〜W7まで

 結局、ロビンの奪還は叶わなかった。戦いは終わっておらず、誰もがそれを肌で理解していた。だが、とりあえず奪還チームはここで顔を合わせることができた。
 一安心したのだろう、ナミはためらうことなくアマヤの肩に体を預けた。
 
「よかった……ウソップも無事だったのね」
 
 アマヤは肩越しに彼女の表情をうかがい、そっと微笑んだ。
 
「うん、それに、ロビンさんを助けるのに協力してくれるって」
「なーんか妙な仮面被ってるけど」
 
 ナミの視線がそげキングへと注がれる。その目つきは、じっとりと湿り気を帯びた毒気すら含み、見逃してやるのは今だけだ、と棘を孕んでいるようだ。アマヤは苦笑いで同意するしかない。
 
「男の子って意地っ張りだよね」
 
 その言葉に、今度はナミがアマヤの横顔を覗き込んでくる。ついに女性陣に混ざる気か、と問いたげである。
 
「……あんたもでしょ」
「うん、僕も結構意地っ張り。やっぱりどうしても人が傷つくのは耐えられないし、可能ならば少しだけ肩代わりをしてあげたい。お節介でも、情けだって怒られても、でもどうしても」
「ほんと、男ってね……」
 
 ナミはそう呟くと、ため息の前に何かを思いついたように表情を切り替え、ふいと立ち上がった。
 
「あ、そうだ私新しい武器のことで訊きたいことあったんだった」
 
 ナミはすっと腰を上げると、そげキングへとまっすぐ歩いていった。声をかける前から、その足取りには迷いがなく、この緊急時において些事は後回しにするのだと言わんばかりなのだった。アマヤはその様子を、ひとつ頷いて見送った。
 
 こんなにみんなが傷ついて、苦しんで、戸惑った後に、今ようやく、腹を括るなんて、ずいぶん勝手かもしれない。けれど、だからこそだ。できることを、きちんとやる。誰かの役に立てるのなら、可能な限り。
 アマヤはそっとその場を離れ、人目を盗むようにしてサンジに近づいた。そして、その耳元へ、低く言葉を落とす。
 
「そうしたらね、サンジくん、先に言っておきたいことがあるんだ」
「おう、もはや何でもこい」
「……司法の島は、確かに未だ攻め込まれたことはないとはいえ、天然の要塞になってる。特に、見えてはいても辿り着けないっていう地形が多いんだ。と、きたら……今回のキーパーソンは自ずと分かるね?」
「──あァ」
 
 サンジは短く唸ると、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。立ち昇る煙の先に、彼の目線はひとりの男をとらえる。頑固で不器用で、だけど真っ直ぐな、あの意地っ張り代表である。「あとはそうだなあ、……僕は、チョッパーくんのフォローに回ろうかな。そのための準備もしてきたし」
 
 アマヤが言葉を繋ぎながら、ふと目を伏せて思案する。視線の先に何かを描くように、眉を僅かに寄せている。
 その横顔を、サンジはちらりと見やり、深く煙を吐いた。
 
***
 
 ロビンの本心を引き出したことで、ついに一味は腹を括った。仲間の願いを叶えるために、迷う理由など誰にも残されていなかった。
 ロケットマンによる突入は、正攻法などという言葉とは無縁の強行突破だった。車体が司法の塔へと突き刺さるように突入し、衝撃とともに瓦礫が舞い上がる。誰もが転がるように投げ出され、打ち身や擦り傷を作ったが、そんなものに構っている余裕など、最初からなかった。
 
 アマヤはその痛みを押し殺しつつ、先ほどの屋上での出来事を思い出す。
 屋上に到着したはいいものの、つい遠慮が出てしまって隠れようとした彼をルフィが見咎め、それを察したサンジによって対峙の場に引っ張り上げられたのだ。許されたことを喜ぶべきか、こんなに深く物語に食い込んでしまったことを憂うべきか、アマヤには判断がつかないのだった。
 
