〜シャボンディまで
サニー号のダイニングに、バラバラだった一味がようやく再集結した。ただし、一部を除いて。
影を持ち去られ、肉体をデコレーションされていた3人は意識を取り戻すなり頭を抱えている。
「まったく面目ねェ……、油断しすぎてた……!!」
「海賊弁当も失くしちまった〜〜」
サンジは呻きながら起き上がり、ぼさぼさの髪をかきあげると、すぐさま周囲を見渡す。最優先事項たる女性陣の無事を確認しようとしたのだ。しかし、見当たらないメンバーがいる。
「──ところでナミさんがいねェ様だが……? あと、アマヤも」
「ナミは透明人間に連れ去られた。……アマヤだが──」
「連れ去られたァ!? なぜ地の果てまで追わねェ!?」
瞬間、サンジの怒声が船中に響き渡った。空を裂くような剣幕に、ウソップが慌てて両手を振って言い訳する。
「すまねェ! でも追いかけようのねェ状況になっちまって……!!」
ウソップの話によれば、ナミは獅子のような顔をした透明人間のゾンビに、突然現れたと思う間もなく攫われたのだという。
一方でアマヤは、ホグバックの研究室でサムライゾンビと対峙していたが、いつの間にか姿を消していた。
「問題はアマヤだな。さっぱり行方がわからねェ」
(最後の目撃地点はホグバックの研究室である、と説明したウソップの描写)
「おれ達のこと庇ってサムライゾンビとやり合ってて……」
「アマヤもすげェけどよ、あの後勝てたかっていうと──」
最後にその姿が目撃されたのは研究室。自分たちを庇って戦っていたと語るウソップの言葉に、チョッパーもまた肩を落とす。
「おそらく」
ロビンが、静かに口を開いた。それまで黙って話を聞いていた彼女は、ほんの少し視線を落としながら、推論を紡ぐように言葉を続ける。
「ここまでの流れだと、アマヤが負けたとして、命を取られることはないんじゃないかしら」
「あァ、だが、おれ達と一緒に船に返されなかったのが不可解だ」
低く唸るようにゾロが続く。腕を組み、眉間に皺を寄せたまま、彼は壁にもたれかかっていた。
影を取られてゾンビにされているのならば分かる。けれどもこの場の誰もそれらしきゾンビを目撃していない。それに、本体の命を保持する必要があるというのに、ここにアマヤの本体はない。
「情報源として可能性があるのはサムライゾンビかしら」
ロビンが導いた結論に、ゾロの目が鋭く細まる。
「じゃあそこはおれだ。”伝説の侍”のゾンビってのがどれ程のモンか興味をそそる」
「おれもガイコツの戦いが心配だ、そこへ行く!」
フランキーが持ち上げたサングラスの縁を指で弾き、ギラリと目を光らせる。
一味は再び、敵地へ踏み込む決意を固めていた。手分けしてナミとアマヤ、それに影、そして食料を取り返さなくてはいけない。
***
「アマヤ! ……アマヤ、起きてくれ!!」
崩れかけたモリアのダンスホール、その片隅にひっそりと横たわるアマヤの姿を、チョッパーとロビンはついに見つけた。顔色は悪いが、呼吸はある。けれども彼の瞼は重く、何度呼びかけても微動だにしない。
ホグバックいわく、切り取った影があまりにも使い物にならなかったから、まともに戦っていた肉体の方をゾンビの材料にするため持ち帰るところだったらしい。体を持ち上げて確認したところ、影は抜けたままだ。ここまでで理解しているルールだと、影がついた状態でないと肉体として利用することも難しいだろうに、この状態とは、敵方にも種々のトラブルが発生しているらしい。
「どうしよう、ロビン、ここももう崩れそうなのに!」
チョッパーが不安げに地響きを聞きながら、必死でアマヤの肩を揺する。だが、意識の深い淵に沈んだままのアマヤは、まるで夢の中から戻ってこようとしない。サニー号でウソップが3人に行ったように、心の深いところを揺さぶらなくてはいけないらしい。
「──分かったわ。後から、怒られそうだけど」
ロビンの表情が僅かに変わる。その瞳に、ある決意の光が灯った。
「チョッパー!! しっかりして!! ひどい怪我よ!!!」
その迫真の声に、チョッパーは目を丸くしたまま凍りつく。
