〜W7まで
争いの喧騒が過ぎ去り、浜辺には再び穏やかな空気が戻っていた。麦わらの一味は、草原を抜けてトンジットとシェリーのもとへと向かう。ルフィと相手方の船長との決闘がひとつの区切りとなり、皆の顔にもようやく安堵の色が浮かんでいた。我らが船長があれを下してくれたおかげで、アマヤも十分に溜飲を下げることができたというものだ。
ゲルの外で身を寄せ合う二人のもとに到着し、すぐにそこへ駆け寄ったのは主治医であるチョッパーと、こよなく馬を愛すアマヤだった。
「シェリー、もう一回、手当てし直そうな」
「シェリーちゃん、少しは痛み、引いた?」
手負いの馬はまだ地面に伏せていたが、その目には以前よりもはっきりとした力が宿っている。アマヤがしゃがみ込み、静かに呼吸を合わせるように鼻先へ手を伸ばすと、彼女は首を揺らしながら、彼の頬へと鼻面を擦り寄せた。まるで、気遣いに応えるように。
「もうほとんど痛みはないって」
「よかった……、チョッパーくんが名医なおかげだね」
「やめろよ! 褒められても何も出ねェぞ!!」
チョッパーが照れ隠しに跳ねてみせると、場の空気が少しだけ明るくなる。
だが。ふと、空気が変わった。
風が止み、音が引く。温度がわずかに下がるのをアマヤは感じた。胸の奥にぴり、と硬質な気配が走る。この後の一味に起きることを思い、アマヤは白馬の鬣に顔を埋めて深呼吸をした。心が痛いし、見ないふりをしたいけれど、これも大切な物語の一部である。
それに、ここで出会う青キジという男に対して、アマヤはどう印象をもったら良いか決めかねているところである。彼の芯がどこにあり、どんな相手だと認識して接すれば良いか、明らかではないのだ。アマヤの属する一味にとって、善であるか悪であるかすら。
とはいえ、トンジットとシェリーは彼に救われた。
彼らがその長身を氷の海の向こうに消し、アマヤたちが小さく肩の力を抜きかけた、その時だった。
「──やっぱ、お前ら……今死んどくか」
不意に落ちた声は、彼が能力を使ってもいないのに、場の空気を確かに冷やした。熱の芯だけを摘まれたような、薄くぞわつく寒気が風の流れを歪めていく。
「政府はまだまだお前たちを軽視しているが……、細かく素性を辿れば骨のある一味だ」
その言葉に、一同が揃って息を呑む。完全なる悪人と断じきれない相手からの敵意は、なおのこと心を逆撫でする。
アマヤは、ひと呼吸置いてから、静かにロビンの隣へと足を進めた。目立たぬように、しかし確実に、彼女の近くへと身を寄せる。万が一の時にすぐに動ける位置を選んだのだ。彼の歩みは音もなく、草を踏んでもなお誰にも気づかせないほど静かだった。
圧倒的だった。最初に動いた3人ははっきりとこの船の最高戦力だというのに、青キジは動きすら最小限で、攻撃を受け流すというより、初めから当たることを想定していないかのように立っていた。まるで、どこにも力が入っていないかのような軽さ。それでも、その場の空気は確かに彼のものだった。
アマヤは、目の前で展開される一方的な力の差に、息を呑むしかなかった。そして、なすすべもなくロビンの全身が文字通り凍りつく。間に割って入ろうとしたアマヤはいとも容易く蹴り転がされて地面を滑った。
膝に力を込めて、アマヤは静かに立ち上がる。ロビンの体を船まで運ばなくてはいけない。凍気に触れるだけで吐き気がするほどの寒さだったが、そんなことに構ってはいられない。
アマヤが腹のあたり、チョッパーが足元を支え、ウソップが周囲を警戒するようにして先導に回る。言葉は交わさずとも、3人の呼吸は自然と揃っていた。
船へと飛び込んだ一行はバスタブに水をはり、その中にロビンを慎重に沈める。
「いいのか!? これで本当に……」
「わからねェ、でも……! こうするしか……!!」
「わからねェで済むか!! ロビンの命が掛かってんだぞ!!」
「だけどおれ!!」
