空島あたり

 森の生き物に翻弄されていた一行は、ロビンの冷静な判断と的確な行動によって、無事にサウスバードを捕獲することができていた。
 
 一方で、自宅に残っていたクリケットがベラミー一味に襲われたという報せが、重く空気を変える。アマヤとチョッパーは、森から戻るなり、血に塗れ、無惨な姿で倒れていたクリケットのもとへ飛び上がって駆け寄った。家具はなぎ倒され、壁には衝突の跡が残り、床には砕けたガラス片が広がっている。チョッパーがすぐさま薬草と包帯を取り出し、アマヤは濡れた布で傷口を丁寧に拭う。その手は慣れた動きを見せながらも、わずかに震えていた。
 
「ああ……、ごめんね、僕だけでも残っておけばよかった」
 
 アマヤの声は小さく、それでいて苦しげだった。この狼藉の責が自分にあると言わんばかりの態度に、クリケットは怪訝そうに返す。
 
「馬鹿言え。ここに転がる怪我人が一人増えるだけだ」
「……そうでもないと思ってる」
「あ? お前、案外自信家なんだな」
 
 クリケットは思わず肩を揺らす。華奢で、思わず守りたくなる容姿の少女が、まるで己に実力があるとでも言うような調子で口を開くのだ。見た目との落差に、奇妙な感覚すら覚える。
 
「だって、ルフィくんが相手どる必要なしと判断するような人でしょ」
 
 ナミが少し心配そうに眉を寄せ、あの時の苛立ちを思い出しながら会話へ割って入る。
 
「でも、結構大きい顔してたわよ、あいつ。実力者なのは間違いないんじゃないかしら」
「小物だよ」
「……珍しいわね、あんたがそんな辛辣なの」
 
 アマヤははっとして、表情を和らげた。しまった、とでも言うように口角を引いて笑うが、その笑みはどこか照れているようでもあり、自分の感情を持て余しているようでもあった。
 
「ナミさんがいじめられたから」
「やだ、急に口説くじゃない」
「それに実際大したことない人ほど吠えるから。“偉大なる航路”のこんなところでお山の大将してる時点でお察し」
 
 アマヤの手は止まらない。包帯を手際よく巻きながら、その口からは変わらず毒がこぼれる。クリケットは黙ってそれを見つめていた。言葉の鋭さと、手当てのやさしさ。その二つの乖離は、けれど不思議と釣り合っているのだった。
 
「あんなの、ルフィくんにかかれば右手一本で完封だよ」
 
 軽い冗句にすら聞こえるその言葉が、後のルフィの話から見事に的中していたと知り、何人もの背筋を凍らせることになるとは、この時の彼らはまだ知らない。もちろん、アマヤは既に知っていることを隠しもせずに伝えただけである。
 
***
 
 突き上げる海流、ノックアップストリームの脅威に晒されながらも、船はどうにか耐え抜いた。船体は軋み、何度も傾きかけたが、それもどうにか乗り越えてみせるしなやかさがメリーにはあった。激流を越え、天を衝くように跳ね上がったその瞬間、眩い光が目を射た。何度も雲を貫くようにして辿り着いた先、彼らの前に広がっていたのは、白く霞んだ海だった。

 船は音もなく、その雲の上に降り立つ。驚くべきことに、その地はまるで海のようにたゆたっていたが、確かに船を支えている。何もかもが常識を覆す光景だった。
 
「うほーー!! この島、地面がフカフカ雲だ!!」
 
 ルフィの歓声が弾けるように空へ跳ねた。彼の足元で、雲の浜辺がふわふわと揺れている。まるで綿菓子の上を歩いているかのようだった。
 
「おい錨はどうすんだ!? 海底がねェんだろここは!?」
 
 ゾロが警戒を残した声を上げながら、肩に抱えた錨を見下ろす。確かに、この雲の海に錨を下ろすなど、本来ならば無謀に思える。
 
「んなモンいいだろどうでも! 早く来てみろ、フカフカだぞこの浜辺は!!』
「どうでもってお前……」
 
 半ば呆れながらも、ゾロは錨を地面に下ろす手を止めない。その後ろで、アマヤがじっと水面(雲面?)を見つめ、声を上げた。
 
「刺してみようか、ルフィくんたちが立って歩いてるなら、あのフカフカ部分には質量がありそう」
「……ああ、おい、投げるぞ」
「僕、行くよ」
 
 その一言を残すや否や、アマヤは船縁を蹴って飛び込んだ。雲海はたしかに柔らかく見えたが、勢いよく突っ込むと、まるで軽い水を割るようにその体を受け入れた。彼の手には、ゾロが放った錨の鎖がしっかりと握られている。目を開けたまま潜り、雲の深さと密度を確かめながら、泳ぐように進んでいく。
 
 やがて、足先に感触が届く。踏みしめると、そこは浅く固い層になっていた。彼はそこで動きを止め、錨を沈め、力をこめて雲の底へと押し込む。
 
「ぷは」
 
 雲海を割って顔を出した。巻き毛が水分を含んで額に張りついている。肩まで雲に浸かりながら、彼は軽く息を吐いた。水練を怠ったことはないアマヤの泳力は、この純白の海においてもきちんと機能するらしい。
 
