〜シャボンディまで
「おーい……生きてるかーー! みんなァ!」
がれきの隙間を抜けるように、その声が耳の奥へ届いた。次いで、ざわめきと、石や木片が動く音。
アマヤは、微かな痛みとともに目を開けた。脳が揺れているような感覚に一瞬戸惑いながらも、次の瞬間、はじかれるように飛び起きる。胸が苦しく、息が足りない。だが、それよりも先に確かめたいものがあった。
「オイオイウソだろおめェ、どうなってんだ!?」
「ほら見ろ!! 体が軽いんだよ、何でだ?」
「ウソつけ!! そんなわけねェだろ!」
仲間たちの声が重なり、あちこちで歓喜と困惑が入り混じる。誰かが笑い、誰かが抱き合っている。
だがアマヤは、その光景を一瞥しただけだった。同様にもう一人、晴れない顔で周囲を見渡す男もいる。
「あの野郎、どこだ? ……まさか」
サンジはアマヤが森へ走り出したのを認め、それを追いかける。あの暴君の前で自分たちはみっともなく誰が犠牲になるべきかで争い、そして強情な男に気絶へと追い込まれたことまでは覚えている。自分が名乗りを上げる前にはアマヤがその身を差し出そうとしていたことも、記憶に残っていた。
「こっちか、」
サンジの低く絞り出すような声が、静かな森の中に溶けていった。普段だったら場を和ませる小粋な一言でも飛び出してきそうな悪友からは、しかし何かを堪えるような震えしか伝わってこない。事態は深刻である。勝利の後だというのに。
やがて、木立の向こうに、黒い影が見える。
「いた……!! おどかしやがって……!! ……何だこの血の量は!? おい、アマヤ見るなよ!」
サンジの顔がさっと強張る。思わず後ずさるほどの光景だった。
すぐさまサンジは手を伸ばし、隣の男の目元を覆う。彼がどれだけ人の怪我を見るのを厭うか、長い付き合いの中でよく承知していたからだ。それに、これはもはや怪我という言葉で片付けられるような状態ではない。
「いいよ、サンジくん。ありがと、でも知ってるから」
それでもアマヤは、そっとその手を退けた。これが自分の力不足の結末だ。それを見ないで済ませるわけにはいかなかった。
「オイおめェ……生きてんのか!? アイツはどこだ! ここで何があった……!?」
「…………なにも! な”かった……!!」
血の味が滲んだ声とともに、ゾロの体が崩れ落ちた。静かに、重力に逆らわず、地に沈んでいく。
サンジとアマヤは、一瞬の逡巡もなく駆け寄った。支える腕に重さが伝わる。傷口をかばうようにして持ち上げながら、二人は声を交わすこともなく、ただ真っ直ぐに、船医のもとへと走った。
***
戦いのあとのスリラーバークには、信じがたいほどの明るさが戻っていた。晴れ渡る空の下、あちこちで笑い声が上がり、助け合いながら動く人々の姿には、もう先ほどまでの死地の気配はなかった。生きていることを確かめ合うような、朗らかな空気に包まれている。
そんな中、瓦礫の影、まだ手当ての終わらぬゾロとチョッパーのいる場所のすぐ近く。アマヤは膝を抱えて座り込み、死んだような顔で丸くなっていた。
「ア、アマヤ、やっぱりお前もどこか……」
チョッパーがおずおずと声をかけてくる。おそらく、彼なりに気遣ってくれているのだろう。
「いや全然ほんと」
アマヤは伏せるように顔を背け、即答した。それ以上、説明の余地も与えない断言だった。
チョッパーは何かを言いかけて、けれど小さく口をつぐむ。そのあと、気まずそうに一歩引いたところで、アマヤが小さく手を振った。
「ごめんね、大丈夫だよ。チョッパー先生はそっちに集中してね」
いつもなら、仮面を被るのは簡単だった。明るい振りをして、気の利く子を演じて、誰にも不安を悟られずにいられたはずなのに、今のアマヤには、その余裕すらなかった。ただただ落ち込んでしまった感情が、そのまま外へ流れ出している。
きっとこの後勝利の宴が始まるし、楽しい歌が流れるし、新たな仲間が加入する大事な瞬間だと言うのに、気持ちがさっぱり晴れない。確かに多少体も傷付いてはいるが、それよりも精神が疲弊、衰弱しているのだ。そんな権利もないというのに。
行動しなかった結果の痛みは、仕方がないと受け入れてきた。セルフ・ハンディキャップがアマヤの心を守っていた。けれど今回は手札全てを晒して、何がなんでも避けようとした末のこの有様である。