「──え」
「こんなに出血して……!! どうしたら! チョッパー!!」
ロビンが激しい演技でチョッパーを心配してみせると、アマヤがついにがばりと体を起こす。青ざめたその表情は、寝起きのその瞬間から切羽詰まったものだった。
「チョッパーくんっ!」
しかし、アマヤのぼやけた視界に映ったのは、思いのほか元気そうなチョッパーだった。包帯は巻かれているが、それほど深刻な怪我には見えない。
「……わ」
思わず漏れた声に、チョッパーがぱっと顔を輝かせて覗き込んでくる。
「アマヤ! 気がついたんだな!!」
「チョッパーくん、怪我は……?」
「おれは平気だ、かすり傷。今のはロビンの演技だよ」
「──ああ」
アマヤは自分が影を切り離されたこと、自分の意識を覚醒させるために自分が一番大切に思っているものを引き合いに出されたことの全てを理解する。何を信念に据えているかをロビンに把握されていたことは少々面映いが、とにかく彼女たちのおかげで意識を取り戻せたらしい。
「ごめんね、面倒かけさせちゃった」
「そろそろここも危険よ。急ぎましょう」
あちこちの壁がひび割れ、崩落の予兆を孕むダンスホールから、三人は足早に離れる。他の仲間と合流するために、残された時間の中で急がねばならない。
そんな中、アマヤは少々気掛かりを抱えていた。今だに影が戻っていないということは、どこかに自分のゾンビが存在しているということだ。それが仲間の害にならなければ良いが、と唇を噛むのだった。
***
アマヤのよくない予感はすぐに現実のものになる。ワンダーガーデンの石畳へと足を踏み入れた途端、どこか間の抜けた叫び声が飛び込んできた。
「アマヤ! チョッパー! ロビン! 助けてくれ妙なゾンビが!!」
それはウソップの声だった。こちらへ向かって必死に駆けてくる彼の背後から、ギリシア風の皮鎧に身を包んだいかついゾンビが一体、のそのそと後を追っていた。敵方であるゾンビに対して、ウソップはどうにも様子がおかしい。緊迫感が足りない。おかしいといえばゾンビの方もだ。武器は一切持っておらず、唸り声をあげるわけでもない。ただ、不器用な足取りでウソップを追いかけながら、時折声をあげている。
「なんで逃げるんだよ! ちょっと話したいって言ってるだけだろ!」
そのゾンビは、アマヤたちの姿を見つけた瞬間、凹んだ瞳をきらきらと輝かせた。信じられないほどの感動をたたえた声音が、喉の奥から飛び出す。
「うわあ! チョッパー! ロビン! 本物だ!!」
歓喜に満ちた声を聞いて、アマヤはこれが自分のゾンビだと確信する。しかも、自分の精神の古い方だけが抽出されたという最悪の展開だ。唯一の救いは、今世の鈴を転がすような愛らしさに満ちた声音ではなく、どこか卑屈さと臆病さが滲む一般男性の声をしていることだろう。
アマヤはそれを認知した次の瞬間にはもう体が動いてしまっていた。衣服の裾を翻し、風のような身軽さで繰り出す飛び蹴りはそのゾンビへと命中する。悪友のを見て覚えた蹴撃をこんなところで披露することになるとは思わなかった。
重たい音と共にゾンビがよろけ、仰け反る。
「こっ、こ、ここは僕に任せて先に行って!!」
「──どうしたんだ、アマヤ」
叫びながらアマヤはゾンビに馬乗りになり、怒りに満ちた眼差しでその顔を睨み下ろす。柔らかな顔立ちに珍しく鋭さが宿っていた。おろおろとするウソップへの配慮をしている余裕もない。これ以上このゾンビに一言たりとも喋らせたくなかった。
「いいからっ! もう少し高いところまで登って、ルフィくんのゾンビの様子を確認してくれるっ?」
占い師としての仮面で隠してきた自分の本性のようなものが動いて喋っているところは、なんともグロテスクな風景だった。これを今の仲間たちに見せたくない。
「チョッパーくん、ロビンさんもそっちへ! これを片付けたら、僕もいくから」
「……アマヤ」
「きちんと擦り潰すから安心してねっ」
背後を気にしないように、でも心配させないように、アマヤは明るく言い放った。その明るさの中に、見たことのない冷ややかな殺意が滲んでいることを汲み取り、3人は足早にその場を離れてくれた。
