〜W7まで
次に現れた島の輪郭は、船の上からでもはっきりとわかるほどに平坦だった。目を凝らすまでもなく、地平の端から端まで、ひたすらに緑が広がっている。樹々はまばらで、視界を遮るものもない。風に揺れる草が光を撥ね、どこまでも続く広大なステップが、海の旅人たちを迎えていた。
アマヤは、思わず身を乗り出していた。甲板の縁に細い体を預け、ラベンダー色の髪を風に散らしながら、少年のように目を輝かせている。草や地熱に混じる土の香りといい、空の広さと風の手触りといい、故郷に似た懐かしさが彼の胸を震わせていた。
「なんじゃここは!! すげー!! 見渡す限り草原だ……」
「わあ……いい風、いい香り」
ルフィと共に歓声を上げるその姿は、周囲の誰よりも嬉しそうだった。だが、その隣でサンジはひどくつまらなそうに肩を落とし、ぼやいている。
「あァ……何つう色気のねェ場所だよ」
「何言ってるの! こういうどこまでも駆けていけそうなところ、自由でいいじゃない」
「美女が群れで歓迎してくれた方が嬉しいね」
「僕で我慢しといて」
肩越しにくるりと振り返り、サンジに片目を閉じてウインクする。旅に出てからというもの、自分を抑え気味だったアマヤにしては珍しい、年相応の晴れやかなテンションである。しかし、それを受けた方は下顎を突き出して不満げだった。
「どこまでも駆けていって帰ってくんなお前は」
悪態をつかれても、アマヤはますます上機嫌だ。知識でも記憶でもない、彼の体に刻み込まれたDNAがこの土地を歓迎しており、浮かれる気持ちを抑えられないのだった。
やがて、船が岸辺に近づくと、ルフィたちが先陣を切って草原へと飛び出していく。アマヤも遅れじと、その流れに身を投じた。チュニックの裾をたなびかせ、迷いなく一歩を踏み出す。その小さな背が風に押され、草原へと駆け出していった。
「……もー、あいつらは。得体の知れない土地にずかずかと……、しかも、アマヤまで」
「これだけ見えすいてりゃ危険も何もねェだろ」
「にしても、アマヤまで」
「……空島で脳みそ浮かれるようになったか? あいつ」
アマヤはまるで故郷そっくりの地形と気候に興奮しているだけだが、それを知らない周囲は不審に思うことだろう。比較的落ち着いて船上からそれを眺める一同は普段と様子の違うアマヤに困惑気味なのだった。
唯一サンジは薄々そうなのだろうと気づいていたが、わざわざ説明してやる義理はないと判断した模様だ。彼は煙草に火をつけ、肩をすくめるだけに留めたのだった。
***
アマヤは酷く怒っていた。あの下手人にも、そして自分にもだ。こうなることをわかっていながら、草原の空気と躍動する馬体の美しさに気を取られてしまった。その油断があの素晴らしい生き物を傷つけたのだ。反省も後悔も後から十分にすることにして、まずは目の前のクソ野郎に徹底的な仕置きをしなければ気が済まなかった。
そしてそれは彼の敬愛する船長も同様の考えらしい。
「何をゴチャゴチャ言ってんだ!! さっさとかかって来い!! 勝負なら受けてやる!!」
「おいルフィ! そのゲーム、ダメだ!! 仲間を失うぞ!!」
「その通り。ルフィくん、受けちゃダメだよこんなの。もう向こうは銃抜いたんだ」
アマヤがルフィを止める文句を吐いたので、ウソップは一瞬顔を輝かせる。
「殺されても文句言えないって。それが世界のルールでしょう」
ところが普段は冷静な占い師が、珍しく感情を露わにしている。ウソップは隠し持った刃物やら針やらをちらつかせて敵方の背後に回ろうとするアマヤにしがみつき、それを一生懸命に抑える。
「アマヤお前も落ち着け!! ここ来てからお前なんか変だぞ!!」
「変なのはあっち、こんなに美しくて情の深い生き物を動く的みたいに」
「ルフィお前も止めてくれこいつの暴走おれだけじゃ……!」
ルフィは背後の騒動を一切気にせず、目の前の3人組を睨めつけている。
「止まらねェよなァ!! 今二人おんなじ方向向いてるもんなァ!!」
ウソップは自分の無力を嘆きつつ、とりあえず気を抜くと開戦しそうなアマヤの両手を引き続けるのだった。