アマヤはせめてなるべく人目につくまい、と瓦礫の影に引きこもるように小さくなるのだった。
次の日も、その次の日も、スリラーバークの空は驚くほど爽やかだった。冴え渡る陽光はその隅々までも浄化するようである。
そんな明るさのなかで、ただ一人、アマヤだけは塞ぎ込んだままだった。
今日はウソップとチョッパーが、代わる代わるアマヤの周囲をうろうろしている。繰り返される宴に参加することもなく、さりとて休息を取るでもなく、ただ膝を抱えて眠る怪我人の近くに控えているのだ。
「アマヤお前〜、飯くらい食っとけって」
「……うん、ありがと」
「水も飲んでねェんだろ! 治るもんも治らねェぞ!」
言葉をかけても、反応は薄い。返事はあるにはあるが、どこか遠くに響いていくようだった。
すぐに目を覚ますことができないほどの大怪我を負っている人間がいること。この大怪我をしている人間は自分を含む一味を守るために痛みを負ったものであること。はっきりと自分で”変えよう”と思った事柄を変えられなかったのは自分の力不足によるものであること。一体これらをどう解決すればよかったのか。
アマヤの思考は尽きることなく悩みに属し続けていた。ゆっくり時間をかけないと解きほぐせないほどに絡まった悩みは、けれどはっきりと言語化することもできず、腹の底に溜まっていく。
そんな折、ようやくゾロが目を覚まし、チョッパーが喜びながらその身体を検める。
「……寝過ぎた」
「ゾロ!! よかった、気がついたんだな!」
「あァ、軋むな」
「そりゃそうだ! ひどいダメージだった上に2日寝てたんだぞ! ──あ、コラゆっくり起きろ!」
いつも通り、ゾロは主治医の言いつけをまるで守る気がない。
その様子を、アマヤは少し離れた場所から無表情のまま眺めていた。心は何も追いついていなかった。安心するどころか、胸の奥がさらに重たくなるような、そんな不思議な気持ちだ。彼は身体を張って一味の命を繋いでくれたのだから、感謝の一つでもすればいいのに、それすらも自分にはふさわしくないような気がして、アマヤはただ、黙って立ち尽くしていた。
***
ゾロは目を覚ましてから、しばらくチョッパーをはじめとした周囲の様子を窺っていた。そして、自分が眠っているあいだに、あの陽気な骨、ブルックが仲間として迎えられたことを知る。彼がかつての仲間を弔っていると聞き、そこへ赴くことを決めたのは、ゾロの側にも同様に弔うべき存在があったからだった。腰に履いた剣のうちの一つを撫でつけ、墓のある場所へと向かう。
アマヤは三歩ほどの距離を保ったまま、その背を追っていた。無表情を張りつけたような面差しは、感情の所在を曖昧にし、空気にすら溶け込むほどだ。淡い色の髪がぼんやりと光を拾っても、その表情は重く暗い。
目的地に着いた剣士は、その刀の亡骸を地面へ突き刺す。墓場で奏でられていたどこか明るい鎮魂歌は、その衝撃で収束する。
「ああ……びっくりした、あなた、もうよろしいんで?」
「ああ、ちょっと寝過ぎた……」
ブルックの視線が、地面に突き立てられた刀へと落ちる。風が吹き抜け、乾いた葉がひとつ、柄元に舞い落ちた。
「それは……?」
「死んだ刀だ。”雪走”、ついでに供養させてくれ」
ゾロの手が、自然な仕草で合掌を形作る。背筋を伸ばし、静かに目を閉じるその所作にはどこか、日本の宗教文化に根差した、物への内なる敬意のようなものが滲んでいた。
次いでブルックはやや後ろに控えるアマヤに言及することにする。
「……あの」
「ん?」
「そちらのお嬢さんは」
骨の指先がそっとアマヤを示す。ゾロもつられてちらりとその方へ視線を向けた。
「あー、……おれが起きてからずっとこの調子だ」
「また、どうして」
目立つでもなく、沈むでもなく、アマヤはその場の空気と等しい静けさを纏っていた。まるで誰の視線にも映らぬよう、呼吸さえ忍ばせている。ブルックは彼が一味の仲間だと知っていたから平静を保っていたが、そうでなければオバケだと騒いでいたかもしれないほどだ。現に、話題を向けられてなおアマヤは微笑み一つ浮かべない。
「よく分からん」
「分からん、ってあなた。仲間でしょうに」