「OK、固定できたみたい」
 
 ゾロが鎖を引き、たしかに抵抗を感じて頷く。これならば多少の雨風があっても問題ない強度だった。
 
「じゃ、僕このまま行ってくるね!」
 
 そう言って、アマヤはそのまま雲をかきわけて進んでいく。ちゃぱちゃぱ、と雲の波が静かに弾け、白い霧のような飛沫が陽光に透けた。やがて彼は雲の浜辺に到着し、夢の中のような島の光景の中へ、仲間たちと混ざっていった。
 
「う~~ん、ここなら海軍も追ってこないし、羽を伸ばせる! ビーチなんて久しぶりっ」
 
 ナミが大きく背筋を伸ばして陽を浴びる。その顔には、長く張り詰めていたものがふっと解けたような、柔らかな笑みが浮かんでいた。
 
「港ばっかとまってたからなァ!!」
「あは、足の裏気持ちい」
 
 アマヤもすっかり上機嫌だ。白い雲の砂はひんやりとしていて、ふわりと吸い付くような独特の感触があった。彼はナミのあとを追いかけて、隣に並ぶ。少し遅れて、同じように両腕を上へと伸ばしてみる。まねごとのようなその動きは、ややぎこちないものの、開放感に溢れていた。
 
「ね、あっちにガゼボがあるわ」
「行ってみよっか、ね、チョッパーくんも」
 
 頷き合った三人は、雲を踏みしめて小さな東屋へと歩き出す。柱も屋根も、すべてが雲で形作られていて、そこにはふかふかのソファのような雲の椅子が円く並んでいた。
 
「わっ……! このイス、雲でできてる!!」
「うお──、でもフカフカ雲とは別だな! まふっとしてるぞ」
「下の海にはなかなかない感触だね」
 
 アマヤは腰を沈めると、ほぅと安堵したように息を吐いた。雲は驚くほど柔らかく、体を包み込むように受け止めてくれる。けれど沈み込みが深すぎて、姿勢を保つには少し工夫が要りそうだった。
 
「でもちょっとふわふわすぎて寝台には向かないかも。腰痛になりそう」
「アマヤ、あんたいくつ?」
「ふふ、19だよ」
「発言がオジサンぽいのよ」
 
 ナミが笑いながら突っ込む。けれどアマヤは、曖昧な笑みを浮かべたまま視線をそらした。前世今世を合わせれば40年を超える人生経験は、たしかに自分のどこかに根を張っている。前世の最後の頃、両親が繰り返し体のガタが来ていることを口にしていた言葉も思い返されての発言なのだった。
 ゆったりと流れる時間のなか、雲のソファに身を沈めていたところ、チョッパーが耳をひくつかせて体を起こす。
 
「ん!? なんかあっちに人がいるらしいぞ!」
 
 声に反応して、ナミもすぐさま起き上がる。アマヤもそれに続いて立ち上がり、雲の床を急ぎ足で踏みしめながら、チョッパーのあとを追いかけた。
 
 空島に来てから、初めて見る人影だ。慎重に距離を詰めていくと、そこに立っていたのは若い女性だった。それに、遅れて到着したのは彼女の父親だという。彼らは自らを「コニス」と「パガヤ」と名乗り、穏やかな口調と柔らかな表情で迎えてくれた。
 その佇まいには、警戒心を抱く余地がなかった。言葉の端々ににじむ善意と、こちらを値踏みしないまなざしである。それは大変心強く、空の上という見知らぬ世界で、最初に出会ったのがこの人たちでよかったと、誰もがそう思った。
 
 しばらくして、ナミがパガヤから借りたウェイバーに乗り、雲の海を滑るように遠乗りを始める。初めてのはずなのに、その乗りこなしは見事で、水飛沫──もとい雲飛沫を巻き上げて、彼女は滑らかに遠ざかっていく。
 アマヤはソワソワと立ち止まり、行き先に目を凝らしながら呟いた。眉根にはっきりとした不安が刻まれている。
 
「どうしよう僕、ついて行ったほうがいいかな」
「見ただろ、ナミさんの乗りこなしっぷり、心配するほうが野暮だぜ」
 
 隣で煙を燻らせていたサンジが、どこか余裕を含んだ声で言った。
 
「でも、このあたりの地理はわかってないでしょ? どこか変なところに迷い込んだら……」
「……一理あるな、──っ! ナミさんっ!! 迷子になって泣いたり、知らない人についていったりしねェだろうな!?」
「ついていくっていうか、拐かされるのが心配で、……心配で」
「かっ……!!?」
「親か」
 
 二人であの豪胆な航海士を思っておろおろそわそわとしているのを横目に、ゾロが冷ややかに言い放つ。過保護が過ぎるとの判断だ。とはいえ、二人は後ろ髪をひかれつつ、コニスの導きに従うのだった。
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