空島あたり

 モックタウンに着くなり、ロビンは誰にも告げることなくひっそりと舷を降りた。けれど、すぐにその背に軽い足音が続く。そういう気配に敏感なアマヤである。彼はそれが当然かのように、気配を消すでもなく堂々と隣へ並ぶ。
 
「占い師さん……、私の、見張りかしら」
「護衛だよ」
 
 アマヤは、人好きのする笑顔で応えた。出会って間もない相手に向けるには親密が過ぎるものだが、それでも、その表情からは一切の悪意も、猜疑も感じられない。もしこれが作り上げられたものだとすれば、大した演技力である。もちろん、これは彼女の素性を誰よりも知るアマヤの本心であり、決して演技ではない。
 ロビンは不思議に思いながらも、肩の力をほんのわずかに抜いた。視線の端で見るアマヤの瞳はまっすぐで、それが作り物のようには見えなかったのだ。
 
「さっき、いろんな声が聞こえたでしょ。ナミさんの護衛はあの二人。ロビンさんの護衛は僕。……役者不足かもだけど」
「私も結構強いわよ」
「でも、レディだ」
「コックさんみたいなこと言うのね」
「第二の父が同じなもので」
 
 そう答えて、アマヤはまたくすくすと笑った。ゼフのあの信念に満ちた姿を思い出すだけで、頬が緩む。紅茶の温度は逐一気にする繊細さがあるくせに、自分の店の従業員には遠慮なく脚撃を食らわすような、そういう豪胆な人だった。彼からの教えの一つが、女性を大切にすることだ。3人の姉に可愛がられて育ったアマヤはそれに大いにシンパシーを感じ、彼の兄弟分と共にその教えを忠実に守っているのだった。
 
「まずはお洋服?」
「ええ、いつまでも彼女の服を借りているわけにはいかないから」
「僕もいくつか買おうかな~。首元が擦り切れ始めたのがあって」
 
 そうしてふたりは、賑やかな通りを歩いて服飾店へ向かった。喧騒と音楽、陽気な酒場の声をすり抜けて、町の端の落ち着いた店に足を踏み入れる。
 ロビンは迷いなく大人びた装いを選んだ。ラインの美しい黒、深いワインレッド、控えめな装飾。その姿を、アマヤは少し離れた場所からキラキラとした目で見つめていた。すらりと背の高いロビンにはそのような服装がよく似合う。
 対するアマヤは憧れはあるものの、自分がロビンのような服を選んでも、服に着られてしまって格好悪いことを自覚している。見に纏うものは自分に合ったものが良い。それにアマヤは素朴で緩やかな雰囲気の服装も好んでいた。
 
 試着室の前で、アマヤが選んだ素朴なワンピース風の装いを手にしていると、ロビンがふと隣から問いかけてきた。その手にはウソップあたりが好みそうなラフカジュアルがある。
 
「こういう、男性ものは選ばないの?」
 
 その声音に探るような色はなく、ただ事実を確認するような穏やかさだった。どうやらロビンは、特に説明をされずともアマヤの性別を把握していたらしい。誰かが伝えたのかもしれないし、彼女の観察力ゆえかもしれない。
 
 
「うーん、僕、こっちの方が似合うしなあ」
「それはそうね」
 
 「似合う」というのは本当だった。アマヤの外見は押しも押されぬ美少女である。それに、女性に囲まれて育ったからだろうか、自然と身につけた趣味は柔らかく、フェミニンなものが多かった。重たい色や尖ったデザインよりも、風になじむような薄布の揺れや、花模様のような細やかな意匠がしっくりくる。中性的、と言い切るにはやっぱりやや女性的なのだった。
 
「……僕がこういうの選んでたら気持ち悪い?」
「──まさか。自分の心に従うのが一番よ」
 
 ロビンはそう言って、揺るがない声で返した。アマヤはその言葉を聞いて、「それは、あなたも」と心の中で小さくつぶやく。早く彼女が自分の心の声に従って生きることができるように、表面からは見えない奥底の方で真摯に祈ったのだった。
 
 服を買い終えたあとも、ふたりはしばらく町を歩いた。モックタウンの喧騒は一見陽気だが、少し奥に入ると雰囲気の悪い通りも多い。そして、そういう場所にこそ二人が求める”情報”は転がっているものだ。
 案の定、海賊風の男たちに何度か声をかけられたが、いずれも大ごとにはならなかった。
 
