〜W7まで
サンジの煙混じりの報告に仮設住宅内に明るい声が弾けた。
「え!? ウソップは戻ってくる!?」
「ああ、海岸で一人、予行練習してたよ」
「ホントかーーっ!?」
ルフィの叫びにチョッパーが続き、二人はその場でぱっと立ち上がる。互いに手を打ち合わせ、飛び跳ねるように喜びをあらわにした。
「じゃ、今すぐ迎えに行こう!!」
「素直じゃないわね、ホント」
口元にはあきれたような笑みが浮かび、だが彼女の目もまた、ほっとしたように細められていた。
けれど、浮き上がった空気は、一声で鋭く裂かれる。
「待てお前ら!! 誰一人、こっちから迎えに行く事はおれが許さん」
喜び勇んだ二人が振り返ると、ゾロが腕を組み、足を広げて仁王立ちになっていた。低い声に込められた確固たる意志が、場の熱気を冷やすように響く。
「えー!? 何で!?」
ルフィとチョッパーは同時に眉を寄せ、不満を露わにする。
少し離れた場所では、サンジが再び火を点け、煙を吐きながら何も言わずその様子を眺めていた。ロビンは落ち着いた面持ちで腕を組み、何か思案しているように目を伏せる。アマヤはその隣で静かに立ち、柔らかな笑みを貼りつけたまま、成り行きを見守っている。
「いいか、お前ら。こんなバカでも肩書きは”船長”だ」
ゾロの声音は低く、ルフィをこづきながらでもその一言一言は彼の剣技のように鋭い。まっすぐ前を見据える視線には、普段以上の重みが宿っている。
ここは志を同じくする人間の集まりであると同時に、船長を海賊王にするための組織である。線引きなしに全員がそれぞれの感情だけを大切にしていたら、それはもちろん崩壊の結末につながるだろう。どこまでも真面目な剣士はそこを全員に突きつけようというのだった。
「今回の一件に何のケジメもつけず、うやむやにしようってんなら、それはおれが絶対に許さん!!」
その中で、ロビンは静かに瞳を伏せ、小さく頷いた。大きな組織に属していた経験のある彼女にはゾロの言い分がよくわかるのだろう。どうしたって、群れには序列が必要だ。
「待ってよゾロ、確かにあいつも悪いところあったけど──」
ナミが食い下がるように声を上げるも、その言葉をゾロは真っ向から遮った。
「一味を抜けるってのはそんなに簡単な事なのか!?」
「……いいえ、でも……」
「ナミさん、……残念ながら今回ばかりは、コイツの言う事は正しい」
「……僕も賛成。ウソップくんの言い分全てを受け入れるのは、彼のためにならないよ」
珍しいサンジからゾロへの援護射撃の後に続いたのは、控えていたアマヤの柔らかな声だった。その声音に尖りはない。けれど、凛とした芯が通っている。
「簡単な話だ。ウソップの第一声が深い謝罪であれば、よし……、それ以外ならもう奴に帰る場所はない」
最後の一言が落ちたとき、ルフィは小さく喉を鳴らした。額から一筋、汗が伝う。だが彼は、目をそらさない。
「そうだな! まだ何日もある! 黙ってあいつを待とう!!」
チョッパーはその場でこくりと頷くも、表情は不安げだった。その肩に、そっと細い指が置かれる。アマヤだった。彼は静かにしゃがみ込み、チョッパーの頭を撫でながら、目を細める。
「ゾロくんは帰ってきて欲しいと思ってるんだよ。ウソップくんを嫌いになったわけじゃない」
「……そうだよな」
「きっとウソップくんは、……あー、っと」
アマヤは言いかけた言葉を急に飲み込み、目線を泳がせる。この中の3人にとっては、それがチョッパーへの励ましではなく、はっきりとした未来予知になってしまうことを思い出したのだ。しばらくはこういうやりにくさが続くことだろう。
「今もいろいろ、考えてるはずだよっ」
「おう! おれ、あいつを信じるよ!」
そして、同じ日の夕方。アマヤはキッチン奥にある戸棚の前で身をかがめていた。お目当ては酒瓶である。光にかざし、残量や香りを確かめながら、何本か手に取っては並び替えている。