船の医務室、慌ただしい動きと重たい声が交錯する。凍ったロビンの体を前に、チョッパーとウソップがそれぞれの葛藤をぶつけ合っていた。焦りと不安が渦巻く空気の中、そのあいだに、アマヤは静かに割って入った。
「これでいいよ」
彼は淡々と、しかしはっきりとした口調で言う。
その声は妙に落ち着いていた。静かで、温度を感じさせない。だからこそ、余計に異様だった。思わず、チョッパーとウソップの目がすっと彼に向く。凍りついたのはロビンだけではなかったかのように、室内の空気が一瞬、凪ぐ。
彼は氷に覆われたロビンの手をそっと包み、続ける。
「これで大丈夫。手を動かそう。ごめんね、ロビンさん、怖がらせちゃったね。……人間の聴覚は思ってるより優秀だよ。聞こえてるかも。僕らが喧嘩してたら、ロビンさん、嫌だと思う」
「この……状態でもか」
ウソップが戸惑い混じりに問い返す。だが、アマヤの表情は変わらない。
「アマヤの言うとおりにしよう!」
チョッパーが一瞬の躊躇を挟んでから、大きくうなずく。動揺は完全には消えていないが、それでも手元を見て、処置を再開する姿勢を取った。
それは彼の中に、確かな“信頼”があるからだ。アマヤが「大丈夫」と言ったとき、その言葉が外れたことはまだ一度もない。占いと呼ぶには鋭すぎて、予知と呼ぶには現実味がありすぎるその直感は、彼らにとってもはやひとつの羅針盤だった。
それはウソップも同じだった。彼の言うことならば信じていい。根拠がなくても、アマヤが言うならきっと、と思えるだけの前例が、これまでの旅路に積み上がっていた。
「この、船にこうやって入浴設備が付いていてよかったね」
「あ……あ、当たり前だ! メリーは趣深いキャラベルとはいえど、カヤのために特注で作られた一級品だぜ!?」
「うん、あの可愛い船首がこの平和な一味に……すごく合ってる」
アマヤは、できるだけ穏やかに笑いながらそう言った。明るい話題を口に出せば、場の空気が少しでも温かくなると思ったのだ。けれどその言葉の裏では、胸の奥がわずかに軋む音を立てる。
なにしろ、この船は、そう長くはない。知ってしまっている未来が、優しい話題に陰を差す。微笑みを浮かべながら、心では必死に話題を切り替えるタイミングを探していた。
「そういえばね、空島で会ったアイサちゃん、あれ、2人はあんまり絡みなかったんだっけ」
「ナミと一緒にいたシャンディアの子だろ?」
「そうそう、あの子、ずっと僕のことをお姉さんって呼んでてね。そんな場合でもなかったから戦いの間はそのままにしてたんだ」
「あ、あァ、アマヤ、よく女に間違われるもんな」
チョッパーにしてみれば女と男では匂いが違うのだから間違えようがないとのことだ。人間がいかに見た目のみを重視して印象を決めているかがよくわかる。
アマヤはそれをとがめるでもなく、静かに頷く。
「そう、それで一応宴の時に真実を伝えたんだ。隠しておくことでも、わざわざ言うことでもないと思ったんだけど」
「そしたら?」
「大騒ぎ。すぐにアイサちゃんが自分の保護者に伝えに行って、そしたらシャンディアの人たちが大勢で押し寄せて」
「ああ、だからあの時人だかりができてたのか。おれァてっきり何かしらの占いでも的中させたのかと」
ウソップが目を見開いて笑う。たしかに、祭の夜、突然アマヤの周りに人垣ができていたのを、彼も横目で見ていた。乾いた、作り物の笑いでも、確かに精神を安定させるには一役かったらしい。ウソップは喉に何かが張り付いて息もできなくなっていた自分を自覚し、改めて大きく深呼吸したのだった。
そうして3人は目の前のロビンの惨状を受け止めすぎないよう、上滑りしているものの、努めて普段通りの会話をしながら手当てを続ける。
じきに、ルフィ以外のメンバーが傷ついた体を引っ提げて戻ってくる。ゾロとサンジが海水で無理やり自分の体を溶かしているのをアマヤは痛々しい思いで見守った。
「何でお前らここに!? ルフィは!? 青キジは!?」
飛び出すウソップを再び船室に引っ張り入れようと腕を引くも、気が立った彼はなかなかそこを動こうとしない。