骨の声には苦笑めいた響きがある。だがゾロは肩をすくめるだけだった。
「いつもはヘラヘラしてんだがな。腹でも壊したか」
「……」
それを聞いた途端、アマヤはわずかに眉間を寄せた。表情の変化と呼ぶには微かな動きだったが、ブルックの目はその動きを逃さなかった。
この剣士は、力強く真っ直ぐな意志を持つ一方で、どうにも人の心の機微には疎いのかもしれない、と新入りは表情には出さずに推察する。特に、自分と違う思考や感覚に理解を示すには時間がかかるのだろう。
ブルックの視線は、黙して動かぬアマヤの方へと滑る。戦いの最中、アマヤは誰かが傷つくことにひどく敏感で、恐れるような素振りを何度も見せていた。あの儚げな佇まいの裏には、刃よりも鋭い感受性があるのだろう。そしてこの剣士は、誰にも言わず、一人で傷を背負うことで仲間全体を守ろうとした。己の身を犠牲にしてもなお、それを当然とするような在り方だ。つまるところ、彼はそれが気に入らないのだろう。ただ、新参者が口を出す場面でもない、ブルックはそう判断した。
「──ええっと、そうだ、私、一味に入れて貰いました」
「へえそうか……、そりゃ運が悪かったな」
空気を変えるように、ブルックが明るく言う。ゾロは横目で彼を見やり、口元をにやりと歪めた。
「この一味は手ェやくぞ?」
「ヨホホ! その様で!! 死ぬ気で頑張ります!! あ! 私もう死んでますけど!」
冗談を交えたやりとりに、空気が少しだけ緩む。ブルックは笑いながら、胸の奥でほっと息をついた。これで全員に挨拶ができた。きちんと、出航前に筋を通せたことに安堵する。
そのとき、ゾロが立ち上がりかけながら、腹や腕に巻かれていた包帯へと手をかけた。間を置かず、アマヤの細い手がそれを遮る。指先が静かに、けれどはっきりと、包帯の上に置かれ、束縛を嫌う剣士にそのままを強いるのだった。
「あ!?」
「……」
ゾロは苛立ちを隠さず声を荒げた。だが、アマヤは何も答えない。ただ己の沈黙を盾にするかのように、つんと顎を上げ、けれども彼が包帯を解こうとすることだけは妨害する。
その様子を見て、ブルックは自分の予想が概ね当たっているであろうことを確信し、小さく頷いた。
がれきの隙間を抜けるように、その声が耳の奥へ届いた。次いで、ざわめきと、石や木片が動く音。
アマヤは、微かな痛みとともに目を開けた。脳が揺れているような感覚に一瞬戸惑いながらも、次の瞬間、はじかれるように飛び起きる。胸が苦しく、息が足りない。だが、それよりも先に確かめたいものがあった。
「オイオイウソだろおめェ、どうなってんだ!?」
「ほら見ろ!! 体が軽いんだよ、何でだ?」
「ウソつけ!! そんなわけねェだろ!」
仲間たちの声が重なり、あちこちで歓喜と困惑が入り混じる。誰かが笑い、誰かが抱き合っている。
だがアマヤは、その光景を一瞥しただけだった。同様にもう一人、晴れない顔で周囲を見渡す男もいる。
「あの野郎、どこだ? ……まさか」
サンジはアマヤが森へ走り出したのを認め、それを追いかける。あの暴君の前で自分たちはみっともなく誰が犠牲になるべきかで争い、そして強情な男に気絶へと追い込まれたことまでは覚えている。自分が名乗りを上げる前にはアマヤがその身を差し出そうとしていたことも、記憶に残っていた。
「こっちか、」
サンジの低く絞り出すような声が、静かな森の中に溶けていった。普段だったら場を和ませる小粋な一言でも飛び出してきそうな悪友からは、しかし何かを堪えるような震えしか伝わってこない。事態は深刻である。勝利の後だというのに。
やがて、木立の向こうに、黒い影が見える。
「いた……!! おどかしやがって……!! ……何だこの血の量は!? おい、アマヤ見るなよ!」
サンジの顔がさっと強張る。思わず後ずさるほどの光景だった。
すぐさまサンジは手を伸ばし、隣の男の目元を覆う。彼がどれだけ人の怪我を見るのを厭うか、長い付き合いの中でよく承知していたからだ。それに、これはもはや怪我という言葉で片付けられるような状態ではない。
「いいよ、サンジくん。ありがと、でも知ってるから」
それでもアマヤは、そっとその手を退けた。これが自分の力不足の結末だ。それを見ないで済ませるわけにはいかなかった。