 不安は頭を駆け巡るが、それを飲み込む暇もなく、作戦は動き出す。
 
「──ここに5人いるらしい「CP9」からロビンちゃんの手錠の鍵を5本手に入れ、ルフィを追う!!」
「ロビン君が門を潜れば全て終わる。何もかも時間との勝負だな」
「敗けは時間のロス、全員死んでも勝て!!」
 
 号令一番、誰もが一斉に司法の塔の中へと駆け出す。
 もちろん、アマヤもそのうちの一人である。彼が向かったのは、薄暗く、物々しい空気の漂う廊下だった。独房が連なるその先には、会いたい男がいる。本来ならその男を見つけるはずのナミよりも先に、どうしても。
 
「よよいっ!!」
「やった、正解」
 
 独房がずらりと並ぶ薄暗い廊下の一角で、アマヤは静かに足を止めた。まるで演者を待つ舞台のように、張りつめた空気がそこにはあった。
 
「よよい、よいよい!! おのれ海賊、ここで会ァったが100〜〜年〜〜ん目ェ〜エ!!」
 
 威勢のいい口上とともに、クマドリが大見得を切る。その声が廊下中に響いた瞬間、アマヤの足が床を滑った。何の予兆も見せず、息すら乱さず、彼は影のように低く身を屈め、衣服が揺れて残像を描く。
 
「あいや、しばし、あし──」
「ッ!」
 
 クマドリの言葉が終わるより早く、アマヤの仕掛けた足払いが迫る。しかしそれすらも、敵は軽々と見切っていた。芝居がかった構えのまま、跳ねるように身をかわす。
 
「今しがたのォ〜……口上たる最中にィィ〜〜〜!! 無礼! 無礼千ば──」
 
 怒鳴るように叫びながら、彼は後方へと飛び退き、またもや誇張された動きで大仰に見栄を切ろうとする。だが、アマヤは一言も返さない。代わりに、淡く光を弾いたのは柄も鍔もない、鋼の短剣が2本である。真っ直ぐに喉元を狙ったそれは、けれどうねる髪の毛によって払い除けられる。
 
「よよいっ!! そよ風なりィ〜〜!!」
 
 クマドリの髪がぞわりと蠢いた。まるで生き物のように伸び広がり、蛇のようにアマヤを狙う。だが、捕らえたのは空気ばかり。布の裾が翻るたび、彼の姿はひらりと消えたかのように揺らぎ、すべての攻撃をすり抜けていく。
 アマヤを捉えようと注力する男の肩越しに、アマヤはちらりと視線を投げた。ようやくナミが廊下の角に姿を見せたのが見える。と、なると、なおさらこれの注意をこちらに引きつけなくてはならない。
 
「喋るのに集中しすぎじゃない……!? 戦闘中だよっ」
 
 からかうような声とともに、再び短剣が宙を舞った。だがそれは囮だ。鋭い軌道が視界を裂いた、その一瞬の死角を選んで疾駆する。応じて髪を伸ばそうとしたときには、アマヤはすでに距離を詰めていた。いつの間にか、右手には細身の金具、毒や痺れ薬を含ませるための、峨嵋刺がはめ込まれている。その鋭利な先端が、舞台を踏み鳴らすように構えるクマドリの足元へ、静かに、だが確実に狙いを定めていた。
 
「姑息ゥウ〜〜っ!! あ、足〜〜〜、足〜〜〜元オ! ばかりとは〜〜ァ!」
 
 大仰な叫びが廊下に木霊する。クマドリの声には、すでに怒りと混乱がにじみ始めていた。
 
「機動力削ぐのは定石でしょ」
 
 アマヤは静かに返す。目元は笑んでいたが、その足捌きは一分の隙もなかった。アマヤは再びクマドリの足元を狙い、その足場すら奪い取るように切っ先を滑り込ませる。
 そのうちにナミがこっそりと大男の横をすり抜け、手に鍵を一つ見せつけるようにして逃げ出す様子がアマヤの目に映る。無事に鍵を盗んでくれたらしい。
 