その背後から、低い声が飛んできた。
「おい、まだ飯じゃねェぞ」
振り返ると、サンジが腕を組んでこちらを睨んでいた。
「……あー、これは、」
確かにはたから見れば食料をねらう罪人である。普段はそんなことをするアマヤではないため、その言葉には棘が少ないにしても、サンジはキッチンでの狼藉を許すことはできないのだった。
「嫌われ役を引き受けた人に、差し入れようと──」
「あァいい、わかった」
サンジは言葉を遮り、手をひらひらと払った。
アマヤの思惑を受け入れ、特別措置を許すことにしたらしい。たとえあの男が嫌われ役を引き受けたつもりなどなく、自分の信念を貫いただけにしろ、少なからずそれは評価に値する。サンジもアマヤも、やはり同様に組織に属して生きてきた人間である。ああやってトップにすら提言できる存在がどれだけ貴重かは分かっているつもりだった。
「あいつが言わなきゃおれが言ってた」
「ゾロくんもサンジくんも言わなきゃ、僕が言ってた」
「いやお前は言わんだろ」
鼻で笑うように返されて、アマヤは小さく肩をすくめた。
「あの場で全員に向けては言わないかな。こっそり追いかけて止めてた。……ゾロくんが言うって分かってたからこの仮定は今作ったけど」
そう言ってアマヤはくすりと笑い、肩の力を抜いて再び戸棚を覗き込む。茶褐色の瓶、果実酒の細い瓶、そして軽く振ると涼やかに音が鳴る琥珀色の瓶、彼は慎重に三本を選び、両腕で抱えた。
「ああいう人が居てくれる組織って、安心感があるよね」
ぽつりと漏らしたその言葉に、サンジは渋面を作った。あからさまに不満げにしゃくれた顎を突き出し、何か言いたげに口を開きかけては、結局舌打ちだけ取り出して閉じてしまうのだった。
***
その一報は、昼下がりの緩んだ空気をかき消すように届いた。
新しい船が完成したという知らせに、仮設住宅のあちこちから弾けるような声が上がる。誰かが駆け出せば、後を追うようにぞろぞろと皆が表へ飛び出していく。誰もが目を輝かせ、まるで子どものような顔で、港の方角へと身を乗り出していた。新しい乗り物、新しい家、どころではなく、あの勇敢なるメリーの後継たる新しい仲間の生誕である。
「麦わらさ〜〜〜ん」
その歓喜の只中に、間を計ったような間合いで現れた声があった。フランキー一家である。場違いなほど真剣な顔で駆け寄ってきたその手には、何やら折りたたまれた紙束が握られていた。
「実は……無理聞いて貰おうと、……手配書……!! 見ましたか!?」
「手配書?」
「あんた……! とんでもねェ額ついてるぜ!! 麦わらさん!」
ばら撒かれた紙は、風に舞いながら次々と地面へ落ちていく。アマヤはその中に期待していた一枚を見つけて、思わず口元を押さえる。眉が寄り、肩がわずかに震え、呼吸を抑えるような仕草だ。
アマヤの視線の先にあったものを、横にいた金髪の男が拾い上げ、こちらは隠す余裕もないほどの荒い呼吸を繰り返す。紙に印刷されたのは、まさしくサンジの手配書だった。見る人が見ればきちんとそれが彼を指しているとわかるだろう。
「──ふ、」
声が漏れそうになるのを、アマヤは両手で口元を押さえながら必死に堪える。繊細なタッチで表現された、憂いを帯びたような目元が見るものの視線を吸い付けてならない。
手配書を見つめる者たちの反応は実に様々であった。額を誇らしげに掲げる者がいれば、肩を落として地面を見つめる者もいる。
アマヤはその様子を端で見ながら、ひとり満足げに目を細めた。仲間たちそれぞれの反応を、愛おしげに、あるいはこっそりと観察していた。そして、すべての表情を心に収めたあと、ふと最後の一枚に目を向ける。
「……僕のも、ある」
静かに呟いた言葉に、隣の男が笑いを含んだ声で応じた。