 たまたま暗殺と隠密を得意とする二人が組んでいる以上、そう簡単に騒ぎを起こすような不始末は発生しない。仕掛けてきた相手は自身が攻撃を受けたと気づく前に気絶していたり、口も聞けないほどの大打撃を喰らっていたりと、結果だけ見ればなぜか自然と片付いたように見える始末なのだった。
 
***
 
 日が傾き始めた頃、アマヤとロビンは何事もなかったような顔で船に戻ってきた。服の包みを腕に抱え、表情は穏やかそのものだったが、すべきことはすっかり果たしていた。しかし、船内は静けさとは無縁だった。
 
「ずいぶん荒れて、どうしたの?」
 
 ナミが両腕を広げて怒りを炸裂させている。頬をわずかに膨らませ、声を荒げながら、何かを訴えているようだった。
 ロビンがそれに視線を向けていると、ルフィが気づいて顔を上げる。
 
「アマヤ、ロビン、どっか行ってたのか」
「ええ、服の調達と……”空島”への情報でしょ?」
 
 ロビンはナミの様子に軽く目を細めただけで、それ以上は何も言わずにルフィに地図を差し出した。
 
「お!! 宝の地図だっ!!」
「ただの地図だろ、どこだ? コリャ」
「この島よ」
 
 ロビンの声は淡々としている。説明も手際よく、誰よりも冷静だった。
 
「左にある町の絵が現在地「モックタウン」……、そして対岸、東にバツ印があるでしょう?」
 
 ロビンの声が地図の上をなぞる。すぐに何人かが身を寄せ合い、地図を覗き込んだ。
 
「そこにジャヤのはみ出し者が住んでるらしいわ。名前はモンブラン・クリケット。夢を語りこの町を追われた男。話が合うんじゃない?」
 
 その言葉に、ナミが少しだけ口を引き結んだまま視線を逸らした。
 
「どうしてだかこの町の人たちってば、夢を語る相手を馬鹿にする風潮あるもんね。……気分悪い」
 
 アマヤが同調したことで一旦は溜飲を下げたのか、ナミは怒気を納めて情報に目を向けることにしたらしい。そうして、船はこの島の反対側へと向かうことになったのだった。
 
***
 
 噂のモンブラン・クリケットとの出会いを果たし、紆余曲折を経て宴に興じた頃には、空はすっかり藍に染まり、森の上には夜の帳が静かに降りていた。
 木々の影は濃く、地面には月明かりすら届かない。
 
「うわ……、真っ暗!!」
 
 結果的に、一行はサウスバードを求めて、そのまま夜の森へと繰り出す羽目になっていた。葉擦れの音すらどこか不気味に響き、虫の声だけが無遠慮にあたりを満たしている。
 
「まったく、こういう事はせめて昼間に言えよな」
「おい、鳥は?」
「どこにいるかわかったら全員で探しにゃ来ねェだろ!」
 
 先ほどまでの明るく賑やかな宴の雰囲気とはあまりにもかけ離れており、必要なこととはいえ全員のモチベーションは低い。特に、暗いところや怖いところが苦手な一派にとってみれば、切羽詰まってさえいなければ願い下げのシチュエーションだろう。
 
「手がかりは変な鳴き声って事だけだ。姿はさっき黄金で見た通り」
「アマヤァ、お前、どこにいるのか占ってくれよ」
 
 いつものように早く帰りたがっていたウソップが、半分泣き声になってアマヤにしがみついた。
 アマヤは驚きもせず、苦笑まじりにウソップの背中をぽんぽんと軽く叩いて宥める。
 
「暗くて怖いね。大丈夫、じきに慣れるから。……それに、鳥なら」
 
 アマヤがそう言いながら、耳元に手を添えるような仕草をする。その柔らかな所作に、周囲の数人もつられるように耳を澄ませた。風が木々の葉をなで、虫の声が遠くで絶え間なく響いている。誰かが立てた足音すらも、途端に遠のいた気がした。
 
「もうすぐ聞こえると思うよ」
「見つかる、じゃなくてか?」
 
 ウソップが眉をひそめてぽつりとこぼした、まさにそのとき。 森の奥から、間の抜けたようでいて妙に特徴的な鳴き声が響いた。誰もが一瞬息を止め、耳の奥にその声が焼きつく。
 