「ちょこまかとォ〜〜〜よいよい!!」
 
 怒号とともに、クマドリの髪がさらに伸び広がる。束となったそれらは、生き物のように四方からアマヤを取り囲もうとしていた。まるで蜘蛛の巣のように、空間ごと塞ごうとする。
 アマヤの動きは、ひと繋ぎの布のようにしなやかだった。滑るように背を屈め、肩をひねり、踵をずらして次の間合いへ。触れたかと思えば、すり抜けている。髪の一束すら掠らせず、アマヤはつるつると逃れ続けてみせた。
 明らかに、クマドリの表情が歪んでいた。アマヤはせっかくなので一つ煽ってやることにする。
 
「ふふ、のろま」
「死ねィッ!!!」
 
 凄まじい勢いで錫杖が振るわれる。突きは速く、力強い。だがアマヤは、それが来ることをまるで知っていたかのように、すでに身をひねっていた。杖先は彼の背後を虚しく掠め、壁に金属音を弾いた。
 クマドリはますますに速度を高めて錫杖と髪を操る。その横合いからひとつの小さな影が、目にも止まらぬ速さで飛び込んできた。
 
「”刻蹄”「桜」!!!」
 
 轟音とともに、クマドリの巨体ははるか後方へと吹き飛んでいった。
 
「アマヤ!!」
「うん、待ってた」
 
 振り返ったアマヤは、心底からの笑みを浮かべていた。タイミングといい、活躍といい、まるでヒーローである。
 その瞬間、物陰からナミが飛び出してきた。肩で息をしながら、叫ぶように怒鳴る。
 
「なんだったのこいつ!! うるっさいし髪の毛はタコみたいに動くし!!」
「いいから、とりあえずここを離れよう」
 
 アマヤはそう言って、迷いなくナミの手を引いた。細い指が彼女の手を包み、すぐに小柄な体が駆け出す。チョッパーもすぐにそれに続いたが、後ろを気にして足が鈍る。
 
「何で!!?」
 
 振り返りざま、困惑に満ちたチョッパーの声が上がる。
 
「あいつ倒さなきゃ鍵が!!」
「これでしょ」
 
 ナミが胸元から、銀に光る鍵をひとつひょいと掲げた。
 
「ナミさん、ナイス」
「アマヤ、こっち見た瞬間から煽るんだもの、分かるわよ言いたいことくらい」
 
 振り向くアマヤの笑顔は、またしても心底嬉しそうなのだった。無言の意思疎通が通るだなんて、信頼と相互理解の賜物だからだ。
 
 次の瞬間だった。乾いた音とともに、何かが、いや人影が頭上から飛来する。落下の衝撃で粉塵が舞い、視界が遮られた。
 
「え!? 人形!!?」
「──ううん」
 
 アマヤは砂埃が収まる前から、その人物が誰かはっきりわかっていた。複雑な思いに足がすくむ。
 
「サンジ!! おい、何があったんだ!?」
「大丈夫!? サンジ君! まさか、サンジ君がやられるなんて……!!」
「す……すま”ねェ……敗けた……鍵……奪え……なかった」
 