「オイおめェ……生きてんのか!? アイツはどこだ! ここで何があった……!?」
「…………なにも! な”かった……!!」
血の味が滲んだ声とともに、ゾロの体が崩れ落ちた。静かに、重力に逆らわず、地に沈んでいく。
サンジとアマヤは、一瞬の逡巡もなく駆け寄った。支える腕に重さが伝わる。傷口をかばうようにして持ち上げながら、二人は声を交わすこともなく、ただ真っ直ぐに、船医のもとへと走った。
***
戦いのあとのスリラーバークには、信じがたいほどの明るさが戻っていた。晴れ渡る空の下、あちこちで笑い声が上がり、助け合いながら動く人々の姿には、もう先ほどまでの死地の気配はなかった。生きていることを確かめ合うような、朗らかな空気に包まれている。
そんな中、瓦礫の影、まだ手当ての終わらぬゾロとチョッパーのいる場所のすぐ近く。アマヤは膝を抱えて座り込み、死んだような顔で丸くなっていた。
「ア、アマヤ、やっぱりお前もどこか……」
チョッパーがおずおずと声をかけてくる。おそらく、彼なりに気遣ってくれているのだろう。
「いや全然ほんと」
アマヤは伏せるように顔を背け、即答した。それ以上、説明の余地も与えない断言だった。
チョッパーは何かを言いかけて、けれど小さく口をつぐむ。そのあと、気まずそうに一歩引いたところで、アマヤが小さく手を振った。
「ごめんね、大丈夫だよ。チョッパー先生はそっちに集中してね」
いつもなら、仮面を被るのは簡単だった。明るい振りをして、気の利く子を演じて、誰にも不安を悟られずにいられたはずなのに、今のアマヤには、その余裕すらなかった。ただただ落ち込んでしまった感情が、そのまま外へ流れ出している。
きっとこの後勝利の宴が始まるし、楽しい歌が流れるし、新たな仲間が加入する大事な瞬間だと言うのに、気持ちがさっぱり晴れない。確かに多少体も傷付いてはいるが、それよりも精神が疲弊、衰弱しているのだ。そんな権利もないというのに。
行動しなかった結果の痛みは、仕方がないと受け入れてきた。セルフ・ハンディキャップがアマヤの心を守っていた。けれど今回は手札全てを晒して、何がなんでも避けようとした末のこの有様である。
アマヤはせめてなるべく人目につくまい、と瓦礫の影に引きこもるように小さくなるのだった。
次の日も、その次の日も、スリラーバークの空は驚くほど爽やかだった。冴え渡る陽光はその隅々までも浄化するようである。
そんな明るさのなかで、ただ一人、アマヤだけは塞ぎ込んだままだった。
今日はウソップとチョッパーが、代わる代わるアマヤの周囲をうろうろしている。繰り返される宴に参加することもなく、さりとて休息を取るでもなく、ただ膝を抱えて眠る怪我人の近くに控えているのだ。
「アマヤお前〜、飯くらい食っとけって」
「……うん、ありがと」
「水も飲んでねェんだろ! 治るもんも治らねェぞ!」
言葉をかけても、反応は薄い。返事はあるにはあるが、どこか遠くに響いていくようだった。
すぐに目を覚ますことができないほどの大怪我を負っている人間がいること。この大怪我をしている人間は自分を含む一味を守るために痛みを負ったものであること。はっきりと自分で”変えよう”と思った事柄を変えられなかったのは自分の力不足によるものであること。一体これらをどう解決すればよかったのか。
アマヤの思考は尽きることなく悩みに属し続けていた。ゆっくり時間をかけないと解きほぐせないほどに絡まった悩みは、けれどはっきりと言語化することもできず、腹の底に溜まっていく。
そんな折、ようやくゾロが目を覚まし、チョッパーが喜びながらその身体を検める。
「……寝過ぎた」
「ゾロ!! よかった、気がついたんだな!」
「あァ、軋むな」
「そりゃそうだ! ひどいダメージだった上に2日寝てたんだぞ! ──あ、コラゆっくり起きろ!」
いつも通り、ゾロは主治医の言いつけをまるで守る気がない。
その様子を、アマヤは少し離れた場所から無表情のまま眺めていた。心は何も追いついていなかった。安心するどころか、胸の奥がさらに重たくなるような、そんな不思議な気持ちだ。彼は身体を張って一味の命を繋いでくれたのだから、感謝の一つでもすればいいのに、それすらも自分にはふさわしくないような気がして、アマヤはただ、黙って立ち尽くしていた。