アマヤは改めて眼下のゾンビへと語りかける。
「──さて」
アマヤは無造作に巻き毛をかき上げ、手首を鳴らす。
対するゾンビは、立ち上がりながらお腹をさすり、不服そうに呻いた。
「……いてて。ん、? 痛くないか」
「”僕”はそんなに積極的な人間じゃなかった。でも、思考の流れは分かるよ。せっかくの愉快な夢なんだから楽しもうって魂胆だ。それに、一味をねらうように指示されてる」
アマヤは腰に隠していた小さな布包みを開き、その中から鈍く光る金属を取り出す。手甲鉤は彼が扱う中で最も殺傷力が高い暗器だ。同時に、小瓶に詰めた火薬も指の間に挟んで構える。
「ここがワンピースのスリラーバークだって分かって興奮してるんでしょ」
「……なんでそれを」
「ああもうっ、最悪! ウソップくんに何を言ったの!?」
アマヤが意図的に押し隠していた部分が露わになってウソップの前に在ったのだ。苛立ちと恥ずかしさで指先が冷たくなるのが分かる。
「いや、推しなんだ一回喋ってみたかったんだって」
「君が僕だってバレる前に徹底的に消す。……こんなことになるなんて。でも、大丈夫だよ。消えるのはその歪んだ自意識と作られた体だけで、君そのものはもう一回僕になるだけだから」
地を蹴った身体はどこまでも軽く、だが狙いは致命的に鋭い。
鉤がゾンビの胴に深く食い込む。衝撃にあおられ、ゾンビの巨体は地面を転がり、木の幹を軋ませてようやく止まる。
「ガッ──、い、たくはねえ、けど」
地に倒れたゾンビは、呻きながらも手足を大きく動かすことはなかった。もはや反抗の意思はほとんど感じられない。その表情には、怯えのようなものが混じっていた。
アマヤを前にしても、敵意を見せない理由は明白だった。このゾンビの認識、つまり、“前世”にとって、アマヤは見知らぬ存在だった。彼の中には、アマヤと麦わらの一味との繋がりなどない。このゾンビへの”麦わらの一味を攻撃するように”という命令は、悲しいかな、アマヤには適用されないのだ。
「やめてくれ! 俺は、ッグ!」
呼びかけは悲鳴に近かったが、アマヤの手は止まらなかった。現代日本における一般人男性は戦うことなど知らない。
「こんな形でバラバラになるんじゃなかったら、もう少し喋ってみたかった。僕にだって一つ目の故郷を懐かしむ気持ちはあるんだよ」
「あ!? 俺はお前のこと、知らない!」
ゾンビは、怒りとも困惑ともつかぬ声を上げた。
それでもアマヤの表情は変わらない。むしろ、静かな笑みすら浮かべていた。喜びや揶揄いに起因するものではない、哀れみに基づいた冷笑である。
「そうだよね。だって、ワンピースに僕は出てこないもん」
「──それ、どういう」
その疑問の続きを告げさせる暇もなく、アマヤは一気に距離を詰める。あっという間にゾンビの腹に乗りかかり、掌に仕込んだ火種を滑り込ませた。次の瞬間、火がついた肉体が激しく軋みを上げる。
「なんだよお、なんでこんなことになるんだ、俺、やっぱり」
「ごめんね、僕が影を取られたばっかりに」
「──ここにも、居場所、ないのかよ」
呻き声とともに、その体がゆっくりと燃え上がる。最後の悲痛な一言はアマヤの精神を竦ませるには十分だった。自身の体に影が戻っても、アマヤはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……おかえり。大丈夫、」
ぽつりと呟きながら、アマヤは自分の腹のあたりの衣服を両手でぎゅうと握りしめた。喉の奥がひどく熱く、重い。
「僕ら、麦わらの一味に居て、いいんだから。……多分」
確かに、あの“前世”の彼は、諦めきった目で日々を過ごしていた。何かを成す勇気もなく、誰にも本音を言えず、ただ静かに、誰の物語でもない場所に埋もれていた。
だからこそ、彼はこの世界に憧れた。力強く、自由に、生きている人たちの世界に。
アマヤは天を仰ぎ見る。ここはもはやフィクションではない、痛みも悔しさも血もある、確かな現実だ。先ほどのゾンビの為したように、ここに生きる彼らを物語の中のキャラクターとして扱うのは、それはそれ、失礼が過ぎるというものだろう。