「そりゃそうだ、あんたも大暴れしたんだろ、これ見りゃわかるぜ」
額に汗をにじませ、手の甲でそれを拭うようにしている瞬間が切り取られていた。手には鎖打棒が握りしめられているところを見ると、戦闘中に激写されたらしい。あの乱戦の最中写真機を構えていた海兵がいたことは信じ難いが、きっと記録に収めずにはいられないほど目を引いたのだろう。よくあることだ。
中性的で整った顔立ちはいつも通りだったが、その目元には鋭さが宿っていた。可愛らしい、とは言い難い。けれど、確かにそこに映っているのは、真剣に仲間を守ろうとした青年の姿だった。
全員の名前と一緒にアマヤの名まで海軍に知られているのは、あの乱戦の最中互いに呼び合っていたからなのだろう。問題はそこに”暗器使い”などと不名誉な二つ名がついていることだった。
「占い師、が良かったな」
ぽつりと漏らしたその言葉には、深いため息が混ざっていた。絶望しているわけではない。だが、手放しで笑えるほどの図太さは持ち合わせていない。
暗器は、気づかれないから意味がある。存在を知られた時点で、それはすでに“奇襲”ではなくなる。ましてや、名前と顔と武器が一式で公開された今となっては、アマヤの得意とする戦法の半分が使えなくなったも同然だった。
「ま……まァ心中お察しするというか、色々言いてェ事はあるだろうが、その……」
その後、フランキー一家が切り出してきたのは、自分たちのトップを海に連れ出してくれとの懇願だった。お尋ね者と定住が噛み合わない存在であることは、海賊たちが一番よく知っている。麦わらの一味はそれを快諾するのだった。
***
新しい船は、港に悠々と佇んでいた。その姿を前にした一味は、誰もが自然と顔を綻ばせる。
船体はメリー号よりも一回り以上大きく、どっしりとした貫禄を漂わせていた。にもかかわらず、見上げているとどこかくすぐったいような、親しみやすさがそこにあった。飾りすぎず、けれど誇らしげに帆を掲げるその姿は、仲間たちの誰とでも似ていて、けれど誰とも違っていた。
直後のフランキー勧誘事件では、ロビンのあまりの所業にアマヤも思わず情動伝染に苦しむなどあったが、とにかく無事にその船は出航した。いや、無事というには大きな問題を一つ残したままだったが。
「本当にいいのか麦わら、もう一人、待たなくて」
「待ってたさ!! サンジからあの話を聞いてからおれは、あのガレーラの部屋が留守にならねェように、あそこでずーっと待ってたけど来なかった!!」
努めて明るい口調だった。嘘が嫌いで苦手な男から出てくる嘘は、聞こえた全員の心を斬りつけるようだった。
「……嬉しくも楽しくもないのに、笑ってる人、見るの辛いね」
「あいつだから特にだろ」
「確かに。ルフィくん嘘つくの下手だし、嫌いそうなのに」
アマヤの視界が涙腺の暴走で揺らめく。結果を分かっていてなお、ルフィの空元気は胸に刺さるものがある。サンジは斜め下に立つ彼の横顔を一瞥し、何も言わず煙草に火をつけた。火花がかすかに弾け、煙がゆっくりと流れていく。
「これが答えだ!! あいつだってよ……! 楽しくやると思うよ」
アマヤが手を思い切り握りしめたところで、海軍からの砲撃が始まる。誰かの叫びと同時に、砲弾が唸りを上げて飛来した。空気が裂け、足元が揺らぐ。穏やかだった船出の予感は、波頭と共に一気にかき消されていく。
降り注ぐ砲弾に相対し、戦闘班は完成したばかりの船を守ることに尽力した。
だが、アマヤはその輪の中には入らず、ナミの指示に従って帆の角度を微調整し、ロープを操作する。船を岸から離すには、風と帆と舵の呼吸を合わせなければならない。そもそも、アマヤは対物戦や物量戦は得意ではない。
緊迫する船出の中、チョッパーが駆け寄ってくるウソップに気付き、騒ぎ始める。
