〜W7まで
「ハァ、ハァ……マズイぞ、あいつらに知らせねェと!! ルフィに至っちゃまだ寝てんのに!!」
ゾロは力の限り疾駆し、息を切らし、けれども見当はずれの岬に辿り着く。目の前に広がっていたのは見覚えのない岩場と、灯台の名残のような建物ぐらいのものだ。
「ん? ここはどこだ!?」
「仮設本部と正反対の岬だよ」
その声に迷子の剣士が振り向くと、岩の上をひょいひょいと身軽に飛び移ってくるアマヤがいた。
「お前」
まるで未来を知っているように、いや、はっきりと未来を知った上でここに立っているのであろうアマヤを、ゾロは思わず睨みつけてしまう。視線に打たれたアマヤが肩をすくませるのが見えた。口の端から舌打ちが漏れる。別に怯えさせたいわけではない。
「えっと、だって、……みんなのところに戻ろうとして困ってるかと、思って」
「──! そうだ! 沖から……、あァ、お前は分かってるんだったか」
「行こう、こっち、ついてきて」
表情を強張らせたまま走り出すその足取りにはためらいはないが、明らかに肩が緊張で縮み上がっている。とはいえ、焦りを抱えたゾロにそれを追求するだけの余裕はなく、結局無言でその背を追いかけるのだった。
数十秒後、直進するアマヤを視界に入れつつ、当然のように路地を曲がろうとしたゾロに気づき、アマヤが急ブレーキをかける。
「待って!! どうして!?」
「あ!?」
そのまま進もうとしたゾロの腕を、アマヤがとっさに掴んだ。まさか先導していてもなお別の道を進むほどとは思っていなかった。あの明け方から続いている緊張よりも、別種の恐怖がアマヤを襲う。これがファンタジスタだ。
「どうしよう! 手、繋いだほうがいい!?」
「馬鹿にしてんのか、着いてくだけだろ!」
「それが今できてなかったんだよっ!」
あまりのことに周囲が振り向くほどの大声の応酬になってしまう。
それに頭を冷やされたアマヤは深く、息を吸い込む。肩が上下し、ラベンダー色の髪が風に揺れる。そうして一拍置いて、声を整えた。
「オッケー、次に僕の後ろから逸れたら手を繋ぐよ。だって、急がないといけないもんね」
「……逸れねェから問題ない」
ゾロはふいと顔を背けるが、口調には明らかな歯切れの悪さがあった。
そして、それから一分もしないうちに、小道をひとつ曲がったアマヤは、ぴたりと足を止めた。後ろを振り返ると、そこにゾロの姿はない。さらに数歩戻ると、まるで別の方向に進んでいたらしき剣士を認め、慌てて彼を追いかけ、引き留める。
「あのね、僕だって繋ぎたいわけじゃない」
額に手を当てて、深く項垂れる。物分かりの悪い子を抱えた母親はきっとこんな気分になるのだろう。
「……」
「折衷案として、ええと」
呟きながら、アマヤは自分の腰に手をやる。裾が広がるチュニックを纏めるために、ベルトよろしく結ばれていた飾り紐を、そっと解いた。人の尊厳をちょっとだけ削り落とす気はするものの、背に腹は変えられない。
「い、犬の散歩してるようなものでしょ、見た目は。手、繋ぐよりましだと思ってね」
アマヤは服に縫い付けられているその紐の端をゾロの前に差し出し、握らせる。逆ならばプライドの高い彼は決して頷かなかっただろうが、形的にはアマヤが犬で迷子が飼い主だ。これで駄目なら彼を担いで持っていくしかないというとんでもないアイデアまで頭をよぎった。
ゾロは、手に握らされた細い紐をじっと見下ろし、今ひとつ感情の読めない声で問いかける。
「分かるんじゃねェのか」
「……何を?」
「おれが、あー、どの道を選ぶかまで、全部分かってんだろ」
苛立っているわけでも、非難しているわけでもなさそうだった。どうやら、彼はアマヤがここから先の未来全てを事細かに知っているものと思い込んでいるらしい。実際、そんな膨大な情報が脳みそに入っていたら、アマヤの頭部はこんなに可愛らしいサイズで収まってはいないだろう。
「分かるわけないよ」
「あ?」
彼に説明する余裕など、本当はない。時間は刻一刻と過ぎている。けれど、誤解されたままでは、信頼も足並みも揃わない。だから、ほんの数秒の逡巡ののち、アマヤは静かに口を開いた。
「僕が見た未来は断片的な幾つかの事実だけだし、そもそもそこに僕はいないんだ。一分一秒先のことを知り尽くしているわけじゃない。……分かんないことばっかり」
次の瞬間、アマヤは勢いよく踵を返し、再び走り出した。ゾロは咄嗟に紐を引かれ、文句を言う間もなくついていく。疾駆の呼吸の隙間に、アマヤがもう一言二言だけ付け足した。
「いっそ何にも知らないほうがっ、自由に行動できるのかもって、思うくらい!」
「……お前も大概、難儀だな」
それを最後に、二人は街を駆け抜けることに集中した。幸い、迷子紐作戦は功を奏したらしく、やがて、見慣れた建物と群がる人の影が見えてくる。
騒然とした気配の中に、我らが天敵を表す制服がちらついていた。
「ほらっ……着いたよ!」
息を切らせながら、アマヤが叫ぶ。
「しまった、もう海軍は来てる!!」
「僕っ、もう、疲れ──」