影を持ち去られ、肉体をデコレーションされていた3人は意識を取り戻すなり頭を抱えている。
「まったく面目ねェ……、油断しすぎてた……!!」
「海賊弁当も失くしちまった〜〜」
サンジは呻きながら起き上がり、ぼさぼさの髪をかきあげると、すぐさま周囲を見渡す。最優先事項たる女性陣の無事を確認しようとしたのだ。しかし、見当たらないメンバーがいる。
「──ところでナミさんがいねェ様だが……? あと、アマヤも」
「ナミは透明人間に連れ去られた。……アマヤだが──」
「連れ去られたァ!? なぜ地の果てまで追わねェ!?」
瞬間、サンジの怒声が船中に響き渡った。空を裂くような剣幕に、ウソップが慌てて両手を振って言い訳する。
「すまねェ! でも追いかけようのねェ状況になっちまって……!!」
ウソップの話によれば、ナミは獅子のような顔をした透明人間のゾンビに、突然現れたと思う間もなく攫われたのだという。
一方でアマヤは、ホグバックの研究室でサムライゾンビと対峙していたが、いつの間にか姿を消していた。
「問題はアマヤだな。さっぱり行方がわからねェ」
(最後の目撃地点はホグバックの研究室である、と説明したウソップの描写)
「おれ達のこと庇ってサムライゾンビとやり合ってて……」
「アマヤもすげェけどよ、あの後勝てたかっていうと──」
最後にその姿が目撃されたのは研究室。自分たちを庇って戦っていたと語るウソップの言葉に、チョッパーもまた肩を落とす。
「おそらく」
ロビンが、静かに口を開いた。それまで黙って話を聞いていた彼女は、ほんの少し視線を落としながら、推論を紡ぐように言葉を続ける。
「ここまでの流れだと、アマヤが負けたとして、命を取られることはないんじゃないかしら」
「あァ、だが、おれ達と一緒に船に返されなかったのが不可解だ」
低く唸るようにゾロが続く。腕を組み、眉間に皺を寄せたまま、彼は壁にもたれかかっていた。
影を取られてゾンビにされているのならば分かる。けれどもこの場の誰もそれらしきゾンビを目撃していない。それに、本体の命を保持する必要があるというのに、ここにアマヤの本体はない。
「情報源として可能性があるのはサムライゾンビかしら」
ロビンが導いた結論に、ゾロの目が鋭く細まる。
「じゃあそこはおれだ。”伝説の侍”のゾンビってのがどれ程のモンか興味をそそる」
「おれもガイコツの戦いが心配だ、そこへ行く!」
フランキーが持ち上げたサングラスの縁を指で弾き、ギラリと目を光らせる。
一味は再び、敵地へ踏み込む決意を固めていた。手分けしてナミとアマヤ、それに影、そして食料を取り返さなくてはいけない。
***
「アマヤ! ……アマヤ、起きてくれ!!」
崩れかけたモリアのダンスホール、その片隅にひっそりと横たわるアマヤの姿を、チョッパーとロビンはついに見つけた。顔色は悪いが、呼吸はある。けれども彼の瞼は重く、何度呼びかけても微動だにしない。
ホグバックいわく、切り取った影があまりにも使い物にならなかったから、まともに戦っていた肉体の方をゾンビの材料にするため持ち帰るところだったらしい。体を持ち上げて確認したところ、影は抜けたままだ。ここまでで理解しているルールだと、影がついた状態でないと肉体として利用することも難しいだろうに、この状態とは、敵方にも種々のトラブルが発生しているらしい。
「どうしよう、ロビン、ここももう崩れそうなのに!」
チョッパーが不安げに地響きを聞きながら、必死でアマヤの肩を揺する。だが、意識の深い淵に沈んだままのアマヤは、まるで夢の中から戻ってこようとしない。サニー号でウソップが3人に行ったように、心の深いところを揺さぶらなくてはいけないらしい。
「──分かったわ。後から、怒られそうだけど」
ロビンの表情が僅かに変わる。その瞳に、ある決意の光が灯った。
「チョッパー!! しっかりして!! ひどい怪我よ!!!」
その迫真の声に、チョッパーは目を丸くしたまま凍りつく。
「──え」
「こんなに出血して……!! どうしたら! チョッパー!!」