「……”一騎打ち”がしてェんだと……!!」
「一騎打ち!? おめェら……それで……!! ルフィ一人置いてきたのか!?」
「ダメ! ウソップくん!! 僕らは守られてるの!!」
アマヤの声は、いつになく鋭かった。言葉の裏に、痛いほどの現実を押し込めて。それでもなおウソップは動こうとしない。膨れあがった焦燥が、彼をまるで別人のように昂らせているのだ。
アマヤは決意を固め、ぐっと力を込めてウソップを引き寄せた。強引に、だが慎重に。その細い体には似つかわしくないほどしっかりと、ウソップの腕をねじるようにして船室へ押し込む。
バン、と音を立てて扉が閉じられる。けれども板一枚隔てた中からはいまだに叫び声が聞こえる。
「ウソップくんはチョッパーくんの手伝いでロビンさんの手当て! 船長命令でしょう!!」
言い切ったアマヤの声は、ほとんど悲鳴のようなものだった。その一言が決定打になったのだろう、船室の奥からはもう反論は聞こえてこなかった。
数秒の沈黙を挟んで、アマヤは小さく息をつく。
「……僕、無傷だ。ルフィくんを迎えに行ってくるよ」
振り返らずにそう言うと、背後からサンジの声が返ってくる。
「おれたちもこれが動くようになったらすぐ行く」
「大丈夫。きっとあの人はもういない。ルフィくんが一騎打ちにしてくれたんだもの」
アマヤは船の縁を軽やかに越え、風のように大地へと着地した。その身のこなしは迷いなく、音もなく、草の上に淡く影を落とす。
躊躇いなくあの戦闘の場へ行けるのは、彼がもういないと信じられるからだ。そうでなければ、彼女を凍らせたあの男の前に足を踏み出す勇気はなかった。それが自分の弱さだと、アマヤはよくわかっていた。
「チョッパーくんはああ言ったけど、あんまり擦ると皮膚が痛むよ。動けるようになったらぬるま湯の用意をしておいてね」
残された解凍中の二人は一瞬顔を見合わせる。
「あいつの大声、初めて聞いたな」
「お前がそうなら全員そうだろうよ」
アマヤは、目の前で大好きな仲間同士が声を荒らげる姿を見るのが、何よりも耐え難かったのだ。
とりわけサンジとウソップはよく心を許した相手であり、いつだって皮肉っぽくも柔らかく接してくれる。そのふたりが、互いの感情をぶつけあい、止めどなく言葉を重ねてしまう光景は、彼にとって胸の奥を掻き毟られるような苦痛だったのだ。
その後、凍てついたようだった二人がようやく意識を取り戻した後も、一行はしばらくその場に留まっていた。回復を待つという名目もあったが、誰もが少なからず、今回の一件を言葉にできないまま、心の置きどころを探していた。
船内の空気はぎこちなく、妙に静かだった。
そんな雰囲気に耐えかねて、アマヤはひとりで草原に出ていった。風を切って走ることで、せめて体だけでも軽くなりたかったのかもしれない。船を離れ、野に放たれていたウーマを見つけると、彼は慣れた手つきで騎乗し、風に乗るように遠くへ駆け出した。
草の香り、蹄の振動、すべてが彼の心をほんの少しだけほぐしてくれる。けれど、それだけで完全に晴れるほど、今の胸のうちは単純ではなかった。
***
出航直前、アマヤはロビンの枕元に控えて膝を抱えていた。
「……そんなに心配?」
枕元からふと投げられたロビンの問いかけに、アマヤは目線を動かさずに、小さく返した。
「体も……心も」
「船長さんがあれだけ元気だと、確かに少し申し訳ない気がしてくるわ」
「……そ、だね」
彼女が自責の念を感じていることは、アマヤにはよく分かっていた。表には出さないけれど、ロビンの中にある静かな後悔は、この数日で何度も感じ取っている。ところが、それにうまく応える言葉が出てこない。
「ロビンさんを、守れて、助けられて、本当に良かった。かけがえのない仲間だからね。これは僕の意見じゃなくて、総意だよ」
「ええ、本当に素敵な一味」