 アマヤはサンジの横にしゃがみ込み、沈痛な面持ちでその傷を確かめる。同情しきれないのがこの男の困ったところである。
 
「チョッパーくん、止血剤と包帯」
「お、おう! 待ってろサンジ!! すぐ応急処置するからな!!」
「サンジ君……」
 
 慌ただしく鞄を漁るチョッパーの声を背に、ナミもまた、ゆっくりとサンジの上に影を落とす。
 
「本当に、勝てなかった……?」
 
 ナミの怒りを帯びた声が震える。けれど、サンジの意志は揺るがなかった。
 
「……だから、たとえ死んでも、おれは女は蹴らん……!!」
「おお……!!」
「……ばかね」
 
 チョッパーがぽろりと感嘆の声を漏らす。だが、その耳にぴしゃりと冷水を浴びせるような言葉が落ちた。
 
「サンジくんはばかだから、真似しちゃダメなんだよ、チョッパーくん」
「おお……!?」
「……うるせ」
 
 ナミは迷いなく踵を返し、怒りと悔しさを纏って走り出した。それに応じて、チョッパーもまた立ち上がる。空島で見たアマヤの姿が、彼の心に残っていたのだろう。今度は自分が、あの背中を守る番だと、静かに覚悟を決めていたらしい。普段は危険に怯え、暴走する仲間を引き止める役割の二人が果敢に敵へと向かう姿は大層頼もしかった。
 
 二人が去った後の廊下に、静寂が戻る。
 アマヤは改めてサンジのそばにしゃがみ込み、包帯を締め直す。指先に滲む血の感触やその体温、その痛みに、彼は誰よりも寄り添うのが得意だった。
 
「サンジくんの仇はナミさんがとってくれるって」
「面目ねェ……、いや、ナミさんが心配だ……、アマヤ、お前」
「ナミさんを信じないってこと?」
 
 おそらくサンジは自分の手当てではなくナミの救援に行けといいたかったのだろう。しかし、それを断る意味を含ませた問いかけには、皮肉でも怒りでもない、ごく自然な響きがあった。それでも、サンジは一瞬だけ返答に詰まる。
 
「そうじゃ……ねェが」
 
 声が掠れて、歯がゆさだけが残る。
 
「ナミさんは負けないよ」
「……お前が言うなら、そうか」
「さあて、でも、やってもよさそうなことはやりたいな。もう、考えてあるんだ」
 
 いたずらっぽくウインクすると、アマヤは背後のリュックを引き寄せる。布をはらりとめくって取り出したのは、ずしりと重みのある大きな水筒だった。

***
 
 アマヤは水で石鹸を洗い流し、サンジに機動性を取り戻すと、彼に二つ指令を渡した。一つはこうやって水を使えば良いと言うことをさりげなくナミへ伝えること、もう一つは狼に襲われるウソップを救助することだ。
 その二つを淡々と確認すると、アマヤは顔を上げ、まっすぐにサンジを見つめた。サンジはしばらく無言で彼を見返し、何か言いたげに、しかし一言も発さないままに駆け去った。
 
 その数分後、アマヤはぐったりと意識を失うチョッパーを抱えて、その体を揺さぶっていた。
 
「チョッパーくん、チョッパーくんっ」
「──死んじゃ、いねェだろうな……」
「多分、変身してた時間も短いし……」
 
 彼の胸がわずかに上下しているのを確かめて、アマヤは息をついた。
 アマヤはこの心優しい怪物が自我を失い、クマドリを制したところに直行し、彼をフランキーの元へと誘導した。フランキーは巨躯に慄きつつも、アマヤの指示を即座に理解し、チョッパーの巨体をまっすぐに海面へと撃ち落とす。轟音とともに水しぶきが高く跳ね上がり、ようやくその暴走は鎮められた。
 
「どうしよう……ここにおいていくわけにもいかないし……」
「おぶっといてやれよ。そんくらい軽いだろ」
 
 フランキーの一言に、アマヤははっと目を見開く。
 
「──そっか」
 
 アマヤはすぐにチョッパーの身体を手早く括り付け、背負う位置を調整する。そして、懐の鍵を取り出し、そっとフランキーに手渡した。
 
「ナミさんは2番の鍵を手に入れているはずだから、フランキーさんはこれをロビンさんのところに持っていってくれる?」
「オメーは」
「ナミさんの護衛っ!」
 
 互いに短く頷き合うと、二人は反対方向へと駆け出す。
 アマヤの背中では、チョッパーが小さく揺れている。ぐったりとして動かないが、その重みは確かに生きている。彼の想いごと、しっかりと背負って、アマヤは次に守るべき人のところへ走るのだった。
6/13ページ
スキ