ロビンが激しい演技でチョッパーを心配してみせると、アマヤがついにがばりと体を起こす。青ざめたその表情は、寝起きのその瞬間から切羽詰まったものだった。
「チョッパーくんっ!」
しかし、アマヤのぼやけた視界に映ったのは、思いのほか元気そうなチョッパーだった。包帯は巻かれているが、それほど深刻な怪我には見えない。
「……わ」
思わず漏れた声に、チョッパーがぱっと顔を輝かせて覗き込んでくる。
「アマヤ! 気がついたんだな!!」
「チョッパーくん、怪我は……?」
「おれは平気だ、かすり傷。今のはロビンの演技だよ」
「──ああ」
アマヤは自分が影を切り離されたこと、自分の意識を覚醒させるために自分が一番大切に思っているものを引き合いに出されたことの全てを理解する。何を信念に据えているかをロビンに把握されていたことは少々面映いが、とにかく彼女たちのおかげで意識を取り戻せたらしい。
「ごめんね、面倒かけさせちゃった」
「そろそろここも危険よ。急ぎましょう」
あちこちの壁がひび割れ、崩落の予兆を孕むダンスホールから、三人は足早に離れる。他の仲間と合流するために、残された時間の中で急がねばならない。
そんな中、アマヤは少々気掛かりを抱えていた。今だに影が戻っていないということは、どこかに自分のゾンビが存在しているということだ。それが仲間の害にならなければ良いが、と唇を噛むのだった。
***
アマヤのよくない予感はすぐに現実のものになる。ワンダーガーデンの石畳へと足を踏み入れた途端、どこか間の抜けた叫び声が飛び込んできた。
「アマヤ! チョッパー! ロビン! 助けてくれ妙なゾンビが!!」
それはウソップの声だった。こちらへ向かって必死に駆けてくる彼の背後から、ギリシア風の皮鎧に身を包んだいかついゾンビが一体、のそのそと後を追っていた。敵方であるゾンビに対して、ウソップはどうにも様子がおかしい。緊迫感が足りない。おかしいといえばゾンビの方もだ。武器は一切持っておらず、唸り声をあげるわけでもない。ただ、不器用な足取りでウソップを追いかけながら、時折声をあげている。
「なんで逃げるんだよ! ちょっと話したいって言ってるだけだろ!」
そのゾンビは、アマヤたちの姿を見つけた瞬間、凹んだ瞳をきらきらと輝かせた。信じられないほどの感動をたたえた声音が、喉の奥から飛び出す。
「うわあ! チョッパー! ロビン! 本物だ!!」
歓喜に満ちた声を聞いて、アマヤはこれが自分のゾンビだと確信する。しかも、自分の精神の古い方だけが抽出されたという最悪の展開だ。唯一の救いは、今世の鈴を転がすような愛らしさに満ちた声音ではなく、どこか卑屈さと臆病さが滲む一般男性の声をしていることだろう。
アマヤはそれを認知した次の瞬間にはもう体が動いてしまっていた。衣服の裾を翻し、風のような身軽さで繰り出す飛び蹴りはそのゾンビへと命中する。悪友のを見て覚えた蹴撃をこんなところで披露することになるとは思わなかった。
重たい音と共にゾンビがよろけ、仰け反る。
「こっ、こ、ここは僕に任せて先に行って!!」
「──どうしたんだ、アマヤ」
叫びながらアマヤはゾンビに馬乗りになり、怒りに満ちた眼差しでその顔を睨み下ろす。柔らかな顔立ちに珍しく鋭さが宿っていた。おろおろとするウソップへの配慮をしている余裕もない。これ以上このゾンビに一言たりとも喋らせたくなかった。
「いいからっ! もう少し高いところまで登って、ルフィくんのゾンビの様子を確認してくれるっ?」
占い師としての仮面で隠してきた自分の本性のようなものが動いて喋っているところは、なんともグロテスクな風景だった。これを今の仲間たちに見せたくない。
「チョッパーくん、ロビンさんもそっちへ! これを片付けたら、僕もいくから」
「……アマヤ」
「きちんと擦り潰すから安心してねっ」
背後を気にしないように、でも心配させないように、アマヤは明るく言い放った。その明るさの中に、見たことのない冷ややかな殺意が滲んでいることを汲み取り、3人は足早にその場を離れてくれた。