「ルフィ!! ウソップが呼んでるよ!!」
彼の叫びが、砲音をかき消さんばかりに甲板に響いた。彼の目は岸の先、荒波の向こうに立つ影を捉えている。
「聞こえねェ」
「ゾロ!!」
「何も聞こえねェな!!」
アマヤはマストの中腹にいた。そこから、風を裂いて一息に甲板へ飛び降りる。彼の”強がり”は聞こえてはいけないのだ。
「チョッパーくん」
「ウソつけ聞こえてるだろ!!」
「チョッパーくん! はいこれ木!! 砲弾逸らして!」
彼の前に差し出されたのは、大人の男でも両腕で抱えるほどの太い角材だ。甲板の端に資材として転がっていたのを有効活用させてもらうことにする。チョッパーは渋々大男の形体をとり、降り注ぐ砲撃に立ち向かうのだった。
刻一刻と、船は離岸していく中、ようやく彼の”謝罪”が聞こえる。これでようやく、一味が揃う。船長が伸ばした腕が、最後の一人を絡め取った後、太陽の名を冠した船はようやくその真価を発揮するに至る。
「おいお前ら帆をたため!!」
フランキーの怒号のような声が、船の上空に響く。だが、アマヤはもう動いていた。すでにマストの上段に飛び上がっていた彼は、ロープを掴み、帆を巻き上げる。まるで全て分かっていたかのように先読み行動をしているアマヤに、新入りの船大工は目を丸くする。もちろん彼は全て分かって行動しているわけだが。
「メインマストは僕が! 残りよろしく!!」
その足下では、誰かが新しい船の名前を叫び、仲間たちの声が入り混じって歓声のように響く。
そして、船は飛んだ。
突き上げるような浮遊感の中、アマヤはマストにしがみついたまま、顔を上げた。風が頬を打ち、香油の香りがかすかに混じって流れていく。胸の奥に、爽快感と高揚が押し寄せる。海賊という悪役寄りの職の中だというのに、ここにいると正しいことの白の中にいる実感が湧く。改めて、この素晴らしい一味の中に混ぜてもらえているという多幸感を噛み締めるのだった。
「え!? ウソップは戻ってくる!?」
「ああ、海岸で一人、予行練習してたよ」
「ホントかーーっ!?」
ルフィの叫びにチョッパーが続き、二人はその場でぱっと立ち上がる。互いに手を打ち合わせ、飛び跳ねるように喜びをあらわにした。
「じゃ、今すぐ迎えに行こう!!」
「素直じゃないわね、ホント」
口元にはあきれたような笑みが浮かび、だが彼女の目もまた、ほっとしたように細められていた。
けれど、浮き上がった空気は、一声で鋭く裂かれる。
「待てお前ら!! 誰一人、こっちから迎えに行く事はおれが許さん」
喜び勇んだ二人が振り返ると、ゾロが腕を組み、足を広げて仁王立ちになっていた。低い声に込められた確固たる意志が、場の熱気を冷やすように響く。
「えー!? 何で!?」
ルフィとチョッパーは同時に眉を寄せ、不満を露わにする。
少し離れた場所では、サンジが再び火を点け、煙を吐きながら何も言わずその様子を眺めていた。ロビンは落ち着いた面持ちで腕を組み、何か思案しているように目を伏せる。アマヤはその隣で静かに立ち、柔らかな笑みを貼りつけたまま、成り行きを見守っている。
「いいか、お前ら。こんなバカでも肩書きは”船長”だ」
ゾロの声音は低く、ルフィをこづきながらでもその一言一言は彼の剣技のように鋭い。まっすぐ前を見据える視線には、普段以上の重みが宿っている。
ここは志を同じくする人間の集まりであると同時に、船長を海賊王にするための組織である。線引きなしに全員がそれぞれの感情だけを大切にしていたら、それはもちろん崩壊の結末につながるだろう。どこまでも真面目な剣士はそこを全員に突きつけようというのだった。
「今回の一件に何のケジメもつけず、うやむやにしようってんなら、それはおれが絶対に許さん!!」