目を閉じると、頭の中にまた小さな渦が巻き起こる。うまく整理しきれなかった想い。心の奥に残った、霧のようなもやもや。誰も責めていないのに、どこかで自分を責めてしまう。ロビンのそれと似たような感情が、彼の中にもあったのだった。
ゲルの外で身を寄せ合う二人のもとに到着し、すぐにそこへ駆け寄ったのは主治医であるチョッパーと、こよなく馬を愛すアマヤだった。
「シェリー、もう一回、手当てし直そうな」
「シェリーちゃん、少しは痛み、引いた?」
手負いの馬はまだ地面に伏せていたが、その目には以前よりもはっきりとした力が宿っている。アマヤがしゃがみ込み、静かに呼吸を合わせるように鼻先へ手を伸ばすと、彼女は首を揺らしながら、彼の頬へと鼻面を擦り寄せた。まるで、気遣いに応えるように。
「もうほとんど痛みはないって」
「よかった……、チョッパーくんが名医なおかげだね」
「やめろよ! 褒められても何も出ねェぞ!!」
チョッパーが照れ隠しに跳ねてみせると、場の空気が少しだけ明るくなる。
だが。ふと、空気が変わった。
風が止み、音が引く。温度がわずかに下がるのをアマヤは感じた。胸の奥にぴり、と硬質な気配が走る。この後の一味に起きることを思い、アマヤは白馬の鬣に顔を埋めて深呼吸をした。心が痛いし、見ないふりをしたいけれど、これも大切な物語の一部である。
それに、ここで出会う青キジという男に対して、アマヤはどう印象をもったら良いか決めかねているところである。彼の芯がどこにあり、どんな相手だと認識して接すれば良いか、明らかではないのだ。アマヤの属する一味にとって、善であるか悪であるかすら。
とはいえ、トンジットとシェリーは彼に救われた。
彼らがその長身を氷の海の向こうに消し、アマヤたちが小さく肩の力を抜きかけた、その時だった。
「──やっぱ、お前ら……今死んどくか」
不意に落ちた声は、彼が能力を使ってもいないのに、場の空気を確かに冷やした。熱の芯だけを摘まれたような、薄くぞわつく寒気が風の流れを歪めていく。
「政府はまだまだお前たちを軽視しているが……、細かく素性を辿れば骨のある一味だ」
その言葉に、一同が揃って息を呑む。完全なる悪人と断じきれない相手からの敵意は、なおのこと心を逆撫でする。
アマヤは、ひと呼吸置いてから、静かにロビンの隣へと足を進めた。目立たぬように、しかし確実に、彼女の近くへと身を寄せる。万が一の時にすぐに動ける位置を選んだのだ。彼の歩みは音もなく、草を踏んでもなお誰にも気づかせないほど静かだった。
圧倒的だった。最初に動いた3人ははっきりとこの船の最高戦力だというのに、青キジは動きすら最小限で、攻撃を受け流すというより、初めから当たることを想定していないかのように立っていた。まるで、どこにも力が入っていないかのような軽さ。それでも、その場の空気は確かに彼のものだった。
アマヤは、目の前で展開される一方的な力の差に、息を呑むしかなかった。そして、なすすべもなくロビンの全身が文字通り凍りつく。間に割って入ろうとしたアマヤはいとも容易く蹴り転がされて地面を滑った。
膝に力を込めて、アマヤは静かに立ち上がる。ロビンの体を船まで運ばなくてはいけない。凍気に触れるだけで吐き気がするほどの寒さだったが、そんなことに構ってはいられない。
アマヤが腹のあたり、チョッパーが足元を支え、ウソップが周囲を警戒するようにして先導に回る。言葉は交わさずとも、3人の呼吸は自然と揃っていた。
船へと飛び込んだ一行はバスタブに水をはり、その中にロビンを慎重に沈める。
「いいのか!? これで本当に……」
「わからねェ、でも……! こうするしか……!!」
「わからねェで済むか!! ロビンの命が掛かってんだぞ!!」
「だけどおれ!!」
船の医務室、慌ただしい動きと重たい声が交錯する。凍ったロビンの体を前に、チョッパーとウソップがそれぞれの葛藤をぶつけ合っていた。焦りと不安が渦巻く空気の中、そのあいだに、アマヤは静かに割って入った。
「これでいいよ」