***
ゾロは目を覚ましてから、しばらくチョッパーをはじめとした周囲の様子を窺っていた。そして、自分が眠っているあいだに、あの陽気な骨、ブルックが仲間として迎えられたことを知る。彼がかつての仲間を弔っていると聞き、そこへ赴くことを決めたのは、ゾロの側にも同様に弔うべき存在があったからだった。腰に履いた剣のうちの一つを撫でつけ、墓のある場所へと向かう。
アマヤは三歩ほどの距離を保ったまま、その背を追っていた。無表情を張りつけたような面差しは、感情の所在を曖昧にし、空気にすら溶け込むほどだ。淡い色の髪がぼんやりと光を拾っても、その表情は重く暗い。
目的地に着いた剣士は、その刀の亡骸を地面へ突き刺す。墓場で奏でられていたどこか明るい鎮魂歌は、その衝撃で収束する。
「ああ……びっくりした、あなた、もうよろしいんで?」
「ああ、ちょっと寝過ぎた……」
ブルックの視線が、地面に突き立てられた刀へと落ちる。風が吹き抜け、乾いた葉がひとつ、柄元に舞い落ちた。
「それは……?」
「死んだ刀だ。”雪走”、ついでに供養させてくれ」
ゾロの手が、自然な仕草で合掌を形作る。背筋を伸ばし、静かに目を閉じるその所作にはどこか、日本の宗教文化に根差した、物への内なる敬意のようなものが滲んでいた。
次いでブルックはやや後ろに控えるアマヤに言及することにする。
「……あの」
「ん?」
「そちらのお嬢さんは」
骨の指先がそっとアマヤを示す。ゾロもつられてちらりとその方へ視線を向けた。
「あー、……おれが起きてからずっとこの調子だ」
「また、どうして」
目立つでもなく、沈むでもなく、アマヤはその場の空気と等しい静けさを纏っていた。まるで誰の視線にも映らぬよう、呼吸さえ忍ばせている。ブルックは彼が一味の仲間だと知っていたから平静を保っていたが、そうでなければオバケだと騒いでいたかもしれないほどだ。現に、話題を向けられてなおアマヤは微笑み一つ浮かべない。
「よく分からん」
「分からん、ってあなた。仲間でしょうに」
骨の声には苦笑めいた響きがある。だがゾロは肩をすくめるだけだった。
「いつもはヘラヘラしてんだがな。腹でも壊したか」
「……」
それを聞いた途端、アマヤはわずかに眉間を寄せた。表情の変化と呼ぶには微かな動きだったが、ブルックの目はその動きを逃さなかった。
この剣士は、力強く真っ直ぐな意志を持つ一方で、どうにも人の心の機微には疎いのかもしれない、と新入りは表情には出さずに推察する。特に、自分と違う思考や感覚に理解を示すには時間がかかるのだろう。
ブルックの視線は、黙して動かぬアマヤの方へと滑る。戦いの最中、アマヤは誰かが傷つくことにひどく敏感で、恐れるような素振りを何度も見せていた。あの儚げな佇まいの裏には、刃よりも鋭い感受性があるのだろう。そしてこの剣士は、誰にも言わず、一人で傷を背負うことで仲間全体を守ろうとした。己の身を犠牲にしてもなお、それを当然とするような在り方だ。つまるところ、彼はそれが気に入らないのだろう。ただ、新参者が口を出す場面でもない、ブルックはそう判断した。
「──ええっと、そうだ、私、一味に入れて貰いました」
「へえそうか……、そりゃ運が悪かったな」
空気を変えるように、ブルックが明るく言う。ゾロは横目で彼を見やり、口元をにやりと歪めた。
「この一味は手ェやくぞ?」
「ヨホホ! その様で!! 死ぬ気で頑張ります!! あ! 私もう死んでますけど!」
冗談を交えたやりとりに、空気が少しだけ緩む。ブルックは笑いながら、胸の奥でほっと息をついた。これで全員に挨拶ができた。きちんと、出航前に筋を通せたことに安堵する。
そのとき、ゾロが立ち上がりかけながら、腹や腕に巻かれていた包帯へと手をかけた。間を置かず、アマヤの細い手がそれを遮る。指先が静かに、けれどはっきりと、包帯の上に置かれ、束縛を嫌う剣士にそのままを強いるのだった。
「あ!?」
「……」
ゾロは苛立ちを隠さず声を荒げた。だが、アマヤは何も答えない。ただ己の沈黙を盾にするかのように、つんと顎を上げ、けれども彼が包帯を解こうとすることだけは妨害する。
その様子を見て、ブルックは自分の予想が概ね当たっているであろうことを確信し、小さく頷いた。