その中で、ロビンは静かに瞳を伏せ、小さく頷いた。大きな組織に属していた経験のある彼女にはゾロの言い分がよくわかるのだろう。どうしたって、群れには序列が必要だ。
「待ってよゾロ、確かにあいつも悪いところあったけど──」
ナミが食い下がるように声を上げるも、その言葉をゾロは真っ向から遮った。
「一味を抜けるってのはそんなに簡単な事なのか!?」
「……いいえ、でも……」
「ナミさん、……残念ながら今回ばかりは、コイツの言う事は正しい」
「……僕も賛成。ウソップくんの言い分全てを受け入れるのは、彼のためにならないよ」
珍しいサンジからゾロへの援護射撃の後に続いたのは、控えていたアマヤの柔らかな声だった。その声音に尖りはない。けれど、凛とした芯が通っている。
「簡単な話だ。ウソップの第一声が深い謝罪であれば、よし……、それ以外ならもう奴に帰る場所はない」
最後の一言が落ちたとき、ルフィは小さく喉を鳴らした。額から一筋、汗が伝う。だが彼は、目をそらさない。
「そうだな! まだ何日もある! 黙ってあいつを待とう!!」
チョッパーはその場でこくりと頷くも、表情は不安げだった。その肩に、そっと細い指が置かれる。アマヤだった。彼は静かにしゃがみ込み、チョッパーの頭を撫でながら、目を細める。
「ゾロくんは帰ってきて欲しいと思ってるんだよ。ウソップくんを嫌いになったわけじゃない」
「……そうだよな」
「きっとウソップくんは、……あー、っと」
アマヤは言いかけた言葉を急に飲み込み、目線を泳がせる。この中の3人にとっては、それがチョッパーへの励ましではなく、はっきりとした未来予知になってしまうことを思い出したのだ。しばらくはこういうやりにくさが続くことだろう。
「今もいろいろ、考えてるはずだよっ」
「おう! おれ、あいつを信じるよ!」
そして、同じ日の夕方。アマヤはキッチン奥にある戸棚の前で身をかがめていた。お目当ては酒瓶である。光にかざし、残量や香りを確かめながら、何本か手に取っては並び替えている。
その背後から、低い声が飛んできた。
「おい、まだ飯じゃねェぞ」
振り返ると、サンジが腕を組んでこちらを睨んでいた。
「……あー、これは、」
確かにはたから見れば食料をねらう罪人である。普段はそんなことをするアマヤではないため、その言葉には棘が少ないにしても、サンジはキッチンでの狼藉を許すことはできないのだった。
「嫌われ役を引き受けた人に、差し入れようと──」
「あァいい、わかった」
サンジは言葉を遮り、手をひらひらと払った。
アマヤの思惑を受け入れ、特別措置を許すことにしたらしい。たとえあの男が嫌われ役を引き受けたつもりなどなく、自分の信念を貫いただけにしろ、少なからずそれは評価に値する。サンジもアマヤも、やはり同様に組織に属して生きてきた人間である。ああやってトップにすら提言できる存在がどれだけ貴重かは分かっているつもりだった。
「あいつが言わなきゃおれが言ってた」
「ゾロくんもサンジくんも言わなきゃ、僕が言ってた」
「いやお前は言わんだろ」
鼻で笑うように返されて、アマヤは小さく肩をすくめた。
「あの場で全員に向けては言わないかな。こっそり追いかけて止めてた。……ゾロくんが言うって分かってたからこの仮定は今作ったけど」
そう言ってアマヤはくすりと笑い、肩の力を抜いて再び戸棚を覗き込む。茶褐色の瓶、果実酒の細い瓶、そして軽く振ると涼やかに音が鳴る琥珀色の瓶、彼は慎重に三本を選び、両腕で抱えた。
「ああいう人が居てくれる組織って、安心感があるよね」
ぽつりと漏らしたその言葉に、サンジは渋面を作った。あからさまに不満げにしゃくれた顎を突き出し、何か言いたげに口を開きかけては、結局舌打ちだけ取り出して閉じてしまうのだった。
***
その一報は、昼下がりの緩んだ空気をかき消すように届いた。