彼は淡々と、しかしはっきりとした口調で言う。
その声は妙に落ち着いていた。静かで、温度を感じさせない。だからこそ、余計に異様だった。思わず、チョッパーとウソップの目がすっと彼に向く。凍りついたのはロビンだけではなかったかのように、室内の空気が一瞬、凪ぐ。
彼は氷に覆われたロビンの手をそっと包み、続ける。
「これで大丈夫。手を動かそう。ごめんね、ロビンさん、怖がらせちゃったね。……人間の聴覚は思ってるより優秀だよ。聞こえてるかも。僕らが喧嘩してたら、ロビンさん、嫌だと思う」
「この……状態でもか」
ウソップが戸惑い混じりに問い返す。だが、アマヤの表情は変わらない。
「アマヤの言うとおりにしよう!」
チョッパーが一瞬の躊躇を挟んでから、大きくうなずく。動揺は完全には消えていないが、それでも手元を見て、処置を再開する姿勢を取った。
それは彼の中に、確かな“信頼”があるからだ。アマヤが「大丈夫」と言ったとき、その言葉が外れたことはまだ一度もない。占いと呼ぶには鋭すぎて、予知と呼ぶには現実味がありすぎるその直感は、彼らにとってもはやひとつの羅針盤だった。
それはウソップも同じだった。彼の言うことならば信じていい。根拠がなくても、アマヤが言うならきっと、と思えるだけの前例が、これまでの旅路に積み上がっていた。
「この、船にこうやって入浴設備が付いていてよかったね」
「あ……あ、当たり前だ! メリーは趣深いキャラベルとはいえど、カヤのために特注で作られた一級品だぜ!?」
「うん、あの可愛い船首がこの平和な一味に……すごく合ってる」
アマヤは、できるだけ穏やかに笑いながらそう言った。明るい話題を口に出せば、場の空気が少しでも温かくなると思ったのだ。けれどその言葉の裏では、胸の奥がわずかに軋む音を立てる。
なにしろ、この船は、そう長くはない。知ってしまっている未来が、優しい話題に陰を差す。微笑みを浮かべながら、心では必死に話題を切り替えるタイミングを探していた。
「そういえばね、空島で会ったアイサちゃん、あれ、2人はあんまり絡みなかったんだっけ」
「ナミと一緒にいたシャンディアの子だろ?」
「そうそう、あの子、ずっと僕のことをお姉さんって呼んでてね。そんな場合でもなかったから戦いの間はそのままにしてたんだ」
「あ、あァ、アマヤ、よく女に間違われるもんな」
チョッパーにしてみれば女と男では匂いが違うのだから間違えようがないとのことだ。人間がいかに見た目のみを重視して印象を決めているかがよくわかる。
アマヤはそれをとがめるでもなく、静かに頷く。
「そう、それで一応宴の時に真実を伝えたんだ。隠しておくことでも、わざわざ言うことでもないと思ったんだけど」
「そしたら?」
「大騒ぎ。すぐにアイサちゃんが自分の保護者に伝えに行って、そしたらシャンディアの人たちが大勢で押し寄せて」
「ああ、だからあの時人だかりができてたのか。おれァてっきり何かしらの占いでも的中させたのかと」
ウソップが目を見開いて笑う。たしかに、祭の夜、突然アマヤの周りに人垣ができていたのを、彼も横目で見ていた。乾いた、作り物の笑いでも、確かに精神を安定させるには一役かったらしい。ウソップは喉に何かが張り付いて息もできなくなっていた自分を自覚し、改めて大きく深呼吸したのだった。
そうして3人は目の前のロビンの惨状を受け止めすぎないよう、上滑りしているものの、努めて普段通りの会話をしながら手当てを続ける。
じきに、ルフィ以外のメンバーが傷ついた体を引っ提げて戻ってくる。ゾロとサンジが海水で無理やり自分の体を溶かしているのをアマヤは痛々しい思いで見守った。
「何でお前らここに!? ルフィは!? 青キジは!?」
飛び出すウソップを再び船室に引っ張り入れようと腕を引くも、気が立った彼はなかなかそこを動こうとしない。
「……”一騎打ち”がしてェんだと……!!」
「一騎打ち!? おめェら……それで……!! ルフィ一人置いてきたのか!?」