アマヤは改めて眼下のゾンビへと語りかける。
「──さて」
アマヤは無造作に巻き毛をかき上げ、手首を鳴らす。
対するゾンビは、立ち上がりながらお腹をさすり、不服そうに呻いた。
「……いてて。ん、? 痛くないか」
「”僕”はそんなに積極的な人間じゃなかった。でも、思考の流れは分かるよ。せっかくの愉快な夢なんだから楽しもうって魂胆だ。それに、一味をねらうように指示されてる」
アマヤは腰に隠していた小さな布包みを開き、その中から鈍く光る金属を取り出す。手甲鉤は彼が扱う中で最も殺傷力が高い暗器だ。同時に、小瓶に詰めた火薬も指の間に挟んで構える。
「ここがワンピースのスリラーバークだって分かって興奮してるんでしょ」
「……なんでそれを」
「ああもうっ、最悪! ウソップくんに何を言ったの!?」
アマヤが意図的に押し隠していた部分が露わになってウソップの前に在ったのだ。苛立ちと恥ずかしさで指先が冷たくなるのが分かる。
「いや、推しなんだ一回喋ってみたかったんだって」
「君が僕だってバレる前に徹底的に消す。……こんなことになるなんて。でも、大丈夫だよ。消えるのはその歪んだ自意識と作られた体だけで、君そのものはもう一回僕になるだけだから」
地を蹴った身体はどこまでも軽く、だが狙いは致命的に鋭い。
鉤がゾンビの胴に深く食い込む。衝撃にあおられ、ゾンビの巨体は地面を転がり、木の幹を軋ませてようやく止まる。
「ガッ──、い、たくはねえ、けど」
地に倒れたゾンビは、呻きながらも手足を大きく動かすことはなかった。もはや反抗の意思はほとんど感じられない。その表情には、怯えのようなものが混じっていた。
アマヤを前にしても、敵意を見せない理由は明白だった。このゾンビの認識、つまり、“前世”にとって、アマヤは見知らぬ存在だった。彼の中には、アマヤと麦わらの一味との繋がりなどない。このゾンビへの”麦わらの一味を攻撃するように”という命令は、悲しいかな、アマヤには適用されないのだ。
「やめてくれ! 俺は、ッグ!」
呼びかけは悲鳴に近かったが、アマヤの手は止まらなかった。現代日本における一般人男性は戦うことなど知らない。
「こんな形でバラバラになるんじゃなかったら、もう少し喋ってみたかった。僕にだって一つ目の故郷を懐かしむ気持ちはあるんだよ」
「あ!? 俺はお前のこと、知らない!」
ゾンビは、怒りとも困惑ともつかぬ声を上げた。
それでもアマヤの表情は変わらない。むしろ、静かな笑みすら浮かべていた。喜びや揶揄いに起因するものではない、哀れみに基づいた冷笑である。
「そうだよね。だって、ワンピースに僕は出てこないもん」
「──それ、どういう」
その疑問の続きを告げさせる暇もなく、アマヤは一気に距離を詰める。あっという間にゾンビの腹に乗りかかり、掌に仕込んだ火種を滑り込ませた。次の瞬間、火がついた肉体が激しく軋みを上げる。
「なんだよお、なんでこんなことになるんだ、俺、やっぱり」
「ごめんね、僕が影を取られたばっかりに」
「──ここにも、居場所、ないのかよ」
呻き声とともに、その体がゆっくりと燃え上がる。最後の悲痛な一言はアマヤの精神を竦ませるには十分だった。自身の体に影が戻っても、アマヤはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……おかえり。大丈夫、」
ぽつりと呟きながら、アマヤは自分の腹のあたりの衣服を両手でぎゅうと握りしめた。喉の奥がひどく熱く、重い。
「僕ら、麦わらの一味に居て、いいんだから。……多分」
確かに、あの“前世”の彼は、諦めきった目で日々を過ごしていた。何かを成す勇気もなく、誰にも本音を言えず、ただ静かに、誰の物語でもない場所に埋もれていた。
だからこそ、彼はこの世界に憧れた。力強く、自由に、生きている人たちの世界に。
アマヤは天を仰ぎ見る。ここはもはやフィクションではない、痛みも悔しさも血もある、確かな現実だ。先ほどのゾンビの為したように、ここに生きる彼らを物語の中のキャラクターとして扱うのは、それはそれ、失礼が過ぎるというものだろう。