***
決闘の口火を切ったのは、例によってルフィだった。二発の銃声がこだまし、正当な手続きのもと“デービーバックファイト”なる奇怪なゲームの開催が決定される。
仲間の取り合いと絶対服従というグロテスクな趣旨のゲームは、しかし始まってしまえば、そこはまるで祭りのようだった。鳴り物が鳴り、喝采が響き、色とりどりの布が風に踊る。敵も味方も浮かれた笑顔を見せ、戦いというよりは、熱狂の中にある演目のように進行していく。
だが、その賑わいの外れは数名、調子の出ないものたちがいる。そのうちの一人にアマヤも数えられていた。
「はぁ……」
大きくため息をついて戻ってきたのは、船を降りた時までは元気よく走っていたアマヤだった。決闘の誓いの後、一同の元に戻ってきたものの、その肩はしおしおと萎れており、いつもの微笑みすら浮かべていない。それを見たゾロは、心底訝しげな目を向けた。もとより謎が多い奴だったが、今日はいつにも増して解せない。気分の不安定さが“偉大なる航路”の天候並みである。
「お前顔怖ェぞ、珍しく」
「……自己嫌悪中なので」
その言い方がまたらしくない。いつもなら、もう少し取り繕って笑って見せるはずなのに。
「あの船長止められる奴ァ居ねェよ」
「……? ルフィくんが受けてくれなかったら、僕はあの男を刺してた、多分」
「はァ!?」
「そんな野蛮な解決方法を選びかなかったことにも自己嫌悪なんだよ~」
アマヤは覇気のない様子で山と積まれた木箱にだらりと身を預ける。だが、誰に向けているのかも曖昧な怒りだけは、まだ尾を引いているようだった。
「何がお前をそうさせとるんだ」
「馬は」
問いかけに、アマヤはすぐには答えなかった。ただ、虚空を見つめるように目を細め、とろとろと、心の奥から言葉をこぼす。
「僕らにとって友であり、欠かせぬ相棒であり、体の一部であり、誇りなんだ。……僕も、遊牧民の端くれだから」
「あー……」
淡々と語られたアマヤのアイデンティティの一端に触れ、ゾロは口を開きかけて、やめた。何か言うべきなのか迷ったが、結局言葉にならなかった。自分の武士道と似たようなもので、それは確かに自分の根として存在しているが、それを簡単に他者に理解してもらえるものではないとも知っている。
「僕がいながら、あの美しい馬体に傷を創らせてしまった……」
「自信があるのかねェのかどっちかにしとけ」
大会宣言の声が、浜辺に響き渡った。咆哮にも似た勢いで響くそれは、舞台の幕開けを高らかに告げる鐘の音のようだった。
鳴り物の音、観衆の歓声、妙に整った進行など、アマヤは目の前で繰り広げられるこの光景に、ふとある感覚を覚えた。まるで、オリンピックだ。
物語として読んでいたときにはピンと来ていなかった。けれど実際にこの場に立ち、風の匂いや人々の熱気を肌で感じてみれば、全く違って見えた。武力を放棄し、スポーツによる交流を目指す平和の象徴を想起し、アマヤはますます暴力に訴えようとした自分を恥じる。
「おい!! オーソドックスルールはわかるな!? おめェら。出場者は3ゲームで7人以下!!」
「7人……」
「あら、1人余るわね」
「……僕でいいよ、余り……」
野次混じりのルール説明に、アマヤはようやく気づく。自分たちは8人。つまり、ひとりが出場しない形となる。自然と萎れていたせいか、アマヤは無意識に名乗り出ていた。
それを見たナミとウソップが、両側から慌てて詰め寄る。
「おいおいアマヤ、お前が出なくてどうする! あいつらの所業、許せなかったんだろ!?」
「アマヤ! 私に戦わせて自分は見学って、そりゃないんじゃない!?」
「いや、僕なんて……」
やる気のある連中5人までは即決している。残った2枠を3人で押し付け合う様子を横目に、血の気の多いメンツは自分こそが戦闘を担うべきだと主張しあっていた。
結局、揉めに揉めた末に、アマヤがそのまま“余り”として退くことで落ち着いた。展開が原作通りに進むことへの安心、そして自分の激情を直接ぶつけずに済んだという、ある種の逃げ場への安堵も、そこにはあった。