「ダメ! ウソップくん!! 僕らは守られてるの!!」
アマヤの声は、いつになく鋭かった。言葉の裏に、痛いほどの現実を押し込めて。それでもなおウソップは動こうとしない。膨れあがった焦燥が、彼をまるで別人のように昂らせているのだ。
アマヤは決意を固め、ぐっと力を込めてウソップを引き寄せた。強引に、だが慎重に。その細い体には似つかわしくないほどしっかりと、ウソップの腕をねじるようにして船室へ押し込む。
バン、と音を立てて扉が閉じられる。けれども板一枚隔てた中からはいまだに叫び声が聞こえる。
「ウソップくんはチョッパーくんの手伝いでロビンさんの手当て! 船長命令でしょう!!」
言い切ったアマヤの声は、ほとんど悲鳴のようなものだった。その一言が決定打になったのだろう、船室の奥からはもう反論は聞こえてこなかった。
数秒の沈黙を挟んで、アマヤは小さく息をつく。
「……僕、無傷だ。ルフィくんを迎えに行ってくるよ」
振り返らずにそう言うと、背後からサンジの声が返ってくる。
「おれたちもこれが動くようになったらすぐ行く」
「大丈夫。きっとあの人はもういない。ルフィくんが一騎打ちにしてくれたんだもの」
アマヤは船の縁を軽やかに越え、風のように大地へと着地した。その身のこなしは迷いなく、音もなく、草の上に淡く影を落とす。
躊躇いなくあの戦闘の場へ行けるのは、彼がもういないと信じられるからだ。そうでなければ、彼女を凍らせたあの男の前に足を踏み出す勇気はなかった。それが自分の弱さだと、アマヤはよくわかっていた。
「チョッパーくんはああ言ったけど、あんまり擦ると皮膚が痛むよ。動けるようになったらぬるま湯の用意をしておいてね」
残された解凍中の二人は一瞬顔を見合わせる。
「あいつの大声、初めて聞いたな」
「お前がそうなら全員そうだろうよ」
アマヤは、目の前で大好きな仲間同士が声を荒らげる姿を見るのが、何よりも耐え難かったのだ。
とりわけサンジとウソップはよく心を許した相手であり、いつだって皮肉っぽくも柔らかく接してくれる。そのふたりが、互いの感情をぶつけあい、止めどなく言葉を重ねてしまう光景は、彼にとって胸の奥を掻き毟られるような苦痛だったのだ。
その後、凍てついたようだった二人がようやく意識を取り戻した後も、一行はしばらくその場に留まっていた。回復を待つという名目もあったが、誰もが少なからず、今回の一件を言葉にできないまま、心の置きどころを探していた。
船内の空気はぎこちなく、妙に静かだった。
そんな雰囲気に耐えかねて、アマヤはひとりで草原に出ていった。風を切って走ることで、せめて体だけでも軽くなりたかったのかもしれない。船を離れ、野に放たれていたウーマを見つけると、彼は慣れた手つきで騎乗し、風に乗るように遠くへ駆け出した。
草の香り、蹄の振動、すべてが彼の心をほんの少しだけほぐしてくれる。けれど、それだけで完全に晴れるほど、今の胸のうちは単純ではなかった。
***
出航直前、アマヤはロビンの枕元に控えて膝を抱えていた。
「……そんなに心配?」
枕元からふと投げられたロビンの問いかけに、アマヤは目線を動かさずに、小さく返した。
「体も……心も」
「船長さんがあれだけ元気だと、確かに少し申し訳ない気がしてくるわ」
「……そ、だね」
彼女が自責の念を感じていることは、アマヤにはよく分かっていた。表には出さないけれど、ロビンの中にある静かな後悔は、この数日で何度も感じ取っている。ところが、それにうまく応える言葉が出てこない。
「ロビンさんを、守れて、助けられて、本当に良かった。かけがえのない仲間だからね。これは僕の意見じゃなくて、総意だよ」
「ええ、本当に素敵な一味」
目を閉じると、頭の中にまた小さな渦が巻き起こる。うまく整理しきれなかった想い。心の奥に残った、霧のようなもやもや。誰も責めていないのに、どこかで自分を責めてしまう。ロビンのそれと似たような感情が、彼の中にもあったのだった。