「ね?」
「そろそろ怖ェよお前の予報」
「ええ……、訊いてきたのはウソップくんの方なのに」
 
 アマヤは肩をすくめ、小さく笑った。時々こうやって未来視をしてみせねば、何のための占い師なのかわからない。じっとりとしたウソップの視線は、しかし本当に拒絶や排斥を孕んでいるものではなかったため、こうやって笑っていられるのだ。
 
「よし……、こうなったらとにかくやるしかねェ」
 
 ルフィの声が夜の森に響く。半数ほどは不承不承ながらも、やることは明確だったし、やらない選択肢はなかった。
 こうして一行は三つの探索チームに分かれることになった。手がかりはその声以外にほとんどない。けれど、動き出せば何かが見つかる。そんな楽観と、わずかな期待を胸にそれぞれの方角へと歩き出す。
 
「じゃ、僕はロビンさんと……」
「護衛かしら」
「もちろん」
 
 アマヤが当然のように名乗りを上げると、ロビンが少し口元を緩めた。軽やかに返すアマヤの横顔を、しかし疑い深い剣士は渋い顔で睨むように見つめていた。
 ロビンは未だに信用しきれない存在。アマヤも、どこまで何を考えているか読めない奴だ。 結果、そこにゾロが同行するというかたちで、三人のチームができあがる。ひどく人見知りをするはずのアマヤがこの得体の知れない新入りには出会った当初からよく懐いているのも怪しいものである。というのが疑り屋の剣士の見解だ。
 
 森は深く、同じ景色が延々と続く。夜目にも強い彼らでさえ、先が読みにくい地形に足を取られながら慎重に進んだ。しばらく歩いたところで、不意に葉陰から飛び出してきた巨大な虫が、ゾロの顔すれすれを掠め、その躊躇いのない剣に討ち取られて倒れる。
 それを平然と眺めているアマヤを見て、ロビンが意外そうに問いかけた。
 
「こういうの、平気なの?」
「虫? うん、好きではないけど、飛び上がるほど苦手でもないって感じかな」
「そう……意外ね」
「虫みたら大声あげて逃げ出しそうな可憐な見た目? 僕」
「……ふふ」
 
 アマヤは肩をすくめて戯けてみせる。自嘲混じりのその声音に、ロビンの目元がやわらぐ。
 
 鋭い音を立てて、刀が再び振るわれた。太い枝のような大百足が一刀のもとに両断され、暗がりの中に沈む。それを一瞥してから、ゾロはふいに二人の方へと向き直った。
 
「おい、お前」
 
 その声は低く、真っすぐだった。視線の先にいるのは、未だ正体の明らかにならない新入りである。
 
「まだシッポは出さねェ様だが、おれはお前を信用しちゃいねェんだ。それを忘れんな……」
 
 空気が一瞬で冷える。一瞬前までの弛緩した雰囲気からの落差が、アマヤを縮み上がらせるには十分だった。
 ロビンは驚いた様子も見せず、ただ静かに視線を受け止める。一方で、その場にいたもうひとりは、緊張の波にのまれて、胸の奥をぎゅっと掴まれたような表情をしていた。息が詰まる。言葉が出ない。なぜだか自分が責められているような気すらして、視線を足元に落とす。
 それを見たゾロが、ひどく面倒くさそうにため息をついた。自分が釘を刺しておきたいのは不審な新入りであり、この妙におどおどとする占い師の方ではないのだ。
 
「……ま、よくわかんねェのはてめェも一緒だがよ」
 
 ゾロの中で白か黒かを決められない相手は苦手だった。何を考えているのかわからず、自分の意見をはっきりさせない相手とは相性が悪い。残念なことに、アマヤはそういう曖昧さの中に生きている側の人間だった。
 
 そんな気まずさの増した空気の中、ロビンが口を開く。表情は変わらない。けれどその目だけが、ほんのり楽しげに揺れていた。
 
「……だけど」
「何だよ」
「そっちは、今来た道」
 
 アマヤは直前までとことん凄んでいた迷子のファンタジスタを前に、困って怯えればいいのか、笑いを堪えればいいのかわからなくなってしまうのだった。
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