空島あたり
船の巨大な外殻に辿り着いたあと、サンジは即座に別行動を提案した。当然、弱気なウソップは大反対だったが、アマヤが同行を申し出たことを受け、二人でサンジを見送る形で決着がついた。アマヤはサンジにしっかりとやるべきことをやること、可能な限り怪我には気をつけることを言い含める。兄のような言い草にサンジが面倒くさそうに返事をして、そして別行動が始まるのだった。
船内を駆け巡ったアマヤとウソップは、一つの扉の前で立ち止まる。
「おい、アマヤ!」
すぐ背後から、ウソップが小さな声で叫ぶという器用なことをしながら呼びかけてきた。
「多分この先が甲板で、神とやらが居やがる。妙に静かだが、おそらくナミもここだろう」
「うん、船内に人の気配はなかったもんね」
アマヤが頷くと、ウソップはぐっと拳を握りしめる。
「お、おおおおれが神の気を引いておくからナミを頼んだぞ!!」
「……逆でいいんだよ」
「いや! お前も相当の重症だ。──……おれがいく」
その言葉と同時に、ウソップは一歩飛び出し、甲板へ身を投じた。だが次の瞬間、天空から落ちるようにして奔る一筋の雷光が彼の足元を打ちつけ、彼の体が勢いよく跳ねる。
稲妻に翻弄され、見事に転がるその姿に、ナミは一瞬安堵の声を上げかけ、けれども同様に雷撃から逃げ惑うことになるのだった。
彼らがウェイバーに向かって逃げ出したその刹那、甲板に滑り込んだ影がひとつ。影が滑るような動きでエネルの背後に回り込んだアマヤが、そのまま無言で後頭部に掌底を打ち込んだ。
不意打ちなど食らったことがなかったのだろうエネルは、かっと瞳孔を開いて自分の背後の人物に向き直る。
「──何、」
「どうも、少しの間、僕につきあってくれる?」
逃げていたナミが振り返る。
「アマヤっ!」
「……ナミさんのために時間稼ぎするの、久々な気がするよ。つい最近なのに」
「──分かった!!」
その言葉が届いた瞬間、ナミは迷わずうなずいた。そして、彼女の足は再びウェイバーへと向かう。
「何だ? お前は、何か、おかしい。……なぜ当たった?」
アマヤはほんの一瞬だけ、ナミへ微笑を贈った他は、顔には一切の感情が宿らせずに強大な相手へと対峙した。
呼吸ひとつすら意図的に制御されている。心音すら沈めるように、彼は内側へ内側へと、己の気配を折りたたんでゆく。行動をプログラミングされた人形か何かをイメージして。
「それに、声が聞こえん。……貴様、生物か?」
「……さあ」
「いや、先に当たったことを論ずるべきか」
あくまで平坦に返す声。無機質ともいえる音のなかに、感情の濁りはなかった。
エネルの目が、アマヤの手元に落ちる。アマヤはそれを、隠すこともなく見せつけていた。
「それが……ゴムか。それはもう知っている」
彼の口調には、どこか退屈そうな響きがあった。やはり、この男は頭がいい。一度通じた手が二度目も通じるとは思っていなかったが、それにしても、こうもあっさり看破されるとは困ったものである。それに、自然系の攻撃を受け流す性質だけが彼の強みではない。神を名乗る男はこの能力を十二分に活用しているのだ。
「しかしそう何度もおれに触れられるものではない」
「──っ」
その言葉が終わるよりも早く、エネルの姿が揺れた。一気に距離を詰めると同時に、手にしていた黄金の棒が横薙ぎに振るわれる。アマヤは即座に身を屈め、流れるように後方へ跳ぶ。ところどころ擦り切れた布が揺れ、床板を滑るようにして着地する。
追撃の一撃。次いでもう一撃。だがアマヤはそれらすべてをかわした。すれすれの距離を保ち、紙一重で軌道を外れ、まるで風の流れを読むかのような身のこなしで、軌道から滑り落ちてゆく。
「……やはり聞こえんな」
エネルの声に、苛立ちが滲む。相手の“声”が見えないということは、先が読めないということであり、読みを外されるということだ。それは神にとって、何よりも腹立たしい誤算だった。