デービーバックファイトはアマヤの記憶通りの展開で終了する。終わる頃には彼も大体気持ちを切り替えることできていたのだった。
アマヤは、思わず身を乗り出していた。甲板の縁に細い体を預け、ラベンダー色の髪を風に散らしながら、少年のように目を輝かせている。草や地熱に混じる土の香りといい、空の広さと風の手触りといい、故郷に似た懐かしさが彼の胸を震わせていた。
「なんじゃここは!! すげー!! 見渡す限り草原だ……」
「わあ……いい風、いい香り」
ルフィと共に歓声を上げるその姿は、周囲の誰よりも嬉しそうだった。だが、その隣でサンジはひどくつまらなそうに肩を落とし、ぼやいている。
「あァ……何つう色気のねェ場所だよ」
「何言ってるの! こういうどこまでも駆けていけそうなところ、自由でいいじゃない」
「美女が群れで歓迎してくれた方が嬉しいね」
「僕で我慢しといて」
肩越しにくるりと振り返り、サンジに片目を閉じてウインクする。旅に出てからというもの、自分を抑え気味だったアマヤにしては珍しい、年相応の晴れやかなテンションである。しかし、それを受けた方は下顎を突き出して不満げだった。
「どこまでも駆けていって帰ってくんなお前は」
悪態をつかれても、アマヤはますます上機嫌だ。知識でも記憶でもない、彼の体に刻み込まれたDNAがこの土地を歓迎しており、浮かれる気持ちを抑えられないのだった。
やがて、船が岸辺に近づくと、ルフィたちが先陣を切って草原へと飛び出していく。アマヤも遅れじと、その流れに身を投じた。チュニックの裾をたなびかせ、迷いなく一歩を踏み出す。その小さな背が風に押され、草原へと駆け出していった。
「……もー、あいつらは。得体の知れない土地にずかずかと……、しかも、アマヤまで」
「これだけ見えすいてりゃ危険も何もねェだろ」
「にしても、アマヤまで」
「……空島で脳みそ浮かれるようになったか? あいつ」
アマヤはまるで故郷そっくりの地形と気候に興奮しているだけだが、それを知らない周囲は不審に思うことだろう。比較的落ち着いて船上からそれを眺める一同は普段と様子の違うアマヤに困惑気味なのだった。
唯一サンジは薄々そうなのだろうと気づいていたが、わざわざ説明してやる義理はないと判断した模様だ。彼は煙草に火をつけ、肩をすくめるだけに留めたのだった。
***
アマヤは酷く怒っていた。あの下手人にも、そして自分にもだ。こうなることをわかっていながら、草原の空気と躍動する馬体の美しさに気を取られてしまった。その油断があの素晴らしい生き物を傷つけたのだ。反省も後悔も後から十分にすることにして、まずは目の前のクソ野郎に徹底的な仕置きをしなければ気が済まなかった。
そしてそれは彼の敬愛する船長も同様の考えらしい。
「何をゴチャゴチャ言ってんだ!! さっさとかかって来い!! 勝負なら受けてやる!!」
「おいルフィ! そのゲーム、ダメだ!! 仲間を失うぞ!!」
「その通り。ルフィくん、受けちゃダメだよこんなの。もう向こうは銃抜いたんだ」
アマヤがルフィを止める文句を吐いたので、ウソップは一瞬顔を輝かせる。
「殺されても文句言えないって。それが世界のルールでしょう」
ところが普段は冷静な占い師が、珍しく感情を露わにしている。ウソップは隠し持った刃物やら針やらをちらつかせて敵方の背後に回ろうとするアマヤにしがみつき、それを一生懸命に抑える。
「アマヤお前も落ち着け!! ここ来てからお前なんか変だぞ!!」
「変なのはあっち、こんなに美しくて情の深い生き物を動く的みたいに」
「ルフィお前も止めてくれこいつの暴走おれだけじゃ……!」
ルフィは背後の騒動を一切気にせず、目の前の3人組を睨めつけている。
「止まらねェよなァ!! 今二人おんなじ方向向いてるもんなァ!!」
ウソップは自分の無力を嘆きつつ、とりあえず気を抜くと開戦しそうなアマヤの両手を引き続けるのだった。
***
決闘の口火を切ったのは、例によってルフィだった。二発の銃声がこだまし、正当な手続きのもと“デービーバックファイト”なる奇怪なゲームの開催が決定される。