新しい船が完成したという知らせに、仮設住宅のあちこちから弾けるような声が上がる。誰かが駆け出せば、後を追うようにぞろぞろと皆が表へ飛び出していく。誰もが目を輝かせ、まるで子どものような顔で、港の方角へと身を乗り出していた。新しい乗り物、新しい家、どころではなく、あの勇敢なるメリーの後継たる新しい仲間の生誕である。
「麦わらさ〜〜〜ん」
その歓喜の只中に、間を計ったような間合いで現れた声があった。フランキー一家である。場違いなほど真剣な顔で駆け寄ってきたその手には、何やら折りたたまれた紙束が握られていた。
「実は……無理聞いて貰おうと、……手配書……!! 見ましたか!?」
「手配書?」
「あんた……! とんでもねェ額ついてるぜ!! 麦わらさん!」
ばら撒かれた紙は、風に舞いながら次々と地面へ落ちていく。アマヤはその中に期待していた一枚を見つけて、思わず口元を押さえる。眉が寄り、肩がわずかに震え、呼吸を抑えるような仕草だ。
アマヤの視線の先にあったものを、横にいた金髪の男が拾い上げ、こちらは隠す余裕もないほどの荒い呼吸を繰り返す。紙に印刷されたのは、まさしくサンジの手配書だった。見る人が見ればきちんとそれが彼を指しているとわかるだろう。
「──ふ、」
声が漏れそうになるのを、アマヤは両手で口元を押さえながら必死に堪える。繊細なタッチで表現された、憂いを帯びたような目元が見るものの視線を吸い付けてならない。
手配書を見つめる者たちの反応は実に様々であった。額を誇らしげに掲げる者がいれば、肩を落として地面を見つめる者もいる。
アマヤはその様子を端で見ながら、ひとり満足げに目を細めた。仲間たちそれぞれの反応を、愛おしげに、あるいはこっそりと観察していた。そして、すべての表情を心に収めたあと、ふと最後の一枚に目を向ける。
「……僕のも、ある」
静かに呟いた言葉に、隣の男が笑いを含んだ声で応じた。
「そりゃそうだ、あんたも大暴れしたんだろ、これ見りゃわかるぜ」
額に汗をにじませ、手の甲でそれを拭うようにしている瞬間が切り取られていた。手には鎖打棒が握りしめられているところを見ると、戦闘中に激写されたらしい。あの乱戦の最中写真機を構えていた海兵がいたことは信じ難いが、きっと記録に収めずにはいられないほど目を引いたのだろう。よくあることだ。
中性的で整った顔立ちはいつも通りだったが、その目元には鋭さが宿っていた。可愛らしい、とは言い難い。けれど、確かにそこに映っているのは、真剣に仲間を守ろうとした青年の姿だった。
全員の名前と一緒にアマヤの名まで海軍に知られているのは、あの乱戦の最中互いに呼び合っていたからなのだろう。問題はそこに”暗器使い”などと不名誉な二つ名がついていることだった。
「占い師、が良かったな」
ぽつりと漏らしたその言葉には、深いため息が混ざっていた。絶望しているわけではない。だが、手放しで笑えるほどの図太さは持ち合わせていない。
暗器は、気づかれないから意味がある。存在を知られた時点で、それはすでに“奇襲”ではなくなる。ましてや、名前と顔と武器が一式で公開された今となっては、アマヤの得意とする戦法の半分が使えなくなったも同然だった。
「ま……まァ心中お察しするというか、色々言いてェ事はあるだろうが、その……」
その後、フランキー一家が切り出してきたのは、自分たちのトップを海に連れ出してくれとの懇願だった。お尋ね者と定住が噛み合わない存在であることは、海賊たちが一番よく知っている。麦わらの一味はそれを快諾するのだった。
***
新しい船は、港に悠々と佇んでいた。その姿を前にした一味は、誰もが自然と顔を綻ばせる。
船体はメリー号よりも一回り以上大きく、どっしりとした貫禄を漂わせていた。にもかかわらず、見上げているとどこかくすぐったいような、親しみやすさがそこにあった。飾りすぎず、けれど誇らしげに帆を掲げるその姿は、仲間たちの誰とでも似ていて、けれど誰とも違っていた。