アマヤは自分の心綱対策がうまくいっていることを理解するが、安心はしない。それすら心の揺らぎになってしまい、いつこの膠着状態が崩れるかわからないからだ。
そもそも彼は、この世界に転生して以来、ずっとどこかで「自分の体」を他人事のように扱っていた。操作する感覚、動かす感覚、それは一種、ゲームのアバターのようなものだったのだろう。本来の“心”との乖離が、そのまま利点になった。感情が体に染み込まない。気配が薄まる。だから、この相手の前では限りなく無音の存在として、対峙することができている。
「気味が悪い」
理解できないものには、怒りではなく嫌悪が湧くのだろう。エネルは目を眇めて舌打ちをしかねんばかりであった。
アマヤは静かに体勢を立て直す。この集中は、長くはもたない。呼吸のひとつも無駄にできないこの状態では、もって数分、いや、下手をすれば数十秒といったところだ。せめて、ナミの準備が整うまでは引っ張らねば。
「何か言ったらどうだ。……やはり生物ではないか」
「そうかも。……怖い?」
「おれが”恐怖”だ」
その言葉と共に、エネルの体が揺れ、広範囲を薙ぐ雷撃が奔る。だがアマヤは瞬間的に体を逸らし、稲妻を紙一重で避けてみせた。焦げた空気が頬を撫でる。だが、表情は崩れない。
「いいわよ!! 準備できたわ!!」
「アマヤ! お前もこい!!」
二人の叫びと同時に、ウェイバーの起動音が轟き、それが疾風のような勢いでアマヤの方へ走り込んでくる。掠めるようにすれ違いざま、アマヤの腕を伸ばして掴もうというのだろう。
その動きに気づいたエネルが、唇を歪める。怒りと苛立ちが臨界に達し、大気がぐらりと歪んだ。全身に雷が集束し、金色の光が膨れ上がる。広範囲を焼き尽くす、圧倒的な一撃の予兆だ。
「いいから! 二人で降りて!!」
アマヤの声が鋭く響いた。その瞬間、彼は彼我の距離を詰め、エネルの腕を掴み、力任せに引っ張る。チャージの真っ最中だった雷撃は方向を逸らされ、明後日の空へと無軌道に放たれた。空気が裂け、大気が焼け焦げる音と共に、稲妻は雲の向こうへ消えていった。
アマヤの覚悟を受け取ったウソップはナミの静止も聞かず、ウェイバーを空中へと躍らせるのだった。
「……ああ、なるほどな」
ぽつりと、背後からエネルの声が落ちてくる。その一言に、アマヤの背筋が凍る。
感情が揺れてしまった。ナミとウソップが逃げ切ってくれたという安堵が、ほんの僅かに“心”を緩ませた。エネルの卓越した心綱がそれを見過ごすはずもなかった。
慌てて距離を取ろうとするも、その進行方向に罠のようにして置かれた雷撃がアマヤの視界いっぱいに映る。
「……わ、最悪」
目を瞑りたくなるのを必死で堪え、迫り来る衝撃に備えて全身を強張らせる。
「気ィ抜いたな」
アマヤはこれも能動的に動こうと思った自分への洗礼か、と諦めかけた。
ところが、どこからともなく跳び込んできたサンジがアマヤの体を吹き飛ばす。白く弾ける雷撃の中心には、アマヤに負けず劣らず自己犠牲精神に満ちた男の姿があった。
同時に、船の奥から破裂音と炸裂音が立て続けに響き、巨大な船体がごうんと大きく揺れた。
「サンジくん!! ばか!!」
「……おかげ様でこの商売道具にゃダメージが少ねェ」
サンジが手にはめていたゴム手袋を、ぼとりと甲板に捨てる。熱と衝撃でボロボロになっているが、その下の手は確かに焦げていない。
「──っ、へ、下手に日焼けした人みたい」
思わず皮肉がこぼれる。アマヤは咄嗟にサンジの体を支え、彼の肩を抱えて甲板の縁へと駆け出した。
「言ってろ……後な」
サンジはそれに身を任せつつ、船に意識を向けるエネルに向かって決め台詞を一つ放り投げることにする。
「──吠え顔かきやがれ」
「いいから口閉じといてっ!!」
その直後、一際大きな揺れが船全体を襲った。振動に気を取られたエネルが一瞬だけ視線を逸らす。アマヤはその隙を見逃さず、サンジの体を抱えたまま、船の縁から飛び降りたのだった。