仲間の取り合いと絶対服従というグロテスクな趣旨のゲームは、しかし始まってしまえば、そこはまるで祭りのようだった。鳴り物が鳴り、喝采が響き、色とりどりの布が風に踊る。敵も味方も浮かれた笑顔を見せ、戦いというよりは、熱狂の中にある演目のように進行していく。
だが、その賑わいの外れは数名、調子の出ないものたちがいる。そのうちの一人にアマヤも数えられていた。
「はぁ……」
大きくため息をついて戻ってきたのは、船を降りた時までは元気よく走っていたアマヤだった。決闘の誓いの後、一同の元に戻ってきたものの、その肩はしおしおと萎れており、いつもの微笑みすら浮かべていない。それを見たゾロは、心底訝しげな目を向けた。もとより謎が多い奴だったが、今日はいつにも増して解せない。気分の不安定さが“偉大なる航路”の天候並みである。
「お前顔怖ェぞ、珍しく」
「……自己嫌悪中なので」
その言い方がまたらしくない。いつもなら、もう少し取り繕って笑って見せるはずなのに。
「あの船長止められる奴ァ居ねェよ」
「……? ルフィくんが受けてくれなかったら、僕はあの男を刺してた、多分」
「はァ!?」
「そんな野蛮な解決方法を選びかなかったことにも自己嫌悪なんだよ~」
アマヤは覇気のない様子で山と積まれた木箱にだらりと身を預ける。だが、誰に向けているのかも曖昧な怒りだけは、まだ尾を引いているようだった。
「何がお前をそうさせとるんだ」
「馬は」
問いかけに、アマヤはすぐには答えなかった。ただ、虚空を見つめるように目を細め、とろとろと、心の奥から言葉をこぼす。
「僕らにとって友であり、欠かせぬ相棒であり、体の一部であり、誇りなんだ。……僕も、遊牧民の端くれだから」
「あー……」
淡々と語られたアマヤのアイデンティティの一端に触れ、ゾロは口を開きかけて、やめた。何か言うべきなのか迷ったが、結局言葉にならなかった。自分の武士道と似たようなもので、それは確かに自分の根として存在しているが、それを簡単に他者に理解してもらえるものではないとも知っている。
「僕がいながら、あの美しい馬体に傷を創らせてしまった……」
「自信があるのかねェのかどっちかにしとけ」
大会宣言の声が、浜辺に響き渡った。咆哮にも似た勢いで響くそれは、舞台の幕開けを高らかに告げる鐘の音のようだった。
鳴り物の音、観衆の歓声、妙に整った進行など、アマヤは目の前で繰り広げられるこの光景に、ふとある感覚を覚えた。まるで、オリンピックだ。
物語として読んでいたときにはピンと来ていなかった。けれど実際にこの場に立ち、風の匂いや人々の熱気を肌で感じてみれば、全く違って見えた。武力を放棄し、スポーツによる交流を目指す平和の象徴を想起し、アマヤはますます暴力に訴えようとした自分を恥じる。
「おい!! オーソドックスルールはわかるな!? おめェら。出場者は3ゲームで7人以下!!」
「7人……」
「あら、1人余るわね」
「……僕でいいよ、余り……」
野次混じりのルール説明に、アマヤはようやく気づく。自分たちは8人。つまり、ひとりが出場しない形となる。自然と萎れていたせいか、アマヤは無意識に名乗り出ていた。
それを見たナミとウソップが、両側から慌てて詰め寄る。
「おいおいアマヤ、お前が出なくてどうする! あいつらの所業、許せなかったんだろ!?」
「アマヤ! 私に戦わせて自分は見学って、そりゃないんじゃない!?」
「いや、僕なんて……」
やる気のある連中5人までは即決している。残った2枠を3人で押し付け合う様子を横目に、血の気の多いメンツは自分こそが戦闘を担うべきだと主張しあっていた。
結局、揉めに揉めた末に、アマヤがそのまま“余り”として退くことで落ち着いた。展開が原作通りに進むことへの安心、そして自分の激情を直接ぶつけずに済んだという、ある種の逃げ場への安堵も、そこにはあった。
デービーバックファイトはアマヤの記憶通りの展開で終了する。終わる頃には彼も大体気持ちを切り替えることできていたのだった。