直後のフランキー勧誘事件では、ロビンのあまりの所業にアマヤも思わず情動伝染に苦しむなどあったが、とにかく無事にその船は出航した。いや、無事というには大きな問題を一つ残したままだったが。
「本当にいいのか麦わら、もう一人、待たなくて」
「待ってたさ!! サンジからあの話を聞いてからおれは、あのガレーラの部屋が留守にならねェように、あそこでずーっと待ってたけど来なかった!!」
努めて明るい口調だった。嘘が嫌いで苦手な男から出てくる嘘は、聞こえた全員の心を斬りつけるようだった。
「……嬉しくも楽しくもないのに、笑ってる人、見るの辛いね」
「あいつだから特にだろ」
「確かに。ルフィくん嘘つくの下手だし、嫌いそうなのに」
アマヤの視界が涙腺の暴走で揺らめく。結果を分かっていてなお、ルフィの空元気は胸に刺さるものがある。サンジは斜め下に立つ彼の横顔を一瞥し、何も言わず煙草に火をつけた。火花がかすかに弾け、煙がゆっくりと流れていく。
「これが答えだ!! あいつだってよ……! 楽しくやると思うよ」
アマヤが手を思い切り握りしめたところで、海軍からの砲撃が始まる。誰かの叫びと同時に、砲弾が唸りを上げて飛来した。空気が裂け、足元が揺らぐ。穏やかだった船出の予感は、波頭と共に一気にかき消されていく。
降り注ぐ砲弾に相対し、戦闘班は完成したばかりの船を守ることに尽力した。
だが、アマヤはその輪の中には入らず、ナミの指示に従って帆の角度を微調整し、ロープを操作する。船を岸から離すには、風と帆と舵の呼吸を合わせなければならない。そもそも、アマヤは対物戦や物量戦は得意ではない。
緊迫する船出の中、チョッパーが駆け寄ってくるウソップに気付き、騒ぎ始める。
「ルフィ!! ウソップが呼んでるよ!!」
彼の叫びが、砲音をかき消さんばかりに甲板に響いた。彼の目は岸の先、荒波の向こうに立つ影を捉えている。
「聞こえねェ」
「ゾロ!!」
「何も聞こえねェな!!」
アマヤはマストの中腹にいた。そこから、風を裂いて一息に甲板へ飛び降りる。彼の”強がり”は聞こえてはいけないのだ。
「チョッパーくん」
「ウソつけ聞こえてるだろ!!」
「チョッパーくん! はいこれ木!! 砲弾逸らして!」
彼の前に差し出されたのは、大人の男でも両腕で抱えるほどの太い角材だ。甲板の端に資材として転がっていたのを有効活用させてもらうことにする。チョッパーは渋々大男の形体をとり、降り注ぐ砲撃に立ち向かうのだった。
刻一刻と、船は離岸していく中、ようやく彼の”謝罪”が聞こえる。これでようやく、一味が揃う。船長が伸ばした腕が、最後の一人を絡め取った後、太陽の名を冠した船はようやくその真価を発揮するに至る。
「おいお前ら帆をたため!!」
フランキーの怒号のような声が、船の上空に響く。だが、アマヤはもう動いていた。すでにマストの上段に飛び上がっていた彼は、ロープを掴み、帆を巻き上げる。まるで全て分かっていたかのように先読み行動をしているアマヤに、新入りの船大工は目を丸くする。もちろん彼は全て分かって行動しているわけだが。
「メインマストは僕が! 残りよろしく!!」
その足下では、誰かが新しい船の名前を叫び、仲間たちの声が入り混じって歓声のように響く。
そして、船は飛んだ。
突き上げるような浮遊感の中、アマヤはマストにしがみついたまま、顔を上げた。風が頬を打ち、香油の香りがかすかに混じって流れていく。胸の奥に、爽快感と高揚が押し寄せる。海賊という悪役寄りの職の中だというのに、ここにいると正しいことの白の中にいる実感が湧く。改めて、この素晴らしい一味の中に混ぜてもらえているという多幸感を噛み締めるのだった。
