤは感情の言語化にたどり着いたのだ。
 
「うん。言葉にしたらすっきりした。目標ができたよ。一味のみんなのことも、ゾロくんのことも守れるくらい、僕自身の腕を磨くことだ。そろそろ予知夢で知ってる範囲も終わることだし、占いのスキルも高めていかないとね」
 
 その言葉に嘘はなかった。自分で勝手に設定していた天井を今、ひとつ取り払った気がする。開けてみれば、空はどこまでも高く、広い。星は無数にあるし、それと同じくらい可能性は無限にあるのだ。
 
 アマヤが流しの前でつぶやく間、ゾロはひと言も口を挟まず、ただ、静かに、すべてを飲み込むようにその言葉を聞いていた。手にしていた酒瓶を、ひと息で空にする。そして、空いた瓶の底を確かめながら、その透明なガラス越しにちらりと自分を守ると息巻いて見せた男の姿を見やるのだった。
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