目標が見えた途端、ゾロはアマヤを追い越してぐんとスピードをあげる。今まで迷子を引っ張るために使われていた紐は、今度はアマヤを戦場へ引き摺り出すものになってしまった。
「うるせェ、行くぞ」
「……それはルフィくんが言ってたやつ」
小さく毒づいたが、それを誰が聞いているわけでもない。
前線ではついに紐を手放したゾロが気迫そのままに、次々と海軍兵を蹴散らしていた。刃を交わす音、地響きのような怒号。彼が動けば、戦局が変わる。
これは待ったが入るまで続くのだろう。アマヤは、彼が撃ち漏らした敵だけをなるべく傷つけないよう黙って潰していく。二人が通った後に意識を保っていられる海兵はいないのだった。
その後の既知との再会を、しかし疲れ切ったアマヤは遠巻きに見守ることになった。
***
夜の帳が降りるころ、完全復活した麦わらの一味を中央に据え、そこではすでに陽気な宴が始まっていた。
笑い声、歌、皿の音、杯のぶつかり合う音。明かりに照らされた顔はどれも楽しげで、ここ最近の出来事の緊張をほどくように皆が自由を謳歌していた。
そんな浮かれた騒ぎの中、ロビンは静かにアマヤの隣に腰を下ろした。二人の手元には何杯目かも分からない飲み物が満ちている。
「ルフィの家族の話、正直驚いたわ」
「ね」
火の灯りを見つめたままアマヤが返すと、ロビンは少し笑みを浮かべながら横顔を見つめる。彼も驚いたことは間違いないのだろう。それも、ここにいる誰よりも早く。
「アマヤはいつ、驚いたの?」
「うーん、5歳くらいの時かなあ」
たくさん泣いて、よく寝て、美味しいものをたくさん食べたので、アマヤも若干開き直り気味である。
宴の浮かれた雰囲気が口を軽くしているのかもしれないし、わずかに入れた酒精が本当は何もかも打ち明けたい気持ちを後押ししているのかもしれない。
「僕の実家は小さい頃から乗馬の練習をさせるところでね。あ、これは遊牧民族だからもうほんと、みんなやるの」
「まあ、じゃあ5歳から」
聡いロビンは乗馬という単語から凡その事態を把握したらしい。
「話が早いな〜。そう、5歳で試しに大人の裸馬に乗るものだから、当然見事に落馬しちゃって、その後三日三晩寝込んだんだ」
「その時に、夢を見たのね」
「うん。ルフィくんが主人公の物語として、ここまでの冒険の全てを」
「不思議な話だわ」
「海は広いからね」
アマヤの言葉に、ロビンはまた小さく笑った。
“海は広いから”という言葉は大層便利だ。曖昧さを含み、すべてを説明しなくても済む魔法のようなフレーズである。本当は、見た夢はルフィの冒険だけではなかった。日本という国で暮らしていた、一般市民としての記憶丸ごとひとり分だ。けれどそこまで言及してしまうと、それこそ収拾がつかない。
「だから、ロビンさんが色んなものを抱えていたのも、辛い思いをすることも、知っていてそのままにしたよ」
「私、今が一番丸く収まっていると思うわ」
「……僕も。こうなってよかった。ほとんど記憶通りだよ。でも、それでも、僕の何かがロビンさんを少しでも救えたかと思うと、申し訳なくなっちゃう」
彼は自分の存在がこの世界からはみ出していることを、ずっと負い目に感じていた。知っているはずの未来、知られてはいけない過去、誰にも共有できない記憶の全てがアマヤを一人ぼっちにした。この孤独を共有する相手にロビンが付け加わったのはアマヤにとって僥倖だったのかもしれない。
もちろん、彼女の過去は桁違いに苛酷で、それに比べればアマヤの孤独など、きっと生ぬるいだろうが。
アマヤは膝を抱えてそこに顎を乗せる。
「それでね、もう少しで”知っている”部分が終わってしまうんだ。それが、楽しみなようで、怖いよ」
自分の行動がどう影響するだろうなんて悩まなくて済む自由と、振る舞いを事前に決めておくことができなくなる不安の両方が待ち受けている。
「それでも、この船に乗り続けるのよね」
ロビンの問いかけに、アマヤは短く、けれども限りなく真剣に答えた。
「……うん、そうしたい」
「嬉しいわ」
彼女は柔らかく杯を差し出した。アマヤもそっと微笑んで、それを受け入れる。金属の器が、静かに小さな音を立てて触れ合った。それは紛れもなくアマヤの存在を許す福音だった。
「どう? 何か、未来予知を聞いておく?」
焚き火の揺れる影の中、アマヤが冗談めかして問いかけた。
「そうね。……いいえ、やめておくわ。今私に不安はないもの」
「うんっ、それがいいね!」
「アマヤも」
アマヤが明るく返すと、ロビンは杯を軽く掲げながら、首を傾げて笑ってみせた。
「それに縛られたり、それが自分の価値だなんて思ったりする必要、ないのよ」
「……あ、あはは」
「こうやって静かに落ち着いた会話ができる相手がいるだけで、私にとってアマヤは代わりがいない存在だわ」
ロビンの声は囁くようだった。宴の騒がしさが急に遠くに感じられる。
アマヤは油断すると最近緩みっぱなしの涙腺がまた活動を始めそうだったので、慌ててその場を離れることに決めた。
「あ、りがとうっ、僕、その、おかわり貰ってくるね!」
声はなんとか上擦らずに済んだ。けれども、ロビンに内心を見透かされずに済んだかというと、アマヤはそこには全く自信がないのだった。
